■恋してた
-03.
「なあ、獄寺……?」
「……。」
「ええっと、あの……その、どうしたんだ……?」
「……。」
「というか、オレはどうすればいいんだ……?」
困惑したまま尋ねてみても、色素の薄い髪は揺れることなく、緑がかった瞳を拝むことも叶わない。
一体、どうしたというのか。
さっぱり事態が理解できないのだが、唯一確かなこともある。
「なあ……怒ってるんなら、オレ、帰るけど?」
「……。」
振り向いてくれないのは、顔も見たくないという意志表示だろう。それにも関わらず、おずおずと退散を申し出てみれば、ビクッと獄寺は反応を返すのだ。
寝床代わりにしているという毛布を敷布代わりにして、二人して床に座りこむ。後ろから抱え込むような格好を強要されれば、まるで背もたれにでもなった気分だ。そんなことを思って山本がため息を深めるのは、すがるような体勢でも触れさせてもらえている獄寺の体温に、自分自身はどうしようもなく喜んでしまっているからだ。
獄寺を怒らせて、あまつさえ怪我を悪化させておきながら、自分は一人勝手に胸を弾ませている。
泣きたくなるほどの居たたまれなさと、罪悪感、なにより沈黙を押し通している獄寺に山本はもうどうしていいのか分からない。基本的に沸点は低くキレやすい今時の若者然としている獄寺だが、こんなふうに怒っているのは見たこともなかった。ただでさえ獄寺の言葉は不可解なものが多いのに、それすらなくされると本当に途方に暮れてしまう。
たぶん、獄寺に嫌われてしまった。
こんなにも怒っているのだから当然だろう、と自分を説得しかけて、容赦のない現実に思わず体が震えた。
「……山本」
「あ、獄寺……?」
足を開いて床へと座り、前に座る獄寺の腹の辺りへと両腕を回している。思わず震えたことで、腕を外し、立ち去るとでも思われたのか、久しぶりに獄寺が名を呼んでくれていた。
だがすぐに、また沈黙が部屋を占める。それでも少しだけ怖くなくなったのは、腹の前に回している腕を、獄寺がギュッと押さえつけてきたからだ。やや痛みも感じるその仕草は、まるで離したくないようだと山本は思う。誤解だけでもさせていてほしいと願いながら、振り返らない後ろ頭を見つめていると、また不意に獄寺が口を開いていた。
「……もう帰さねえからな」
「獄寺……?」
「……。」
唐突に、絞り出すような声で苦しそうに言った獄寺は、それきりまた黙ってしまった。
これではまるで、本当に自分を帰したくないようだ。性懲りもなく弾んでしまいそうな胸が情けなくて、山本は思わず後ろから獄寺の肩に顔を伏せようとして、投げ出されている足が視界に入っていた。
ぐるぐると包帯が巻かれ、手当てはしてある獄寺の右足首。
その責任を感じてまた胸の奥がキュッと冷たく締め付けられた山本は、何も言ってくれない獄寺にどうすれば許されるのか分からず、ただじっとすがりつくように抱きしめるしかなかった。
そんなふうに二人が沈黙で寄り添うことになる数十分前、実は一度山本は獄寺の家を出ていた。もちろんツナとリボーンも一緒で、日も暮れて久しい時間帯ということでいい加減辞したのだ。
「それにしても、山本ってほんと料理できるんだ。オレ、びっくりしたよ」
「そうか?」
四人での食事を終え、ドアを閉めた直後にそう切り出したツナに、山本はリボーンを肩に乗せたままエレベーターへと向かいながらそう返していた。
いろいろ騒動はあったものの、無事にエプロンを借りて今度こそ台所に向かった山本は、途中ツナにも手伝ってもらいながらなんとか夕飯を完成させた。寿司以外の料理も一通りこなせる父親の料理に慣れている山本にすれば、まだまだ子供のママゴト程度だという認識だ。それでもツナやリボーンは喜んでくれたし、獄寺も無言で食べてくれていた。賛辞など期待していなかったので、その食べっぷりだけでも山本は本当に嬉しかったのだ。もちろん獄寺は単に新妻のようだと照れて無口になっていただけなのだが、山本が気がつくことはない。
そうして食事を終え、食器を洗い終えた頃にはいい時間になっていた。最後まで足の怪我に一言も言及しなかった獄寺だが、玄関まで見送りに出る頃には引き摺る様子を隠せなくなっていた。
きっと、もうツナも気付いていただろう。
だが、そんなツナの前では獄寺は強がって絶対に手当てなどしない。
明日が平日ということを考えても、まだ遊んでいて大丈夫な時間帯ではあった。それでもツナがそろそろ帰ろうと言ったのは、自分たちがいては獄寺の怪我が悪化するばかりだと察したからだ。少しだけ後ろ髪を引かれるものがあったが、山本も素直にツナに頷いておいた。そしてエレベーターに向かいつつも、思考は他のことに囚われている。
「ああ、悪くなかった。ファミリーの一員として誇らしく思っていいぞ」
「こらっ、リボーン!! お前はまた……!!」
「……。」
なんだか制服のポケットが、妙に重い。実際の重量以上に、ずっしりと重く圧し掛かってる気がする。
「ツナもボスとして嬉しいだろ?」
「だからっ、山本はマフィアとかまだ分かってないんだから……!!」
「……。」
玄関口でツナが靴を履き、続いて自分も靴を履いた。屈んでいたところにリボーンが肩に乗ってきて、そのまま立ち上がったところで獄寺に手を引かれたのだ。
バランスを崩しかけて慌てて堪え、ほっと息をついたところで制服のズボンのポケットに何かを突っ込まれた。獄寺の手から滑り落ちる際にチラリと見えたその影は、見間違いでなければ鍵のようだった。
「だがファミリーの一員には違いないからな、もう」
「ああもうっ、だからお前勝手に……て、山本?」
「……え?」
指先での感触も、確かに鍵のようだ。
そう思えたということは、無意識のうちに自分のポケットに手を突っ込み、確認していたということになる。不思議そうに横から名を呼ばれ、慌ててそちらを向けばツナが不思議そうに見上げてきている。気がつけばもうエレベーターの前に立っており、下に向かうボタンも押されているようだった。
「どうした山本、気になることでもあるのか?」
「そ、そういうわけじゃねえけどよ……。」
肩に乗せたリボーンからも怪訝そうに尋ねられ、変な動揺を隠しきれない。
玄関のあの場で、ツナやリボーンがこの鍵を渡されていた場面を見ていなかったとは考えにくい。だが、果たして渡されたものが鍵だとまで気がついていたのか。なによりもまず、獄寺は何を考えてこの鍵を自分に渡してきたのか。そして、この鍵で何が開くというのか。
「オレはまた、獄寺の部屋に忘れ物でもしてきたのかと思ったぜ?」
「えっ、あ、いや……!?」
「ちょっと、リボーン……!!」
ニヤリと笑って揶揄するように言ってきたリボーンに、更に動揺は増すばかりだ。
忘れ物、というか、心残りは確かにあったのだ。不可解な気持ちはあの部屋に置き去りで、胸には相変わらずポカンと穴が開いたような気分である。だがだからといって取りに行きたいようなものではなく、どちらかと言えば、あまり手にしたくない。
ツナには心酔し、リボーンにも一目を置いてそれなりに礼儀正しく接する獄寺だが、今日はまた一段と自分に対しては無視してくれていた。二人きりのときは当然向かい合うことになるが、他に誰かがいると途端に山本を意識から排除してくれるのだ。それは誰がいても同じであり、殊ツナでは程度が激しいというだけの話だ。
元々好かれているとも思っていないし、どちらかと言わなくとも疎まれているのだろう。尊敬するツナの友達、という認識のためか、嫌うというほどの態度ではないが、そうにしても興味がないのは集団でいる際の素っ気なさからも明らかだ。それでいながら手を出してくるのはいまいち分からない心理だが、この辺りはもう何十回も考えて結論が出ないのでは仕方がない。
