『World Edge Cataract.』より お試し版 -01.
※注意※
この本は、RDDという女体パラレルのシリーズの第9弾・完結編です。
単独でも読めますが、気になる方は「RDD1-8 あらすじ」を先にご覧下さい。
尚、RDD1-8の再版・再録予定は一切ありません。
ご了承下さい。
また、メインは海城(=女体城之内)ですが、青眼の白龍×真紅眼の黒竜(擬人化)を含みます。
それぞれのカプが恋愛的に錯綜することは一切ありません。
完全に独立・並存しているWカプで、且つオリキャラくさいので、苦手な方はご遠慮下さい。
※あと雰囲気だけバクラ受くさいですが、カプ成立なしです・・・
あと、転生がテーマということで、何かを察してからお読みください・・・
↓よろしければ、スクロールをしてどうぞ。
■00
季節は今年もまた初夏へと移り変わっていく。
六月に入り、仕事が一段落してきたところで、再び私的な案件の調査へと意識は戻る。
そもそもは昨年の一月だ。親友の結婚式に参加するため駆けつけた童実野自治領内の式場で、夜中にその保護者的立場の魔物から依頼をされた。
「……まあ、そのときの予測は間違いだったが」
当初は、王家の宝物として一般的には考えられている千年アイテムの力を誤解してのものだった。
今も自分の首に掛かっている逆四角錘の形をした黄金のパズルには、闇の力と呼ばれる不思議な何かが宿っている。伝承としては、召喚術の増幅器らしい。召喚術とは先天性の能力なので、個人差はあるが、使える者は使えるし、使えない者は使えない。使える者を召喚師、または決闘者と呼ぶのだが、確かに千年パズルを提げていれば召喚が容易になる気はした。ただ、そもそも現代においては召喚自体が困難になるほど一度に大量の魔物を使役することはまずないため、正確な効果を調べることはできない。
だが、当時は千年アイテムの本来の使い方より、それを持つことで寿命が延びるのではないかと考えたらしい親友の保護者により、王家に戻っていないものの捜索を頼まれた。
行方不明だったものは、二つ。
一つはイシュタール家に託されていた千年ロッドであり、それは十数年前にとある軍事拠点塔が爆破されるという作戦中に紛失していた。連絡を取ったイシュタール家の当主、千年タウクの所持者でもあるイシズが捜索を申し出たため、そちらはいずれ見つかるだろうと高を括る。
だがもう一つ、王家の宝物と言われながら、実は一度も王家に奉納された記録がない千年アイテムがある。どうやら親友の保護者はそちらの所持者と面識があり、そこから後に間違いと分かる推測を立て、自分たちに調査を頼んできた。
「……。」
結果的に推測が不正確であったことも、千年リングの所持者が百年以上も前の大戦で契約獣を見殺しにしたと思われていた召喚師であったことも、今となっては大した問題ではない。
そんなことは、『真実』という衝撃の前に霞んでしまう。
人ではなく、魔物でもなく。
奴ら、彼ら、あるいは世界、もしくは大いなる意思。
この世の理そのものを『代行』している者であるという現実は、自分にとって大きな驚きと、どこか説明しきれないような苦しさをもたらした。
「……代行者、あるいは、調整者」
まずは千年ロッドを捜索していたとき、千年パズルを持つ男の襲撃を受けたのだ。
もちろん、自分ではなく、親友の夫。闇の代行者の言葉を借りれば、かつては同じように代行者でありながらヒトに堕ちたらしい海馬瀬人だ。そんな事実は知る由もなく、記憶など欠片もない。生粋のオカルト嫌いである海馬は、襲撃してきた『敵』、または『かつての同僚のような存在』からの言葉を一蹴した。
だが紆余曲折を経た結果、最後の調整者とそのシモベは、海馬が迎え撃たせた最強の白き竜によって薙ぎ払われる。そもそも千年アイテムの調査を依頼してきた親友の保護者まで消滅させる予定ではなかったのだが、そこはどれほどつらくともマスターと慕うシモベとしては仕方がなかったようだ。
報告は、まずこの時点で一度入ってきた。
だが海馬自身が代行者、調整者ということを信じていなかったためか、正体不明の男による襲撃というふうに簡単な説明になっていた。
「……。」
正確な情報が届いたのは、その消滅させたはずの男が、シモベも復活させて戻ってきてからである。
代行者とは、大いなる意思を『代行』している。つまり、世界がまだ必要だと思っている限りは本当の意味で死滅するようなことはない。何度でも甦る。使命としては増えすぎたときにだけ人間の数を『調整』するのが調整者だが、それとは別にただ知ることだけが目的の『調査』者という者もいる。たまに双子の兄のふりをして親友の学校に遊びに行っていたとき、気がつけばニコニコとして話をしていた者がそうだと知ったのも、このときだ。
そうして、よく似た名前を持つ調整者と、調査者。二人からもたらされたらしい詳細な報告書が上がってきたとき、自分ははっきりとした苦痛を感じた。
「……どうして、今になって」
これほどの『真実』を、教えてくれる気になったのか。
やっと気が向いたらしいと安堵した理由が、分からない。
