【お試し版】
『紅恍のエンブリオ』収録-02.








※注意※



この本は、リア=グリフというパラレルシリーズの第2弾(続編)です。
本の中に前作にあたるリア=グリフ本編+後日談のあらすじが収録されています。
ただ、「リア=グリフ本編+後日談」の再録本『環 蒼天 リア=グリフ』も発行しています。
再録本を同時購入予定の場合、
これ以降のお試し版は再録本のネタバレになります。

ご注意下さい。











































■01







 大陸からは遠く離れた東の島しょ群にある並盛町は、三月に入りだいぶ冬の寒さが和らいでいた。完全に春になったとまでは言えないものの、厚手のコートはもう必要ない。陽気によってはマフラーや手袋といった防寒具が全くいらない日も増えており、日々春めいていく気候に自然と気持ちも清々しくなってくるような時期だった。
「……あっ、山本さん!!」
「おーっ、ハル、久しぶり!!」
 この日は訓練も哨戒予定もないため、平日ではあるがファミリーとしては完全なオフだ。ツナからの配慮であるが、ツナ自身は午後からいつものように執務についているので、若干心苦しい。だが休めるときに休んでくれと言われれば素直に受けた方がいいのだろうと思い、山本はありがたく休暇とさせてもらった。
 そうして、三月上旬の週末に、山本は憂鬱な学校行事を終えてから珍しくクラスメートたちと町に出かけ、食事などをして遊んだ帰りだった。夕方には自宅に戻り、店舗を手伝う予定にしている。クラスメートたちと別れて一人でその帰路についた頃、ちょうど学校帰りらしい知人と出くわした。
「ハルも今帰り? あれ、いつもこんな時間?」
 三浦ハルという名前の少女と知り合ったのは、親友であるツナを通じてのことだ。ハルはこの近所に住んでいるものの、とても優秀らしく少し遠い私立の中学校に通っている。並盛の本当に中心地にだけ敷設されている汽車を利用しているようだ。確かに、この付近の中学校と言えば、公立ではあるが半分ボンゴレファミリーの養成所にもなっている並盛中学しかない。将来マフィアを目指さず、成績が優秀な者は、中学の段階から私立などに行く者が多いのは自然な流れだ。それだけ、並盛中学がマフィアとの兼ね合いを良くも悪くも成立させており、全くの堅気であれば通いにくい環境になっているという証だった。
 だが並盛に限らず、この世界ではマフィアが絶大な権力を握っている。国や民族といった区分けより、どのマフィアの支配下かで色分けされるのだ。この東の島しょ群には、土着の小さなファミリーを除けば、大陸に本拠地のある最大のファミリーであるボンゴレのみが並盛を直轄地にしているため、その周辺も比較的ボンゴレの影響が大きい。完全に独立し、不可侵とされているのは亜人のみで構成されるコミュニティくらいだ。行政や警察もまずファミリーの顔色を窺わなければ決定もできず、なにより財政をほぼ支えている。そのことからも、実質的な支配者はやはりマフィアである。だがあくまで表向きは戦闘屋として君臨している武装集団であり、公的な施設や制度までもがマフィアに配慮し、融合されているのは、この辺りではやはり並盛だけだった。
 そんな中で、ハル自身はこれまでマフィアとは家族も含めて関係のない生活だった。だが、一昨年の末辺りにひょんなことでツナと知り合いになり、一変した。そのときは、知識としては並盛の統治者でボンゴレの次期ボス内定者が沢田綱吉という少年だとは知っていたが、まさか優しく大らかなツナが当人だとは思わなかったらしい。惚れた相手が次期ボスとくれば、いかにマフィアと関係ない者でも怖気づくだろう。むしろ、堅気だからこそ諦めてもおかしくない。だがハルはその躊躇を簡単に飛び越え、少なくともツナの友人という関係は簡単に結んだようだ。
「そうですよっ。あ、でもテスト前だから部活がないんで、いつもよりちょっと早いですけど」
「あれ、そっちは今からテストなんだ? オレは、ちょうど今日で終わったのな!!」
「ええっ、いいなぁ、ずるいですー……!!」
 ちなみに、ツナには想い人がおり、山本もそれを知っている。並盛中学で同じクラスメートの、笹川京子だ。その辺りはハルとしてはどうなのだろうと思っていたが、気がつけば女子同士で気も合い、仲良くやっているようだ。ツナはモテるなと感心するが、謙遜するばかりで今はまだどちらとも決められないらしい。おかげで、さすがに本営には招けないものの、休日などに遊んだりする際には自然と顔を合わせることが多くなり、山本もハルと完全に打ち解けて友人の一人になっていた。
「あははっ、オレは今日まで頑張ってたのな!! ……いや、頑張ってはないか。ほんとなら赤点で追試でもおかしくねえ点数だと思うけど」
 そんなハルと、山本は比較的二人で会うことも何度かあった。ツナはさすがに忙しく、山本の休みはいつも急なので学校の友人は予定が合わないことが多い。なにより、学校の友人は幼い頃から知っているからこそ、山本が亜竜であることに対して怯えているのではないかという恐怖が抜けなくて、自分から誘うことを躊躇してしまうのだ。
 その点、ハルは恐がらないし、ハルにとってもツナの当たり障りのない近況を聞け、伝言も頼めるので山本に会いたがってくれる。嫌な言い方をすれば、利害が一致している。ハルが自分と会ってくれるのは、相手からの一方的な善意と妥協なのではないという事実が、むしろ山本を安心させた。
 そこまで思って、山本はふと顔が曇る。こうして山本がハルと会うことを、快く思わない人間のことを思い出してしまったからだ。
「……獄寺さん、まだしばらくお帰りになられないんですか?」
「えっ、あ……!?」
 つい無意識に首から提げている二重輪の手綱、レインを触ってしまっていた山本は、ハルが慎重にそう尋ねてきて驚いてしまった。
 確かに、今獄寺は並盛にいない。半年ほど前から始まった任務とやらで、また大陸に出張に行っているのだ。本来騎竜兵は、騎手と亜竜で一組であり、並盛には山本たちしかいないので獄寺もまたこの地を離れることができない。防空神話と言われていても、やはり、制空権を持つのは竜なのだ。飛行できる機械としては、高所から飛び降りるグライダー程度までしか空を統べる魔物たちに見逃してもらえない。そうである以上、ヒトと魔物の両方の因子を持つ亜人の中で、亜竜は唯一の防空機能として計算できる。そんな定説に縛られている中では、並盛で唯一の騎竜兵である二人はこの地を離れられなくなる。そのため、どうしても獄寺を大陸に向かわせたい上層部の都合で、山本が単身での哨戒が可能なように規則の方が変えられたのが、半年前だった。
 そのおかげで、獄寺は堂々と大陸に出張に行けるようになった。それだけツナの信頼も厚く、期待されているということだ。元々大陸でも名門出身であったようだし、落馬によるトラウマが克服された今となっては、獄寺の有望さを妨げるものはない。
 つまり、騎竜兵などという狭い枠内に収めておくには惜しい人材なのだ。山本もそれは当然だと思うし、獄寺はマフィアの中に居場所を見つけ、唯一ボスと崇めるツナに認められ役に立ちたいという思いが人一倍強いので、応援したい。だが獄寺が嘱望されて、過渡期にあるマフィアの情勢から並盛が取り残されないよう、本場である大陸での情報収集とボンゴレ本部との橋渡しを担うたびに、結果的に離れることが多くなってしまう。それがつらいと全身で訴えてしまう自分が、本当に情けなくて持て余していて、困る。
