『BNB1-5 再録本』より お試し版 -01.








※注意※


この本は、BNBというパラレルのシリーズ第1−5弾再録本のうちの第1弾です。
BNB6以降を復帰後に発行しているため、既に公開している「BNB1-5 あらすじ」の要約前本文になります
尚、この再録本はオンデマ印刷のため在庫は極めて流動的です。
ご了承下さい。

また、メインは海城(=作中表記はセトジョー)ですが、BNB4以降はバクラ受を含みます。(このお試し版では一切なし)
それぞれのカプが恋愛的に錯綜することは一切ありません。
完全に独立・並存しているWカプですが、苦手な方はご遠慮下さい。
※BNB1-5のあらすじを読めば分かる細々とした注意事項はここに羅列してません、多すぎて… ごめんなさい…


あと、本田と御伽の偽者率がパネェので、ご注意下さい・・・



↓よろしければ、スクロールをしてどうぞ。









■Blue Night BLUE. (BNB-01)




00     黒い影



 自分はただ、逃げていた。
 追われて、逃げて、逃げても、また追われて。
『オレっ、オレ、なんで……!!』
 そんなつもりじゃ、なかったのに。
 そんな言葉を何度も繰り返したと思う。
 どれほど逃げても、どこにも追いつけない。
 どこにも追いつけないからまた逃げ出して、
『オレ、オレ……!!』
 待って、置いていかないで、一人にしないでと、逃げているはずなのにその足は動かない。
 だって、
『待って、みんな、父さん、母さん……!!』
 みんなが、オレから逃げていくから。
 ほんとに逃げ出したいのは自分だったのに、気がつけばいつも自分が人から逃げられていた。
 父も、母も、唯一怖がらずに懐いてくれていた妹ですら、
『おにい、ちゃ、ん……?』
『し、シズカ、オレ……!!』
 可愛らしいその瞳をひどく丸くして、そして、恐怖に歪めて自分を呆然と見つめていた。
 その瞬間世界が終わる音をオレは聞き、
『お兄ちゃん……!!』
『シズ、カ……。』
 母親に引き摺られ連れ去られた妹を遠くの出来事のように見つめながら。
 自分は、同時に世界が始まる声を聞いていた。
『……これは、キミがやったのかい?』
『……。』
 たった一つの心の拠り所であった妹の怯えた瞳に、自らの思考すら停止させてしまっていた自分にはそんな声は轟音に紛れてほとんど聞こえていなかった。
『そうか、キミが、例の……。』
『……。』
 傍らで妙に納得したように呟く声が幼かったことも、自分には分かっていなかった。
 大人でさえ裸足で逃げ出すような惨状になっているこの村に、自分以外で残っていたたった一人の人物は、ただ静かに語りかける。
『間に合って、よかった。キミを迎えに来たんだ』
『……?』
 その言葉はようやく自分に届き、視線だけ横へと移してみる。
 だが幼かった自分より更に目線の低い場所にいたその少年は、業火に巻かれて燻されるような高温の中で、ひどく涼しげに笑っている。
『オレはユーギ・ムトー。キミを迎えに来た』
『ユーギ……?』
『キミの名は?』
 そして片手を差し出してくるユーギと名乗った少年に、自分はひどく無気力にそう返事をするが、ユーギという少年は気にすることもなくニッコリと笑って逆に名前を尋ねてきた。
 そんな様子に少し驚きつつも、ゆっくりと首を振る。
『……名乗っても、すぐに、意味がなくなる』
 そのときはどこまで考えていたかは自分でも分からないが、それでも自然とそんな言葉が口から滑り落ちる。
 きっと、こんな場所にいることができる少年は、只者ではないのだろうと思った。
 そして、そんな奴がここにいるということは、
『どうせ、もう、オレも処分……。』
 そう、自分を狩るために来たのだろうということも、容易に想像がついたはずなのだ。
 だからこその自分の言葉に、少年は初めて少し眉を顰めた。
 だがそれは一瞬のことで、すぐに肩から力を抜くと、もう一度笑ってみせる。
『だから……間に合った、と、言っただろう?』
『……?』
『こうなる事態は予測して、結界は張っておいた。大丈夫、まだ誰も死んじゃいない』
 その言葉に、自分は大きく目を見開く。
 既に隣町まで焼き尽くしてしまいそうなこの業火の中で、本当に、ただの一人も死人が出ていないのだろうか。
『……よかった』
 それでも、自分にはそう呟く事しかできなかった。
 せめて最後にそのことを教えてくれただけでも感謝しようと口を開きかけるが、もう自分にはその力も残っておらず、その場にガクリと膝を折って座り込む。
『キミ……!?』
『そっか、よかった、これでオレ……。』
 やっと静かに眠れると前のめるように倒れかけた自分を、その少年は慌てて支えてくれる。綺麗な布の服が汚れるのも構わず、地面に膝をついてまで支えてくれた少年は、強い口調で叫んでいた。
『キミ、しっかりするんだ!! オレはキミを迎えに来たんだ、死なせるために来たわけじゃない!!』
『でも、オレ、もう……。』
『こんなところで逃げるな!!』
 だが、おそらくは自分を叱咤激励するつもりでそう叫んだ少年の言葉は、疲れた自分の傷をひどく抉っていた。
 逃げるな。
 逃げるな。
 逃げるな、て、言ったって。
『……最初に逃げたのは、そっちじゃねえか』
『キミ……?』
 今更逃げるななんて、なんてひどいことを言うのだろうと、会ったばかりの少年に自分はそう思う。
 自分だって、別に最初から逃げたいわけじゃなかった。
 ただ、みんなが自分から逃げていくから。
 自分はただ、みんなと一緒にいたかっただけなのに。
『それ、なのに……!!』
『キミ……?』
『……どうしてみんなオレを避けてくんだよっ!!』
 この少年がそうだったわけでもないのに、そう叫んだ自分に呼応するかのように、静かになりかけていた炎がゴォッと天まで焼き尽くす勢いで一気に火柱を上げる。その様を目の当たりにしたのか、支えてくれていた少年が驚いたように息を飲むのが感じられ、自分は内心やっぱりその程度かと笑ってしまった。
『これほどとは……。』
 そんなことを呟いている少年に、自分は支えられていた手を振り払って突き飛ばす。
『キミ……?』
 それにのん気に驚いている少年にまた低く笑ってしまいながら、自分は今度こそペタリと地面に座り込んだ。
『お前、早く、逃げろよ……本気で、オレの炎に巻かれちまう、ぞ……?』
 かといって脱出できるかどうかは分からなかったが、一応そう言ってみた自分に、少年は頑なに首を振っていた。
『いや、オレは逃げるわけにはいかない。言っただろう、オレはキミを迎えに来たんだぜ?』
『まだ、そんなこと言ってんのかよ……!!』
 そしてそんな言葉を繰り返す少年に、自分の苛立ちは増してしまう。
 だが唐突に、もしかすると、既に自分はあの世に片足を突っ込んでいて、その意味でのお迎えなのではないかということに気が付いた。
 そうだとすればこの少年は、神の御使いだか死神だかということになる。
『……なんだい?』
『あ、いや……ええっと、こんな場所まで大変だなと思って……。』
『いや、これも仕事のうちだし』
 なので、すっかりあの世からの使者と思い込んでいた自分に、相手も妙な答え方をして更に誤解を深めさせてくれた。だがそう答えていながら、少年は少し顔を真剣に改める。
『けど、今回はそれだけじゃないぜ。キミを……助けたいんだ』
『……。』
 だからこの手を取ってくれと差し出す手を、自分は少し呆然と見つめる。
 助けるということは、きっと死という静寂に連れていってくれるということなのだろう。
 それは納得したはずなのに、一瞬その手を取ることを躊躇した自分に、少年は穏やかに尋ねた。
『それとも、まだなにかあるかい?』
『あ、ええと……。』
 こんな穏やかな少年があの世への橋渡し役というのは、世の中はつくづく意外性に満ちている。そんな的外れなことを考えていただけだ。
 だがそう尋ねられて、自分は更にわけの分からないことを口走った。
『なあ……オレ、行ってもいいんだけど。いっこだけ、頼みがあるんだ』
『なんだい?』
 本当は、心から願っているようなことでもなかった。
 だがこの少年が御使いにしろ死神にしろ、この業火の中で存在できているならば最後に一つだけささやかなワガママを聞いて欲しかった。
『この火、消して、欲しいんだけど……?』
『……。』
『もう、これ以上、オレがココにいたっていう痕跡を……。』
 残しておきたくないと言った自分に、相手は神妙な顔をする。
 それに、やはりこんな大火を一瞬で消すなど無理かと落胆するが、相手は少しため息をつく。
『……少し、荒っぽいやり方になってしまうけど、それでもいいかい?』
『お、おう……?』 
 てっきり無理だという言葉が示されると思っていただけに、そんな確認はとても意外だった。
 相変わらず皮膚から蒸発しそうな高温の中で、自分は平気だが、少年は少し深呼吸をしてからもう一度その手を差し出す。
『じゃあ、この炎を消したらキミはこの手を取ってくれるな?』
『……。』
『そして、誓ってくれ。ただ一つの忠誠を、このオレにではなく、他の誰にでもなく』
 キミが、誰も死んでないと聞いたときに「よかった」と呟いたその心に。
『……。』
『キミが「人」としてのその心を失わない限り、オレは、ずっとキミの友達だ』
 そう言ってニッコリと笑った少年に、自分は初めて未来を見た。