ただ、字面だけで示されるこれまでの経緯を疑いはしないのに、どうしようもなく気持ちが焦った。何故だかすぐにでも童実野自治領に駆けつけたくなった。そうして、胸倉を掴んで問い詰めたい。以前より面識があった調査者ではない、当時は復活したばかりだった最後の調整者に尋ねたい。
どうして。
今になって。
……自分に、その存在を明らかにしたのか。
「意味が分からないな……。」
胸が押し潰されそうな衝動は本物だったが、どうしてそんなことを思ってしまったのか、そのときも、今も、よく分からない。
確かなことは、そう願いはしても結局自分は童実野自治領に一度も足を運べなかったということだけだ。
連邦の王として、国家元首として忙しかったのもある。夏休み以降、親友の夫婦関係がややギクシャクしたこともあり、気軽に訪ねられなくなったのも事実だ。
だが、年明け以降は別の理由も加わった。
クリスマスの前後にやっと夫婦仲を修復できたらしい親友から、夫には内緒でと前置きされた上で、こっそりと頼まれたのだ。
「……。」
急がなくていい、それでも他に頼めないのでそっと進めておいてほしい。
今手にしている書類は、その関係である。
昨年の七月、最後の調整者から初めて海馬は千年ロッドを託された。
胡散臭いとすぐに手放したらしいが、なんだかんだでいまだに海馬邸に保管されているらしい。その時期から、少しずつ海馬が変化していく。年末にかけては親友も仲違いをしていたのであまり気がつかなかったらしいのだが、夫婦仲もより強固となってから再び共に寝るようになって、その違和感を察した。
『……海馬のヤツ、よく魘されてるんだ』
夢見が悪いようだという簡単な言葉だったが、画面の向こうの表情は悲痛そのもので、詳しく尋ねることを阻まれた。
あの男と出会ってから、あるいは、千年ロッドを手にしてから。
海馬の何かが確実に変わりつつある。
だがそれがどういう方向での変化なのか、自分たちでは予想もつかない。ただ、以前海馬が代行者であり、その中でも調整者という特殊な存在であったことは当人も含めて疑ってはいない。
だから、調べてほしい。
代行者であった頃のことを、可能な限りでいいので知りたい。
「……それで、覚悟を決めるから、か」
調べると言っても、調査者ですらない自分には限界がある。だが、そういった世界の代行者ではないただのヒトとしてならば、自分は最も効率よく情報を集められる立場にあった。
なにしろ、この連邦政府の元首なのだ。多忙で時間の取れなさを差し引いても、古文書から外交機密まで、ありとあらゆるものに目を通すことができる。ただ、あまりに個人的な頼みなので、本当に時間があるときだけでいいと言ってくれた親友に、できるだけ努力すると頷いたのは友情からだけではない。
自分自身が、知りたいと思ったのだ。
この世の理を体現する、代行者という存在。
ヒトに紛れてはいても、苛烈で鮮麗な印象は良くも悪くも歴史に爪痕を残す。
名前、外見、召喚術における特徴。
それさえ分かっていれば、何千年にも渡って刻み続けた傷を辿ることは、さほど難しくはなかった。
「召喚師の、『セト』……。」
親友が調べてほしいと頼んだのは、当然ながら夫である海馬瀬人、その『前』らしい代行者のセトについてだ。
だが、その軌跡を追っていけば、必然的に別の存在も目に付いてしまう。
いや、いっそセトよりも遥かに情報が多い。セトを除けば最後まで調整者として君臨し、ヒトを狩る者としていまだにその力を振るっているのだ。どうやらセトより以前に調整者がいた時期は相当昔らしく、史実においてはこの二人以外の名前をはっきり見つけることはできなかった。
『セト』という召喚師の名前はかなり前に途切れているため、ここのところ調査に引っかかるのはいずれももう一つのものだ。
「……召喚師『バクラ』、か」
カードデュエルではない。
魔物を使役し、武力として殺戮と制圧を行なう圧倒的な決闘者。
大戦など百年以上もなく、紛争もここ数十年は起きていない。
こんなに平和な大陸にも、いまだに召喚術を駆使する決闘者は存在する。だが海馬やイシズ、それに自分とも違うのだ。
純正の代行者、そして魔物を生み出す最後の創造者。
向こうからこちらを知ることは、いくらでも可能だ。王として名は知れているし、調査者から情報が入ることもあるだろう。
だが、自分があの存在を知ることは、本来はなかったはずなのだ。
「……。」
それが、こうして知ることになったのも、『奴ら』の導きなのか。
首から提げたままの千年パズルを握り締め、大きく息をつく。
本名の『アテム』、そして偽名としての『ユーギ』。
代行者の軌跡を追うほど、たびたび交差する自らと同じ名前に何かしらの確信をしても、今はまだ行く末になんの想像もできなかった。
■01
中間テストが終わってから久しいが、追試に続く追試を重ね、最終的には課題の提出という形でなんとかクリアすることができ、ほっと安堵の息をつく。同じように斜め前の席で机に突っ伏しているのは、このクラスで城之内を除いて唯一の課題仲間だった本田だ。
「……やっと、終わったな」
「……すぐまた期末テストがあるとか、考えたくないよな」
「嫌なこと言うなよ、お前」
