■恋してた
-01.




 ガタンッ、と窓の外で物音がした。
「ん……?」
 風が強い日というわけではない。商店街から二本は通りを奥に入っているため、この辺りは住宅街に近く、比較的静かだ。ましてやこんな時間、夜も十二時近いとくれば本当に外では物音一つしないと言っても過言ではない。
 気の所為だろうか、と思い、寝惚けかけていた頭を緩く振って眠気を払う。体を動かすことは好きだが、頭の運動は苦手だ。これがまだツナなどのクラスメートとでもいれば別なのだが、やはり一人で勉強をするとなると、どうしても身が入らない。週末に出された宿題をすっかり忘れていたのは、今日の日曜日に野球部で練習試合があったからだ。
 泊りがけではないが遠征ではあったため、その準備も含めて土曜日も一日練習があった。おかげで、いつものようにツナのところに集まって一緒に宿題をする、という機会が設けられず、結局宿題は手付かずのままだ。
「ツナはやったのかな……。」
 こんなワケ分かんねえ問題を、とため息混じりにぼやけば、億劫さが増して再び机に身を伏せてしまった。
 いっそ思い出さなければまだよかったのだが、忘れないようにとカバンの上に置いていたのも自分だ。忘れて怒られるだけならばいいが、居残りとなるとなかなか厄介だ。日付が変われば月曜日、練習試合の翌日ということもあって午後の練習はない。早朝練習自体はいつもの集合時間だが、それも明日に限っては練習よりも遠征を伴った練習試合の片付けなどの意味合いが濃かった。
 だからこそ、居残りはまずい。ただでさえ週末に会えなかった連中と、一緒に帰って過ごす時間が減るのはひどく癪だ。
「……分かっては、いるんだけどな」
 野球は好きだし、友達も優先したい。両立させるにはこの宿題を適当にでもいいので終わらせ、とにかく明日提出だけしてしまえばいいのだ。
 そう理解はしているのに、このところすっかり人に教わったりする勉強の仕方に慣れてしまっていた所為か、どうしてもプリントに集中できない。練習試合による疲労とも相俟って、ますます目蓋は重くなるばかりだ。
「……。」
 先ほどの物音で少し目は覚めていたが、また眠気がぶり返してきていた。
 無理に目を開けてみれば、机の端に置かれた自分の携帯電話が目に入る。
「……。」
 一瞬だけ、電話してみようかと思った。
 だがすぐに、心の中でダメだと首を振る。
 なにしろこんな時間だ、あと数分で曜日も月曜に変わるだろう。いくら夜更かしが似合う相手でも、非常識な時間帯だ。そもそも、電話口で説明されたところで理解できるとも思えないのだ。
「……やっぱ、会えねえと無理だよな」
 自分自身は明日も朝が早いし、練習ではなく片付けならば比較的早く終わる可能性もある。それを見越して、朝授業が始まる前に教室で教えてもらうという手も考えたが、やはり無理だと悟る。
 夜更かしが常ということは、朝には弱いのだ。それこそツナが頼めば別だろうが、自分が言ってもわざわざそのために朝早く登校してくれるようなことはないだろう。そう思い、またため息を深めたところで、再び家の外でガタガタッと物音がしていた。
「……?」
 一階が店舗になっているため、住居部分は二階と三階になる。自分が今いるこの自室は三階の端で、道路とは反対側に面している。よって、車の通行などもほとんど音がしないのだが、今度の物音はしっかりと聞こえていた。
 ついでに言えば、一度目より大きくなっていた。
 近くなった、と表現してもいい。
「なんだ、猫でもいるのか……?」
 父親は少しでもいい寿司ネタを仕入れるため、早朝から魚市場に出向くので寝るのが早い。母親も同様な生活時間なので、階下でこの時間に物音がするということはないはずだ。
 だが、確かに音はしていた。なんだかズルズルと引き摺るような音が、家の外からしているのだ。
「……。」
 この部屋には窓が一つあるが、カーテンを閉めたままだ。
 不意にどうしようもなく気になり、椅子から立ち上がって窓の方へと向かってみていた。上手く説明は出来ないが、何かを感じたのだ。そうしてカーテンに触れれば、開け放つ前にわずかに隙間ができる。揺れた布の向こうに臨むのは暗い夜空のはずだったが、突然窓ガラスにバンッと人の手がついてひどく驚いていた。