 業火をそれより大きな爆発で吹き飛ばすという荒業に出た少年の手を、呆然と手に取ったことは覚えている。
 本当の意味でなにもなくなってしまったその荒野で、自分は初めて人の手を借りて立ち上がることができた。







01     婚礼の儀



 荘厳な式は、粛々と進められていく。
「これより、婚礼を執り行います」
 本来ならば新たな生活に進む二人を祝福するはずのこの儀式で、列席者から向けられる瞳は軽い侮蔑と失笑に満ちている。
 誰もが改まった気持ちになって見守るはずの二人は、ここでは完全な好奇の対象でしかなく、もし他の感情が向けられているとすればそれはわずかばかりの同情だろう。
「では、二人は王の前へ」
 確立した宗教というものが存在していないこの国では、婚礼の見届け人は祭司ではなくその町の名士などが務めることが多い。それが王であるということはつまり、婚姻を結ぶ二人の身分の高さを証明しているようなものだ。
 広い王宮の間で執り行われている儀で、進行役の言葉に従って二人の人物は歩を進める。
 だがその二人が速度を揃えて肩を並べるようなこともなく、一人はぞんざいに、そしてもう一人はやや震えながら王の前に立っていた。
「……このような儀に立ち会うことになって、オレはとても嬉しく思っている」
「……。」
「……。」
 正装をしたこの国、正確にはこの連邦の首長である王は、そうどこまでも嬉しそうな笑みで二人に告げた。そんな王の言葉に背の高い男は嫌そうに睨み返し、もう一人の男は苦笑するしかなかった。
 この国では同性同志の結婚は広く認知されているが、その立ち会いに国王がなったということは前例がない。特に身分が高ければ高いほど後継者の問題が出てくるので、同性を娶るとしても男子の場合は正妻には異性を置き、同性の相手は妾や第二や第三として囲うということが一般的であった。
 だが今回は同性婚に王が立ち会うということだけでなく、他にも様々なことが異例尽くしだ。
「では、儀を進めることにしようか。まず、汝らはいつ如何なる時も……。」
「誓う」
「……早いぞ、セト」
 だが王が改まって形式的な近いの言葉を始めるとすぐに、背の高い男は憮然と棒読みのようにそう吐き捨てる。それに王はやや顔をしかめて低く咎めるが、不機嫌そうに鼻を鳴らしただけでセトと呼ばれた背の高い男の方はそれきり黙り込んでしまった。
「……仕方ないな。じゃあ?」
 カイバ公はご機嫌斜めなようだと、やや嫌味混じりにぼやきながらもう一方に王が視線をやれば、そこにはなんとも複雑そうな顔をした親友が、いつもとは見違えるほど着飾った正装のままで苦笑いを見せる。
「あ、ああ、オレも誓うぜ……?」
「……そうか。では二人は誓ったとして、その誓いの証を」
 せっかく徹夜で覚えたのにとやや恨みがましく思いつつ、王はそう言って隣に控えていた部下の持っていた箱へと手を伸ばす。そこには決して華美ではないが、高価そうな彫り物がされた白銀の指輪が二つ収まっている。
「では、この指輪の交換を……。」
「必要ない」
「……セト、彫られているのは一応青眼の白龍だぞ?」
 それでも、今度も一言の元に切り捨てた背の高い方の男に、王は先手を打っておく。するとそれは効を奏したのか、無駄に指も長い背の高い男は自らの瞳よりももっと濃い青の布に埋もれていた指輪の一つをさっさと手に取った。
「おいっ、セト……!!」
 だが、それはお前の取る方じゃないと王が止めるより早く、手にした自分用の指輪をさっさと右の小指に引っかけたままでぎゅっと握り込んでしまった男に、王はまたため息をついてしまった。
 その態度は、自分は相手に指輪を嵌めてやるつもりもなければ、嵌めてもらうつもりもないという意志表示である。あまりといえばあまりな態度に、さすがの王も呆れて物が言えなくなってしまう。だがそんな王が手にしていた箱に、すまなそうにもう一方から手が伸ばされた。
「じゃあ、オレはこっちを……。」
「あ、ああ、そうだぜ、こっちが君の分だから……?」
 背の高い男のあまりの無礼さに忘れかけていたが、この婚礼は親友の晴れの結婚式なのである。慌てて箱を向ければおずおずと自分の分の指輪を手にした親友は、しばらく迷う素振りを見せた後、軽いため息で指輪は手に握り込んだ。
「……。」
 指輪の交換どころか、互いに嵌めもしていないのだが、それを今ここで言ったところでどうにかなるとも王には思えない。普通ならば見ている列席者にももっと動揺があってもいいものだが、この婚礼を知らされた時点で、ある種の茶番劇だと思っているのか、大して外野からの反応はなかった。
「……では、最後に誓いのキスを」
 それでも、最後くらいはしっかりやってほしいと願いつつ王が促してみれば、
「遠慮する」
「おいセトっ、待て、まだ式は……!?」
 唇に濃厚にかませとまでは言わないが、軽く頬にでもすればこの場は取り繕える。だが背の高い男は不機嫌そうに言い捨てると、引き止める声も無視してさっさとその場から歩き出した。さすがにそこまでこの儀を侮辱させるわけにはいかないと、やや強い口調で王は窘めるが、その手を反対側からぎゅっと握られた。
「……!?」
「……本日は陛下自ら我が婚礼の儀にお立ち会い頂き、誠に感謝の極みでございます」
「あ、ああ……!?」
 いつのまにかその場で片膝をついていた親友に片手を取られ、配下の騎士が忠誠を誓うポーズで手の甲に額を押し当てられて、王はその場から動けなくなった。
 親友が『我が』婚礼の儀と、単数形で述べた言葉そのものが、この儀式のすべてを物語っているとも言えていた。



