【お試し版】
『デフコン3』収録-02.
■01
「だから、あっちが理科室で、こっちをまっすぐ行くと突き当たりが視聴覚教室」
「……。」
「で、階段上がったら音楽室とかで、下りたら保健室とかあるけど、どっち行きたい?」
別にどちらにも興味はない、と答えてもよかったのだが、相手の異常なまでの機嫌の良さがなんとなく不気味で黙ってしまった。
本来なら新学年がそろそろ始まると思っていた時期に、急に大陸から出向を命じられて馳せ参じてみれば、中途入学だった。そういえば、ボンゴレ・ファミリーの直轄地の中でも極東に位置するこの並盛では、九月は二学期の始まりだ。そう思い出したのは、登校してからである。そもそもボンゴレ本拠地のある大陸でも通学していたわけではないので、いきなりこの並盛に呼ばれても並盛本部に常駐するものだと思いこんでいた。
それが、並盛に着いて早々、登校するようにと勧められた。ちょうど始業式だからと背中を押してくれたのは、尊敬する十代目ボスに内定している沢田綱吉だ。まだ年若いのに大変ご立派で、と勝手に自慢に思っていたが、どうやら同い年らしい。そこにも縁を感じ、一緒に中学校にも通おうよと言われたときは、てっきり日常の護衛も任されるものだと誇らしくなった。だからこそ、始業式も途中と思われる時間帯に車で共に並盛中学まで送られたときは、そのまま二人で門をくぐるのだと思っていたのだ。
『……あ、ツナ!!』
だが門のところで待っていたのは、中学生にしては体格のいい一人の少年だった。いきなりにこやかに手を振ったので人違いかと怪訝そうにしたが、すぐに『ツナ』というのが横にいた尊敬すべき十代目だと気がついて愕然とした。
この偉大なるボンゴレファミリーの十代目内定のボスを、呼び捨てにするとは。
どんな不届きな輩かと憤慨したが、先にそのボスがにこやかに手を上げて返事をなさってしまった。
『山本っ、ごめんね。今まだ始業式の途中?』
『おうっ。あ、別に気にしなくていいぜ、どうせ校長の長い話に入ってる頃だし、むしろ聞かなくて済んで助かってるっての』
ポンポンと軽々しくツナの肩を叩く相手に、なんと無礼な態度かと怒鳴りたくなったが、別の推測も成り立つ。
もしかすると、この輩はツナがあのボンゴレのボス内定者だと知らないのではないか。
陽気を通り越して能天気に見えたこの少年は、到底ファミリーの一員には見えない。もし一般人にはツナの素性を公表していない場合、自分が下手にバラすのはいかがなものか。数時間前に並盛に到着したばかりで、勝手が分からないのは事実なのだ。特に大陸ではほとんど使わなかった言語はまだ耳に慣れておらず、激情のまま話せばあちらの言葉が飛び出しそうで、ここはぐっと堪えて様子をうかがうことにする。
『そう? それならよかったんだけど。じゃあオレは帰るから、案内はよろしくねっ』
『……えっ、十代目、お帰りになられるんですか!?』
だが黙っていようと思ったそばから、動揺のままにツナには尋ねてしまった。それがきちんとした日本語だったので、やはり自分は十代目には適切な態度が取れるのだと安堵した。だがそんな素晴らしさに気づこうともしない無神経な男が、ツナより前にキョトンと首を傾げて尋ねてくる。
『あれ、ツナから聞いてなかったのな? ツナはこれからまだ用事があっから、クラスのみんなに紹介するのと学校の案内、オレが頼まれてやったんだけど?』
『テメェ、頼まれてやったとはなんて言い草だ!? 十代目からの任務なら喜んで拝命して然りの……!?』
『あああああのねっ、獄寺君!? その、ごめん、言い忘れてたけど山本の言うとおりなんだ!? オレ、ちょっとキミの処遇とかでまだリボーンたちと打ち合わせがあってさ!? まあキミには少しでも早くこっちに馴染んでもらえればってことで、こうして学校に来てもらって……!!』
焦って告げられたことを吟味すれば、やはりこの山本とかいう男がツナから頼まれたということは、事実のようだ。
そもそも並盛に招聘されたのは、前任の一人が怪我でリタイアしたかららしい。急な欠番に慌てたということは、それだけこの並盛は恒常的に戦火が潜在しているということだ。とりあえず呼ぶには呼んだものの、所属だの待遇だのに関して、細かい詰めができていないのだろう。ありそうな話ではある。そういう話し合いには当人がいては言いにくいこともあるだろうし、同席しないことに不満はない。学校に一人で向かわされることも、それがツナなりの気遣いであればむしろ喜びであるが、やはり納得できないこともあるのだ。
『あはははっ、心配しなくていいのなー!!』
『……なにがだよ』
『や、山本……!?』
『それだけしゃべれてれば、充分だって?』
言葉の壁とか気にしなくて大丈夫なのなっ、と軽やかに保障してくれるこの男は、何者なのか。
推測できてしまう自分の明晰な頭脳が悩ましいが、おそらくこの男は自分に対し、外見がいかにも大陸育ちということで言語に明るくないと思っていたのだろう。だが流暢なしゃべりを聞き、大丈夫だと太鼓判を押してくれた。つまりこちらの憤慨は、ツナがいなくなることで会話ができる相手がいなくなる不安の裏返しだと解釈していたのだ。
なんて失礼なヤツだと、また印象を悪化させる。
尊敬すべき十代目は大陸の言葉が全く話せないのでそもそもその解釈は成り立たないがやはり十代目は素晴らしい御方だ、と反論しようかと思ったが、何故かいきなり手を出された。
『なっ……!?』
『オレは山本武、ヨロシクな!!』
自己紹介より先にギュッと握られた手が、異常に力強い。そして、熱い。
だがそれより、手の皮が硬くなっているのに気づき、一瞬同僚かと思いかけたがすぐに見上げる視線でそれを否定した。この身長で、同僚ということはありえない。
ならばクラスメートらしいというだけでこれだけ馴れ馴れしいのかと睨み返すが、山本武と名乗った男は、何故か手は離さないままでまたキョトンと首を傾げてみせた。
『で、お前は?』
『……。』
『なあツナ、オレには覚えられなさそうな長い名前?』
この東洋の島国では、民族的な特性として自己主張が控えめだったりスキンシップが苦手だったりするらしい。そんな先入観は、ツナたちに会ったときには正しかったと思った。だがこの山本と対峙していると、とてもそうは思えない。こちらが気恥ずかしくなるほどじっと目を合わせてくるし、握手を求める前に勝手に手も握ってきた。しかも、まだ離さない。かといって名乗らずにいればすぐに横に立つツナに尋ねていることを考えれば、堪え性はないのかもしれない。
『あ、そんなことはないと思うよ? えっとね、こちらは獄寺隼人君。今朝、大陸から来てもらったばっかりなんだ。長期で着任することになるから、学校にも転入してもらったんだよ』
『ゴクデラ? ハヤト? それって漢字?』
姓はともかく、名は珍しくないはずだ。それにも関わらずツナに必死で字を教えてもらっている山本は、相当なバカなのか。なんだかまともに相手をするのが疲れてきたこともあり、放っている間にようやく山本も納得したらしい。一つ頷いてからまだ握ったままの手をブンブンと上下させ、あっけらかんと笑っていた。
『ヨロシクなっ、獄寺!!』
『……。』
ファミリー特有の血生臭さなど微塵も感じさせない一般人と、よろしくしてやる義理はない。
そう思い黙り込むが、やはりそんなわけにはいかないらしい。
