■遠きを臨む
-05.
「最近は駅のゴミ箱が減ったって、前に十代目がおっしゃってたよな」
「……。」
「けど、数としてはどう見ても増えてるよなあ? 分類が細かすぎだっての」
「……。」
「ああ、要するに設置場所が減って、一箇所のゴミ箱自体は増えたって、そういうことか?」
「……。」
「まあどっちにしても紙は燃えるゴミだから分かりやすいけどよっ、て……おいっ、無視すんな山本!!」
ドガッとボックスティッシュを箱ごと駅のゴミ箱に投げ込んだ獄寺は、我慢しきれずにそう叫ぶ。
だが駅の改札に向かうことなく横へと逸れて高架下へと向かう山本は、一度足を止めてチラリと肩越しに視線を送ってくるが、獄寺と視線が絡むとすぐにまた前を向いていた。そうして黙って歩き始める山本に、獄寺は苛立ちが増す。ゴミを投げ込むときに肩をずり落ちたカバンの紐も鬱陶しくてたまらず、その場で再び頑なな背中に叫んでいた。
「山本っ、テメェ、シカトこいてんじゃねえよ!!」
「……。」
それでも今度は振り返らなかったスーツ姿に、獄寺は苛々して髪を掻き毟りたい衝動に駆られるが、結果的に手より先に足が前へと出て、山本を追いかけていた。
先ほど振り返った山本の目が、それこそ突き放すような、責めるようなものであったならば、獄寺もまだ対処のしようがある。あるいは、逆ギレしてさっさと帰ってしまうこともできる。
だが獄寺が仕方なく持っている山本のカバンに、交通費を出す財布やいざというときの連絡手段である携帯電話まで放り込まれているのだ。それを持たずに先を進む山本を一人にできないというよりは、預けているつもりで獄寺が追いかけてきてくれるのを待っている山本を、獄寺は放ってなどおけなかった。
泣き出しそうな目で、不安の方が怒りより大きいと分かりやすすぎる瞳の色ですがられて、獄寺は無下にできるほど山本に対して自信がない。突き放しても尚すがられるというほど、愛されている自信はない。だからこそ、まだ山本がすがってくれているうちは意味のないことを強行などできなくて、しょうがなく後ろをついて歩きつつもぼやきは漏れていた。
「……オレが悪いんじゃねえだろ、どう考えても」
「……。」
そう吐き捨てても振り返らない背中に、獄寺はまたため息を深めていた。
山本がこうしてしゃべらなくなったのは、当然ながら展示場の住宅で強引に抱いてからだ。結局あれから社員もやってくるようなことはなく、互いに出すことは出してセックス自体は終えた。最中はまだ喘ぐような声は漏らしていた山本だが、それきり全く口を開かなくなってしまう。室内にあったウェットティッシュと普通のボックスティッシュを持ってきて拭いてやっている間も、ギュッと唇を噛み締めてされるがままだった。
結局そんなゴミを展示用住宅に残していくのは忍びなく、残り少なくなっていたボックスティッシュを使い切り、箱をゴミ入れにして山本のカバンに突っ込んでおいた。展示場入り口からすぐのところにバス停があるが、持ち歩くのもアレなので一度駅まで行ってゴミ箱に放り込んでもいい。そんなことを獄寺が考えている間に、一人でさっさと身なりを整えた山本は無言でカバンも持たずに帰り始めてしまったのにはさすがに驚いた。カバンだけでなく、ソファーに唯一残されていた獄寺が貸したメガネが山本の心情を表している気もしたが、案の定入っていたケースに慌ててしまって追いかけた。
「山本が怒るのはおかしいっての、絶対に」
「……。」
「なのに、なんでオレがこんな態度されなきゃなんねえんだよ……!!」
さすがに社員たちに愛想を振りまく余裕はなかったのか、一番奥地に建っていた住宅から展示会場を仕切るフェンスを乗り越え、山本はさっさと道路へと出る。身長を優に越えるその高さを、軽々と片手で華麗に乗り越えた身軽さに唖然としているときに、初めて振り返られたのだ。
もちろん、山本は無言だった。
だがその瞳は言葉より饒舌で、見捨てられた仔犬のような目に獄寺は抗えなかった。
仕方なくフェンスをよじ登り、山本に比べればだいぶ格好悪いながらも獄寺はなんとか展示会場から横の道路に降り立つことに成功した。聞いているのかどうかは分からなかったが、一応お前のカバンが邪魔だったからと言い訳をしたものの、やはり山本は無言で少し先を歩くばかりだ。