 今も撫でてしまったレインは、獄寺専用の手綱だ。仮に緊急出動がかかってもこの手綱を握ってくれる獄寺はいないのに、今日も制服の上からかけているのは、亜竜としての規則だからという以上に繋がりを欲しているのだ。首の付け根と、肩甲骨の下辺りにある左右の痣のような幾何学的な紋章が、ズキズキと痛んでいる気がする。獄寺に会えなくて寂しいと訴える竜の因子は本当に厄介で、ふと思い出しただけで泣きそうになってしまった。
「あ、あの、山本さん……?」
「……ああっ、あ、うん、ハルなに!?」
「ご、ごめんなさいっ、立ち入ったこと聞いちゃって……!!」
 足を止め、レインを握り締めてしまっていたのがいけなかったのか、山本の様子にハルは慌てた調子で謝りだしていた。
 ちなみにハルも、ちゃんと山本と獄寺のことは理解している。最初は人間の男性にしか見えない山本なので面食らったようだが、亜竜ということで種族が違うからか、それとも恋に性差はないと寛容なのか、すぐに獄寺との関係も文字どおり山本のパートナーとして受け入れてくれた。
 ただ、ハルはあくまで民間人だ。ファミリーでも、仮契約状態の準ファミリーでもない。そのため、友人付き合いはしても、ファミリーとしての深い話題には首を突っ込んではいけないと自制している。想い人であるツナのことを知りたいという気持ちすら、マフィアが絡む点ではぐっと堪えているハルなのだ。親しい友人にしか過ぎない山本の、そのパートナーである獄寺が不在であることは、一応公にされる発表ではない。だが機密事項ということはでなく、本営に入れる者であれば少しスケジュールを閲覧して判明する程度のことである。山本が、テストの成績が良くないことを匂わせたので、勉強を見てもらっていない、つまり獄寺が教えてくれるほど傍にいないようだと察したのだろう。
 その洞察力は素直に感心したが、恐縮されるほどのことではない。すっかり余計なことを言ってしまったと落ち込んでいそうなハルに、山本は慌てて取り繕っていた。
「ああ、いや、獄寺がいねえのは別に絶対秘密ってほどのことじゃねえから? 本営に行けばすぐ分かることだし、クラスメートならファミリーじゃなくても明らかだし」
 獄寺の出張を隠すべき意味があるとすれば、やはり防空上の不安を無駄に煽らないためだ。いかに規則としては山本だけでの哨戒が可能とはいえ、長らく騎竜兵は二人一組で活動してきた。不安になる住民がいるのは、どうしようもない。
 だがこの点も、大丈夫だから規則を改正したのだし、実際には獄寺の留守中に山本が哨戒に出ることがあれば、できるだけ臨時の代理騎手が乗ることになっている。現実問題としては山本はもう獄寺以外を乗せられないため、努力目標にしか過ぎないのだが、代わりの騎手がいるのだという建前にはなる。ちなみに、名目上の代理要員は、獄寺が並盛に来るまで山本の臨時騎手を勤めていた亜人担当の教官である。
 また、現在のところ獄寺は騎竜兵以外の上級肩書きがないため、さほど幹部扱いされていないことも大きい。並盛に来てから日も浅く、何より年若いからだろう。一時期英雄としてもてはやされたが、それはあくまで騎竜兵としての功績である。また山本も口にしたように、在学中のため出張によりたびたび休んでいれば、不審がられるのは当然だ。そこで学校にまで緘口令を敷くほどの労力を割くほど、不在の周知は動揺を招かないと判断されている。
「あ、はい、それならいいんですけど。でも、それだけじゃなくて……。」
「ああ……?」
 だから問題がないと笑ってみせた山本にも、ハルの顔は晴れなかった。それに、隣を歩きながら不思議そうにしていると、ハルは申し訳なさそうに説明をしてくれた。
「ただ、その……山本さんが、寂しそうだなって思っちゃって」
「……。」
「もしかしたら、気にしないように頑張ってらしたのかもしれないのに、思い出させるようなこと言っちゃって、悪かったかなあて、ハル、反省してたんです……。」
 どうやら、山本たちがファミリーであることへの配慮と共に、友人としての気遣いだったらしい。
 確かに、心の中の不安などを人から指摘されると、突きつけられたような気になり傷ついてしまうことはあるだろう。山本も、獄寺が不在の間は、できるだけ人といる間は獄寺のことを考えないようにしている。
「ああ、えっと、別にオレは……。」
 それは、獄寺が手の届くような距離に居ないのだと実感すると、足元がグラグラと揺れて崩れてしまうような感覚に襲われるからだ。見えているはずの視界が感覚の中だけで真っ暗となり、急に自分の居場所が分からなくなる。方向感覚を失い、呼吸の仕方すら忘れて体の奥で叫ぶ悲鳴に意識が塗り潰されそうになるのだ。
 獄寺、獄寺、獄寺、ごくでら、ごく、でら……
 心だけでなく、体が獄寺を呼んでいる。背中に刻まれた業のようなもう一つの因子が、獄寺を欲して暴走しそうになる。
「……山本さんっ、山本さん!?」
「えっ……あ、ああ、うん、大丈夫、大丈夫っ」
 だから、考えないようにしている。最初に獄寺が出張に行った半年前は、離れていたのがたった一週間だったのに、常に獄寺のことばかり考えてしまって傍目にも相当心配をかける状態になってしまった。
 そこで、獄寺と話し合って決めたのだ。たとえ獄寺と離れることがあっても、それは一時的なものだ。ファミリーとして在籍している以上、仕方がない。なにより山本にとっても親友であるツナや父親を心配させるのは本意ではなかったので、できるだけ獄寺のことを考えないようにして、平然と振る舞えという指示は従う価値のあるものだった。
 半年も経てば慣れてくるもので、山本は今では自分は割りと平然としていられるようになったと思う。ただ、それはあくまで他の人がいる前でのことだ。無理をしている分、不意に思い出せば獄寺の体温や匂いの記憶はあまりに強烈で、意識を失そうな恐怖すら感じる。しかも、獄寺の不在が長くなればなるほど、当然我慢も効きにくくなってくる。
 今回の出張は二月の下旬に発ったので、もう二週間以上経過している。週が明ければ三週間というのはこれまでの最長記録であり、それを認識すれば山本は自分が恐くなった。
 こんなにも獄寺と離れていて、自分は大丈夫なのだろうか。
 運命の騎手を一途に慕う亜竜としての血が、錯乱してしまわないだろうか。
「大丈夫、な、ハズなんだけど。でも、ハル、これ内緒な?」
「は、はい……?」
「……オレ、ほんとはすげー寂しい」
 それでも、ハルには強がっても仕方がないような、強がらなくても許されるような気がして、山本は思わずそう言って苦笑した。
 獄寺がいなくて、平気なはずがない。深い悲しみなのだとため息をついて漏らした山本に、ハルは隣で少し目を潤ませていた。
「分かりますっ、分かりますぅ!! ハルも、ツナさんにずっとお会いできてなくて、寂しいです……!!」
「うんうん、そーなのなっ。あ、ツナもまだしばらく忙しいみたいだけど?」
 そして、恋する者同士つらさは理解できると頷いてくれたハルが、山本は嬉しい反面、羨ましくもあった。
 もしそうハルに言えば、逆だと拗ねられるだろう。なにしろハルはまだツナに片想いだが、山本は獄寺と両想いである。騎竜兵のパートナーというのが公的な関係だが、私的には恋人同士と言って問題ない。男同士ではあるものの、することはしており、大好きな相手と深く愛し合っている山本の方がハルは恵まれていると思うに違いない。
 だが、その深い想いがまさに厄介なのだ。一般的にはマフィアの間でも一部にしか知られておらず、ましてやハルは民間人なので知る由もない。亜竜の業とも、呪いとも言われる性質が、これまで亜竜族を苦しめ続けていた。亜人の中で、一際自殺と発狂、更に戦死が多いのが亜竜だ。それは、一子遺伝が原則の竜の因子が、あまりに強大な力と引き換えに生涯ただ一人を愛するという制約を背負っているためだ。亜竜から望んだ唯一の相手は大抵の場合が騎手なので、『運命の騎手』と呼ばれる。この相手ができてしまうと、亜竜は運命の騎手以外乗せられなくなる。更に姦通すると騎竜兵としての能力が上がりすぎ、大抵はマフィア内でボスの命令をきかなくなってしまうことから、マフィアの中では沈黙の掟で最悪は死罪と規定されているのだ。
