■恋してた
-02.
それから数時間後、今は放課後だ。楽しみにしていたはずのこの時間、やはり隣にいるのはツナだけだ。
「……十代目っ、わざわざこんなところまでお越し頂いて、恐縮です!!」
「い、いやいや、そんな畏まらなくても!? ていうか、元気そうで、安心したよ……!!」
だが目の前にいるのは、不貞寝でサボるというどうしようもない欠け方をしてくれたはずだったクラスメートだった。
あれからツナがどういう電話をしたのか、実は山本は知らない。だが昼休みにでも隠れて電話してきたらしいツナが、どこか申し訳なさそうに一緒に行こうと誘ってくれたことでなんとなく悟っていた。
きっと、獄寺は自分の同行は渋ったのだろう。そこを、ツナが気を回して説得してくれたに違いない。そんなことしてくれなくてもよかったのに、と口にすれば強がりだと分かっていたので黙っておいた。だが妙な役回りをさせてしまったことはすまなくて、せめてもの詫びだと思い、ツナが提案してくることはできるだけ応じてやってこの場に至っていた。
「これぐらいの捻挫っ、怪我のうちにも入らないですよ!! それなのにむしろ見舞いとか気を使ってもらっちゃって、ほんとスイマセン!!」
「う、うん、まあほんっとに予想通りというか予想以上に喜んでもらえたようでよかったよ……!!」
玄関口で繰り広げられるツナと獄寺のやりとりを見ながら、山本は手持ち無沙汰でさてどうしたものかと考える。
普段ならばさして気にもせず割って入れるが、いかんせん今日は多少気後れしている部分がある。それは、本当に自分がこの場に居ていいのか分からないということだけでなく、ツナからの提案に応じて買い物をしてきたからだ。ないとは思わなかったが、万一を考えて挫いた足に貼るための湿布はまだいい。だが、一人暮らしならば食事にも困るだろうということで食材を持ち込んでいるのだ。
ツナに見舞いの品を食べ物にしようと言われたとき、山本が真っ先に考えたのは当然父親に頼むという選択肢だった。かなり家に入り浸っている獄寺なので、父親はむしろツナより覚えがいいだろう。印象がいいかまでは謎だが、息子の友達という認識はあるはずなので、怪我をして見舞いに行くと言えば寿司の詰め合わせくらい用意してくれるのは確かだった。
ならば昼に家に電話しておき、放課後獄寺の家に向かう前に実家に寄って受け取って、というスケジュールを頭の中で立てていた山本に、何故かツナが激しく首を振ったのだ。
「そ、それと、学校から直接来たから、ちゃんとしたお見舞いとか持って来れなくて……!!」
「そんなっ、いいですよ、そもそも重傷ってワケでも……!!」
「うん、オレもそう思ったから?……オレからのお見舞いは、これってことで?」
見舞いの品がこんなものでよかったのか、と手に提げたスーパーの袋を見下ろしていた山本は、聞いていなかった会話でいきなりツナに軽く二の腕の辺りをポンと叩かれる。どうやら見舞いの品をここで紹介したらしい。湿布などの消耗品はともかく、調理もされていない生野菜などで獄寺が喜ぶだろうか、と山本は思ったのだが、ようやく上げた視線の先で獄寺はひどく真剣に頷いていた。
「……十代目、さすがっス。オレのことよく分かってらっしゃる」
「獄寺……?」
「そっか、よかった。ああ、ちなみにゴハン食べてないんだよね? これから山本にちゃんと作ってもらうから?」
十代目と尊敬しているツナからの見舞いならばなんでも嬉しいんだな、と思っていた山本は、そこでふと違和感を感じていた。
ツナが獄寺に見舞い品だと示したのは、今自分が持っている食材たち、調理することまで含めた食事のことではなかったのだろうか。だが重ねて言及しているということは、まずは別の品を示し、更に食事まで、という文法だ。もしかすると最初の発言は湿布の方をさしていたのだろうかと考え、もしこの部屋に湿布や包帯がなかったのであれば喜ばれたようでよかったなどと考えている山本は、自らが見舞いの品だとやりとりされていることには全く気がついていなかった。
それは山本の天然具合だけが問題ではなく、獄寺の直後の反応に因るところが大きかった。ツナが山本の手料理もだと口にした瞬間、獄寺がポカンと呆気に取られたのだ。煙草を咥えていれば確実に落とした思われる表情でしばらく目を丸くした後、何故かギュッと一度強く唇を噛み締め、いきなり横を向いて獄寺は壁を殴っている。
「十代目っ、そんなにも……そんなにもっ、心憎いお気遣い、オレ、もうなんと感謝すればいいのか……!!」
「獄寺、どうしたんだ? ああ、まあイヤなら別に食材は置いてくから自分で勝手に……。」
ドンドンと激しく自分の家の玄関で壁を殴りつけている獄寺は、ひどく苦しそうに唸っているように山本には見えた。口から零れている言葉は、まるで新婚みたいだだとか、料理ごと食ってしまいたいなどというもので、欲望との葛藤からの苦悩だったが山本が理解することは当然ない。一見すれば嫌がってるようにも感じられたそんな獄寺の態度に、相手は怪我人なのだしと謙虚に申し出てみれば、ツナからはもちろん非難された。
「えっ、それじゃお見舞いになってないだろ!? ここまできたら、山本はちゃんとゴハン作ってあげないと!!」
「そ、そうか……?」
「……山本、ここで帰るなら果てさせる」
だがそもそも提案したツナはともかく、獄寺まで急に凄みを増して花火を構えてきたので、山本は少し面食らった。相変わらず花火だと解釈しているダイナマイトは、もちろん獄寺からの敵意だと察している。この場合で言えば、言葉通り帰るつもりならば許せないという意志の表れだ。
自分が帰るとツナまで帰ってしまうと思っているのだろうか、と山本は首を傾げるが、理由はどうあれまるで引き止められたかのようで嬉しくなってくる。安堵した気持ちのままに思わず笑みを浮かべ、できるだけ考えないようにして、獄寺の気が変わらないうちにさっさと実行に移させてもらうことにしていた。
