※注意※


これ書いてる時点(今日は7/24)で、本誌は標的106までです。
標的107以降であからさまにおかしい妄想になっちゃっても勘弁してね☆(オイオイ!


ちなみにこっちを先に読まないと分かりにくいと思います(汗)。
相変わらず妄想猛々しくてスイマセン…!


















■重み






 そっと閉まったドアを合図に、ゆっくりと目蓋を押し上げた。
「……。」
 照明が落とされた室内では、そうして目を開けたところで視界は薄暗いままだ。ドアに嵌め込まれている擦りガラスから、廊下の明かりが非常灯の緑を乗せて差し込んできている程度しかない。廃病院にも関わらず、非常出口の誘導灯がついていることに自分は内心笑ったものだ。
 その緑がかった弱々しい明かりで、どこへ導いてくれるというのか。
 自分からは見えないのに、人から指摘され続けてどうしても身構えてしまう『緑』という色に投げやりな感想を抱いたところで、ため息が出た。
「……すいません、十代目」
 先ほどドアを開けたのが、十代目と尊敬するツナと、恐らくリボーンだったということは分かっている。
 こんな時間まで、残っていてくださった。
 まず間違いなく自分のことを心配して、と分かっていたのに、寝たふりをすることになったのはそれなりの理由がある。
「……。」
 一つは、やはりまだ顔向けできないと思っていること。
 それより大きいのは、今はもう気にかけてもらうべきは自分ではないという現実だ。
「……オレは、もう負けたんですから」
 だから、振り返ってもらわなくとも構わない。
 ツナには十代目として、もっと、先を。
 これからのことを考えてほしいと願っているが、それは決して自暴自棄になった思考だけではない。いや、確かにほんの数十分ほど前までならば、百パーセントそうだった。
 だが今は、もう気持ちも落ち着いている。
 恐らく勝っていた場合とさほど変わらない心情で、『もう自分のことよりも』と言えるはずだった。
「……。」
 廃病院になってから長いのか、ほんの少しの埃っぽさと、それでも染み付いた特有の消毒液臭さ。
 それらをゆったりと包括するように、ほのかに漂う血の匂いに侵された空気を肺いっぱいに吸い込んで、もう一度繰り返す。
「十代目、もう、いいんです。オレのことなんか、より……。」
 アイツを。
 その名を呼ばずとも、少し前まで触れていた唇は思い出したようだった。
 優しくて、寂しくて、それ以上に厳しく甘い感触だった。
 ギリッと胸が痛んだ気もしたが、気がつかなかったことにして瞳を閉じれば、鮮明に脳裏に甦ってきていた。





「……ごめんな、獄寺」
「は……?」
 恐らくディーノが手配したと思われる医師が処置を終え、リボーンなども病室から出て行った後、たった一人残ったのは山本だった。
 そうしてくれと言ったわけではない。
 山本が残りたいと言ったわけでもない。
 誰かがそうしろと促したわけでもなかったが、誰も諌めず、ただ当然のように山本だけを残して出て行ったのだ。そうして病室に残っておきながら、山本はしばらく無言だった。ベッドに腰掛けるでもなく、少し離れた場所に置いたパイプ椅子に座ってこちらには背を向けている。
 静けさだけが占める室内で、肺が軋みあげそうな閉塞感を味わっていたとき、ふと口を開いた山本が言ったのはそんなことだった。
「なにがだよ……?」
 どうして、いきなり山本が謝ってくるのか。
 全く意味が分からずそう聞き返せば、相変わらず背を向けたままの山本はぽつぽつと説明を始める。だがこちらからは、ベッドの高さが邪魔してせいぜい肩から上ぐらいしか拝めず、様子から感情を察するなどほとんど無理だった。
「だから、さっき。ツナのこと、追い出すみたいになって……。」
「ああ、それか。つかそれ、オレに謝ることじゃねえだろ? 言うんなら十代目だろうがっ、ないがしろにしやがって」