五時間目の授業で教師に課題を提出し終え、休憩時間となったところで同時に机に懐いたものの、しみじみとした本田の言葉には思わず足を伸ばして椅子を蹴ろうとした。だが斜め前の席では届かなかったため、今日も過保護に登校してくれている隣の席の保護者、レッドアイズに代わりに蹴るよう城之内は頼んでおく。
擬人として生存証明法で登録されているが、ヘルモスという個体名を持つレッドアイズは本来は真紅眼の黒竜という魔物である。後ろから椅子を蹴っただけでもかなりの威力だったようで、本田が机ごと床へと転がるのを眺めながら、城之内はまた憂鬱なため息を重ねた。
「ほんっと、三年になってから勉強難しくなったよなあ……。」
「城之内、てめー、これが追試課題仲間にする仕打ちかよ……!!」
本田は埃まみれになって何か言っているようだが、あまり気にならない。
現在城之内たちは複合学術都市、通称海馬L.A.N.D.の高等部に通っている。この春に無事に三年生へと進級できたものの、城之内と本田は本当にギリギリだったのだ。元より擬人などにも広く門戸を開いており、多種多様なカリキュラムを組めるため学びやすい。大学と籍を分けて置く御伽や、大学院にも籍がある遊戯などにとっては、実にいい環境なのだろう。だがそれは学ぶ意志がある者には便利だという意味であり、城之内たちのように基本的に勉強を不得手とする者にはかなり厳しいのだ。
そうと嘆いても、共感してくれるのは机を直し椅子に座っている本田くらいしかいない。なんとか高校は卒業したいと互いに思っているので頑張ってはいるものの、三年生最初の試験でこれだけ長引いてしまったことを考えると、早くも心は挫けそうだ。
「でも城之内、アンタは二年生の頃は結構成績よくなってたじゃない? 本田と違って」
「そうだよね〜、赤点がないテストも結構あったよね〜。本田くんと違って」
「オレはやればできるんだよ!! 本田と違って」
「お前らなぁ、いやそれ事実だけどよ、もうちょっとこう、いたわりとかよ……!!」
杏子からの言葉に、獏良が頷き、城之内もまた賛同すれば本田はさめざめと泣き真似をしていた。いや、涙こそこぼれていないが、本当に泣きたいのかもしれない。
元々杏子は成績もいいし、獏良はそもそも知識欲の塊のようなものなので勉強は苦ではないらしい。今この場にいない御伽は高等部に籍を分けて置く必要があるのか疑問な頭の出来なので、こちらのテストは免除されている教科も多い。城之内の警護という名目で、擬人のまま通っているレッドアイズは正確にはここの生徒ではない。授業に出て、必死に勉強についていこうとしているのは、あくまでテスト前に城之内に教えられればという気遣いだ。実際にテストを受けることはない。
なんとなくつるんでいる仲間内に一年近く前に加わった男に関しては、いまいち分からない。一応生徒として在籍しているようだが、授業にずっと出ていなかったかと思えば、補習には全部出たりもするらしい。人間ではないと公言されているので誰も深く気にしていないようであるが、授業をサボり放題という点のみは羨ましいと城之内は思っていた。
「まあ、本田はともかくとして。城之内、アンタほんとにどうしたの?」
最近全然勉強できてないじゃない、と杏子が言うのも、痛いほど分かる。だがすぐには答えを返せず、つい視線を逸らしてしまえば、隣の席が殺気立った。
「城之内の保護者さん……?」
杏子は魔力を持っているわけではないが、さすがに付き合いが長いのでなんとなく気配で分かる。何を言うわけでもなかったが、レッドアイズの雰囲気に獰猛さが増した。端的に言えば、怒っている。もちろん杏子自身に対してではなく、その質問の答えを城之内が口にするより先に察し、苛立っただけだ。
「……城之内は、悪くねえよ。全部あのヘンタイが悪いんだ」
「え……と、そう、なんですか……?」
低く唸るようにして答えたレッドアイズに、杏子は不思議そうにしつつも頷く。気配こそおどろおどろしくても、内容が予想の範囲内だったからだろう。レッドアイズが変態と呼ぶのは、城之内の夫であり、この童実野自治領の行政府長官である海馬のことだ。性癖はそれほど特殊ではないし、妻として求められるのは嬉しいのでたとえ変態でも自分は歓迎だ。そう胸を張ってもいられない状況になりつつある城之内は、レッドアイズの言葉を否定するでもなく机に伏せて黙ってしまった。
そんな態度も、杏子たちには不可解に映ったのだろう。やや首を傾げたままでいると、どこから情報を仕入れてくるのか、相変わらずニコニコしたままの獏良が勝手に説明してくれる。
「城之内くんは〜、そもそも家で勉強する時間が取れないみたいなんだよ〜」
「ああ、なるほど。それが海馬さんの責任ってこと? 出張とか、仕事に付き合わされてたりするの?」
そう尋ね返していても、杏子もあまり本気ではなかったはずだ。ただの女子高生である城之内が、行政の長である海馬の仕事を手伝えるわけがない。仮に、何かまた新しい制度設計などがあり、魔物とのハーフという特殊性で付き合っているのだとしても、そうであればレッドアイズは苦々しく言うことはない。
中学のときから換算すれば、杏子たちとはもう付き合いが五年目だ。いつの間にか机から体を起こしていた本田も不思議そうに振り返ってきており、どう返していいものかと悩んでいると、別の声が説明を引き継ぐ。