そんな獄寺が、この鍵を渡してきたのだ。山本が見ていた限りでは、ツナたちに渡していた様子はない。
その意味をわずかな間でぐるぐると考えていたところに、ポーンという軽快な音がエレベーターの到着を知らせていた。
「あ、山本、エレベーター来たよ?」
「お、おう……!?」
「乗らねえのか?」
閉まらないように片手でドアを押さえているツナと、肩に乗っているリボーンがそれぞれ尋ねてくる。
もちろん、乗るに決まっている。
自分もこれから帰宅するのだ。
頭ではそう思っているのに、どうしても言葉が出ない。ついでに足が前に出てくれることもない。一体どうしたというのか、と困惑が深まったときに、ふっとツナが笑っていた。
「ツナ……?」
「リボーン、帰ろうか」
「オレに命令するな、けどまあ今は乗ってやる」
「自分で歩きもしないくせに、お前ほんと贅沢だよなあって……痛てててっ!!」
ひょいっと軽快にこちらの肩からツナの肩へと飛び移ったリボーンは、ギュウギュウとツナの耳を引っ張っている。急になくなった重みに唖然としていれば、リボーンを肩に乗せたままのツナはさっさとエレベーターの中へと入ってしまった。
「えっと、ツナ……?」
しかも、山本を待たずに内側でさっさとボタンを押しているのだ。あっさりと置いていかれる状況に呆然としていれば、閉まりゆく扉の向こうでツナは笑って手を振ってくれていた。
「じゃ、山本。獄寺君によろしくーっ」
「……!?」
「獄寺によろしくしてやりすぎるなよ、図に乗るからな」
赤ん坊のくせに相変わらずニヒルに笑ってそんなことを言ったリボーンの言葉に動揺している間に、そのままエレベーターは閉まり、下り始めていた。
それを見送るしかなかった山本は、ギュッと唇を噛み締める。
当然だが、ツナたちはこの鍵の存在に気がついていたのだ。その上で、後押しをしてくれた。
「……。」
獄寺が渡してくれた鍵があの部屋のものだと仮定した場合、その意図は二つしか考えられない。
一つは単純にこれからも尋ねて来いというものだが、獄寺に限ってそれはないだろうし、なによりその意図なら山本には不要だ。そしてツナたちが後押しをしてくれた、という事実を考えれば、俄然もう一つの可能性の方が高くなってくる。
「……ったく、しょうがねえな」
獄寺はとても意地っ張りで、特にツナの前では右腕たらんとして虚勢を張る。
だが限度というものがあり、今回はたまたま危険域に達したという自覚があったのだろう。そこで頼られたのが自分だと思えば、たまたま居合わせたからだと分かっていても胸が弾まないことはない。小学生のときからリトルリーグで活躍していた山本は、体格がいいことからもいざというときの運搬要員に数えられがちで、ずるずると応急処置まで習った経緯もあるのだ。
そんなことまで獄寺は知らないのだろうが、アテにされたことには違いない。あるいはそんな意図でなく、否定した一つ目のパターンだったとしてもやはり引き返して鍵は返すべきだと山本は思っていた。
「……。」
ツナたちと歩いてきたばかりの廊下を逆に進み、閉められたドアの前に立つ。自然とインターフォンに手が伸びかけるが、それで怪我をした足を引き摺らせて玄関までドアを開けに来させるのであれば本末転倒だと察していた。
そもそも、そのためにこの鍵を渡したのではないか。
ほんの少しだけ、この部屋のものではないという可能性が脳裏をかすめたが、試してみれば分かることである。ポケットに入れたままの鍵を取り出せば、キーホルダーも何もついていない素っ気なさで、恐らくはスペアだったのだろうと思いつつ、山本は思いきって鍵穴へと差し入れてみた。
「……開いた」
オートロック式のマンションの扉は、閉めた際に自然と内側から鍵がかかる。それがあっさりと開く音がしてからの方が、山本はなんとなく緊張してしまった。
鍵を抜き、手の中に収めてから慎重にドアノブ回す。ガチャリと重い音をさせて開いていく扉の先は、もう廊下も明かりが消されていて薄暗かった。
「なあ、獄寺……?」
ツナと一緒に訪ねてきた際とは明らかに違う室内の様子に、自分がチャイムも鳴らさず勝手に開けたからだと分かっていても今更萎縮してしまう。申し訳程度に声をかけながら玄関へと入ってみるが、やはり反応はない。廊下の先の居間からは、ドアに嵌め込まれたガラスを通して明かりが漏れてきているので、そこに獄寺がいるのは間違いなさそうだった。
どうやらドアが開く音も、静かにかけてみた声にも気がついていないらしい。少し悩みはしたものの、どちらにしても用があるのだと自分を奮い立たせ、山本は思いきって大きな声を出していた。
「獄寺ぁーっ、お邪魔しまーすっ!!」
一方的な宣言と共に、支えるようにしていたドアから手を離せば背後でバタンと一際大きな音がしていた。それと同時に明らかに居間の方で気配が揺れるのを感じながら、山本はさっさと靴を脱いで上がりこむ。
「なあ獄寺っ、さっきのコレなんだけどよーっ……。」
居間と廊下を隔てるドアを通しても聞こえるように、殊更大きく告げながら山本はドタドタと足音も響かせる。
こちらから歩み寄っているから、わざわざ出迎えたりしなくていい。
そんな意図を暗に示しつつ、山本はようやく辿り着いた居間のドアノブに手をかけ、少しだけ悩んだ。
「……。」
可能性は二つに一つ。
ツナたちが勘繰っていたように、獄寺は自分に治療しに来いという意図だったのか。
あるいは、今日ではなく今後訪問する際に使えという意図だったのか。
できれば前者であってほしいと祈りつつ、後者であっても鍵を突き返すという用事は存在するので、この訪問そのものは間違っていない。気をつけなければならないのは、獄寺がどちらのつもりだったかということだ。ドアを開けて真っ先に判断しなければ、と自分に言い聞かせてから、山本はドアノブを回していた。
「山本……?」
「……。」
そうして見つけたのは、ひどく驚いている緑がかった瞳だった。
壁に寄りかかるようにして寝床代わりの毛布の中に座っていた獄寺の横には、差し入れとして持ってきていた包帯や湿布が転がっている。ハサミと保冷剤まであるところを見れば、自分で手当てをしようとしていたことは明らかだ。
なにより、続けられた言葉が如実に示している。
獄寺は別に、自分に何も期待していなかったのだと。
「なんだ、忘れ物でもしたのかよ? というか、お前だけか? 十代目とリボーンさんは?」
「……。」
「山本?」
考えてみれば、ベッドでは熟睡できないと言い放つほどの獄寺だ。怪我をしたところで、そう簡単に誰かを頼るとは思えない。ましてや自分などに、と思えば、滑稽すぎて笑えそうだった。
だが事前に想定していたためか、獄寺に不審そうに睨み上げられてもそれほどみっともなく取り乱すようなことはなかった。そうでなくとも、自分にはここに戻る用があったのだ。
「いや、忘れ物じゃねえんだけど、忘れてたことっていうか……。」
「ああ……?」
怪訝そうにしている獄寺は、毛布の波から立ち上がることはない。見れば裾を捲り上げた足首は少し腫れているように見えて、痛みが増しているのだろう。そんな状態なのに、獄寺はツナの前では一言も苦痛を漏らしはしなかった。弱味を見せ、軟弱なヤツだと蔑まれるのが怖いのだろうが、ツナはそんなことをするはずがない。もちろん獄寺もそれは分かっていて、それでも曝け出せないのであればもう本人の自由だ。
そこは尊重してやりたいと思っているのに、やはり痛々しい状態の足首を見ていればつい手を伸ばしたくなってくる。だがツナですら駄目なのに、ましてや自分には怪我をしている部分を触らせてくれはしないだろうと思い、できるだけ視界には入れないようにして山本は居間のテーブルへと向かっていた。