 それほどまでの罪と定められていても、亜竜は一途に運命の騎手だけを想い続ける。だが、運命の騎手は、必ずしもそうではない。人間である騎手は、たとえ亜竜と恋に落ちても、心変わりをすることがある。戦死でもしない限り、むしろその方が普通だ。沈黙の掟という無言の圧力や、ファミリー内での分かりやすい引き離し工作だけではない。一途に想いすぎる亜竜の存在が重くなりすぎて、逃げ出してしまうことがほとんどなのだ。
 それでも、亜竜はただ失意のままに運命の騎手だけを想い続ける。竜の因子を捨てない限りは気が狂うのも仕方がないほどに、ただ一人を愛して心を捧げ続けるのである。そんな性は、やはり業としか言いようのないものだ。
 表向きは運命の騎手とは公言していないが、山本にとっての獄寺は生涯ただ一人の存在だ。今のところは獄寺もまだ愛してくれているが、こうして出張で離れているだけでも山本はかなり不安定になってしまうので、愛が重すぎると投げ出す騎手が多いのも頷ける話である。山本は、それがこわくて仕方がない。先天性の欠陥だと甘えたくはないが、ハルのように想っている人への自制と気遣いができるということは、やはり人間なのだと差異を感じてしまって、山本にとっては羨ましくて仕方がない。
「ああっ、そうなんですかぁ!? ハル、ショックです……。」
「でもハル、どうせ来週からテストなんだろ? それ終わる頃には、ツナもちょっと暇になってるかも?」
「そうだといいんですけど……。」
 ちなみに、実質的には運命の騎手である獄寺とそれこそ姦通している山本たちが罰せられないのは、山本が亜竜ではないという憶測があるためだ。
 そもそも、亜人の中でも最も強いとされる亜竜だけがこの添い遂げる因子の特性を持つのは、亜竜の力を操りたい権力者の思惑があったと想像されている。だがもし事実であれば、亜竜も含めた亜人は『作られた種族』という昔からの妄想話が、現実味を帯びてしまう。かつては眉唾物のオカルトとして有名だった説であるが、昨今では一概に事実無根とは言いきれない現象がいくつかある。
 一つは、自殺率があまりに高いのであれば、一子遺伝の亜竜は数が激減していくはずなのに、何故か微増している点だ。更に、実際に逆の方法には成功していることだ。本来魔物は稀少であり、人間よりはるかに強大なため、わざわざ能力が劣る亜人を作り出す必要がない。もし作るとすれば、人間が人間に魔物の因子を組み込んで、亜人としたはずだ。なにより、亜人はそれだけでコミュニティを形成し、普段はヒト型で生活する者がほとんどである。これらのことからも、もし作られた種族であるとすれば、やはりベースが人間で、イレギュラーな因子が魔物である。
 その逆とは、魔物に人間の因子を組み込ませて二つの因子を持たせた亜人だ。実は、現在の山本はこうして亜人になった。元々はもちろん、父親から竜の因子を受け継いで生まれた通常の亜人だった。だが昨年夏の戦闘で人としての因子が壊れるほどの重傷を負い、生きるために魔物となったのだ。十四歳という年齢は魔物としては幼少すぎ、未熟な竜はその魔力で人型となることはなく、獄寺とも今生の別れとなるはずだった。そこで様々な偶然と協力が重なり、山本は亜人だった際の血液からヒトとしての因子を抽出し、魔物の体に移植した。想像を絶するような苦痛を経て亜人となった山本は、並盛に戻り、再び獄寺のパートナーとして迎え入れられることになったのだ。
 そこで問題なのは、表向きは亜人として復帰した山本が、一度ヒトとして死んで魔物になった事実があることである。もちろん一般には死亡と告知されたが、マフィアの間では魔物となった山本が大量の魔物を呼び寄せ、並盛を包囲していた敵の洋上戦力を一掃させたことはあまりに有名な逸話だ。その魔物が以前と全く同じ姿で何食わぬ顔をして戻ってきたのであれば、当然訝る。山本か、別の魔物が化けていると考えるのが自然だろう。もちろんそんな詳しい戦況を知らない者であれば、そもそも亜竜と運命の騎手が性交すると死罪などと知らないので、問題はない。また現在の山本を亜竜と認め、沈黙の掟に抵触したとして罰するのであれば、まず復讐者たちは亜人を『作る』技術があると認めなければならないのだ。それは諸刃の剣であり、復讐者たちも守るべきものは古の秘法であると判断したらしい。
 つまり、山本は対外的には亜竜である。そして一部のマフィアの上層部だけが、魔物だと思い、沈黙の掟で裁かれないのも当然だと勝手に納得している。もし山本が魔物であれば、獄寺は人間でありながら魔物と契約をして使役する調教師ということだ。有名な調教師としては、魔物のエンツィオを使役するキャバッローネ・ファミリーのボス、ディーノなどがいるので、それらと同じと考えられている。いまだに防空神話は健在であるので、たとえ魔物を亜人と偽ってでも騎竜兵が並盛に必要だったという、統治者の政治的な判断だと、勝手に解釈してくれているという状況だ。その裏にある真実としては、やはり山本は亜竜であり、声高に非難できない理由が存在自体であるという最大の保険になっていた。
 おかげで、引き離し工作や、復讐者からの制裁という不安はなくなったものの、亜竜であるが故に山本は獄寺への想いが募りすぎて自分を持て余す現状はむしろ以前より拍車がかかってしまった。
「お仕事だって分かってても、やっぱり寂しいですよねっ」
「う、うん……。」
 ハルからの言葉に、山本は頷くことを少し躊躇う。それは我慢をしなければと焦ったからではなく、実は自分はそうでもないと分かっていたからだ。先ほどとは戸惑い方が違うと察したのか、ハルは不思議そうに聞き返してくる。
「あれ、山本さんは違うんですか? さっきは寂しいっておっしゃってたのに」
「あ、いや、寂しいぜ、それは? でも、ああ、ええっと……。」
 どうやらハルは来週から三学期の期末テストのようなので、ツナと会うのは確実にそれ以降になるだろう。以前話した際に、二月の始めに中間テストがあったらしいので、やはり私立の学校は大変だと思ったものだ。並盛中学は公立であり、短い三学期は例年二月末に定期テストを一度行なって学年は終わる。今年に関しては、夏休み前に敵対ファミリーとの戦闘があったことで授業の消化率が大幅に遅れていたという事情があり、三月にそのテストがずれ込んでいただけなのだ。
 そういった学校行事の遅れは、並盛の統治者という役目も負っているツナには当然のようにのしかかってくる。おかげで今は本来テストどころではないくらい、忙しい時期なのだ。だが息抜きは必要だと思っているので、来週辺りに一度ハルや京子なども誘って遊びに出た方がいいのではないかと山本は考える。そうすればハルもツナに会えて、嬉しいだろう。だが恋をする者同士、愛しい人に会いたいという欲求が先に叶えられそうな予感で、なんだか抜け駆けのような気がして申し訳なくなったのだ。
「その、これも、絶対秘密ってほどじゃないんだけど……実は、そろそろ獄寺が帰ってくる予定なのな?」
「えっ、そうなんですか!! よかったですね、山本さんっ」
「ああ、いや、でも、たぶん今週末って予定で? 早ければ今日だけど、もしかしたら来週の月曜か火曜になるかもしれなくて……。」
 その辺りははっきりしてないんだけどと続けつつも、山本は口元が緩むのを止められなかった。