「うおっ……!?」
 ここは三階だ、ベランダもなにもない窓の外だ。
 そこにいきなり人の手が現れれば、さすがに悪寒が走ってビクッと窓から後ずさってしまった。
「な、なんだ……!?」
『……山本ォ、開けろこのヤロー』
 しかも、窓の外からはまるで怨霊のような呪詛に満ちた声が聞こえてくる。
 自分の名前を呼んでくる気味の悪さに震え上がっている、場合ではない。その声はひどく苦しそうだったが、確かに知り合いのものだった。ついでに言えば、まず間違いなくつい今し方電話をしたいと思っていた相手だ。
「お前っ、獄寺!? なにやってんだよ……。」
「や、山本……!!」
 慌ててカーテンをバッと開け、そこにしっかりと予想通りの相手を見つけて脱力してしまった。カラカラと乾いた音をさせて窓ガラスをスライドさせれば、夜風が室内にも吹き込んでくる。もう随分と寒くなっているんだな、と漆黒の夜空に思っている間に、家の外壁にへばりついていた獄寺は片腕をガシッと窓枠にかけていた。そうして室内に入れた腕で壁を抱き込むようにして、何故か大きくため息をついている。
「……し、死ぬかと思った」
「獄寺、お前なにやってんだ……?」
「大体っ、なんでこの家外の壁につかめるトコが少ねえんだ!! ぶっ飛ばされてえのか、ったく……!!」
 ぶつぶつと文句を言っている獄寺には申し訳ないが、生憎自分は実家の外壁が壁昇りに適した突起物等が適量設置されてるかなど考えたこともなかった。よく分からないが、とにかく機嫌は悪そうだ。謝ってみようかとも思ったのだが、それより先に窓枠を抱き込むようにしてしがみついたままの獄寺に睨み上げられてしまう。
「……あに笑ってんだよ」
「え? ああ、いや、おもしれーなーと思って……?」
 だがうっかり謝罪よりも面白いという感情が先に立って、笑ってしまっていたのがお気に召さなかったらしい。
 それでも、確かに自分は面白いと思っていたのだ。なにしろ、たった今電話をしようかと頭に描いていたばかりの相手が、こうして意外なところから現れたのだ。そんな偶然、面白いに決まっている。どうせ会えないければ宿題は捗らないだろうと分かっていたのに、少しだけ、電話をかけてみようかとも思っていたのだ。
 たとえ宿題は解けなかったとしても、声は聞ける。
 ひどく不機嫌で、素っ気ないものだろうが、それでも声は聞けたのだ。
 朝になって、登校すれば会えると知っているのに、どうしてだか声だけでも聞きたいと願ってしまった相手が、こうして今目の前にいる。こんな幸運が、面白くて、楽しくて、嬉しいのは仕方ないことだろうと思う。
「ったく、こっちは全然面白かねえっての、いいから引き上げろよ!!」
 そんな自分の気持ちなど伝わるはずもないので、相変わらず不機嫌そうに言ってくる獄寺に、苦笑しながら手を伸ばす。肩に回させた片腕を引き寄せ、担ぐようにしてぐっと引っ張り上げれば獄寺はようやく家の外から部屋の中へと入ってきていた。窓枠のところで靴を脱ぎ、適当ないらない雑誌の上に置いている様は勝手知ったるといった調子なので、好きにさせながら自分は窓を閉めつつもやはり呆れて尋ねてしまった。
「けど、やっぱ面白えだろ? なんで外、しかも窓から来るんだ?」
 獄寺はもう何度もこの家、というか自分の部屋に入り浸っているが、窓から訪問されたのは初めてだ。カーテンも閉めてから振り返れば、獄寺は少し視線を逸らして答えていた。
「……山本のオヤジ、朝早いって言ってたじゃねえか。玄関からだと、起こしちゃ悪いと思って」
「へ? そんだけのために?」
 確かにチャイムを鳴らせば父親たちも起こしてしまっただろうが、それこそ携帯電話ででも連絡をしてくれれば、自分がそっと玄関を開けに行ってやることはできたはずだ。相変わらず気の使い方が面白えな、と思っていると、どうやら疑われたと思ったらしい獄寺は急にムキになって噛み付いてくる。
「テメェ、信じてねえな!?」
「あ、いや、そういうワケじゃ……?」
「……そら、確かに。前に十代目の部屋で殺され屋を処理しにきたヒバリのヤローが颯爽と窓から現れたの見て、ちょっとだけスゲェとか、ヤツにできんならオレだって!! と思ったとかがねえワケじゃねえけどよっ、とにかく細けえことは気にすんな!!」
