■遠きに臨む

-04.






 九月三日、日曜日。午後三時を過ぎればバイトは終了となった。
「天気がもってよかったなー」
「……ああ」
 昨日よりも更に客足が少ないという散々な状況でも、頭を抱えるのは上層部なので、現場でかったるい仕事をさせられている社員たちは知ったことではないらしい。冷蔵庫に入れてあった飲み物やゼリーなどのデザート類を散々振る舞ってくれた上、ほとんど仕事をしていないも同然の獄寺にもちゃんとバイト代を払ってくれた。もちろんそれは田中という本来のバイトであった大学生の口座に振り込まれるので、獄寺には直接は関係のない金の流れだが、山本が嬉しそうにしていたので特に異論もない。なにしろ、本来のバイトの仕事であったはずの案内すら、一人いれば充分対応できるほどの閑古鳥っぷりだったのだ。
 だからというわけではないが、山本が出払っているときはあまりに暇で、獄寺は最初は唯一の女性社員と話していた。獄寺が選んだのではなく、その女性社員しか話しかけてこなかったからだ。だがそのうち交代で受付から待機所にやってきた若い男性社員に、感心と怯えをないまぜにした様子で声をかけられ、即席の英会話教室のようになってしまったことは迂闊だったといまだに悔いている。
 男として十も年下の相手をそんなに素直に誉められるのかだとか、プライドとして悔しくないのかだとか、若い男性社員に呆れただけではない。いくら暇だったからといって、日本ではほとんど話すつもりのなかったイタリア語以外を披露するのが嫌だったからでもない。ただ単純に、そうして日本語以外で相手をしてやっているところにもう一人のバイトが帰ってくると、妙な疎外感を感じるらしく懐かれて大変だったのだ。
「なあ、獄寺って今はマンションだよな。一軒家に住んでたことってあんの?」
「……城をそう言っていいならな」
「あ、そっか。確かに集合住宅じゃねえよなーっ、じゃあ珍しくはねえのかっ」
 大変だと言っても、決して山本は暴れたりしていたわけではない。それこそ不満そうな顔で文句でも言ってくればまだ突き放すこともできるのだが、寂しそうに抱きつかれるだけなのだ。たまったものではない。撫でてほしいのだとあからさまに視線で訴えてこられると抵抗などできず、ため息交じりに短い髪に手を乗せ、社員たちに目を丸くされたことは不覚の極みだった。
 せめてもの救いは狭いパイプ椅子にも関わらず山本が膝に乗ってこなかったことだろうと思うが、あの調子では大差なかったかもしれない。ならばいっそ我慢させずに座らせてやっていれば、という危険思考に陥りかける自分にまたため息を深めている獄寺は、今は何故か展示会場の中にいた。
 結局一度も案内をしなかった獄寺なので、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。入り口のゲートを抜け、左右の古参企業の住宅が立ち並ぶエリアは通り抜けて真っ直ぐ奥地へと進む。それぞれの会社の説明担当の社員たちは、暇を持て余しつつも若い男二人連れに不思議そうな視線を送ってきている。だが山本の格好で第三エリアのバイトだということは分かっているのか、特に話しかけられることもなく歩くことができていた。
「テメェのトコだって一軒家だろうが」
 そうしてバイトも終わった二人が何をしたのかと言えば、駐車場から住宅展示会場に向かって移動しただけだ。
 昼食にはだいぶ時間も過ぎてしまっていたが、やたらデザート類を勧められたこともありまだ腹は減っていない。雨が降れば面倒だとも思っていたが、山本も口にしたようにギリギリのところで天気は保っている。そんなことは抜きにしたとしても、獄寺は断れるはずはなかった。
 そもそもバイトの後のことなど全く話していなかったので、一緒に帰るとしても、それだけかもしれないとは覚悟していた。言わないだけでこの後にも用があるに違いないと、期待しないでおくために尋ねもしなかったのだが、山本はキョトンとして首を傾げたのだ。
『やっとオレだけに構ってくれるんじゃねえの?』
『……あのな、山本?』
 確かに結果的にバイト中はあの女性社員や若い男性社員に構うような格好にはなったが、獄寺とてすすんで相手をしたかったわけではないのだ。そんな説明どうこうを抜きにしても、あまりに自然に尋ねられると、もしかして自分が忘れているだけでバイト後は二人で遊びに行こうなどと約束していたのかと焦った。
 だが動揺を隠しつつも仕方なさそうに頷けば、山本は嬉々として提案してきたのだ。
 せっかくならば、展示されてる住宅を見て帰りたいのだと。
 そんな面倒なことに付き合ってやるものかとはねつけられなかったのは、少しだけ、将来を見据えた若い夫婦のような気分にさせられたからかもしれなかった。
 どうやら山本はそのつもりだったようで、客を案内した際に引き継ぐ展示場側にいる社員に、ちゃんと許可は取ったらしい。元々入場無料ではあるのだが、確実に購入能力がないバイトに社員がつきっきりで紹介して回るというのも無駄な仕事だ。むしろ今日は暇なのでよかったら連れていってあげるよと何人かもう顔見知りになっている社員は申し出てくれたようだが、山本の方が申し訳ないからと断ったらしい。一応汚さないようにとだけ注意を受けて簡単に許可をもらってきたらしい山本には、どこまで人当たりがいいのだと感心すらしたほどだ。
「んー、でもオレのトコ、自営業だろ? あんま一般的な家ってヤツ? 分かんねえのなーっ」
「……そうかよ」
 そんな会話をしつつずんずんと先に進んでいけば、やがて受付よりも更に小さなテントの待機所が見える。ここが客の引継ぎを行う場所だったのだろう。確かに暇そうに数人のスーツ姿の社員たちがたむろしており、駐車場の受付にいた連中とは明らかに違う百戦錬磨の営業一筋といった容貌ばかりだ。
 何人かが気がついた様子だが、一瞬怪訝そうにしたのは獄寺にも見て取れた。その理由までもが正確に理解できるが、さして気にすることもなく山本は勝手に挨拶している。
「あっ、それじゃ勝手に見させてもらいますんで!! ありがとうございますっ」
「……。」
「ほらっ、獄寺もお礼お礼っ」
 ベストを引っ張られ、しぶしぶ目礼レベルで挨拶をしておけばこちらの社員たちもひどく驚いている。
 この二日間、やたら家族連れのウケもよく案内係をしていた山本の友人として紹介されるには、明らかに獄寺は異質に見えたからだろう。それでいて、山本に言われれば素行が悪そうな外見に似合わず、ギリギリ最低限レベルでの挨拶はしてみせたことが更に驚かせたらしい。
 オレだって驚いてるんだ、と内心獄寺は舌打ちをする。
 どうやら今日一日散々山本に懐かれたおかげで、随分と気が大らかになっているらしい。そんなふうに思ってさっさと山本に腕を引かれるままに移動するが、社員たちも一応返事はしてくれていたようだった。
「あ、ああ、ウチのトコのは全部鍵は開いてるから、適当にな?」
「お客がいるトコはダメだぞー、あと誰かがお客連れてきたら……。」
「分かってますって、すぐ退散しますから?」
「あと汚すなよっ、ていうか汚したらここに寄れ、掃除して帰させてやるからなーっ?」
 最後の社員の言葉に、待機用のテントはどっと笑いに包まれている。それにまた愛想よく山本が手を振っているが、反対の手では相変わらず獄寺の手を握ったままだった。
 会社によって管理はまちまちのようだが、この奥地の新規の会社は今年が初めてだからか、棟数が一番少ない。そのためかは分からないが、住宅そのものは展示会が行われている時間ずっと玄関が開けられているようだ。