 帰還予定が曖昧なのは、まず大陸のような長距離との通信機器が発達していないためである。よって、あちらで変更があっても、連絡が海を渡るのは遅い。更に、空と同様に、海もまた魔物によって支配されているため、大型の高速船などが存在しておらず、天候に左右されやすい。ただ、空よりも海の方が古代より人間も利用していたし、よほど近づかなければ縄張り意識も刺激しないようだ。そのため小型の動力船は存在しており、丸一日水面を疾走すればなんとか大陸の端には到達する。そこから目的地までによって陸路の差が出るが、一週間ほどで帰還する際は大陸の東端にあるボンゴレの直轄地で落ち合い、仕事をすることが多いらしい。本部にまで向かう場合は数日かかるようなので、二週間以上並盛に不在でも、そのほとんどは移動に費やしているとのことだった。
 今回の出張では、帰還予定日は明後日の日曜日だ。だがこれまでも予定が狂うことはよくあり、前後二日は見ているので、最速ならば本日の金曜日、遅くとも来週の火曜には帰ってくるだろうという推測がたった。
「あ、それじゃあ、こんなところにいる場合じゃないじゃないですかっ。早く本営に戻って、獄寺さんを出迎えてあげないと!!」
「う、うん、でも今日は家の手伝いするって約束してるし……。」
 だがハルには、最も早ければ今日には戻っているという話が、相当衝撃だったらしい。慌てたようにせっつくハルに、山本は曖昧に笑うしかなかった。
 確かに理論上はそうなのだが、ツナから帰還予定だと報告は受けていない。もちろん、ツナも知らなかったということは考えられなくはないが、あまり期待しすぎてがっかりするのも嫌なのだ。だが山本がそわそわしつつ渋るという曖昧な態度になっていると、何故かハルの方が必死になってくる。
「そのお手伝いって、どうしても必要なものなんですか? ちょっとだけ抜け出して、確認に行くこともできないくらいとか?」
「え? ああ、いや、週末だから出足の一番忙しい時間だけ手伝おうかな、て程度で、ダメになってもオヤジも怒らないと思うけど。でも……。」
「でも、なんなんですかっ。少しでも会えるかもしれない可能性があるなら、ちゃんと会いに行った方がいいですよっ、山本さん!!」
 力説してくれるのは、自分はツナに会えないからこそというのもあるのだろう。だが大部分は、亜竜としての業など知らないハルだが、山本が獄寺を一途に想う気持ちを痛いほど理解してくれているからだ。同じ立場であれば、がっかりしたくないという怯えで躊躇ってしまう気持ちも分かる。だからこそ自分が後押しせねばという使命感にでも駆られているらしい様子のハルに、山本の気持ちは悲観的な竜の因子から、楽観的なヒトの因子へとグラグラと傾いていっていた。
「そう、だよなあ。もし今日帰ってなくても、明日かもしれないし、明後日にはそもそもの帰還予定なんだし……。」
「そうですよっ、もし帰ってたら時間を無駄にしちゃいますよ!? 今日はお休みでも、確認だけでも行かれた方が絶対いいですって、山本さん!!」
 重ねて背中を押してくれるハルは、本当に優しい女の子だと山本は思う。男女の間に友情は成立するのかと議論をしているクラスメートを見たことがあるが、山本の場合はまず種族という壁がある。そのため、ツナのような親友を得られただけでも奇跡だと思っていたが、こんなふうに恋愛的なことで共感して話ができる友人ができるとは想像だにしていなかった。
 ツナにももちろん話せなくはないのだが、亜竜の事情やツナ自身の立場からも、どうしてもただの友人としてだけでは互いにいられない。その点、ハルはほどよく距離があり、立場的なこともあまり考慮する必要がないので、恋愛としての側面だけで言葉をもらえるのが嬉しかった。
 なにより、ハルは自分が片想いだからといって、捻くれたり僻みっぽくなることもない。相手を心から思いやってくれる本当にいい子だと思うのだが、どうして獄寺は極端に嫌っているのだろう。
「……。」
「山本さん? どうかされました?」
 ハルがツナに惚れ、知り合うことになったのは一昨年の末、つまり一年生の冬ということだ。このときはまだ獄寺は並盛にいないし、山本もハルのことは知らなかった。ツナも当初はここまで続くと思っていなかったようで、友人として細々と会うことがあっただけらしい。山本と獄寺がハルと知り合ったのはそれら一年近くが経過した昨年の末であり、ほんの数ヶ月前である。山本が獄寺と一緒に町に出かけた際、たまたまツナがハルといるところを見て声をかけたのがきっかけだ。
 当初はやはり、ツナの肩書きを狙う性悪女として獄寺は警戒したようだが、すぐに誤解は解けたらしい。なんだかんだで並盛もその辺りは手抜かりがなく、最初にツナと知り合って告白してきた直後に一通りの背後関係は調べられ、純然たる好意らしいと判断され、ツナの了解の下、黙認となったのだ。だがそれを確認しても尚、獄寺はハルが相当嫌いなようだ。十代目に馴れ馴れしいだとか、十代目には想い人がいるのに邪魔をするなだとか、それらしい理由は口にするものの、いまいち山本には実感がない。本当に問題があると思えば獄寺はツナに進言するだろうし、それしない以上は単に性格が合わず自分が毛嫌いしているだけという自覚があるのだろう。
 確かに、獄寺とハルは会えばしばしば口論になる。大抵は、獄寺がハルを馬鹿にするので、ハルが反撃している展開だ。それがひどくなると獄寺は完全に機嫌を損ね、ハルを追い出したくなるようだが、ツナの手前もあってそれはしない。代わりに自分がその場から離れ、ついでに山本も連れて行って不機嫌さを性的なことで晴らそうとするので、内心では少しハルに感謝している。実はハルもそれが分かっていて獄寺の喧嘩を買うのではないかと勘繰っているが、真相は今のところよく分からない。
「あっ、ああ、いや、ええっと……?」
「やっぱり、確認に行くのは難しそうなんですか?」
「……。」
 どうやら獄寺の不在を、もちろん山本のためにハルは心配して気遣ってくれる。
 それに対し、ハルがいないところでの獄寺は、山本に対してとにかくハルとは付き合うなと一方的に命令するばかりなのだ。ツナに対しては禁じられないので、思い通りになるはずの山本に対して代わりに言っているのだと思うが、かなり理不尽だと感じる。獄寺も、ハルのいいところが分かれば、きっと友達になれると思うのだ。だが獄寺は一度嫌いだと思った相手はとことん無視したいのか、山本がハルの良さを語ろうとしても聞く耳を持たない。場合によっては、頭ごなしに怒鳴り散らされる。特に先月、出張に行く少し前に、山本がたまにツナを伴わずにハルと遊ぶことがあるとバレてしまい、ここ最近では記憶にないくらい激しく怒られてしまった。
 おかげで、出張に行くまでの数日間、獄寺に性的な意味で触れてもらえなかった。そのため離れていた期間よりも長く体が飢えており、そのときのことを思い出してしまった山本は急に心配になったのだ。
 獄寺は、まだ怒っているだろうか。このところ、出張のたびに大陸での状況が悪化しているらしく、そちらの方でも機嫌が悪い。それにも増して、ハルとの付き合いで更に機嫌を損ねたくないとは思うものの、こうして会えばやはりハルは大切な友人だと山本は感じるのだ。
「……ううん、そうじゃねえ。オレも獄寺のこと思い出して、やっぱり会えるかもしれねえなら確認に行こうかなって思ってた」
「そうなんですねっ、よかったぁ……!!」
 どうして、獄寺はハルを嫌うのだろう。本人をよく知りもしないで遠ざけてしまうのは、失礼だし、勿体無いと山本は思うのだ。獄寺に愛されたいので唯々諾々と何でも従いたいという本能を、それでもおかしいと思うことはちゃんと指摘した方がいいという理性がかろうじて上回っている山本は、今のところ積極的にハルを避けるようなことはしていないし、したくもなかった。