 よく見れば、獄寺の服は前面が汚れているし、手も同様だ。掃除などするはずがない家の外壁を、蜘蛛男のように昇ってきたならば当然だろう。苛立ったように煙草をふかしている獄寺の言う理由はよく分からなかったが、とにかくもうここにいるのだ。それだけでいいか、と納得した自分は、学習机の椅子に腰を下ろしてぐるりと回してから獄寺の方へと向く。
「まあ、窓から来たいんなら今度オヤジに言ってなんとかしてもらっとくからよ」
「……真に受けてんじゃねえ、つーかオレが窓から訪問するのが好きみたいな発言はやめやがれ」
「それより獄寺、お前こんな時間にどうしたんだ?」
 ギシギシと椅子の背もたれを鳴らしつつ、立ったままの獄寺を見上げてそう問えば何故かニヤリと笑われていた。待ってました、と聞こえた気がするが、独り言のようだったのでさして意味はないのだろう。咥えていた煙草はまだ吸えそうだったが、この部屋に専用として置いてある灰皿に押しつけて消した獄寺は、ひどく得意そうに答えてくれていた。
「いや……山本、週末に宿題出されてただろ? 十代目は終わらせてたけどな、お前はどうせやってねえと思って」
 見てやろうと思ったんだ、と続けた獄寺に、自分は心底驚く。
 まさか、この獄寺からそんな発言がなされるとは。
 なんて親切なヤツなのだと心から感動した自分は、椅子を今度は逆へとぐるりと回し、机に置いていたプリントを掴む。
「助かったぜ、獄寺!! じゃあ早速頼む!!」
「……て、マジでやってなかったのかよ!? チッ、これじゃあ宿題にかこつけた夜這い計画が台無しじゃねえかっ、つか宿題くらい一人でやっときやがれ!!」
 だが嬉々としてプリントを差し出せば、何故か不機嫌そうに怒鳴られてしまっていた。
 先ほど、宿題を見てやるために現れた、と言ったのは聞き違いだったのだろうか。言われてみれば確かに、獄寺が自分などのためにそんな親切心を起こすはずがない。願望が聞かせた幻聴だったか、とガックリと肩を落としてため息をつけば、獄寺は更に大きなため息をついていた。そしてガシガシと不機嫌そうに髪をかきむしった後、ポンと肩に手を置いてくる。
「獄寺?」
「宿題は見てやるっての、安心しな。今しなかったらどうせ放課後残ってやらされんだろ、せっかくテメェが野球ない日だっつーのに、んなことで時間取られたかねえ。さっさと終わらせるぞ」
「あ、ああ……?」
 そのままぐいっと肩を押されれば、椅子は再びぐるりと回って机の方へと向かされる。手にしていたプリントも取られ、目の前に置かれた。横に立つ獄寺は教科書とシャーペンを勝手に手繰り寄せているので、教えてくれる気はあるのだろう。学習机の横に半ば座るようにして寄りかかっている獄寺は、片手に教科書、もう一方の手にペンとライターを握る。ふと横から見上げればもう新たな煙草が咥えられており、これから火をつけるつもりのようだった。
「……なんだよ」
「いや……獄寺が来てくれて、よかったなと思って」
 別に今更喫煙を窘めるつもりはなかったのだが、素直に感謝したつもりだった自分の言葉に、獄寺は呆気に取られた顔をしてポロッと咥えていた煙草を落としていた。慌ててしゃがみこんで拾った獄寺は、なんとなく少し顔が赤い。そういえば窓を開けたとき、外の空気を冷たく感じたことを思い出した。まさかこんな時間に出歩いて、風邪でも引いたのだろうかと心配になっていれば、獄寺の唸るような声が聞こえてくる。
「分かってねえからと知っちゃあいるが、テメェ、宿題終わったらオレにヤられんだぞ……!!」
 そんなことを言って煙草を咥え直した獄寺に、思わず首を傾げてしまっていた。
「へ? ああ、そうだと思ってたけど?」
「……て、なにあっさり納得してんだよ!? 期待していいってことか!!」
「期待? いや、お前がなに期待してたのかとかまでは分かんねえけど……?」
 少なくとも、この部屋にわざわざ獄寺が来るという理由で、それ以外が考えられなかっただけだ。思えばクラスメートで男同士で、なにより友達なのに不毛な関係だ。獄寺は女子に人気もあるのだし、そうでなくともそういったことには不自由しなさそうなのにどうして自分なのか、よく分からないが別にそこまで知りたいとも思わない。