『ご、獄寺君、その……ちょっと、この山本って苦手なタイプかもしれないけど、でも、仲良くしてね……!?』
『……十代目が、そうおっしゃるのであれば』
『仲良くしようなっ、獄寺!!』
『うるせえっ、テメェのためじゃねえよ!!』
十代目がおっしゃってるから仕方なくだっ、と言い放ってようやく手を振り解けば、山本はポカンとしている。
そんな表情に、また様々な憶測ができた。ツナがわざわざ案内係にと任命したくらいなので、基本的には人当たりもいいタイプなのだろう。人好きがするとも言える快活な調子は、知らない土地にいきなり越してきた気弱な転校生であれば、確かに頼りになるものだったかもしれない。だが自分に用意してくれるには明らかに人選ミスです、と内心ツナに対して申し訳なくなってしまうほど、この男とは相性が悪い。大方相手もそれを察し、手を振り解かれてようやく気がつくかと期待もしたが、結局山本はへらりと笑っていた。
『まーまー、ツナも困ってるし仲良くしようぜ? それはそうとして、ツナはもう行かなくていいのか?』
どうやらこの山本とやらは、相当鈍感でもあるらしい。おそらく、あまり邪険にされたことがないに違いない。大らかというより無神経なのではないかと勘繰るようなあしらい方で流すと、そのままツナへと尋ねている。その言葉に慌てて時計を見たツナは、少し顔を引き攣らせて困ったように笑っていた。
『あ……だいぶ車飛ばしてもらわないと、いけなくなってた。ほんとに悪いんだけど、オレ、もう行くから? 後のことはよろしくね、山本』
『おうっ、任せとけって!!』
偉そうに言うなと口を挟みたくなったが、これ以上ツナを引き止めることになってはいけないと思い、ぐっと堪えておく。そして慌てて車に乗り込んでいるツナだったが、ドアを閉める前にもう一度振り返っていた。
『……獄寺君も、ほんと、山本と仲良くしてね』
『あっ、ハイ……!?』
一瞬表情が翳ったので深刻な話かと思ったが、ツナの口から繰り返されたのはそんな言葉だった。
これはどうやら、かなり心配させてしまったらしい。おそらくツナにとっては、頼れるクラスメートの一人なのだろう。ならばツナのためにも、仲良くとまではいかずとも、険悪な仲にはならないように心がけよう。
『なー、獄寺? そろそろ始業式終わるから、先にオレたちの教室に戻らね?』
『なっ、バカ!? なんで手握る必要があんだよ!?』
だが誘導ついでに再び手を取られ、派手に振り払ってしまったときには、絶対にこいつとは仲良くなれないと思ったものだった。
そんな一時間ほど前の印象から、今もほとんど変化はない。
不本意ながらも山本に連れられて教室に入り、数分もすれば始業式とやらが終わった生徒たちがぞろぞろと戻ってきた。正直に言えば、それには安堵した。担任らしい教師もやってきて席を与えてくれるまで、何故か山本はずっと話しかけてきていたのだ。こちらはほとんど返事もしないのに、飽きもせずしゃべり続ける。その間も親しそうに何人もの生徒たちが男女を問わず山本に声をかけたので、いわゆる人気者という印象は当たっていたらしいと察したが、別に嬉しくもなかった。
黒板の前に立たされて教師から紹介され、また席に戻って教師からの話を聞く。どうやら今日は始業式だけのようで、授業は明日かららしい。二学期の時間割とやらも配られたが、そもそも自分は教科書の類もない。だがそれは本部に戻って尋ねればいいだろうし、なくても困らないという自信もある。大陸で学校には通っていなかったが、実家での英才教育と、ボンゴレに入ってからの訓練を兼ねた勉強は、中等教育などとっくに終えているからだ。教科書をそろえるくらいなら、まずは制服が必要だろう。
そのため、目下のところこの学校生活で最大の難関は、好奇心に満ちた目で様子を窺ってくるクラスメートたちへの対応だ。基本的には一切関わりたくないが、ツナの立場によっては倣う必要が出てくるかもしれない。まあ物珍しくされるのも最初だけだろうと高をくくり、教師の話が終わると同時に退散しようとしたのに、捕まってしまった。
「なあ獄寺、だから、音楽室? 保健室?」
「……。」
何故か意気込むように一旦は女子たちに囲まれそうになったのだが、その輪から強引に引きずり出してくれたのがこの山本だ。ツナに頼まれてるのなっ、と爽やかに笑ってこちらの腕をつかみ、不満そうにしている女子たちを置き去りにして教室から出た。
結果的に助けられたのかと思い、少しだけ山本を見直しそうになった。だがそれが買いかぶりで、山本は本当に『ツナに頼まれた学校案内』をするつもりだっただけだと気がついたのは、それから数分もしないうちだ。
「なあ獄寺、どっち行きてえの?」
「……どっちでもいいっての」
授業もなく、正午にはまだ多少ある時間帯のためか、校舎内はどんどんと人が減っていっていた。特に特別教室が集まる別棟には、ほとんど人気がないと言ってもいい。渡り廊下で繋がれた二階部分から入り、おざなりな説明をされた後で階段へと促される。そこで次はどちらがいいと尋ねられても、一番の希望は『もう帰りたい』でしかなかった。
それでもなんとか付き合おうとしているのは、ツナに何度も仲良くしてねと念を押されたからだ。尊敬する十代目であるツナにとっての、この山本の位置がまだよく分からない。だが、ただのクラスメートよりは親しそうだった。その場合、あまりに邪険にあしらって、ツナに告げ口されるのも癪だ。だからちゃんと応対しようという打算が実践できるのであれば、自分はきっと大陸で悪童などと呼ばれていなかっただろう。
「なあ獄寺ぁ、どっちが……?」
「あのなあっ、そんなの、どっちでもいいって言ってんだろ!?」
「え、なんで?」
「……。」
思わず怒鳴ってしまった声は、シンと静まり返っている校舎内に響く。それなりに凄みはあると自負しているのに、山本は全く怯えた様子もなく、不思議そうにまた首を傾げている。
その反応が、気にしないように努めているわけではないことは、聞き返された内容からも明らかだ。山本は強いのではない、理解が及ばないだけだ。どちらでもいいという投げやりな態度から、この学校案内を億劫に思っているという解釈に至る想像力がない。だから凄んだところで伝わらず、鈍いのだとため息をついたのは、説明するより選択する方が楽そうだという結論が結果的に山本に従ったようになってしまうからだった。
「……じゃあ、音楽室」
「なんで?」
「選んでも尋ねるのかよ!?」
だが、適当に選んでみても、同じように理由を尋ねられてしまった。それに反射的に噛み付いたものの、内心では少し予想もしていた。もし階段を下る保健室を選べば、理由は単にもう帰りたいからである。そしてその理由を口にしたところで、学校を案内し終えていない山本に採用してもらえるとは思えない。どうせ連れ回されるならば先に上の階に行った方がマシだという合理性だけでなく、質問に答えられそうだというのも選んだ根拠の一つではあった。
「……昔、ピアノやってたんだよ。それだけだ」
会った初日で、しかもこんなに苛立つ相手に教えるのはなんとなく釈然としなかったが、理由としては不自然ではないだろう。そう思い淡々と口にしてみれば、意外にも山本は目を丸くしている。
男でピアノをしているのが珍しかったのか、それとも自分だから似合わなかったのか。どちらであっても失礼な反応だとまた不愉快さが増したところで、ニッコリと笑った山本にこちらも虚を突かれてしまった。
「……?」
