■遠きを臨む
-03.
意外だ、というのが獄寺の率直な感想だ。
昨日、駅に先回りして待ち伏せた田中という名のもう一人のバイトに、懇切丁寧にメモまで渡して休みを申し出させたのは簡単だった。煙草を片手に獄寺が軽くダイナマイトをちらつかせれば、人は良さそうだが気は強くなさそうなあの大学生は青褪めて何度も大きく頷いてくれた。一応携帯電話の番号を控え、ちゃんとかけたか確認をしてからバスに乗ったものの、ここからはそう簡単にはいかないと思っていたのだ。
雇い主である社員たちではない、残る一人のバイトが難関だ。
そもそもの獄寺の目的は山本なのだから、その山本に追い返されればさすがに強くは出れない。癪ではあったが思いつく限りで服装は真面目っぽくしてみたつもりであるし、ツナの言葉に倣って伊達メガネもかけてみた。ついでに髪もまとめようと思ったのだが、夏に短くしたばかりだったため後ろで結ぶには足りず、仕方なく顔にかかることが多い前髪だけをピンでまとめてきた。
だがいくら表面上を取り繕ったところで、限界はある。なにしろ内面から滲み出るマフィアの影を消すことなどできず、自覚もあるが到底素行がいいようには見えなかったのだ。
思えば、健全な野球少年で爽やかなスポーツマンらしい風貌の山本とは、随分と受ける印象が違っている。これまで気になどしたことはなかったが、客観的に見て自分たちが『友人』というのは不自然だろう。特にあれだけ賢そうに見えるようにと気にしていた山本だ、本人の努力を水泡に帰しかねない『友人』の存在など社員たちの手前認められないのでは、とも覚悟していたが、現実には全くの杞憂だった。
「ただいまですっ」
「あ、山本君おかえり」
「しばらく車も入ってきてないから、休憩してていいよー」
「はいっ」
今もまた一組の家族連れを案内してきた山本に、社員たちは労う言葉をかけている。それを素直に受けて受付後方の仮設テント、バイトの待機所に戻ってくる山本は獄寺の期待値からではなく、客観的に見ても上機嫌だった。
受付開始前に客足の予測はつかないと説明されていたが、本日も比較的暇ではあるらしい。天気が今にも雨が降り出しそうなのが影響しているのか、それともやはり夏休みが終わったばかりだからなのか。この状況で延長を決めた各会社の上層部はどういう意図なのだ、と社員たちが苦笑いしているのが耳に入るのも納得だと獄寺は思っていた。
だがそれでも、全く客が来ないわけではない。案内係の出番となる新規の会社を目当てとする家族連れもそれなりにはいるのだが、案内は不要だと断られたり、あるいは既に一度見学に来ているので分かっていると遠慮されたりするのだ。確かにそろそろ二ヶ月になるので、序盤に一度来てすべての住宅を回り、ある程度当たりをつけて今度は家族全員で最終的な参考材料に、というほどの段階ならばいちいち案内もいらないのだろう。することがないのでパイプ椅子に腰掛けたままどうでもいい分析で思考を遊ばせてしまうのは、それだけ獄寺が暇だからだ。
数が少なくとも案内を受ける客もいるのだから、獄寺も一応仕事はするかと立ち上がりかける。
だがその途端一斉に社員たちが山本を見て、山本が獄寺を椅子に座り直させるのだ。
山本が不在のときで仕方がないという場合が来るまで、獄寺には案内をしてほしくないらしい。時間を追うごとにどんどんと不機嫌になり人相が悪くなっている自覚もあるので、それはもっともなことだと獄寺ですら思う。なにより、獄寺自身、幼児がはしゃぎ年寄りがボケた会話を振る家族連れに愛想笑いを振りまく仕事など願い下げだ。これで給料が入らなくとも、そもそもあの大学生に集金に行くつもりもなかったのでどうでもいい。そこまで思ってひたすら椅子に座って大人しくしている獄寺に、唯一構ってくるのは当然山本だけだった。
「獄寺ぁー、ただいまー」
「……ああ」
社員たちにはそれなりにハキハキとして受け答えをしていたのに、待機所のテントに入った途端、山本は時折見せる間延びした調子で声をかけてくる。中途半端に敷き詰められた砂利の上をズルズルと椅子を引き摺り、ギシリと軋ませて腰掛けた山本は真後ろから手を伸ばしてくる。
「……!?」
「なあ獄寺、オレ喉渇いた」
そんなことを言って椅子をピッタリと前後に並べた山本は、獄寺の肩へと後ろから両腕を回し、ギュッと抱きつくようにしてもたれかかってきていた。
炎天下ではないが、厚い雲の上の太陽をほんの少し浴びてきた匂いがする山本に、獄寺は異常に緊張してしまう。あるいは、興奮だ。
そう、これが最も予想外と言えば、予想外だった。
最初はあからさまに社員たちに警戒されている獄寺を、変に気遣っているのかと思っていた。
だが、違うのだ。山本は本当に機嫌が良く、それこそ学校内かのようにスキンシップを求めてくる。知的さを装うのはどこにやってしまったのか、甘えた口調全開で懐く様は、もしかすると獄寺以上に社員たちに奇異に映っているのではないか。
「……だから、なんだよ」
よって仕方なく山本がバカだとバレないように素っ気無い対応で返してやる、というほどの親切ではない。単純に獄寺が戸惑ってしまい、無理に嫌そうな表情を作って肩越しに振り返れば、随分と至近距離にあった黒い瞳はニッコリと笑ってみせていた。
「獄寺も、なんか飲む?」
「……いらねえ」
「そうか? でもちゃんと水分補給はしとかなきゃいけねえぞ、欲しくなったら遠慮しないで言えよなー?」