「おい山本、聞いてんのかよ……。」
「……。」
「いい加減にしろよっ、このバカ……!!」
それから大きな幹線道路に出たものの、山本はバス停には向かわず、横断して駅へと向かったのだ。まさか電車で逃走する気かとも焦ったが、交通費にできる財布は獄寺が持つカバンの中だ。よってそういうつもりではないのだろうが、やはり意図は分からない。駅を通り過ぎて高架下に向かう前に獄寺は思い出したようにボックスティッシュを捨ててきたのだが、相変わらず山本は黙って先を進み、獄寺が足を止めれば視線だけで促すということを繰り返していた。
何がしたいのか、まったくもって理解できない。
そうため息を重ねるばかりだが、実を言えば推測できないこともないのだ。
「……だから、山本がそもそもは悪いんだろうがっ」
「……。」
日曜日の夕方、できたばかりの私鉄の沿線はまださほど人が多くない。西日が差し込んでいた、とあの部屋で思ったということは、天気はもつどころかむしろ回復している。まだ日も高く、空がオレンジ色に染まるほどではないが、暮れていく様はやはりそれなりに物悲しい。それが自分の気持ちと重なっているからだと認めたくなくて、高架下に差し掛かっている少し前を歩く背中に、獄寺は心の中で文句を言っていた。
そう、そもそもは山本が悪いのだ。
夏休みの後半からこっち、恋人を蔑ろにし続けた山本が悪い。
今週はバイトで、来週は遠征だ。遠征自体は仕方ないと思うが、そうにしても誕生日を一緒に過ごせなくてすまないだとか、そんな一言すらないのか。
「オレが悪いんじゃねえよ、絶対にな……!!」
「……。」
いや、謝ってほしかったわけではない、ただ残念そうな顔でもしてくれれば充分だったのだ。
だがそれも、そもそも獄寺の誕生日だということすら知っている様子がない山本には無茶な期待だと分かっていた。自ら誕生日だと教えるなど、もっとできない。言えば残念そうな顔や謝罪の言葉はもたらされるかもしれないが、断られる現実は変わりないのだ。獄寺より野球を選ぶところを、目の当たりになどしたくない。
それでも山本と居たくて、獄寺はわざわざこんなところまで足を運んだのだ。
恋人として、自然な欲求だ。
「オレは悪くねえよ、絶対に悪くない……。」
「……。」
それなのに、山本は無言で怒ったままだ。すたすたと前を歩き、振り返ることはない。
とっくに高架下を抜ければ、昨日獄寺が無駄な時間を過ごした丘の上の公園に繋がる道路に出る。それに一瞬ギクリとしたものの、山本はその道ではなく、線路からすぐの道を曲がっていた。
その先は特に店などがあるわけでもなく、公園とも言えないような線路下のデッドスペースが広がっている。開発自体がまだ途中なので、変に荒れるほどの人気すらないそんな場所に向かっている理由は、獄寺にはさっぱり分からない。だが山本が行くのならば追いかけるしかなく、斜め掛け用を肩掛けにしているので、また肩からズレそうになったカバンを背負い直しつつ獄寺はぼやいていた。
「……だから、オレが悪いんじゃねえだろ」
「……。」
獄寺は別に誰に対しても絶対に謝らないだとか、そんな矜持を持ち合わせているわけではない。確かに素直ではないので悪いと思っていてもなかなか謝れない部分もあるが、逆に場を適当に流す意味合いで誠意なく口先だけで謝ってみせることは平気なタイプであった。
それにも関わらず、幾度となく自分は悪くないと繰り返しているのは、獄寺が本気でそう思っているからだ。同時に、そうは山本は思っていないだろうという予測が立っている証でもある。
「オレは、悪くねえのに……山本のが、絶対的に悪いんじゃねえか……!!」
「……。」
「それなのに……。」
どうして、こんなにも後ろめたい気持ちになるのか。
そんなことぐらい本当は分かっていても謝れないのは、そうして自分の罪だけ認めてしまうと、そんなことを獄寺がしてしまった山本の薄情さが有耶無耶にされてしまう気がしたからだ。
これだけお前が怒るような行動に出るしかないほど、お前は非情なことをしていたのだと。
