『The Crime of GROUND Killer.』より お試し版 -02.
※注意※
この本は、BNBというパラレルのシリーズの第7弾です。
BNB6はまだ在庫があるので、これから読むとネタバレになります。
同時購入を予定されている方は、ご注意ください。
★以下、BNB6のお試し版の注意文に同じ★
BNB6は単独でも読めますが、気になる方は「BNB1-5 あらすじ」を先にご覧下さい。
尚、BNB1-5の再版・再録予定は一切ありません。
ご了承下さい。
また、BNB6のメインは海城(=作中表記はセトジョー)ですが、バクラ受を含みます。
それぞれのカプが恋愛的に錯綜することは一切ありません。
完全に独立・並存しているWカプですが、苦手な方はご遠慮下さい。
※BNB1-5のあらすじを読めば分かる細々とした注意事項はここに羅列してません、多すぎて… ごめんなさい…
あと、本田と御伽の偽者率がパネェので、ご注意下さい・・・
★ここからBNB7限定の注意文★
この本に限り、本バクがメインです。
海城は友情出演程度なのでご注意ください。
↓よろしければ、スクロールをしてどうぞ。
■01
この一週間は、本当に慌しかった。
標高も高いこの地域は、秋の深まりは早く、十月も中旬となれば紅葉が鮮やかさを増す。寒さも近づく足音をさせていた一週間前、かの存在は予兆の通りにこの屋敷に現れた。
その姿を拝んだときには、不覚にも泣きそうになった。今の上官である暫定公爵のマナは泣いていたし、当時滞在していたムトー公爵であるユウギは涙ぐんでいた。マナの千年輪が共鳴を起こしたとき、意味がないとしつつ話したことは、二人には嗚咽が邪魔をして口に出来ないようだ。だからというわけではないが、公爵邸で待っていた三人の中では最も平静さ保っていた自分が、最初に口を開いた。
『……おかえり』
すると、あからさまに顔をしかめられる。
『は? ここは、オレサマが帰ってくるべき場所なのか?』
『……なんというか、キミ、相変わらずだね』
感動的な場面のはずなんだけどなあとぼやいてはみたものの、かの存在が自分たちと再会して感極まるわけがないとも知っている。双子の兄を除けば、三ヶ月もの間、旧忘陸内を探し回ってくれた騎士との再会が、最大で、唯一望んだもののはずだ。それを終えてしまえば、こんな態度なのも頷ける。つくづくつれないと呆れつつ、こんな懐かしさを歓迎する自分を持て余す。本当に厄介な御仁だという感想を持っていた自分は、さすがにまだ違和感の正体に気がついていなかった。
記憶がなく、人柱になる前の状態となっていることまでは、予想していた。だが相変わらずだという表現、つまり過去との同一視をやけに険しい目で睨む理由までは、考えが及ばない。
『それより、その服はどうしたの? ああ、魔力の幻影なんだろうけど、よく知ってたね』
公爵邸に現れたかの存在は、かつての姿のままだった。
生身の部分はともかく、衣装は普段着ではない。見慣れているのは赤いローブくらいで、何故か授与式の正装を纏っている。本物であるはずがなく、魔力によって作り出した幻影であることは間違いないだろう。だが、記憶がないのに、どうしてその服を知っているのか。質問しておいてなんとなく答えが分かったのは、腰に提げられている公爵の剣は、幻影ではなく実物だと察したからなのかもしれない。
人の心を読むことに長けていた存在だ。ましてやかつての自分の心、記憶とも言える部分を物に染み付いた魔力から察知することなど容易かったのだろう。胸に千年輪が揺れていても、それも記憶にある姿を模して作り出した幻影だと思っていたので、さして不思議には感じない。むしろ、再会の衝撃も過ぎ、さてこれからこの存在に自分たちをどう説明し、王宮に報告するか。そちらに意識が移りかけたとき、納得したような声を出したのは傍らに立つ騎士だった。
『ああ、そういやこの服て、本物じゃねえんだよな』
『それはそうだろ?』
『……てめー、目の当たりにしといて今更何言ってんだ』
『なあ、マナ、こいつにお前の服貸してやってくれるか?』
ついでに風呂の使い方も教えてやってくれと頼んだホンダに、自分だけでなく、頼まれたマナやユウギも驚く。千年前の状態に戻っていることは予想していたので、風呂の使い方などが分からないのは理解できる。
だが、どうしてマナにそれを頼むのか。
もっと根本的に、服を貸すのがどうして女性であるマナなのか、面食らいつつ本当はもう嫌な予感はしていた。
『えっ、ええ、アタシですか!? あっ、その、イヤじゃないんですけど、ええっ、でも……!?』
泣きじゃくっていたマナも、驚きすぎてそう返す。袖で目元を拭い、洟を啜り上げながらであったが、はっきりと戸惑う。それに、ユウギもまた一呼吸をおいてからホンダへと尋ねる。
『それは、ホンダくんが教えてあげればいいんじゃないの?』
『そ、そうですよぅ、ホンダさん!! 服だって、アタシのじゃそもそも入らないし……!?』
記憶はなさそうだと、マナやユウギも察していただろう。それでも、迎えに行ったホンダを当然のように従えていた存在に、何かしらの絆や感情を期待した。既に仲睦まじくなっているのならば当然のこと、そうでないとしても同性で体格もいい方が適任である。
マナやユウギの至極真っ当な返しにも、ホンダは不思議そうにしている。かの存在は、何故か顔を背けている。拗ねたようにも見えた横顔に、これは本格的に覚悟を決めるべきかもしれないと、自分だけは心の準備をした。
『いや、でもマナの方が……ああ、そうか』
重ねてマナに頼もうとしていたホンダは、ポンとかの存在の肩へと手を置く。
『……なんだよ』
『こいつらは信用できるから、大丈夫だぞ?』
『……。』
『あの、ホンダさん……?』
『ホンダくん……?』
優しく言い聞かせるように促したホンダを、かの存在はきつく睨み返した。マナやユウギが戸惑ったのは、ホンダを信用していないような態度の方だろう。そのため、ホンダの勧めの意味を想像していない。唯一自分だけは、表面的な態度がどうあれ、素直にホンダに連れられてきた時点で信頼を寄せているとは見抜いていたので、身構えることができた。
『……えええっ!?』
『あっ、ええ、キミってほんとは……!?』
『……うるせえな、まだ男の体は慣れてねえんだよ。安定したら、あっちに固定する』
それまでは好きにさせろとでも言いたげに、気だるい表情で現れたのは、身長も随分と低く、女性的な体つきをした一人の少女だった。
魔力が弾けたときにやっぱりと諦めたが、実際にその姿を拝むと卒倒しかけた。
女装とは違う、中性的で見間違える容姿とも異なる。
完全な女性、というかまだ年若い少女だ。見た目の年齢だけなら、マナとそう変わらない。公爵として見慣れた姿は、二十歳前後で、精悍というほどではないが決して華奢とは表現されない程度に鍛えられた肉体の持ち主だった。非常に不本意だが、礎として在った頃、あられもない姿でホンダと寝ているのを何度か目撃しているので、体格くらいは知っている。間違いなく男性で、顔つきもそうだった。
だが、今目の前にいる少女は何なのか。
人柱として埋められたとき、まだ十代だったとは聞いていた。双子の兄とは王宮で何度も会っているので、十代の後半、もしくは中頃だったらしいとも分かっている。元より達観しすぎた感性は千年の賜物で、子供っぽい言動のときが生前からの余韻だろうとは察していたが、そうにしても若い。下手をすると、自分たちと十歳は違うのではないか。いやだが発育を見ればさすがに半ばは過ぎているのかとどうでもいいことを考えていると、ふと強い視線を感じる。
『……なに?』
『てめーは驚いてねえんだな』
『いや、充分驚いてるけど……?』
声もやや高くなり、完璧に女性である。
それでも、違和感は拭えない。かつての姿を知っているからこそ、当たり前だが似すぎていることが不自然でたまらない。いっそ、男の姿のときと、少女の姿のときを、双子のように解釈すればいいのかもしれない。