「すっごいのな!! ピアノ弾けるのって、あ、獄寺、オレ聴いてみたい!!」
「あっ、おい、バカ……!?」
純粋に感動したと分かる様子ではしゃいだ山本は、そのままギュッと手を握ると昇り階段へと引き摺り始めた。
先を急ごうとするその行動には、逆にピアノが弾けるのがそんなに珍しいのかと首を傾げそうになる。だが今は足がもつれそうな勢いで階段を引き摺られている方が問題で、折り返し地点になる踊り場を過ぎたところでようやく声を荒げることができた。
「だからっ、バカ、なに勝手なこと言ってんだ!? オレは弾かねえよ!!」
「え?」
なんで? と続けられることは明らかだったので、先手を打っておく。
「なんでテメェに弾いてやらなきゃいけねえんだよ?」
そう逆に尋ね返してやれば、どれだけこの会話が不自然なのか理解されるかと思っていた。だがやはりこの男は、一筋縄ではいかないらしい。
「友達だろ? 弾いてくれてもいいだろ、なあ獄寺、聴かせてくれよ」
「……。」
いつから友達になったのだ。
渾身の思いを込めて冷めた目を向けてみたが、案の定山本には通じなかった。おそらく、クラスメートというだけでもう山本にとってはほぼ友人なのだろう。更に、ツナから直々に紹介されたことで、完全に友人だと思ってのこの態度なのだ。
つくづく、ツナの心遣いが居たたまれない。この並盛にきて、転入する前に、もう少しツナと親睦を深める時間があれば、ツナもきっと自分が友人など必要ないタイプだと察してくれただろう。そんなふうに内心で嘆きつつ、相変わらず取られたままの手をいつ外すかというタイミングをはかっていた自分は、このとき深く考えることはなかった。
性格や特性など、即戦力として引き抜くからこそ、事前にできるだけ調査されていたはずだ。大陸で悪童と呼ばれ、協調性など一切なく学校にも通っていなかったことなど当然承知の上である。それでいて、何故こうして転入させたのか。中学校生活を満喫させてあげたかったなどという偽善くさい理由ではなく、合理的な決定が下されていたのだと、何故かこのときは気がつけなかった。
「……いいから、離せよ。オレは弾かねえって言ってるだろ」
「獄寺……?」
階段を昇りきったところで足を止め、ついでに手も振り払う。声を荒げるのではなく淡々と告げたのが少し不思議だったのか、珍しく山本はそのまま見送ってくれた。これを好機として一気に階段を駆け下りてもよかったが、それではなんだか逃げ出したようで癪だ。そんな強がりで再び歩き始めた自分は、引き返して階段を下りるのではなく、廊下へと先に進んでいた。
数歩も行けば、すぐに窓ガラスがはまった廊下の壁になる。それを背もたれにするようにして立ってみると、目の前には『音楽室』というプレートがかかった教室があった。もちろんそこにも人気はないが、ドアを開け、中に入ればピアノくらい置いてあるのだろう。想像すると無性に苛立って煙草を吸いたくなったところで、やや遅れてきた山本が正面に立っていた。
「オレは、ピアノはもうやめたんだよ。だから弾かねえ」
言い方が妙に感傷的に自分でも聞こえて、やや落ち込んだ。体の中に四分の一しか流れていないこの土地の血が、分け与えてくれた者を想起させているのか。実家を飛び出したときからすべてまとめて忘れようと心に決めたが、そう上手くはいかないようだ。やっぱり十代目内定ボス直々の招聘だからといって安易に応じるべきではなかったか、とため息を重ねるが、それはすぐに飲み込まされ、怒声となった。
「……こんなキレイな手してるのに、もったいねえよな」
「て、だからなんでまたテメェは手握ってくんだよ!? 指と指絡ませんなっ、あと別にキレイな手じゃねえだろ!?」
「え? でも指も長いししっかりして力強そうだから、キレイだと思うけど?」
正面に立つ山本は殊勝な顔をしていたが、何故かまたこちらの手を取ったのだ。しかも、恋人つなぎにされた。言及された感想にも思わず噛み付いたが、どうやら山本の観点は少しずれているようだ。
普通、手がキレイという場合、指が長いことはあるかもしれないが大半は肌がすべすべで美しいという意味だろう。その点、自分の指はいわゆる女性のようなたおやかなものではない。ダイナマイトも操るために火傷の痕は多いし、操縦桿の握り癖も皮膚にはっきりと現れている。更にゴツゴツとした指輪をいくつもしているので到底キレイという表現には当て嵌まらないと思ったが、どうやら山本の感性がおかしいだけらしい。それならばそれでいいが、とにかくやたら手を握ってくるのはやめろと思っていたとき、ふと視線を感じた。
「……なんだよ?」
「え? あ、いや……。」
山本が、じっと見つめてきている。
一瞬背もたれにしている廊下の壁、その窓の向こうに何かがあるのかと勘繰ったが、やはり見つめているのは自分のようだ。だが微妙に目が合わないのは、それより少し上、額か頭頂部付近にじっと不自然なほど熱い視線を向けてきているからだ。
まさか、この一時間ほどの山本との行動がストレスとなり、ハゲでもできてしまったのだろうか。
もしそうであればそのハゲを発見されたことすら悔しいと怒鳴りかけたとき、なんの予兆もさせずいきなり山本がもう一方の手をポンと頭に乗せてきていた。
「……ああ」
「ああ!?」
「獄寺って、もっと背が低かったのな」
頭に手を乗せるという行動だけでも、自分にしてみれば相当な暴挙だ。しかも、それから手を前後に動かしてヨシヨシと子供をあやすようなことをされ、年頃なので気にしている身長にまで言及された。
やはり、このバカとは仲良くなどできない。
そう確信を深めて怒気を強めるのに、全く気がついていない様子の山本は、相変わらず頭を撫でてきながらあっけらかんとして確認してくる。
「もしかして、履いてた靴って底が結構厚かったのか? なんか今と全然身長違うし」
「テメェ、この……!!」
確かにそれもその通りだ。上履きなど用意していなかったため、自分は今職員用と書かれたスリッパを拝借している。ほとんど厚みもないこのスリッパでは、門の前で外履き用の靴のまま会ったときより、十センチ、いや五センチ、いや一センチよりは少し長いくらいには身長が違っているはずである。予想がついているならばわざわざ念を押してくるなと思いつつ、いまだ握られたままの右手を振り解く。そして拳を作って山本の眼前に寄せてみたが、瞬きすらしない様子にはやはり鈍感なのだと呆れた。
「……コレ、だからな」
自分にしたところで、別に山本を殴るつもりだったわけではない。指に嵌めたリングを見せつけたかっただけだが、そのついでに驚かせることができればという悪戯のようなものだ。だが反射でも怯えてくれないので肩透かしを食らった気になり、やや素っ気なくそうリングを示す。これを嵌めているのだから、身長が高くなくても当然だろう。そう暗に示したつもりだったが、すぐに無意味だと自分で気がついてしまった。
なにしろ、この山本は一般人なのだ。ファミリーであったとしても、昼夜の違いや、厳格な身長制限など知らない者も多い。今見せつけた右手のリングの中で、銀ではなく、月のマークが入った黒く光るリングが示す肩書きを知っていれば、勝手に崇めて大人しくなってくれる者が大陸にはよくいたため、その癖が出てしまった。
全体を黒くして異質な色彩を放つリングが使われだしたのは、ここ数年のことである。基本的には同じ性能で、晴とは違う太陽のマークが入ったリングがずっと存在していたのだが、それを操る集団から特化した精鋭というものが台頭してきた。その区別をするために作られるようなったのが、全体を黒く染めて月のマークが入ったこのリングだ。