それを声高に詰ってやりたいのにできないのは、結局それは単なる想いの差というもので、事実であっても殊更責められるべきことではないからでもある。
「なのに、なんでオレばっかり……!!」
「……。」
仕方がない、これは仕方のないことなのだ。
好きになってもらえなかったのはしょうがない、人の心など強制できるものではないのだから。
だから、獄寺にとってはどれだけ山本に極悪非道なことをされているつもりでも、山本が気づくことも罪悪感を持つこともない。獄寺が勝手に傷ついているだけだ。それを理由に行動を起こしたのだから、客観的には獄寺が言いがかりで逆上したのと大差はない。
だから仕方がないのだと自分に言い聞かせても、声が痛みを孕む理由くらい獄寺自身が一番よく分かっている。
「なんだよ、オレが悪いって言うのかよ……!!」
「……。」
「そういうことなんだろ、テメェはそう思ってんだろ……!!」
謝ってしまえば、山本は『許して』くれるのだろうか。
正直、あの場で最後までしてしまったことだけを見れば、謝ってしかるべき暴挙だと獄寺も分かっている。問題は、そんなことをしてしまった山本の方の言動を詰ることなく、ただの拙速だとして流してしまうことだ。
そんなことはできない、これでは山本に何も伝わらない。
だが伝えたところで理解も賛同も得られず、なにより『そこまで求められても』と拒まれることが恐い。
それならばいっそ、ただ若い性欲でがっついたということだけにして、平謝りすれば山本は何も気づかずにまた受け入れてくれるのではないか。その方が、失ってしまうよりはよほどいい。
「謝ればいいのかよ、オレが謝ったらそれでいいのかよ……!!」
「……。」
「なんとか言えよ、山本、山本、山本、山本ぉ……!!」
だがそれも、遅きに失したのかもしれない。
懇願するように呼ぶ名前にも、山本は振り返ることはない。気がつけばもうだいぶ駅からも離れてしまっており、緑化計画の一環なのか公園もどきの周囲には植えたばかり木々が不自然に並んでいた。まるで死角だなと思ったときに、ふと獄寺は思い当たる。
こんな人目につかないところに連れ込んで、山本はまさか自分を殺るつもりなのか。
そこまで怒らせたかと背筋がぞわっと寒くなったとき、ある仕草に獄寺は思わず唖然として足を止めてしまった。
「……え」
「……。」
片手を上げた山本が、シャツを手の甲まで伸ばし、目元を拭ったのだ。スーツの袖でしなかったのは相変わらず借り物だという意識があるからだろうが、そこはその際どうでもいい。後ろから拝んだだけでも何を意味するか分かり、更に鼻をすすり上げるような音まですれば疑いようもない。なんだかんだで後ろめたく、ついて歩くしかなかった獄寺だが、あっさり一歩を踏み出して手を伸ばしていた。
「おいっ、山本!?」
「……獄寺ぁ」
肩をつかみ、ぐいっと回すようにして振り向かせる。すると案の定ぐずっていた山本は、あの住宅でしている最中に生理的に浮かんだだけではない涙が滲んでいた。
どうして山本が泣いているのか、涙がこぼれるまではいっていないものの、相当それに近くなっている状態に獄寺はただただ困惑する。張っていた意地も何もかもが吹き飛び、空いていた手で腰を引き寄せ、肩をつかんだ手は頬へとペタリと当てた。
「山本、なんでお前が泣いてんだよ……。」
泣きたいのはこっちだと暗に含ませるが、こういうときの山本は普段以上に言葉の裏を察せなくなるので伝わるはずもない。感情の起伏が表に出ないというよりは、鈍すぎてそもそも感情の振れ幅が極端に小さいのが山本という男だ。怒りにしろなんにしろ、激情というものを扱い慣れていない山本は発散の仕方を知らない。よって大抵の場合は黙り込むのだが、今回はそれすら通り越している感がある。
「だって、獄寺が……!!」
「あ、ああ、オレがどうした?」
今にも涙で濡れてしまいそうな頬を何度も撫で、できるだけ優しく気遣うように下から覗き込む。こんなときは身長が低いのが幸いだなどと皮肉を思う間もなく獄寺が真摯に尋ねれば、一度じっと獄寺を見つめた黒い瞳は、やがて恐がるように逸らされる。
「獄寺が、怒ってる、から……。」