普通に考えれば、雨の気配で湿気の多い蒸し暑さから帰ってきたばかりの山本に、喉が渇いただろうと獄寺の方が飲料でも差し出すのが妥当だろう。それぐらい、獄寺にも分かっている。だが同時に分かってしまったのは、山本は別に獄寺に飲み物を取ってきて欲しかったのではなく、取りに行こうと思ったところでそれをネタに獄寺に構えると気づき、懐いてきただけなのだ。
案の定、適当に断れば山本もあっさりと腕を離して椅子から立ち上がっている。またギシリとパイプ椅子を鳴らし、自家発電用のバッテリーに繋がれた小さな冷蔵庫に向かっている背中に、獄寺は変な悔しさを感じて憎まれ口を叩く。
「テメェが絡んでこなきゃ暑苦しくなんかねえっての」
「ははっ、ひでーのっ」
笑いながら冷蔵庫を開け、社員に断ってからミネラルウォーターを一本失敬している山本には通じていないのだろう。
普段から体温が高く、しかも外を歩いてきたばかりの相手に懐かれれば当然暑い。
ただそれが山本であると、獄寺は抱えた熱を触発されてよりいっそう熱くなってしまうのだ。
「……やっぱ、あちぃ」
「んー? 獄寺も水飲む?」
疲れたようなぼやきが聞こえてしまっていたのか、ペットボトルを半分ほど一気に飲み干していた山本に尋ねられるが、獄寺はもう無視していた。大体、いまだにかっちりスーツを着込んでいる山本の方が見ていてよほど暑そうだ。せめてネクタイがなければ随分と違うのだろうと思えば、クールビズと騒がれるのも納得できる。
だが山本は変なところで真面目なため、スーツというのはこれで一式と考えているらしい。長袖シャツにベストだけの自分でもそれなりに暑いのに、と獄寺が思っていると、ペットボトルを片手に山本が戻ってくる。
「なあ獄寺、ほんとに喉渇いてねえ?」
既に残りが三分の一を切っているので、もしかすると飲みきれなかったのかもしれない。それならばそれで、キャップを締めて冷蔵庫に戻しておけばいいだけの話だ。だが腰掛けている獄寺の横に立った山本は、空いている手を伸ばしかけて、あっと小さく漏らす。
「……なんだよ?」
「え? ああ……そういや、獄寺、今日髪留めてるんだったな、て」
そう言って手を引っ込めた山本が何をしようとしていたのか、獄寺にはすぐに分かっていた。
身長差を自慢するつもりなのか、山本はやたら獄寺の髪を撫でる。それこそ小さな子供にでもするかのように、グシャグシャとかき混ぜることもしばしばだ。山本なりの親愛表現らしいが、ただでさえ髪が乱される上、子供扱いをされて嬉しいはずもない。普段から止めろと言っているのだが、性懲りもなくまたしようとしていたのかと獄寺が呆れていると、何故か山本は引っ込めた手でペットボトルを持ち替えていた。
「あのな山本、だから人の髪触ってくんじゃ……うおっ!?」
「んー、獄寺、やっぱ暑いんじゃねえ?」
「テメェの手が濡れてるだけだっ、バカ!!」
文句を言っている間に山本の片手、元々ペットボトルを持っており水滴で濡れて冷やされていた手が、ペタリと獄寺のうなじへと触れてくる。暑さから体温が上がっているのではという心配だったらしいが、すぐに詰ったようにそれは単に山本の手が冷えているだけだ。そう言っているにも関わらず、濡れた指先で何度もうなじを往復してくる山本に、獄寺は盛大なため息をついてみせる。
「だーかーらっ、やめろって言ってんだろうが……!!」
「ハイ、水」
「……。」
すると今度はペタリと頬にペットボトルを当てられ、獄寺はいろいろと馬鹿らしくなってきた。
もちろん山本は本気で熱射病などを心配してくれているのだろうが、同時に本気で構ってもらいたいだけなのだ。こういうことが、稀にある。普段はとことんつれない態度のくせに、獄寺が突き放そうとしてもしがみついてくるのは、一体どういう心境の場合なのだろうか。何度か考えたことはあるものの、今のところ獄寺には『気まぐれ』以外の説明をつけられないでいる。一つ確かなことは、あまりに邪険にしていると山本はあっさりと他にいってしまうということだけだ。
そう考えれば、今日はややしつこい気もするじゃれ方で、もしかすると社員たちにはやはり気兼ねしているのかもしれない。考えてみればそれも当然かもしれず、いかに山本といえども昨日から身分詐称で入ったバイトでは打ち解けられなかったのだ。朝の様子ではとてもそうは見えなかったが、そうでも思わなければこの山本の言動が納得できない。無理にでも自分に言い聞かせて仕方なくペットボトルを受け取ってやれば、山本は実に嬉しそうな笑みを見せていた。
「ったく、オレいらねえって言っただろうが……。」
そんな顔を目の当たりにすれば、獄寺はしかめっ面を作るしかなくなる。見上げ続けていれば妙なことをしてしまいそうで、必死で自制するためにも視線を逸らし、ペットボトルに口をつけようとすればまた後ろでギシリとパイプ椅子が鳴っていた。
「でも飲んでた方がいいって、絶対」
「そう言うんならじゃれるなって言ってんだろ、飲みにくいだろうが……!!」
「んー……でも、獄寺に触ってたいのなー」
相変わらず真後ろに置いた椅子に腰掛け、両腕を回してきている山本はしっかりと抱き締めたままで肩に顔を伏せてきていたのだ。水を飲むために上を向こうとすればかなり邪魔で、文句を言えば思わず吹いてしまいそうなことを返される。かろうじて噎せ返るような格好悪い真似はせずにすんだが、なんとか動揺を誤魔化そうと焦る前に山本が肩から顔を上げたのが分かった。
「……あ」
「なんだよ……?」