あくまで自分の中だけの誤魔化しにしかすぎないが、それで心の平穏を保とうとしていた狡さを、かの存在はばっさりと斬り捨てた。
『つまり、こういう女の方が歓迎ってことか。潔いほど女好きだな』
『……あのさ、キミからしたら初対面なんだよね? なんでもういきなり僕は詰られてるの』
『オトギくん……。』
『オトギさんて、やっぱり……。』
『オトギ、お前、ほんとに……。』
『僕が女たらしとか遊び慣れてるとか、そういう先入観はほんとどこから来てるのさ。大体それが事実なら、キミ、口説かれたいの?』
『口説いてみろよ、返り討ちにしてやる』
からかうだけからかっておいて、わずかでも反撃を試みれば楽しそうに殺気を弾けさせる。
生身が変化しても、腰から提げた剣はそのままだ。わざわざ抜かずとも魔力で消し炭にできるだろうに、敢えて柄へと手を掛け、挑発してくる様には降参とばかりに両手を広げておいた。
格好だけではない、心から参ったのだ。
過去と切り離し、特に少女の姿は別人だと割り切ろうとして、失敗した。姿かたち、年齢や記憶の有無、そんなことは関係ない。
この少女は、あの礎だ。
たった一言でそれを教え、逃げることなど許されない。さすがに性別の差は慣れるまでに時間はかかるだろうが、この少女が『バクラ』なのだと、自分もまた認めざるをえなかった。
「……まあ、思ったより早かったけどさ」
「え?……あっ、アタシの書類、完璧でした!? やったー!!」
つい一週間前、再会したときのことを思い出していたのは、軽い現実逃避だったのかもしれない。
今日から自分は付き添いで王都に向かう予定になっている。その間、少しでも書類を勧めておくようにと、現在の上官である暫定公爵様に御指導差し上げていた。
だが、進めておきましたと自信たっぷりに渡された束の一枚目、一行目から間違えている。聡い子供が好きらしいかつての上官の感性を、なんとなく理解してしまいそうで切ない。
「どうしてそんなに楽観的でいられるのか、不思議で仕方ないんだけど。取り敢えず一枚目から直して。直さないと、次を読む気にならないから」
「は、はい、すいません、ごめんなさぁい……。」
やっぱり走り書きはまずかったかぁ、と項垂れているところを悪いが、最早そういう問題ではない。自公国内での行事のため、先週末は訪問してこなかった西陽公国の公爵様の助力がなければ、やはりまだまだ難しいようだと再確認した。
素直に修正を始めているところだけは褒めてもいいと、藍東公国の暫定公爵、マナの補佐官であるオトギはそう思う。公爵邸の執務室は、相変わらずオトギの部下、ホンダの寝床になっているのでマナは南棟の一室を使っている。そこに椅子を持ち込み、出発までのわずかな時間も補佐官としての仕事に充てたい。崇高な義務感と共に、出発が延びるかもしれないと察したためだ。
バクラが戻ってきてから一週間、性別はそのときの気分で変えるらしく、一日のうちでも落ち着いていることはない。様相を丸っきり変化させることができるのは、バクラが完全な魔物である証拠だ。生前は、魔力は相当高くとも、人間か、人間寄りの混血だったらしいことを思えば、やはりかつての男の姿に定着させられるのはまだ先のことだろう。
だが、周囲が見慣れるまでにもっと時間がかかるかと思っていたが、オトギはすっかり性別への違和感は薄れた。元々、性別など気にしても仕方ないような存在だったからかもしれない。それと同時に、あまりにかつてのままだからだ。
「……。」
「……。」
基本的に、いつも不機嫌そうで警戒心が強い。口も悪いし、いちいち一言多い。楽しそうなのはからかってくるときくらいで、まさに人を食ったような態度に出てばかりだ。
小馬鹿にされても気にしないでいられたのは、バクラの場合、これが素だと知っているからだ。バクラに態度を変えさせることができるのは、本当にわずかしかいない。自分はそこに含まれないと分かっているので、ともかく問題が起きないように知っている限りのことは教えておいた。
かつて礎だったことも、どうして戻ることができたのかも、きちんと伝えた。バクラはつまらなそうな顔を崩さなかったが、気配はいつも緊張し、こちらへと注意を向けている。知りたくないが、聞きたいのだろう。最初は当然、双子の兄のことを教えた。だが無事だという点のみ確認できると、それ以上の情報は欲しがらない。代わりに求められたのは、旧忘陸内へと迎えに行った妄信の騎士のことばかりだ。
ホンダとは、どういう存在なのか。
その特性だけでなく、かつての自分との関係性を知りたがる。夜はもちろん、昼寝をするときもいつもくっついている。てっきりそういうことをする関係に戻ったのかとも思ったが、それはまだらしい。だが、いずれホンダとは落ち着くところに落ち着くだろう。まだ過去の曖昧な感覚をどう処理していいのか分からず、戸惑っているが、今のバクラもホンダをかなり意識している。収まる形は、一つしかない。
だから、高を括っている。記憶がないことで不具合を起こしていても、あの二人は、大丈夫だ。
「……。」
「……。」
そう思いはしているのだが、不安が全くないわけではない。
どれだけ同じだと思っても、やはり差異はある。普通に生きていても、人は変わるのだ。ましてや千年分の体感を失い、存在もより純正な魔へと足を踏み入れたことで、変化しないはずがない。
傍目からも明らかなのは、食事と睡眠を必要とするようになったこと。
かつて礎であり、大陸そのものだったバクラは、ヒトとして怪しまれないようにする以外の理由で補給や休息を必要としていなかった。魔力が奪われれば回復するまでに疲労感のようなものがあったらしいが、ヒトも魔物も持つ睡眠欲とは違うらしい。かつて王宮の牢獄でよく寝ていたのは、実体が希薄になりすぎての昏睡なので、これも種類が違う。
だが、この公爵邸に滞在するようになってから、実によく食べている。そして寝る。ホンダと一緒でないと寝たがらないのは、甘えているだけではないようだ。ホンダは相変わらず執務室のソファーで寝起きしているので、さすがに二人並んで寝るのは狭いらしく、よく仕方なく抱きかかえていた。無人の部屋の扉は開放しておくという習慣はもうなくなっているが、何故か人がいる部屋の扉は閉めないことが多い。おかげで昼寝をしている二人をよく見かけたものだ。
ただ寄り添って寝るだけの二人は、以前と違うと言えば違う。
記憶がなくて落ち着かないバクラは、本当に以前のようにホンダを求めるようになるのだろうか。少しだけ自信が揺らいだとき、ドアが内側から叩かれた。
「……どういうことなんだよ!?」
「えっ、あ!?」
「キミさあ、ほんの少しの距離だろ? どうせノックするなら、ちゃんと歩いて、廊下からそのドア叩いてよ」
直前に空間が揺れる気配はしたが、直後に現れた人影が怒鳴りながらドアを殴る。苛立ちのままに派手なノックをされ、ドアは逆に開いてしまった。だが気にした様子もなく、何百メートルも離れているわけではない執務室から自らを召喚させたと思われるバクラは、少女の姿だ。憤慨している様子からなんとなく察したものの、オトギは一応尋ねておいた。
「で、どうだった? ホンダくん、起きてくれた?」
ホンダを起こしに行くと部屋を出てから、三十分は経っている。寝起きが悪いわけではないので、起こしてから、また腹を立てるような会話をしたのだろう。このところ、こういうことはよくある。
それでも、起こすように頼んだのはオトギだ。出発まであと少しとなり、最後の腹ごしらえとばかりに昼食を取ったところで、何故かホンダがいつものように昼寝をすると言い出した。寝ていては、出発に間に合わない。当たり前の指摘をしなかったのは、どうやらホンダは共に王都に向かうつもりがないらしいと分かったからだ。
実際に執務室に行き、寝てしまったので、本当に体調不良か何かかとも少し考えてみた。