 十軒には届かない住宅は二列になっており、一番端だけはみ出すように一軒ずれているのでそこだけ三列のようにも見える配置だ。どうやらオール電化が売り物の会社らしく、ほとんどの棟がそうらしい。一見して広大と分かる住宅は確かに豪華だが、そもそも土地を確保するのが苦労するのだろう。それならば、そこそこの土地に三階建てや機能性の高い住宅を建てた方がいいと思う者たちもいるということだ。特に家族の人数が少ない場合は部屋数もそこまでいらないらしく、伝統的なお屋敷を売り物にしている古参の二社とは明らかにターゲット層が違っていた。
 だからこそ集客の相乗効果も期待でき、新たに合同参加することも叶ったのだろうと思いつつ、獄寺はさして興味もなく住宅を眺めて回る。『家』という響きで、ハウスよりファミリーを強く受けてしまう獄寺にとって、家屋はあまり意味を持たないものだ。それに加え、獄寺はいずれイタリアに帰るつもりでもある。どうせ日本でこんな住宅を持つことなどありえない、と分かっているので見ていても興味の持ちようもないのだが、それでも素直に歩いてしまうのは当然手を引くのが山本だからだ。
「なあ獄寺、どの家から見たい?」
「……別にどれでも」
「じゃああっちから回るか?」
 妙に楽しそうにしている山本は、やはり日本人ということか。国籍どうこうではなく、いずれ日本でこういう家を持つという未来に疑問を持たない人種という意味だ。実家を継ぐつもりであれば、こういう一戸建ては山本にとっても現実味のないものだ。だからこそ見てみたいと思う山本と、だからこそどうでもいいと考えてしまう自分の差は本当はどこにあるのだろうと獄寺が思っていると、ふと手前の家から家族連れと紹介役の社員が出てくるのが分かった。
「あ、山本君。僕たちはここまでもうご案内差し上げたから、この家より向こう、七号棟から先はたぶんしばらくあいてると思うよ?」
「はい、ありがとうございますっ」
 客である家族連れは山本が最後に駐車場から引継ぎをした組だったため、子供は気がついて嬉しそうに手を振ってくれている。それに山本が手を振り返してやっている間に、社員が教えてくれている。それにも笑顔で礼を言った山本は、分かっていたことだが本当に愛想がいい。家族連れと社員が次の棟に入っていくまで見送ってから、山本はくるりと振り返っていた。
「じゃあ獄寺、一番奥の、ちっちゃいのに入っていい?」
 いくら都市近郊型とはいえ、一番端で一軒だけ外れたように建っている住宅はひどく小さい。三階建てなので床面積はそこそこあるのかもしれないが、いかんせん土地自体が狭いため変に縦長の印象だった。だがそういうものも需要があるのだろうと適当に獄寺は頷き、つられるように歩き始める。
「だから、なんでもいいって言ってんだろ」
「はははっ、そーなのな」
 そうして昼下がりというにはだいぶ夕方に近くなった時間帯、獄寺は一番奥でこじんまりと佇んでいたそのモデルハウスに向かっていた。
 山本が玄関のドアを引けば、ガチャリと鈍い音がするが素直に開く。どうやら鍵はかけていないが、冷房はかけってぱなしらしい。心地よい冷気に生き返る気分になりつつも、先に入った山本は不思議なことを言っていた。
「おじゃましまーす……?」
「誰もいねえだろうが、バカ」
 入ってすぐの玄関横、下駄箱の上にチラシと筆記用具が置かれている。だが特に興味もなく靴を脱げば、さっと山本がスリッパを出してくれていた。
「……。」
「汚しちゃいけないから、履くんだってば」
「いや、それはそうなんだろうけどよ……。」
 確かに土足と思っていたわけではないのだが、あまりに自然に差し出されたことで獄寺は面食らっていたのだ。鈍いくせにこういうところはよく気がつく山本は、いいお嫁さんになれるのではないかと思うことがしばしばある。だがその直後に自分自身に居たたまれなくなってくるという精神的な乱高下を繰り返していた獄寺は、深呼吸一つで自然とスリッパを履くことができていた。
「ああ、なんか去年まではスリッパじゃなかったみてえだけど。つっても、去年はココの会社はいなかったから、他のトコの社員サンに聞いた話な?」
「ああ……?」
 ガチャンと鈍い音をさせて背後でドアが閉まったのを聞きながら、山本は自らもスリッパを履いている。そうして説明してくれることは、獄寺が先ほど戸惑ったこととはだいぶ見当外れだ。それでもスリッパでなかったならば土足だったのか、と思った獄寺に、ふと視線を合わせてきた山本が手振りを交えて続けてくれる。
「えっと、ビニール袋の口に輪ゴムがついてるみたいなのって、分かるか? 靴脱いで、足に直接はめるらしいのな」
「……裸足だと滑りそうだな」
「そうそう、それでコケる客が多かったんだって、夏場だし。あと『現場検証か!!』て食ってかかられたらしくて、今年からは諦めてスリッパにしたみてえ」
 むしろそれで現場検証だと思った客の出自が気になるところだが、深く尋ねてはいけないことなのかもしれなかった。そもそもここは最終的に建売になるわけではないので、そこまで神経質にならなくともいいらしい。電気は敷かれているが、水周りは通っていない。要するに、いくらオール電化でも風呂やトイレは使用できないのだ。水関係はそれぞれの待機所や受付、共同で設置したトイレなどに使われているだけで、あくまで展示用として最低限の設備しか整えられていないらしかった。
 明かりはつけずとも充分に明るい室内を、山本は物珍しそうに見回している。そしてさっさと廊下を歩いていくのについて行けば、やはり妙なことを言っていた。
「……一階から、部屋があんのな」
「当たり前だろ、店舗じゃねえんだから」
 どうやら一階から住居部分というのが相当珍しいようだ。ツナなどのいわゆる住宅に行ったことは何度もあるはずだが、どうしても感覚としては二階以上に居住する感覚が抜けないのだろう。あるいは、庭がすぐ見えるほど地上に近い一階では、寛げないのかもしれない。玄関の廊下から繋がる居間へと抜ければ、山本はまた分かるような分からないようなことを口にする。
「おおっ、台所じゃなくてキッチンなのなー!!」
「……いや、言いたいことは大体分かるがそれは同じ意味だっての。せめてシステムキッチンて言えよ、バカ」
 厨房と呼んだ方がいい造りが『台所』である山本には、いわゆるシステムキッチンはやはり珍しいものらしい。居間と台所が中途半端に繋がった広い部屋は、おそらく一階部分のほとんどを占めているはずだ。
 それはそれで耐震的にはどうなのだろうと獄寺は思うが、今のご時勢なのでちゃんとしているのだろう。たとえしていなくともこの家に住む予定は全くないため、どちらでもいいことだ。居間を通り抜ける際にカバンはテーブルに置いた山本は、一頻りシステムキッチンを物珍しそうに開けたり閉めたりしている。だがやがて対面式のシンクの前に立つと、いきなり獄寺に言っていた。
「あ、獄寺、そこに座ってみて?」
「なんでだよ……?」
 どちらかと言えばキッチン周りは姉を連想して近寄りたくない獄寺は、居間に置かれたソファーの辺りに所在無さげに立ち尽くしていた。床から天井まである一面ガラスの窓にはカーテンがかかっているが、さほど厚くないので西日がこれでもかというほど透けて差し込んでいる。充分に明るいそんな居間で立ったままなのはおかしいのかもしれないが、かといって座って寛ぐほどではない。だが山本に言われればどうでもいいことはとりあえず従ってしまう自分を自覚しつつ、獄寺は備え付けのソファーに腰を下ろしてみていた。
「……なんか、ママゴトみてえだな」
 テーブルの上には山本が置いたカバンは別にして、新聞と絵本、床の端には子供用の玩具がわざとらしい演出で配置されている。いかにも仲睦まじい家族像を描きたいという意志があからさまで、逆に白けてくるというのが獄寺の感想だ。