「じゃ、上がらせてもらうぜ? お邪魔しまーす、てな」
斜め前に立っていたツナの肩を押し、玄関内に入って開いたままだったドアも閉じる。背後でオートロックの重厚なドアがバタンと音を立てる頃、ツナに続いて靴を脱いで上がろうとすれば、何故か獄寺に戸惑うようにして告げられた。
「や、山本!! ……『ただいま』でも、いいんだぜ」
「は?」
「獄寺君、山本絶対分かってないから混乱させるだけだと思うよ……。」
人様の家に上がらせてもらうときの挨拶は、お邪魔します、で合っていると思う。もしかすると獄寺はイタリア人とのハーフでイタリア帰りでもあるため、日本語に疎いのかもしれない。そういえば理解できない発言も多かったな、と今更のように思いつつ、それなら合わせたやった方がいいのかと考え直した。
「じゃあ、ただいま?」
「……!?」
せめてツナの部屋くらい入り浸っていればまだしも、完全に初めて足を踏み入れた部屋でそう口にするのはやはり違和感があった。しかも、言わせた本人が一番驚いている。まさかからかわれただけだったのか、と怪訝そうに首を傾げかけたところで、ふいっと視線を逸らした獄寺が小さく答えてくれていた。
「……お、おかえり」
「……。」
「獄寺君、山本の天然具合は知ってたはずじゃない? まあ幸せな返り討ちだから本望なんだろうけど……。」
呆れた様子のツナの言葉の意味は分からなかったが、それより気になることがあった。
まだ玄関から廊下に上がってすぐ、マンションの部屋の入り口にしかすぎないが、建物の外装からも予測できていた通りかなり広く感じられたのだ。詳しい間取りなどは分からないが、一人暮らしと聞いて真っ先に想像していたワンルームというものには程遠い。ただの印象で言うならば、それこそ家族が住むような部屋数と広さがありそうな獄寺の家に、山本は首を傾げていた。
「……獄寺、お前一人暮らしなんだよな?」
よって思わずそう口にすれば、獄寺からは当然のように肯定される。
「他に誰と暮らしてるってんだよ、アネキとは無理なの知ってんだろ」
「そらそうだけどよ……。」
「けど、実際広いよねーっ。獄寺君、ほんとに一人暮らしなの?」
どうやら同じことを思ったらしいツナに、獄寺は廊下の奥、居間と思われる方へと案内しながら説明をしていた。
「ああ、オレ、荷物が多いんスよ。だからどうしても、これくらいは必要で」
「そうなんだ。服とかいっぱいありそうだもんね、獄寺君てオシャレだし」
ツナとの会話を上の空で聞き流しつつ、同じように居間に向かっていた山本は違うことに気をとられる。
ゆっくり歩いているのが分かりにくいが、獄寺は確かに片足を引き摺っていた。見れば裸足のそちら側は、裾の長いジーパンで隠れているものの足首に手当てをしている様子がない。歩けているので大事ではないのだろうが、すぐに自然に歩けるほどには軽傷でもなかったということだ。
「だから、ちょっと雑然としてるけどいいスか? 急だったんで、片付けきれなくて!!」
「そんな、全然構わないよ。そもそもお見舞いで来たんだし、怪我人なんだから気にしないで」
「そんじゃ、お言葉に甘えて。ホント、ちょっと倉庫というか物置みたいですけど、そこは勘弁してくださいっス!!」
だが苦痛を全く顔に出していない獄寺なので、足には違和感が残っているが痛みはほとんどないのかもしれない。あるいは、ツナの前なので我慢しているかだ。それを指摘してしまっていいものか、ほんの少しだけ悩んだところでちょうど居間に着いたらしく、獄寺が恐縮したようにガラスが嵌め込まれたドアを開けていた。
「じゃあココで寛いでくださいっ」
「うん、お邪魔しま……て、えええーっ!?」
「おお、なんかスゲェなっ」
ぼんやりと耳に入っていた話で、荷物が多いらしいとは理解していた。だがツナも言っていたように、服やアクセサリーが散乱でもしているのかと思っていたのだが、実際に入ってみた居間で積み上げられていたのはダンボールや木箱ばかりだ。身長ほどまでの高さがあるそれらには、もれなく赤い文字で危険物という意味の外国語が焼印や印刷されている。
「あの、獄寺君、これって……?」
まるで引っ越してきたばかりのような状態に圧倒されているのか、ツナは心なしか顔が引き攣っている。それに獄寺は照れたように笑って返していた。
「いやあ、最近物騒でしょ? 十代目をお守りするのに火力が切れちゃいけねえと思って、ちょうど大量に買い付けてきたばかりだったんスよ」
「倉庫というより、火薬庫だね……!!」
どうやらこれらの箱の中身は、いつもの花火の束らしい。つくづく獄寺らしいと思うのだが、別の違和感も感じる。そうして居間に積み上げられた木箱が一画だけ置かれていないのだ。明らかに空けているスペースには、毛布が数枚丸められている。もしかすると畳んでいるつもりなのかもしれないが、お世辞にもキレイとは言えない状態だ。玄関からこの居間までは全く生活感がないと言ってもよく、唯一垣間見えたのはその毛布だけだった。
同じようにツナもそれに気がついたらしく、丸まっている毛布を指差している。
「ご、獄寺君、アレは……?」
ペットかなにか飼ってるの、と続けたのは、その毛布がまるで犬やネコの寝床のように見えたからだろう。だが一枚ではないあの量では、飼われているとすれば相当な大型動物だ。そう思っていると、ある意味において正解だったことを悟らされる。
「スイマセンッ、オレ、昼まで寝てて!!」
「……へ?」
「アレ、オレの寝床です。片付けようと思ったんですけど、寝室は服とかの物置にしてるんで、つい」