「……ああ、いや、まあ怒ってるけどよ?」
「オレ、どうしたらいいのか……分から、なくて……!!」
叱られるのが恐くて泣いてしまうのであれば、随分と子供じみた感情だ。だが罵声やそれこそ殴られたとしても、それだけで山本がここまで怯えるとも考えにくい。
そう、最も端的にこの状態を表すとすれば、『おびえ』なのだ。
怒りや当惑、悲しみが主成分となって完成した感情を、山本自身が一番持て余している。とにかく混乱する一方と思われる山本に、獄寺は一つだけどうしても疑問に思うことがあった。
「……オレが怒ってるのが、そんなに恐いことなのか?」
「……!!」
どうせ怒っている理由など分かりはしないのだろうが、仮に獄寺が手を上げようとしても、その気があれば山本はむしろ返り討ちにできてもおかしくない。ツナの右腕を競い合う者としては認めるのは癪だが、接近戦となると山本の方が一枚も二枚も上手だろう。
よって、仮に獄寺が怒ったとしても、山本はそれほど困らないだろうと思っていたのだ。確かにいい気分はしないだろうが、ここまで焦ったり、怯えたりする必要はない。取るに足りないことのはずだとまで言えば自分で情けなくもなってくるが、心底不思議でそう聞き返した獄寺に、山本は一度息を飲む。そしてどこか呆然としたように、唐突に口にしていた。
「だって……嫌われるのは、イヤだ」
「……ハ?」
「あのな、オレな、獄寺に嫌われたくねえの。でもオレ、ああいうの、やっぱイヤなのな? でも獄寺がああいう方がいいって言うんなら、オレ、嫌われたくないし、でもやっぱイヤだし、でも獄寺に嫌われたくなくて、むしろもう嫌われてるかもしれない、し……!!」
だって獄寺すごい怒ってるし、と続けたところでじわりと涙が浮かぶのを目の当たりにして、獄寺はますます焦ってしまった。
「な、なんでまた泣くんだよ!? て、そうじゃねえっ、そこじゃねえ!!」
「獄寺ぁ……!!」
嗚咽混じりと言っていいような声で名を呼ばれると、ズキズキとどうしようもなく胸が痛む。
ああ、自分はこんなにも山本が好きなのだ。
そう自覚しても不思議と悔しくはならず、あるいは悔しがっている余裕などなく、腰を引き寄せていた手であやすように背中を叩いてやりつつ獄寺は促した。
「嫌ったりしてねえよ、なんでそこまで話が飛躍すんだよ。大体、ああいうのって、なんだ?」
「……だから、ああいうの」
嫌ったりしないと言ったことで少し落ち着いたのか、山本はだらりと体の横に下げたままの手で獄寺のベストの裾の辺りをつかんでくる。そんなことをするぐらいならば背中に回して抱き返せばいいと思うのだが、それより言及すべきは遠回しな山本の言葉だ。
「だから、どういうのだってきいてんだ」
「……だから、ああいうの」
「あのな、山本……!!」
いつにない山本の様子に根気強く会話を続けているが、元来獄寺は気が長い方ではないのだ。要領を得ない会話は好むところではない。それでも精一杯の気遣いで頬を撫でて待ってやっていれば、やがて山本は口を開く気になったようだった。
「……オレ、我慢するのキライなのな」
「ハ?」
それでも、説明する気があるのかは謎だ。いまいち理解できない切り出しだったが、付け加えられていく言葉でようやく獄寺も理解が追いつく。
「だから、声出せないとか、そういうの。オレ、ああいうのできないし、したくない」
「あ、ああ……?」
「……してるときは、ずっと獄寺のことだけ考えててえの。声我慢しなきゃとか、誰か入ってきたらどうしようとか、そういうの考えてたくねえの、獄寺だけでいっぱいになっててえのな」
こいつはバカか。
ギリギリのところで何とか飲み込んだ言葉は、単なる照れ隠しだ。
確かに山本が嫌いなのが、声を我慢したり誰かが入ってくるかもしれない状況でしたことだとは理解できる。以前からその兆候は顕著だったからだ。だがその理由として、見つかってしまう恐怖や羞恥ではなく、獄寺だけに集中できないというなんともなものを示されて、どうしろと言うのか。
獄寺にできることといえば、せいぜい緩みそうになる口元をぐっと引き締めることぐらいだ。
「だって、オレ、そんな状態でヤっても全然足りねえし。全然、獄寺が満たされた気がしねえし……!!」