「それを現実にするために売ってんじゃねえの?」
「まあ、買いに来る客たちはそうだよな。オレらが場違いなだけか」
「たぶん、そーなのなっ」
 山本にしては実に的を射た発言だ。確かにここはあくまで展示場なので、ママゴトにしか過ぎないのも道理である。
 そんなふうに相槌を打っている間に、山本はキッチンの方から居間へと入ってくる。結局座らせたのはなんだったのかとソファーの背もたれから後ろを仰ぎ見るが、散々駐車場の待機場所でパイプ椅子の背もたれごと抱き締めてきていた山本は、さっさとソファーを回っていた。
「山本……?」
「なあ獄寺……。」
 そうして前側へとやってくると、獄寺の隣に正座をするようにして山本は座ってきていた。ギシリと軋んだソファーのスプリングに、いっそう煽られた獄寺は思わず喉を鳴らしそうになる。
 なにか、期待されているのだろうか。
 思えば一番奥で、しかも小さなこの住宅は、明らかに見学希望の家族連れも少ない。ただでさえ本日の客足はいまいちで、一応受付時間は終わっているので遅刻してまで見に来る者も多くはないだろう。
 そんなことを自覚すれば、急に静まり返っている住宅内に胸が高鳴った。
 ほどよく効いているはずのクーラーを暑いと感じながら獄寺は隣に座ってきた山本に手を伸ばすが、頬に指先が触れた瞬間、レンズの奥の瞳は驚いたように瞬いてすっと逸らされていた。
「……獄寺って、好きな人いねえのな」
「ハ?」
 そして寂しそうに呟かれた言葉には、獄寺は一瞬呆気に取られる。本気でなんのことかと面食らったのだが、すぐに新婚だという女性社員の顔が浮かんだ。
「あの女、余計なことを……!!」
「やっぱ、そう言ったのな。なあ、それって誤魔化しただけなのか?」
「変なことききやがるあの女がおかしいんだろうがっ」
 疑われる理由はないとばかりに答えるが、山本の顔が晴れることはない。大体いつそんな話をしたのかと獄寺は思うが、確か一度あまりに暇なので展示場の待機所で手伝うことがあるかきいてくると、あの女性社員が出て行ったことがあった。その際に山本は客を案内していたので、大方展示場の方で会っていたのだろう。告げ口みたいな真似をしやがってと苛立ちはするが、そもそも獄寺と山本が恋人などと知るはずがないため、世間話のように話題にしただけかもしれない。本当のことなど言えるはずもないことぐらい分かっているだろうとギュッと頬をつまんでやれば、嫌そうに首を振った山本は更にぽつりと続けていた。
「……『大切な御方』」
「ハァ?」
「て、ツナのことだよな? ツナのことは言えても、好きな人はいねえんだ」
 恐らくその言い回しが気になって、あの女性社員も話題にしたのだと察した。そう思えば迂闊だったと分かるが、徐々に腹立たしくなってくる。
 大体、これはわざわざ確認してくるほどのことなのか。
 よっぽど親しい間柄でもない限り、好きな人として男の名を真顔で答えられるほど獄寺は楽観的ではない。
「いるって言って、どんな女だとか突っ込まれた方が面倒だってぐらいはテメェだって分かんだろ? だったらいないって誤魔化した方が楽だろうがっ」
「……『誤魔化した』?」
「テメェだってさっきそう言ってただろ。ああ、十代目のことは嘘じゃねえ、けど、そっちを言うことで好きな人どうこうってのは有耶無耶にしたって意味だ」
 最初ははぐらかされて怒っているのかと思っていた。
 次に、ツナと自分を比べて卑屈になっているのかとも勘繰ったが、さすがにそれはない。
 だがどう繰り返しても怪訝そうにしている山本に、獄寺はため息をつきつつ片膝をソファーに乗せるように倒して横へと向き直る。そうして今度は両手でしっかりと頬を包み、レンズを二枚隔てた先の瞳を覗き込めば、やがて山本は慎重に口を開いていた。
「……好きな人、いるのか?」
「……。」
 そういうことか。
 どうやら否定された理由が、世間体ではなく、獄寺の本心なのではないかと心配になっているらしい。さすがにいるとすれば自分だろうという点は疑っていないようだが、そもそも好きな人という括りに入るほどのレベルなのかと、そんな不安に駆られているらしかった。
 つくづく読めない男だ、と獄寺は心底呆れた。
 事情を知っている第三者、たとえばツナなどに尋ねられたのならばまだ分かる。なにしろ、今日一日散々山本に懐かれても、常に素っ気無い態度だった自覚はあるからだ。
 だがそれを、山本だけには疑われたくない。
 好きな人には信じてもらいたいという切ない慕情からではなく、単にここまでされてまだ分からないのかという不甲斐なさだ。あるいは山本だから、伝わらないのかもしれない。だがそれ以上に獄寺が信じていたのは、山本だからこそ、獄寺がどう思っていようがさして気にもしないのだろうということだった。
「獄寺……?」
「……。」
 これではまるで、獄寺に好かれていたいようではないか。まさにその通りなのだろうが、そう考えれば胸が弾んだ。つい頬に添えていた両手をゆっくり外して下ろしていけば、不安そうな声で名前を呼ばれてしまった。
 少し怒っているのだと示すためにも、すぐには顔を上げず獄寺は肩で大きく息をしてみせる。
 それにますます山本が不安そうにしたのを察したところで、獄寺は顔ではなく腰に両手を添えるように伸ばしてから、唇を近づけてやっていた。
「……このバカ、じゃあなんでオレがこんなところまで来てやったと思ってるんだよ」
「え?……んんんっ!!」
 好きでもないヤツのために、こんなバスでしか来れないようなところまで二日連続で足を運んだりしない。
 大学生を脅して入れ替わるなどという面倒くさい手間までかけて、傍にいようとするはずない。
 大体『恋人』という肩書きの軽さに怯え、愛を疑うのはこっちの方だという意識も強く、敢えて顔を固定させるようなことはせずに唇を押し当ててやっていた。カチッとメガネがぶつかる音はしたものの、この程度で壊れはしないだろう。たとえ傷がついてもどちらも獄寺の持ち物であり、そんな些細なことをするよりは今は山本とのキスの方が大事だった。
「んっ……あ、あの、獄寺……!?」
「……なんだよ」
 だが昨日獄寺の部屋でと同じように、山本は戸惑ったように獄寺を押し返していた。それにムッとしてみせながら聞き返すが、内心では違った不安がせりあがってくる。
 昨日の不意打ちのキスより前まで、セックスはもちろん、キスすらまともにしていなかったのだ。
 それでも昨日止められたのは、あの部屋にはツナという部外者がいたからだと信じていた。信じ込みたかった。
 だがこの展示用住宅には他に誰もいないにも関わらず、山本は困った様子で獄寺を拒んでいる。その手に不安が苛立ちを凌駕し、獄寺は外したばかりの両手で山本の両頬をぐいっと挟むように押さえつけていた。
「ご、獄寺!? んんっ……!!」
「山本……!!」
 そんなにも嫌なのかと再び唇を塞げば、先ほどより大きな音がメガネからあがっている。だが気にしていられる余裕はなく、強引に口を開かせて舌を差し込めば、ようやく山本もやや諦めたようだった。おずおずと差し出された舌をきつく絡め取れば、甘い息が漏れるのを獄寺も感じ取る。
 獄寺のベストをつかみ、押し返していたはずの山本の手は、いつのまにかしがみつくようになってくる。そのことに内心喜びつつ、獄寺は片手を顔から外して山本の手をつかんでやっていた。
「山本、ほら?」
「え……あ、んんっ……。」
 抵抗が緩んでいることを確認しながら、ベストから外した山本の手を自らの背中へと促す。するとさすがに少し戸惑った様子だったが、やがて山本はゆっくりと両手ともで獄寺の背を抱いていた。