「野暮なこときいてやんなよ、女。ただ仲睦まじい夫婦生活を営んでるってだけの話だろ」
「え?……えっ、そうなの、城之内?」
「ええっ、そうなのか、城之内……!?」
「どうして真崎さんと本田くんが不思議そうにしてるのか〜……まあ、ボクには分かるけどね〜」
楽しそうに言われるまでもない。杏子や本田は、ずっと城之内を見てきたのだ。どれほど城之内が海馬に想いを寄せていたのかも、やっと結婚してもらえてからも紆余曲折があったことも、傍で眺め続けた。だからこそ、海馬を大好きで堪らない城之内が、本当にそんな理由で勉強もできないほど時間が取れなくなっているのであれば、むしろ幸せそうに笑っていてもおかしくない。そうでないのだから、不可解な存在なのに何故かまだそこにいるバクラの言葉を信じきれず、心配そうにされている。
正直に言えば、この億劫さの原因を杏子たちには知られたくなかった。だが成績はともかくとして、慢性的な寝不足で常に体調が優れない様子は、いずれ理由を追及されていただろう。そもそも半分は魔物である城之内が、ここまで疲労することは珍しい。たとえ疲れても、翌日には確実に回復している。それが、比較的ずっと続いているということは、激しく疲れるようなことが頻繁に起こっているからに他ならない。
「……ジジイは余計なこと言うんじゃねえよ」
「だから小娘にジジイて言われる筋合いはねえって言ってんだろうが?」
否定すると嘘をつくことになるため、ついバクラをそう責めれば結果的に杏子たちに肯定してみせたも同然だ。バクラは軽口もさらりと流すが、何故かバンッと机を叩いて立ち上がったのはレッドアイズだった。
「城之内っ、マスターは確かに物凄くご高齢なんだから年の功を思いやってちゃんと聞けよ!? 余計なことなんかじゃねえっ、あのヘンタイにもっと回数減らせってお前からも頼めって!?」
「……言えるわけねえだろ、オレが」
「というか、別にオレサマは回数控えろとかアドバイスしてねえだろうが?」
「それより〜、年の功はもう否定しないんだね〜」
興奮してるヘルモスに何言っても無駄だ、とバクラがため息をついているのを眺めている間に、どうやら杏子たちも確信したらしい。
正確には、今年に入ってから、ひどくなったのはここ三ヶ月ほどである。結婚するまでは一度も手を出してくれなかった海馬であるし、去年の夏以降はいろいろ事情もあってまともに体を合わせていない期間が長い。そのため、年を明けてから再びゆっくりと機会が増えたのは嬉しかったが、いずれ上限を迎えると思っていたそれはいまだに上昇線を描いている気がする。
どれほど海馬が城之内を求めたとしても、多忙すぎるため時間的な制約がそのまま上限となる。
そう信じていられたのは、春先くらいまでだ。
「ほんっと、あのヘンタイ、城之内の体力も考えねえで……!!」
「……ねえ、城之内って半分は魔物なのよね?」
「……長官サマは、一応人間なんだよ、な?」
杏子と本田は不思議そうに首を傾げている。本田の言葉に注釈がつくのは、かつて結婚前の海馬にあらぬ疑いをかけられて襲撃された過去があるからだろう。
生存証明法を制定し、以前は最後の『民間』決闘者として名を馳せた海馬は、あまりに強すぎてしばしば誤解を受ける。だが、間違いなく海馬は人間である。レッドアイズのような魔物でも、城之内のような混血でもない。ただ、純粋に魔力が大きく、魔術の扱いにも長け、召喚術は稀代と謳われるほどの、圧倒的な強さを持ったただの人間だ。
そこに、『今は』という注釈がついてしまうことを知っている面々は、杏子たちの呟きに何も言わなかった。機密事項ということもあったが、廊下に唐突な気配の出没に気がついたからだろう。
「……失礼致します、奥方様」
すぐに教室のドアが開き、そう声をかけてきた青い瞳に視線は集中する。
大きくはないが、ふっと魔物の気配が現れるということは、擬人化させた上での召喚術に他ならない。城之内も半分は魔物なので察することはできるが、その識別はやや曖昧だ。だが保護者であるレッドアイズが特に雰囲気を華やがせる様子がなかったため、ドアが開く前に青い瞳は片方だけだと予想していた。
「あ、キサラ。なんかあったのか?」
中へと入ってきたのは、涼しげなワンピースに身を包んだ背の高い女性だ。ほとんど白に近い長い髪と、片方だけ青い瞳のこの女性は、青眼の白龍という魔物である。だがレッドアイズと関係が深い海馬が最後に契約した三体目のクリティウスではなく、そこから単体分化した『子』の一人だ。ちなみに、千歳と二千歳ほどらしいのだが、いまだにどちらがどちらか、分かっていない。名前も『木佐』と『Sara』で合わせて『キサラ』と呼んでくれという適当さなので、本人たちにもこだわりはないのだろう。
キサラたちは、生存証明法による身分証の発行は受けていない。擬人として生活することは二人、いや二体とも望んでおらず、稀に海馬が警護などの関係で人型を取らせる程度である。廊下にキサラのうちのどちらかの気配が降って沸いたのも、海馬が遠隔召喚させたのは間違いない。だがこんなふうに、キサラの片方が学校に現れるときの用事は、尋ねはしたものの城之内にも察しがついた。
「マスターが帰宅されましたので、是非奥方様もお屋敷にお戻りになられては、と」