だが、やはり単純に同行することに抵抗があるだけらしい。やけに懐くバクラに対し、ホンダはまだ戸惑いがあるのか距離を取りたがる。どうせ無駄なのにとオトギは遠巻きに眺めているが、実際に拒まれてしまうバクラは今日も盛大に苛立っていた。
「小娘っ、てめー、オレサマを騙したのか!?」
「ええっ!? あ、あの、アタシ、嘘なんて……!?」
連れて行くにしろ、公爵邸に残していくにしろ、ホンダの主君であるバクラに決定権がある。
雇用関係上はいまだにオトギの部下となっているが、バクラ以外がホンダをどうこうできない。それは明らかなので、とにかく起こし、確認してくるように頼んだが、この調子ではそれどころではないようだ。
尋ねたオトギを無視し、バクラはマナへと叫ぶ。そうでなくとも、マナは忘陸の魔物だ。ホンダとは違う意味で、本能がずっとバクラに隷属している。そのため、騙すような嘘はつけないし、今もつく気はないだろう。それをバクラも知っているはずだが、敢えて責めるくらいに動揺しているらしい。
「恋人だったことはねえって、否定されたぞ!?」
「え!?」
「あー……まあ、そうだろうねえ……。」
椅子に座るマナに詰め寄りはしたものの、手を上げるようなことは絶対にない。元が女性だからなのかもしれないが、意外に女の子には優しいのだ。その反動ではないのだろうが、男に対しては割りと手荒い。かつても、ユーギはよく殴られていた。オトギは直接的な暴力はあまり受けていないが、気に入らないときに椅子を蹴ってくるという仕草は、今も、昔も、変わらない。
「おわっ!? ……だから、落ちそうになるほどは蹴らないでねっていつも言ってるだろ!?」
「落ちるほどじゃないなら蹴ってもいいって諦めてるオトギさんて、なんだかアレです……。」
「てめーがその服で床掃除する羽目になろうが、オレサマはどうでもいい。それより、なんか知ってんのか」
ぐらりと傾いた体勢を立て直している間に、マナには変な感心をされ、バクラからは追及された。
実は、この点は何度もバクラから確認されている。
ホンダは、バクラをどう思っていたのか。
オトギからの言葉だけでは物足りなくて、マナにも尋ねて期待したのだろう。
「恋人っていう単語だと、違和感があっただけじゃない?」
「でもっ、あいつは……!!」
オトギは、かつての二人を恋人同士だとは表現していない。傍目にはいくらそう見えて、実際に強い慕情で結ばれていた関係であっても、互いにどこか潔癖さを残していた二人なのだ。負い目か、自己欺瞞かは別にして、互いを恋人だとは思えなかっただろう。
その意味において、どちらに質問することができたとしても、否定することは分かっていた。だからこそオトギはそう言わなかっただけで、周囲からは恋人同士と認識されていたのは間違いない。マナが答えたのは、ただの希望的観測以上の信憑性がある。
よって、マナは嘘をついていない。ただ、ホンダはそう思っていなかったというだけだ。
「大丈夫、ホンダくんはちゃんとキミを好きだよ」
「……。」
バクラも、恋人という単語にこだわっているわけではないのと知っていたので、そう言って宥めておいた。
だがいつもであれば顔だけは不満そうなまま、仕方なく頷きつつ気配だけは安堵して落ち着くバクラが、今日は違った。
「……以前のオレサマを、だろ」
「え? ああ、まあ、そうとも言えるよね」
「つまりっ、今のオレサマはどうでもいいってことだろ!!」
「そうは言ってないと思うけど……あのさ、前から不思議だったんだけど? そういうふうに苛立つってことは、『今』のキミは、ホンダくんを好きなの?」
「……。」
また黙られる。だが、表情からも、気配からも、肯定であることは雄弁だ。
再会してまだ一週間、普通に考えれば既にホンダを好きになっているとは考えにくい。だが、この存在を『普通に』考えてはいけないのだ。一週間前に公爵の礼装で現れたのは、剣に残った魔力の余韻を読み取ったかららしい。鮮明な映像を描けるほど、記憶ではなく記録が流れ込むならば、かつての感覚に揺さぶられることもありうる。
二人はやがて、それこそ恋人のような関係に落ち着くと信じているオトギにとって、不安材料はバクラだけだ。単に過去に男でありながらそういうことをしていた男に興味があっただけなのか、それとも今も何かしらの情を向けているのか。後者だとは思っているが、まともに答えてもらったことはない。こちらも正面から尋ねたのは初めてだったが、気配が揺れたときには泣かせてしまうのかと内心で焦った。
「……ヤツは、オレサマのものだ。それだけだ」
だが実際には泣くはずもなく、拗ねたように返されたのはそんな言葉だった。
不遜な物言いだが、覇気はなく、どこか頼りない。それでも、意地になっている根拠がホンダへの慕情ならば、解決への道は約束されているだろう。
なにしろ、ホンダはいまだにバクラを好きだ。
やはりこちらは放っておいてもいいらしいと判断したオトギは、軽く深呼吸をして、椅子から立ち上がった。
「まあ、ホンダくんのことは後でいいよね。キミには、会わなきゃいけない人がいるんだから」
「……。」
ホンダも、起きた以上は同行を強制される覚悟もできているのだろう。そういう割り切りは早い友人なのだ。そろそろ身支度も整え、この部屋に現れることも期待し、オトギはバクラへと繰り返す。
「大丈夫、何も心配いらないよ」
「……オレサマは、別に、心配なんか」
「むしろ、早く顔を見せてあげた方が安心してくれるよ?……キミが、あれだけ必死になって救ったお兄さんだ。きっと、早くキミの無事な顔を見たくて待ってるはずだからね?」
頷きはしない、俯くだけだ。だが否定したり、自身のみの召喚術で逃げたりしないのであれば、バクラも本音では肯定したいのだと分かっている。
本当に大切な人にだけは、極端に臆病になる。
相手を呼び寄せてやることは、体力面から今回はできない。そのため、こちらから出向くには、バクラが途中で逃走しないように捕まえていられる人物が必要だ。その足音はもう響いてきている。
「……なあ、出発って二時だったか? 三時?」
内側から開け放たれたままのドアを廊下から律儀にノックし、そう声をかけてきたのはホンダだ。昼食後、執務室で寝ると行って去ったときから服が変わり、外出の準備ができている。それを見て、バクラは息を飲んでいた。もしかすると、ホンダがあくまで行かないと言い張れば、それを口実にして残るつもりだったのかもしれない。
出発時間を確認してくるホンダに、オトギは笑って返しておく。
「二時の予定だったけど、もう三十分も過ぎてるしね。キリがいいところで、三時にしようか」
「ああ」
ホンダも頷けば、マナの傍に立っていたバクラがまたビクリと体を震わせて反応している。どうやら恋人関係を否定されただけで頭がいっぱいになり、本来の目的であった同行に関しては確認していなかったらしい。今更のように落ち着かない様子を見せていたバクラだが、やがてドアへと向かうと、廊下に立つホンダに声をかける。
「……てめー、寝惚けてねえで、ちゃんとオレサマについてこいよ」
それに、少し苦笑したホンダは頷く。
互いにまだ不安も不信もあるだろうし、すぐにかつてのような赤裸々な関係には至れないかもしれない。
だが、バクラの方がちゃんとホンダを求めるならば、問題はないだろう。
だから先に解決すべきは双子の兄である獏良との再会だとオトギは準備を進めたが、このときは気がついていなかった。
まさか、二人の溝がかなり深刻なところまで深まってしまっているなどと、さすがのオトギでも想像していなかった。
中央から見て北東にある藍東公国より、更に緯度が高い北端のカイバ公国は、十月も半ばを過ぎればもう冬の気配が迫っている。朝は冷え込むようになったし、昼間でも外出時には薄手のコートを羽織る。
「……セト? 遠出すんのか?」
だが、さすがに厚手のロングコートを着込むほどの気温ではない。
そもそも暑さ寒さに強いというか、恐らく鈍い夫なのだ。そんなセトが袖を通したコートは、普段着ではなかった。防寒性を考えれば、カイバ公国の中でも更に北端、あるいは標高が高い地域。もしくは、長距離の移動を想定し、かなりの高度を飛行する場合に体温の低下を防ぐ目的で着ている。