いまだに両腕は後ろから回されたままだが、この体勢は学校でも比較的多くされることなのでそこまでは気にならない。よってまだ少しペットボトルに水が残っていることが気になりつつも、山本が視線を向けた先を追えばその物珍しさの理由が分かった気がしていた。
待機所ではないもう一つのテント、要するに受付用のテントに一組の客がいる。まだ年端もいかない子供と、母親の二人組みだ。住宅展示場という特性上、父親連れでないということはそれだけで珍しい。仮に父親らしき者がいない場合は、祖父母らしき者たちが引率しているという組み合わせがほとんどだったのだ。資金の出し具合や居住者の内訳などからそうなるのは自然で、母親と子供だけというのはやはり珍しいが、それだけではない。珍しいとは思っても顔には出さず、愛想よく対応するはずの社員がかなり弱った様子なのだ。ここにいる三社の社員の中でも最も若い男性社員が四苦八苦して慌てているのをフォローするかのように、朝の女性社員が苦笑して口を開いていた。
「彼、英会話習ってるらしいんだけど。やっぱり実践じゃ難しいってところなのかしらね」
山本に背中から両腕を回されているという格好のまま、受付を眺めていた獄寺はその感想はにわかに賛同できなかった。確かに今受付にいる客は一見して外国人で、子供はおそらくハーフだ。わざわざ住宅展示場、しかもこちら側に来るということは車を運転してきたのだろうし、父親が日本人で国際結婚をしたと予想が立つ。父親は都合が悪かったのか、同伴できなかったようだ。母親は必死で受付で何かを訴えているのだが、対応している若い男性社員にはあまり伝わっていない。他の年配の社員は最初から諦めているらしく、この女性社員もおそらくそうなのだろうなと思ったときには獄寺はつい言ってしまっていた。
「……ネイティブじゃねえからだろ」
「え?」
「獄寺、それどういう意味? あっ、その英会話のセンセが日本人だからってことか?」
どうやら女性社員だけでなく、山本も意味が通じなかったらしい。いや、取り違えただけである意味通じてはいたのだが、山本が言ったのは単に英会話スクールのCMに感化されただけの発言だ。単語の意味を熟知しての切り返しではなかった。
説明を重ねるのは面倒になりつつあるが、山本が後ろからせがむように腕を強めてくるので無視もできない。よって仕方なくため息をついて少し腕を緩めさせてから、獄寺は答えてやっていた。
「だから、あの女も英語が母国語じゃねえんだろ、てことだ。ただの訛りにしても結構ひどい、英会話教室なんかでおキレイな発音に慣れてるからこそ、あの社員も聞き取れねえんだろ」
「ん、方言てことか?」
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。一見して東南アジア風の母親なので、母国語は違うのだろうと思っただけだ。そこで日本にやってきて、日本語以外で通じそうな外国語は英語くらいのものだ。だが当然流暢とは言い難い者同志が会話をしているのだ、意思の疎通が難しくてもおかしいことではない。いっそ筆談でもした方が早いのでは、と思っていると、ふと後ろからではない視線を感じた。
「……なんだよ」
「いえ、そういえば……獄寺君て、ハーフなのよね?」
「……。」
それは最初に山本が勝手に説明してくれたため、この女性社員を含め社員たちは全員知っていることだ。そこを突かれ、お鉢が回ってくることを危惧したからこそ、獄寺はあまり口を挟みたくなかったのだ。だが獄寺が嫌そうに黙ったところで、何故か後ろから笑って断られる。
「あははっ、獄寺はダメですよー? だって、獄寺はイタリア人とのハーフだし」
「あ、そうなの? そっか、じゃあどっちにしても英語は……。」
これがまだ逆であれば、獄寺はこれ幸いとしてそういうことにしておいただろう。要するに、女性社員や獄寺自身が、『イタリア語しか話せない』と言うのであればそれでよかったのだ。
だがこのとき、面倒なことが嫌いな獄寺を察してか、いち早く予防線を張ったのは山本だった。あるいは本当に山本はそう思っているのかもしれず、そこまで思考が至ったときには身近な二人を無視して獄寺は突然声をかけていた。
「……え」
「あの、獄寺君……?」
まずは、英語で。
母親と若い男性社員のすがるような視線を向けられたときは、さすがにしまったと思ったものだ。だがこれも乗りかかった船だと腹を括り、獄寺は次はイタリア語で話しかけてみるが、二人ともポカンとするばかりだ。
どうやらイタリア語はますます通じないらしい。
元々東南アジア風なので、その可能性は高いと分かっていた。そうなると、あとは獄寺が単語の羅列程度で話せる言語は二つくらいしかない。いまだに城で無理矢理習わされた外国語教育が染み付いていることに嫌気は差しつつ、まずは可能性が高い方で話しかけてみれば母親は突然パッと表情を華やがせていた。
「……やっぱりそうか」
「えっ、あの、獄寺君……!?」
どうやら言葉が通じる相手がいるらしいと分かり、かなり安堵している母親に獄寺はますます困ってしまう。なにしろ、フランス語はせいぜい単語を繋げる程度にしか獄寺も分からないのだ。だが受付をしていた男性社員などそっちのけですがるような視線を向けてくる母親に、仕方なく獄寺は椅子から立ち上がる。
「あ、獄寺……?」
「ちょっと待ってろ」
久方ぶりに待機所から離れ、受付の机の前に立った獄寺は呆然としている男性社員にペンと紙を持ってこさせる。そうして記憶を頼りに、通じにくい単語はそれぞれ英語とフランス語の筆記を交えて確認すれば、大体のことはすぐに分かっていた。