「……。」
 どうやら山本が謝ったのは、この病室に入れられて医師による本格的な処置が始まる前のことらしい。失血状態の意識の混濁から過度な興奮を抑えきれなくなっていた自分に、山本は周りとは全く違う対応をしたのだ。
『……なあツナ、ちょっと外出ててくんね?』
『えっ……!?』
『な、に言ってんだよっ、山本!! お前、十代目の、お心遣いを……!!』
 まず間違いなく、ツナは自分を心配して傍に居てくれた。
 それが申し訳なくて、居たたまれなくて、経緯はどうあれ結果として負けてしまったことが後ろめたくて必死に言葉を返そうとしていたことに、山本は気づいていたのだろう。いや、気づくだけなら誰もが気づいていたはずだ。
 だがそれも当然だと自分に同情し、致し方ないことだと見逃してくれていた。
 そんな空気を察していないわけではなかったが、そのときは本当に対戦に負けてしまったことで頭がいっぱいだったのだ。
『なあ、ツナ?……ちょっとでいいから、病室から出ててくれるよな?』
『や、山本……?』
『だから山本っ、テメェ、なに勝手な……んぐっ!?』
 こちらには見えなかったが、きっと山本はすまなそうな笑みをツナには向けていたはずだ。お願いするような、すがるような、見ようによっては気弱な苦笑に違いない。
 だが、表情に似合った柔らかい物言いで、断らせない命令をツナにしていた。
 更にそっといたわるようにツナの肩を押すのとは反対の手で、こちらの喉笛を上からグッと押さえ込んできて一瞬息が詰まっていた。
『山本!? ご、獄寺君、大丈夫……!?』
 変な呻きでベッドに沈められたところを、ツナがまた心配する。それに自分が何を返す前に、山本が繰り返していた。
『ツナ、ちょっとでいいんだ。こいつが落ち着くまで、な?』
『山本……。』
『なあ、ツナ、頼むから……。』
 無意識だったのかもしれないが、もう少し早くツナが病室から出て行ってくれていなければ、山本によって強制的に落ち着かされていたのではないかと思っている。要するに、落とされたということだ。穏やかな雰囲気でツナへと繰り返す様子からは想像もつかないほど、喉元を締め上げる握力の凶暴さに身が竦んだ。
 ああ、怒らせているんだと実感した。
 それぐらい悲しませてしまったのだとようやく分かって、泣きたくなった。
『わ、分かったよ、山本。ご、ごめんね、オレ、邪魔になってて……。』
 ツナにもやっと現状が理解できたのか、そんな言葉を残して病室を後にする。そうしてドアが寂しそうにパタンと閉まったところで、ようやく気道が解放されて盛大に咳き込んでいた。
『げほげほっ……!!』
『……山本、お前なあ? いくら治療させたいからって、これはやりすぎっていうか、下手したらもっと体悪くさせるところだったんじゃねーのか?』
『……。』
 酸欠気味だったのであまり覚えていないが、ディーノの半ば呆れたような言葉にも、山本は何も返さなかった。ただ、ギシッとパイプ椅子が鳴ったのは聞いた気がしたので、このとき腰を下ろしてそれっきり黙りこんでいたのだろう。
 校舎内でされた応急処置を外し、新たに消毒と治療を施す。処置室などに向かうほどではないので、移動の手間を考えて最初からこの病室での手当てを受けている間に、輸血も用意されていた。若干躊躇いはあったが、落ち着いてみれば異常な寒さも感じたのでここは大人しく受けておくことにした。
 流れた血の分だけ、虚しさが体内に溜まった気がしていた。
 本当に、あの判断でよかったのか。
 もう少し粘っていれば、リングも手にして、且つ生還できたのではないか。
 静かにしていると、そんな考えがぐるぐると頭を回り始める。だが治療の方は淡々と進むため、やがて医師が処置を終えたという報告を合図に、病室にいた数人はそのまま出て行っていた。
「……ツナには、後で謝るつもりだ」
「ああ、そうかよ」
「けど……獄寺には、謝らねえ」