「あーっ、堅苦しかった!!」
 一応は婚礼の儀を終え、男ではあるが『妻』という立場になった王の親友、ジョーノは控え室に戻った途端まずはそう伸びをしながら叫ぶ。
 基本的には一介の兵士にしか過ぎないため、こんなふうに着飾った服装は肩が凝ってしょうがない。だがそんなふうに自然体で王宮内で振る舞えばいつもならば王の侍女などが笑いかけてくれるのだが、この場ではそれを期待しようもなかった。
「なあなあっ、お前は疲れてねえのかよ?」
「……。」
 ジョーノがそう話しかけたのは、先ほどの儀式で一応はジョーノの『夫』となったセト・カイバである。ジョーノに比べればはるかに華美な服装にも関わらず、その凍てつくような端正な容姿の前では装飾の方が貧相にも見えてしまうという特異な男は、ジョーノにチラリと一瞥しただけで答えを返すことはなかった。
「まあ、お前はそうかもなっ。だってこういう場も慣れてんだろ?」
「……。」
「あーっ、にしてもっ、やっぱ堅苦しいっ。さっさと脱いじまおうっ」
 この男は決して無口ではなかったはずだが、今回のこと、要するにジョーノと結婚するという話が持ちあがってから、めっきりジョーノとは口を利かなくなってしまった。だが、それも当然のことだろう。元々凡骨だの負け犬だのと蔑んでいた、しかも男と無理矢理結婚させられるなど、この高貴すぎる男は青天の霹靂どころでなかったに違いない。
「……あ。なあなあっ、お前、指輪どした?」
 それはジョーノも同じであるが、結婚を承諾した事情はセトとは随分違っている。
 なので、できるだけ自分だけでも明るく振る舞おうと返事のない相手にいつも話しかけていたジョーノは、ふと気になって振り返って尋ねた。元々婚礼の儀も、一応しておくといった程度で急遽決まったものだったので、服も装飾もジョーノのものはすべて借り物である。普段は平民上がりの一介の兵士であるジョーノにそんな衣装が体に馴染むはずもなく、さっさと脱いでしまおうとしたところでいまだ手の中に握り締めていた結婚指輪に気がついたのだ。
「あ……もう、捨てちまったのか?」
「……。」
 王であるユーギからこの結婚の話を持ちかけられたとき、セトはその場で承諾したらしい。それを聞いたとき、セトの方も少しくらい自分に好意があるのかとジョーノはひどく感動したものだ。だがその即答は、単に上下関係から拒否したところで無駄だとセトが割りきるのが早かっただけだと思い知らされたのは、セトが結婚に承諾してから初めて会ったときの何の感情も見えないその目で充分だった。
 それでも承諾した以上は、裏ではともかく、外では王の体面を立てて可もなければ不可もないほどに振る舞うのかと、ジョーノは少し期待してもいた。だが先ほどの婚礼の儀において、誓いの言葉はまだしも、指輪すら交換しなかった男の手からは、今はもうとっくに小指にかけていたはずのその指輪すら消えていた。
「うーんと、じゃあ、オレも捨てた方がいいのかな……。」
「……。」
 キスを促され、論外だと言わんばかりに立ち去ったセトを追わせたくなくて王であるユーギの手をジョーノが取ったときには、まだセトは小指に引っ掛けたままではあったが確かに結婚指輪は持っていたはずなのだ。セトがこの控え室に消え、ざわついた場が一頻り収まってからユーギに謝ってこの控え室にジョーノはすぐに来たはずだったのだが、その短い間ですらセトはあの指輪を手にしておくことも嫌だったらしい。
「でも、ココで捨てたらユーギたちにすぐバレるよな……。」
「……。」
「ていうか、コレ、白銀? たっかそうだよなーっ、ほらオレ貧乏性だからさ、ちょっと躊躇するなあ」
 セトの手から指輪が消えていることに気がついたとき、ジョーノは胸に鋭過ぎる痛みを感じる。だがそんなことは今更だとなんとか自分を奮い立たせ、なにも気がついていないフリをして自分の指輪を手にして部屋の明かりに透かすようにして興味深く眺める。
「あーっ、ほんとだ、青眼の白龍が彫ってある。そりゃそうだよなっ、あのカイバ公国の公爵夫人だもんな、一応」
「……。」
「うーん……なあ、勿体ねえからオレは嵌めてていい?」
 体面もあるしと一応言ってみれば、セトは興味がなさそうに呟く。
「……好きにしろ」
「……。」
 それは、結婚することが決まってから久しぶりにジョーノに向かって発せられたセトの言葉だった。言葉自体はひどく素っ気無く、内容はもっと突き放したものだったが、それでもジョーノは呆気に取られたようにセトを見つめ返してしまう。
「……なんだ?」
「えっ!?……あっ、あ、いや、なんでもねえっ」
 そのジョーノの視線があまりに不躾だったからか、かなり不愉快そうにそう尋ねられて、ジョーノは慌てて首を振った。そしてセトの気が変わらぬうちに、と急いで左手の薬指に手にしていた指輪を嵌めつつも、そんなことをせずともセトはもう自分からは興味をなくして見てもいないことをジョーノは知っていた。
 そうして指輪を嵌めてみれば、当たり前ではあるが青眼の白龍の紋章が彫り込まれた指輪はジョーノの指にぴったりだ。
「おおーっ、サイズはぴったし!!」
「……。」
 息が詰まりそうな二人だけの空間で、ジョーノは殊更楽しそうにそう言ってみる。それにセトはうるさいと思っているか、貧乏人と思っているか、あるいはジョーノがいることすら忘れているかのどれかだろう。それほどまでにあっさりと存在を無視されたままで一人ではしゃぐのはかなりバカらしかったが、そうでもしていないと本当にこの世界から音すら消えてしまいそうで、ジョーノは指輪を嵌めた手を今度は明かりに透かして一頻り眺めていた。
 実感などまるでないが、この指輪がここに存在している以上、自分はセトと結婚したのだ。
「ほんとに、結婚したんだな……。」
「……。」
 思わずそう呟いたジョーノに、セトは何かを言いかけてやめていた。