そういえば、昼食の終わり頃に電報が届いていた。ジョーノは娘であるキサラが食べながら寝てしまったため、食事をこぼした服を着替えさせたり、寝かしつけたりするために先に食堂を離れた。瘴気の影響はなくなったが、それとは関係なくキサラはよく寝る。食べると、すぐ寝てしまう。あやすように抱いているより、ベッドで横にならせた方が起きたときすっきりするらしいともう知っているので、早めの昼寝をさせてから食堂に戻ると、もうセトはいなかった。
「ああ、ちょうどよかった。これから部屋に行こうと思っていた」
たとえ休日でも書斎にこもって仕事をすることはあるが、こうして着替えた以上は外出だろう。木漏れ日が溢れる昼下がり、その服であることを思えば遠出だというのは間違いない。せっかくの休日なのにだとか、さっきまでそんな予定は言っていなかったのにだとか、責めるようなことを口にするつもりはない。だがやはり出かけられると寂しいので、ゆっくりと近づいてコートの最後のボタンは留めてやったところで、盛大にため息をつかれた。
「……王宮に行ってくる」
「へ?」
行きたくない、心底億劫だ。
声色に惜しげもなく不満を滲ませて、セトはそう告げてきた。
元々予定していた出張ならば事前に教えてくれているし、行き先が王宮であれば同行を確認してくることも多い。呼び出したのは、ほぼ確実に連邦の王であり、ジョーノとは親友のユーギだ。毎回ジョーノも同伴するようにと書き添えられているらしいが、セトはまともに取り合わないらしい。ここ三ヶ月は同行していたが、それはかつての忘陸の礎、その双子の兄の要請からだ。だがそれも、ほんの一週間前に行ったばかりである。すぐに同じ用件で呼び出されるとは思えず、面食らったときに、セトの執務机で握り潰された電報が見えた。
「……何かあったのか?」
無残に丸められたそれは、昼食時に届いたものに違いない。公国の民には冷静で悠然とした公爵像が実しやかに広まっているようだが、本来のセトは喜怒哀楽が非常に激しい。特に、怒りは顕著に態度にも出る。電報を握り潰したということは、よほど腹立たしい内容だったのだろう。だがそれでいて無視も出来ず、すぐに出立するほどであれば、かなりの緊急事態なのか。
四ヶ月前、公爵会議が召集されたときのような緊張感を思い出し、ジョーノは思わず尋ねてしまう。だが、セトはあからさまに顔をしかめると、すっかり外出の準備を整えていながらジョーノを抱きしめてぼやいた。
「……オレとて、行きたくはない。本来なら今日の招聘は無視するつもりだった」
「え? てことは、元々今日王宮に呼ばれてて、さっきの電報で催促されたのか?」
「……違う。来週も別件で来いという内容だ。今日の用件は来週にまとめてでもいいという、寛大な王からのご配慮は、オレは御免被りたい。どうせなら今日行っておいて、来週の分の返事もしてきてくれるわっ」
公人としては立派だと自信を持って言える夫だが、どうにも連邦の王とは相性が悪い。自分との仲を取り持ってくれた恩人なのだし、もう少し気遣ってやってもと思わないでもないのだが、面倒くさいと嘆きながらまるで甘えられると嬉しくて困った。ついジョーノからも背中へと腕を回し、しっかりと抱き返しつつ、ぼやかれた内容を吟味してみる。
要するに、王宮からの呼び出しは二件あり、今週と来週らしい。先ほどの電報は、来週の分だ。二度手間になるので二つまとめて来週でいいという内容がこの昼過ぎに届いたのを思えば、そもそも今週はどうせ来ないだろうと王宮も思っていたのだろう。
だが、来週に二つ片付けることは可能でも、今から行って来週の分も片付けることができるのだろうか。仕事の種類によっては可能なのかと首を傾げつつ、話してはいけない内容ならそう言うだろうという信頼の下、ジョーノはセトに尋ねてみた。
「なあ、来週の用事って、今日行って片付けられるものなのか?」
「……。」
すると、顔を上げたセトは心から面倒くさそうな、複雑な顔をしていた。高度に政治的だとか、大陸の危機が迫っているだとか、そんな緊迫感はない。ただ、ひたすらに嫌そうだ。
「……来週、あの礎が王宮に来るらしい」
「え?……て、バクラが!? ああっ、えっと、今は藍東にいるんだよな? それが王宮に来るのか!!」
「ああ。双子の兄は、王宮にいるのだしな。つまり、来週に行けば、あの礎に遭遇してしまうということだ」
だから面倒でも今日行っておくと決意したらしいセトの気持ちは、分からなくもない。
先週、双子の兄の方に望まれて王宮に出向いていた際、どうやらかつて忘陸の礎だった者が戻ってきたことは察した。ジョーノたちはその日のうちに辞したが、二日ほどして、王宮から正式にその旨の電報があった。
素直に喜ばしいとジョーノは思ったが、セトはどこまでも怪訝そうだ。記憶がないことや、魔物となっていることではなく、やはり性別が曖昧な点が理解を超えてしまったらしい。
「まあ、バクラに会いたくねえのは分かるけど、でも、だからって来週の用事を……?」
実を言えば、来週はセトの誕生日もある。外出しないでくれるならばその方が嬉しいのだが、やはり公爵としてそれでいいのかと不安にもなると、セトは大きくため息をついた。
「来週の用事とは、礎の処遇についてだ」
「あ、そうなんだ?」
「記憶はないし、召喚術も今のところは使えん。それでいて、二つ目の千年輪を持っているし、男の姿はかつての公爵そのものだ。野放しにするには、厄介すぎる。どういう扱いにするのか、本人も交えて公爵会議で決定したいらしい」
「なるほどなあ……て、やっぱりそれ、来週行かねえとまずいんじゃねえの?」
「……オレの意見など、もう固まっておるわっ。『勝手にしろ』、それだけだ」
そのために、わざわざおぞましい姿の礎と遭遇したり、公爵全員で雁首揃えて相談することは避けたいらしい。心の底から、時間の無駄だと考えていると伝わる。
セトの言い分を理解できなくもないのは、カイバ公国では冬こそ討伐案件が跳ね上がるためだ。気配がひたひたと歩み寄っている今は、フラッグ作業が盛んに行なわれている。毎週倍増していく案件の中で、圧倒的な力を持つ召喚師のセトは、多忙さを極める。それが自明の時期に、不愉快なことで時間を取られたくないらしい。
セトの思考が手に取るように分かるからこそ、ジョーノはまた首を傾げた。
来週の用件、つまりバクラの処遇に対する意見がまさにそれならば、電報を送りつければすむ。今週の用件は、そもそも無視するつもりだったらしい。だが、何故今週だけでも行っておく気になったのか。二つとも無視するのはさすがに心苦しいなどという感性ではないことは、承知している。むしろ今週だけでも行かざるを得ないのが屈辱だとばかりに憤慨しているセトに、ジョーノはせめて慰められるようにと頬にキスをした。
「……。」
「んっ……なあ、セト、ほんとにそれだけ?」
公爵という立場上、連邦の王からの呼び出しをそう気軽に断っていいものではない。だが、セトの性格と、ユーギの大らかさを考えれば、割とよく無視しているらしい。
それでも向かうのならば、何かしらの理由があるはずだ。話せることなら話してほしい、愚痴くらいは聞けると示せば、セトは一瞬驚いた後、顔をほころばせかけ、やはりため息をついた。
「……ユーギが、よからぬことを企んでいる気がする」
「へ?」
やがて重苦しく告げられたことには、ジョーノは面食らって聞き返した。ユーギはかなり精力的で、よく言えば実行力があり、正確には内容の公的私的を問わず思いつきで周囲を振り回す。公的な場合は、神官制度など、発想は画期的だが実現は困難なもののが多い。そういう類は、双子の兄であり、ムトー公爵でもあるユウギがしっかりと地均しをしてくれるため、抵抗されても突き進め、実現することもできる。