つい先ほどまで、ツナやリボーンと共に夕食を囲んでいたものだ。獄寺が座っている場所からはそう距離はないが、少なくとも手が届くほどではない。
「ほら、さっきココの鍵、渡してくれただろ?」
足を怪我している獄寺が無理に立ち上がったとしても、それだけではやはり届かない位置にあるテーブルに、山本は持っていた鍵を置く。カチンと鳴った金属質な音と言葉で、床に座りこんでいる獄寺にもそれが何かは分かったのだろう。
「最初、よく意味が分かんなくて。怪我の手当てしてほしいのかな、とか思って戻ってきたんだけどよ」
「……そんなつもりじゃねえ」
「ああ、そうみたいだな。まあそれならそれでもいいんだけどよ、手当てはちゃんとしとけよ? じゃあオレ、今度こそちゃんと帰るから」
言うつもりはなかったのに、つい情けない勘違いを吐露してしまったのは何故なのか。
恐らく、このときから既に獄寺の気配に怒気が混じってきていることに気がついていたからだろう。だが敢えてそれを認識しようとはせず、むしろ早く消えてやらなければ強がりな獄寺は手当てを再開しないのではないかということの方が気にかかった。よってテーブルに鍵を置いたまま、退散するために振り返った山本はそこでギョッと肩を竦めてしまう。
「ご、獄寺……?」
立ち上がれない、と思っていた獄寺が、確かにそこに立っていた。壁に手をつき、不安定な様子で体が揺れているのは足の痛みからだけではないのかもしれない。そう思ってしまうほど、こちらを睨んでくる獄寺の瞳がこれまでにないほど殺気立っている。
「山本、それ、どういう意味だ……!!」
「えっ、あ、なにが? ていうかお前っ、歩かねえ方が……!?」
「なんでっ、テメェは!! この鍵突き返してくんだよ!?」
ガッ、と伸ばされた片手で、一瞬殴られるのかと思った。
だがその手は叩きつけるようにしてテーブルへ乗せられており、山本が返したばかりの鍵を握り締めている。
そうして、鬼気迫ると言ってもいいほどの様子で言葉も叩きつけてきた獄寺に、山本は困惑してしまった。獄寺の歪められた表情は、苦痛からなのか、苛立ちからなのか、それすらもう分からない。
「山本、この鍵……!!」
「獄寺っ、だから、動かねえ方がいいんじゃ……!?」
思わず一歩下がってしまったのは、そうして距離を空けておかないとうっかり手を差し出して抱えてやりそうになったからだ。だが逃げられたと思ったのか、鍵を握り締め、テーブルについた手で体を支えていた獄寺はまた一歩近づいてくる。
「なんで、返してくんだよ……!!」
「いやあの、獄寺、それよりお前、足が……!?」
「いらねえのかよっ、使う気はねえってことか!?」
「えっ、あ、だってそうだろ?」
「……。」
「それって、ここの、獄寺の部屋の鍵だろ? そんなの、オレが持ってたって……。」
どうやら、獄寺は鍵のことで相当頭にきているらしい。
足首の腫れ具合を見れば動いてほしくなかったのだが、鍵について納得しなければ座ってもくれなさそうだ。そう判断して先に説明を試みた山本を、獄寺は無言で睨んでくる。
「大体、部屋の鍵なんて簡単に渡すモンじゃねえだろ? お前、変なところで防犯意識薄いっていうか、ぬけてるっていうか」
「……。」
「オレが持ってても使うことねえし、あ、今は使ったけどよ。さっきので最後だろうし、ちゃんと返したからさ、お前も早く足の手当てを……?」
そう言ったとき、確かに獄寺は舌打ちをして自分を殴ろうとしていた。
だが、
「このっ、バカヤローが!! て……おわっ、ぐぁっ!?」
「獄寺!?」
鍵を握り締めた振りかぶった拳が空を切ったのは、獄寺が外したわけでも、こちらが避けたわけでもない。一歩踏み込んでいた獄寺が、不自然なほどあっさり体勢を崩して床に倒れこんだのだ。
ゴリュッ、と骨か腱か、何かが嫌に軋む音も同時に響いていた。受身すら取れないまま床にドサッと転がった獄寺は、その直後に元々腫れていた右足首を抱え込むようにして悲鳴をあげる。
「痛ってえええ!!」
「ご、獄寺、大丈夫か!? なんか凄い音したけど……!?」
「大丈夫なワケあるかっ、痛い痛いっ、ああもうマジでなんだコレこの痛みシャレになんねえ!!」
のた打ち回るといった表現がピッタリくるほど、獄寺は床でゴロゴロと転がっている。痛みで喚き散らす様は新鮮だったが、感動している場合ではない。とにかく手当てというか、怪我が悪化していないか手を伸ばしたところで、盛大に拒絶させられていた。
「……って、今更哀れみかけてくんじゃねえよっ、テメェ殺されてえのか!?」
「うぐっ……!?」
「あ、また変な音した。んで痛みスゲェッ、ああもうマジで死ぬってコレ絶対死ぬってなんでこんな痛えんだよ捻っただけで!!」
拒むにしても、わざわざ怪我をしている右足で蹴ってくることはないと思った。だが蹴られた衝撃で息を詰めている間に、獄寺は痛みで叫ぶ状況が泣き喚くになっている。
その様子に、一度深呼吸をした山本はどこか冷静に分析する。
確かに捻っただけでそこまで痛いとは思えないが、それは個人の主観なのでこの際問題ではない。ただ、客観的に、傍目から見ても獄寺の足首は倍に腫れあがった上に変な方向に曲がっている気がしたのだ。
「……獄寺」
「あんだよっ、もう触んなっ、テメェなんざ知らねえ……!?」
仰向けになっている獄寺が右足を抱え込んでいるので分かりにくいが、確かにズレている。
こんな状況は前にも見た、と山本は思い出していた。あれはリトルリーグ時代、試合中に転倒して足首をやってしまったチームメイトにそっくりだ。病院に運ぶ前に応急処置をするまで、当然小学生だったチームメイトは泣き叫んでいた。そこで監督が施したのは、まずは変な方向に抜けた骨を嵌めるということだった。
要するに亜脱臼を起こしていたのだが、今の獄寺もそれに近い状況ではあった。なにしろ、元々捻挫をしてズレかけていたところで、無理に歩こうとして更に悪化し、変な方向で蹴り上げたことで完全に捻れてしまったのだ。完全に外れたのではなく、捻れて押し込まれていた足首の激痛は尋常ではない。
医学的なことは全く分からずとも、応急処置をおざなりに習っていた山本は変に肝が据わっていた。整復しなくては、という意識が強く働き、それまでの葛藤が嘘のように自然と獄寺に手が伸ばせる。
「山本……?」
「獄寺、ごめんな」
「へ?……ぐぇっ!?」
おもむろに後ろ襟をつかんだ山本は、そのままズルズルと獄寺を引き摺って毛布の山へと戻す。
そこに湿布や包帯、更には保冷剤があるからだったのだが、獄寺はまた盛大に暴れてくれる。
「なっ……に、しやがんだっ、テメェ!? 首絞まるかと思っただろうが!!」
ゲホゲホとむせ返りつつ、また性懲りもなく怪我をした足で蹴ってこようとする獄寺を、山本は精一杯の親切で押さえ込んでいた。
「やっ、山本……!?」
「えーっと、だから? 結構痛いと思うんだけど、暴れないでくれって……いうのは、無理かな?」
「ハァ!?」
リトルリーグの試合中での監督の整復は、正直怖かった。たまたま近くにいたので痛みで泣き叫ぶチームメイトを押さえ込む役割を任されて、問答無用で足首を捻じ曲げる様を目の当たりにさせられた。
正確には嵌めこんだのだが、その直後にチームメイトはピタリと泣き止んでいた。それは脱臼には顕著な例で、嵌めてしまえば痛みはだいぶ治まる。だが骨折をしてる可能性もあり、そうでなくとも腱などは痛めている場合が多い。すぐに医者に運ばれていったものの、痛みに限定すれば劇的に収まったのがひどく印象的だったことを山本は今でも覚えている。