「あの、山本、お前な……?」
「……でも、獄寺はああいう方が好きなら。オレ、イヤだけど、我慢するし」
我慢するから、と繰り返してはいるものの、山本は相当嫌そうだ。それだけ、獄寺との行為に集中できないのが嫌なのかと思えば、獄寺も苦笑するしかなくなってくる。
そもそも獄寺とて、ああしてわざわざ危険を冒して繋がるような真似は趣味ではない。多少の意地悪は認めるが、本気で見つかるようなことはしたくない。大体誰が恋人のあられもない姿を第三者に見せてなるものか、もったいなくて仕方がないと思う人種である自覚があれば、返す言葉は決まったようなものだ。
「……分かった、そんなにイヤならもうしねえよ」
「え……ほんとに?」
たぶんな、と心の中だけで付け加えてしまうのは、そうすることが山本に対する仕返しになるともう知ってしまったからだ。分が悪い恋をしている自覚も同時に持っている獄寺は、いざというときに使える手はなんでも使ってしまう人種でもあるのだ。だからこそずるい保留は心の中だけでしつつも頷いてやれば、鮮やかに表情を華やがせた山本はニッコリと笑っている。
だがふと不思議そうな顔をした山本は、唐突にあんまりなことを尋ねてきていた。
「そういや、獄寺はなんで怒ってたんだ?」
どうやら山本は獄寺はああいうことが好みだと思っているようなので、したいようにしたクセにどうして怒っていたのかと、本気で疑問に思っているのだろう。
まずその解釈を訂正させたいが、既にどうでもいい気もする。
そもそもああいう行動に出た理由すら伝える必要性がなくなった気もして、獄寺は曖昧に笑っておいた。
「……テメェが、無視してたからだよ」
「ん? じゃあ、もう怒ってねえ?」
「ああ、ちゃんとテメェも説明してくれたからな」
そう言って頭を撫でてやれば、山本は嬉しそうにようやく両腕を獄寺の背中に回してギュッと抱き締めてきていた。どうしても身長差で普段は抱き包められる気がする仕草だが、今回ばかりは抱きつかれている感じがした。所詮は気の持ちようだと知っているのに、まるで山本も自分を求めているかのような錯覚がそう思わせる。
いや、錯覚ではないはずだ。
少なくとも、セックスの最中くらいは獄寺だけで満たされたいと思うくらいには、山本も自分に執着してくれている。基本的に淡白なのも、誕生日を教えても忘れてくれそうな記憶力のなさも、最初から心得て好きになったのだ。だからこれで充分なのだ、と自らに言い聞かせて多くを求めまいと抱き返す獄寺だが、そんな殊勝さを山本が許してはくれない。
「……なあ、獄寺。じゃあチュウして」
「あ……あああああっ!?」
甘えるように端的に告げられたおねだりに、一瞬頭が真っ白になりかけた獄寺は慌てて山本を見上げる。すると黒い瞳は拗ねたように揺れ、もう少し拒めばまた不安がらせそうな色に漂っていた。
「オレ、全然足りてねえって言っただろ。もっと獄寺にしてほしいの、すっごい久しぶりなのに中途半端にされてのも余計に困んのな」
「……テメェが言うなよ」
「なあ獄寺、だから、チュウして? あ、オレからしてもいいけど。んーっ!!」
お預けを食らっていたのはこっちだとのん気に思考を弄んでいると、勝手に自己完結した山本が積極的に唇を寄せてくる。稀にこういうことがないわけではないが、いかに人気がないとはいえ、屋外でというのは珍しかった。だがどうせしてきても唇を押し付けるだけの幼いキスだと分かっていたので呆れつつ待ってやれば、随分と距離を残したところでピタリと山本は近づくのを止める。
「……なんだよ」
「メガネ、外して」
なんか獄寺に見えねえ、と不安そうに言われてしまうとごねることもできず、自分ではすっかり忘れていたメガネを獄寺は取ってやる。ケースなど持ってきておらず、仕方なくそのままで山本のカバンに突っ込むついでに、髪を留めていたピンも外しておく。山本にせがまれていなかったが、髪をかきあげる癖があるので今日一日気になって仕方がなかったのだ。
そうして山本が言うところの普段の容貌に戻った獄寺に、それでもまだ山本は近づいてこようとしない。あるいはやはり獄寺からしてもらいたいのかと思い踵を上げかければ、制するように先に山本が口を開いていた。