黒と月は、夜と炎を表している。昼しか支配できない輩とは違うのだという証ではあるが、きっと山本には通じないだろう。
「……だから気になってた」
「あ……?」
校舎の外で会ったときより、山本を見上げる視線には更に角度がついている。この身長では同僚のはずはないが、すっと目を細めて答えてきた山本に、その判断が揺らぎそうになる。
やはり、山本はファミリーなのだろうか。だから気になっていたという言葉を真に受ければ、身長制限のこともすぐに思い出せるほど、そちらの中枢に近いところにいるのだろうか。そんな疑問が脳裏を何度も往復しているうちに、ふと山本の手を思い出す。棒状のものを何度も強く握ることで、手の皮の一部が厚くなる特徴があった。身長から同僚ではないと早合点したが、もしかすると勇退者なのかもしれない。この年齢でこの身長であれば、普通は単に成長が早かったというだけであるが、もし同じようにこの黒いリングを持っていたのであれば除隊を余儀なくされる引導でしかなかったはずだ。
「山本、お前……?」
ツナととても親しくしていたことを考えれば、やはり一般人などではなかったのだ。
不意に、この並盛に招聘された理由を思い出す。少し前の戦闘で、隊員の一人がもう復帰困難な状況に陥ったことによる補充という話だった。まさかその重傷を負ったらしい前任者なのかと思えば、ツナが仲良くさせようとしたのも、やたら山本が興味深そうに構ってくるのも、分かった気がする。
これは引き継ぎか、あるいは後任として適格かどうかという審査の一環なのかもしれない。もしそうであれば、自分は相当な暴言と粗野な態度でほぼ失格だろうと青褪めたとき、バタバタという派手な足音が階段を上がってきていた。
「……おっ、山本、いたいた!! お前、今日はメシ前にミーティングだって言ってあっただろ!!」
「!?」
「あ、忘れてた」
いきなり現れたのは、知らない生徒だ。どうやら山本を探していたようだが、ミーティングという言葉にやはりという確信を深めそうになった。ブリーフィングより戦闘への緊急性がないような、事務方がよく使うものだったからだ。山本より少し背は低いが、日に焼け、体格のいいこの生徒もファミリーの一人なのか。
「いや、ツナに獄寺のこと案内してやれって言われてたから。そっちはすっかり忘れちまった、あははっ、わりーなっ」
「ったく、沢田のヤツ。まあ山本が頼まれたら断れないってのも事実だけどな……。」
「……『沢田』?」
だがすっかり確定した事実と思いかけていたものが、見知らぬ生徒の一言であっさりと覆されそうになる。
もし本当にファミリーであれば、十代目ボスに内定している御方を呼び捨てになどできない。その理論でいけば、まずツナなどという気安い呼び方をする方がやはりファミリーではありえないという結論にいきかけたところで、こちらの呟きなど聞こえていなかった生徒が呆れたようにくるりと背を向けていた。
「まあ、それならそれでいいけどな。ただミーティング不参加の罰として、山本は午後からの紅白戦、スタメン落ちな」
「ええっ!? それはひでぇよ、まだミーティング始まってねえんだろ? 今から部室行けば、間に合うよな?」
「……『スタメン』? 『部室』?」
そして更に想像とは違う単語が重ねられ、怪訝そうに呟けばようやく山本も気がついたらしい。頭に乗せたままだった手をおろし、握っている方の手だけギュッと力を込めると、正面からすまなさそうに見つめてきていた。
「なあ獄寺、案内ってまたでもいい? 授業で移動教室のときはちゃんとオレが連れてくし、そこは心配しないでくれていいから? オレ、部活も久しぶりでしかも試合形式だし、絶対今日は全打席出たいのなっ、なあ頼む!!」
「……。」
案内など元から迷惑だと思っていたし、校内地図の一枚でももらえれば今後も引率など必要ない。
だが気になったのは、もちろん部活だの打席だのという言葉の方だ。そこから想像されるのは、おそらく野球だと思ったところで、はっきりと半ば肯定された。
「そうだ、オレ獄寺のために絶対ホームラン打つから!?」
「……好きにしろよ」
「ほんと? よかった、サンキュ!!」
たかが紅白戦で、しかもホームランを打ってもらってもだからなんだというのが本心だ。
てっきりファミリーで、しかも前任者かと思ってしまった分、気が抜けた。怒鳴り返す気力すらなく、疲れ果てて適当に追い払っただけなのに、何故か山本は嫌味も通じずニコニコとしてお礼を言っていた。
いや、別段不思議なことではない。最初の印象のとおり、山本はただの能天気な一般人なだけだ。
「悪いな、転校生? 山本ってこう見えて、ウチの野球部の四番なんだよ。ミーティングも紅白戦も、結局コイツがいねえと始まらねえから、今日のトコは譲ってくれよな」
「あれ、それって結局オレ紅白戦出れてた? キャプテン騙した?」
あははっ、ひでえのな!! と相変わらず笑っている山本は、あれだけしつこく握っていた手もあっさり離し、その腕をキャプテンと呼ばれた生徒の肩にガシッとかけている。そんなスキンシップに、キャプテンらしい生徒も多少顔をしかめただけで、特に嫌がるという反応はない。せいぜい呆れている様子でため息交じりに山本を小突き、とにかくみんな待ってるからと山本と連れ立って階段を下りて行っていた。
一応こちらにも断ってから立ち去ったキャプテンにも何も言えず、ただじゃれるようにしていなくなった山本の背中を呆然と見送った。一体なんだったのか、というのが素直な感想だ。自分に対して懐きすぎだと戸惑ったが、他に対してもやはり山本はあんな感じらしい。そこに最も苛々していることには気がつきたくなかったので、とりあえず別のことを呟いておいた。
「……なんだ、ただの野球バカか」
やはりファミリーでもなんでもなく、ただの陽気で無神経な中学生らしい。
ふう、と安堵なのか落胆なのかもよく分からない息をつけば、ふとツナの言葉を思い出した。
「……確かに、その通りです」
この山本は、苦手なタイプかもしれない。
それでも仲良くしてねと言われたことも思い出したが、無理そうですという返事をまた内心で返しただけで、なんとなく疲れてその場に座り込んだのが九月の初日、並盛で過ごす第一日目だった。
学校では散々だったが、それから気を取り直し、ボンゴレの並盛本部に向かえば少し気分も落ち着いた。もちろん人種や言葉は違えども、ここもボンゴレファミリーの中枢なのだ。マフィア独特のやや殺伐とした空気の方が、学校という特定の年齢層しかいない閉鎖空間よりはよほど性に合う。なによりあの山本に代表されるような、過剰に構ってくる者もいない。そこには本当に安堵し、利用できると紹介された食堂で遅めの昼食もとることができた。
獄寺が所属するのは、重装甲駆動機、通称サノスを主戦力とする部隊だ。元はボディーアーマーから発展し、重装甲駆動機と呼ばれるようになるには、ある一つの画期的な発明が必要だった。それは、駆動のための熱源を、炎にすることだ。だが当時の大前提として、パイロットになるような者は炎を操るほどの能力がないからこそ、ボティーアーマーなどの補助兵器に頼るしかなかった。それをふまえれば、当然パイロット本人の死ぬ気の炎ではありえない。