「……。」
無表情に淡々と述べてくれた内容は、やはり予想通りだった。
またかと言いかけた城之内は、教室の壁に掛かっているカレンダーを見てしまう。
前回は休日中だったので、まだ一週間も経っていない。できるだけ学校に行き、授業もサボらず眠らずきちんと受けるようにと言っていた海馬が、早退を促す。言葉こそ提案の形を取っていても、絶対的な契約で付き従っているシモベである青眼の白龍が勝手なことをするはずがなく、実質的には海馬からの命令だ。それに、思わず内心で城之内がため息をついてしまったとき、先ほど飲み込んだ言葉を獏良があっけらかんと口にした。
「あ〜、海馬くん〜、また倒れちゃったの〜?」
「え……ええっ、そうなの、城之内!?」
「あのダンナさんが倒れるなんてっ、よっぽどだろ!? 早く帰ってやれよ!!」
「……ああ、まあ、うん」
実はこれまでもこうして何度か早退したことはあるのだが、キサラはいつも帰宅したとしか告げないようにしていたのだ。海馬はやはりこの童実野自治領のトップであるし、そう何度も体調不良を起こし妻である城之内が屋敷に駆けつけなければならないという事態は好ましくない。そんな配慮が半分と、実際にそういう雰囲気がないという意味が半分で、城之内は曖昧に頷くしかなかったのだが、再び横で机を叩いたのはレッドアイズだ。
「帰んなくていいっ、あんなヘンタイ放っとけばいいんだよ!!」
「でも、ダンナさんが倒れるって……?」
「病気とか過労とかっ、そんなんじゃねえ!! 大体、キサラを遠隔召喚できてる辺りで、元気いっぱいなのは明らかじゃねえか!!」
しかも城之内が帰ってからはあんなにも、と続けているレッドアイズに、杏子と本田は不思議そうにしていた。
魔術や召喚術に詳しくなくとも、納得できる弁だったのだろう。ただ城之内に帰宅を知らせるだけであれば、部下に電話の一本でもかけさせればいいのだ。それにも関わらず、わざわざ遠隔召喚などというものを行なえている時点で、海馬が疲労困憊で倒れているようなことは到底想像できない。
そんなふうに顔を見合わせている友人たちに、城之内は何も説明できなかった。実際に、海馬は倒れたのだろうが、元気いっぱいなのもまた事実なのである。キサラは無表情に佇んでいるが、雰囲気が困っているのは分かった。だが横のレッドアイズはいい加減腹に据えかねている様子であり、城之内も早退すべきか迷ったところで、ポンと頭に手を置かれる。
「小娘、さっさと帰ってやれよ。てめーの愛しいダンナ様が待ってんだろ?」
それに驚いて顔を上げるが、先に返したのはレッドアイズだ。
「マスター!! マスターまで、あのヘンタイを甘やかさなくていいのに……!!」
「別に甘やかしてんじゃねえよ、小娘も心配で帰りたいって顔に書いてあるから言っただけじゃねえか」
ちなみに、バクラは既にレッドアイズのマスターではない。契約をしていたときの肉体は一度滅んでおり、新たに作り直した今の方では契約を結ばなかったのだ。だが今更呼び方を変えることはできなかったようで、互いに暗黙の了解になっている。いつもは冷静沈着で世俗には疎いのに、その点にのみ目くじらを立てていた三体目のブルーアイズは、今は海馬と共に屋敷にいるだろう。
時計を見ればそろそろ六時間目が始まりそうなので、帰るならば早くした方がいい。そう思い、取り敢えずは椅子から立ち上がったのは、指摘されたように海馬が心配だったからだ。
「城之内……!!」
「……。」
だが、同時に帰りたくない、会いたくない気持ちも沸いてきて、城之内は荷物を片付ける手が止まってしまった。
あの状態の海馬に、自分が会うことは本当にいいことなのか。
繰り返されるたびに葛藤と不信感ばかりが深まっていく城之内は、レッドアイズではなくバクラを見た。
「なんだよ?」
「……オレで、いいのかな」
倒れた海馬に駆けつけるのが、本当に自分でいいのか。当然だと横から叫んでいるレッドアイズは、単に城之内を気遣っているだけで、根拠があるわけではない。杏子や本田は不思議そうにしているし、獏良は何かしらを察しているかもしれないが、そこまでだ。
かつて『同僚のような存在』だったらしいバクラは、どう思っているのだろう。不安で仕方がない城之内に、バクラはやや驚いたような顔をした後、ふいっと視線を逸らす。
「……『海馬瀬人』の妻は、てめーだろ? 他に誰が駆けつけるって言うんだよ、さっさと帰ってやりな」
「……。」
人間に対してはほとんど名前で呼ぶことがないバクラが、敢えて口にした夫のフルネームが、すべてを物語っている気がした。
きっと、バクラは知っているのだ。
同質でありながら、異質。異質でありながら、同質。
かつて同じ存在だった海馬の『前』を知るバクラは、決して味方ではない。むしろ最大の敵であるにも関わらず、まるで同情でもされたかのように目を逸らされたのが、城之内はまた苦しかった。
城之内克也。