要するに、夫である日本人は急に出張が入ってこれなくなってしまったらしい。楽しみにしていた外国人の妻は子供を連れてやって来たのだが、夫が是非見てくれと物件に印をつけたチラシを忘れてきたようなのだ。よって、夫に感想を伝えるためにもチラシと筆記用具が欲しいということだった。
「……そういうのってあるのかよ?」
「は、はい、それぞれの会社の担当者が持っておりお客様にはそこでお渡しすることに……!!」
「ここにはねえのか?」
あります!! と何故か獄寺に対して敬語になっていた若い男性社員に、獄寺は舌打ちだけですませておく。あるならばさっさと寄越せと背中を蹴り飛ばしたい衝動に駆られつつ、慌てて渡された三社分のチラシを見れば母親がまた嬉しそうにしたのが分かった。
どうやらこの広告が新聞に挟まっていたらしい。アンケートも行っているので筆記用具は用意されているが、基本的には展示場側で行うためこちらには予備を後ろに置いてある程度なのだ。無料で配っている鉛筆とチラシを渡せば、ここで確認してから見に行きたいと言う母親に獄寺は適当に頷いておく。どうせ他の客は今はおらず、受付用の長机の端はそうでなくとも空いている。そこに若い男性社員が誘導し、椅子を勧めているのを確認してから御役御免とばかりに獄寺が待機所に戻れば、やや引くほどキラキラした目で迎えられてしまっていた。
「凄いのねっ、獄寺君!!」
「そうでしょ、獄寺って凄いっスよね!? 獄寺、ほんと格好イイのなーっ!!」
「……なんでテメェが自慢してんだよ」
だが素直に感動しているらしい女性社員とは違い、山本は嬉しそうにしつつ誇らしげだ。まるで出来のいい我が子を誉められたような様子に呆れつつも、妙な暑さを感じて獄寺は視線を逸らす。すると今更のように飲みかけだったペットボトルを思い出し、ついでに飲み干したところで山本に尋ねられた。
「獄寺って英語もペラペラだったんだなー!!」
「あの、山本君? さっきのは明らかに英語じゃなかったと思うんだけど……?」
「え、そうなんスか?」
オレ全然わかんなかった、とあっさりしている山本に、獄寺はやはり違いが分かっていなかったかと思うだけだ。
「じゃあイタリア語?」
「……フランス語だ」
「へえ、獄寺っていっぱいしゃべれるのなー!! じゃああの人もフランス人なのかっ」
しゃべれるというほどでなく、相手が話していることを単語レベルで推測できる程度だ。だがイタリアはヨーロッパの中でそれほど大国ではないし、シチリア島だけが世界のすべてではない。跡継ぎとはいかずともいずれ片腕として、と期待されていた獄寺は、主要な言語は成人するまでに理解できるようになっていることを必須とされていた。もちろんそんな英才教育が完成する前に逃げ出したのでせいぜい単語で理解する程度だが、意外に覚えているものだなと思えばどうしてだか嫌な気持ちがする。
それは当然、このことで実家のしがらみを思い出してしまったからだ。こんな遠い土地にまで来て、やはり自分はまだあの城から抜け出せていないのか。億劫な気持ち悪さに思わず苦々しい顔をしてしまったのを山本がどう見たのか分からなかったが、気がついたときには空になったペットボトルを取られ、その手をギュッと握られていた。
「あ……て、なんだよ!?」
「獄寺、凄いのな? ほら、あのお母さんももうあんな笑顔だし?」
「……。」
獄寺のおかげだなっ、と繰り返す山本は、気遣ったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。だがどちらにしろ山本が喜んでいる、というだけでどうでもよくなってきた獄寺は、少し笑って否定し損ねていたところに戻ってやっていた。
「どうでもいいが、フランス人じゃねえみたいだぞ」
「あ、そーなのな?」
気恥ずかしさから山本の手をゆっくりと外させ、ペットボトルを取り返す。それをプラスチックゴミを溜める袋に放り込みに行くのは、突然美化の精神に目覚めたのではなく、単に照れくさくて何かをしていたかったからだ。
「ほら、フランスの植民地だったところはまだ公用語だったり日常的に使われてたりするトコがあるだろうが?」
「んー? んー……えーと……。」
「……まあいい、テメェの世界史の点数知ってるオレが悪かった」
あるいは教科書ではそんなところまで進んでいなかったとも思ったが、知識ではなく常識になっている獄寺には判断できない。仮にそうだとしても、まだ習っていないと山本も断言できる自信はないはずだ。とりあえずそんなふうに誤魔化していると、感心したような声は別のところからも上がっていた。
「獄寺君て、ちょっと態度はアレだけど……もしかして、優等生だったりするの?」
他の社員に比べ、この女性社員はそこまで獄寺を倦厭していない。そこに加え、獄寺の見せた会話能力と純粋な興味からそう尋ねてきたようなのだが、何故かやはり獄寺はない者が先に答えている。
「あははっ、さすがにそれはないっスよ、見たまんま素行は悪いですよ!! ……でも、成績はすっごい優秀なのなー?」
「だからっ、山本、なんでお前がいちいち答えんだってのと抱きついてくんな……!!」
「そ、そうなんだ? というか、山本君、やっぱり凄く仲がいいのね……!!」