あの毛布で寝ていたのは、色素が薄い毛並みの凶暴犬だったようだ。山本は妙に納得するが、ツナはいまだに疑問があるらしい。
「え、ベッドとか……布団、は、あんまり似合わないけど……?」
確かに先ほどの口ぶりでは、部屋としての寝室はあるようだが、そこは衣類置き場としてしか使っていないようだった。ベッドもそこにはあるのかもしれないが、仮にあったとしても使用はしていないのだろう。不思議そうに尋ねたツナに、獄寺はあっけらかんとして答えている。
「ないですよ、つかあっても困るし」
「えっ、なんで!?」
その発言には、山本も少し不思議に思って獄寺を見てしまう。すると何故か獄寺も不思議そうにしており、ツナに対して返していた。
「だって、ベッドとかだと熟睡しちゃうじゃないですかっ」
「……ダメなの?」
「一人暮らしだと危険っスよ、オレ部下とかもいないですし!! まあ実際オレなんかを襲撃するヤツがいるとは思ってませんけど、ほとんど習性みたいなもんですかねっ」
熟睡自体ができないのではなく、してしまったときに激しい不安に駆られる。
そんなふうに笑っている獄寺に、ツナはなんとも微妙な顔をしていた。実際山本にもいまいち分からなかったのだが、ひとつだけ判明したことがある。
「……ああ、だから外でヤりたがるのか」
屋外で事に及べば、どれだけ疲れていてもさすがにその場で長々と寝入ることはできない。熟睡したくないという願望が滲んだ結果だったのか、と一つだけ獄寺を理解できた気がしていた。そして、また一つ謎が増えた気がしていた。そこまで熟睡することを危惧しておきながら、山本の部屋で、ベッドでした際には、終わってから獄寺は結構眠りこけている。今朝にしたところで、よく寝ていたので早朝練習に向かう際にも起こさなかったのだし、その辺りの線引きはいまいち分からない。もしかすると、自分の部屋で熟睡してしまったことが不貞腐れ不登校の原因の一端ではなかったのだろうかと思いつつ、山本は話が途切れたところでようやく口を開いていた。
「獄寺、お前メシ食ってないんだよな? 腹減ってんならすぐ作るけどよ、台所とか勝手に使っていいのか?」
ツナの話によれば、少なくとも昼食は食べていないらしい。獄寺のことなので、朝も食べていない可能性は充分にあった。提げていた袋から湿布と包帯は出して居間のテーブルへと置き、残りの食材を持ったままで山本はキッチンへと向かう。
マンションに備え付けのいわゆるシステムキッチンは、お世辞にもほとんど使っている形跡がなかった。多少の掃除はしたのか、隅に置かれたゴミ袋に一つや二つではない即席麺のカップが突っ込まれている。それを見れば、おそらくこれだけちゃんとしたキッチンがあっても、せいぜいやかんで湯を沸かすくらいにしか使っていないのだろう。一緒に下校する際にも、獄寺はよくコンビニに寄っており、外食と出来合いのもので食事はほぼ済ませているはずだ。
そんな状況を知っていたので、実家で手伝いがてらにしている程度の自分の料理でも、ないよりはマシかと思ったのだ。普段の食事では栄養が偏っているだろうし、どう見ても野菜を食べそうなイメージもないので適当に買い込んできたのだが、ここまであっさりしたキッチンを見ていると違った不安が生まれてくる。
「ああ、好きに使えよ」
「……。」
シンク脇に買い物袋を置き、獄寺の許可を取ってから真っ先に山本が向かったのは冷蔵庫だ。
コンロの横に無造作に置かれているのは、塩とコショウの瓶だけなのだ。調味料を置くためと思われる棚はキッチンに予め設置されているが、そこには何故か即席麺が斜めになって捻じ込まれている。かろうじて鍋とフライパン、それにやかんはあるようだが、他の調味料は分かったものではない。実家の関係で、基本的に和食に慣れている山本には塩とコショウだけで何かを作れる自信はない。せめて他にないのかと思い、冷蔵庫に手をかけたところでツナがスタスタとやってきていた。
「山本、オレも手伝うよ」
「いいって、ツナは座ってろよ? オレが適当に作ってやっからさ」
「そんな十代目っ、オレなんかのために……て、山本ォ!?」
ツナが来れば当然ついてくる獄寺だが、いきなり背後で叫ばれて山本はビクッと肩を揺らしてしまった。どうやら冷蔵庫を開けてしまったことを非難しているようだが、好きに使っていいと言われたばかりだったので、怒鳴られる理由が分からない。へそくりでも冷蔵庫に隠していたのか、と気にせずドアを全開にして覗いてみれば、冷蔵庫の中は液体ものばかりだった。
「……ああ、ケチャップはあるのか。けど、やっぱ醤油とかはねえみたいだな」
「山本、感想はそれだけかよ……!!」
真っ先に目がいったのは、当然ドアポケットに入っていた調味料だ。イタリアから輸入でもしているのか、アルファベットがラベルに踊るいくつかの瓶はいずれも和食にはあまり向いていない代物ばかりだ。だが逆に考えれば、獄寺はそういう味付けの方が慣れているということなのだろう。ツナよりはマシだろうという程度にしか料理の腕に自信がないのですっかり自分の得意分野を作るつもりだった山本だが、やはり食べる人に合わせた方がいいかとも思い直す。洋食、特にイタリアンと言われてもいまいちピンとこないが、適当にやればなんとかなるかもしれない。
冷蔵庫にあった調味料を見てそんなことを思っている間に、何故か獄寺は呆れたように後ろでぼやいていた。他にどんな感想を言えばいいというのか。改めて冷蔵庫へと視線をやっていると、後ろからツナがひょいっと覗き込んでくる。
「なになに、何か面白いものでも入ってる?……あ」
「十代目……!?」
「そういやコレ、なんだ?」