だが、私的な場合は、そもそもユウギが弟の困った癖とばかりに放任してしまうので、どこまで本気かも分からないような発言が多いのだ。友情に篤く、思いやりにも満ちているが、どうにも困ってしまうことは昔からよくあった。親友として、そういうユーギの側面を知っているからこそ、夫の物憂げな顔にまた悪い癖が出てるんだなと察した。
「実は、前々から、それこそ数年前から計画していたことは承知している。だが、実行するつもりだと知ったのは最近だ」
「うん……?」
「そこにきて、あの礎が戻り、来週には王宮にも現れる。しかも、本来は女ときた」
「ああ、そうだよな……?」
「……またユーギに暴走されても面倒だ。仕方なく、予め釘を刺してくることにした」
言明を避けるセトは、敢えて誤魔化しているのではなく、本当に忌々しく思っており口にしたくないのだろう。
だからこそ、ジョーノにも分かってしまう。それでも、確認するしかない。
「なあ、ユーギって何を計画してるんだ?」
おずおずと尋ねてみれば、セトはもう何度目か分からないため息をつき、吐き捨てた。
「結婚式だ」
「……誰の」
「もちろん、ユーギのだ」
「え……て、誰と!?」
「知らん、というかまだ決まってないらしい」
「へ!? 決まってないのに結婚式とかって、そんなの……!?」
おかしいと言いかけて、おかしくないのだと言葉を飲み込む。この話は、ジョーノもセトから聞いたことがあったのだ。
確かに、計画していたことは知っていた。だが、まさか実行するつもりだとは思わなかった。
夫と全く同じ感想を持ち、愕然としたジョーノに、しみじみとセトが呟く。
「タイミングとしては、最悪だ。当初から年明けに実行するつもりだったらしいが、あの礎が戻るのがうっかり早過ぎた」
「まあ、確かに、ユーギならバクラに頼みそうだよなあ……。」
かつての恋心に似た執着は、四百年前の後悔だとして柩に落ちる前にバクラが砕いたが、いまだにユーギは好意そのものは否定していない。恋愛感情ではないが、尊敬している。あくまで礎だった頃のバクラに対してであるが、異大陸の王として立派だったとユーギは表現していた。
それが、王としての側面を失い、性別は女性でもある姿で再会したとき、どういう反応を見せるのか。
「……激しく、嫌な予感がする。オレはもう奴らの色恋沙汰に振り回されるのは御免だ」
億劫そうに繰り返すセトの心情は、手に取るように分かる。セトとしては、かつてのバクラが新たな人柱として消失したとき、色恋沙汰の方はすべてなくなったと思っていたのだろう。あるいは、その直前に魔力の融通のためホンダと仲睦まじくしていた段階で、結論が出たと考えたのかもしれない。
だが戻ってきたバクラが記憶を失い、更には女性でもあるということで感情のベクトルは更にややこしくなるのではないか。
「……なあ、セト、オレも行っちゃいけねえ?」
「……。」
そんな想像でセトは嫌気が差しているようだが、ジョーノの予想は違う。
きっと、もうそれぞれの感情が複雑に絡み合ったりはしないだろう。
バクラが一人で柩に埋まったとき、すべての答えは出ていたのだ。
記憶や性別で多少の不具合が起きても、いずれ同じ結論に辿り着く。ただその過程で振り回されそうだという部分だけは同意できたので、少しでもセトの負担を減らしてやりたくて、そう申し出た。
それに、セトはしばらく黙り込む。単純に、こんなことにもう妻を巻き込みたくないとも思ってくれているのだろう。だが最終的には、ため息をついて了承し、唇へとキスをしてくれた。
「……分かった。貴様の方が、あの童貞王を説得できるかもしれん」
「んっ……。」
独り言のような期待には、きっと応えられない。
ユーギは、やると決めれば、やる男だ。ただ、より面倒な事態を招くことはできるだけ避けてやろうと、ジョーノはセトの妻として、ユーギの親友として、かつての礎の手駒の一人として、心に決めていた。
今は、電報という便利なものがあるらしい。
召喚術の応用らしく、特定の場所に設けられた施設から文書を送る。文字だけを飛ばす低度のものから、書簡そのものを移動させる高度のものまであるらしい。生きていた頃、つまり千年前ならば思いもつかない機能であり、驚いたものの、どこか納得した。知らなくても、知っていたからだろう。電報の概念を一通り説明されれば、違和感も消え、そういうものだと受け入れられた。正直、書簡を移動することが最も高度とされているという話は、自分自身を移動できるので感動も薄かったのだ。
今朝も早くから街中にあるという電報システム部署にオトギが馬を走らせ、今日出発する訪問を王宮に伝えたらしい。そこから来週の公爵会議招集が昼過ぎに各公爵へと送られることになるのだが、電報システム部署まで距離があるこの公爵邸にはまだそれは届いていなかった。
それより、気になったのは電報システムへの違和感のなさだ。
これは、電報に限ったことではない。『戻って』きてから様変わりしていた世界の様相に、驚くことばかりなのに、すぐに納得できてしまう。知らないはずなのに、知っているという錯覚も起きる。
言葉で説明されれば、一度考え、理解し、納得するという経緯を減る。
だが自分のかつての魔力の痕跡に触れると、もっと明確で迅速に、感覚としては内側から乱暴に踏み荒らされるようにして記憶、又は記録が押し付けられるのだ。
『……なあ、てめーらは何か持ってねえのか』
最初にその感覚を味わったのは、当然ながら旧忘陸内でホンダから渡された公爵の剣である。公爵邸に連れて行かれ、マナという忘陸の魔物に風呂と服を借りて身支度を調えた後、自己紹介を聞いてからそう尋ねた。
このとき、公爵邸にはムトー公国の公爵、ユウギもいた。見た目で勝手に同じ年頃だと思い込んでいたが、後に実はオトギと同い年なのだと聞いて愕然とした。小さいにしっかりしているという評価が騙されたようで釈然としなかったが、見た目も中身も昔からああだったとオトギに付け加えられ、なんとなく流しておく。
ともかく、公爵邸に来たばかりの頃は知りたい欲求の方が強く、たとえ乱暴にでも強引に記憶を流して込んでくれる物を探していた。着替えても腰に提げていたままの公爵の剣を軽く叩いて示せば、先に意図を理解したのはやはり忘陸の魔物だ。
『あっ、アタシは、これだと思います!! 元々はアナタのものですし、せっかくならお返しして……!?』
『いらねえよ、オレサマも持ってるし。けど、ちょっと触らせろ』
『は、はい……!!』
形はそっくりだが、色合いが微妙に違う。マナの持っていた一つ目の千年輪に触れれば、やはり膨大な情報が流れ込んできて眩暈がした。
千年輪ができた五百年前、これを使って現陸に渡ってきた四百年前。
連邦樹立から、初代公爵の座を離れるまで。そのときに千年輪は後継者に託していたので、しばらく記録は途切れる。再び魔力の痕跡が刻まれたのは、盲目に近い少女に探し出させてからだ。それほど昔のことではない。ただ、忘陸が変動し続けた所為で、魔力の質もどんどん変化していた。最終的に、人柱としてホンダが現れた翌日くらいに手放してからはずっとマナのところにあったらしい。
持っていた期間が長すぎて、ざっとした流れしか読み取れない。苛烈な感情の軌跡は辿れたが、魔力の質が変化していることで実感はますます乏しい。
なにより、最も知りたい時期には、既にかつての自分の手から離れていたらしいのだ。気持ち悪い記憶の再現までしておいて、役に立たないと舌打ちをした。大きく深呼吸をし、一つ目の千年輪はマナに返しておく。
『だ、大丈夫ですか……!?』
『バクラくん、顔色悪いけどどうしたの?』
『……なんでもねえよ。それより、てめーは?』
気遣わしげにしてきたユウギにも尋ねたのは、礎だった頃の自分が消失する作戦で、手駒の一人だと聞いていたからだ。いや、聞いたのではなく、知っていたのかもしれない。言葉として教えられたのか、魔力の痕跡で知っているのか、もうその区別は曖昧だ。
『ボクには何もくれなかったかなあ』
『……嫌われてたのか?』
『弟ほどじゃないと思うけど』