ゴミ袋の前に立っていると、後ろから上機嫌な山本にまたギュッと抱き締められてしまう。じゃれてくるのも大概にしろと思いはするが、そう強く突き放せないのは惚れた弱みだ。獄寺が見かけに反して成績優秀なことより、山本の態度の方がよほど女性社員を面食らわせている。だが椅子に座っていたときと同じように肩に顔を伏せようとしたらしい仕草の際、カチッと硬い音がしていた。
「……あれ?」
「バカッ、メガネかけてんの忘れんな……!!」
座っていた際は慎重になっていたようだが、ついいつもの調子で今は顔を伏せようとして、メガネがズレたらしい。慌てて顔を上げれば、ずり上がっていたメガネが今度はストンと落ちている。かろうじて鼻の頭に引っかかっている状態でキョトンとしている山本に、獄寺は心底呆れつつ手を伸ばしてやっていた。
「歪んだ?」
「歪んではねえよ、つか自分でメガネくらい直せ」
「んー……。」
メガネがズレた状態で直す素振りも見せない山本についうっかり手を伸ばしてしまったが、そもそも自分で直せばすんだ話だと遅ればせながら獄寺は気がつく。だが何故か目を閉じて直してもらうのを待っている山本にため息をつきつつ甘やかしていれば、また女性社員が呆気に取られた様子で見てきているのが分かった。
いや、正確は女性社員だけではない。ちょうど客足も切れたところで暇を持て余している社員たちが、不躾な視線を向けている。獄寺の素行に怖気づいてはいても、それを上回る物珍しさには勝てなかったらしい。それに居心地の悪さは感じるものの、かといってダイナマイトを持ち出すわけにはいかない。そう考えてしまっている自分自身に苛立ったとき、ふと首を傾げた山本が、勝手に何か閃いた顔をする。
「おい……?」
「すいませんっ、煙草、一本だけいいっスか!?」
突然の言葉に女性社員は驚くが、山本ではなく獄寺の方だと分かったらしく、社員同志で顔を見合わせていた。
仕事らしい仕事は全くしていなかった獄寺だが、言いつけられたとおり煙草はずっと我慢していたのだ。どうやらそれで苛立っていると山本は思ったらしい。通訳としては簡単なものだったが、社員たちはあの英語もいまいちな母親に相当困っていた様子だったので、助かったとは感じているはずだ。だから一本だけ、と頼んでみせた山本に、社員たちは軽く頷き合ってから女性社員が口を開いていた。
「……まあ、獄寺君は『大学生』だし。今はお客さんもそんなにいないから、少しだけね」
「ありがとうございますっ」
もちろん嬉しそうに返事をしたのは山本だ。建前としてはそう通すしかないので大学生と言いきったことにも、山本は今は大して気にした様子はなく、獄寺の肩を押してくる。
「獄寺、灰皿あっちな?」
「……分かってるっての」
待機所のテントの中でも一番奥、ふきさらしには違いない一画に喫煙コーナーとばかりに足のついた灰皿が置かれている。隅に追いやられた感は否めず、更に山本が気遣った結果だというのも素直に受け取れない。それでもそろそろ限界だとも思っていたので、ここはありがたく移動し、慣れた仕草で煙草を取り出していた。
「……ああっ、獄寺君、火つけちゃいました!?」
「なんだよ……?」
だが煙草をくわえ、火をつけた直後に少し離れた場所からそう叫ばれ、獄寺は怪訝そうに振り返る。すると受付をしていた若い男性社員が、困ったような顔をしていた。どうやら獄寺に対してはすっかり敬語が板についてしまっているようだが、焦った様子を見ればすぐに理由は察することができた。
受付の机の端を借りてチラシにあれこれ書き込んでいた例の外国人の母親が、作業を終えて展示場に移動するらしい。どうやら本来の仕事内容である奥地のエリアではないようだが、できれば案内をと気を回したのだろう。だが火をつけたばかりの獄寺には頼みづらいとあからさまに顔に書いてあった男性社員に、あっさり返したのは山本だ。
「あっ、オレ行きますよ」
「え、でも……?」
「案内するだけならできますって。一応向こうの担当の人には連絡入れといてくださいっ」
いくら獄寺でも、住宅の機能などを説明できるはずがないのだ。よってどうせ向こうの担当者に引き継ぐだけならば誰が行っても同じだとあっけらかんと言いきった山本は、そう言うとさっさと受付の前に出ている。そうして、恐縮しているのかよく分からない様子の母親ではなく、年端もいかない子供の方にしゃがみこんで話しかけていた。
子供は半分は日本人だが、だからといって会話がしっかり成立するほどの年齢ではない。だが山本は当然のように日本語で話しかけ、あっという間に打ち解けたらしく、お約束のように小さな少年を肩車してやっていた。
「じゃあ行ってきまっす」
「あ、ああ、山本君、よろしくね……?」
こちらにどうぞ、と笑顔で母親も誘導しているが、それも日本語だ。だがそれぐらいの会話なら分かるのか、あるいは山本の笑顔になんとなくつられただけなのか、母親も笑みを見せて歩き始める。その直前に一度獄寺を見て、軽く手を振ったのは日本人ならばお辞儀といったところだろう。それにごく自然に手を上げるだけで返礼をした獄寺は、山本たちが展示場に向かってから手にしたままだった煙草をくわえていた。
「……。」
灰皿へと向かい、肺いっぱいに満たした煙を大きく吐く。なんだか無駄に疲れた気がしないでもないが、自然と悪い気はしなかった。いや当初は億劫だったはずだが、そんな感覚がすっかり抜け落ちているのはきっとこの煙草のおかげだろう。そう思うことにしてまた煙草をくわえたとき、ほとんど初めてに近く話しかけられる。
「なんだか意外だったわ」