 ただ、獄寺が求めてくるから。
 求められて拒むという選択肢がこちらにない以上、獄寺がしたいと言うならそれがすべての動機だと分かっていた。
「山本、テメェほんっと分かんねえな!! 鈍いのか鋭いのか、疎いのか敏いのか」
「おう……?」
 まだ火のついていない煙草を咥えたままそう言い捨てた獄寺は、おもむろに煙草を外していた。そしてゆっくりと身を屈め、椅子に座っている分いつもより随分と低い位置にいる自分へと顔を寄せてくる。
「……とりあえず、前払いしろ」
「へ?……んんっ」
 拒むつもりはない、と思ったばかりだったが、できれば遠慮して欲しいとはこのとき感じていた。
 なにしろ、これからワケの分からない数学など理解しなくてはならないのだ。
 そんな難題を前にして、あまり混乱させないで欲しいと思う。心地よさと面映さで、ただでさえ賢くないと自覚している頭を獄寺のことだけでいっぱいにさせて欲しくないと願う。
 こんなふうにキスをされて、すぐに獄寺の味を忘れて切り替えられるほど自分の頭の性能は良くない。
「……そんじゃ、宿題始めっぞ。一回しか説明しねえからな、さっさと理解して終わらせろよ」
「あ、ああ……。」
「山本、聞いてんのか?」
 少しだけ機嫌がよくなった様子で、やたら頭を撫でてくる獄寺に促されるままに自分もシャーペンを取りプリントへと向かう。
 ほてりを感じる頬は、鏡で見ていれば若干赤くなっていたかもしれない。もしかして獄寺の風邪がうつったのだろうか、と思っていると、無意識に自分の口元に手を当てていた。そのことに何故か嬉しそうに笑った獄寺は、まだ火をつけていなかった煙草を器用にくるりと指で回して尋ねてくる。
「なんだ、苦かったか?」
 今持っている煙草は二本目で、今夜この部屋に来てすぐに一本ふかしている。舌を絡められ、その苦味を感じたかとからかうように尋ねられても、事実だったので頷いておいた。
「ああ、獄寺の味がした」
「……。」
「……獄寺、どうしたんだ?」
 自分が全く煙草を吸わないので、味の違いなど分からないし、吸いたいとも思わない。だが苦味自体は慣れてしまっており、慣らしてくれた相手はもちろん獄寺だ。
 だからこそ肯定したのだが、尋ねた獄寺が黙り込んでいる。自分で言っておきながらそんな反応をされると、聞き間違いだったかとまた首を傾げそうだ。だがこのときは獄寺が指でトントンとプリントを叩いて見せたので、意識は宿題へと向く。
「……いいから、さっさと終わらせるぞ」
「おう、頼むなっ」
 視線を机に向ければ、横で獄寺が、あんまり煽るなだとか無意識だから余計にタチわりぃだとか、ぶつぶつ言っている声も降ってきている気がしていた。だが少なくとも、機嫌を損ねている様子はないのでいいだろうと思う。自分も、宿題をさっさと終わらせることには賛成なのだ。
 数分か、数十分。長くとも一時間はかからない。
 そんなわずかの時間、好きでもない数学に取り組むだけで、もう日付が変わってしまった今日月曜日の放課後、友人たちと過ごす時間が確保されるのだ。
「……オイ、テメェ聞いてんのか?」
「大丈夫、聞いてる、聞いてるって?」
「チ、いざとなったら答え丸々教えてやっからな。飲み込み悪かったら待ってやれる余裕はねえぞ、今夜は」
 そして、これからすぐに獄寺との時間も約束されているのだ。
 そんなご褒美があれば、心配されずとも集中することができる。少し前までは見ていても理解どころかさっぱり頭にも入ってこなかった公式が、どんどんと消化されていくのを感じる。
 こんなとき、獄寺が居てくれてよかったなあ、と思う。
 獄寺でよかった、本当に。





「……で、それからヤって、朝になって。オレは朝練あったから先に家出たんだけどよ、獄寺はまだ寝てて。どうも、窓から帰ろうとして足滑らせたみてえ」
「へ、へええ、そうだったんだ……!!」
 今はもう朝となり、一時間目が終わった後だ。無事に数学の宿題は提出できたものの、昨夜教えてくれた当人が登校していない。遅刻かと思ったが、結局授業が終わってもやってこなかった。