響きだけでは男性名に聞こえる名前だが、この童実野ではもう百三十年以上も存在している。最初に生を受けたときは、もちろん『人間』だった。当時はまだ海の向こうの大陸と戦争中だ。敵国の召喚師に遠隔召喚された竜族が、傷つき、竜導山脈を目指して飛来してきた際、竜寄せという役目で誘導を試みて殺された。三素一生という原理が示すように、代替が効かずやがて疲弊していく『心』、その器である『体』、器がある限りは自然と湧き出てくる燃料の『魂』がすべて揃って、『生』きることができる。城之内が最初の『生』を終えたのは、瀕死の魔物に『体』の設計図であるカタを盗まれたのが遠因になる。要するに、外見が全く同じ少女が二人同時に存在すると、世界が混乱する。理解できないので、両者とも排除する。通常はそうならないように、カタ盗みなど魔物もしないのだが、このとき二ヶ月間も敵陣で戦い続けた魔物は疲弊しきっていた。そのため、手っ取り早く追っ手から逃れようとし、助けるために呼んでいた城之内のカタを盗み、世界がそれに気づく前に似ないようにと首を刎ねた。
そのときの魔物が、レッドアイズ、個体名であればヘルモスである。ちなみに、さほど悪意があったわけではないらしいが、こちらの大陸に遠隔召喚をしたマスターは、代行者のバクラだ。ともかく、ヘルモスが城之内を殺してしまったことを悔い、当時はまだ竜導山脈で眠っていた三体目の青眼の白龍、クリティウスと寄り添ってゆっくりと回復をしながら、城之内には魔力の幻影で実体を与えた。
それが二度目の擬似的な『生』で、百年近くを過ごした竜殺しの異名で知られた城之内である。童実野自治領が長制度を取っていた時期、中央からのパイプ役として赴任していたのが国家元首の武藤アテムだ。当時は偽名でユーギと名乗っており、その際に親交を結んだので城之内はいまだにユーギと呼んでいる。海馬までそれに倣っているのは、それだけ城之内との出会いが記憶に鮮明に刻まれたからだろう。ともかく、十七歳になる前の海馬が、モクバを救うために三体目の青眼の白龍を探しており、童実野にやってきたことが城之内との出会いである。いろいろと行き違いはあったものの、最終的に二人は結婚の口約束をして、城之内は自らを消滅させることで真紅眼の黒竜に実体を戻させ、青眼の白龍を解放させた。本来であればそこで二人の関係も終わるはずだったのだが、魔力の幻影だったときに海馬と寝た際、城之内は妊娠していたらしい。
生まれるはずのなかった体に、強引に『心』を繋ぎとめた存在が、今の三度目の城之内である。
当初は、体の遺伝子的には海馬の娘だと知らなかったため、今度こそ結婚してもらおうと十三歳になってから城之内は海馬の元へと嬉々として向かった。それを海馬もまた歓迎したが、翌日には実の娘だと知ってしまったため、結婚はできないと突っぱねることになる。
少しでも、娘が生きやすい世界となるように。
魔物とのハーフである城之内を思い、生存証明法に代表される数々の変革を海馬は行政府長官として行なったが、そんなことよりも城之内は結婚してほしかった。年齢的にも十七歳年上になる海馬はかなりの葛藤があったらしいが、最終的には城之内が十六歳となった誕生日に籍を入れてくれた。
思えば、あのときが幸せの絶頂だったのだろう。
あれから一年半近く経った今現在、まだまだ新妻という表現が似合う城之内は、六時間目の授業が行なわれているはずの時間にもう屋敷へと戻る。
「あ、ブルーアイズ……!!」
「……お待ちしておりました、奥方様」
屋敷も、学校も、竜導山脈の外側、童実野特区にあるためさほど離れていない。だがキサラがわざわざ迎えに来たということは、校舎から出れば魔物へと戻り、屋敷まで運んでくれた。城之内が帰るのであれば、当然のようにレッドアイズもついてくる。かつてのように魔力が半減しているわけではないが、魔物に戻ると服を脱ぎ着するのが面倒くさいという理由で同乗した。
そうして二人で屋敷へと戻れば、執事が恭しくドアを開けてくれる。その向こうに立って待っていたのは、海馬の警護を主に任されている三体目の青眼の白龍、個体名ではクリティウスだった。ただ、今でこそキサラたちも擬人化することがあるが、当初はこのクリティウスしか人型をとらなかったため、ブルーアイズという呼び方が定着している。海馬ですらそう呼んでいるが、唯一個体名を口にするのは何千年もの面識がある闇の代行者だけである。どうも因縁は深そうなのだが、クリティウスは何もしゃべらないし、バクラも努めて話そうとはしない。それが妙な絆に見えてレッドアイズが動揺するのを眺めるのは楽しかったが、ここのところはそんな暢気なことを城之内は考える余裕はない。
「なあ、また倒れたってほんとか?……いつもの?」
「……はい」
城之内と長く居すぎたためか、かなり人間の感性に感化されているレッドアイズは、このブルーアイズ、つまりクリティウスに慕情を寄せている。今も出会えて嬉しいと気配が華やぐのは分かったが、特に何かを言うことはない。ブルーアイズにはマスターである海馬の状況を伝えるという使命があるのだと、ぐっと堪えているのだ。できれば城之内も二人を早く仲良くさせたいが、聞いておかなければならないことがあるのも事実なので、廊下を急ぎながらそんなふうに会話を進めた。
「どんな感じ?」
「……おそらくは、かなり重いかと。数分前までいつも通り執務をされておりましたところ、いきなり意識を失われましたので」
「そっか……。」