ついでに言えば、そのチームメイトは整復されている間、断末魔かと思うほどの悲鳴を上げていた。後に聞いた話でも、嵌め直してもらっているときが一番痛かったらしい。監督に言われて暴れるチームメイトを押さえ込んでいた山本には、その信憑性は怖いまでに感じていた。
「山本っ、お前なにして……痛えっ!?」
「……ああ、やっぱ外れかかってるみてえだな」
元から腫れていたので分かりにくいが、獄寺の右足首は単なる捻挫ではなくなっていた。涙が滲むほど痛がっているのでそうだと思っていたが、どうやら本気で脱臼を起こしているらしい。
そうであるならば、嵌めてやらなければ。
妙な使命感でそう考えた山本だったが、にわかに分が悪い事に気がつく。
「嵌めてやりてえけど……獄寺、じっとしててくんねえよな」
「だからっ、さっきからなんなんだよ、この姿勢は!? 乗るならオレが怪我してねえときに乗れっ、そういう体位も嫌いじゃねえ!!」
「かといって、押さえててくれるヤツもいねえし……。」
布団代わりの毛布の束の上で仰向けになっている獄寺に、山本は暴れさせない意図を持って押さえ込んでいる。山本からすればこれ以上怪我を悪化させないための単なる親切だが、獄寺には違った解釈がなされているようだ。当然そんなことに気がつかない山本は、仕方なくため息をついていた。
整復の痛みで暴れた獄寺に殴られる程度ならばいいが、蹴られたときは問題だ。既に一度それで悪化させてしまっており、二度もさせるわけにはいかない。幸いにして上背と腕力あるので今はこうして大人しくさせられているが、この体勢では山本も両手を塞がれており、整復などできるはずもなかった。
「……獄寺」
「な、なんだよ……!?」
取り敢えず獄寺を拘束しなければ、と何の下心もないからこそ単純に考えた山本は、片手ずつで押さえていた獄寺の両手首を頭の上で一つにまとめさせる。
「山本……!?」
力のある右手で獄寺の両手首を押さえつけている間に、山本は左手で獄寺のベルトを外しにかかっていた。どうしてベルトだったのかと言われれば、単純に目に入っていたからだ。自分のベルトではなかったのも同様で、単に視界に入っていなかったからに他ならない。
「あ、あの、山本サン……?」
「なあ獄寺、ちょっとだけうつ伏せになってくれるか?」
「へ? ああ、こうか?……て、ええええっ!?」
そのまま頭の上で両手首を縛り上げてしまおうかと思ったのだが、腹筋運動の要領で両腕を振り下ろされればかなり危険だ。そう考え、試しに姿勢を変えてもらえば獄寺は珍しく素直に応じてくれている。自然と拘束は外してやっていた両手を毛布へとつき、うつ伏せになった獄寺に山本はその手首を再び取っていた。
「だ、だからっ、山本お前なにして……!?」
「こんな感じかな?……おおっ、締まった!!」
「なっ……!?」
室内着だったためか、皮製の穴留め式ではなく布で自在に長さが調整できた獄寺のベルトは、手首を縛るには実におあつらえむきだった。思ったより手際よく両手首を拘束でき、満足した山本は今度は手首や肩を痛めないように腰の下へと敷かせ、獄寺の体を返す。
「山本、お前、本気で……!?」
「へ? ああ、そういや口も塞がねえと」
再び仰向けになった獄寺を見下ろしていた山本は、ふと思い出していた。痛みでうっかり舌を噛まないように、ハンカチでも口に押し込んでおくべきだろう。だがやはり手頃なものがなかったので、獄寺が保冷剤を持ってくる際に包んでいたと思われるタオルを手に取り、それを口元へと当てていた。
「獄寺、これ噛んどけよ?」
「なんでっ、て……うぐぐっ……!?」
言われて素直に噛んでくれる獄寺ではなかったが、噛みついてきたところに強引にタオルを押しつける。そのままぐるっと頭の後ろへと回し、猿轡状態にしたところでようやく準備は整ったと山本は達成感に満ちていた。
「んんんーっ、んーっ、んんーっ!!」
「……て、これからが本番だって」
「んんんんーっ!?」
うっかりいい汗を拭いかけていた山本だったが、慌ててそう自分に気合を入れ直す。
ちなみに、獄寺はもう半泣きどころではない状態になっていたのだが、それもすべては足首の痛みからだと山本は信じて疑っていなかった。むしろ、こんなにも獄寺は痛がってブンブンと首を横に振っているのだ。早く骨を嵌めてやらねば、と考えた山本は、まずは獄寺の左足に乗るようにして体重をかけ、完全に動きを封じる。
「んんっ!?」
「獄寺……。」
ビクッと獄寺が震えたことは分かったので、これからする整復の痛みを獄寺もまた知っているのだろうと山本は思っていた。そう察すれば、少しだけ可哀想にもなってくる。あの獄寺がこれだけ痛いと騒いだことの、更に上を味わせることになるのだ。
こんなことを言っても慰めにはならず、むしろ偽善かもしれないが、山本はそっと片手を獄寺の頭へと伸ばしていた。
「……?」
「獄寺、その、痛くしねえとは言ってやれねえけど。でも、できるだけ早く終わらせてやるからな? ちょっとだけ、我慢してくれよな」
「んんんんーっ、んん、んんんーっ!?」
長めの髪を撫でてやりつつそう言えば、大きく目を見開いた獄寺は、また派手に暴れ出していた。
だがもう山本はそんな獄寺から視線を外し、大きく深呼吸をして両手を右足に添える。
「んんっ……!?」
先ほども触れたそこは、尋常ではない熱を帯びた上に変な具合に腫れあがっていた。
「んんんんーっ……!?」
「……よし」
「んーっ!!」
慎重に両手で掴み、山本は一気に足首を元の位置へと修正してやっていた。
ゴリュッと再び鈍い音をさせて、獄寺の足首は正しい状態に整復される。
声は出せずとも、全身がビシッと緊張した様子を感じていれば、獄寺は相当痛かったのだろう。効果があるかは分からないものの、山本は腫れている足首の少し上の辺りをしばらくの間ゆっくりと手で撫でてやる。少しでも早く、痛みが取れますように。そう願いながら保冷剤を手に取るが、そこでタオルがないことを思い出していた。
「……獄寺、もう大丈夫か?」
そういえば噛ませたままだった、と山本は右足首を膝に乗せて動かさないようにしてやったままで手を伸ばす。
よほど痛かったのか、その頃には獄寺はもう暴れる気力のない様子で大きく胸を上下させていた。きつく閉じられていた瞳からは滲む程度ではなくなった涙が筋を残して零れており、痛ましい表情にすまなく思いつつタオルを外してやっていた。
「……ぷはっ」
「今足首固定してやるから、もうちょっと大人しくしてくれよな? 病院にも行った方がいいんだろうけど、この時間じゃあなあ……。」
直接当てては冷えすぎるかと思い、保冷剤はタオルで包んでから足首を固定するように巻きつける。腫れ自体がひいているようにも見えたので、急に悪化したと思ったのは骨が突き出ていただけだったのかもしれない。そんなことを考えつつ、右足の下に積まれている毛布を敷いてやっていると、ようやく息遣い以外の声を獄寺が漏らしていた。
「……お」
「『お』?」
体を起こさせれば足首に負担がかかるかもしれないので、横にさせて後ろ手に縛った両手首からベルトを外そうとしてやる。必然的にまた上から見下ろすことになった獄寺は、最早抵抗せずされるがままだ。顔に長めの髪がかかって表情は見えにくいものの、呆然とシーツを見つめている様子の獄寺は消え入りそうな声で呟いていた。
「お……犯されるかと、思った」
「……ハ?」
ベルトを外し、拘束が解かれればまた獄寺は暴れるかもしれない。多少警戒はしていたが、どうやら衝撃の方が大きかったらしく、自由になった手でも獄寺はギュッとシーツをつかむだけだった。
そんな状態でぼやかれた言葉に、何の冗談だと山本は思う。だが若干青褪めても見えていた獄寺に、まさか本当にそんな誤解をしていたのかと呆れてしまった。