 そうして山本と二人きりになり、居心地の悪い空気に思考がぐずぐずと熔かされていきかけていたところで、こんな話題になっていた。
 仕方がなかったとはいえ、十代目のお気持ちを無下にしたとは思っているので、それは謝れとは言った。実際にはそんなことをしなくても、ツナは分かっているだろうとも思っているので、半ば売り言葉に買い言葉だ。だがそれにはあっさりと頷いたくせに、いきなりそんなふうに続けられて思わずガラ悪く聞き返してしまう。
「ああ?」
「……獄寺には、謝らねえ。オレ、悪いことしたと思ってねえから」
 負けず嫌いな性格ではあるが、意地っ張りというわけではない。むしろ、よく分からなくとも適当に謝ってみせるのが山本だ。
 それにも関わらず、こんな物言いをするのは珍しかった。実際問題として、謝ってもらいたいのは山本に対してだったりもしていたのだ。それだけ、あの首絞めは結構苦しかった。
「あのなあ、山本? さっきのは、オレも……?」
 だがそんな文句は、ガタリとパイプ椅子を鳴らして立ち上がった山本の様子に飲み込まされる。
 ひどく不安定に見えたのは、きっと錯覚だ。姿勢自体はしっかりしたままで、どこか、輪郭だけがぼけているような不確かさでゆらりとベッドの横に立った山本は繰り返す。
「オレは、謝らねえ。だから……獄寺も、もう謝らなくていい」
「え……?」
「……ツナに、謝らなくていい」
 こっちはテメェに謝ることなんざねえ、と返しかけて、苦しそうに続けられた言葉にズキリと胸を抉られた気がしていた。
 負けてしまって、すいません。
 リングを捨ててまで生き恥をさらすようなことをして、本当に申し訳ありません。
 自分の後ろめたさから逃れるために繰り返す浅はかな言葉に、そんなことはないと必死でツナは返してくれていた。だがそんな自分の言動で、他にも傷つく人間がいるのだということを思い知らされて言葉に詰まった。
「けど、そんなこと言ったって。獄寺は……獄寺だから、謝っちまうんだろうけど」
「山本……?」
 ベッドの脇に立ち、片手を伸ばしてくる山本は、そうつらそうに続ける。
 ツナや自らが聞いていてつらいから言うなだとか、頭ごなしにはこない。そう言ってしまうこちらの性質、弱さとも言い換えられるものを理解した上で、山本は首元に触れてきていた。あの殺意じみた圧迫が瞬時に甦って思わずビクッと身を竦ませてしまった自分に、山本は確かに言葉では謝らなかったが、いたわるように何度も優しく首を撫でてくれる。
「だから、獄寺が。獄寺が、ツナに、謝らなくていいように……。」
「山本……。」
「……生きて帰って、すまないとか。そんなこと、言わなくてすむように」
 オレが、してやるから?
 そうしっかりと瞳を見下ろして続けた山本に、こちらは大きく目を瞠ることになる。
「残り全部、てワケにはいかねえのが、悔しいけど。オレが、オレの分は、頑張ってやるから? だから獄寺、もうツナに謝んなくていいから、な……?」
「……。」
 任せろと口の端を上げてみせる山本の表情は、何故か笑っているようには見えなかった。自分の対戦中は当然知らないが、終わってからもずっと、山本は落ち着いていた。
 恋人が、こんな血塗れで。
 随分と動じてないじゃないかと皮肉に思ったことは、覚えている。だがそれと同時に、ひどく安心してしまったのも実際で、表面的な薄情さを詰ることもできなかった。
 そんな山本が、ようやく見せた気弱そうな表情は、決して明日の対戦に自信がないからではない。
 上手く笑えなくなっていることに自分で気がついていない様子に、なんだか肩の力が抜けてしまい、代わりに自分が笑ってやることにしていた。
「獄寺……。」
「バーカッ、んな思いつめた顔してんじゃねーよ? ……ほら? 山本、こいよ?」
「……。」
 元々の性格からしても、ヒバリに見せた身のこなしからしても、山本は決して明日の自らの対戦に気負ってのこの様子なのではない。