 大方、文句があるならユーギに言えとでも言いたかったのだろうが、ジョーノは敢えて気がつかないことにする。そしてしばらく微妙な沈黙が部屋に満ち、さて次はどんな話題をふろうかとジョーノが考えをめぐらせていたときに、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「やあっ、二人とも結婚おめでとう!!」
「おおっ、ユーギかっ、ありがとな!!」
 まさに天の助けとばかりにドアを開けて入ってきたのは、先ほどまで立ち会い人として儀にいたユーギである。現実には立ち会いどころか二人の結婚を強引に推し進めた張本人でもあるのだが、やけに爽やかに入ってきたユーギの後ろに少しだけ小さい影がついてきていた。
「ちょっと、もう一人のボクっ、いきなり開けたら失礼じゃないっ」
「あ、すまない相棒、つい静かになった室内に興味が沸いてしまって」
 王であるユーギも充分身長は低いのだが、そのユーギより更に小さいその影はユーギの双子の兄であるユウギである。不可思議なまでにそっくりな頭をした兄の方のユウギは、基本的には奔放な弟をたしなめるお兄ちゃんであるが、時々弟よりも言葉に容赦がなかった。
「もうっ、そんないくらカイバくんでもいきなりジョーノくんとココで初夜なんてしてるワケないじゃないっ」
「ハハハッ、そうだったぜ相棒!! なんといってもセトは見ての通り恥ずかしがり屋で奥手で腑抜けだからなっ、いまだに手なんか出せるはずなかったぜ!!」
「そうだよっ、もう一人のボク!!」
 ほんとせっかちなんだからと、ワケの分からない窘め方をしている王の兄に、すっかり忘れられているジョーノもどう態度を取ればいいのかよく分からなかった。
 ジョーノを辺境の地までスカウトにきて騎士としての教育を受けさせてくれたのは王であるユーギの方であったが、ユーギは王としての執務も忙しい。そのため、王都の訓練学校に通わせてもらっている間にジョーノの相手をしてくれたのは、主に王の兄であるユウギの方だった。そのおかげでジョーノはユウギとも親しくなり、互いの親友と認め合う仲にはなっているのだが、時折対処に困る反応を見せるところはこの双子はそっくりだ。
 弟の方が戦闘において強いという理由だけで王位は譲ったユウギは、実は単に連邦全体を飛び回らなければならない王という職が面倒だったのではないか。そして、やや天然というか、兄の言う言葉は絶対的に正しいと思い込んでいる節のあるユーギが上手く丸め込まれたのだろう。いつぞやユウギが、王は忙しいけど公爵はもっと忙しい仕事だったなんてと、自らを嘆いていた。そんなこともあってジョーノは勘繰っているのだが、今はなんとか引き攣った顔でその王の兄に手を振ってみる。
「よ、よお、ユウギは久しぶりだな……?」
 すると、しばらくジョーノたちのことは忘れていたらしいユウギは、そのこぼれそうな目でハッと気がついたようにジョーノへと視線を向けてきた。
「あっ、すっかり遅くなったけどジョーノくん、結婚おめでとう!!」
「ああ、その、ありがとな……?」
 王であるユーギの後ろからパタパタと走ってきたユウギは、そう満面の笑みでジョーノに告げる。
 結婚が決まったときには、ユウギはこの連邦の中央都市であり通称では王都と呼ばれるドミノポリスを離れていたので、充分に話す時間はなかったのだ。そのため、もしかするとこの結婚に関する詳細をまだ王であるユーギから聞かされていないのかもしれないと思いつつ、ジョーノは言葉を選んで頷く。
「急に決まったから、その、お前にはあんまり報告もできなくって……。」
「ううんっ、いいんだよ、そんなこと!! でもっ、ジョーノくんがカイバくんのお嫁さんかあっ!!」
 ほんと新妻だねとユウギに指摘されたように、セトもジョーノもまだ十七歳なのだ。だが、特に女性の場合では市民では早いというほどでもないので曖昧に笑っていたジョーノに、ユウギはニコニコしながら言葉を続ける。
「それにしてもっ、カイバくんてば、普段の横暴見てるといかにも亭主関白ぽいよねっ。ジョーノくん、無駄にエラそうにされたらガツンと言ってやらなきゃダメだよ?」
 そして、また対処に困る助言をしてくれるユウギにジョーノが曖昧に笑っていると、横から助け舟が出される。
「その点は大丈夫だぜっ、相棒!! セトが偉そうなのは他人に対してだけであって、もう結婚した以上ジョーノの尻に敷かれるのは目に見えているぜ!!」
「それもそうだったね、もう一人のボク!! カイバくんは想像以上にヘタレだものっ、可愛い新妻にそんな心配は要らなかったね!!」
 それはジョーノからすればとんでもなく現状認識が甘いというか、既に誤認の域に達している気もしていたのだが、そんなふうに励まされて一応は笑って頷いておくことにする。ユウギはまだしも、ユーギの方はそもそもこの結婚を提案してきた本人なのだ。兄の手前そう言わざるを得ないのだろうということも慮れば、ごく自然に会話をしているユーギにこれが王の器というものかとジョーノは感心した。
「ああっ、でもそうすると、もしかして初夜は随分遅くなるんじゃないのかな、もう一人のボク?」
 だが、何を思いついたのかと思えばそんなことを口にしたユウギに、これまた何が根拠なのか王であるユーギも大きく頷く。
「その可能性は充分にあるぜ、相棒。普通ならば今すぐにでもおかしくないのに、あのセトだからな、大方尻ごみしてるんだろうぜ?」
「もうっ、カイバくんの意気地なし!! ジョーノくんの方はっ、いつだって準備万端だっていうのにねっ!?」
「えっ!? あ、お、おう……!?」
 いきなり同意を求められ、ジョーノはやや驚きつつも本当はそうでもなかったのだが一応否定はしないでおく。するとそれを更に後押しするかのように、王であるユーギに肩にポンと手を置かれて頷かれた。
「大丈夫だ、ジョーノ。自信を持て?」
「……。」
「キミなら……きっとやれる」
 それがただの初夜の下世話な励ましには到底聞こえないジョーノは、しばらく黙った後ゆっくりと首肯した。
 そしてそんな様子をやや離れた場所からその青い瞳をじっと向けていたセトは、何も言わずにその場から立ち去っていた。