これまでは、眠そうにしたり、眩暈を起こすなど、体調不良を訴えてから意識を失うことが多かった。だが、こうして突然昏睡することも増えつつある。悪化していると表現すべきものなのかは、よく分からない。どちらにしろ、進行しているということは間違いないのだろう。
それでも、隣を歩くブルーアイズ、やや後ろをついてくるレッドアイズの他に、もっと離れて一応また人型になったキサラがいるのだ。ちらりと意識を向けただけでも質問の意図を察したらしいブルーアイズが、淡々と説明をしてくれる。
「……念のため、私が肩を揺さぶらせて頂くと、一度意識が戻られまして」
「キサラだけ学校に飛ばして、また寝ちゃったのか……。」
その後は、ブルーアイズが内地にある庁舎から屋敷まで海馬を運んだのだろう。
ため息をついたところで、夫婦の私室へとつく。ドアの前に警護するように立っていたのはもう一人のキサラであり、学校に迎えに来た方とは目の色と髪の分け目が左右対称だ。軽く一礼をして、こちらのキサラはすっとドアの前から移動する。足を止め、深呼吸をし、ドアノブに手を伸ばそうとしたところで後ろから腕をつかまれた。
「……。」
「……レッドアイズ」
「城之内……!!」
止めた名を呼んだのは、ブルーアイズだ。城之内はいちいち呼ぶことはしない。止められることも、止めたい理由も、すべて分かっているからだ。学校でも散々憤慨していたように、レッドアイズは歓迎していない。だが、単純に夫婦の営みが多すぎるという過保護な苦言だけでもない。
何かを言いだけに苦しそうに顔を歪めるレッドアイズに、城之内は掴まれていた手をそっと重ねた。
「レッドアイズ、大丈夫だって?」
「でも……!!」
「……大丈夫。オレが、海馬の奥さんなんだから」
レッドアイズに返した言葉は、本当は自分に言い聞かせているものだと城之内も分かっていた。
少しだけ横のブルーアイズを見上げれば、視線はドアへと向けられており、絡むことはない。実直で、生真面目で、マスターである海馬の妻をとても尊重してくれるブルーアイズだ。だがまるで何を悟らせるつもりもないとばかりに、頑なに、あるいは怯えるように視線を逸らされると、城之内はまた足が竦みそうになる。
こんな反応は、数十分前の学校でのバクラと同じだ。
このブルーアイズは、海馬の『前』が手ずから作り出した魔物、オリジナルらしいので、絆は当然海馬と深い。バクラとは面識が古く、付き合いが長いだけで、決して信頼関係にあるわけではない。
それなのに、こんなにも同じような態度を見せる。
共通しているのは、海馬の『前』を直に知っているという点と、それを自分には話してくれるつもりはないらしいという点だけだ。
「城之内……。」
「別に心配いらねえって? 海馬が回復してくれねえと、童実野のみんなだって困るだろ?」
「それは……でも……。」
「できるだけ早く仕事に戻してやらねえと、部下の人たちだって心配するだろうし。海馬は童実野に必要なんだよ、オレは妻としてそれを支えてやりてえ。できることがあるってのは、オレとしてもすげー嬉しいんだぜ?」
以前ならば、甘えて、構ってほしくて、仕事先の顔より夫でいてほしかった。だが今ではこんな殊勝な言葉も、さらさらと口を突いて出る。成長し、大人になったのではない。実感のない建前であっても、根拠にしなければドアの向こうに進めそうになかっただけだ。
無理をした笑みを浮かべたまま、レッドアイズの手を離させる。そして今度こそドアノブを回し、背中へとすがりついてくるような視線を振り払って、中へと入った。
「……。」
パタンとドアを閉めれば、自然とため息が出た。
二人の私室ということになっているが、廊下から入ってすぐの部屋は応接間を兼ねた海馬の書斎だ。そこから、夫婦の寝室と、結婚前まで城之内のみの寝室とされていた部屋へと繋がる。日が暮れるような時間ではないため、カーテンが閉められていても書斎はだいぶ明るかった。学校のカバンを今では自室代わりにしているかつての寝室に持っていこうかとも思ったが、足は自然と夫婦の寝室へと向かう。
どうこう言っても、海馬に会えるのは嬉しい。
それ以上に、やはり昏倒するという表現がぴったりくるほど意識を失われるのは、こわい。
「……。」
身体的には大丈夫だと分かっていても、早く海馬の無事を確かめたくて城之内は応接用のテーブルにカバンは置き、夫婦の寝室へと近づく。そして静かにドアを開けたとき、かすかな声にまた足は竦んだ。
「……。」
海馬は、やはり魘されているようだ。
気絶しているというより、眠っているように感じるのは、まさに寝言かのように声を漏らすからである。
逃げたくなる気持ちを抑え込み、城之内はなんとかドアを大きく開け、中へと入ってみる。すると大きなベッドに横になっている海馬の顔は、苦しそうに歪められていた。
「……。」
ただ、表情こそ苦悶していても、血色が悪いということはない。疲労が現れていることもない。体がやつれるようなこともなく、外見的に病人とは程遠い。最初のうちは過労によるものと海馬自身も思っていたようだが、やはりおかしいと考えたらしく、何度も精密検査を受けてきた。