いわゆるドアポケットの方ではなく、棚には封が開いていない飲み物が横置きになって大量に詰め込まれていた。酒とミネラルウォーター、牛乳に混じって、唯一瓶でも缶でも紙パックでもない液体が入っていた。カタチとしてはゼリー状の携帯非常食のパックに似ているが、透明なビニール製のその中身にはトマトジュースのような真っ赤な液体が詰まっている。既製品のようなラベルはなく、ただ無造作に貼られた白いシールに獄寺の手書きと思われる文字で日付だけが入っていた。手にしてみればそれなりの量があり、普段山本が飲んでいる牛乳パックより若干軽いくらいだった。
タプン、と揺れた気がするそのパックをまじまじと見下ろしていると、ツナとは反対側にやってきた獄寺にそのパックを奪われる。そして冷蔵庫に戻されつつ、またため息をつかれてしまっていた。
「だから、こっちでもねえだろ。無視されたらされたでなんかムカツク……!!」
どうやら獄寺が見れたくなかったものは赤いパックでもなかったらしい。この赤いパックは戻したものの他に二つほど冷蔵庫の中に入っており、いずれも日付が違っているようだ。
「ご、獄寺君、ちなみにアレ、なに……?」
顔を引き攣らせて尋ねているツナは、中身の想像がついていたのだろう。だが山本はこのときまでトマトジュースかなにかだと思っていたため、あっけらかんとして答えた獄寺に少しだけ驚いた。
「ああ、万が一のときの輸血用っス!! 自分の血が、一番手っ取り早いっスからね!!」
「や、やっぱりそうなんだーっ!?」
「血? 獄寺、自分で抜いてんのか?」
よく見れば、パックの横に採血用と思われる針のようなものがまとめて突っ込まれていた。そんなものを一緒に冷蔵庫に入れておくのはどうかと思ったが、冷やすのにはちょうどいいのかもしれない。しかも、自分の血を自分に輸血するのならば、ひどく合理的な話だ。
だが、改めて山本は冷蔵庫の中を覗いてみる。そして横の獄寺をまじまじと見て、ポンと肩に手を置いていた。
「……でも、あんま効果ないみたいだな」
「ハ?」
「オレとしては、イライラの原因は血の気の多さじゃなくって、カルシウム不足だと思うぜ? まあ自覚して飲んではいるみてえだけど、全然お前落ち着かねえし」
「そうじゃない、そこじゃないよ山本……!!」
空けていないものが一本、飲みかけのものが一本。獄寺が飲んでいるとすれば少しばかり意外だった牛乳が、ドアポケットに入っている。普段から苛立った様子に常々勧めてはいた山本だが、実際に獄寺が実行してくれていると思っていなかったので、若干照れくさくなった。効果のほどは口にもしたように全く現れていない気もしたが、自分の言葉が獄寺に届いていたのだと思うだけで嬉しい。
抑えるつもりもない笑みが漏れ、ニコニコとしてそう言えば、案の定獄寺には嫌そうな顔で怒鳴られていた。
「そんな目的じゃねえよ!!」
「ん? そーなのか?」
それでも見下ろした獄寺は、やや照れているようにも感じられる。すると横で見ていたツナが、なんだか呆れたように尋ねていた。
「獄寺君的に、いずれ山本を呼ぶつもりでの用意だったの……?」
「違いますよっ、いや呼ぶつもりというか連れ込むつもりがなかったて意味じゃないですけど!? ただ、オレが好きでもねえ牛乳なんざに頼るしかねえって思ったのは、その……!!」
この、角度が。
そう苦しそうに唸った獄寺は、ツナに答えつつも山本を見上げてきていた。
切なそうな瞳に射竦められている山本ではなく、傍で見ているツナには獄寺の意図することは実によく理解できていた。だが一向に理解できていない山本に、獄寺は逆に両肩に手を置いてきてぐいっと下へと押す。
「山本、お前ちょっと床に膝つけよ」
「あ、ああ……?」
「獄寺君……!?」
自称はともかくとして、山本は獄寺より十センチは身長が高い。それが、床に膝立ちするような格好になれば目線の高さが逆転するのは当然だ。むしろ低くなりすぎたことに気がついたのか、自らも若干身を屈めた獄寺は、いきなり山本の頭を抱え込むようにしてギュッと抱きしめてきていた。
「だから!! ……十代目、オレ、ほんとはこれくらいの身長差になりたいなあって」
「ああ、うん、そんなことだろうと思ったけど、このままここでキスしたりするのかと思って焦ったよ……!!」
けどこの野球バカがひょろ長いから、とぼやいている獄寺は、どうやら背を伸ばしたいようだと山本でもいい加減理解できていた。確かに学年でも山本はかなり背が高い方だが、中学生くらいで男子は大抵背が伸びるものだ。たまたま自分は伸び始めるのが早かっただけだと山本は思っているし、獄寺も決して低いわけではない。実際あと数年して、高校生になった頃には逆転していてもおかしくないとすら思っているのだ。だがそれでも気にするヤツは気にするんだろうな、くらいにしか思っていなかった山本は、背伸びしたがっている子供くらいの感覚で獄寺を微笑ましく見守っていた。そうして抱きしめられるままになっていると、ふと獄寺が気がついたらしい。
「あっ、スイマセン十代目、オレ飲み物一つ出してなくて……!!」
気がきかなくて、と焦っている獄寺は、今更のように歓待していないことを思い出したらしい。確かにお茶の一つも出されていないが、そもそも自分たちは見舞いできたのだ。獄寺の性格的にも期待していなかったが、ツナに対してはとても誠実なのでひどく恐縮したのだろう。
「い、いいよ、気を使わないで!? ……大体、もう冷蔵庫の中身見ちゃった後じゃ、出される飲み物も選びようがないっていうか」
無難なところでお茶かコーヒー、ジュースだろうが、そのどれもこの家にはなさそうだ。自分たちが訪問するまで寝ていたのであれば当然買い出しに行っていないだろうし、そもそも怪我人を出歩かせるつもりもない。突然押しかけてきたも同然な自分たちに気を使わないでくれ、と重ねたツナに、獄寺はひどく申し訳なさそうだった。