笑って答えるユウギには、やや首を傾げる。てっきり子供だと思っていたということは、肝心なところ以外の情報は曖昧だったという証だ。
嫌っていた感覚はなかったが、愛でるような対象でもなかったという印象はあった。もしかすると、互いに目的があり、共闘関係だったのかもしれない。それならば、まるで褒美のように物品を渡していないのも理解できると思いながら、最後の一人に視線を向ける。
『てめーは?』
感覚的には、一番不可解な男だ。決して好意的な関係ではなかったが、最も重要な役割を担っていた。押し付けたのではなく、そうと望まれた。実際に見事に務めは果たしている。それでいて、嫌われているのだ。ホンダとは全く違う種類の複雑さを孕んだオトギは、一度笑ってからポケットに手を入れる。
『一応、その公爵の剣を託されたのは僕だったんだけどなあ……。』
『……そうなのか?』
『まあ、ホンダくんが持ってた方がいいと思ってたから、別にいいんだけどね。他に僕が以前のキミからもらったものといったら、これかな?』
魔力の痕跡に触れても、すべてを正確に理解できるわけではない。あくまで印象的で、劇的な感情の揺れが起きた光景から無作為に示されるので、必ずしも関わったこと全部を知りえてはいない。オトギの言葉が正しいならば、公爵の剣を託したのはさほど強い感情からではなかったのだろう。
それが自然と思い、大した抵抗もなく託した。補佐官であり、最後に期待した人物ならばそれも当然かと腰の剣を見下ろした自分に差し出されたのは、精巧な装飾が施された懐中時計だ。
『キミが公爵になったときの、記念の品。あんまり持ち歩いてなかったから、魔力は残ってないかもしれないけど』
オトギの説明を受けるまでもなく、それは察していた。だが一応手には取ってみる。そしてギュッと握り、目を閉じ、本当にほとんど痕跡がないことを確認してため息をつく。
『……マジで残ってねえな』
『ああ、やっぱり?』
『ムカついたから、ちょっと呪っといた』
『どうしてキミはいつもそう僕には理不尽なことするのさ!?』
魔力を込め、つまらなそうに呟いて放り投げれば、オトギは怒りつつもしっかりと受け取っている。壊れていないことを確認してから、また大事そうにポケットに仕舞いこんだ。
つくづく、理解に苦しむ。好意的ではないし、以前の礎とも違うのだから、そんな態度は不可解だ。
だがそれも、隣に座って平然としている男ほどではない。
迎えに来ておいて、殺して欲しいと願う。付き従いつつも、距離を置きたがる。
『……なあ、ホンダ。てめー、剣以外には?』
礎だった頃、濃密な関係にあったことはオトギやマナに教えられる前から気がついていた。
魔力の痕跡で、確かめるまでもない。ホンダが自分を見つめる目、特に男の姿を取ったときに眩しそうにした瞳がすべてを物語っている。
懐かしそうで、痛ましそうでもあるのに、どこか愛しそうにも見える。後に、寝惚けているときになどに手を伸ばしかけられ、目がしっかりと合うとハッと我に返ったように止めることからも、明らかだ。
『オレは……たぶん、もらったものとしては、魔力が一番多いんだろうけど』
確かに、恋人ではなかったのかもしれない。それでも、ホンダは自分を好きだったはずだ。
そうでないならば、わざわざ探したりしないだろう。以前の自分にしか興味がないのであれば、記憶を失っていると分かった上で、新たに忠誠を誓う必要はない。傍で傅く必要もない。
今はまだ、戸惑っているだけだ。
そう自分に言い聞かせ続けてきた。
『魔力、か。それって、ちょっと渡したりできねえのか?』
『……返してやりたいのは山々だけどよ、方法が、な』
『面倒なのか?』
『……面倒というか、何と言うか、まあ、なあ』
ホンダがかなり終焉に近づいていることは察していたし、無理矢理魔力を奪って衰弱させたいわけではない。むしろ、痕跡を知りたいだけで、渡してもらえば倍にして返すつもりもあった。
だが魔力の融通が自分たちにとっては性行為と同義語だとまではまだ気がついていなかったので、曖昧に拒むホンダが本当に不思議だった。マナは顔を赤らめ、ユウギは苦笑し、オトギはやたら感心していた意味も今ならば分かる。
あれから一週間、魔力の痕跡から以外にも様々なことを聞いた。
その上で、オトギから為された質問は、思考を止めるには充分だった。
『今のキミは、ホンダくんを好きなの?』
ホンダは自分を好きだったに違いない、それを認めさせたい。
そんな欲求は確実に存在しているが、理由を尋ねられても困る。
どうして、ホンダに好きだと言わせたいのか。
その根拠など、自分には分からないし、見極める必要があるとも思えない。
ただ、ホンダは自分を好きなはずだ。
それさえ分かればいいのだという主張を、オトギは曖昧に笑って流す。もっと先に重大なことがあるだろうという言葉は、見逃されたのではなく、紛れもない事実だ。
「……。」
自分もそれは分かっていると心の中で呟き、バクラは赤いローブへと手を通した。
今日の外出予定は、公爵邸に来た日から宣言されていた。
長くても、ここに滞在するのは一週間。
本当はすぐにでも送り届けるべきなんだろうけど、知らなさすぎても面倒なことになりそうだからね。そう勝手なことを言っていたオトギは、結局最大限まで猶予した後はきっちりと予定を進めてしまった。
正直、ホンダが行かないという態度を示したときは、それを理由にごねようかとも思った。だが何を言わなくとも、そんな打算は見抜かれていたらしい。あっさりと撤回して出発の準備をしていたホンダと、満足そうだったオトギが、かつては逆の上下関係で礎だった自分とよりも付き合いが長いらしいことも知っていたのでなんとなく面白くない。
できるだけ違うことを考え、準備の手が止まらないように務めていれば、やっと着替え終わる。執務室の隣、公爵用の私室は本来マナが使うべきなのだろうが、マナは南棟の執務室代わりの横の部屋をそれに充てている。寝るときは執務室のソファーで寝るホンダの横に潜り込むので、ここはただの荷物置き場にしか使っていない。
一度ベッドに転がってみたのだが、驚いて跳ね起きた。
よく分からないが、鼓動がうるさくなって落ち着かなかった。剣や千年輪ほど明確な痕跡ではなく、ただの感情や感覚の余韻が濁流のように押し寄せてくる。ソファーで眠るホンダの横に寝れば、ベッドに行けと窘められる。だが変な感覚がして嫌だと言えば、ホンダは何かを察したような顔をして、それならば仕方ないと寝かせてくれるようになった。
「……きっと、この部屋は」
今の自分が寝起きするには、不相応な部屋なのだろう。もう戻ってこないかもしれない部屋を、出て行く前に一度眺めておく。そしてドアを閉めることなく廊下へと出て、バクラは玄関に向かった。
凹の字型になっている公爵邸は、北棟と南棟に分かれ、玄関ホールはその中央にある。正面には大広間があるが、ほとんど使われてないらしい。無人の部屋のは扉を開放しておくという習慣はなくなったと聞いているが、大広間だけはいつも開放されていた。
その前に、既に他の三人は揃っている。マナは同行せず、見送りだ。
「……なんだよ?」
だが、オトギからはあからさまに怪訝そうな目を向けられた。ちゃんと着替えろと言われていたので着替えたのだが、何かおかしいのかと聞き返せば、ため息をつかれる。
「キミ、どうしてそっちにしたの?」
「あ?……なんだ、まずいのか?」
「まずいっていうか、うん、まあ、まずいよね。かつての公爵サマが戻られたって噂になってもまずいし、女の子の方でよかったんだけど?」
だが根本的なことを指摘されて、バクラも黙った。
着替える前までは、確かに女の姿だった。やはり楽だという理由が大きい。だが、そこまでの執着はないため、いずれ男の方で定着させるつもりはあったのだ。王宮への訪問という、公的な予定なので男の方がいいと思った。そんな理由は一割にも満たず、大半は先ほど執務室でホンダが寝惚けて引き寄せる手を止めたので、やはり女の姿より男の方が揺さぶれるようだと考えただけだ。