01−02      7つの国



 この大陸に、昔から『人』は暮らしていた。
 そして、一般的に『魔物』や『モンスター』と呼ばれる人とは異形のものたちも、恐らくはより太古から暮らしていた。
 だが、この二つの存在が接触を持つようになったのは、千年も前の大きな地震が起こってからだと言われている。大陸は二つの地域に分断され、その一方は人も魔物も住める環境ではなくなった。そうなれば必然的に少ない資源を奪い合い、住む場所を求め、争いが起こったことは当然の流れだった。
 それでも、その戦いは、決して『人』対『魔物』という構図は持っていなかった。人類はそれが一つに一致団結していることはなく、個別に対処することが精一杯だったのである。一般に魔物が使う力ということで『魔力』と呼ばれる強靭なエネルギーに、人の子は立ち向かうことなど出来なかった。かといって人が殲滅させられなかったのは、そうした強い魔力を持つ魔物であればあるほど、個体数は少なく、また魔物同士で群れることがなかったからである。
 よって、長らく絶対数では圧倒的に多い人間が、たまに人間より強い力を持った魔物に運悪く食料にされるといった程度だった。だがそうした均衡が崩れ始めたのが今より五百年前であり、そのきっかけは半ば人類側の自業自得だったのだ。
 五百年ほど前の頃には、人類もそれなりに文明が発達し、家族が村となり、村が都市となって居住区におけるいくつかのグループが形成されていた。そのうちそれらのグループ同士が対立し、いわゆる都市間での戦争となる。戦争となれば人同士が殺し合い、人間の居住区とは随分離れた場所でも人血が流れることになった。そしてそれまで人にはちょっかいを出さず住み分けが出来ていたはずの魔物たちが、その血に惹かれ、死肉に味をしめて人々を襲い始めたのである。そうなるともう戦争どころではなく、人々は都市部にまで侵入してくる魔物たちと戦わざるをえなくなる。だが元来力そのものもはるかに強く、空を飛べたり、自然現象を操ったりもする魔物に、無力な人間たちはただその肉体を引き裂かれるばかりだった。
 そうして、最早都市間の戦争どころではなくなっていたのが今から四百年ほど前のことであり、ある転機が人類に訪れてた時期でもあった。
 それは、ある人物の出現である。
 その人物は男だったのか、女だったのかも今では定かではない。
 更に、その人物に付き従ったとされる六人も、部下だったのか、単純に友人だったのか、それとも一部は家族だったのか、それすら伝承では不確かだ。
 だが確かなのはその人物が、後に千年宝物と呼ばれる不思議な七つの神具を持っていたということである。どこかで眠っていたのか、それともその人物が作ったのかも分からない。とにかくその七つの神具を扱えるのはその人物と六人の部下だけで、その神具によって魔物と契約して使役する力というものを人類は得たのだ。
 神具で魔物を従えたのはたった七人にしかすぎなかったが、契約した魔物の中に魔物としては最高位にある竜族などもあったために、かなりの力を奮えたのである。これにより、絶滅の危機にあった人類はなんとか均衡が取れるまでに勢力を盛り返し、以前のような共存関係を築けるまでに至った。
 そうして魔物との死線はくぐりぬけた七人は、人の住む場所をまずは七つに分け、それぞれを統括する。七つの土地には神具を持った者が一人ずつ向かい、公爵という地位を宣言して公国としたのである。そしてその七つの公国をまとめる連邦は、千年の平和を願ってミレニアム連邦と名付けられ、ちょうど大陸の中央に位置するムトー公国の主が、連邦の首長、通称では『王』として君臨することになったのだ。だが王とはいえ基本的には公国内のことはそこの公爵に任せられており、連邦という形態は取っているものの当初はさほど結束が強いものではなかった。
 そうしてそれなりに国のかたちが整えられても、人々の間ではいつまた魔物に襲われるか分からないという恐怖は心の根底に残り続けていた。それぞれの公国に一つずつ託された格好になる千年宝物も、非常に特殊なものであるので量産などできず、扱えるのはごく限られた人間でしかなかったのだ。公国同士が戦争をすることは滅多にないので人間同士の大規模な殺し合いは避けられても、魔物はいつ襲ってくるのか分かったものではない。ましてや圧倒的な力の差の前に、千年宝物を持っていない一般市民はなんの対抗手段も持っていないと思われていたが、それは意外なところから解決策が生まれる。
 この世界の魔物にとって、人間を食料とみなす魔物は、比較的下級のものが多いということが判明してきたのである。もちろんその下級相手でも普通ならば抗えるはずもないのだが、上級の魔物になればなるほど、知性や理性も兼ね備えている場合が多くあった。更に個体数も少ないこともあり、上級の魔物はしばしば人間の姿に変化して人と接触するようになっていたのだ。それと気づかずにいわゆる恋仲に陥り、子孫を作ってしまった場合、純粋な魔物ほどではないものの、一応は人間でありながら魔力を持つ存在が現れ始めたのである。
 当初は偏見故に秘密裏に殺されたり、身体的に特徴が出てしまった場合には魔物として生きたりと様々であったが、連邦ができてから四百年の間に、十代も遡れば一度くらいは魔物と交わっているということが人類でも一般的になっていた。それにより、個人差はあるものの人類にも魔力と呼ばれるような力が操れるようになり、それを体系化していったものが『魔術』であり『魔法』となっていった。このおかげで人類の生活も飛躍的に向上し、また魔物との相互理解が深まり、基本的にはいい結果を生むことになった。特に今から八代前の連邦の首長、当時のムトー公爵が魔物との混血児を差別してはならないという連邦令を発布したことによりそれはより徹底され、今では一滴も魔物と血が混じっていない人間を探す方が困難というのが一般常識だ。ちなみにジョーノももちろん混血であり、珍しいことにほんの二代前、人間で言えば祖父にあたる者が魔物であった。クオーターというのはそれだけで珍しかったが、更にジョーノは魔物の中の最高位の竜族の、最高峰とはいかないがかなりの強さを持ったレ真紅眼の黒龍の血を引いている。
 一般的に、強い魔物であればあるほど、個体数は少なく、また繁殖能力も個体数としては少ない。真紅眼の黒龍などはその典型で、基本的には一体が死ぬときに新しく一体を生み出すことがほとんどなので、個体数はほぼ増えないのである。逆を言えば命を引き継ぐたった一体にすべての力を注ぐ真紅眼の黒龍は、他の魔物などよりも人間と交わったときに生まれてくる子供はより強くの魔力を生まれ持つことになった。そうして生まれたのがジョーノの母であり、母はその割には比較的平凡に人間として過ごせた。だが隔世遺伝と言われてしまうほどジョーノは真紅眼の黒龍の力を引き継いでしまい、ハーフである母の何十倍もの血が集約してしまって幼い頃はそれを制御することすら困難な状態にあった。そしてその力が暴走してしまったときにジョーノはユーギに救われたのだが、そういったことはごく稀だ。よって、一般的には市民レベルで魔物と血が混じり、人々は大変住み易くなったというのが定説である。