 珍しいこともあるものだと思い、一応電話をしてみれば獄寺はひどく悔しそうに唸っていた。どうやら昨夜窓からやってきたので、今朝も窓から帰ろうとしたらしい。その際に足を滑らせ落下したようだが、地上までさほど高さもなかったため、軽く足をくじいただけで済んだようだ。
 それは不幸中の幸いだが、怪我が重篤というより朝から機嫌を損ねて自宅に帰って不貞寝をしているらしかった。今日はもうサボる、とぼやいて電話を切った獄寺に、山本は同じように獄寺の不登校を心配していたツナに、聞いたばかりの内容と、そもそもそこに至る昨夜からの事のあらましを話してやっていた。
「獄寺も律儀なヤツだよな。窓から来たからって、窓から帰らなくてもいいのによ」
「や、山本、そこが問題!? というか足くじいて不貞寝ってだけなら昨日からの長々とした説明はいらなかったというかっ、そんなノロケ聞かされてもオレも反応に困ってるっていうか!!」
「ん? どうしたんだツナ、そんなに獄寺が心配なのか?」
 必死になって、と笑っている山本は、当然いろいろなことが分かっていなかった。
 そもそも聞きたくもないのにツナが聞かされた話では、夜中に山本が獄寺に電話で宿題を教えてくれと頼んだとしても、嬉々として駆けつけてくれただろうという確信はある。早朝に呼び出しても同様だ。それくらいには愛されてるよ、と言いたいのだが、そもそも付き合っているという自覚すらない山本には言うだけ無駄というものだ。知ってはいたがここまでとは、とうっかり獄寺に同情して涙が溢れそうだっただけのツナに、山本はやはり首を傾げていた。
 山本がこのとき思っていたのは、不貞寝している獄寺に電話をかけたのがもしツナであれば、獄寺は喜び勇んで今からでも登校してきたのではないだろうか、ということだった。せっかく宿題も提出し、放課後に時間を確保したところで過ごしたかった片割れがいないのでは本末転倒だ。気になったからといって、自分が先にかけるのではなかった。後悔というほどの感情ではなかったが、確かにそう思ったとき、ふとツナに不思議そうな顔をされる。
「……山本?」
「え? ……ああ、なんでもねえ」
 ツナの視線を辿れば自らの携帯電話に、もっと正確に言えばそれを持つ手に注がれていた。既に通話も切れ、ツナはツナで自分の携帯電話があるというのに、これを差し出してどうしろと言うつもりだったのか。
 無意識の行動故に、更に億劫さが増して山本はため息をつく。
 どうにも、好ましくない傾向だ。バカが考え込んでもロクなことにならないと悟ったはずなのに、気になって仕方がない。いっそ考えるほどの思考ですらなく、ただ、どうしようもなく会いたいと思っていた。
「あ、えっと、山本……お見舞いとか、行っちゃったり?」
 ほん数分前までは確かに繋がっていたはずなのに、ボタン一つで切ることもできる手軽さが今はひどく重い。手に包み込めるほどのこんな機械があるから余計に振り回されている気がする、とぼんやり視線を落としていた所為で、山本は一瞬ツナの言葉の理解が遅れていた。
「……は?」
「だから、獄寺君のお見舞い。怪我してるんだよね?」
 重ねて説明をされ、ようやく意図が分かる。だがそれには、笑ってひらひらと手を振ってやっていた。
「いやいや、いらねえだろ? ああ、ツナは話してねえから重傷かと思ってるのかもしれねえけど、アイツめちゃくちゃ元気だったぜ?」
「そう、なんだ? でも、山本なら行くっていうか、獄寺君が来させるんじゃないかとか思ってたけど……。」
 行かないんならそれはそれで、と笑っているツナは、単純にそんなことになれば巻き込まれて目の前でノロケどころではないものを全開にされることを危惧していただけだ。
 だが当然見抜けない山本は、ツナはお見舞いに行きたいのだろうかと考えていた。ふと思い出したのは、以前ツナが入院していたときのことだ。あの際に、獄寺は途中車に轢かれつつも病院に駆けつけていた。そこに友情を感じ、同じように返そうと思ったのかもしれない。ツナらしいなと素直に感心はしたものの、山本はなかなか協力できそうになかった。
「ああ、まあツナが行きてえんなら一緒に行ってもいいけどよ? オレ、獄寺の家知らねえんだよな。ツナは知ってるのか?」