だが、オトギの主張も理解できる。周囲が混乱するのはどうでもいいが、勝手に以前の公爵と全くの同一人物と思われて話しかけられたり、接されたりすると、バクラも面倒臭い。
「……うるせえな、もう着替えたんだからこっちでいいだろ」
ただ、その面倒を差し引いても、男の姿の方がホンダへの影響力が高い。突っぱねてみたものの、オトギの中では絶対的に譲れない点だったらしい。
「ねえ、ホンダくん? キミはどう思う、女の子の方が可愛くていいよね?」
「へ?……ああ、まあ、比べればそうかもしれねえな」
「……。」
男の方は決して中性的な容姿でもないので、そもそも比べるまでもなく可愛いと表現されるはずがない。少なくとも、バクラはそう思っていた。ただそれでも、女の方が可愛いとホンダが頷いただけで、素直に姿をそちらに戻してしまうのが悔しい。
服は幻影ではないため、体格が大幅に小さくなると合わなくなってしまう。それをせっせとマナが袖を折ったり、ベルトを締め直してくれる。大は小を兼ねるらしいと、されるがままになっていれば、やがて満足そうにオトギが頷いた。
「よし、じゃあ行こっか」
それに、マナに最後の袖を折ってもらってから、バクラは尋ねる。
「なあ、行くのはもういいとしてよ、どうやって行くんだ?」
「もちろん馬車だよ、ちゃんと手配してる」
「……王都って、結構遠いんだろ? どれくらいかかるんだ?」
徒歩だと思っていたわけではないが、馬車だと聞いてバクラは億劫になった。正確な地理感はなくとも、これも以前の感覚なのか、王都はかなり遠いとは知っている。だが、具体的な時間までは分からない。着替えなどの宿泊準備をするように言われたのは、王宮に着いてからではなく、その行程を予定してのことだろう。
「単身で乗馬してるなら、天候にもよるけど早くて四日、普通は五日」
「……つまり、馬車だともっとかかるってことか」
「そういうこと。まあ一週間てところかな」
「めんどくせえ……。」
ただ馬車の中に座り、ぼんやりと過ごすだけの時間は無為に思えて仕方がない。ホンダが構ってくれれば別だが、オトギもいるとなればますます離されることも想像がついた。
だがため息をつけば、オトギも確認してくる。
「まあ、キミだけなら王宮に召喚しちゃえばすぐだけどさ? 『初めて』行く場所で、キミ、ちゃんと自分のこと説明できる?」
「……。」
「僕たちが一緒の方がいいでしょ?」
実を言えば、バクラの特異な召喚術は、どこにでも好きに移動できるわけではない。場所、もしくは目印の特定がないと正確に行なえないのだ。簡単に言えば、一度行っており知っている場所か、何か目印になる痕跡が存在していれば、飛ぶことはできる。それ以外は、ぶっつけ本番になってしまう。
今回の場合、王宮には以前は滞在していたし、目印になりそうな痕跡もある。だが、必ずしも成功するとは限らないし、成功してもどう説明をすればいいのか分からないというのも事実だ。ホンダを連れて行けないし、オトギがいないと面倒事が増える。馬車に揺られるのも仕方ないかとため息をつくと、横からマナに謝られた。
「ごめんなさい、アタシに長距離移動ができる契約獣がいれば……。」
殊勝な言葉でバクラが気がついたのは、王宮までの距離を時間で計算できない理由だ。
つまり、以前のときも馬車などでのんびり移動したことがなかった。自分だけならば召喚術で充分だし、誰かを同行するならばまさに契約獣で空を突っ切ったのだろう。
「……なるほどな。召喚術なんざ使えなくてもいいと思ってたが、こういうときは便利なんだな」
思わず胸元の千年輪を握り、バクラはそう呟く。
礎ではなくなったものの、バクラは魔物としていわゆる高位に入る。魔術も習得でき、瞬間移動という特殊召喚術も駆使できるのであれば、最高峰と謳われる青眼の白龍とは違う頂に立つ魔物だろう。そのため、より下位になる魔物を使役するということに意味を見出していなかったのだが、やはり特性というものがあるのだ。バクラも、飛ぼうと思えば恐らく飛べるが、長距離の移動や、同行者の存在を思えばかなり難しい。だがそれに特化し、容易に行なえる魔物もいるはずだ。
相当頑張ればできることならば、簡単にこなしてしまえる魔物にやらせた方が早いし、効率もいい。手にした真新しい千年輪は、マナが提げている一つ目と違い、一度も召喚術の契約は刻まれていない。
「……あ?」
だが契約しようにもやり方が分かんねえしなと心の中で呟いたとき、その気配にバクラは真っ先に気がついた。
「……なあ、これ」
「えっ、あの……!?」
「やだなあ、魔力がだいぶ低い僕でも分かるって、これ、相当だよね?」
やや遅れて、ホンダ、マナ、オトギも察知したようだ。この公爵邸を中心に、ぐるりと囲むようにして膨大な数の魔物の気配が沸いた。召喚術以外で空間を移動はできないので、元より周辺に潜んでいて、気配を隠していたということだろう。
それを、解放する。魔物としての存在感を、惜しげもなく示す。屋敷の外から馬のいななきが響いた後、足をもつれさせながら玄関から飛び込んできたのは、置いている意味がいまいち分からない門兵だ。
「こ、公爵様っ、あ、いえ、暫定公爵様っ、その、魔物が大勢……!!」
あくまで人間の訪問者を追い返す役目しかない屈強な門兵は、一度バクラを見て訴えかけ、慌ててマナへと向き直る。使用人たちは、バクラが戻ってきたことを知っている数少ない部外者だ。オトギからの指示で、処遇が決まるまでは別人として扱い、緘口令も敷かれている。慌てて報告というか、逃げ込んできた門兵を、バクラは呆れたように見下ろした。
「……てめー、馬車の御者はどうした」
「あっ……ああ、はいっ、今助けに……!?」
「さっさと行け、ついでに他の使用人にも建物から出るなって伝えとけ」
その場に崩れ落ちるようにしてしゃがみこんでいた門兵の肩を蹴り、バクラはそう端的に指示をした。
馬の方は、もう動物としての本能から完全にその場に蹲っている。あれは動かしようがない。だが屋敷をぐるりと囲む魔物たちの姿に、御者は完全に腰を抜かしているようだ。
巻き込まれる危険より、かつての公爵ではないとしている姿を見られるのが面倒だった。バクラの言葉に大男はハッと息を飲み、立ち上がる。そして玄関から飛び出し、動けない御者を担いで南棟の横にある使用人たちの離れに向かったのを確認してから、バクラは歩き始めた。
「……ねえ、これってキミが召喚したんじゃないよね?」
門兵が閉めていかなかったので、玄関の扉は大きく開いている。そこからだけでも、多くの魔物が一定の距離を保つようにして揃っているのが拝める。
「言ってるだろ、オレサマは召喚術なんか知らねえよ。……大体、なあ?」
「ああ、まあ、そうだよねえ……。」
「こ、この様子だと、シモベのはずがないですよねぇ……!!」
やや後ろをついてきているオトギとマナも、魔物たちの好戦的な気配くらいは分かる。
召喚術で契約していれば、絶対的な服従者だ。もし契約獣であれば、こんなに殺気立って取り囲むはずがない。建物を出て、門まで続く石畳の中間くらいまで足を進める。そしてぐるりと周囲を見回して、バクラは舌打ちした。
「……くそっ、すげー数だな、面倒くせえ」
「あのさ、キミのその発言、結構僕たちを怯えさせるって分かってる?」
「そうですよぅ、頼りにしてるのアナタだけなんですからぁ……!!」
「いや、それにしても壮観だな!! どっかで見たような光景な気もするけど」
「……ホンダくん、キミのその悠長さは、安心してもいいのかな?」
「……一応、ホンダさんも見てたんですね、かつての王が礎となったとき結界の外に集結してた忘陸の仲間たちのこと」
マナは千年輪を握り締め、オトギは魔道具を既に構えている。だが、ホンダだけは一番後ろで珍しそうに眺めるだけで、特に背中の大剣を抜くこともなかった。
やがてバクラが足を止めれば、後ろに続く三人も倣う。するとそれを待っていたかのように、門を飛び越えて一際大きく、異形の魔物が、正面に降り立った。