「ああ……?」
山本がいないときに、社員たちに話しかけられたのはおそらくは初めてだった。煙草をくわえていたこともあり横柄な返事になってしまうが、女性社員は気にした様子もない。灰皿の横、獄寺のすぐ近くに立ったその女性社員は、感心したように言葉を続ける。
「山本君の方が優等生で、獄寺君が、その、ちょっと問題児なのかと思ってた」
「……成績以外はそのとおりだっての」
メガネとスーツの効果があるのか、山本は相当賢く思われていたらしい。確かに黙っていれば間の抜けた発言はバレないし、笑みを消せばどこかやり手の営業のようにも思える。だがひとたび口を開けば真面目一辺倒だし、なによりニコニコと笑顔を振りまくのだ。そのギャップが大方ウケていたのだろうと獄寺は考えるが、実際にあながち間違いではない。山本がツナたちに相談してまで狙ったとおりの印象を与えているようだが、何故か獄寺は面白くなかった。そんな山本を『偽者』と断じているからではなく、それも山本なのに、自分は一日遅れでしかお目にかかることができなかったからだ。
だが微妙にお目にかかれていない、とすぐに獄寺は自分の中で否定をした。確かに社員や客に対してはそんな感じだが、殊獄寺にはやたら上機嫌で懐いてくる。しまりのない笑みばかりを向け、知性の欠片すらアクセサリーにして普段以上にじゃれてくるのだ。山本と、獄寺自身、二枚分の度のないレンズを通してないと直視できなかったかもしれないと思うほどの接触に、戸惑っているのは否定できない。来週のことを思えば非情な恋人には違いないはずなのに、今はまるでそんな気配がない。相変わらず振り回されている自分に一頻り自己嫌悪が募ったところで再び煙を吐けば、不思議そうな女性社員の視線に気がついた。
「……なんだよ」
「じゃあ山本君の勉強、みてあげてるとか? それで仲良くなったの?」
「……別に関係ねえだろ、アンタには」
よほど『友人』というのが疑問なのか、そんなふうに尋ねてきた女性社員に獄寺は面倒になってそう返す。どうしてつるむようになったのかと言えば、当然ツナという尊敬する十代目のことを説明しなければならないからだ。だがそんな会話は意外に注目されていたようで、違ったところから揶揄が飛んでいた。
「おいおい、年下の男の子誘惑してやんなよー!!」
「新婚のダンナが悲しむぞーっ?」
「そんなんじゃないわよっ、うるさいわね……!!」
他の社員の言葉にムッとしている女性社員の手には、確かに結婚指輪とおぼしきものが光っていた。真新しそうなそれは、新婚だというのも納得のキレイさだ。だが他人の結婚など興味もない獄寺が黙って煙草をふかしていれば、女性社員はめげずに話しかけてくる。
「獄寺君て、帰国子女なのよね。山本君とはクラスも一緒?」
「……ああ」
同級生とは言ってあるが、クラスメートとまでは朝に説明していなかった。当然すぎたというのもあるが、そこまで詳細な情報はいらないだろうと山本も思っていたからだろう。どうでもいいことは適当に頷いている獄寺に、客も少なくて暇なのか、女性社員は話し続ける。
「それで、凄く仲いいんだ?」
「……そう見えんのか?」
「え?」
だが何度も繰り返される言葉に、獄寺は少し苛立ってくる。
そんなにも、自分たちが仲がいいのが不自然なのか。いや自然だとも思えないが、他人に指摘されると腹立たしいという真理で逆に聞き返せば、女性社員は物怖じせず首を傾げて考えている。どうやら脅しにはならなかったらしい、と内心舌打ちをしていると、やがてゆっくりと頷かれていた。
「……そう見える、ような。でもそうでもないような、不思議な感じかしら?」
「なんだよ、それ……。」
獄寺にしてみれば、仲が良さそうに見えるというのはまず否定されないだろうと思っていたのだ。なにしろ、これだけ山本がベタベタとしているのだ。あるいは素っ気無い獄寺の態度で、山本から一方的に仲良くしたがっているだけというふうに思われているのかと予想したが、女性社員が続けたのは全く違ったことだ。
「ほら、山本君て、ちょっとどこ見てるのか分かんないトコあるでしょ?」
「……。」
「あ、視線が定まらないとか、注意力が散漫だとかいう意味じゃなくって。仕事とか、何か目的があればもちろん集中してくれるんだけど、そうじゃないときは、こう、どこかつかみどころがないっていうか?」
何を考えているのか分からない。
悪い意味ではなく、最もよく山本が人から評価される言葉だろう。そこが面白いのであり、天然だというふうに繋がる気質だ。だが恐らく昨日一日は頑張って賢そうにと努めていたはずの山本を、あっさり見抜けたらしいこの女性社員に獄寺は怪訝そうな視線を送る。まさか狙っている年下の男の子とはオレじゃなくて、という思考に至る前に、女性社員は続けていた。
「もちろんいい子だし、礼儀正しいし、話も面白いし、気遣いもできて優しい子なんだけど。どこかこう、不思議なのよね。ただのイメージだけど、長く付き合ってても仲が深まった気がしない感じの子っているでしょ、そういう系統っていうか」
「……。」
「正直、友達は多いんだろうけど、浅く広くなんだろうなって思ってたのね。だから獄寺君みたいなタイプの友達がいるって分かって、妙に納得したというか」
女性社員の言葉に他の社員はうんうんと頷いているし、獄寺も九割以上で賛成だ。獄寺もずっと山本をそういうタイプだと思っていたからこそ、自分ばかりが特別な気持ちを抱いていることが悔しくて堪らない時期があった。今もそれは大差ない気もするが、少なくとも肩書きだけでも『恋人』にはしてくれているのだ。それぐらいの差異はつけられる男だと思い込むことで、かろうじて心の平静を保っている。