 最初から素直にこうすればいいのだと思いつつ、嬉しくて獄寺もつい片手を腰の後ろへと回してやってから山本を倒していく。元々正座をするようにしていた山本なので、そのまま押せばちょうどソファーの端の肘置きに頭が乗っていた。そうしてしっかりと上から圧し掛かってから、獄寺はようやくキスも再開する。
「獄寺、なあ、だから……んっ、んぁっ……!!」
 ソファーで仰向けにされ、山本はまだ何か言おうとしていたようだが、拒む言葉ならば聞きたくないとばかりに唇を塞いだ。久しぶりに堪能する生暖かい口内は、それだけで獄寺を酔わせるには充分だった。
 歯列を舐め、舌を絡め取り、唾液が混ざる感触にぞくぞくと煽られる。
 時折苦しそうに外されれば、叱るように唇を軽く食み、自らを中へと招き入れるように促した。
「ふぁっ、あ……ん、んんっ……!!」
「山本、足りてねえだろ……?」
 ほら、とばかりにべろっと舌で唇を舐めてやれば、組み敷いている体がビクッと震えたのが分かる。だがそれは拒絶ではなく、単に敏感になっているだけだ。相変わらずキスは好きらしい、と忘れかけていた感覚を嘆く余裕はなく、おずおずと開かれた口に獄寺はご褒美とばかりにまた舌を侵入させてやった。
「んんっ、んぁっ……あ、んん、ん……!!」
 呼吸を乱すほど激しく舌で口内を嬲り、山本が咳き込む手前で優しく舌を愛撫するのへと変えてやる。すると混乱から吐き出されるはずだった息はただの甘ったるい吐息となり、それすら飲み込むようにまた獄寺はキスをゆったりと深めてやっていた。
 相変わらず互いのメガネが時折ぶつかり、小さな音を立てているが、今ではそれすらキスの激しさを客観的に示してくれる要素に成り下がっている。感触からも、鼓膜を叩く音からも、山本を犯している気分だ。こういう心地好さにずっと飢えていた、と大きく息をついたところで、ふと獄寺は視線に気がついていた。
「……どうしたよ?」
「獄寺ぁ……!!」
 強く閉じていた所為か、若干目尻に涙が溜まっている山本の黒い瞳が、弱りきった様子で見上げてきている。その理由がなんとなく分かるのは、完全に組み敷く状態で互いの腰が密着しているからだ。
「なあ、獄寺。さすがにここでは、その……まずい、よな……?」
 今は無人だが、いつ客や社員がきてもおかしくはない展示用住宅である。それぐらいのことは獄寺も心得ているが、山本の様子を見ているとつい意地悪をしたくなってくる。そもそもこのくらいのキスで勃ってしまうほどお預けを食らわせていたのは誰なのだと、獄寺はわざとぐいっと腰を押し付けてやっていた。
「うあっ……!?」
「確かに、このままじゃまずいよなあ?」
「獄寺……。」
 水回りの設備がない以上、トイレに篭って一人で処理をするという選択肢はない。手を洗えず、ティッシュも流せないのであれば当然だ。実は獄寺の位置からは、掃除用と思われるウェットティッシュも見えていたのだが、敢えてそう言って真上から瞳を覗き込んでいれば、唾液で濡れた唇を山本は戸惑うように動かしていた。
「えっと、獄寺……その……。」
「なんだよ、してくれるんだろ?」
 そんなことを山本が一言も言っていないことは心得ていたが、もうそう解釈したとばかりに念を押して獄寺はチュッと音を立てるキスを送る。
 それはただのキスではなく、ココを使えという意思表示だ。元来性的な知識も欲求も驚くほど低い様子の山本だが、覚えだけは抜群だ。羞恥が薄いことで教えればそれなりに抵抗なくしてくれることに加え、一度火がつくと山本は長い。マタタビが効きすぎる大型動物のようなところがあり、このときもとっくに視線がとろんと蕩けているのを確認できれば、獄寺はさっさと体を起こすこともできていた。
「獄寺……。」
「ほら、早くしろって」
「ん……うん……。」
 拒むはずがないと確信し、先に床へと足を下ろした獄寺は山本の手を引く。すると山本が一度も立ち上がらずペタリと床に崩れるように座り込んだのは見なかったことにして、獄寺はソファーへと浅めに腰を下ろしていた。
 とっくに脱げた二人分のスリッパを邪魔そうに蹴飛ばしておき、その間も握ったままだった山本の手を自らの膝に置かせる。そうしてクシャリと髪を撫でてやれば、一度気持ち良さそうに目を閉じた山本が、躊躇いは残った様子のままではあったが獄寺の膝に乗せられていた手をそろそろと伸ばしてきていた。
「獄寺、メガネは……?」
 カチャカチャと覚束ない手で獄寺のベルトを外そうとしている山本は、少しズレていたメガネで見上げながらそう尋ねる。それに、髪を撫でる手をするりと頬へと滑らせ、獄寺はメガネを直してやってから指先で唇を割らせる。
「んっ……。」
「飲むのに失敗して顔にかかったときに、役に立ちそうだろ? いいからこのままでしろって、そんでこっちでまずは頑張れよ?」
「んー……。」
 適当なことを言って山本の唇を何度も指で擦り、更に口内へと差し入れて舌を緩く撫でてやる。最初は返事をできなくてもどかしそうにしていた山本だが、次第に注意が手元ではなく口に含まされた指へと集中していくのが獄寺にも分かった。逃げるばかりだった舌が、ゆったりと指へと触れてくる。唾液でぬめった口内で戯れに差し入れた指を物欲しそうに舐め始めた山本に、軽いため息をついた獄寺はもう一方の手で髪を撫でて意識を引いた。
「んー……?」
「バカ、こっちじゃねえだろ?」
 姿勢的にどうしても上目遣いで視線を上げてきた山本にそう促せば、一応思い出しはしたらしい。名残惜しそうに舌を絡めてくる指をあっさりと口内から引き抜き、ベルトを外したところで止まっていた手を撫でてやる。するとようやく手の動きを再開した山本は、獄寺のスラックスの前を寛げ、下着の中から既に熱を持っているモノを恐る恐る取り出していた。
 知識として知らなさすぎて羞恥心が低い分、山本はそこまで過度に抵抗はしない。他人のものではあっても、同じ男である以上山本もまた男の性器ぐらい触ったことがあるからだろう。だがせいぜい手で扱かせるのならばともかく、口で奉仕しろと言ってみたときはさすがに面食らっていた。
 図体ばかり大きいのは別にしても、健全な男子中学生としてそれはどうなのか。
 若干複雑な気持ちはしたものの、かといってアダルトビデオなどで学んでこいなどとも言えるはずがなく、結果的に獄寺が懇切丁寧に実地で教え込んで今に至っている。おかげで山本はさほど抵抗なく口に含めるようになっているが、技術としてはいまいちというのがこれまでの成果だった。
「獄寺、失敗したらごめんな……?」
「いいって、いつものことだろうが」
「ん……。」
 舌で舐めたり口内に招き入れて愛撫することはするのだが、今のところ飲めたためしはない。獄寺も手や口で愛撫してやってもそれで出させることはほとんどないため、あまり言えた義理もなかった。
 だが今回に関して言えば、飲んでくれないと始末の仕様がない。
 水回りがないということで、そう思い込んでいる様子の山本に見えているウェットティッシュのことなど教えるつもりもない獄寺は、両手ともを山本の頭へと置いて開始を促していた。
「んー……。」
 両手で獄寺のモノを支え、まずは差し出した舌で山本は下の方からベロリと舐め上げてくる。それだけで射精を煽られた獄寺は、どれほど自分が飢えていたのかと逆に億劫になった。
「ほら、ちゃんと咥えろ?」
「ん……んんっ……?」
 自分でされたときのことを思い出せば、どこが気持ちいいのかくらいは分かるはずだ。
 そんな理屈で教えることは、獄寺ももう諦めている。なにしろその論理では、山本は真顔で、あるいは最終的には拗ねたように繰り返すだけなのだ。
『……獄寺にされてるときのことなんか、気持ちよすぎて覚えてねえよ』