 少なくとも、ハルには獄寺がここまで毛嫌いしていることを悟らせたくはなかった。会えば口喧嘩ばかりなので性格が合わないとは感じているようだが、それも、ツナへの過剰な忠誠心からの防衛本能だとハルは解釈しているようだ。もちろん、山本の恋人ということもあり、公然と非難はできないという点もあるのだろうが、本当に嫌っていると話していれば雰囲気で分かる。だがハルはこうして獄寺の話題が出ても、山本の恋人としてやファミリーという立場は理解してくれているようであり、そこはハルの方が大人で寛容だと山本は思っていた。
「ありがとな、ハル」
「いえいえ、ハルは何もしてませんっ。獄寺さん、早く帰ってきてくれるといいですねっ」
「ああ」
 そう頷いたところで、それぞれの実家に向かう道の岐路にさしかかる。夕方で日も暮れかけており、少しだけ肌寒くもなってきたようだ。
「じゃあ山本さん、私はここで。後で本営に行ってくださいねっ」
 その場で足を止め、そう笑ったハルに山本も笑顔を返す。
「ああ、ハルも、気をつけてな? テスト終わったら、また、ツナにも遊べる日がないか言っとくから?」
「お願いしますねっ。ああ、これでハルもテストに集中して頑張れますぅ」
 嬉しそうにはしゃいで足取り軽く去っていくハルの後ろ姿を、山本はその場でしばらく眺めていた。
 男女の違いはあるにせよ、自分もああいうふうに恋をしてみたかったと思うのは傲慢なのだろうか。亜竜だったからこそ、獄寺と結ばれたことは理解している。だが、今は亜竜であることがこんなにも苦しく、それが獄寺にとっても重荷で、それを理解している山本もまた不安に陥るという堂々巡りで、どんどんと深みにはまっていってしまっている気がして仕方がなかった。






「……あれ、獄寺君? ええっ、今日帰れたの!?」
「あ、はい、行程が珍しく順調だったものでして……。」
「どうしよ、オレ、てっきりまだだと思って山本に今日くらい休んだらって休暇勧めちゃったよ……!!」
 その頃、日も暮れかけた本営の二階、執務室に戻ってきたツナは、応接セットで待っていた人物にひどく焦ってしまっていた。
 三月に入っているということは、年度末が近いのだ。表向きは勝手に居座っている武装集団という位置付けのマフィアであるが、影響力が大きい地域ほどそこの財政などに深く関わっている。直轄地ともなれば、尚更だ。そのため、普段は放置されている行政などとの折衝があり、正直ツナは面倒くさい時期なのである。大抵はこちらの言い分が通るので、ただならず者然として無謀な要求をするばかりでは、並盛という町と共倒れだ。おかげで、ツナたちの方が率先して町としての予算配分なども気にしなければならず、実質支配しているというよりは、行政も請け負わされているという感覚に近かった。
 だが愚痴も言っていられないので、マフィア同士の抗争よりは穏やかに進む退屈な会合に、出席してきたのだ。午前中までは学校で三学期のテストもあり、億劫さはひとしおだ。それらがやっと終わり、一息をつけるためにリボーンと共に本営に戻ってきたのだが、久しぶりに見た友人の顔には再会を喜ぶ前に自分の間の悪さを申し訳なく思った。
「ああ、今から山本に伝令出す? クラスのみんなと遊びに行くって言ってたけど、そろそろ家に戻ってると思うし……!!」
 帰りはもっと遅くなるかもしれないと念のため持っていった薄手のコートをハンガーへと掛け、ツナはざっと自分の机の上を確認する。特に急ぎでなく、機密性が低い用件は書類として置かれているのだ。数枚たまっているそれらに目を通しかけたところで、ギシリとソファーを鳴らして立ち上がった獄寺が、それを断っていた。
「……いえ、結構です。相変わらずバカなようですし、わざわざ喜ばせるのも癪ですから」
「え?……あ、ええっ、あー、うん、山本、またかぁ……!!」
「先ほど、山本についている者からの報告がきました。オレにも閲覧の権限があるとのことで、勝手ながら、先に拝見させて頂きました」
 そう淡々と獄寺が言う書類とは、定型のものに手書きで簡単に書かれたものだ。山本に限らず、それなりの地位があり、非番扱いでファミリーを同伴せず単独行動をする者には、同行者がつく。正確には少し離れた場所で目立たないようにしているので、監視役とも護衛ともつかない状態だ。即時通信がほぼできない現状では、不測の事態に対しては電信局、あるいは電報局を介した信号が唯一の頼みの綱だ。その連絡を本営にする者として、ついているのである。
 交代制をとっているこの制度では、特に緊急事態がなければ簡単な動向報告だけがなされる。山本は本日はボンゴレに属していないクラスメートたちと出かけたため、動向調査員がついたのだ。そのことは、山本ももちろん知っている。つまり、遊んだ相手や出かけた場所など、ツナや獄寺といった上官にあたる者にはバレても構わないということだ。
「うん、見るのはもちろん構わないよ。でも、ほら、ね? あんまり怒らないであげて……?」
「……。」
 先に獄寺が見ていた書類を、ツナはもう一度確認した。そこには、見慣れたクラスメートたちの名前と、街中にあるファーストフード店などの名前が続いている。そして、実家に帰宅という締めの直前に、『帰宅中、三浦ハルと遭遇。しばらく談話の後、解散。』という一文があったのだ。
 ツナも、獄寺がハルを敵視しているというか、ある意味での危険分子だと考えているのは知っている。そして、ツナもそれを否定できない。だがハルがツナを攻撃したり、ボンゴレに害を為すとまでは言えないので禁止もできず、またツナとしても友人と思っているのでできればしたくない。なにしろ、ハルには全く非がないのだ。ありていに言えば、運が悪いとか、巡り会わせが悪かったとか、そういうことなのだろう。だが獄寺が警戒する理由も理解できるので苦笑しながらそう言うしかないが、案の定獄寺は無言のままだった。
 それにため息をつきながら他の書類をめくろうとすると、執務机に乗っていたリボーンが横から山本の書類だけを取っていく。意見があるのかと思ったが、リボーンも渋い顔をするだけで何も言わなかった。そのことで、この件はまだ保留でいいのだろうと思いつつ、ツナはふと不思議になった。
「……獄寺君?」
 おそらくツナの帰りを待っていたはずの獄寺が、先ほどソファーから立ち上がったのだ。まさか帰るはずもないと不思議に思っていれば、獄寺は執務室のドアではなく、衝立の後ろにある給湯設備に向かっていた。
「ああ、飲み物はオレがお入れします。十代目は紅茶、リボーンさんはコーヒーでいいですか?」
「いやっ、あの、獄寺君……!?」
「長旅で疲れてるのに、そんなことしてくれなくていいぞ? ツナにコーヒーを三人分作らせればいい」
 やかんに水を入れている音がし、慌てたツナが言いかけたことをリボーンが続けてくれていた。
「え、でも……?」
「いいからっ、いいから、獄寺君は座っててよ? コーヒーならオレが入れるからさ、すぐやるから、ちょっとだけ待って」
 残っていた数枚の書類にざっと目を通すが、やはり報告のみで緊急の用件はなかった。それを確認して書類を机に戻したツナは、給湯設備の前で火をつけようとしている獄寺の元へと行き、恐縮している背中を押してソファーに戻るよう促していた。
 獄寺としては、やはり並盛のトップはツナであるし、ボンゴレ全体の次期ボスに内定しているので畏れ多いと感じているのだろう。だが、ツナにしてみればこちらの方が獄寺に対して申し訳ないくらいなのだ。マフィア界での情勢が一気に悪化している中では、ツナは以前ほど気軽に並盛を離れられない。獄寺をスカウトしてきた一年前とは、状況が違うのだ。そのため、大陸での言語や制度にも精通し、ボンゴレ本部に所属していた獄寺には、この半年で何度も海を渡ってもらっている。正直、計算をすれば並盛にいない方が多いのではないかと思うほどだ。