大空、晴、雲、嵐、雨、雷、そして霧という七種類に、人の炎は属性が分けられる。そのすべてが天空に関係する単語が示すように、そこにはもう一つ強力な存在が内包されているのだ。最も近しい属性は、晴だ。発見した研究者も、晴の属性を有していたと言われている。その研究者がもう一つヒントを得たのは、太陽電池だったらしい。要するに、太陽そのものが出すエネルギーを、死ぬ気の炎の代わりに匣に充填するというものだった。
この場合、炎を有する人間に相当するのが太陽になるため、炎を直接攻撃手段として発射するような使い方はありえない。もしそんなことができれば、地球は常に太陽から死ぬ気の炎で攻撃され続けるようなものだ。広く薄く降り注ぐ太陽エネルギーを匣に集め、発動させるには太陽のリングが必要になる。だが使用者が太陽の波動を帯びている必要がないのは、そもそもリングにもある程度の太陽エネルギーを纏わせておく機能が付加されているからだ。
これは本当に画期的で、誰にでも開匣でき、且つ炎に相当するものが充填し放題という特徴があった。だがすべてにおいて使い勝手がよかったわけではない。人間から発生する炎でないためか、匣の技術ではいまいち太陽エネルギー、便宜上太陽の炎と呼ばれるものを加工しきれなかったのだ。到底匣兵器と呼ばれるような多種多様な付加価値もつけられず、ただエネルギーとして射出することしかできない。かといって、電気ではないためいわゆる電子機器には使用できないことに加え、出力の調節が繊細すぎるため動力としても非常に扱いが難しいものだった。
つまり、高出力だが不安定で、しかも動かせる機械も開発されていない孤高の発見だったのだ。
それを今から百年ほど前、動力源として使用したことが、後に重装甲駆動機に至る始まりである。元より匣やリングがマフィアの技術だったことからも、軍事利用が主となるには二十年もかからず、今ではそれ以外で太陽の匣が使われてることはほとんどない。そのため、一般的には重装甲駆動機をSun-Operation-System、Sun.OS.(サノス)と呼ぶようになった。
電子技術と区別するため、太陽の炎に限らず、炎を発電機などで電気に変換せずにそのまま熱源とするものは、敢えて炎源と表現されることが多い。サノスの兵装のうち、通常兵器は電気や火薬などで作動し、炎源兵器は太陽の匣かパイロット本人の炎で作動するものなのだ。もちろん完全に炎源だけでサノスも起動しているわけではなく、敢えて電気でのみ動く装置もいくつか備えられている。だがやはり、片手に乗る匣のサイズで出力される太陽の炎は、重厚なサノスを動かす主動力源だ。訓練さえ受ければ本人の炎の素質に関わらず操縦でき、また量産も可能ということで、マフィアの組織戦がサノス主体になったのは獄寺が生まれるよりずっと前からだった。
「しっかし、まあ、隼人がサノス乗りになってるとはなあ!!」
「うるせえよ」
パイロットは各拠点に常駐となることが多いが、獄寺は本部付けは最初から決まっている。併設された宿舎には既に大陸から送った私物も運び込まれており、適当にそれを片付けたところで獄寺は部屋を出た。
午前中にツナからまだ処遇が確定していないという話をされてから、特に次の指示は受けていない。サノス本隊の窓口になっている部署からも、とりあえず本部の敷地内にいればいいと言われているので、見学でもして回ろうかとうろうろとしていたところで意外な顔を見つけたのだ。
どういう経緯だか知りたいとも思わないが、実家の城で一時期専属医をしていたこともあるフリーの殺し屋、シャマルがこのボンゴレの並盛本部にいた。どうやらリボーンに誘われてのことらしいが、大方どこぞで女性問題でも起こしてこの極東の地でほとぼりを冷ましているのだろう。数ヶ月前から専用の医務室を持っているらしいシャマルに、再会の祝いだとジュースを勧められ、足を運ぶ気になったのは多少の打算があったからだ。
いろいろと人間的にはだらしないと思う部分が多いシャマルだが、名医には違いない。もしかすると、戦闘中の怪我で除隊したらしい前任者のことを知っているのではないかと思ったのだが、こちらが質問するよりシャマルの発言につい反論してしまうことの方が多かった。
「大体、サノスじゃねえっての、オレは本部付けなんだよ」
勧められたまま口をつけていないジュースが置かれているテーブルに、獄寺は右手をバンとついてみせる。そこには当然、黒い指輪が嵌っているのだ。太陽の匣を開匣するリングは、もちろん太陽のリングだ。銀色で、太陽のマークが掘り込まれている。だがそれとは違う、より特殊戦用なのだと示す黒いリングにも、シャマルは驚いた様子はなくニヤニヤとしていた。
「ルノスだって、サノスの一部じゃねえか」
「全然違うっての!!」
「せいぜい、キャノピーがなくて、あと副生昇華の予備装置がついてるぐらいだろ? 夜行性の物好きが乗るサノスだってのは、組織図からも明らかだよなっ」
確かに、獄寺の所属するルノス分隊は、サノス本隊の一部だ。指揮系統はトップ以外全く別物だが、組織としてはやはり主力サノス師団という中に位置づけられている。
だがそんなことを指摘したシャマルには、二つのことが分かった。
一つは、やはりそんなに詳しくなるほど、ここではサノス関連に従事しているということだ。そしてもう一つは、獄寺がルノス隊の補充員だと言っても驚かないほど、精鋭と名高いルノス隊でオーバー・ハイト以外の緊急除隊があったことを知っているということだった。
「……まあ、炎が相当使えるってのに、わざわざ重装甲駆動機に乗りたがるってのは、物好きかもしれねえけどな。そんだけの精鋭が離脱してそのまま除隊なんざ、何があったんだよ?」
大陸でも、夜間戦闘を専門にするルノス隊はエリート集団で、且つ変わり者の集まりだった。なにしろ、パイロットが必要以上に炎を操れる手錬ればかりなのだ。いかにサノスによる組織戦が主役でも、建物の中や日常生活でサノスが活躍するはずもない。最終的には、生身だけで覚悟の炎を灯し、圧倒的な破壊力を持つ者が強さの象徴となる。
炎すら灯せない者が多いサノスのパイロットたちと、炎を駆使して生身で兵器となれる人間は総じて仲が悪い。前者は後者を野蛮だと批判し、後者は前者を弱者の高慢だと蔑む。程度の差はあっても、どこのファミリーでも大抵サノス部隊と生身の戦闘部隊は確執がある。それぞれが自分にない能力を持っているので、劣等感を煽られて過剰に反応してしまうのだろう。
そんな中にあって、ルノス隊だけは両方の側面を持つため、サノス隊からも戦闘部隊からも嫌われるが実力で黙らせるような精鋭なのだ。このボンゴレの並盛においても、管轄するサノス師団にサノス・パイロットは百名近くいる。それに対し、ルノス分隊のパイロットは獄寺が補充されても十名ほどだ。これでもまだ管轄地域に対しての比率は非常に手厚い配備であり、大陸であればせいぜい五人もいればいい方という具合だった。
ルノスは夜間戦闘専門なのでまず戦闘自体が少ないということもあるのだが、精鋭という評価は全世界共通のはずだ。それが通常の倍以上配備されていて、どうしてそんな致命傷を負うことになったのか。その補充として入る自分には知る権利があるのだとばかりに睨めば、シャマルは困ったように髪をグシャグシャとかきむしっていた。
「なんだ、ツナから何も聞いてねえのか?」
「……十代目は、ただ事故だとしかおっしゃらなかった」