「そうですか? それならいいんですけど、今度からはちゃんと何か用意しときますんで、今日のところは勘弁してください十代目っ」
だがいつものような詫びの言葉を返した獄寺に、山本は意識せずにビクッと肩を震わせた。
率直な本音で言えば、いいなあ、と思ったのだ。歓待を約束されたことではなく、次、というものをごく自然に示されたことに対してだ。そう考えれば、これまでツナがこの家に来たことがなかったのは、単純に機会がなかっただけなのだろう。こうしてキッカケさえあれば、すぐに次回へと繋がるツナを凄いと思った。自覚したくはなかったが、羨ましくもあった。
つくづく、どうしようもない。
本人を前にしているときは感じなくてすんでいたはずのどうしようもなさが、山本の肩にずっしりとのしかかってくる。依然抱きしめるようにして回されている獄寺の腕がその重みの象徴である気がして、鬱陶しくもあった。かといってこの体温を自分から振り解くこともできず、ただ自分は押し潰されたりしないと、誰に主張したいのかも分からないままで山本はようやく腰を上げていた。
「おわっ……!?」
「ところで獄寺、エプロンとかないのか?」
床に膝をつく体勢から、そのまま背筋を伸ばして立ち上がる。何故か腕を離すことのなかった獄寺は自然と床から踵が浮く。その様をぼんやりと見下ろしていた山本は、ふと獄寺の足の怪我を思い出していた。つま先立ちでは痛めた足首に負担がかかるかと心配し、さして深い意味もなく両腕を背中へと回してやる。
「なっ……!?」
「や、山本、なにしてんの……!?」
「へ? ああいや、そういやコイツ、怪我人だったなあって」
ずっしりとした重みは、今では肩だけでなく抱えた両腕にももたらされていた。身長差があるので抱え上げることはさほど難しくはなく、完全に床から足が離れた獄寺は不安定な体勢に怯えたのか、しっかりとしがみついてくる。
その重みも、体温も、先ほどよりずっと心地よく感じられた。よりしっかりと腕に馴染ませたくて、一度上に揺らすように獄寺の体を持ち上げてから、腰の後ろと脚の裏辺りにそれぞれ腕を回し直せば、横からツナがひどく慌てたように尋ねてくる。それに淡々と答えていれば、今では随分頭が高い位置にある獄寺に、こちらの短めの髪をムギュッと掴まれていた。
「山本おろせっ、なにガキみたく抱えてあげてきてんだ!? オレはそんなに重傷じゃねえよ!!」
先ほども身長のことを気にしていたと発言したばかりの獄寺なので、また子供扱いされた気がして機嫌を損ねたらしい。げしげしと膝で蹴ってくるのは若干痛いとは思ったものの、山本は気にせずさっさと歩き始める。
「いいから、お前は座って休んどけよ? メシならできるだけ早く作ってやっからな」
「だからって、こんなふうに運ばれる謂れは……!!」
「なあそれより獄寺、だから、エプロンは?」
ソファーのような気の利いたものはない居間なので、寝床だと言われた毛布の束へと連れて行こうとしていた山本だが、その前に一つ借りたい物があったのだ。学校から直接やってきたため、当然山本たちはエプロンなど持参していない。一見すれば生活感のない獄寺の部屋なので当然エプロンは見当たらないが、先日の家庭科の調理実習の際に黒っぽい片掛けのものをしていたことを覚えている。調理実習などくだらない、という態度ではあったが、サボりすぎて沢田さんにご迷惑をかけるわけには、といういつもの常套句でいそいそと参加していた。種類は違えども、厨房に向かない人種という意味では獄寺はビアンキと確かに姉弟だ。その自覚は持ってくれたようで、三角巾もつけずに調理実習室の窓によりかかって煙草をふかすだけだった獄寺だが、できた料理はちゃっかり食べていた。同じ班だった山本は、普段の購買やコンビニでの昼食より随分嬉しそうだった獄寺に、もちろん同じ班だったツナの手料理だとあんなに幸せそうな顔をするのだなと思ったものだ。
エプロンのことからいろいろ芋蔓式に記憶が甦った山本は、やはりツナに手伝ってもらった方がいいかとも思い直す。お世辞にも手際がいいとは言えないツナなので、下手に共同作業で怪我でもさせてはいけないと考え、ご遠慮願うつもりだったのだ。だがやはり、ここは食べる方の気持ちを優先させるべきではないのか。料理の国籍より、味より、作った人間で喜びの程度が最も左右される。そうであるならば、いっそツナにすべて任せてしまった方がと山本が考え込んでいたところで、再びガシッと髪を鷲掴みにされていた。
「……獄寺?」
「テメェ、聞いてんのかよ? だから、寝室にあるって言ってんだろ」
どうやらエプロンの所在を教えてくれていたらしい。すっかり耳に入っていなかったことを軽く詫びつつ、相変わらず抱え上げたままの獄寺に山本は自然と聞き返していた。
「で、寝室って?」
後ろの方で、ツナが、いってらっしゃーいっ、と他人事のように手を振って見送ってくれていることにも気がつかず、山本は居間から廊下へと出る。最も効率的な方法としては獄寺に寝室からエプロンを取ってきてもらうことだが、足を怪我していることを考慮すれば避けて然るべきだろう。そう考え、獄寺を抱えたまま廊下でそう尋ねれば、獄寺も諦めたのか山本にしっかりとしがみついたままで片手を軽く示していた。
「……そこ曲がって、突き当たり」
「オレも入っていいのか?」
「ダメだからオレが一人で取ってくる、つったら下ろしてくれんのかよバカヤロウ」
ため息混じりに返してくる獄寺に、確かにそら無理だなあと笑ってすたすたと足を進める山本だが、実際に下ろせと強硬に暴れられればいつまでもこうしておけるとは思っていなかった。許されていることに少しだけ嬉しくなりつつ、言われたとおり廊下を曲がった先のドアへと向かう。そして片手でノブを回し、開け放ってみれば獄寺は一方の壁へと手を伸ばす。
「おおっ、やっぱスゲェな」