 もっと、単純に。
 こうして病室に二人きりになりたがったのは、ここでしかこんな顔はできないと山本も知っていたからだ。
「……獄寺、動くなよ」
「なんだよ、怪我心配して遠慮するとかじゃねえのか? もう暴れたりしねえよ、心配なら腕でも肩でも押さえつけてろっての」
 友人に対してと変わらないスキンシップ以上の欲求は極端に低い山本なので、こんなふうに誘ってもどうせこちらの怪我を理由に乗ってこないと思っていた。だが釘を刺すように返されたのはそんな言葉で、思わず笑っていると実際に乗られてしまう。
「山本、お前、重いって……。」
「……今日は謝らねえって言っただろ」
 ベッドに膝を乗せ、一応靴は落としてから山本はベッドに上がってきていた。ギシリと二人分の重みでベッドが軋む音と、いつにない拗ねたような物言いに思わず笑っている間に、覆いかぶさるようにしてきた山本に左の二の腕を押さえられる。
 力が強いので少し痛くも感じる左手には、輸血用の点滴がまだ繋がったままだ。恐らくそれが外れることを危惧して押さえつけているつもりなのだろうが、これではそもそも血管が圧迫されて血の巡りが悪くなりそうだ。そう思いつつも、普段とは逆の位置で見上げる山本の表情を見ていれば、離せとも言えなくなる。
「獄寺……。」
「いいって言ってるだろ? 不謹慎だとか責めたりしねえよ、したいことがあるんならしろって?」
「……。」
 腰の辺りを跨ぐように座ってこられていると、やはり重い。それに文句は言っていたが、実際にはそれすら心地好かった。輸血の前に打たれている鎮痛剤が効いているのか、ナイフによる裂傷もさして痛みはもう感じないままでそう促せば、やがて山本はゆっくりと身を倒してくる。
「……苦い」
「そらそうだろ、消毒液の味だしな」
 点滴をしている左手だけでなく、右の二の腕辺りも反対の手で押さえるような格好で、山本は何故かいきなりべろっとこちらの顔を舐めてきていた。ナイフはそうでもないが、ワイヤーはかなり顔にも食らってしまったので細い擦り傷のようなものが縦横無尽に走っているはずだ。ガーゼを当てるほどの傷ではないので消毒だけされたはずだが、そこを舐めれば苦くて当然だ。顔をしかめてまでそう言った山本に笑っていると、ふとその表情が不機嫌そうに歪められる。
「なんだよ?」
「……消毒液臭い」
「だから、それも当たり前だろ? 血の臭いよりはマシだろうが、て、それも完全に落ちてはいねえけど」
 風呂に入ったわけではないので、どうしても処置はしても塞がらない傷から染み出る血の臭いは取れきっていない。むしろ全身にかけられたといっても過言でないほど使われた消毒液の臭いで、誤魔化していると言った方がいいような状態だ。そんなことに今更言及して顔をしかめているのに呆れてみせていれば、やがてふいっと顔を逸らした山本は、そのままこちらの首筋に顔を埋めるようにしてしっかりと身を落としてきていた。
「山本……?」
「……獄寺の、匂いがしねえ」
 そうして、寂しそうに呟いて顔を摺り寄せてくる山本に、自分はつくづく呆れてしまった。
 今夜は勝敗は抜きにしても、あんな対戦をしたばっかりで気持ちが落ち着かないのだ。すぐに昂ぶってしまう変な興奮状態は麻薬のように持続しているのだから、あまり煽ってくれるな。そう思いはしても、対戦自体もその後も不甲斐ないばかりで、何一ついいところがなかったと自覚している自分には苦笑するしかない。
「ほら、山本……。」
「んー?」
 腰に乗られているし、そもそも鎮痛剤には弛緩作用も含まれていたのかあまり体は動かない。両腕も押さえつけられている状態では、せいぜい言葉で促してやることしかできなかった。
「したいんだろ?」
「……。」
「確かめていいって言ってんだろ? 山本、オレの熱が感じたいんだよな?」