『……。』
 何度目かのやりとりでそんな証言を引き出して以来、獄寺はもう順序立ててしてもらうことに切り替えた。要するに、最初は充分に舌で舐め、筋や括れに沿って舌を這わせるように。それから口内へと導いて、とマニュアル化してやれば、山本はせっせと実行してくれる。どことなく作業じみた虚しさを感じないこともなかったが、その方が山本も安心してくれるので気にしないよう心がけた。
 だが今はそんなまどろっこしい手順に拘っている余裕もなく、すぐに咥えろと促せば山本は上目使いで確認してくる。それに、置いていた手で緩く髪を撫でてやってから、獄寺はゆっくりと頭を引き寄せてやっていた。
「いいんだよ、オレもそんな余裕ねえから?」
「んー……うん、わかった」
 あー、と声を出して何故か口を開けた山本は、ほとんど躊躇う様子もなく口内へと獄寺のモノを招き入れていた。
 少し身を乗り出すようにして、根元近くまでしっかりと咥え込めば獄寺のベルトのバックルに山本がかけているメガネがカチカチと当たっている。だが気にする様子もなくただ獄寺の欲望を育てるのに集中している様を見て、獄寺もまた欲情した。
「んんっ……んぁっ……!!」
 舐めるのが足りていないとでも思っているのか、普段は咥えてもせいぜい唇を擦りつけるようにして動かすのがせいぜいなのに、やたら口内で舌を蠢かす感触が堪らなく心地好い。自然と溢れる唾液に、もう先走りのものが混じっているのではないかとすら思うほどだ。次第に溜まっていく熱に獄寺は思わず熱い息をつき、髪に絡ませていた指先でするりと耳朶を撫でてしまう。
「山本……。」
「んっ……?」
 名前を呼んではいけないというのも、手の位置を動かしてはいけないというのも獄寺は分かっていたはずだった。
 基本的に教えられたことしかできない山本は、自分の行為で獄寺が気持ちよくなっているのかという自信がない。だからこそ言われたことは精一杯こなしているので、その最中に獄寺が呼んだり手を動かしたりすれば、違っていると止められたのかと愛撫を中断してしまうのだ。
 このときも、先端近くだけを口内に残した山本が不安そうに見上げてきていた。
 またズレ始めているメガネは、そういえばブリッジ部分を調整してやってなかったことを思い出す。だが度が入っていないレンズで半分隠れた瞳を向けつつ、止めろと言われていないので相変わらず舌で一番太いところを舐めしゃぶったままの山本に、獄寺は更に興奮するのを自覚した。
「山本、そろそろ、な……?」
「ん……。」
 耳朶の輪郭を撫でるだけでなく、しっかりと指で挟んで筋に沿って擦るようにして愛撫する。普通ならばくすぐったいだけの感触だろうが、少し山本が目を細めたことで、そういった意味で心地よくなっているのは明白だ。だが山本を悦くさせてしまうと口がおろそかになってしまうので、今もまた動きが止まっていた舌を再開させるべく再び耳から頭へと手を戻す。
「山本、止めんなって?」
「んー……ん、んんっ……。」
 レンズの奥で蕩けきっていた黒い瞳は、恐らく自分しか見たことのないものだ。
 素直に口での愛撫を再開している山本の髪を撫でてやりながら、獄寺は何度も感じた愉悦に身を浸す。
「う、んんっ……んぁっ、んん……!!」
「山本……!!」
 ますます質量を増した獄寺の性器に、次第に咥えているのが苦しくなったらしい山本がギュッと瞳を閉じる。それでも必死に獄寺の射精を促そうと、あるいはその先にある心地好さへの準備だと言わんばかりに物欲しそうに舌を絡めてくる山本に、我慢する必要性を感じなくなった。
 調節してやらなかったためか、やはり所在無さげに時折揺れるメガネを見下ろしていると、快楽と共にちょっとした悪戯心も育っていく。湧き上がる熱で上り詰めつつも、ニヤリと笑った獄寺は一度グッと山本の頭を押さえつけていた。
「んんっ!?」
「クッ……!!」
「……んぁっ!?」
 それは獄寺が達するという暗黙の合図だったが、その直後に獄寺は頭を押さえ込む手を緩めたのだ。
 いまだにタイミングがつかめず、山本が飲み込むことができない原因のほとんどは反射だ。突然喉の奥に叩きつけられる熱い液体に驚いて、思わず身を引いてしまう。最も優先すべきは噛まないことだと心得ているためか、こういうことは二つを同時にこなせない山本は口から抜いてしまうことが我慢できず、結果的に吐き出される精液の大半を口内ではなく顔で受け止めてしまう。それはそれで愉しいので獄寺も責めるようなことはせず、むしろ上機嫌で甘やかしてしまうのが上達しない最大の要因だと分かってはいるのだ。
 だが普段は教えるつもりと無意識が半々で大抵は頭を押さえ込む獄寺は、今回は意識して逆に力を抜いていた。おかげで口内には半分も出さないうちに山本は体を引くことができて、いつもより多く顔に浴びる結果になっていた。
「ん、獄寺ぁ……!!」
 手では相変わらずしっかりと支えていたため、獄寺がわざわざ仕向けずとも精液のほとんどは山本の顔を汚す結果となっていた。これも反射でギュッと目を閉じていた山本だが、やがて不思議そうに目蓋を押し上げている。その理由は充分に笑っていたが、獄寺は自らの呼吸が達した余韻から落ち着くまで待って、ニヤリと笑って髪を撫でてやっていた。
「山本、また失敗したな……?」
「……ん」
 少し凹んでいる様子の山本に、引き寄せるように耳朶を引っ張ればまた素直に口を寄せていた。
 わずかではあるが性器へと垂れていた精液を舌で舐め取り、最後に先端にチュッと音を立てるようなキスをする。それは獄寺がしてやるときの仕草を真似たものだが、今はほとんど飲めなかった液体を名残惜しそうに吸っているようにも見えた。だが今回はここまでなのだと互いに知っていたので、山本が黙って獄寺の下着とスラックスを調えるのを獄寺も止めはしない。
 相変わらず顔を卑猥な粘液で汚されたままで、山本はぼんやりした様子で黙々と獄寺のスラックスのジッパーを上げていた。だがボタンを留め、ベルトに手を伸ばそうとしたところでぽつりと呟くのが獄寺の耳に入っていた。
「……借り物、なのに」
「……?」
 責めるというよりは弱った様子のこの響きに、獄寺は最初慰めそうになった。
 目元にかかることの大半を防いでくれたそのメガネは、元々自分のものなのだから汚れたところで気にするな、と。だが山本が困っているのは恐らくメガネのことだけではないとすぐに気がつけた。
 忘れかけていたが、山本はスーツも借り物なのだ。クリーニングに出して返すつもりだったのだろうが、そうにしてもよりによってこんな汚し方をすれば居たたまれないのは当然だろう。一見すればかろうじてスーツにはかかっていないが、見えないだけかもしれないし、これから滴って汚してしまうかもしれない。
 こんなときに、他の男からの借り物の心配か。
 若干の面白くなさは感じたが、かといって出したばかりの心地好さと久しぶりだという充足感に勝るほどではなく、むしろ申し訳なさを装いながら獄寺は手を伸ばしていた。
「山本、顔上げろ?」
「ん……。」
 左手で顎を持つようにして上へと向かせ、右手で自分が出したばかりの粘着質な液体を指で掬い取る。そうして服に垂れてしまう前に口内へと押し込めば、山本は素直にまた獄寺の指から舐め取り、唾液ごとゴクリと嚥下していた。
 そうして一応は獄寺の出したもので服が汚れるという可能性を消してやった上で、獄寺はすまなそうに口を開く。
「確かに、借り物だしな。先輩とかってヤツに借りたそのスーツ、汚したら申し訳ないよな……?」