「……獄寺」
「だから、なんだよ……?」
キスしろと言ったのはお前だろうとやや下の位置から睨めば、結局踏みとどまれきれなかったのか、少し不安に黒い瞳を揺らして山本がぽつりと言っていた。
「オレのこと……スキって、言って」
「……。」
ふと思い返せば、あの住宅の居間でまだ話をしていたとき、獄寺は明確な言葉では伝えていなかった。それどころか、ほとんど口にしたことはない。もちろん無理矢理恋人という肩書きに引きずり込む際には言ったものの、それ以降は一度あるかないかのはずだ。
特に言わないと決めていたのではなく、単純に照れくさいからである。加えて山本の方からは軽い調子で繰り返されるのが悔しいということもあり、自分の方は簡単に口にできない重みを持っているのだと意地にもなった。
だがこの様子では、あの女性社員からの話題より前から山本は気にしていたのだろう。
じっと瞳を見下ろしてくる山本が、やがて泣き出しそうな顔でふいっと目を逸らしたところで獄寺はようやく笑えていた。宥めるように頬を撫で、もう一度瞳を戻させてから告げてやる。
「バカ、好きに決まってんだろ? そうじゃなかったらこんなトコまで来ねえよ、て、言ったよな?」
「……言われた、気も、したけど」
「もっとちゃんと聞きたかったのか?……山本、オレはお前が好きなんだっての」
心配すんな、と笑ってようやくチュッと音を立てるようにしてキスを施したのは、山本の頬だ。案の定不満そうな目で返してきた山本に、獄寺は頬から耳へと片手をずらしてもっとしっかりキスできる体勢を整えながら尋ねる。
「……お前は?」
山本の方はどうなのだと、分かりきったことを獄寺は切り返す。
好かれているという自信ではない、単に山本にとって好きだという言葉は軽すぎるからだ。だからこそあっさり返してくるだろうと期待していた言葉は、はにかむように笑った山本によってあっさりと裏切られる。
「……まだ秘密なのなっ」
「なんでだよ?」
「え? だって、もったいぶったら獄寺がもっといっぱいスキって言ってくれるかもしれねえから?」
そんな駆け引きならばあっさりバラすのもどうかと思うが、山本の場合は嬉しすぎてはしゃいでいる状態に近い。不公平だとか理不尽だとか言ってもよかったのだが、こんなに嬉しそうな山本を見ているとありきたりな非難をする気は失せてしまう。その代わり、わざとらしく顔をしかめてみせた獄寺は、できるだけ悲しそうに聞こえる声で返してやっていた。
「それは、寂しいよな」
「へ?」
「オレは、こんなに山本が好きなのに。大好きな山本の気持ちが分からないなんざ、寂しくて、不安で、泣きたくなったりしてくるに決まってるだろ?」
冗談として、あくまで山本の気持ちをそっくり置き換えてやった言葉遊びのつもりで口にしてみたが、あながち間違っていないことに獄寺は気がつく。程度の差こそあれど、山本も同じ気持ちだったのだ。そう思えば少しだけ逆に安心もした。
だが山本の方は騙されたままなのか、あるいは最早どちらが装った感情なのかも曖昧な獄寺に、山本は至極真剣に返してくれていた。
「獄寺、泣かなくていいのな? だって、オレ……。」
獄寺のこと、ダイスキだから。
ようやくそう言ってくれた山本に、ご褒美とばかりに深いキスを施してやる。甘く交わされる舌の感触に、どちらにとってのご褒美なのか怪しいと思いつつも、獄寺はしっかりと山本を抱き締めた。
泣かなくていいと言われても泣いてしまいそうだ。
少しだけ愛されているかもしれない感触に、情けないくらい心が震えたキスだった。
| ▲SSメニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− <<BACK(地下倉庫の入り口に飛びます) >>NEXT −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ※注意※ BACKのファイルはエロを含むので地下倉庫にあります。 クリックすると注意事項のページからになりますのでご注意下さい。 |