 だが、そこで困ったことになったのは、それぞれの公国を治める七つの公爵家の内の、ムトー家を除いた六つだ。どれほど魔物の血が入って魔術を操れようが、基本的には魔物そのものを使役できる方が強いことは自明である。だが、その千年宝物をそもそも扱える者が限定されている上、魔物の血が少しでも混じった者には神具は激しい拒絶反応を示して時にはその者を焼き殺してしまったのである。
 それにより、公爵家は千年宝物を操るために、決して魔物の血が混じらぬように純血を守らねばならなくなったのだ。だがそうしたところで生まれる後継ぎが必ずしも神具を使いこなせるとも限らず、また次第に婚姻先にも困窮する事態となっていく。
 更に追い討ちをかけたのは、一般市民で進んでいった混血化と、魔物との近距離での住み分けだった。元々魔物は特殊な気配を漂わせており、それを妖気と言ったり障気と言ったりするのだが、それらを長く浴びているだけで人は気分が悪くなったりする。混血化の進んだ市民ではそういった者は今ではほとんどいないのだが、頑なに純血を守った公爵家は、近親婚を繰り返したこともあり非常に身体的に虚弱であり短命となっていたのだ。
 公爵家の代が進むに従い、魔物との戦いも減り、強い力を日常的に人々が求める生活からは離れていった。よって、ほとんどの公爵家の下には評議会ができ、公爵家は象徴的な顧問のような立場になるのが時代の流れとなる。それでも、いつ訪れるかもしれない強靭な魔物との戦いの為に千年宝物を操れる可能性のある血筋を残すということが、ほとんどの公爵家の存続理由になるのも、時間の問題だったのだ。
 確かに公爵家は基本的には有能な人材を輩出するので、学問や芸術、発明などの分野では活躍することも多かった。だが次第に濃くなっていく血と空気に、公爵家は次々と断絶し、今では三つしか残っていないのだ。
 その一つは連邦の首長も兼務しているムトー公国であり、現在の連邦の首長たる王はユーギである。ちなみに公国自体の統治をしているムトー公爵は兄の方のユウギであり、これに関しては連邦内における直轄地が増えたことに起因している。要するに、断絶した公国はそのまま連邦の直轄地となるのだが、連邦の首長自体がムトー公国のトップでもあるため、実質的にはムトー公国の土地が拡大したようなものなのだ。おかげで連邦の仕事とムトー公国の仕事が膨大に増えたため、これまでもムトー家は自らの公国内のことを親族に任せることはあった。よって、現在は双子であるムトー家の公爵は二人いることになり、兄が公国の仕事を、弟は連邦の王として君臨しているという状態だ。そしてこのムトー家の特徴は、魔物の血も混じり、またユーギたちも魔法が使えるにも関わらず、歴代のどの当主も預かっている千年宝物を常に使用できることだ。その理由は明らかにされていないが、元々千年宝物自体をムトー家の初代が製造したという説もあり、だからなのだろうという納得のされ方が一般的である。
 このムトー家とは違い、既に断絶している四つの公爵家も合わせた六公国では、基本的に千年宝物は魔物の血を嫌い、また人間としての純血を守っても必ずしも使いこなせるとは限らなかった。そのおかげで純血を守ることに固執し、既に絶えた四つの公国の領土は連邦に帰属して実質上ムトー公国に併合され、千年宝物も中央都市であるドミノポリスの王宮に預けられている。
 だが現存する公国ももちろんあり、その一つが大陸で最も南方に位置するイシュタール家だ。元来より薬事に長け、医療的進歩に貢献することが多いイシュタール家は現在の当主もしっかりと千年宝物を使いこなせていた。日差しが強い南方のため家屋の大部分を地下に作る伝統があり、そのことが魔物の気配が強い空気からその身を守ってきたのだろうと言われている公爵家である。
 そして、もう一つの現存する公爵家が、最北端に位置するカイバ家だ。だがこの公国にはいろいろと問題があり、現在の当主であるセト・カイバより前の代に、連邦に反逆を企てようとした罪で領地替えを強制された。元々は西の肥沃な大地が公国領だったのだが、その反逆計画の罰として最も最初に公爵家が途絶えた土地にカイバ公国は移され、その面積も縮小し、気候も厳しい地域となる。先代とは言うものの、正確には前のカイバ公爵から現在のセト・カイバに至るまでに後見人として立ったセトの義父が、謀反の首謀者である。その義父自体はセトが自ら二年前に放逐しており、身から出た錆を自ら律したということで領地も戻すという話も当時は出た。だがどうやら寒い土地を気に入ったらしいカイバ公爵は、王都から最も離れているという地理的条件も好都合だったようで、いまだにカイバ公国の領地は最北の大地となっている。
 現在では名誉職に近くなっていた公爵家であるが、殊にセト・カイバは領有する寒冷地でその立場を如何なく発揮し、事実上の支配者として公国内では君臨している。元々三百年も前に公爵家が途絶えて遠い王都の直轄地として扱われていたこの最北端の地は、いろいろな整備がされておらず、政治的にも経済的にも非常に未発達なまま取り残されていたのだ。それをセトは評議会の上に立つという身分から強引なまでに整理し、そして独自の発展を促す。今ではそれが軌道に乗り、カイバ公国も非常に躍進していく中で、突如として持ちあがったのが今回の当主であるセト・カイバの結婚だった。
 確かにこの連邦では同性婚が認められているが、それは同性ということよりも、魔物との場合は性別すら流動的なことが多々にしてあったからである。だがそれでも伝統的に男は女と結婚するのがほとんどであり、稀に同性と結婚することはあっても身分が高いほど少なくなる。更に言えば純血の子孫を残すことが使命とまで言われる公爵家にあって、男を嫁がせるなどということは、カイバ公国の民衆からすれば到底許容できることではない。だがいつでも高貴だが孤高であるカイバ公国の当主は、更にその上の連邦の首長からあてがわれた男と適当にさっさと結婚してしまったのだ。恐らくようやく発展の軌道に乗ってきた公国が中央の恨みを買うことを避けたのだろうと思いつつも、若くして君臨する気高いカイバ公に公国民は皆一様に同情する。
 そういった事情もあるので、一介の成り上がりの兵士であるジョーノは、一見すれば玉の輿にも近かったのだが、周囲の反応としては歓迎されないどころか非常に風当たりも強かった。
 しかもそれに加えてジョーノが個人的に抱えている事情もあり、この結婚は仲介したユーギとその兄であるユウギ以外、誰も手放しでは喜んでいないというのが実際だった。