 不思議そうに瞳も上げてくる山本は、いまだに獄寺の指を舐めたままだ。とっくに精液はなくなっているが、ピチャピチャと唾液の音を立てて口寂しそうにしている。そうしてしゃぶってきている右手はそのままに、顎を持ち上げていた左手で軽く肩を押した獄寺は、ソファーから逆に身を乗り出すようしてできた山本との隙間に片足をねじ込んでいた。
「うあっ……!?」
「……ココ、こんなにしてるようじゃあ? 確かにスーツ、汚しちまうかもなあ、山本?」
「あっ、あぁ、獄寺……!!」
 ダメだって、と悲鳴のような声を山本が絞り出すほど、獄寺の足が踏みつけた先はしっかりと熱を持ってとっくに形を変えていた。
 そもそも、ソファーに押し倒してキスをしていたときから、獄寺よりよほど山本の方が危なかったのだ。床に下りたときには既に腰が立っていなかったし、青臭い液体を顔にぶちまけられれば刷り込みのように体に教えた予感でいっそう煽られていてもおかしくない。
 案の定、最初にギュッと強く床に押し付けるくらいに足で踏んでやれば、痛みよりは甘ったるい声を上げていた。固さも確認できたことで、すぐに力は抜き、いたわるように足でぐりぐりと刺激してやる。さすがにスラックスがシミになっている様子はないが、下着くらいはもう濡れているかもしれない。
「獄寺、やめ……!!」
「んー、やめていいのか? まあオレがしなくても、このままセンパイから借りた大切な大切なスーツは汚れちまいそうだけどな?」
「う……。」
 自然と収まるのが無理なほど育っているのは確認できたので、やめろと言われれば獄寺はあっさりと足をどかしてやっていた。そうして自らの両膝に肘を置き、上体を屈めるようにして山本に視線を合わせる。すると指で拭いただけでは取りきれなかった液体で汚れたままのレンズの奥で、しばらく戸惑うような色を見せた後、山本がおずおずと尋ねてくる。
「獄寺は……オレに、してくれねえの……?」
 同じように口でして、飲んでやるつもりがあったのかと言われれば、獄寺はそのつもりだった。
 だがそれはあくまで予定だっただけのことで、今は違った楽しみに夢中だ。
「してやらねえよ、だってさっきやめろって言ったのもテメェだろ?」
「だって、それは……獄寺が……!!」
「ほら、スーツ汚れても知らねえぞ? さっさと脱いで、そんで自分でしてるとこオレに見せろよ?」
 裾が触れたり、そもそも皺になったりすることを危惧したのか、まずはジャケットから脱ぎ始めていた山本はそんな言葉に怪訝そうな顔をする。
「なんで、見せんの……?」
 覚束ない手ではなかなか袖が抜けない様子に焦れた獄寺は、ソファーに座ったままで山本のジャケットを引き抜いてソファーに投げておいてやる。更に首元の結び目に指をかけ、シュルッとネクタイも外してやりながら怪訝そうな山本に答えてやった。
「ああ、上手くできたらオレも気を良くして、やっぱしてやる気になるかもしれねえだろ?」
「……ほんとに?」
 先輩とやらからの借り物のうち、二点をさっさとソファーに避難させてやった獄寺が至極真剣にそう言えば、山本はだいぶ面食らっていた。
 相変わらず出すと始末ができないと思っている様子の山本なので、飲んでもらえるならば歓迎なのだ。実際、ウェットティッシュなどで拭いたところで、そんなゴミを放置して帰れるはずもないことを考えれば、これしか方法がないというのはやはり正しいのかもしれない。とにかく上手くできればいいのか、と額面どおりに受け取って聞き返した状態のまま首を傾げていた山本に、獄寺は笑いながら手を伸ばしてやっていた。
「ん……?」
「外しとけ、せっかくなのに顔が見えねえ」
「あ……ん、えっと……。」
 汚しちゃってごめんな、と人のいいことを言いながら大人しくメガネを外された山本は、ようやく自らのベルトへと手をかけていた。
 そんな様子を相変わらずソファーに座ったままで見下ろしていると、ふと気になったことがある。
「……山本、シャツは?」
「え?……ああ、これ、学校の……。」
 どうやら中の白いシャツは制服だったらしい。確かに並盛中学の冬服はネクタイが必須なので、シャツの襟回りも比較的しっかりしており代用は利く。よって借り物ではなく自前なので脱ぐ必要はないと思っているらしい山本は、少し躊躇った後、腰を持ち上げて前を寛げていたスラックスを尻の下まで引き下ろしていた。
 迷う仕草を見せたのは、恥ずかしかったからではない。単に獄寺と同じようにしたみたが、これではスラックスを汚してしまうかもしれないと気づいたからだろう。だが太腿の中ほどでベルトごと溜まっているスラックスに悪戦苦闘している様子を見下ろしていて、獄寺はため息をつく。
「山本、右足」
「ん? あ……おあっ……!?」
「ついでに下着も脱いどけ」
 片足ずつ交互に抱え込み、スラックスを抜いてやりながら獄寺はそう端的に指示しておく。山本が面食らった理由が、自前か借り物かであることぐらいはいい加減分かっている獄寺は、若干の躊躇はあったものの我慢できずに唇を寄せていた。
「んっ……!!」
「……見せてくれんだろ?」
 さすがに自分のモノを咥えていたばかりの口に積極的にキスしたいとは思わないが、それよりは山本だという意識の方が強かった。煽るように押し付けるだけのキスを施し、わざと見当違いのことに念を押すが、山本は目を瞬かせた後にこくりと頷く。
 これはよほど気持ちよくなっているようだ。
 素直すぎる反応に獄寺は内心そう思うが、当然悪い気はしない。おずおずと下着も脱いだ山本に、片手で髪を撫でて誉めてやってから、獄寺はようやく身を起こすようにソファーで体を引いていた。
「獄寺……。」
 床へと座り、当然髪を撫でる手も外された山本は、すがるような目と声を向けてくる。
 だがここが堪えどころだと腹にグッと力を入れた獄寺は、できるだけ淡々と繰り返していた。
「見せてくれるんだろ?」
「……ん」
 早くしろだとか、足を開けだとか、急かすような真似をする必要はない。ただ山本が理解していることを示してやるだけで、思い通りになるからだ。
 手が差し込め、姿勢が保てる程度に膝を開いて座り込んでいる山本は、迷わず自らのモノへと両手を絡めていた。衣類の上からでも分かるほど形を変えているそれは、もう濡れていてもおかしくないほどだ。熱で膨張し、固くなっているモノに添えた手を緩く上下し始めた山本に、獄寺も自然と熱を煽られるのを感じていた。
「んっ……ん、あっ……!!」
 その手つきは迷いこそないものの、どこか慣れてはいない気がした。あくまでただの印象なのだろうが、あまり自慰に執着がないという類のことを言っていた山本なので、そう見えたのかもしれない。
 熱くなっている自らの性器を手で擦り上げ、射精を促す。漏れる声は確かに甘ったるいが、もう出してもおかしくないのではないかという獄寺の予想は外れていた。
 手は忙しなく動かされているが、思ったほど熱は育っていない。
 山本が不感症気味というのならばまだしも、獄寺が同じように手でしてやったときと比べても、なんとなく遅い気はしていた。それは山本自身も分かるのか、ギュッと目を閉じて集中していたが、やがてもどかしそうに目蓋を押し上げている。そしてあまり育たない自分のモノを見下ろして少し傷ついたようにも見える表情を見せたところで、獄寺は名前を呼んでやった。
「……山本」
「えっ、あ……!?」
 弾かれたように顔を上げた山本は、すっかり状況を忘れかけていたのだろう。ソファーに座って見下ろす獄寺の視線に気がつくと、しばらくじっと見つめ、やがてゴクリと唾を嚥下している。そうして再び目は閉じないままで俯いたときには、それだけで手の中のモノは大きくなっていたようだった。
「ん、あ……あっ、獄寺……。」
「……。」
 視線は合わせないくせに、そう名を呼ぶ山本はどういう心境なのか。