こいつもそんなふうに十代目を呼ぶのか、と思ったが、そもそもシャマルは嘱託であるし、早朝に顔を合わせたリボーンもそう呼んでいたのでうつっただけだろう。今は咎めるより追及すべきだと先を促せば、はぁ、と大きくため息をついたシャマルは獄寺のために用意してくれていたはずのジュースを勝手に飲み干していた。
「……別に、ツナも隠してるとかじゃねえと思うぞ? 隼人はルノス隊を過信してるみてえだが、所詮は人間が乗ってるんだ、事故くらいある」
そんな言い回しで、ある一つの可能性が脳裏を過ぎった。
「やっぱり……副生炎源の、昇華ミスか?」
それしか考えられないと追及したのには、嫌な予測があったからだ。
パイロットの純粋なミスの場合、そのパイロットが実力不足だっただけだ。だがそれがルノスの機体に起因している、つまり整備不良だった場合は整備担当者に責任がある。もしそれで『事故』が起こり、パイロットが再起不能になったのであれば、そんな整備を行なうような部隊に誰も行きたがらないだろう。ましてや補充要員として嬉々として招聘される者など、いなくなる。ツナたちを疑っているわけではないが、仮に担当だった整備士を更迭したとしても、不安がらせないためにそんな情報は隠匿しておく。ありえないことではないと考えているからこそ、運よく捕まえたシャマルに問い質したのだが、どうやら違うらしい。
「あれを、ミスって言うのは酷だと思うぜ? 敵機の攻撃で、警報が鈍くなってたんだ。必死で戦ってたから最初は気づかず、予備装置を働かせるのが遅れ、自己昇華も間に合わなかった。意識が昏倒してたところで更に敵機にトドメを刺され、爆破寸前でなんとか助けられたから一命を取り留めたって話だ」
死んでもおかしくないところを、かろうじて助かったということらしい。
どうやら警報が効かなかったのは整備不良ではないようであるし、事実であれば通常の戦闘における予想された犠牲の範囲内ということだ。
そもそもにおいて、サノスは昼間機、ルノスは夜間機、もしくは全天候型と区別される。これは動力源である太陽の匣の、とても限定的な特性によるものだ。開発された当初、太陽の匣には充填保持時間が極端に短かった。他の属性の匣を応用して使っていたため、ほとんど充填と射出に間隔を取れなかったのだ。あまり長く匣に留めておくと、高出力すぎる太陽の炎で匣自体が破壊されてしまう。そのため長らくサノスは昼間専用、しかも晴天時にのみしか稼動しないという制約の大きいものだった。
そこから、太陽の炎に特化した匣が開発されたことにより、蓄炎機能が大幅に向上した。現在では平均して、一週間は留めておいても問題はない。また時間はかかるものの、曇天や夜間でも多少の太陽エネルギーを収斂、補充することができ、これでサノスを夜間も動かせると当時の研究者たちは誰もが思ったものだった。
だがそこで、夜間の操縦実験中に、予想だにしない事態が起こった。優秀なサノスのパイロットたちが、次々と倒れたのである。ある者は全身を痙攣させ、またある者は意識を失って昏睡状態に陥った。なんとか回復しても後遺症が残ることが多く、原因が判明しない間は夜の女神の呪いだとか、非現実的なことまで囁かれていたくらいである。
ほどなくして、一人のパイロットによって原因らしきものが判明する。そのパイロットは、多少だが死ぬ気の炎が操れたのだが、操縦実験を開始して一定時間が過ぎたときに、妙な気配を感じたらしい。これが呪いかと怯え、それこそ死ぬ気になってコクピット内で暴れたとき、彼の腕には炎が灯っていた。
そうして無事に生還したパイロットがヒントとなり、次第に呪いと恐れられたメカニズムが解明された。
たとえば、木を燃やせば煙や炭が生成される。そういう、単純なことらしい。元より死ぬ気の炎もエネルギーには違いないため、発生した段階で必ず副生物が出る。それが今までなんら問題になっていなかったのは、その副生物、一般的に副生炎源と呼ばれるものは、死ぬ気の炎によって昇華されるらしい。つまり、人間が発生させる炎の場合、発生と同時に副生と昇華も起こるという、完全自浄サイクルが成立していたのだ。これは太陽の炎の場合も同じで、蓄炎技術が確立していない間は、晴天時にしかサノスを稼動させないため自然の太陽光で昇華されていたらしい。特に太陽の匣は人間の炎を使う場合と違い、匣兵器としてではなく収斂した高性能エネルギーのままとして発生させる。すると効率のバランスが崩れ、発生に対する副生率は同じでも、昇華率が極端に下がるらしい。昼間使用時は、昇華しきれなかったものは自然光でなんとかなっていた。だが夜間だとそうもいかず、多くの場合は動力源である太陽の匣は機体の中心に近い内部に設置していたため、密閉率の高いコクピット内に逆流して充満し、呪いと恐れられる症状を引き起こしていたのだ。
また、生還したパイロットによって、副生炎源は多少効率は下がるが他の属性の炎、つまり人間が発する炎でも昇華ができるらしいと判明した。これが、夜間機に炎の使い手をパイロットとする根幹である。
そこまで判明させたのは、実はボンゴレの研究所だ。約三十年前に解明され、実用化されたのは二十年ほど前である。大事に大事に内蔵されていた太陽の匣をできるだけ外装に近いところに装備し、昇華のための予備装置、パイロット本人が自分の炎を緊急避難用に溜めておく機能がつけられた。副生炎源は金属も関係なくしみこんで漂う気体のようなものなので、強制排気ダクトも必須とされ、サノスの夜間機、あるいは全天候型の開発にようやく漕ぎ着けたのだ。
太陽に嫉妬した月の呪いだと思われていた時期が長かったためか、機体の通称には月の女神の名前が用いられ、Luna-Operation-System、略すとルノスとされた。あくまで動力源は太陽の匣であるし、月の炎というものは存在していない。だがサノスと対比するために月をモチーフにすることが多く、そのためルノス専用の太陽の匣を開けるリングには、月が彫られているのだった。
「副生炎源でやられたんじゃ、そのパイロットも言い訳できねえよな。それを処理できるからルノスに乗ってたんだろうし、ただの自業自得か」
サノス乗りは死ぬ気の炎は使えなくてもいいが、ルノス乗りは使えないといざというときに本当に自滅する。
実際にはいくつもの太陽の匣を時間差で開匣することで自転車操業的な浄化が行われるため、帰還までに使い切らない限りコクピット内に副生炎源が充満して予備装置の使用や自己昇華を試みることはまずない。パイロットになって三年経つ獄寺だが、訓練以外でそういった安全装置を起動させたことはなかった。だが見えない副生炎源はやはり不気味なのか、緊急時に対処のしようがない者はルノスには乗りたがらない。また現実的な問題としてルノスに乗るには体格上の制限もあるため、ますます狭き門となっているが、くぐりたがる者も少ないという複雑な精鋭だった。
だがそうしてすべてを分かった上でルノスに乗ったのだから、たとえ警報がなかろうが、気配で分かるものではなかったのか。どんな戦闘でも危険はつきものであるし、織り込み済みの事態に遭遇して対処できなかったのであれば当人の責任である。
「……なのに、『事故』なのか?」
「ああ。事故って言ってやらなきゃ、可哀想だ」
「……。」
それでも、まるで運が悪かったと同情するかのようなシャマルに、獄寺は怪訝そうにしてしまった。当人を知っていて心情的にそう言っている雰囲気ではない。明らかに、状況が仕方のないものだったと言いたげなのだ。そこにどんな意味があるのかと視線で促すが、シャマルは笑って曖昧なことを返すだけだった。