「そんな、獄寺じゃねえんだし」
オレはしねえよ、そんなこと。
腰から捻るような体勢はつらいのではないかと思い、笑いながら後ろに回った山本は慎重に体を起こしてやる。獄寺自身で起こせばどうしても腰や足に力が入るだろうが、こうして自分が支えてやれば大丈夫だろう。そんなふうに考え、毛布の上に座る姿勢にもっていってやったところで、ようやく獄寺の瞳にいつものような苛烈な色が戻っていた。
「オレだってしてねえだろうがっ、ココまでは!!」
「それより獄寺、足、どうだ? 痛みがひいてきたんならいいけど、もしまだ変わんねえようだったら医者に……。」
「そら、してえと思ったことがねえワケじゃねえけど実行はしてないだろうがっ、まだ!! て、こっちが言ってんのにさっさと話題変えやがるなこのバカ!!」
どうやら獄寺の機嫌を相当損ねてしまったらしい。それでも、痛い痛いとのた打ち回られるよりは随分とましだ。思わずほっと安堵の息をつきつつ、山本は再び獄寺の正面へと回っていた。
「なあ獄寺、痛みは?」
「だからっ、オレが言ってんのは……!!」
「まだ痛む? ああ、痛むだろうけど、さっきと変わんねえくらい?」
「だから話逸らすなって……!!」
「んーっ、変わんねえなら、もしかして骨折してるかも。今からでも病院行った方がいいかな、やっぱり」
「もう痛くねえよっ、これで満足か!?」
何度聞いても答えてくれないので、もしかするとまだ痛くて紛らわすために騒いでいるのではと思い始めていた山本は、いきなり叫ばれてかなり驚いてしまった。だが顔を上げれば、涙目で睨んできている獄寺には先ほどまでのような苦痛だけは見えない。慎重に保冷剤を外してみれば腫れは随分と引いていたので、乱暴な物言いでも嘘ではないのだろう。
「……そっか。じゃあ一応湿布貼ってから、また冷やしとくかな」
「やーまーもーとっ、だから、オレの方は無視かよ……!!」
獄寺が自分でやるよりはいいだろうという程度の親切で、山本はさっさと湿布を貼って包帯で巻いてやっていた。更にその上から保冷剤を当て、タオルで固定する。部活やリトルリーグで習っておいてよかったなあ、と自分の手際のよさに今は満足して、山本はようやく顔を上げるが、そのときにはもう獄寺は完全に腹に据えかねてしまったようだった。
「獄寺?」
「……山本、だからどういうつもりなんだよ」
手当ても終えたので今度こそ帰ろうと思ったのだが、睨んでくる獄寺の視線があまりにきつくてそんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。仕方なく上げようとした腰を下ろし、山本はへらっと笑って尋ねてみる。
「なにが? ああ、さっきのな、お前の足首脱臼しかかってたから、それを……?」
「そっちじゃねえよ!! 大体テメェが来たりしなけりゃっ、捻挫が脱臼になることもなかったんだろうが!!」
「えっ……ああ、そういや、そうだったな……?」
指摘されてから気がついたのは申し訳にもほどがあるが、確かに獄寺の言うとおりだ。獄寺の足首があそこまでいってしまったのは、山本に殴りかかったことと、その後蹴り飛ばしたためである。
誰が聞いても獄寺の自業自得だろうが、山本はそうは思わない特殊な人種だ。特に歓迎されていないことは痛いほど分かっていたので、加えて怪我を悪化させてしまったというのは本当に心苦しく思っていた。
「わ、悪かったな? オレもまさか、獄寺が立ったりすると思わなかったから……?」
言い訳は見苦しいと知っていたはずなのに、ついそんなことを口にしてしまった自分が情けなくてたまらない。すると、それを責めるように獄寺は無言で睨んでくる。だがやがて腹立たしげに唇を噛み締めた後、獄寺はふいっと視線を逸らしていた。
「……テメェが、逃げようとするからだろ」
「逃げる? いや、オレは帰ろうとしただけで……?」
「一緒だろうが!? 違うってんならっ、山本、お前ココ座れ!!」
なにがどう違うのかすら、最早よく分からない。それでも獄寺が相当怒っていることだけは確かだったので、山本は指示されたとおり壁の方へと移動していた。
両側に堆く積まれた花火の木箱を見上げながら、壁に背をつけるようにして座りかける。だがいまだカバンを背負っていたことに気がつき、少し悩んだものの下ろして床に置いておくことにしていた。
この様子では、獄寺はしばらく機嫌が悪そうだ。
どうせ足を痛めて動けないのだし、無視して帰ることは可能だが、実行はできない。理由はどうあれ、獄寺からまだ居ろと指示されたのだ。仕方なさを装うこともできずに今度こそちゃんと壁に背をつけて座れば、獄寺がずりずりと後ろ向きに下がってきているのが分かった。
「獄寺……?」
隣に座るのかと思ったが、どうも位置がおかしい。そう思ったときに、ふと振り返った獄寺に、山本は軽く足を叩かれていた。
「……開けよ」
「あ、ああ……?」
「そんで引っ張れ。オレが足痛いの、分かってんだろ」
せがまれるままに足を開き、獄寺の腰に後ろから腕を回してぐいっと引き寄せる。
そうしてまるで背もたれにでもなったかのような気分に山本が陥ったところで、獄寺は沈黙してしまったのだ。
怒らせてしまっていることは分かっていたし、一応何度か話しかけてはみた。だが獄寺は何も答えず、振り返ってくれることもない。
ならば退散すべきかとも思うのだが、それは獄寺が許してくれないのだ。一度だけ会話らしいものが成立したときは、『もう帰さねえからな』と言われてしまった。
本当に、獄寺はどうしてしまったというのだろう。
二人して沈黙を守る現状が理解できず、山本はまた大きなため息をついていた。
「……。」
「……なあ、獄寺?」
後ろから両腕を回し、背中や肩に触れてもいいのでその体温には胸が弾むが、この沈黙はあまりに重い。ついでに、とんでもなくつらい。獄寺は比較的いつでも言動が不可解だが、今日はまた格別だと返らない反応に山本は思っていた。
そうして数分、あるいは数十分が経過しているのだが、山本は一つ気になることがあった。無視されるかとも思ったが、頑張って続きを口にしてみる。
「その……保冷剤、とけてねえか?」
元々山本が戻って来る前から出されていた保冷剤は、医療用の冷却剤とは違う。小さめだったこともあり、そろそろとけているのではないかと不安になったのだ。替わりがあるなら換えてやりたいし、なくても氷を使えば代用もできる。いくら脱臼自体は整復されても、もう少し冷やしておいた方がいいだろう。
そう思っての申し出だったのだが、それまで貝のように押し黙っていた獄寺が突然振り返って怒鳴っていた。
「お前っ、帰らせねえって言っただろ!?」
「え!? あっ、いや、帰るんじゃなくって替えるっていうか……!?」
「信用ならねえよっ、いいからテメェはもう動くな!! 絶対この家から出してやらねえからな、鍵いらねえんならそういうことだろ!!」
毛布に膝をつくようにしてしっかりとこちらへと向いてきた獄寺に、右足は大丈夫なのかと山本は慌てる。だがぶつけられた言葉でようやくそもそものキッカケを思い出した山本は、至近距離で獄寺を不思議そうに見つめ返し、あっさりと否定していた。
「いや、そういうことじゃねえけど?」
「……分かってる、それくらい」
「あ、そうなのか?」
鍵を返したのは、この家から二度と出ないからでは当然なかった。よってそう言えば、獄寺も頷いている。だがその瞳はつらそうに逸らされて、山本はますます困惑していた。
獄寺のしたいことは、やはりよく分からない。こんなふうにつらい顔をさせたいわけではないのに、いつも上手くいかなくて歯痒くなってしまう。