パチッ、と音がしてスイッチが入った照明は、分厚いカーテンが閉められたままの寝室を明るく照らし出していた。ダブルベッドでも余裕で入りそうな広さの寝室だが、中央より若干左にズレて置かれたシングルサイズのパイプベッドは、ほとんどベンチ代わりにしか利用されていないようだ。ツナも含め、山本が最初に居間で想像したような光景がそこには広がっていた。
備え付けのクローゼットは半分近く開け放たれたままで、普段からここが寝室としては使われていないことを暗に示している。ジャケットやシャツはすべてハンガーに掛けられ、きちんと整理されていた。意外と几帳面だとは知っていたが、ここまでだと少し尊敬してしまう。
ほんの少し、散らかっていることを期待したのも事実だ。野球部のチームメイトの部屋などに行った際の経験から言えば、山本の部屋はかなり片付いている方だ。よって、ただでさえ一人暮らしで強制的に片付けてくる母親もいない獄寺の部屋が散らかりでもしていれば、片付けを理由に押しかけてこれそうな気がしていた。
「……なんだよ」
「え? ああ、なんか思ったより、ていうか思った以上に? 片付いてて、残念だなって」
「ハァ?」
よく考えずとも、なんとも失礼な話だ。たとえ獄寺が片付けられないタイプだったとしても、自分などに私物を触られたくないだろうとはすぐに分かる。むしろなんでもいいから理由を探していた自分の浅ましさにも嫌気が差していたところで尋ねられ、あっさりと答えてみれば当然獄寺には妙な顔をされていた。
「なんで、片付いてんのが残念なんだ」
「いやだから、散らかってたら片付けてやろうかとか、これからも片付けに来れるよなあとか、まあいろいろ思ってたんだけど……ああ、学校関係てこっちか?」
寝室内を見回していると、クローゼットの一画に制服を見つけていた。夏服、冬服共にそこに掛けられているので、学校関係の服飾はそこにまとめられているのだろうと勝手に予測をつけて山本は足を進める。だがその間に、何故か抱えた獄寺がひどく悔しそうに唸っている。
「……クッ、オレがもっとダメ人間だったら!!」
「獄寺……?」
「山本を連れ込む理由もあったってのに、くそぅ、自分の出来の良さが今は恨めしいぜ……!!」
もしツナがいれば、盛大に聞き返してくれたであろう獄寺の独り言だったが、当然山本には理解されることはなかった。せいぜい理解できたのは、整理整頓がちゃんとできるのは確かに褒められるべき美徳だろうという点のみだ。
よってさして気にせず制服がかかっている前に立てば、獄寺に髪を引っ張られる。
「なあ、いい加減おろせっての。マジでそんなに大した怪我じゃねえんだよ、エプロン出してやっから、今だけでもおろしやがれ」
手前にはハンガーにかかった制服のジャケットやシャツがあるが、その奥に棚が見える。半透明の引き出しには冬用のセーターがかろうじて判別できることからも、その棚にやはり学校関係のものはまとめて仕舞われているのだろう。いちいちすべてを開けて確認したいとまでは思っていなかったので、山本は言われたとおり身長に獄寺を床へと下ろしてやる。離れていく体温を名残惜しく感じたが、するりとあっさり外された獄寺の腕は当然未練も何も感じていないようだった。それも当然だよなあ、と凹みそうな自分に笑っている山本には、男の寝室に迂闊に入ってくるなだとかむしろ誘ってるのかこのヤロウなどと獄寺はぶつぶつ呟いていたが、やはり山本には聞こえていなかった。
獄寺が殊更視線を合わせないようにしてエプロンを探している間、山本はクローゼットではなくベッドがある部屋の中央を向いておく。何か気を使ったということではなく、単に感心していたのだ。この年頃では、ファッションなどに対して興味が向く男子とそうでない者がはっきりと分かれてくるようになる。獄寺は前者の典型で、自分は後者の典型だ。服装だけでなく、髪型やアクセサリーなど、外見を気にする男は多い。だがそういった者が陥りがちな、外から変えていこうとする傾向は獄寺には見られなかった。
むしろ内面が元々特異なため、それが服装などの外身にも滲み出ているような印象だ。それだけの個性と、自信を持った獄寺は素直に凄いと思う。好ましい、と表現しかけた自分にやや戸惑ったところで、山本はいきなり後ろからバサッと黒い布を被されていた。
「うおっ……!?」
「なにぼんやりしてんだよ、ほら、コレ」
「あ、ああ……!?」
突然だったのでかなり驚いたが、どうやら獄寺はエプロンを出してくれていたようだった。黒い布はそのまま後ろでぐいっと引っ張られ、更に前にも回された手でようやく視界が明るくなる。着せられたらしい、と山本が気がついたのは、腰の後ろで獄寺が紐をホルダーに通してからだ。ワンショルダータイプのエプロンは、肩紐をもう一方のウエスト紐を腹の前で結ぶ。肩の上に顎を乗せるようにして後ろから覗き込みながら器用に結んできてくれる獄寺に、またつま先で立たせて足に負担をかけているのでは、と山本は不安になっていた。
「なあ、獄寺……。」
大体、エプロンを借りるつもりはあったが、それを山本がつけるかはまだ迷っていたのだ。
どうせエプロンは一着しかないのだろうし、ならばメインで料理をする者がつけた方がいいに決まっている。自分がするよりツナの方が喜ぶのでは、と思い直していた山本なので、こうしてあっさり着せられると迷ってしまう。だが獄寺はツナを敬愛しているからこそ、手料理は謙遜してしまうかもしれない。ならばやはり自分がさっさと作ってやった方がいいのだろうか、と思っていたところで、獄寺が後ろでぼやく。
「……う、やっぱやりにくい。山本、ちょっとこっち向け」
「ん?」