「戦わなくていい、いや、むしろ戦っちゃいけねえ相手と交戦しちまったんだよ。逃げきれなかった運の悪さも自業自得だって言うならかばいようもねえが、やっぱり、アレとルノスで戦わされたことを思えばオレはひどく同情するね」
「アレってなんだよ、アレって……?」
てっきり警報が壊れる攻撃を繰り出した敵機かと思ったが、違うのだろうか。ルノスと戦うのは、当然ルノスである。対ルノス戦のために、ルノス部隊は編成されるのだ。そこでは当然敵機はルノスであり、戦うべき相手で、やられても事故だとかばわれるようなことはない。だがシャマルの言い方ではまるで敵機がルノスではなかったかのようで、困惑したまま尋ねるが、あっさりかわされてしまった。
「ま、それはそのうちツナか、分隊長サマからご説明があるだろっ。いや、小隊長殿かな? まあそんなことはいいけどよ、それより隼人、お前その身長でまだルノスに乗れんのか?」
ツナは並盛本部の総司令官であるが、どうもサノス本隊よりルノス分隊に関わることが多いらしい。ルノス分隊は更に五人ずつで第一小隊、第二小隊と分けられ、補充要員として入る獄寺は必然的に第二小隊らしいということは聞かされていた。ちなみに小隊はあくまでグループ分けにしかすぎず、小隊長も便宜上のリーダーで指揮権はないらしい。実戦においては分隊長が事実上の指揮を取るので、正確にはルノス分隊は十一人だよな、と獄寺は思っていた。
だがそんなことを悠長に考えていれば、シャマルがいかにもからかう目で身長に言及してきていた。つくづく今日は嫌な日だと思いつつ、学校でと違って獄寺は相手が分かってくれると知っていて説明を繰り返す。
「まだギリでいけるんだよ、大体上限170てのはあくまで基準だろうがっ」
「ああ、やっぱ靴が厚いんだな? 隼人、出撃時は薄い靴にしとけよ」
「言われなくてもそうしてるっての!!」
今は私服で、本部内は土足のため学校に訪れた際と同じ格好なのだ。そのため、身長が優に170センチを超えているように見えるのが、不思議だったらしい。
サノスはここ数年で改良が進み、もう少し融通が利くのだが、ルノスは付加装備が多いためとにかくコクピット内が狭いのだ。ならば全体を大きくすればいいと思うのだが、まだバランスを取るのが難しいようで、大型機でも全長は4メートルもないのが共通した規格だ。コクピットに充てられる空間は限られており、ルノスは一般的に身長が170センチを上限とされている。もちろん個人差はあるので、足が長く、座高が低ければもう少しなんとかなる。だがその場合も腕が長いと邪魔になるし、開発が追いつかなければ獄寺もどれだけ我慢しても身長が175センチになる頃にはルノスから下りるしかないだろうと言われていた。近年改良されたサノスならばまだまだ余裕だが、今のところ乗り換えるつもりはない。かといって身長が伸びるのを止める投薬を選択することはできなかったので、現実的にはコクピットを広げる方向で獄寺は研究開発にも大陸では参加していた。
並盛への長期出向を打診されたとき、獄寺が最大に悩んだのはこの研究開発に参加できなくなることだった。だが次期ボス内定者から直々に招聘されるなどという幸運は二度とないだろうし、なにより並盛はボンゴレの中でも数少ないルノス戦闘が恒常化している地域なのだ。大陸ではほとんど出撃がなかったこともあり、身長の伸びがこれでも早かった獄寺は来年には引退かもしれないと本気で考えている。ならば少しでも実戦を経験しておきたいということで開発は同僚に託し、極東の地まで馳せ参じたのだが、どうにも初日から嫌な話題ばかりされる不運に見舞われているようだ。
「身長のことは言うんじゃねえよっ、オレだって気にしてんだ」
「そーかそーかっ、そりゃ悪かったな? 隼人はまだまだチビだから安心しろって?」
「くっそ、低いって言われるのもムカツクんだよ……!!」
難しいお年頃だな、と嫌な大人の笑みを浮かべているシャマルには、どいつもこいつも、と吐き捨てるしかない。
パイロットとしてはあまり早く高くなっても困るが、男としてはやはりもっと身長が欲しい。せめてアイツよりは高く、と脳裏に浮かんだのは午前中に学校で会った能天気な顔で、また苛々していたのをシャマルに聞かれたようだ。
「どいつもこいつも、て、ツナにも言われたのか?」
「ちげーよっ、十代目は人の気にしていることを無神経に指摘なさったりしねえ」
じゃあリボーンか、と続けられれば、確かにリボーンならば言いそうだという感想は獄寺も持った。だが事実ではない。真犯人であるあのへらへらとした顔をまた思い出し、苛立ちが増しつつ獄寺は答えておいた。
「リボーンさんでもねえよ、学校のヤツだ」
「ハ? ああ、そういや隼人もツナと同じ中学校に転入したって言ってたか。早速友達ができたのか?」
「友達じゃねえ!!」
初めて学校というものに通うことになったのは最初に言ってあったので、そんな解釈になったのだろう。それに、シャマルが驚くほどの勢いで否定したところで、控えめにこの医務室のドアがノックされていた。
「あ、あの、獄寺君がここにいるって聞いて……?」
「おう、ツナ。隼人ならいるぞ」
「十代目!!」
ゆっくりと開けられた先にいたのは、数時間ぶりに顔を合わせたツナだった。打ち合わせというものがどれくらいかかるのか分からなかったし、今日中に新たな指示があるとまでは確信がなかった。だがこの様子ではツナは探しに来てくれたようであるし、ようやく新たな任務の説明もあるのだろう。逸りそうな気は抑えているつもりだが、椅子から立ち上がるのは相当勢いがついてしまったらしい。思わずガシャンと椅子を倒してしまったが、それを直す間にツナが口を開いていた。
「これから、リボーンがちょっとしたブリーフィングをやりたいって言ってるんだけど、ルノス分隊の作戦室って場所分かるかな?」
「あ、ハイ、一通り建物内の地図は頭に入れたので大丈夫だと思います!!」
そうはきはきと答えれば、ツナは少し驚いた顔をしたものの、感心したように頷いてくれるのが嬉しかった。ツナはそのまま医務室に掛けられている時計を見上げ、時刻を確認してから続ける。
「あと十五分で、五時か。リボーンは五時からって言ってるんだけど、もう向かっておいてくれる? オレはちょっと用があるから、五時ピッタリくらいに作戦室には行くから」
「ハイ、分かりました!! ではお先に失礼致します!!」
「うん、またね」
午後の五時前という時間帯では、まだ日も落ちておらず、ルノスのパイロットが勤務に入る時間帯ではない。ツナもこのまま向かうようにと言っていることから、特に準備などもいらず、訓練とは違うのだろう。行けと言われて拒む理由は全くなかったので、獄寺は律儀に挨拶をしてから医務室を出た。
そのため、ドアを閉めた向こうで交わされた会話は、当然聞くことはなかった。
「……リボーンが主宰のブリーフィング、てことは。やっぱり分隊長殿はお出ましにならないのか?」
シャマルの言葉に、ツナは苦笑しながら答える。
「まだ明るいし、それにいつものことだから。ああでも、こっちにはもう来てるよ、しんどいだろうけど獄寺君の処遇は分隊長抜きでは決められないしね」
「まあ、それは仕方ないわな。それで、隼人はすぐ実戦に出すのか? 何にも分かってないふうだったぞ?」