「……。」
「あ、あれって……!?」
「アナタがずっと契約してた……!?」
それに二人が驚いている間に、異形の魔物が凶暴な咆哮を上げ、バクラへと殴りかかってきた。
「うわっ!? ……あ?」
「きゃあっ!? ……て、あれ?」
「……なあ、二人とももっと下がってた方がいいと思うだけどよ?」
バクラの邪魔になるからと、ホンダがオトギとマナの後ろ襟をつかんで引き摺った。
実にいい判断だと、バクラは心の中だけで褒めてやる。
強靭な魔物同士が激突し、弾けた魔力の余波が土埃を巻き上げる。だがそれが落ち着いてきた頃、魔力で作り出した盾で攻撃を防いでいたバクラは、ニヤリと笑った。
「……ディアバウンド、か」
「え……キミ、思い出したの!?」
少し離れた場所でオトギは驚いているが、そういうことではない。既に魔物であるバクラには、ぶつかればなんとなく分かる。魔力に刻まれた名を読み取ることなど容易い。
最初の攻撃が通らなかったことで、ディアバウンドは一度引き、再び殺気立った咆哮をあげる。大きく両手を広げてから放たれるのは、螺旋状に渦を巻くことで威力を増した魔力攻撃だ。
「こんな程度でっ、オレサマを斃せると思ってんのか!?」
盾を鋭い刃へと変え、向かってくる衝撃を薙ぎ払った。相殺しきれなかった魔力はそのままエネルギー波となり、地面を嬲る。バクラの後ろにいた三人には余波は向かわないものの、再びかなりの土埃が舞い上がったとき、ふとディアバウンドの気配が消えた。
「……!?」
魔力が弾ければ本体を察知しにくくなるし、視界も塞がれれば肉眼で追うこともできない。少しは知恵があるらしいと舌打ちしたとき、間近から現れた殺気が鋭い爪でバクラの首を狙った。
「このっ……!?」
反射的に避けたが、やはり絶対的な体格の差というものがある。首への致命傷こそ避けたが、右腕の付け根、肩に近い辺りを鷲掴みにされた。鋭利な爪が皮膚を突き破って食い込み、骨を砕く。大量に上がった血飛沫は噎せ返るような臭いを撒き散らし、バクラに苦痛と興奮を与えた。
「ねえっ、あれって大丈夫なの……!?」
「あのっ、アタシたちも、助太刀した方が……!?」
「……いらねえって、そんなの」
そのまま玩具の人形のように持ち上げられ、地面にボタボタと夥しい量の血溜まりを作れば、離れていたオトギとマナが慌てたようだ。それを、ホンダは飄々として止めている。
オトギは有能だし、マナは忘陸の魔物としての感性を堅持している。
だが、やはりホンダとは違うのだ。
魔物としての自分を最も理解しているのはホンダだという確認ができて嬉しくなったバクラは、口元に笑みを浮かべ、持ち上げてくるかつての契約獣を見上げた。
「……てめーがオレサマに歯向かうなんざ、千年早え」
そしてさすがに動かない右腕ではなく、左手で抜いた公爵の剣に魔力を乗せ、ディアバウンドの腕を斬り落とした。
激痛からの咆哮が響き渡る頃、再び地面に降り立ったバクラは、右肩に爪が刺さったままの腕を外して放り投げる。左手に持った剣には、斬ったばかりのディアバウンドの血が纏わりついていた。それを一度軽く舐め、バクラの足元の血溜まりへと剣を突き立てた。
「てめーら軟弱な魔物ごときがっ、オレサマを試そうなんざおこがましいんだよ!!」
叫びながら、何とか繋がっている右手を動かし、真新しい千年輪を握った。
「さっさとオレサマに服従しちまいなっ、バカどもが!!」
血溜まりが、まるで意思を持ったかのようにうねり、千年輪の形を取る。円形に近い形状を再現した途端、それはバクラを中心にして地面を滑るように巨大化し、屋敷を囲む魔物たちまで到達したところで突然爆ぜた。
「うわっ!?……ねえ、これってさ?」
「あ、はい……アタシの辞書にある契約の仕方とは違うんですけど、たぶん」
三人には攻撃の余波が届かないようにしたが、それ以外の魔物たちはすべてバクラの血によって攻撃を受け、血塗れになった。
契約とは、魂を交換することだ。
通常は信頼し合い、魔力を融通させることが多い。だが、この数では一体ずつそんなことするのは面倒だった。何より、恭しく魔力を渡し合うことなど、性に合わない。魔物の本能は、力への傾倒だ。どちらが強いのかを教えれば、もう逆らえない。交換の証として手っ取り早く互いの血を交わらせたバクラに、爆音と苦悶の呻きが収まった後は、快哉を叫ぶ咆哮が溢れた。
「うるせえ」
だがバクラが一言呟き、千年輪を握り直すと、辺りはまた静かになる。
魔物たちが黙ったのではない、消えたのだ。ああ、契約とは、召喚術とは、こういうことだったのか。妙に納得しつつ、バクラは地面に刺した剣を抜き、鞘へと戻す。そして放り投げていた腕を拾い、唯一消していなかったディアバウンドの断面と合わせると、魔力を注いで治してやった。
あれほど殺気を漂わせていたディアバウンドも、契約が成立すれば大人しいものだ。
「てめーは養生してろ。あと、王都に行きてえ。三人くらい運べるヤツで、一番早いのをオレサマに教えろ」
そう言ってディアバウンドも消せば、すぐに千年輪から小さな音が響いた。どうやら、この魔物が最も早いらしい。呼応のままに召喚し、見た目にも早そうな翼を持つ姿に満足して、バクラは振り返った。
「なあ、こいつに乗って行けば、早く着くらしいぞ?」
これで、一週間も馬車で揺られなくてすむ。
自覚はなかったが、まるで褒めてくれと言わんばかりに意気揚々と告げたが、返ってきたのは微妙な反応だ。
「その前に、キミは着替えなよ……。」
「あっ、あの、お怪我は!? だいぶ血も出てましたけどっ、大丈夫ですか!?」
「……そういや、忘れてた」
右肩からはまだ血が溢れ、ちゃんと動いていない。指摘されて痛みも思い出したバクラは、軽く左手を触れさせて傷は治した。だが、オトギに言われたように、服はどうしようもない。また着替えるかとため息をつけば、駆け寄ってきたマナに手を引かれ、仕方なく屋敷へと戻った。
そんなバクラを見送り、思い出したように魔道具をしまったオトギは、改めて周囲を見回す。
「……。」
魔力が爆ぜて焼け焦げた地面と、撒き散らされている大量の血。
契約をするにしても、もっと穏便にできないものなのか。
「……ねえ、正直こういうのってホンダくん的にはどうなの」
相変わらず、猟奇的なことがお好みらしい。厄介な御仁だという認識を深めつつ、それをいち早く察し、邪魔にならないようにオトギたちを下がらせたホンダに尋ねれば、あっさりと返された。
「最高に可愛いと思うけど?」
「……うん、そうだね、きいた僕が悪かった」
どうかと思うという反応など、ホンダから返ってくるはずもないのだ。
今も大人しく伏せて待っている魔物も、ほんの数分前までは屋敷を囲み、殺気を漲らせていた。
それでも、バクラがその力を見せつければ、喜んで軍門に下る。むしろ、その時期を見極めようと、ずっと近場で待機していたのだろう。
王は、ずっと王なのだ。
かつてマナが口にした言葉を再確認しつつ、着々と以前の礎に近づきつつあることを、ホンダはどう思っているのかが気になった。
どれだけ近づいても、決して同一になることはない。
それでも限りなく近づいてしまうのだろう。
爆ぜて焦げた地面が、自らの周りを避けているのを見下ろしながら、どこか残念そうにしているホンダの真意をオトギはあまり考えたくなかった。
| ▲お試し版メニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− << BACK 取り敢えず、長編?はここまで。 この話が170p弱あって、あと短編(40-60くらい)が2本です。 海城もちらちら出てきますが、ほんと友情出演くらいです。 かといって、本バクもまともにメイン張ってるのはこの長編くらいなので、あと2本の短編は、なんか書いてみたかったギャグ手前みたいなそんなのです。出番が多いのは本バク+オトギです。 あ、エロは一応本バクで男版のみちらっとです。女体版では押し倒して暗転程度です。 ロボっぽい何か |