 その一つは、かねてより存在だけは伝説のように語り継がれていた匣兵器の台頭だ。リング自体は以前より広く分布しているが、そこから炎を注入して作動させる匣兵器というものは、これまであまり表に出てこなかった。
 そして、もう一つはマフィアそのものの勢力図の変化だ。背景にあるのがリングと匣であることが明白な以上、並盛としても僻地だからとのん気に構えてはいられない。本部との情報の共有と連携を密にし、新たな武器として考えられるリングと匣を使いこなす必要があった。
「では、お言葉に甘えて。さすがに今回は本部にいたので、陸路も長くて大変でした」
 恐縮はしつつも、獄寺は素直に従ってソファーに腰を下ろしている。その動作が普段の軽快さをだいぶ削がれているところを見ると、どうやらかなり疲れているようだ。行程を愚痴ることも滅多になかった獄寺なので、深くため息をついている様子はかなりつらそうだ。すぐにでも休みたいのだろうなと思えば、待たせてしまったことを申し訳なく思う。それをリボーンも察し、できるだけ早く獄寺を解放してやるべく、話を先にできるように配慮したのだろう。
「かつて神童と謳われた獄寺も、鈍ったものだな?」
「雇われの騎馬隊は、そもそも長距離移動は滅多にしないんです。それにオレ、まだガキすぎて偵察専門でしたから」
 リボーンの言葉に返す声にも、あまり覇気がない。実家や出自のことに言及されるのは獄寺が最も忌み嫌うことであるので、平然と受け答えているのは、それだけ疲れているということなのか。あるいは、だいぶトラウマとしては薄れつつあるのかもしれない。少なくとも、この並盛に来た当初、獄寺は落馬の後遺症で一切の騎馬を拒否していたのだ。それが、一年も経たずに変われば変わるものだと、ツナは内心で感心していた。
「それより、幹部報告会はいつです?」
「獄寺の体調次第だな。召集しようと思えば、明日にでもできるぞ?」
 今は獄寺が一手に引き受けているが、基本的に大陸のボンゴレ本部と正式な会談を持った場合には、並盛でも幹部を招集しての報告会が開かれる。その日程を尋ねた獄寺がガサガサと音をさせて胸元から書簡を出しているのを、ようやくコーヒーを入れたツナはそれを運びながら見ていた。
「……十代目、これが本部からの打診です。オレも内容は承知してます。ご確認ください」
「あ、うん、分かったよ。ありがとう」
「その上で、明日の午前中に一度オレと打ち合わせをして頂けますか? 書面だけでは伝わらないこともあるでしょうし、参考になればと思います。その後、午後から幹部報告会の開催をお願いしたいのですが」
「うん、いいよ。えっと、報告会が午後二時からでいいかな?……リボーン、いいよね?」
「ああ。すぐに伝達を出せば、充分間に合う」
 リボーンも頷いてくれたので、ツナは一度呼び鈴を鳴らして別室に控えている事務官に明日の予定を伝え、召集を依頼した。まだ夕方なので、幹部もほぼ揃うだろう。そうして事務官が出て行ってから再び応接セットに戻り、やっとソファーへと腰を下ろしたツナは、獄寺がテーブルに置いた書簡にチラリと視線を向けた。
「……今見てもいいかな?」
「ええ、むしろそうなさってください。今答えられることでしたら、オレもすぐにお伝えしたいですし」
 あくまで明日の午前中は、最後の打ち合わせのつもりらしい。せっかくいれたコーヒーも手に取ることはなく、正式なボンゴレからの書簡であることを確認してから、ツナはリボーンが差し出していたペーパーナイフで封を切る。そしてリボーンと共に中身を読み進めれば、ある程度は予想していたものの、やはりため息が出た。
「……あっちは、そんなに悪いの?」
 いくらボンゴレの直轄地とはいえ、並盛は大陸からは離れた東の島しょ群に位置している。そのため、どうしても感覚がずれ、疎くなってしまいがちで、書簡から漂う混沌さが到底信じられないほど並盛は穏やかなのだ。
 それも、今目の前でコーヒーをゆっくりと味わうように飲んでいる獄寺の功績が大きいことは、ツナも承知だ。山本と組んで昨年の夏に敵対ファミリーを空と海から制圧したことは、あまりに鮮麗すぎた。いかに次期ボスがいるとはいえ、僻地までの労力と並盛の防衛力を考えれば、全面衝突は避けたいと尻込みするファミリーが多くなったことが、現在の平穏に繋がっている。
 おかげで、並盛はいつになく平和に冬場を過ごすことができた。だが、大陸ではここ数十年はなかったほどの過渡期に突入しつつあるようだ。
「ええ。ジェッソ・ファミリーの台頭が目覚しいです。新興ファミリーではありますが、やはりリングと匣の扱いに一日の長があり、侮れません。ですが、あくまで現在のところは、ジェッソもまだボンゴレなどの既存の大規模なファミリーとやりあうつもりはないようなので、ひとまずそれは置いておくとして、それよりも、むしろ」
「……ジッリョネロ・ファミリーか。確かにボンゴレと同じくれえ歴史は長いが、今じゃ中堅クラスのファミリーだろう? それが、何をトチ狂ったんだ?」
 正直に言えば、知識としては頭に叩き込まれているものの、実際に接したことのないツナにとってはそれぞれのファミリーなどに印象や実感というものがない。やはり、大陸で生まれ育ち、それなりにマフィアと関わって生きてきた者たちとは違うのだろう。そんな自分が、いずれボンゴレ全体のボスとなってもいいものか、不安はある。だが今はそれを気にするより、獄寺とリボーンの会話に耳を傾けていた。
「そもそもは、マーレリングを有するジッリョネロ・ファミリーの方が、匣への造詣は深かったようです。その中からジェッソに提供する者がおり、現在の台頭に繋がったという話でしたから、てっきり同盟を組むのだろうと予想されていたのですが……。」
「この状況を見ると、それはジッリョネロの中でも一部の画策だったんだろうな。大部分が反対し、ジェッソに反旗を翻したか」
「ええ。まあ、そこまでは分かります。規模は中堅に落ちたとはいえ、伝統あるファミリーですしね。新興のジェッソなんかに吸収合併されてたまるかってことで、抗争に入ったまではいいでしょう。そういうことは、むしろ頻繁ですから」
 この辺りのことは、去年までの報告でも充分に想定されていたことだ。だが年明けくらいから、どうもおかしい方向に流れ始めた。並盛に伝わる時差を考えれば、大陸ではもう少し早くその兆候があったのかもしれない。そのため、獄寺は定期的に大陸の東端の直轄地を中継地点にして本部との連絡を取っていたが、あちらの方が一度本拠地まで来いと打診してきたのだ。そのため獄寺は二週間以上の遠征になったが、そこでツナの代理として意見を求めるのではなく、本部の決定を伝えたいだけだったようだ。これは面倒な役目を押し付けてしまったと申し訳なくなるが、この状況でツナが並盛を留守にすることもできない。リボーンたちの怪訝そうな表情は、書面を手にしたままのツナにもそのまま移っていた。
「……これ、どれくらいの被害が出てるの」
「概算ではありますが、まずジッリョネロ・ファミリーからの何らかの攻撃を受けたファミリーは、二十を軽く上回ります。もちろんボンゴレも含みますが、その他にも、系列や連合、同盟、過去の因縁による慣例なども一切無視しているような状態です」
「つまり、ジェッソに与するところかどうかは関係ねえ、てことか……。」
「はい。更にボンゴレに限定すれば、キャバッローネなどの共闘同盟ファミリーを含めれば、大規模な戦闘で死傷者は二月末までで三百人近く。亜人ですら何名も命を落としています」