どうやらやはり身長差からか、肩越しにこちらの腹の前を見下ろすのは難しかったらしい。あまりキレイには結ばれていない紐は獄寺も分かったらしく、そう促されて肩を押されたので山本は素直に振り返ってやっていた。
すると妙なところで几帳面な獄寺は、向かい合った山本のエプロンの紐を一度解いてから結び直してくれていた。正面からの方がやりやすかったのか、今度は簡単にキュキュッと括ることに成功する。蝶々結びではない片輪だが、これも獄寺らしいと見下ろした山本は思う。どうやら獄寺も満足したようで、少しだけ捻れていた肩の部分を直してくれながら顔を上げていた。
「これでヨシ、と。結構サマに……?」
「獄寺?」
黒は誰にでも似合う色だと聞いたことがあるので、きっと獄寺もこの黒いエプロンが似合っていると褒めてくれるつもりだったのだろう。だが正面から見上げてきた獄寺は、何故か言葉半ばでそれを飲み込み、急に視線を逸らす。
「……やばい、脱がしてえ」
「はぁ? ああ、オレ、そんなに似合ってねえか?」
そうして苦しそうに呟かれた言葉に、山本は怪訝そうに首を傾げていた。
確かに自分は獄寺と違い、オシャレなどに微塵も長けていないが、エプロンすら似合わないほどだっただろうかと思ってしまう。あるいは、エプロンだからこと似合わないのかもしれない。実家が寿司屋で、一応料理人に含まれる父親を見て育ったため、料理をするのは女の人という感覚が山本にはほとんどないのだ。だがもしかすると獄寺はそうでないのかもしれず、普段は野球ばかりでガサツな印象しかないだろう自分がエプロンをしている姿は違和感なのだろうと思ったところで、獄寺に否定されていた。
「いや……似合ってる、気がする」
「あ、そうなのか? まあそれならいいんだけど……?」
「よかねえよっ、いいワケねえだろ!? 大体なんでオレの着せられてんだよっ、着せたのオレだけどな、そういう問題じゃねえ!! そもそも最初から言いたかったんだ、なんでお前メシなんか作りきてんだよ、部屋の片付けとかしてくれるつもりだったんだ!? 花嫁修業かっ、同棲準備か、それとも新婚気取りかこのヤロウ無駄に煽ってきてんじゃねえよバカ!!」
だが、次第に声を荒げて怒鳴ってきた獄寺に山本は面食らう。
「えっ、あ、獄寺? その、オレいっぺんにいっぱい言われてもよく分かんねえっていうか……!?」
内容どうこうの前に、性能がよくないと自覚している頭では全く理解できないのだ。とにかく怒っている獄寺を宥めなければ、と焦って曖昧に笑ってそう言ってみれば、案の定ギッと視線をきつくして睨まれた。
「……ゆっくり端的に言ったところで、どうせテメェは理解できねえだろうが」
「え? ああ、そういやそうかも……?」
「納得してんじゃねえっ、体で分からせてやるぞこのバカ!!」
確かに短い言葉で言われても理解できないことが多い、と頷いたところで、余計に怒らせてしまったらしい獄寺にいきなり突き飛ばされていた。全く予想していなかった山本は、少し後ろにあったクローゼットにガンッと背中を打ちつける。どうやらココの扉は閉まっていたらしい、と気がつく前に、両肩を押さえつけてきた獄寺によって山本はクローゼットに背をつけたままで下へと座らされる。
「おわっ、獄寺……!?」
「山本……!!」
ずるずると背中で滑って腰が床へと落ちた頃、肩を押す方向が下から後ろへと変更される。要するに獄寺によって、背後のクローゼットに押さえつけられた。そしていつの間にか同じように床へと膝をついてしゃがみこんでいた獄寺は、苦しそうに一度名を呼んできた後、躊躇なく唇を塞いでくる。
「んんっ……!?」
なにがどう引き金になってこういう行動に出させたのかはさっぱり分からない山本だったが、なんとなく嬉しいと感じていた。着せてきたばかりのエプロンの下に手を差し入れ、獄寺は制服の方を脱がそうと指先を蠢かしてくる。最初から舌を絡ませた深いキスを施され、自然と思考がぼやけていく山本はほとんど無意識のうちに獄寺の背中に腕を回したところで、唐突に寝室のドアでの叫び声を聞いていた。
「……どうしたのっ、なんか凄い音がしたけど一体何がって、ギャアアア、ごめんなさい!?」
「あ、ツナ……?」
「え……て、十代目!?」
すっかり忘れかけていたが、そもそもこの家にはツナと一緒にやってきていたのだ。エプロンを取りに行ったまま戻ってこない自分たちを心配していたのかもしれないし、クローゼットにぶつかった際の音はそれなりに大きかったので響ききもしたのだろう。何事かと慌てて駆けつけてくれたらしいツナだったが、寝室の入り口で自分たちを見つけた途端、絶叫の後にいきなり謝罪していた。
「ご、ごめんね、オレほんっと不粋で!? 邪魔するつもりじゃなかったんだっ、オレ、もう帰るから……!!」
それじゃっ、と踵を返そうとしたツナを呆然と見送りかけるが、その直後にパァンと澄んだ音が響き渡った。
「ツナ、ここで帰るのは感心しねーぞ? まだ山本のメシ食ってない」
「リボーン、いたのかよ……!!」
「リボーンさん!?」
「おお、小僧じゃねえかっ」
いつの間に、と驚いていると、相変わらず玩具の銃を構えたリボーンは、ちゃおっスと挨拶してくれていた。それに山本が軽く手を挙げて応えていると、ツナの親戚か何からしい幼児はすたすたとこちらに近づいてくる。そしていつものように山本の肩に乗ってきたところで、リボーンがポンと獄寺の手を叩いていた。
「……獄寺、独り占めはさせねえぞ」
「小僧、なに言ってんだ……?」
「り、リボーンさん、オレそんなつもりじゃ……!!」
よく分からないが、ツナも帰り損ねたようで寝室の入り口辺りに立ち尽くしているし、どうやらリボーンもご飯が食べたいようだと山本は理解する。だがリボーンの言葉に、獄寺はよく分からない反論をしていた。
「そら山本を食べたいとは思いましたけどっ、山本の作るメシまで独占するつもりじゃなかったんですよ!!」