 道案内ほどにも役に立たないとすまなそうに言ってみれば、何故かツナに激しく驚かれる。
「ええっ、山本、獄寺君の家知らないの!? というか、入り浸ってるんじゃないんだ!?」
「ん? いや、アイツはよくウチには来っけどよ、オレは行ったことねえ」
「それじゃお見舞いに行ったら獄寺君ますます喜ぶんじゃとか、いやいやそういうことじゃなくってさ!? じゃあ今までどこでそんなにヤッ……いい、なんでもない、ごめん口が滑った」
 急に質問を止めて首を振っているツナは、なんだかひどく苦しそうだ。よく分からないが、悩みがあるらしい。言いかけた言葉から推察すれば、どうやら獄寺の部屋という選択肢がない状態で、どこで回数を重ねたのかということのようだった。それを尋ねることにどんな意味があるのかは分からないが、こんなにもツナが苦しそうにしているのならば、敢えて隠し通すほどのことではない。
「んーと、オレの部屋に来るようになったのは最近、つってもここ一・二ヶ月くらいか? その前はなんか、獄寺がその気になった場所っていうか」
「……待って、聞きたくないけど聞きたくない」
「屋上とか空き教室とか公園とか、ああ、あと体育館の裏の方とか? 外でヤると大抵下が地面とかコンクリートとかで固えんだよな、ちょっと腰とか痛めそうとか思ってぼやいたら、そういやオレの部屋でのことが多くなったような?」
 オレは二回も聞きたくないって言ったのにーっ!! とツナは頭を抱えていたが、当然山本には届いていなかった。
 説明しているうちに気がついたのだが、山本が行為に対して注文らしいものをつけたのはその点のみだ。以降の行為がすべてベッドなどになったわけではないものの、割合は格段に増えた。そう考えれば、あれは獄寺の気遣いだったのだろうか。だがすぐにそんなことがあるはずもないと自分で笑ってしまう。一瞬でもそう解釈してしまった自分が、なんだか滑稽だった。
「あ、あの、山本……?」
「……まあ、そんなワケで。ツナも知らねえってことは、人呼ぶのイヤなのかもな? なんかアイツって、ほら、踏み込ませねえテリトリーみたいなの、ビシッと引いてるだろ?」
 急に黙り込んでしまった自分を怪訝に思ったらしいツナに呼ばれ、慌てて我に返った山本はいつものような笑みを見せつつそう返していた。実は山本にしてみれば、ツナはてっきり獄寺の家くらい知っていると思っていたのだ。だがよくよく思い返せば、ツナもはっきり知らないと言ったわけではない。ならば知っているのかと思いかけるが、どうやら最初の直感で合っていたようだ。
「う、うん、それは分かるけど。オレも、そういえば今獄寺君がどこに住んでるのかとか、聞いたこともなかったし……。」
「そっか。じゃあ見舞いも無理だよな、当人がどこにいるのか分かりゃしねえんだし」
 いまだ手にしたままの携帯電話で、リダイヤルの一つも押せば簡単に繋がるだろう。
 そうして声が聞け、意思の疎通ができたとしても、それだけだ。身近にいてくれるような錯覚を起こすだけの文明の利器が、今度はひどく虚構のように思えてくる。
 つくづく、よくない兆候だ。
 獄寺のことになると、どうにも気が滅入って仕方がない。
「まあ、怪我して動けねえとかじゃなくて、単に機嫌損ねただけみてえだし。見舞いなんて行かなくても、明日にはしれっとして元気に登校してくるぜ、きっと」
 半ば自分に言い聞かせるようにして、山本はそうまとめていた。むしろ、今日のうちにふらっと登校してきてもおかしくないとすら思っている。なにしろあれだけ気まぐれなのだ、どういうふうに気が向くのかなど全く予想がつかない。
 そう思いつつ、獄寺を気まぐれと評したばかり自分に山本はまた億劫さが募る。ツナへの態度や、時折覗かせる自分の知らない世界で生きてきたその背中は、ビシッと一本筋が通っているように見えるのだ。
 そうだと知っておきながら、気まぐれと決め付けたのは単に自分に理解できなかったからだ。分からないと放棄して、アイツの思考に一貫性がない所為だと押し付ける。くだらない責任転嫁だという自覚はあっても、分からないものは分からないのだ。
 分からないことがもどかしくて、落ち着きをなくさせ、ときに不安にさせる。