「……よっぽどだな、それは」
 リボーンとのやり取りで戦闘の激しさを想像し、ツナはそっと目を閉じて遠い大陸で命を落とした者たちに祈りを捧げた。
 大陸での亜人とは、亜竜とその他に分けられる。亜竜に関しては並盛と違い、人間になったときの戦闘能力がさほど高くないため、ほぼ空からの伝令と救援を目的にした運び屋だ。その他の亜人は戦闘能力を買われて参戦しているはずであり、人間よりはよほど強く、また頑丈だ。更に言えば大陸では亜人の地位が低く、印象も悪い。あくまでファミリーと契約しているという立場にあるため、危なくなれば逃走することも少なくない。だから余計に反感を買うという悪循環にはなるものの、亜人としても人間同士の戦いに体よく利用されているだけという諦観があるのだろう。それにも関わらず、亜人が逃げ切れないほどの戦闘が行なわれるとは、よほど激しいとしか思えない。その点に関してはいくつか推測もあるようだが、今のところは想像にしか過ぎないという注釈も書面には記されていた。
「それから……実は、姉貴に会ってきたのですが」
「……え? ええええっ、あの、お姉さんに!?」
 対岸の火事ではなくなりつつある現状をツナは憂っていたのだが、躊躇いがちに続けられた言葉には一瞬面食らった後、派手に驚いてしまった。
 実は情報として知っているだけで、ツナもまだ獄寺の姉には会ったことがない。どうやら腹違いらしく、姉も実家を飛び出してフリーの殺し屋をやっているらしいことと、獄寺が極端に苦手にしているようだということしか知らないのだ。なにより、実家との関わりを極端に嫌う獄寺なので、まず会ったことを報告したのには驚いた。しかも口ぶりからして、偶然遭遇したというわけでもないらしい。
 それはツナだけでなく、両者と面識のあるリボーンもかなり興味をそそられたらしい。渋い顔からやや笑みを浮かべたリボーンは、何故か腹をさすっている獄寺へと尋ねていた。
「おお、それは珍しいな。ビアンキは元気にしてたか?」
「ええ、まあ……というか、姉貴のヤツ、リボーンさんに惚れてたんですね」
「えっ……えええっ、そうなの、リボーン!?」
「まあな」
「これ、姉貴からの恋文だそうです。読んだら腐るかもしれませんが、どうぞお受け取ください」
 そう言って、厳重に密閉された手紙を差し出してきた獄寺に、いくら姉弟仲が悪いからと言ってそれはひどいのではないかと思うツナは、このときはまだビアンキの特技を知らなかった。そのため、獄寺がテーブルへと置いた手紙も無表情のまま取ろうとしないリボーンを失礼なヤツだと思ったが、指摘をすれば怒られそうだったので、賢明に黙っておく。
「まあ、その恋文とやらは、どうとでも処分してください。オレが姉貴に会ったのは、実家の情報を聞き出したかったんです」
「あ、うん……?」
 すると、意外な言葉にツナはまた面食らった。いつのまにか報告ではなく土産話になったのかと思いかけたが、そういうわけではないようだ。
「ほら、オレは勘当されてますから、出入り禁止なので」
「ビアンキの話だと、勝手に飛び出しただけでいつでも戻れるって言ってたぞ?」
「……まあ、それが事実だとしても、まだ顔は出せませんし。ともかく、ジッリョネロの最近のやり口があまりに解せなかったので、ちょっと探りを入れてもらいました」
 すっかり忘れかけているが、獄寺の出自はマフィアに極めて近しいが、マフィアではない。マフィアからの依頼を受けて騎馬戦を行なう傭兵集団なのだ。大陸ではかなり有名で大規模な一門らしいが、ツナにはあまり実感がわかない。それは並盛での敵襲とは、基本的に魔物がいる海からか、険しい山脈越えとなる。よって、地続きの陸路で大規模な戦闘騎馬隊が押し寄せて突破口を開き、後から戦闘員が雪崩れ込んでくるという戦い方が、歴史的にもあまり馴染みがないためだ。
「もちろん、詳しいことは守秘義務で教えてはくれなかったようですけど。でもやっぱり、最近の依頼はおかしいようですよ」
「ど、どんなふうに……?」
「まず、オレの実家みたいな大きなところだと、いくつも部隊を持ってますから複数のファミリーに派遣はできます。でも、やっぱり元は一つの組織ですからね、完全に抗争状態に入った双方のファミリーからは依頼されることがありません。仮に打診があっても、断ります。早い者勝ちってことですね」
 そう前提から話してくれた獄寺には、ツナも素直に納得する。身内同士を戦わせるのが忍びないという配慮ではなく、手抜きや内通、密約、寝返りなどを危惧してマフィアの方が使いたがらないのだろう。
「あちらはマフィアの数がずっと多いですし、実際に抗争まではしていなくとも、同盟、連合、中立、敵対といった相関図がかなり複雑に存在しています。たとえばボンゴレが依頼をしようとしたとき、キャバッローネと抗争中のファミリーに派遣をしていれば、断ります。後々面倒になりますし、ボンゴレとしても信頼しづらいですから」
「うん、そういうのは分かるよ」
「ところが、これまでそういった敵対、もしくは系列上回避したいと懸念するだろうと判断されるような位置関係同士のファミリーから、派遣要請が殺到しているようです。念のため断ろうとしても、現在は旧来の敵対ファミリーより、ジッリョネロを敵視しているので黙認するとマフィア側が説得し、騎馬隊を確保したがってます」
「え、それってつまり……?」
「……よっぽど、ジッリョネロの攻撃が無節操てことだ。この場合の騎馬隊ってのは、突撃要員じゃなくて、哨戒対策の一環なんだろう。恨まれる覚えがないのにいきなり襲撃されて、被害が出て腹立たしいが、その襲撃は続かない。大抵の攻撃は単発だ。過剰に反応して自分たちのファミリーだけでジッリョネロと全面衝突をすれば、ジェッソに漁夫の利を取られかねねえ。だからって警戒しねえわけにもいかないから、被害はもう出さねえように最低限の手は打ちつつ、それぞれのファミリーの出方を牽制し合って待ってるてトコか」
「ご推察のとおりです」
 あくまで哨戒目的だという確約で、獄寺の実家もこれまでの慣例を破って小規模な部隊ずつに分けてではあるが、様々なファミリーに派遣をしているようだ。それで長年敵対していた別のファミリーが暗に文句を言うこともなく、逆に有り難がられる。随分気持ちの悪い世の中になったものだと、総統である父親は訝っていたらしいと獄寺は続けていた。
 それだけ、マフィアやそこに類する者たちにも、今回のジッリョネロの動きは不可解な点が多いのだ。その背後にジェッソという得体の知れない新興ファミリーが手薬煉を引いているのもしれないとまで勘繰れば、相当慎重にならざるをえない。
 誰が、ジッリョネロの暴走を止めるのか。
 最終的にはやはり、暗黙の了解というものに至ったというのは、ツナにも理解できない話ではなかった。
「まあ、大体こういった情勢です。やはりこれからは、戦い方が変わっていくのでしょうね。リングや匣に関しては、今回も譲渡を受けています。特に本部まで呼びつけといて決定事項の伝達でしたから、腹が立っていっぱい分捕ってきてやりましたよ」
「ご、獄寺君、それはちょっと……!?」
「よし、よくやったな、獄寺」
 話を締めてニカッとようやく明るい笑顔を見せてくれた獄寺だったが、足元に置いていたカバンをテーブルに乗せたとき、ドンッとかなりの音がしたことにはツナも驚いた。自慢げにしているので、言葉のとおりかなりのリングと匣をボンゴレ本部からもらってきたのだろう。ツナとしては、必要性は充分に理解しているつもりだが、目下のところ大陸の方が危機は近いはずだ。それを、優先度が低いはずの僻地である並盛に大量にもらってしまっていいものか、心苦しいところである。