 体温で言うならば、血がかなり足りていないので低くなっているだろう。だが普段より低くても、体温があるなら構わないはずだ。
 山本が確かめたがっているのは、自分が『生きている』ということのはずだから。
「獄寺、でも……オレ……。」
 ちゃんと分かっていると言葉で示せば、途端に動揺したように躊躇ったのは、単純に今までそんなことをしたことがなかったからだろう。大体、こんな関係になってから、場所がどこにであれ山本から艶めかしいことをされた記憶はない。自分が組み敷くまで、いや組み敷いてからも、童貞だったことは知っている。確か自分以外とキスもしたことがなかったはずだと思い出せば途端に楽しくなってくるが、笑うと機嫌を損ねてしまうかもしれない。
 そう思い必死で堪えていると、やがてゆっくりと顔を上げて真上から見下ろしてきた山本は、先ほどとは違った方向で泣きそうな顔をしていた。
「獄寺……。」
「なんでそんな躊躇ってんだよ? まあしたかねえんなら、それでもいいけどよ」
 あまりに怖気づかれると、そういう意味ではなかったのかと不安になってくる。それ以上に、こんな場面でも動けないのは先天的にマグロ体質なのかと危惧したところで、ふと目が合っていた。
「……獄寺」
「なんだよ……?」
「……えっと。その、やっぱり」
 先に一回謝っとく。
 どうやら今日は謝らないと宣言していたことが、引っかかっていたらしい。
 どうせ技術はないので、下手なキスでも許してほしい。
 大方そんな謝罪を乗せてきたと思われる言葉に鷹揚に頷いて見せれば、ようやくゆっくりと山本から唇が触れ合わされていた。
「んっ……。」
「……?」
 初めてだからこんなものか、と押し当てられた唇にそんな感想を持ったところで、ベロリと唇を舐められていた。それに少し驚き、何か言おうと口を開いたところにいきなり舌を差し込まれてそれどころではなくなる。
「や、ま……んんんっ!?」
「んー……!!」
 てっきり幼いキスがされるだけだと高を括っていたのだが、とんでもない誤解だった。
 これまで唇どころか、頬などにもキスをされた記憶がなかったので予想だにしていなかったが、山本も男だったということなのか。当たり前のことに今更のように衝撃を受けるが、やがてそれも口内をまさぐられる舌の感触によって薄らぐ。あるいは、凌駕される。
 決して技術が高いわけではないが、それでもキスを深めたいという意志だけは伝わってくる。最初の驚きさえ過ぎれば、むしろ嬉しくなってきてこちらからも舌を絡めるようになっていた。
「ん!?」
「……?」
 すると逆に驚いて舌を引きかけた山本は、思わずといった体で見開いていた瞳でじっとこちらを見つめてくる。やがて伏し目がちに目蓋を下ろしていくが、結局舌は差し入れたままで、ねだるように触れてきていた。
 今まで自分から強引に奪うようなものばかりだったため、山本からこうされるというのは新鮮だった。ついでに、ひどく照れた。妙に気恥ずかしくなりつつも、最初のようながっつく焦りは潜めた山本に、むしろこちらから誘うようにたっぷりと舌を絡めてやる。
 静かな室内に、艶めかしい息遣いと水音だけが響く。
 落ち着いた空気を実感しても、もう虚しさだけが募っていくことはなかった。
「んっ……ん、獄寺。もう、いい」
「そうか?」
 随分長いことそうしていた気もしていたが、時間にすればきっと一分も経っていなかっただろう。
 それでも流れた血の代わりに、輸血より濃いものを注がれた気がして、自分は随分と満たされた錯覚に陥る。
「だって……これ以上は、できねえし」
「ああ、そういやそうだよな、さすがに」
 顔を離し、口元を手の甲で拭っている山本の顔は、若干上気しているように見えた。積極性はないが鈍感ではない山本なので、キスだけでも下手をすれば達くことがある。さすがに今はそこまでは無理でも、中途半端に煽られて困ることには違いないのだ。
 お互い様な危機感を回避して、軽く頷いた自分はこのときひどく気分がよかった。