 だが目の前に獄寺がいれば、その分からなさが面白くて、もっとそんな言動に触れていたくて、向けられる視線も体温も山本には新鮮で心地よくてたまらない。
 つくづく不可解な状態だ、とまた自嘲がこみ上げてきたとき、不意にぐいっと手を引っ張られていた。
「や、山本!!」
「おっ……?」
「やっぱ獄寺君のお見舞いに行こうっ、行くべきだよ!? だって、山本、そんなつらそうな顔してて、ほんとは獄寺君のこと……!!」
 心配しているのだろう、と、ツナは思ってくれたのだろう。だが生憎自分は本当に心配していない、と山本は思っていた。それは単純に、電話口での獄寺がひどく元気そうだったからだが、このとき山本はそんな説明を重ねることはなかった。
 あまりに行かないと突っぱねるのも、友人として薄情な気がしたのだ。特にツナがここまで言ってるのだから、少なくともツナは獄寺の見舞いに行きたいのだろうと解釈する。少しだけずるい本音を言えば、頷いたところで分からない家には行けるはずもないと高を括っていたのも事実だ。
「ああ、なら行くか? 獄寺の家が分かったらな」
「うっ、それは確かにまず解決しなきゃいけないことだけど……!!」
 ツナを困らせるつもりはなかったが、現実問題としてそれが実行不可能にさせてくれている。誰か知っていそうな人、と考えたところで、この辺りでの唯一の身内である実姉のビアンキに獄寺が住処を教えているとは思えない。保健医をしているシャマルも知り合いではあるようだが、家を知っているかは謎だ。仮に知っていても、可愛い女の子でもない自分たちでは教えることが面倒だと拒否されてしまいそうな予感はしている。
 そうなれば他に誰か、と思ったところで、確実に知っている人物を一人思い出していた。獄寺君の住所知っていそうなのって誰!? と頭を抱えているツナに教えてもいいものか、一瞬悩んだが、隠すのも妙だと思い山本は指摘してみていた。
「……獄寺にきけば早いんじゃねえのか?」
 さすがに住んでいる本人ならば知らないはずがない。ハッと気がついたように喜色を浮かべたツナに、山本は思わず笑いながら続けていた。
「ま、アイツに教える気があれば、だろうけどなっ」
「ああっ、それがあったか、そうだよ獄寺君そう簡単に……!!」
「て、ことで? ツナ、電話してみろよ」
 獄寺に口を割らせるならば、ツナ以上の適任はいない。ついでに自分も行っていいのか尋ねておいてくれと続けたのは、ツナが訪問を拒まれることはないだろうが、自分は微妙だと思っていたからだ。だがそう言えば、何故かツナに怪訝そうに見上げられる。
「ん?」
「山本、ほんっと、分かってないんだ……。」
 獄寺君可哀想、とため息をつかれても、その意味はよく分からない。もしかすると見舞いに同行することを獄寺が歓迎するはずもなく、そんなことすら分かっていないのかという非難なのかと考えてみた。同行の確認を要請するということは、許可さえ出れば行きたいということだ。そんな迷惑なことを尋ねられる段階で既に可哀想だという意味ならば、さすがの自分でも少し凹んでしまいそうだ。
 好かれていないことは分かっているが、こうまであからさまに邪険にされると強がりも貫き通せなくなりつつある。獄寺を最も理解していると思われるツナからの反応は、獄寺本人でなくともダメージは充分だった。ちょっとだけ泣きそうだ、と自嘲気味にぼやきかければ、ちょうど二時間目が始まるチャイムが鳴っていた。
「お、そろそろ席に戻らなきゃな。じゃあツナ、電話、ヨロシクな!!」
「あっ、山本、ちょっと……!?」
 担当教諭もまだ来ていないのに、真面目なフリをして席に戻る自分は単に逃げ出しただけだ。
 ガタガタと椅子を引いて腰を下ろしても、教科書やノートを出す気にもならない。ふと向けてしまった斜め前の方向で、視線の先には空席が捉えられる。
 昨日の夜は、あんなにも幸運が降ってきたと思ったのに。
 こんな落差があるから悩んでしまうのだとため息を深めた山本は、今日は主が来る予定のない席はもう見ないようにして教師が来る前に机に伏せて寝ることにした。







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