「だから、仲良いとか、ああもちろん仲は良いんだろうけど、それはよりは……山本君て、ほんとに獄寺君のこと好きなんだなあって?」
「……ハァアア!?」
だが適当に聞き流していた獄寺は、そんなまとめ方に思わず凄んで聞き返してしまっていた。さすがに社員たちはビクッと驚いているが、獄寺の方が実は動揺は大きい。それでも煙草を落とす前に灰皿でねじり消し、なんとか自分を落ち着けようと試みた。
確かに傍で見ていれば、異常なほどスキンシップをしてきている山本だ。そんな感想になってもおかしくない。自分たちの関係はバレていないと心の中で繰り返しておく。
「えっ、でも、山本君てほんと、獄寺君のこと大好きよね? 今日も獄寺君が来てくれて嬉しくて仕方ないって感じだし、私たちも獄寺君と話してみたいなあって思わなくもなかったんだけど、山本君に気が引けちゃってたっていうか?」
「……。」
そんな理由で遠巻きにされていたとは思えないが、分からなくもないというのは嫌な実感だった。
それだけ、山本の浮かれっぷりが異常だったとも言える。特に昨日は努めて礼儀正しく、落ち着いて賢そうにしていたはずの山本なので、社員たちには余計に違いが鮮明に見えたのだろう。
「昨日はそんなに思わなかったけど、山本君て、外見の割りに子供っぽいところもあるみたいだし」
「……むしろほとんどガキだっつの」
「獄寺君くらい好かれると、そう思えるのかなあ? あるいは獄寺君くらい大人びてると、山本君も素直に甘えられるのかな」
そんなことはない、自分は特別好かれてなどいない。
なにしろ誕生日の埋め合わせすらしようとせず、今週だって獄寺がこうして押しかけなければ会うことも叶わなかったはずだ。
誰にでもへらへらとして、やたら人好きがして甘やかされっぱなしのあの男は、決して自分に特別なのではない。きっとこの女性社員たちは、山本の『友人』といるところは自分としか見たことがないからだと獄寺は思っていた。
不愉快な話を続ける気はないとばかりに獄寺はポケットから更に煙草を取り出す。一瞬もう一本吸ったではないかと窘められるかと思ったが、そんなことはなかった。無言で咥え、ライターで火をつける。そして大きく煙を吐き出したところで、それまで待っていたと思われる女性社員が唐突に尋ねる。
「ねえ獄寺君、彼女はいるの?」
「んなっ……なん、だよ!?」
思わず煙にむせてしまったのは、獄寺隼人、一生に片手ぐらいはある不覚だったと情けなくなった。
どういう意図でこの女性社員がこんなことを尋ねてきたのか、さっぱり分からない。呼吸が落ち着いてから怪訝そうに睨めば、どうしてそんなに慌てているのかと逆に不思議そうな顔をしているのを見つけて、なんとなく察することもできた。
「獄寺君って明らかにモテそうだもんね、違った?」
「……違わねえけどよ」
どうやら純粋な好奇心らしい。文化の違いというよりは、単純な性差というものだろう。つくづく女はこういう話題が好きで困る、と最近やたら手紙で『隼人に恋人ができたってリボーンやツナが言ってるんだけど、本当なら早く紹介してね』と伝えてくる姉を思い出して獄寺は腹を押さえてしまった。だが謙虚さとは無縁で、事実は事実として頷けば何故か他の男性社員たちが嘆いている。内心その気もない女に告白されても鬱陶しいだけだぞと獄寺は思うが、追い討ちをかける前に更に尋ねられていた。
「山本君とはどっちがモテるの? 今の若い子には、キミの方がウケたりする?」
それは期せずして、山本が男女を問わず年上からは際立って可愛がられるという特性の証明でもあった。
実際問題として、山本と獄寺、どちらがより人気があるのかというのは獄寺が当事者だからというのを抜きにしても、判断が難しいところだ。人気というのを単純なミーハーまで含めるのか、あるいは真摯な恋愛感情に限定するのか。後者だとした場合、告白してきた以外にも潜在的な人数に違いがある。
自覚はあることだが、獄寺に告白してくるというのは女子からすると結構恐いらしい。ふられるからではなく、単に素行の悪さで萎縮するからだ。その意味においては獄寺を見世物パンダ的に好む者はいても、実際の恋人としては一歩引いてしまう者も多いだろう。
対して、山本は正反対の位置に居る。基本的には誰にでも優しいため、そうと知っていても女子も勘違いをする。広く好かれやすいし、実際に恋人にしたいと思われるタイプだ。そこに好かれているのではという誤解まで加味されれば、告白までのハードルが低くなるのも道理である。唯一躊躇する要素があるとすれば、それは中学入学当初から加算しても十人や二十人ではない人数の女子がふられているという現実だ。女同士ではそんな情報も早いらしいのに、いまだに告白してくる者が後を絶たないというのは、自分だけは違うとでも思っているのだろうか。
「……山本の方がスゲェよ」
そんなことをしても無駄だ、公言できないだけで山本にはもう自分という恋人がいる。
そう思っていても、獄寺はいつも不安だった。たまたま性別の問題で、獄寺は犯せる側にいたから強引に組み敷くことができただけだ。もし女であれば、きっと告白しても笑って謝られるその他大勢として山本の記憶にも残らなかっただろうという自信がある。それすら自覚があって、仮に女であってもまず告白などできず、いつか山本が誰かを選んで逆ギレでもするのが精一杯だったかもしれない。