 だから、そんなこともするりと口からこぼれる。
「なあ、山本」
「ん?」
「お前が、勝ったら。ご褒美に、させてやろうか?」
 キスすらされたことがなかったので、山本が自分を抱きたがっていると思ったこともなかった。
 だがどうせ断られると構えていたのではなく、本当に、このとき自分はそう思ったのだ。
 もし山本が望むならば、そんなことくらい簡単に差し出してみせる。
 だから、と無意識で思っていた自分に、少し黙ってから山本は小さく首を振っていた。
「……オレ、どうせなら」
「なんだよ、やっぱりされる方が好きなのか? まあ、それならそれでもいいけどなっ」
 正直、もしこのとき山本が軽口に乗ってきていたら、自分もどう返していたかは分からない。ただ、予想と違わない反応に変に安心して笑ったとき、山本はふと目を逸らして続けていた。
「……オレ、それに」
「なんだ、まだ他に嫌な理由あんのか?」
 上手くできる自信がないだとか、そもそも男相手に欲情できないだとか。
 そんな理由かと思い、言いにくそうにしているのは照れだと信じて疑っていなかった自分は、そこでようやく臨んだ山本の表情が戻っていることに気がついていた。
「ご褒美とか、そういうのまで用意されたら。張り切りすぎて、はしゃぎすぎそうで」
「……。」
「そんなエサ、ぶら下げられなくたって。オレ、明日の対戦……。」
 獄寺の提案に、不愉快になったわけではない。
 ただ、これ以上の理由を背負い込みたくないと言っているようだった。
 それはそうだ、山本にとっての明日、正確にはもう今日だろうが、自らの対戦はただの手合わせではなくなっている。
 もちろん、ツナを筆頭にしたこちら側の勝利のために。
 了平や、特にランボといった傷ついた仲間たちのために。
 初顔合わせで全く歯が立たないほどねじ伏せられた、不甲斐ない自らのプライドを挽回するために。
 ……更に、もう謙遜しようもないが、ひどく大事に思っている自分のこの惨状に対する唯一の正当な憤りの発露として、戦うのだ。
「……山本、悪かった」
「へ? あ、いや、えっと……別に、気を悪くしたとかじゃなくって……?」
 怒ったからといって、冷静さを失わない。
 研ぎ澄ました感情を束ね、許された方法で持てるすべてを叩き込もうとしている山本に、からかいがすぎたかと反省した。こちらの方が、不謹慎だ。いくらもう自分にできることがないからといって、ご褒美でやる気を出させてつるような真似は冒涜だったかもしれない。
 満たされたと思い、戻ったつもりだった体温が急激に失われていくのを実感した。
 そもそも、自分は何も取り戻せていないのだ。ただ負けて、こうして横たわることしかできないという現実だけが無様に転がっている。自覚すれば暴れたくなるような衝動ばかりが沸いていたのに、今は無力感に襲われた。その理由が、どんな状況になっても自分を受け入れてくれると心のどこかで信じていた最後の砦に自らが傷をつけてしまったかもしれない。そんな恐怖からだとは気がつきたくなくて押し黙っていると、やがて山本がゆっくりとベッドから下りていた。
「さっき、オレも一回謝っちまったから。まあ、今のはお相子ってことにして……。」
「……?」
 離れていく重みにますます自らの存在が希薄になる錯覚に陥りかけていくが、山本は相変わらずよく分からないことを言っていた。だがそれが、謝らないから謝らなくていいという話であることに遅れて気がつく。
 確かに字面では謝っていたが、内容としては全く違うはずだ。それを指摘すれば、そもそも山本が先に謝ったときの内容も違ってくるので相殺なのだろうかなどとどうでもいいことを考えていると、傍らに立った山本はじっとこちらを見下ろしていた。
「すぐには、やっぱり。納得とか、できねえのも分かってるから……。」
 それでも、あの選択は誰も間違ってるなんて思ってねえから?