「なあ、獄寺……?」
「……。」
これが子供相手ならば、頭を撫でたり、遊びに誘ったり、お菓子でつったりと機嫌をとる手が思いつかないわけではない。
だが、どれだけ子供っぽいところがあろうが、獄寺はそんなことで機嫌を直してはくれないのだ。どうすればいいのか、と悩みに悩んでいたところで、ふと手に硬い金属が押し付けられていた。
「獄寺……?」
「……なら、もう帰っていいから。コレ持ってけよ」
「えっと、鍵か……?」
どうやらテーブルで掴んでからずっと、獄寺は握り締めていたらしい。金属特有の冷たさを感じさせないこの鍵は、確かに突き返したばかりのものだ。
そういえば、と山本は今更のように思い出す。最初は驚くだけだった獄寺が、一気に殺気を増したのはこの鍵を帰しに来たと告げてからだ。
もしかすると、この鍵にはもっと重要な意味があったのかもしれない。
思わず受け取ってしまった鍵を手の中で弄びながら、山本は考えられる使い道を口にして確認していた。
「ああ、これ……ツナに渡して来いってことだったのか?」
「……。」
よく分からないが、尊敬しすぎで素直に渡せないだとか、そういう理由で橋渡しでも期待されていたのだろうか。防犯の面においても、ツナに渡して面倒が起こるとは考えられない。むしろ一度気がつけば、それ以外考えられず、ストンと納得できていた。
まずかったなあ、と山本は思う。うっかりこんな単純な可能性に気がつかず、さっさとツナと別れて自分一人で戻ってきてしまった。今から追いかけても追いつけないだろうし、夜に家に押しかけるよりは明日学校で渡した方がいいのかもしれない。だが獄寺が今日どうしても、と言うのであれば、ツナには申し訳ないが玄関まで下りてきてくれればこれから届けるのもやぶさかではない、と思っていたところで、ぽつりと獄寺が呟いていた。
「……オレ、もうイヤだ」
「獄寺……?」
鍵を渡してくる前は胸倉を掴んでいた獄寺だが、まだ山本の制服のシャツを握り締めていた残る片方の手も力なくパタリと毛布へ落ちていく。そうして項垂れて呟やかれた言葉はいつものような覇気を全く感じさせず、山本は戸惑った。長い髪が邪魔をして表情が見えなくなってしまった獄寺は、声だけで推測するならば、まるで泣いているかのようだったのだ。
「なんで、お前はそうなんだよ。なんで、オレが何言ったって、伝わらないか十代目絡みと誤解するかで……。」
「獄寺、どうしたんだ? あ、オレ、またなんか間違って……?」
「なあ山本、オレが悪いのか? 伝わらねえの、お前がアホなんじゃなくてオレが悪いのか、オレの問題か? それとも……分かってて、そうしてんのか? じゃあなんで期待させんだよ、オレの好きにさせんだよ、オレに抱かれても平気なんだよお前は!?」
次第に怒気を孕んでいくのに、増したのは悲壮感だった。
声を荒げて顔を上げた獄寺は、泣いてはいなかった。だが緑がかった瞳は悲しみより絶望を見せていて、自然と伸ばされた手が首を圧迫するように絡められてきても、山本は目を逸らすことすらできない。
「ごく、でら……!?」
「なあ山本、答えろよ。お前オレのこと全っ然分かってねえのに、じゃあなんで抱かれてたんだ? そういう性癖だった、て、ワケはねえよな、オレが初めてだったんだし。最初は戸惑って抵抗し損ねたとかはあるかもしれねえけど、こんだけ、回数重ねてたらそんな言い訳もできねえだろうがよ……!!」
ギリギリと力が込められていく手に、呼吸は当然苦しくなってくる。だが山本はそれこそ今は戸惑って抵抗し損ねており、ただ必死になって問われたことへの答えを探していた。
どうして、獄寺に抱かれていたのか。
それは、獄寺が手を出してくる理由以上に、自分には分からないものだ。
「わっ、かん、ねえ……!!」
「……山本?」
だからそう搾り出すように言ってみれば、ふっと首を締め上げる手が緩められていた。
ようやく肺いっぱいに空気を吸い込み、大きく咳き込んでしまう。ゲホゲホとむせ返りつつも山本が思っていたのは、言葉にもしたように、『分からない』ということだった。
どうして、獄寺に抱かれて平気だったのか。
むしろ、嬉しかったのか。
二人きりでいるとき、その注意がすべて自分に向けられて、どうしようもなく胸が弾んだのか。
他の誰かといるとき、殊更無視されるのが悲しくて堪らなかったのか。
ツナが悪いわけではないのに、獄寺から特別扱いをされているというだけで羨ましくて仕方がなかったのか。
……こんなことを考えているだけで、泣きたくなってくるのは本当に何故なのだろう。
「分かんねえ、分かんねえんだよ、獄寺。オレも教えてほしいぐらいだ、なんで、お前、が……!!」
「山本……。」
「この、鍵にしたって。最初はオレ、バカだから、オレにくれたものだと思って。獄寺がいないときとかにも来ていいとか、そういうことかと思って、だからいらないって」
口にしてみればとんでもなくおこがましい解釈だと思ったが、何故か獄寺は目を瞬かせている。そしてふいっと視線を逸らすと、小さく吐き捨てていた。
「……そういう意味で、渡したんだっての」
「え……あ、そうなのか? じゃあやっぱりいらねえ」
まさか正解しているとは思わなかったので面食らったものの、合っているならば突き返すという行動は当初と変わりない。だがそれを実行しようとすれば、獄寺にきつい目で睨まれていた。
「……なんで、そこまで嫌がるんだよ。持ってるぐらい、いいじゃねえか」
そう凄まれても、山本にも譲れないのだ。
「だって、コレが必要てことは、鍵が締まってるんだろ? 獄寺がいねえときに使えって、そういうことだよな?」
「ああ、まあそうだよな……?」
「……だったら、そもそもこの部屋に来る意味もねえじゃねえか。獄寺いないのに、獄寺がいてくれるワケでもねえのに、わざわざお前の気配感じそうなこの部屋でオレにどうしとけって言うんだよ」
掃除や洗濯などの家事が必要なら通ってやってもいいが、それも獄寺がこの部屋にいる場合に限る。そこまで都合のいい相手になってやるつもりはない、ということより、単純にもっと獄寺に会いたいからだ。
別に獄寺は山本に家政婦まがいをさせたかったわけではないのは、エプロンを出してもらった際のやりとりでも分かっている。ならば、一体なんの目的で合鍵など渡してくれたのか。理由が分からないままにもらってしまうにはあまりに重くて、防犯意識からも返さなければと山本は思ったのだ。
この理屈に、おかしいところは全くない。そう信じて疑っていないのに、当の獄寺はひどく怪訝そうな顔をしていた。
「……別に、オレが留守とは限らねえだろ? 風呂入ってるとか、寝てたとかで鍵開けてやれねえこともあるだろうし」
「獄寺が閉めてんのに、それ勝手に開けて入れるワケもねえだろ?」
「入ってくればいいだろうがっ、オレがお前が来るの嫌がったりするハズがねえだろ、それこそ!?」
しかもひどく意外なことを怒鳴り返されて、山本は心底驚いてしまった。
普通に考えて、訪ねてきた相手が歓迎すべき者であればドアを開ける。そうでなければ開けない。
山本にしてみれば、獄寺のいない部屋に勝手に上がりこむという行為は、獄寺にドアを開けるかどうか、つまり歓迎すべき相手かどうかという選択をさせない狡さを感じていたのだ。寝ている場合などはもっと悪質で、開けないという意思表示を無理に覆している気すらする。そんなことができる魔法のようなアイテムが、この合鍵だ。
だがそれを渡してくれたのも、そもそも獄寺なのだ。自分よりははるかに成績もいい獄寺なので、そんなことぐらい分かっていただろう。それにも関わらず、まるでいつでも自分を歓迎してくれるような発言は、都合のいい聞き違いなのだろうか。