やや牽制するような口調になるシャマルは、決してツナを責めているわけではない。獄寺の前任者の『事故』があるからこそ、慎重になっているのだ。かつての小生意気なボンボンという印象をそのまま大きくしたような獄寺は、頭がいい分、いろいろ考えて空回るタイプだ。そう忠告したシャマルに、少し表情を改めたツナは躊躇うような様子を見せた後、ゆっくりと口を開いていた。
「……出てもらうことになるけど、しばらくは遊撃機だよ。台機は任せられないかな」
「それは、分隊長サマの指示か?」
「ううん、オレたちの判断。彼はそういうこと、何も言わないっていうか、考慮しないもの。ルノス隊として出撃する以上、必要な知識も能力もすべて備えていて当然、て思ってるだろうし。ある意味徹底した平等主義というか、個人差というものを認めない完璧主義者なんだよね」
知ってると思うけど、と付け足されれば、シャマルも苦笑するしかない。確かにルノス分隊の司令機とされる分隊長は、そういう性質だ。だが、徹底しているからこそ、敢えて外すという判断も納得しかねるのではないか。それでも一応了承したのは、新人の獄寺をその任に宛がうことで、再び台機を失うのが嫌なのかもしれない。だがそうであれば分隊長は獄寺に配慮したことになるので、やはり単にツナたちの進言を拒否するほどの理由もなかっただけだろうとシャマルは思っていた。
少し獄寺の処遇が気になっていたのでツナに尋ねたが、ツナたちが一応配慮してくれたようだ。よかったよかったとシャマルは勝手に思うが、そうして質問させるためにわざとツナは獄寺を先に部屋から出したわけではないのだろう。どうも答えにくいことを尋ねられるのだろうな、という予想は、すぐに現実のものとなる。
「……シャマルは、獄寺君と旧知なんだよね。正直、どう思う?」
そんな漠然とした尋ね方はずるいと思うが、なんとなく分かってしまうのはさすがにこの数ヶ月、特異なルノス分隊を見てきたからだろう。
「まあ、なんとかなるんじゃねえの。ああ見えて、隼人は意外に適応力はある方だと思うぜ?」
「そうだと、いいんだけど……。」
「ま、性格的には分隊長サマとは合わないだろうけどな!! ……でも、従わざるを得ない。それはこれまで一度でも台機になったパイロットが、証明してるだろ?」
だからあんまり心配すんなって、と明るく返してみれば、ツナは微妙な顔をしていた。確かにこれまでも、補充という形で入ってくるルノス・パイロットは、程度の差こそあれ自信家でプライドの高い連中ばかりだった。シャマルがいた間でも、三人ほど入ってきたが、いずれも最初は腕に自信のある一匹狼タイプだったのだ。それが、今ではすっかり一定の組織戦を実行できるようになっていることは、ツナが最もよく知っているはずだ。
それでも心配しているのは、獄寺がひどく若いからだろう。今のルノス分隊のパイロットで、そもそも十代は一人もいない。加えてあの性格ではツナも心配になるかと察すれば、やはりそういうことらしい。
「でも、その……獄寺君て、ちょっと、性格が攻撃的というか、荒いっていうか、融通が利かないところもあるみたいだし。そういう気質だってことは調査書の段階で報告もあったから、ココのルノス分隊は他とは異質だし、補充リストの中でもだいぶ順位は低かったのに、でも……。」
「なんだ、分隊長サマが直々にお選びになったってのか?」
確かに優秀なパイロットではあるんだけど、と頷いているツナは、どうもそこが引っかかっているらしい。だがそればっかりは、分隊長にきかなければ分からないことなのではないか。まあどうせしゃべらないんだろうしな、とも想像がつくのでツナの苦労は分かるものの、やはりシャマルに言えるのはありきたりな慰めだけだった。
「まあ、なるようになる、事故さえ気をつけてりゃ隼人も問題にならねえって」
「そう、だよね……。」
「悩んでたって仕方ねえだろ、それこそ今夜にだってまた襲撃があるかもしれねえんだし。招聘しちまったモンは仕方ねえよ、腹括って隼人も戦場に出してやれ」
シャマルは獄寺のパイロットとしての力量は知らなかったが、あそこまで自信たっぷりだったのでそこそこやってくれるのだろう。そう思いたきつければ、ツナも小さく頷いていた。それがまるで自分自身に暗示をかけるような仕草も見え、ただでさえ悩みの多い次期ボンゴレのボスに獄寺の存在がこれ以上に負担にならないよう、シャマルは祈ってやるしかなかった。
そんなことを医務室で話されているとは知らない獄寺は、本部に併設されたルノス分隊専用の棟へと向かっていた。規模自体は小さいので、半分は格納庫だ。作戦室の場所は分かっていたものの、廊下を突き当たりまで進めば格納庫だと知っていればつい気持ちは惹かれてしまう。
「……ちょっとくらい見てっても、五時には間に合うよな?」
やはり、自分が乗ることになる機体は気になるものだ。
腕時計で確認をし、そんな言い訳を誰へともなくして作戦室を通り過ぎようとした獄寺は、そこで思わず足を止めてしまった。
「!?」
格納庫に繋がる廊下の先には、上部にガラスが嵌め込まれた扉がある。安全上の理由からだろうが、金属製の格子が取り付けられ、ガラス自体にも割れたときの飛散防止フィルムが挟み込まれているようだ。そんな状態なので少し見えにくく、また距離があったのであまりはっきりとは見えなかった。
それでも、扉の向こう、格納庫の中を知った人物が横切った気がした。服装はオレンジ色の作業着で、いかにも整備士のような様相だった。
「……。」
だが、どうしてアイツがここにいるのか。
まさか整備士だったのか、と思っても、マフィア関係者ではないと学校で結論付けたではないかと答える声がする。もちろんそれは誰かに確認したわけではないので、やはり関係者、パイロットではなく整備士なのかもしれない。そうだとしてもさほど矛盾はないのに、どうしても認める気にならないのは、通り過ぎた人物の横顔にどうにも違和感があったのだ。
「……。」
見たのは一瞬で、確信があるわけではない。
そもそも出会ったのは今日なので、それほどよく相手を知っているという自信もない。
それでも、別人に見えたのだ。どことなく気弱そうな、大人しく、やや表情に乏しい横顔は、学校で見た不気味なほど陽気だったあの人物とはどうしても重ならない。ここがある意味では仕事場だからだろうか、と考えてみたが、それよりは一瞬だけ見えた人物が本当に別人ということの方がありえそうだ。他人の空似という言葉を思い出せば急に納得できた気もして、あるいは兄弟や血縁者で性格が全く違うという可能性にも思いが至れば安堵する。
「なんだよ、驚かせやがって……。」
そう呟けば、何故かもう格納庫に行きたいという気持ちが失せていることに獄寺は気がついた。時間的にはまだ余裕もあったが、そもそもツナに早めに作戦室に行くように言われていたのだ。それを理由にして踵を返し、通り過ぎていた作戦室へと廊下を逆に戻り始める。
どうせ、ブリーフィングが終わって格納庫へ行けば分かることなのだ。
なんとなく知りたくないと思っている自分を否定して、獄寺はまずはブリーフィングに集中しようと自制しなければならないほど動揺していることが、億劫だった。
| ▲REBORN!メニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− <<BACK >>NEXT |