「……。」
「ツナも、他のみんなも。それだけは、獄寺も。ちゃんと……覚えててほしいのな」
 不意に、対戦中のことが甦った。
 あの瞬間、リングが外れないと気がつくまでほとんど外野の声など耳に入っていなかったのは本当だ。シャマルからの呼びかけで初めてに近く会話が成立し、その後ツナの言葉も届いたが、山本からの説得は聞いた記憶がない。
 ただ、強く山本を意識したのは確かだ。
 記憶に間違いがなければ、シャマルの言葉を完全に跳ね除けたときに、名前を呼ばれた気がする。
「獄寺……?」
「……。」
 ああ、この声だ。
 あのとき自分は、込められた気迫は違えども確かにこの声を聞いた。
 それだけで、充分だったのだ。
 何を言われなくてもいい、どんな言葉を重ねられる必要もない。
 ただ、山本が自分を見ている。
 その認識だけが生まれれば、山本が、リングを捨てても生きて戻れというシャマルと同じことを求めているのだと絶対的に確信した。
「獄寺、もう疲れたか……?」
「……ああ」
 無意識に思い出したくないと思っていた対戦での記憶を、目蓋を閉じて手繰り寄せていた様子を眠くなったとでも思ったらしい山本に、今は静かに頷いておく。
 実際に体は疲労していたし、薬と輸血で変な倦怠感が纏わりついている。更に精神的にいろいろきていることは間違いなく、素直に認めれば山本は笑ったようだった。
「そっか。じゃあもう明かり消して帰るから、獄寺、ゆっくり休めよ?」
「山本……?」
 ならば寝ろと勧められることは予測していたが、その前に帰ると宣言されて自分は少しだけ驚いてしまった。てっきり、寝るまで傍に居るなどと言い出すと思っていたのだ。もちろん今夜対戦のある山本を引き止めるつもりはなかったが、帰れと言っても残ると言い張りそうだと勝手に思っていたのだ。
 帰して山本こそ対戦に備えてゆっくり休ませなければと分かっているのに、いざ山本から言い出されればまるで裏切られたように感じてしまう。そんな自分が本当に浅ましくて吐き気がしたとき、ベッドの横に立ったままの山本は、ぽつりと返していた。
「……だって、オレがいたら獄寺泣けないだろ」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 だが次の瞬間、怒声より先に溢れそうになった涙を堪えるのに焦ったのが、悔しくてたまらなかった。
「バッ……カ、なに言ってんだ、テメェは!? なんでオレが泣かなきゃなんねえんだよ!?」
 それでも精一杯の虚勢で嗚咽を抑えてそう睨めば、少しだけ笑った山本はあっさりと撤回してくる。
「ん、じゃあ獄寺がいたらオレが泣けないから?」
「……。」
「ほんとは、オレが勝つまで顔も見なきゃよかったんだろうけど。やっぱ、我慢できなくて。ごめんな?」
 そう言ってもう一度笑った山本は、ギリギリのところで精神的に保てていたのだとようやく思い知らされた。
 顔を見ないでいようと思った、というのは、見ればせっかく抑え込んでいる憤りに裏打ちされた激情が暴発するかもしれないと危惧していたからだろう。
 それでいて、こうして結局二人きりになったのは、激情の中に敵に対する怒りだけでなく、寂しさや不安、なにより大切な人を失いかけたという恐怖があったからだ。
「……バカ、今日は謝んねえんだろ?」
「あ、そういやそうだった。オレ忘れっぽくて、ほんと、ダメなのなーっ!!」
 あっけらかんとして笑っているが、山本が忘れられるのはどうでもいいことばかりなので責める気にはならない。むしろ忘れた方が楽だろうに、ということばかり抱えているような印象があるのはお互い様で、そんな不器用なところも愛しいと思っていた。
「まあ、いいや。じゃあ獄寺、ちゃんと休めよな?」
 だが今はそんな片鱗は見せずに笑った山本は、少し迷う仕草を見せた後、ゆっくりと上体を落としてくる。
「んっ……ごめんな、獄寺」
 そして触れるだけのキスをして離れていく背中に、自分はようやく笑えた気がしてた。