「獄寺、お前もなに言ってんだ……?」
「獄寺君、正直すぎるよ……!!」
「獄寺、死ぬか?」
チャキッ、と先ほどツナに撃ったばかりの玩具の銃口を向けられ、獄寺は顔を引き攣らせる。こいつもなんだかんだで子供の遊びに付き合いがいいよなあ、と笑いつつ、山本は肩にリボーンを乗せたままでさっさと立ち上がっていた。
「山本っ、リボーンさん……!!」
「獄寺、仮にもボンゴレファミリーの一員ならもうちょっと自制しろ。というか単にムカついただけだけどな、山本はまだガキなんだからがっつくだけじゃ気持ちは離れるばっかりだぞ」
いまだ床に膝をついている獄寺に、肩に乗せたリボーンがそんなことを言っている。それに獄寺はハッと息を飲み、口惜しそうに視線を逸らしているので思うところはあったらしい。だが自分の名前が入っていてもさっぱり理解していない山本は、肩のリボーンを軽く小突いていた。
「オイ小僧、チビにガキだって言われるほど子供なつもりはねえぞ?」
確かまだ一歳くらいだったはずの赤子に山本はそう言うが、リボーンはニヤリと笑うばかりだ。
「……オレからしたら、山本、お前は獄寺以上のガキだけどな。まあお前はそのままでもいい、というか自覚して獄寺のモノになるのもなんかムカツク」
「ハァ?」
「リボーンさんっ、それってどういう意味ですか!!」
「いや獄寺君、リボーンが山本のこと気に入ってるっていうか妙に特別扱いしてるのは今更じゃないっていうか……?」
「山本が自覚したらオレのモノになるんですかっ、期待していいってことですか!?」
「て、獄寺君そっちーっ!?」
すがってくる獄寺を銃声で黙らせていることには気がつかず、山本はただリボーンの言葉だけに面食らう。そして肩に乗せているので首を傾げられはしなかったが、キョトンとしたままで尋ねていた。
「……なに言ってんだ、小僧も? つか、オレがなに自覚したら獄寺のモノになるんだ?」
「教えてやらねーよ、なりたきゃ自分で考えな」
相変わらずなリボーンの物言いが、このときばかりは少し残念だった。そう思ったのが伝わったのか、リボーンは本当にわずかに表情を曇らせると、珍しく言い直していた。
「……知りたきゃ獄寺に聞け、オレが言えるのはここまでだ」
「ふーん、まあ、よく分かんねえけど。ならそのうちきいてみっかな、小僧、ありがとな!!」
「礼を言われるまででもねえ、感謝はメシで示してくれればいいぜ」
そんなふうに言ったリボーンに気を良くして、ガシガシと頭を撫でてやりつつ寝室を出た山本は、ようやくエプロンも着たことだしとキッチンに向かって料理を始めることにしていた。
そのため、寝室に残されたままだった二人、獄寺とツナの会話を聞くことはなかった。
「……。」
「獄寺君、しっかりして……。」
いい場面をツナに邪魔され、更に山本をリボーンに攫われた格好になる獄寺はいまだ床に膝を突いたままだ。四つん這いに近い状態で蹲った獄寺に、ツナは気遣わしげな声をかけるが、しばらく獄寺はそのまま呆然としていた。だがやがてキュッときつく唇を噛み締めると、突然ガッと床を殴る。
「ご、獄寺君……!?」
「……十代目、オレ、決めました」
なにを!? リボーンを殺るつもりなら確実に返り討ちだから思いとどまって!? と叫ぶツナの声は耳に入らないようで、獄寺はゆっくりと立ち上がる。そして寝室の中の、比較的貴重品などが置いてある棚へと向かう。いつかは渡したいと思っていたものを取り出すと、獄寺はそれをギュッと手の中に握りしめていた。
「獄寺君……?」
「十代目、オレ、オレは……!!」
どうやらリボーンへの殺意とは違ったところに火がついたらしい。握り締めたものを傍で見ていたツナはそう解釈し、ほっとしたものか、よりいっそうの混迷を危惧したものか、判断に迷っていた。
凄みを増し、据わった目で寝室から出て行く獄寺を見送るしかできなかったツナだが、そこで遅れ馳せながらおかしなことに気がつく。
「……あれ? そういや、山本って」
はっきりとそうだと言ったわけではないのだが、自覚する方法やそれ自体をリボーンに尋ね、拒まれて落ち込んだ様子だった。そう感じたからこそ、リボーンも珍しく獄寺に聞けなどとアドバイスを重ねたのだろう。
ツナとしては山本にまで自覚、要するに恋心など持たれると厄介になって仕方ないと思っているが、それは第三者の感想に過ぎない。どちらにしろ今現在さっぱり自覚のない山本が、自覚したいと示したことが問題なのだ。それがどんなものか分かっていないくせに、自覚して、そこから繋がる事態を山本は望んでいるということになる。
「……。」
現実はどうなるか分からないにしろ、あのときリボーンが言っていたのは、自覚すれば山本は獄寺のモノになるという趣旨だった。
要するに、そうなりたいのだと。
言外に匂わせた山本は、まさに天然だと痛感する。
「山本、お前ってホントに……!!」
罪作りだというレベルは超えている、とガックリとその場にしゃがみこんだツナはため息をついていた。これでは獄寺も堪らないだろう、と他人事ながら心から同情する。ただでさえ過大解釈しがちな獄寺なのだ、しかもそれが勘違いでないのだから煽られる一方に違いない。
つくづく傍迷惑だとは思うのだが、ここまで両想いのくせにやたら悲恋がましい二人なので、傍で見ていてつらくなってくるのも事実だ。先ほどの獄寺の勇気が功を奏すかは分からないが、少しでも発展してくれればいいと心から願う。それがひいては自分の心の平穏にも繋がるはずだ、と自己暗示をかけ、いろんな意味での戦場になっていそうな居間へとツナは自らも勇気を振り絞って戻ることを選択していた。
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