「な……なんで?」
「……。」
ずっと、獄寺は住んでいるところも教えてくれなかった。
ツナにすら言っていなかった様子なので、よほど自分の私的な領域に踏み込まれるのが嫌なのだろうと山本は思っていたのだ。
それはあながち間違いではなかったが、これまで獄寺が過敏になっていたのは迂闊にバレて姉が襲撃してくるのを警戒していたからである。そんなことには当然今は困惑して思いが至らない山本が、もう考えることすら放棄して端的に尋ねてみれば、獄寺は一度視線を逸らしていた。
だがすぐに再び瞳を合わせて睨んでくると、ゆっくりと距離を縮めてきながら答えてくれる。
「……そんなの、テメェが好きだからに決まってんだろうが」
「へ?……んんんっ!?」
そのままうっかり唇を塞がれてしまったが、もたらされた衝撃を緩和はしてくれなかった。
むしろ、より混乱させてくれた。
獄寺から零れるにはあまりに不似合いな単語が、よりによって自分に向かってもたらされた気がする。自然と舌を絡ませてキスを深めようとする仕草はこれまで慣れていたはずだったのに、強烈な気恥ずかしさを感じた山本は、思わずぐいっと獄寺の肩をつかんで押し返していた。
「ごっ、獄寺……!!」
「……なんだよ」
だがまともに顔は見れないため、視線を背けたままでそう名を呼べば獄寺の反応は素っ気ない。それに、やはりからかっていただけかと気落ちしかけていると、俯けている視線を獄寺が覗き込むようにして追ってきていた。
「うっ……!?」
「山本、お前顔真っ赤だぞ? なんで今更照れてんだよ……というか、嫌なのか?」
「嫌じゃねえけど!?」
そんな予感はしていたのだが、山本はもう顔が紅潮しきっていた。目蓋もじんわりと熱くなっている気すらする。恥ずかしすぎるこんな表情を見られたくなどないのに、獄寺はこんなときばかり執拗に視線を追った挙句、片手を頬に添えてきてぐいっと上に向かせてしまった。
「獄寺……!!」
「……なんか、オレ、スッゲェ嫌な予感がする。なあ山本、お前もしかしてほんとに全然全くこれっぽっちも分かってなかったのか?」
凄まれても比較的平気なのだが、このときばかりはダメだった。ただ、獄寺に見つめられているというだけで、どうしようもなく胸が高鳴ってくる。先ほどの言葉が幻聴ではないと知らされてしまいそうで、どうすればいいのか山本には本当に分からない。
「な、なんのことだよ……?」
それでも精一杯の虚勢でそう尋ね返せば、獄寺は再び顔を寄せてきたが、唇が触れてもおかしくない距離でピタリと止まって繰り返してきていた。
「だから、オレが山本のことが好きだって」
「……!?」
「……ああ、そうか、そうだったのかなるほどなーっ、て、納得すると思ってんのかこのバカ!?」
好きだと告白を重ねられ、キスの予感に胸が跳ね上がったところでそう怒鳴られる。気の短い獄寺なので殴られるかと覚悟したが、意外にもそんなことはなかった。大きくため息をついた獄寺は、肩を上下させて深呼吸をした後、トンと山本の胸に顔を伏せてきたのだ。
「ご、獄寺……?」
「なんか、スゲェ疲れた。山本、お前ってホントにバカだったんだなあ……。」
失礼なことを言われているのは分かっていたが、触れた体温がまともな思考を熔かしてくれる。思わず抱き返すかのように背中へと腕を回せば、獄寺はゆっくりと顔を上げてきていた。
「……なあ、山本。じゃあ今まで、なんでオレがお前に手ぇ出してくると思ってたんだよ?」
「え……さあ、獄寺の考えてることなんか、いっつも分かんねえから深く考えてなかった」
「お前なあ……!!」
素直に答えればまた呆れられたが、それほど怒気は含まれていない。そのことが嬉しくてつい笑ってしまうと、獄寺は呆れたままで言葉を続ける。
「ほんっと、山本ってバカなんだな!! ……オレがお前にキスしてえのも、突っ込みてえのも、今だって帰したくねえのも好きだからに決まってんだろうが。それすら分かってなかったクセに、されるがままだった方が信じられねえよ」
少なくともオレの気持ちくらいは分かってて妥協してくれてんのかと思ってた、とぼやいている獄寺だが、言われてみればその通りだと山本も納得できる。
好きだから、キスをして、セックスもしたくて、こうして一緒に居たい。
ストンと胸に空いていた穴に何かが嵌った気がした山本は、しみじみと呟くことになる。
「ああ、そっか。オレ、獄寺のこと好きだったんだ」
「は?……ハァァアアア!?」
だが独り言にも近くそう言えば、何故か腕の中の獄寺に物凄い勢いで凄まれてしまう。
「ち、違う、のか……?」
バカだという自覚はあるので、思わずそう聞き返してみれば、ますます獄寺の瞳は険しさを増していた。
それに、肯定か否定か分からず戸惑っていると、獄寺は大きくため息をつく。逸らされた視線はどこか拗ねているようで、返された言葉からも滲み出ているようだった。
「……そら、その方がオレだって嬉しいけどよ。今更言われたって信じられねえ、てよりは、まあそこは山本だしってことで鈍すぎるってことで納得できなくもねえけどよ。どうせ、好きったって大した意味ねえじゃねえか、お前のそれは」
獄寺が抱えている『好き』とは違うのだ。
そう言われたとき、胸に埋まったと思われた欠片がズキズキと痛んでくるような錯覚に山本は陥っていた。
そんなことはない、ちゃんと自分は獄寺を『好き』なのだ。
そう思いはするものの、言葉に出せば結局同じだ。山本が山本である限り、獄寺の『好き』の意味を完全に理解することはできない。それは獄寺が山本を理解できないのも同じで、その距離がどうしようもなくつらいと感じていた。
だが一つだけ、突き放されたのに安堵したことがある。無意識のうちにいつしか獄寺から顔を背けていた山本は、自らもまた俯き、笑っていた。
「あ、ああ、そっか、大した意味はねえのか、オレの『好き』てのは。そっか、そうだよな、オレ馬鹿だし、ガキだし、獄寺みたいにいろいろちゃんと考えてもられねえし……!!」
「……山本?」
「だから、こんな苦しくても、大したことねえよな?……大したことじゃ、ねえんだ」
獄寺に無視されてると思っていたときよりも、好きだという気持ちを軽んじられたことの方が胸が苦しかった。
それでも、これは大したことではない。なにしろ、それほど意味のある気持ちではないのだ、獄寺もそう言っている。どれほど胸が痛くて、息が出来なくて、訳の分からない衝動に駆られていても、きっとまだまだ生温い。
「おい、山本……?」
「……でも」
これ以上の苦しみというものが、本当にあるのだろうか。
あるとすれば、好んで味わいたいなどとは到底思えない。獄寺には好かれているようなのに、その獄寺に信じてもらえないだけでここまでつらいのだ。
「おいっ、山本!?」
「うぁっ……!?」
「な、なんで……!?」
なにしろこの『大した』意味もない気持ちが伝わらないだけで、棺桶に片足を突っ込んだような苦痛なのだから、と山本が呆然と毛布を見下ろして思った途端、突然ガッと肩を押されて背後の壁に押し付けられていた。
その勢いに驚き、ついでにガンッと後ろ頭もぶつけてその痛みで涙が散る。だが顔をしかめつつ瞳を上げてみれば、何故か獄寺がひどく呆然として、傷ついたような様子で見つめてきていた。
「獄寺……?」
「山本、お前……。」
もしかすると、獄寺は自分が泣いていると思ったのかもしれないと山本は考えていた。確かに目元に涙は滲んでいるが、それは頭をぶつけた痛みによる生理的な反応だ。それでも申し訳なさそうに目蓋の上からキスを押し当ててくれる獄寺に、騙しているようで心苦しくなりつつも、頭を壁にぶつけられた謝罪として今は喜んで受け取っておく。