「……ったく、ドコ行きやがったんだよ」
 そもそもの問題として、誰に歓迎される前に結婚相手である『夫』のセト・カイバ自体が、ジョーノを全く眼中に入れていない。
 婚礼の儀が行なわれた間から控え室に入った時点では、不機嫌そうながらももちろんセトはそこにいた。だがそれからユーギとユウギが訪ねてきてくれて、つい二人のズレた祝辞に対応している間に夫はその身をあっという間にくらませてしまったのだ。
「ほんっと、セトの奴、こーゆーときだけ目立たねえんだからよ……!!」
 ようやくユーギたちに解放されて、堅苦しい服からいつもの普段着に着替えたところで、ジョーノはセトがいないことに気がついた。その時点でどっちもどっちであるのかもしれないが、どうせ話しかけても警戒した視線しか向けられないことは分かっていたのでジョーノは殊更気にしないように努めていただけであり、まさか本当に部屋にいないとは思いもよらなかったのだ。
「せめて一言言ってけよなあ……!!」
 ユーギたちの妄言を鵜呑みにするわけではないが、まがりなりにも自分たちは王の前で結婚し、そして結婚してから初めての夜なのだ。そもそもこの婚礼の儀自体が夜に行なわれていたので、披露宴のようなものもなく、ジョーノはてっきりこのまま就寝すると思っていた。
「……。」
 そこで何かを期待するのは、これまでの態度とあの王を前にした儀での不遜さを考えれば無駄であることは明白すぎる。だがそうにしても、いきなり姿を消されても、ジョーノも困惑するしかない。
「……そんなに、オレといることすら嫌なのかよ」
 そうぽつりと呟いてみれば、そんなことは明白すぎてジョーノは自分で笑ってしまった。
 元々男を権力で嫁がせられた挙句、居心地の悪い婚礼の儀まで執り行われたのである。それを考えれば結婚指輪も捨てて当然であろうし、人としてすらまともに見ていなかった『妻』である『男』の顔など見たくないのが自然だ。
 だが、実際にこうして逃げるように姿を消されると、ジョーノの中には言い知れない不安が胸を占めてくるようになる。それはあのときユーギが手を差し伸べてくれたときから収まっていたはずの不安で、
「オレ、やっぱり、また……。」
 逃げられちゃうんだと俯いてジョーノが呟きかけたとき、突然もっと深くの血を沸き上がらせるような気配がすぐ近くで出現した。
「なっ……!?」
 それは、体の四分の一を流れる真紅眼の黒龍の血が、同族を感知して震え立つような、そんな感覚だった。全く同じ真紅眼の黒龍ということはなく、かといってこんな王都に普通に竜族が現れるはずもない。
「まさか……!?」
 だとすると可能性は一つしかなく、非常に焦りながらその気配へと向かってジョーノは二階の窓から地面に飛び降りて走った。
 そして幾許もない距離を夜目が利く中走り続け、王宮の裏手で少し開けた場所に、月明かりの下でその白い巨体が静かに佇んでいた。
「やっぱり……!!」
 ほとんどの人間も、魔物ですら平伏すような、圧倒的な威圧感を持ったその白い魔物は、最高位の竜族の中でも最高峰と謳われる青眼の白龍に他ならない。その個体は三体しか存在しないと言われており、四百年前の初代を除き、子孫はたとえ千年宝物を使えても青眼の白龍までは契約できなかったほどの最強の魔物だった。
 月明かりの下で静かに佇む青眼の白龍に、ジョーノは思わず足が竦んでしまいそうになる。もしこの体に竜の血が濃く流れていなければ、きっと正視することすら怯えたと思われるその姿をじっと見上げていると、あちらもジョーノの気配に気がついたのかチラリとだけ視線を向けてきた。
「……!?」
 だが、人型を取ったり、人語も話せる青眼の白龍は、ジョーノにそれ以上の興味はわかなかったようで一度向けた視線もすぐに戻された。そんな仕草も主そっくりだと内心思っていたところで、
「……おい、なにをしている?」
「おうわっ!?……て、驚かせんなよっ!?」
 いきなり心に描いていた人物本人からそう声をかけられ、ジョーノは必要以上に驚いてしまった。
 もちろん基本的には気高い竜が、意味もなく王都などに現れることはまずない。よって契約されていた竜が召喚されたと考えるのが最も自然であり、この場合青眼の白龍を召喚できるのはカイバ公爵であるセト以外にありえなかったのだ。
「貴様が勝手に驚いているだけであろう」
「う、それはそうかもしんねえけど、て、そういやなんでそもそも青眼の白龍喚んだりしてんだよ?」
「……。」
 カイバ家に伝わる千年宝物である千年錫杖を操り、あっという間に数多の魔物を僕に従えたセトは、初代でさえなしえなかったと思われる究極竜まで契約していた。それは三体しかいないとされる青眼の白龍を三体とも契約することが絶対条件であり、二年前に当主になったばかりのセトはそれだけで稀有の伝説的存在だ。
 だがまだ結婚話が出る前に一方的にセトに纏わりついていた頃にジョーノが聞いた話では、セトは強さを求めたというより、単に青眼の白龍が好きで真っ先に契約して他の者に取られたくなかっただけだろうということだ。ある種の魔物は特定の千年宝物や個人としか契約しなかったりもするのだが、カイバ家の紋章が青眼の白龍であるように、青眼の白龍はそもそもカイバ公爵の中の更に特定の者としか契約しないと思われていたのである。他の者が欲しいと思ったところで契約など出来なかったはずなのだが、セトはさっさと確認されている青眼の白龍の三体ともと契約をし、更に究極竜という荒業まで会得している。
「……相変わらず、鼻が利くことだな」
「……!?」
 まさか好きが昂じて観賞用に呼び出しのかとジョーノは思っていたのだが、淡々と言われたその言葉に嫌なふうに心臓が跳ねあがってしまう。
 そのセトの言葉が意味するところは、要するにジョーノも竜族の血が流れているので青眼の白龍をこんなに早く感知できたのだろうということである。だがそれを純血であるセトからそれを指摘されることは、ジョーノにとって最も触れられたくない部分を抉られるのも同じだ。思わず視線を逸らしてうつむいてしまったジョーノに、セトは何を言うでもなく、いきなり青眼の白龍の背に乗る。
「……セト?」
「なんだ、まだ用があるのか?」
「え、あ、ていうか……?」
 よく見ればセトは婚礼の儀のときのままの衣装で、手荷物一つ持っているわけではない。
 だが妙な胸騒ぎを覚えてジョーノが尋ねてみれば、
「なあ……どっか行くのか?」
「屋敷に帰るだけだが?」
「……て、屋敷ってお前のお屋敷!?」
 カイバ公国内のかと尋ねれば、ジョーノはセトにやけに呆れたように頷かれてしまう。
「当たり前だろう、オレは他に屋敷と呼ぶほどのモノはわざわざ持っておらん」
「お前っ、今から帰んのかよ!? しかもっ、青眼の白龍で!?」
 バッカじゃねえのと叫んでしまいそうになることを寸前で留まれたのは、気配を察した青眼の白龍にまたチラリと一瞥をもらってしまったからだ。魔物の血が流れているからこそまだここに立っていられても、その血だからこそ青眼の白龍の脅威というものを敏感すぎるほどに感じ取ってジョーノは畏怖にさらされ続ける。それでもぐっと足に力を入れて踏みとどまっているジョーノに、セトはなんでもないように頷いた。