 一人でするより見られていた方が感じるなどと、惜しげもなくさらすことに何の躊躇もないのか。
 言葉で詰って更に煽りたい気はするものの、こんな場所での不意打ちのような秘め事はあまりに甘美すぎた。
「獄寺、獄寺ぁ……!!」
 すがるように繰り返される自分の名に、獄寺は敗北感でいっぱいになる。
 所詮、惚れた方が負けなのだ。意地悪を意識的に仕掛けても、無意識に上げられる白旗は結局獄寺の分でもある。そろそろ危ないと言葉に出されずとも見下ろしていれば分かった獄寺は、それでも最後の強がりとしてソファーからゆっくりと床へと下りてやっていた。
「ごく、でら……?」
「……手、放せ」
「ん……!!」
 性器に絡められている山本の両手を軽く外させ、背中へと獄寺は促しておく。素直に山本が獄寺の背中のベストをつかんだところでそそり立っているモノに片手を添えれば、それだけで山本はビクッと体を震わせていた。
 また育った気もする山本のモノは、充分に熱を孕んでいる。だが弾けるにはもう少しの余裕を確信した獄寺は、まずはキスから施してやることにしていた。
「んんっ……?」
「山本、口開けろ?」
 押し付けただけですぐにそう指示をすれば、当然舌を絡めることを期待した山本は素直に口を開いている。すると覗いた赤い舌にそれこそ舌で絡め取りたい欲求に駆られるが、獄寺は先に空いていた右手の指を押し込んでいた。
 山本は一瞬驚いていたが、今日は散々指を舐めさせているので違和感もなかったのか、すぐに舌を絡めて舐めしゃぶっている。そういう先の読まなさが墓穴を掘るのだと獄寺は思っているが、そこにつけこむのも自分なので言えた義理はない。普段はあれだけ振り回してくれるのに、褥だけでは従順な素振りで甘ったるく体を開いてみせる山本が可愛くて、時に厄介でたまらないと思いつつ、たっぷり唾液で濡れた指を引き抜く。
「あ……。」
「そんな顔すんなって、ほんとはこっちがいいんだよな?」
「ん? ん……。」
 もっと構ってほしかったとばかりに舌を差し出すようにして指を追いかけてみせた山本に、獄寺は笑いながら今度こそ舌を差し込んで唇を塞いでやっていた。
 しっかりと背中を抱いてくる山本に、お返しをするように獄寺も一度外した左手で山本の背中を抱く。深いキスを交わしながら徐々に床へと押し倒し、山本が仰向けとなったところで左手を抜き、再びそそり立つモノへと絡めていた。
「ん、あ……獄寺……。」
 その感触にまた身を竦ませた山本が、キスの合間に期待から名を呼ぶ。
 確かに触れてみれば限界に近く、そろそろ本当にヤバイのだろうなと思った獄寺は、思わず笑みを浮かべてしまいながらギュッと力を込めていた。
「うぁっ……あ、ええっ、あ……!?」
「楽にしとけよ、山本……。」
 優しく促すように擦り上げるではなく、根元をきつく締め上げる。その上で、先ほど舐めさせたばかりの右手の指を更に奥へと突き入れたのだ。全く予想だにしていなかったその入り口は、久しく使われていなかったこともあり固く閉じられているが、獄寺は強引に指を捻じ込む。拒むというよりは全身で萎縮し、戸惑うような視線を向けてくる山本に、獄寺は宥めるようにキスをしてやっていた。
「んんっ……!!」
「怯えんなよ、今日はなんかお前あんまり気分乗らねえみたいだし?……ココ、触って手っ取り早く出させてやろうと思っただけだっての」
「んぁっ……!?」
 気分が乗らないのではなく、単に獄寺にされるのと比べれば熱の育ちが遅かっただけだ。しかもそれは獄寺がもう押し倒していることから、全くの過去のものになっている。
 それを獄寺自身も心得てはいるが、親切ぶった物言いで探り当てた中の箇所をぐいっと指先で押し上げれば、山本は派手に腰を揺らしていた。だが根元は獄寺の手がきつく戒めているので、簡単に出すようなことには至らない。一度そうして忘れかけていると思われる感触を思い出させ、その後は微妙に掠めるだけでなかなか刺激を与えてやらないままで獄寺は内壁を擦ってやる。
「ごく、でら……あっ、あぁっ……!!」
「ほら、気持ちいいんだろ……?」
 いかせてもらえない苦しさからか、仰向けになった山本は何度も首を振ってむずがっていた。そんな様を見ていると、先にメガネを外しておいてやってよかったと獄寺はつくづく思う。ちなみに獄寺はまだ掛けたままだが、これがあることで実はこちらもだいぶ余裕がないことがバレない錯覚に陥れるなどと思っていた。
「獄寺、ダメ、だって……!!」
「別に突っ込むとは言ってねえだろうが? ただの愛撫だろ、気持ちよくなっとけよ?」
「でもっ、だから……あっ、んん、んぁっ……ああ……!!」
 声を我慢しようとすれば中の箇所を引っかくようにして諌め、口を開かせて舌を絡め取る。相当気持ちよくなっているのは、左手で戒めたモノからも明らかだ。跳ねる腰に、堰き止めきれなかったらしい先走りの液体が時折パタパタと降るようにして手を濡らしてくる。
 徐々にすすり泣くような声が混じったこともあり、さすがに我慢させすぎたかと獄寺は察した。元来山本はこういうことに堪え性がなく、あまり意地悪をすると本気で拗ねる。そうなってしまうとまた違った意味で長くなってしまうので、ここは咥えて飲んでやるかと体をずらそうとしたとき、突然の音に思わず息を飲んだ。
「な……!?」
「……!?」
 なんだ、という言葉すら慌てて押し殺したのは、いきなり窓を叩かれたからだ。
 当然誰も来ないと勝手に思い込んでいたが、もし来訪者があるとしても玄関からだと疑いもしていなかった。
 だが今確かに、バンッ、とかなりの勢いで窓を叩かれていた。窓と言っても床から天井まである壁代わりで、一階のため庭にも繋がるそれはエクステリアでもあった。
 要するに、誰かが庭から窓を強く叩いたのだ。
 厚手のカーテンが敷かれているので見えたとは思えないが、あるいは声は漏れていたのかもしれない。玄関の鍵はかけないということは、もしかすると窓の鍵もかかっていないのではないか。そんなことを確認に行くこともできず、そもそも屋外の人間の意図が分からずに窓を振り返ることもできずに互いに息を押し殺していると、やがてザッザッと庭の砂利を踏む足音が響いていた。
『……こらっ、なにしてるの!!』
『ママ、あたし、このおうちがすき〜!!』
『す、すいませんっ、ほんとに……ほら、ここはさっき見たでしょう? おじいちゃんたちと暮らすんだから、これは手狭だって言ってるのに、ほんとにこの子は……。』
 小さな女の子、若い女性、少し離れたところから男性二人の声がするとくれば、それはこの住宅に向かう際にすれ違った家族連れと引率役の社員だということはうかがい知れた。どうやら子供が勝手に家族から離れ、この家が好きだと言い出したらしい。それでいきなり外から窓を叩いたようだが、驚かすなと安堵しかけていると嬉しくない申し出がなされてくる。
『奥様、よろしければもう一度こちらの住宅もご覧になられますか?』
 お嬢様は気に入られたようですし、と勧める社員は、仕事としては申し分のない対応だろう。だが獄寺にしてみれば今すぐダイナマイトをお見舞いしたいくらいのお節介だ。
 思わず舌打ちをした音が意外に大きく室内に響き、焦った獄寺がハッと見下ろせば、山本は自分の口元をギュッと押さえていた。
「……。」
「……!?」
 ためしに埋めたままの指で思いきり前立腺の裏側を引っかいてやれば、目は大きく見開いたが逆に口はしっかりと閉じている。
 どうやら、相当バレたくないらしい。
 普通に考えれば当たり前であるし、獄寺もそんなことは御免だ。だがどこかでそうなってしまった方がいいという厭世的な面を持ち合わせている獄寺には、この状況は更に興奮を煽ることにしかならなかった。