いや、それは結局今と大差がないのかもしれない。せめて山本が男役ならば後腐れない同性と付き合うのも利点はあったかもしれないが、現状では逆なのだ。むしろ山本にそういうふうに求められたこともない。あまり深く考えるタイプではないのは明らかなので、いつか唐突に我に返り、笑顔で別れてさっさと彼女を作ってもおかしくないと獄寺は思っている。
そうなったとき、自分は笑って見送れるのだろうか。
浮かべた笑顔は間違いなく自らへの嘲りだが、そうして去っていく山本を素直に手放すには、あの熱を知りすぎたという後悔が既にあった。現実には誕生日すら知らない薄情な恋人に、何を期待するのもバカらしいと思ったところで、ふと名前を呼ばれていた。
「獄寺君?」
「あ?」
「煙草、危ないわよ?」
ぐるぐると思考が落ち込んでいっている間に、ほとんど吸っていない煙草が燃えつきかけていた。軽く舌打ちをして、獄寺はまた灰皿に押し付けておく。そうして苛立ったようにまたポケットを漁っていれば、女性社員はおかしなまとめ方をしていた。
「じゃあ二人とも彼女はいないんだ?」
「……なんでそうなるんだよ」
紙袋タイプのパッケージを振り、飛び出た煙草の一本を咥えながら獄寺は怪訝そうに聞き返す。
獄寺にしろ、山本にしろ、モテることには違いなく、そこは疑ってはいないようだ。見栄を張ったわけではないが、納得できたからこそ、普通は彼女がいると思うものなのではないか。実際には二人とも『彼女』はいないが、一応不可解な表情をしてみせれば女性社員はあっさり笑っていた。
「だって、それだけモテてるんでしょ? 特定の彼女がいたら、そういうのある程度は落ち着くもの」
「……そういうものか」
「とっかえひっかえてタイプならまた別だろうけど、二人ともそんなふうには見えないし。獄寺君は特に、硬派そうだもんね」
今時もうそれは死語だろうと他の社員から揶揄が飛んでくるが、軟派と言われるよりは随分マシだと獄寺は思っていた。硬派というか、頑固だったり、融通が利かない性格なのは自覚がある。特に恋愛感情で言えば一途と表現してもいい。どこの乙女だと頭を抱えたくなってくるが、ヤっていることはかけ離れた俗物なのでまた億劫さが増した。
早くも三本目の煙草に火をつけ、今度こそ味わってゆっくりとふかすことにする。残暑がそれなりに厳しい中、最も気温が高くなる昼過ぎに申し訳程度の送風機しかない屋外にいるのはどんな酔狂なのか。立ち上る白い煙にそんなことを見て、薄暗く落ちていくばかりの思考を獄寺は何とか止めたかった。
「じゃあ……好きな人が、いるんだ?」
「……ハァ?」
だが少し存在を忘れかけていたが、会話はまだ終わっていなかったらしい。女性社員にからかうように尋ねられ、獄寺はその意味を考える。
要するに、それだけ告白されても断るというのは、唯一人と心に決めた人がいるからだろうと言いたいらしい。先ほどまでよりは随分と目を輝かせているので、これはこの女性の興味がだいぶ高まっている証拠だ。だからこそ少し鼻にかけて笑ってやった獄寺は、わざわざ煙草を口から外し、振り返ってまでして答えてやっていた。
「ああ、いっぱいいるんじゃねえの?」
「山本君には、てこと?」
「いっつもへらへらしてバカみたいに愛想がいいからな、みーんなダイスキなんだろうよ。だから勘違いした女が後を絶たねえんだろうが、自業自得だよな」
女性社員が苦笑していたので、そんな評価は理解できるところもあったのだろう。それには少し満足して、大部分は自分で言っておきながら悔しくなって、獄寺は煙草を咥え直す。そしてまた灰皿へと向き直れば、横から当然の切り返しがされていた。
「じゃあ獄寺君は?」
「……。」
まさか山本と同じ状況とはさすがに思わなかったらしく、そう尋ねた女性社員に獄寺はしばらく黙っていた。
ゆっくりと煙を吐き、答えたものかとわずかに逡巡する。普通に考えれば答える義理などなかったが、気がついたときには獄寺は口を開いていた。
「……オレには」
「うん?」
「……オレには、大切な御方しかいねえよ」
脳裏に浮かんでいたのは、当然十代目と尊敬するツナのことだ。
そう、自分はボンゴレファミリーの一員として、次期ボスの右腕となるべく忠誠を捧げた。
決して嘘ではないことだけを言えば、女性社員はよく分からなそうな顔をして首を傾げている。
「ふうん、そうなんだ? 好きな子っていうのとは、違うのかしらね……?」
「……。」
もちろんツナには好意を持っているが、それより尊敬する気持ちがずっと強い。好意にしたところで恋愛感情の混じらない純粋な敬愛であり、女性社員が尋ねた意図とは違うことくらい獄寺にも分かっていた。
だがこれ以上は説明するつもりもなく黙っていれば、やがて女性社員も諦めたらしく重ねて尋ねることはしなかいった。いや、単にできなくなっただけなのかもしれない。なにしろ、この女性社員に言わせれば獄寺のことを相当好きならしい山本が、展示場からすぐそこまで戻ってきていたのだ。
女性社員の視線に気がついてつられるように振り返り、目が合ったところでまた満面の笑みを向けられた。それにズキリと胸が痛んだことは、煙草の苦味に押し隠して煙と共にゆっくりと吐き出そうとして失敗し、獄寺はまた泣きたくなった。
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