「獄寺の提案どおり、リングと匣を専門に管理する部署を訓練棟に作っておいてやったぞ。帰りにそこに運んでくれ、整理と分配はツナとも協議して指示しておく」
「あ、ほんとですか、それは助かりますっ。いやあ、いい手土産になりました。それと、先に嵐のリングを一つもらっておきましたが、よかったですかね?」
 リボーンの言葉に獄寺は笑っているが、もしかすると本部はまさに手土産のつもりだったのかもしれない。書簡の内容を思い出せば、獄寺が強奪してきたというよりは、そちらの方が近い気がした。そうであれば、気苦労は一つ減り、より大きな責任が増える。内心でため息をついてしまっているツナだったが、獄寺の言葉にはすぐに頷いておいた。
「も、もちろんだよっ。匣だって、獄寺君の好きなの選んでね?」
「いえ、匣はとりあえずまだ例の16匣を使いこなすのが先ですから」
 以前大陸に渡り、本部にまで遠征をした際に、獄寺は通称16匣と現地で呼ばれていたセットをもらってきている。どうやらあちらの研究者に適性があると見込まれたらしいが、出張続きの獄寺はまだ完全な解明には至っていないようで、初期段階で開匣できるものから出てきた仔猫を最近はよく連れていた。
 その獄寺が、リングだけを欲したのは、理由がある。どうやら獄寺はかなりの素質があるようなのだが、リングの精度が弱く、匣の能力を充分に引き出せないらしい。特に嵐のリングはこれまで最低ランクのものしか並盛にはなかったため、獄寺に優先的に回してももどかしい成果にしかなっていなかった。
 いや、それは正確ではない。本当は、最高クラスである嵐のリングはこの並盛、しかもこの執務室にあるのだ。ただそれを受け取ってもらえないだけであることを思い出し、言葉に詰まったツナに対し、獄寺は気にした様子もなくソファーから立ち上がっていた。
「では、明日の十時にはこちらに伺います。このリングとかは、運んでおきますね」
「あ、ああ、うん、疲れてるところ悪いけど、お願いするね……!?」
 あまり引き止めるのも悪いだろうし、早く休んでもらいたいのは本心だ。だがどうしても気になってしまったツナがつられるようにソファーから立ち上がると、ずずっとコーヒーをすすったリボーンが、なんでもないことのように尋ねていた。
「……ところで獄寺、まだツナの守護者になる気はねえのか?」
「あ、リボーン……!?」
 それは、まさにツナが尋ねたいことであった。ツナはまだ次期ボスとして内定ではあるが、九代目が病床に臥せっていることもあり、守護者に渡されるボンゴレリングも既に次の代に移行しつつある。決定者は、まだ三人。決まっていない三つのリングのうち、門外顧問であるツナの父親から、ツナが自分で指名するようにと渡されたものは、嵐と雨のリングだ。だが、現在のところ、そのどちらも決まる見通しがない。一つは幹部からの難色が強く、もう一つはこうして固辞されているからだ。
「その打診は、大変光栄に思っています。オレは、十代目の右腕として活躍することが夢です。もし守護者に選ばれれば、尚いっそう十代目のためにこの身を忠誠に捧げる励みになるでしょう。ですが、仔猫一匹手懐けられない今のオレには、まだ不相応です」
「獄寺君……。」
「その仔猫ってのは、瓜って名付けたアレか? それとも、山本のことか? 獄寺、綺麗事はここではいらねえ。大陸での惨状を見てきても尚、まだボンゴレリングを拒めるのか、お前は?」
 和やかに終わりかけていた談話が、一気に凍りついた気がした。正直に言えば、ツナも守護者として支えてもらいたいだけでなく、獄寺の能力を最大限に引き出すためにもボンゴレリングを受け取ってほしいと願う。
 だが、軽く肩で息をしてから顔を上げた獄寺は、もう笑っていなかった。あまり表情のないまま淡々と返される様子には、ツナは暗に責められている気がする。
「……山本は、仔猫なんかじゃありません。亜竜です。アイツのことは、オレが守ります。それが、騎手としての努めですから」
「けど、ここだけじゃない、本部にだって頭の固い連中が多いんだ。亜人はそうでなくとも、マフィアの中で立場は強くねえ。意地張ってねえで、獄寺だけでも受け取るって大人の判断をするつもりはねえのか?」
「それは、大人の判断ですか? それとも命令ですか」
 獄寺とて、ツナが次期ボスとして正式に指名をすれば、拒むつもりはないのだろう。マフィアで活躍することを使命としている獄寺であれば、ボスの守護者という立場は相当な栄誉に感じることは容易に想像がつく。
 それでも受け取れないと固辞しているのは、単純にかばっているだけではない。きっと、獄寺の中では自分よりずっと山本の方が強いという思いがあるのだ。亜人なので当たり前だが、亜人だからこそ山本は守護者になれない。これまで、前例がない。特に大陸では並盛よりずっと亜人の評価が低いため、いくらツナの親友で、一度は英雄と祭り上げられた山本でも、そう簡単に指名はできないのだ。ましてや、上層部ほど山本は実は魔物ではないかと勘繰らせたことが、余計に騒音に拍車をかけてしまっている。そんなことを言い出したら雲のリングを託した者はどうなるのかと言いたい気持ちもあるが、薮蛇なのでツナもさすがに黙っている現状だ。
 結局何も言えずにツナが黙っていると、獄寺はもう一度挨拶をして、カバンを抱えて執務室から出て行った。どこか失望したようにも見た背中に、ツナも胸が苦しくなる。ただでさえ孤立しがちな並盛なので、できるだけ様子を見て期が熟してから指名をしたいと考えているのだが、それは優柔不断にしか見えないのだろうか。あるいは、むしろ友情に悖る行為なのではないかと獄寺は暗に責めているのかもしれない。
「……獄寺君、怒っちゃったかな」
 そうだとしても、獄寺が悪いわけではない。どんな騒音も黙らせてみせると強権を発動して強硬指名できない自分が、不甲斐ないだけだ。
「いや、ツナに苛立ってるんじゃねえだろ、ああ見えて獄寺は賢いからな」
「そう、かな……。」
「公式に亜人として登録されてるヤツを守護者にするってのは、それだけ反発も大きいってことだ。できるだけ荒波は立てずに、地均しをしておきたい。ゴリ押しは最後までとっておくっていうツナの判断を、オレは支持するぞ」
 珍しく、リボーンも全面的に肩を持ってくれる。そのことでやや安堵はしたが、二人に対する申し訳なさは消えなかった。ソファーから立ち上がっていたツナはその手に書簡とコーヒーを持ち、執務机に移動する。すると置きっぱなしている書類が目に入り、椅子に座ると同時にまたため息が出た。
「……だからって、二人の仲ががっちり堅く結ばれてるってワケじゃないのも、悩ましいところだよね」
 視線の先には、山本の動向記録がある。するとソファーに座ったままでもツナが何を見ているのか察したらしいリボーンは、再びコーヒーをすすってから答えていた。
「ああ。どっちも相手を大切には思ってるはずなんだがな」
「オレから、ハルに説明した方がいいのかなあ? ああでも、それだと結局、山本にはバレるか、バレないで友達失うかになっちゃうのか……。」
「そこは、なるようにしかならねえだろ。まったく、とんだ負の遺産だな」
 リボーンが言うなよと心の中では思ったものの、結局はツナは口にはせず、自分も冷めたコーヒーを飲み干すことにしていた。
 大陸という、遠い地での戦火は決して他人事ではない。
 もうすぐそこまで迫っているのだと、ツナも感じていた。













▲REBORN!メニューに戻る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

BACK<<   >>NEXT