「ああ。一番早いからな」
「……て、じゃあなんでそんな急いで国に帰りたがってんだよ?」
「……。」
 だがそれを尋ねたときに、セトからはやや呆れたような視線を返された。
 その瞳が意味するところは、大方この王都やムトー公爵の二人を毛嫌いしているからだとジョーノにも予測はつく。それでも敢えて回答を求めるように睨み返してみれば、
「仕事だ」
「……そっか」
 ふいっと視線を逸らして素っ気無くセトが答えたのは、ジョーノが反論できないものだった。
 元々、度々王都に呼びつけられることをセトは快く思っておらず、いかに王の命令とはいえ鬱陶しくて堪らない様子だったのだ。しかも今回は結婚するよう言い渡してから一度でも国に返すと反故にされるとユーギは思ったのか、セトは今日の婚礼の儀まで結果として王都に拘束されることになった。
 以前のように名誉職ならば問題もなかっただろうが、セトは未発達だったカイバ公国を実質上統治しているのである。今は少しでも国で指揮を執りたいだろうに、王都で会っても以前は犬と蔑んでいた男と無理矢理結婚させられた挙句こんなにも引き止められては、セトがとっくにキレていてもおかしくない。
「ん、分かった、気をつけてな」
「……。」
 そういった事情を鑑みれば、一刻でも早く国に帰ってしまいたいとセトが考えるのはむしろ当然で、更にその理由を仕事だと言いきられればジョーノには引き止める理由など持っていない。よって、そんなふうに軽い言葉で送りだし、セトがこちらに背を向けたのを確認してから少し早口に続けておいた。
「オレもできるだけ早く行くからさっ」
「……なに?」
 だが、事後承諾が通らない相手だと分かっていたのでさっさと言いきってこの場は逃げてしまおうと思っていたジョーノに、意外にも聞こえていたらしいセトからはすぐに怪訝そうな声が返された。それを無視して走り去ろうと思っていたのだが、セトの語気に何かを感じたのか、青眼の白龍までこちらを向いてしまったことでジョーノは否が応でも足を地面に縫いとめられてしまう。よって、仕方なく足を止めて振り返ったジョーノは、まくし立てるようにして続けた。
「え、あ、陸で行くと一週間くらいだっけ? お、オレもできるだけ早く向かうからさっ、お前、仕事あんなら先に……!!」
 顔が引き攣ってしまうのは青眼の白龍の威圧感からだけではないと自覚しつつ、ジョーノが言い切ってしまう前にセトはかなり怪訝そうにそれを遮った。
「……貴様、公国に来るつもりなのか?」
「えっ……!?」
 そして向けられた不審そうなセトの言葉も、ジョーノにはよく理解できる。王都での戯言には王の手前付き合ってやっても、実質的にセトが治めているカイバ公国にまで『妻』を連れて行くなど論外だったのだろう。
 だが、セトがそう思っていることが分かっていても、ジョーノはここで怯むわけにはいかない。
 そうしないと、ユーギが求めてきたことを実行できなくなりそうだからだ。
「あ、だって、オレたち結婚したろ……?」
 それでも、そんなことを言えるはずもないのでジョーノはできるだけ簡単にそう言ってのけた。
 夫婦ならば一緒に住んで当然という浅い考えからの発言で、深い意味などないのだと、そんなふうにジョーノは装って切り返してみる。こんなふうに言えば、たとえセトはジョーノが公国にまで来ることが嫌でも、拒否すれば『新妻を中央に残しておくなんて!!』とユーギたちが非難してジョーノを後押しすることぐらいは分かるだろう。
 だが随分渋い顔をしていたセトがやがて口を開いたのは、
「だが……領民は、貴様を歓迎しておらんぞ?」
「……。」
 そんなこと知ってる。
セトが口にしたのは、思わずジョーノが頷いてしまいそうな現実だった。
 民から歓迎もされていないのに、それでも図々しく乗り込むつもりかと、そうセトは言いたいのだろう。
 本当ならばジョーノも人々とは仲良くしたいし、好んで蔑まれたいタイプではない。
 ましてや過去にいろいろと迫害された傷を持つジョーノは、そういった視線に過敏な自覚もあり、普通ならば耐えられる自信はない。
「……でも、オレたち結婚したろ?」
「……。」
「やっぱ、奥さんはダンナさんの傍にいねえと!!」
 それでも、そんな視線など気にしていられないほどの理由が、ジョーノにもあった。
 なのでこれだけは譲れないとそうニッコリと笑ってそう宣言してみせたジョーノに、セトは軽いため息をついてみせる。拒否してもユーギが出てきて押しきられるということをようやく痛感し、諦めたのだろう。納得したならできるだけ早く馬を走らせて自分もカイバ公国に向かわなければ、とジョーノはこのとき考えていたのだが、しばらく何事かを確認していたらしいセトに、青眼の白龍はその大きな青い瞳を一度ゆっくりと閉じて小さく頷いていた。
「……そうか」
「セト……?」
 そんな青眼の白龍に頷き返してみせたセトに、ジョーノが怪訝そうに尋ね返してみれば、セトは何故か乗っていた青眼の白龍の背から少し後ろに移動した。かといって降りるような気配はなく、どうしたのかと首を傾げているジョーノにセトは不意に視線を向けて淡々と声をかけた。
「ならば乗れ」
「……!?」
 それでも、セトに指示されたことはあまりにジョーノの予測からかけ離れすぎていて、ジョーノは一瞬驚きすぎて言葉に詰まってしまう。だがジョーノが呆気に取られている間に、セトはなんでもないことのように淡々と言葉を重ねる。
「どうせ来るならば、この方が効率がいいだろう」
「え、あ、でも……?」
「青眼の白龍も了承している。それとも貴様は飛べるのか?」
 血の混ざり具合によっては、魔物の羽を持って生まれる者もいれば変化というかたちで飛行が可能になる混血の人間もいる。だが真紅眼の黒龍は確かに飛行はできるが、クオーターであるジョーノには移動用の長距離の飛行など通常では不可能なことだ。
「いや、飛べねえけど……?」
「ならばさっさとしろ。夜明けまでには戻るぞ」
 思わず素直に返事をしてしまっていたジョーノに、セトはそう言って自分の前を促す。
 それにジョーノは一瞬の躊躇はあったものの、思いきってその背に乗ってみた。



「……ああーっ、見て見てっ、もう一人のボク!! 馬車の代わりに青眼の白龍で優雅に新婚旅行に行ってるよ!!」
 そしてそんな姿を王宮の自室の窓から眺めていたユウギは、楽しそうにそう指をさす。その言葉に窓まで寄って眺めてみたユーギも、嬉しそうに頷いた。
「ああ、青眼の白龍は白いからちょうどいいな。今夜は二人の未来を祝福して飲み明かそうぜ、相棒」
「そうだねっ、おめでたいもんね!!」
 そんな会話が王宮でされていることなど当然知る由もないジョーノは、圧倒されていた畏怖の対象である青眼の白龍が意外にも触れたときにほっとする存在であることとに気がつかされていた。
 それでも決して心を見せない青眼の白龍の高貴さがそのまま重なる夫と、ジョーノは夜でも青白く明るい場所を目指して月明かりの闇へと飛び立ったのだった。




 






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