「獄寺……。」
目蓋に唇の感触が落ちてくるということで、いつのまにか瞳を閉じていたことに山本は気がつく。獄寺の瞳を覗き込めなくても安堵していられたのは、当然両腕でしっかりと抱き返せているからだ。自分を無視するでもなく、ちゃんと意識に入れてくれて、あまつさえ温かい気配で触れてくれる獄寺にどうしようもなく安心する。先ほど後ろから抱きしめていたときとは全く違う心地よさに浸っていれば、やがて獄寺がそっと頬に手を添えてきていた。
「山本……。」
「ん?」
それを合図に目蓋を押し上げれば、まだ当惑している様子の獄寺がしっかりとこちらを見つめてきていた。緑がかって見える瞳に射竦められ、山本は胸が跳ねあがるのを感じる。あれだけ心地よいと感じていた体温が、違った熱を孕んできそうだ。
「その、さっきのは。ついあんな言い方しちまったけど、オレ、山本が……。」
「……なあ獄寺、オレ、思ったんだけどよ?」
「て、だからなんでテメェは最後まで人の話聞かねえんだ!? 人がせっかく殊勝に謝ろうとしてんのによ!?」
だが思いついたことをすぐ口にする癖をまた怒られてしまい、山本は慌てて口を噤む。そうすれば何故か今度は獄寺までギュッと唇を噛み締めた後、疲れたようにため息で肩を落とし、添えていた手で頬を撫でて促された。
「……なんだよ、先に言えよ」
「え、そんな大したことじゃねえんだけど?」
いいから、と強く再度促され、山本はここは甘えさせてもらうことにしていた。
「いや、だからな。オレ分かったんだ」
「……今度は何をだよ」
「さっき、獄寺が言ったの正しかったんだなって。オレがお前に『好き』ていうの、大した意味ねえんだなって」
抱きしめる体温はあれほど心地よかったのに、瞳を見た途端感じた飢えで山本は妙に感心したのだ。
確かに、獄寺の言うとおりだったのだと。
だが誇らしげにそう告げれば、獄寺の表情はまた険しくなっていく。
「……やっぱ、意味なかったのかよ」
「ないっていうか、分かんねえって感じ? オレ獄寺のこと好きだけど、それ、やっぱ全然意味分かんねえのな。大したものかどうかですらなくって、こう、説明できない感じの『好き』なんだなあって」
「……。」
意味があるのかどうか、あったとしてそれが大したと評されるほどのものなのか。
そんなこともさっぱり分からない。
そう思いついたときに、これは正確には獄寺を『好きでいる』状態とは違うと悟ったのだ。
「……嫌いなのかよ」
「そうじゃねえよ、ちゃんと好きだって。けど、オレ意味とか言われてもよく分かんねえし。ああこれかっ、て思ったのもあるけど、言ったら獄寺怒りそうだから言わねえ」
獄寺を好きは好きだが、他の誰に向ける好意とも種類が違うことはぐらいは自覚があった。だが違うことで、なにがどう派生するのか、いまいち分かっていなかったのだ。
ちなみに、今もあまり分かってはいない。一応単語は思い浮かんだものの、正解している自信はないのだ。
「……言えよ、怒らねえから」
だから冗談めかして誤魔化したのに、獄寺は見逃してはくれなかった。しっかりと合わせられた瞳は、唯一人、山本だけを見据えている。それを意識するだけでどうしようもなく興奮してくる自分に確信は深めても、山本はやはり口にはできなかった。
「……言わねえ。また否定されたら、オレ、今度こそほんとに泣いちゃいそうだから」
「山本……?」
自分でも正確さに欠ける、あるいは程度を示すには物足りない『好き』という表現を否定されただけで、あんなにも苦しかったのだ。
もっと自信がある言葉を告げて、それは違うとすげなくされたときが怖い。山本にとっての言葉は、常に本音で、それこそ命を差し出す行為に近いものがあるのだ。
そう考えれば、随分と臆病なことだなと気がついて、山本は思わず笑ってしまった。勇気や度胸は持ちえていると自負していたつもりだったが、どうにも獄寺を相手にすると怖気づいてしまう。自分が傷つくのが怖いのは、そうして傷ついた自分が獄寺をちゃんと認識できなくなりそうだからで、突き詰めれば結局獄寺をもっとずっとしっかり感じていたいという単純な欲求だった。
「否定はしねえよ、つか、さっきのだってオレは、どっちかつーと……。」
「聞きもしてねえのに否定しねえとか、そんな約束おかしくね?」
「ああもうっ、なんでテメェはこんなときばっか正論思いつくんだよ!? いいから言えよっ、言ってみろよ!? オレは山本が好きだって言っただろうがっ、テメェがどんな奇抜な思考回路してても愛で全部受け止めてやる!!」
いいから話せっ、と重ねて叫ばれて、山本はやや面食らってしまった。
それほどもったいぶっているつもりはなく、そもそも獄寺がここまで食い下がると思わなかったのだ。なにしろ、獄寺に向けた気持ちを、『好き』という言葉以外で表現したに過ぎない。せがまれれば変な期待を持たせていそうで逆に申し訳なくなってきた山本は、必死になって睨んでくる獄寺に、どうしてだか分からないがゆっくりと唇を押し付けていた。
「んっ……!?」
「……だから、オレ、獄寺に『恋してた』んだなって。それだけ」
触れるだけの幼いキスでも、どうしてだか分からない、はずはないと、してから山本は気がつけた。
当たり前だ、恋しい相手にキスくらいはしたい。これまでの関係でほとんど山本からそういったことをしなかったのは、自覚がなかったのでこれもまた当然だ。
そんなふうに妙に納得している間に、どうやら獄寺はいろいろと葛藤があったらしかった。
「……山本、それを否定はしねえ。けど、一つだけ確認させろ」
「ん? なんだよ」
顔を真っ赤にしている獄寺だが、どこかまた悲壮感がぶり返してきている。そうして切なそうに瞳を上げてきた獄寺は、殊更慎重に尋ねてきていた。
「……過去形なのは、重要なポイントか?」
「へ? ああ、テストには出ねえと思うけど」
「なんのテストだよっ、つかそれ意味ねえってことか、そうなんだろうな!? 今も、この瞬間も、オレにちゃんと恋してんだろうなっ、どうなんだよ山本!?」
「ごっ、獄寺……!?」
英語かなんかの授業でよく聞く単語だなーっ、とのん気に構えていた山本だが、いきなりそう凄まれて少し慌ててしまう。だが尋ねられていることには答えなければならないと頭を働かせ、思いついたことをそのまま口にしていた。
「恋……してて、いいか?」
「……当たり前だろ」
すると、どこか照れくさそうにお許しをくれた獄寺に、山本はもう嬉しくて堪らなくなっていた。
思わずギュッと獄寺を抱きしめれば、獄寺からも抱き返してくれる。それでも思ったことを端から口にしてしまう癖は治らないようで、つい続けた言葉でまた獄寺を黙らせてしまう。
「まあ、そもそも『恋』ってのがよく分かんねえんだけどなっ、あはははは!!」
「……。」
「……あれ、獄寺?」
自分の状態はそうなのだろうなあ、と思っただけで、正しいのかどうかよく分からないのだ。
それを素直に言えば獄寺の気配が一気に冷たくなった気もしたが、やがて腕の中でフッと笑ってみせた獄寺は、ゆっくりと唇を寄せてきながら約束してくれていた。
「……オレが、教えてやるから安心しろ」
「そっか? なら確かに安心だな、獄寺って頭いいし……んんっ」
そのまま深く唇を合わせ、舌を絡めて濃厚なキスに興じる。
相変わらず巧みな獄寺からのキスでぼうっとしてくる頭で、山本は思っていた。
きっと、これからも自分は獄寺に恋をしていくのだろう、と。
けれどもこれが恋だという自信はないから、獄寺が、獄寺だけが、心も体も揺さぶって焼き尽くされそうな熱で教えてほしい、と。
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