『え、どうしようかしら、そろそろ帰らなくてはならないんですけど……?』
『ママー、あたし、ここにすみたいの〜っ』
 窓のすぐ外に立っているからか、母と娘の声は非常によく聞こえてくる。それは逆を言えば、同じ大きさで話せば外に聞こえてしまう可能性が高いということだ。
 山本の中から指を抜き、根元を押さえつけていた手も外してやった獄寺に山本は一瞬安堵の表情を浮かべる。そこに上体を倒して耳元に口を寄せた獄寺は、できるだけ声を落として囁いていた。
「……見えるかもしれねえ」
「……!?」
 たとえ声は出さずとも、窓からカーテン越しに透けて見えるかもしれない。
 実際には窓がある西から日光が差し込んでいるため、厚手のカーテンに母娘の影は映っていても室内の獄寺たちが見えることはないだろう。仮に人影としては認識できても、その人物たちがどういう状況か分かるはずがない。そんなことは獄寺は承知していたが、敢えてそう言って不安を煽った獄寺は、移動するぞと小さく言い捨てて山本の腰をぐっと持ち上げていた。
「……。」
「……?」
 姿勢は低くしたままでずるずると床を移動し、ソファーの裏側へと回り込む。そこは西日が差し込んでおらず、仮にカーテンが全開だったとしても死角になる位置だった。さすがに室内に踏み込まれればいくら隠れたところで散らばる服やカバンで言い逃れはできないが、少なくともこれで室内の人影が気になって、という理由で踏み込まれることなくなるだろう。
 獄寺に腰を抱えられたまま、引き摺られるような格好で素直にソファーの裏に蹲った山本が、そんなふうに意図したとおりの安堵をしたのは獄寺にも分かっていた。だからこそ、再び腰に回していた手を下へと伸ばし、幾分萎えていたモノをギュッと握り締める。
「……!?」
「……声、出すなよ?」
 驚いて振り返った山本に、獄寺はまた耳元で小さく囁いてやっていた。
 それだけでビクッと体を硬直させるが、おそらくもっと大きな動揺も手伝っていたのだろう。大きく見開かれていく瞳は獄寺の右手、先ほど山本が調えてやったばかりのスラックスが再び寛げられていく様に向けられている。
「ごく、でら……!?」
 押し殺した声で焦る山本の背を押し、床にうつ伏せにする。それでも根元を握り締める左手でグッと腰だけを上げさせると、獄寺はスラックスの下で窮屈そうにしていた自らのモノを取り出し、軽く扱いてから先端をほぐしきれていない入り口へと押し当てていた。
「……!?」
「力、抜いとけ……。」
 裂けるほどではないだろうが、あの程度の慣らし方では挿入には痛みが伴うかもしれない。ただでさえ久しぶりで、しかも山本は同意していないのだから当たり前だ。それでも抵抗しようとすれば、声でも物音でも騒ぎ立てることになるのは分かっているだろうと念を押せば、明らかに山本が戸惑ったのが分かっていた。
 その隙を逃すはずもなく、獄寺は一気に腰を押し進める。
 するとズプリと侵入した内壁は思ったほどの抵抗は見せず、獄寺のモノを温かく迎えてくれていた。
「んっ……んん……!!」
 気持ちいい、とうっかり呟いてしまいそうになるほど、山本の中は心地好かった。下で山本が床に顔を伏せて必死で声を殺していることは分かっていたが、それでも、この気持ちよさは至福だったのだ。
 できればいろいろなことを気にせず思いきり突き上げたいと願うが、さすがにそこまで開き直ることはできない。とりあえず山本のモノを拘束する手を外し、両手ともで腰を抱える。そうして後ろからゆっくりと動き始めれば、山本からは声ではなく息遣いが漏れていた。
「んっ……んぁっ、んん、ん……!!」
「……。」
 それすら押し殺そうと唸るように堪えつつも、獄寺の律動に合わせて息は上がっているのだ。
 こんな状況で犯されていても感じるクセに。
 唐突にこれまでお預けを食らっていた期間や、なにより来週のことを思い出して獄寺は気持ちだけ急激に冷めた。相反するように体は熱くなっていくが、どうしても嗜虐的な思考が止められなくなってくる。
「んぁっ……!?」
「……ほら、そんな声出していいのかよ?」
「ごく、でらぁ……!!」
 わざと内側の敏感な箇所を抉るように刺激してやれば、息遣いが甘い喘ぎとなって漏れた山本に、非難するような目を向けられた。だが当然謝るようなことはせず、ピッタリと背中に上体がつくほど身を屈め、耳元で繰り返す獄寺は更に片手を山本のシャツの中に差し入れる。
「んんっ……ふぁっ、んぁっ……!?」
「だから、そんなよがるなって……?」
 そうして胸に指先で悪戯をしつつも、当然腰を打ち付けるのは止めない。潤滑剤がないので相変わらず摩擦が大きく、擦り上げられる感覚に二度目になる獄寺のモノもあっという間に更に固くなってくる。このまま中に出すのはさすがに仕返しが過ぎるかと思いはするのだが、心地好さに勝てそうにない。むしろ一度や二度中に出したところで、この数週間、いやこんなふうに獄寺からバイト先に押しかけるようなことでもしなかければ一ヶ月以上、禁欲生活を強いられた苛立ちは解消されない。ならば、と一際奥まで自らのモノを突き入れたとき、また忘れかけていた子供の声がいきなり響く。
『ええーっ!!』
「……!?」
「……!?」
 忘れていた、というよりは、出るかと思った、というのが獄寺の本心には近い。あるいは、締め付けられすぎて少し痛い。緩めろバカと声には出さずに山本の後ろ頭を叩くが、じっと息を詰めて気配を殺している山本は無視するつもりらしい。そっちがその気ならばと意地になって獄寺が再び腰を揺らし始めると、外から嬉しい知らせが遠ざかる足音と共に聞こえてくる。
『仕方ないでしょ、おじいちゃんたち待ってるし?』
『そうそう、また連れてきてやるから?……ほら?』
『パパ、ぜったいよ、やくそくね……?』
 あれこれ説得を続けていたらしいところに、ようやく父親が強制的に肩車でもして退散したらしい。かろうじてカーテンに映った影にそんなことを予測し、ほっとしたところで獄寺は名を呼んでいた。
「山本……?」
「……。」
 大声でなければもう大丈夫になったにも関わらず、山本は答えない。振り返ろうともしない頑なな態度になんとなく嫌な予感はするが、それよりも先にさっさと終わらせることを選んでいた。
 どうせ長居するつもりはないし、できないのだ。
 客が居なくなれば社員が施錠ついでに回ってくることも考えられるし、用心に越したことはないと思い再び腰で突き上げれば、やはり山本は声を殺していた。
「……ったく、面倒くせえ」
「……!?」
「なんだよ……?」
 どうせ意地になっているだけだとは思っていたが、思わず漏れてしまったぼやきに山本が身を竦ませたのは分かった。
 だが獄寺にしてみれば嘘偽りない本心だったので、驚かれた理由が分からない。
 大体、山本がきちんとそれなりに相手をしてくれていれば、安っぽい言葉で言えば愛を示してくれていれば、こんなところで事に及びたいとすら思わなかったはずだ。なんとかこうして繋がることはできても、心行くまで抱き合うこともできない。どちにらにしろ場所を変えなければならないのは心底面倒くさく、そもそも始めてしまったことすら山本に起因している獄寺には、被害者意識が強かった。
 だからこそ漏れたぼやきに反応しておきながら、山本は相変わらず押し黙るばかりだ。何も言わない背中に焦れた獄寺はもう無駄な会話を試みることなく、後ろから犯した山本の中に思いきり叩きつけようとして、直前で外に出してやった。










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