そこで、ありとあらゆる医学的観点からの検証を行なった結果、導き出された答えは『すこぶる健康体』というものである。十月には三十五歳になる海馬だが、病気などは一切ない。筋力なども、同年代の男性どころか、人間の枠からはみ出そうなほどの数値を叩き出す。魔力が高いため、それが身体能力にも反映しているのだ。その魔力も衰えるようなことはなく、召喚術も含めて能力は何一つ翳りなど見せていなかった。
王都からわざわざ招聘した医学界の権威は、昏倒する原因を見つけられず、真っ青になっていた。どれほど海馬が優秀で健康体でも、頻繁に倒れている。その事実がある以上、すべての可能性を消去した後に残った言葉を口にすれば、無能者と斬り捨てられるとでも考えたらしい。
『……あと、考えられる原因としては、ストレスではないかと』
要するに、精神的なものが理由ということだ。もちろんストレスで体調に異変を起こすことは事実だが、海馬の場合、到底そんな精神構造を持っているように思えない。むしろ、そんな軟弱者と一緒にするなと暴れそうなイメージがある。
だからこそ、王都の権威も最後まで指摘できなかったのだろう。だがあらゆる検査を行なった後の医者の言葉に、海馬は不愉快そうな顔はしたが、暴れるようなことはなかった。
『オレが健康であることは理解した。それで充分だ、もう王都に戻るがいい』
『は、はい、失礼致しました……!!』
ストレスだと認めたわけではないが、何か病気などの兆候があるわけではないのであれば、それでいい。
海馬の態度は、医者に寛容に映っただろう。だが本当のところは、海馬にも薄々自覚があったからに違いない。
「……。」
当初は過労と思われていたため、睡眠を取ったり、栄養剤の点滴などをした。だが一向に改善しない体調を、劇的に回復させる特効薬があることが次第に判明したのだ。
病気になって気持ちが弱くなったとき、家族に支えられたい。そんなありきたりな反応ではなく、それを処方しない限りは絶対に回復しない。与えれば、すぐにでも動けるようになる。わざとやっているのではないことぐらい、もうみんな分かっている。多忙さを逆恨みし、周りに迷惑をかけてでも仮病で妻を呼び寄せたいなどと、海馬がするはずがないのだ。
「海馬……。」
だからこそ、不安が募る。どうしてこうしないと海馬が回復できないのか、それが分からない。
いや、予想はいくつか立たなくもない。
だがどれだとしても嫌な予感しかしないし、なにより処方すること自体が城之内にとっては最大の苦痛なのだ。
「海馬、なあ、大丈夫か……?」
ベッドへと近寄り、ギシリと軋ませて上がる。相変わらず歪められたままの顔へと伸ばした手で、そっと頬へと触れようとしたとき、きつく噛み締められていた唇がまた名を漏らした。
「じょう、の……!!」
「……!?」
海馬は、結婚してからも城之内を名字で呼ぶ。
下の名前で呼び合ってもいいとは言うものの、なんだかんだでそのままだ。
最初に出会った十九年近く前、名字で呼んでいたのでその名残りだと思っていたが、本当はそうではないのかもしれない。
こうして、時折スイッチが切れるように倒れたとき、海馬が魘されて呼ぶ名は決まっている。
いつも同じだ。
もしかすると、これはスイッチが切れたのではなく、入った状態なのかもしれない。そんな『海馬』に自分が触れていいのか、思わず手が止まってしまったとき、急に青い瞳が射抜いてきた。
「……!!」
「じょう……の、うち?」
「……うん」
眩しそうに目を細められるのは、悪夢の余韻でまだ混同しているからだろう。だがほっとしたように息をついた海馬は、逆に手を伸ばしてきて、城之内を抱きしめる。
「城之内……。」
「……海馬」
そのままベッドに沈められ、互いの体温を確かめる。すぐに不埒な手が体をまさぐり始めることは、最初は嬉しかった。三度目の『生』で再会したときは体つきが女性的ではないことを気にしていたので、育つまでは心配でたまらなかったからだ。
結婚してからも、性欲としては淡白なのか、それとも単に時間が取れないだけなのか。海馬はそれほど手を出してこなかった。そのため、海馬がしたいと手を伸ばしてくれるのは本当に嬉しかったはずなのに、今では泣きたくなる気持ちを抑える方が必死だ。
「城之内……。」
「ん……んぁっ、んん……!!」
ただ欲情しているだけならば、それでもいい。
愛情表現という意味合いも、なんら変わっていない。
「城之内……。」
「んんっ、ふ……あ、んんっ……!!」
海馬が、慕情や渇望を示したくて抱くのであれば、もちろん嬉しい。
だが、それは本当に城之内に対してなのか。
そして、こうして触れている男は、本当に『海馬』なのか。
「んぁっ、ア……あ、海馬ぁ……!!」
「……。」
「……ん、あぁっ、瀬人ぉ」
つい漏らした名前で、海馬の手は止まった。慌てて甘えるように下の名で呼び直してみれば、海馬は満足したように手つきを再開する。
どこか子供っぽいところもある海馬なので、愛しい妻から下の名で呼ばれると嬉しいだろう。
だが、それだけが理由ではない気がして、城之内はギュッと唇を噛み締めた。
確実に、海馬の何かが壊れ始めていることは、分かっていても認めたくなかった。
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