「……バカ、だからテメェは謝んなくていいって。なあ、山本?」
「んー?」
 ドアの横の、照明のスイッチに手をかけたところを呼べば、山本はゆっくりと振り返る。その黒い瞳にしっかりと自分の姿を映させてから、はっきりと告げていた。
「勝てよ」
「……。」
 すると少しだけ驚いたような顔をした山本は、やがて戦う相手にだけ見せるような笑みを薄っすらと敷いて頷いていた。
「……ああ」
 今は、それだけで充分だった。
 山本を確実に揺さぶった自分の怪我も、敗戦も。
 生きてこうして託せるという現実の前には霞んでいるはずだ。
 そのままドアを開け、照明を落として出て行った山本の背中を最後まで見送って、ようやくあのときシャマルやツナが自分に対して叫んでくれた気持ちが分かった気がしていた。





「……。」
 ツナが様子を見に来てくれてから、もう数分、いや数十分は経つ。
 時計が見えないので正確な時間は分からないにしろ、山本とのことを思い出したところで、大きなため息を重ねた。
 山本は謝らなくていいと言ったが、やはり甘くない現状を考えればどうしても気が重くなってくる。すると、病室を出る直前に山本からキスされたときに『ごめん』と口にしていたことを不意に思い出していた。
 それを免罪符にして、これが最後だと思いながらもう一度だけ謝らせてほしい。
「……勝てなくて。すいませんでした、十代目」
 そう呟いたとき、堪えきれなかった涙がボロッとこぼれていた。
 悔しいぐらいに正確なヤツだと、嗚咽を殺しつつ山本の言葉を思い出す。
『……オレがいると獄寺泣けないだろ』
「バカ、ヤロー……!!」
 泣いたところでどうにもならないと知っているのに、不甲斐なくてたまらない。あのときもう少し自分が粘っていれば、とこれから何度でも思うだろう。
 だが、それが後悔にならなくてすむかもしれない可能性も、まだ残っているのだ。
 その一翼は確実に山本が担っており、獄寺自身も託した。
 ただそのことで、山本が変に気負っているのではという不安が消えてくれない。
「オレ、だって……ほんとは、お前なんかに……!!」
 頼みたくなど、なかった。
 山本が自分を大切に思ってくれていることは分かっていたから、プレッシャーをかけたくなどなかったのだ。
 右腕を自認し、相手に傾きかけた流れをこちらに戻すためにも負けられないと分かっていた戦いで、負けてしまった。これでよかったのだとは、口が裂けても言えない。負けていい戦いなどあるはずがない。
 ただ、一つの余地が残されているのは、これが団体戦ということだけだ。
 一敗は一敗にしかすぎず、一勝によって埋め合わせがされる。
 負けてもそこで終わりではないというのもまた事実で、そこに賭けるしかない。
「山本……!!」
 不甲斐なさから吐き気がぶり返してきて、思わず自分の体を抱きしめそうになって、腕が止まった。
「……。」
 何に拘束されているわけではない。それでも、輸血の管が繋がったままの左腕だけでなく、右腕も動かなかった。
 怪我や鎮痛剤、あるいは疲労などでもない。
 全身に圧し掛かってくるような重みは、『幻覚』だ。
「山本……。」
 あるいは、ほんの少し前の『記憶』でもいい。
 治療をされる前の混乱状態に陥りかけたのを止めてくれたのは、不謹慎でもあのキスだった。山本からの不器用でたどたどしいキスが、生きていてくれて嬉しいと赤裸々に伝えていてくれる気がしていた。それと同時に、後は任せてゆっくり休んでくれと誘ってくれているようだった。
「……。」
 洟をすすり上げ、枕に顔をこすり付けるようにしてこぼれていた涙を拭く。
 山本は、泣くなとは言わなかった。
 絶対に謝るなとも言わなかった。
 そうしたい気持ちも分かる、だから、そうしてもいいからもう少しだけ待ってほしいと言ったのだ。
「……勝てよ、絶対」
 山本が勝てば、次に繋がる。
 最終的なところまで請け負ってやれないのは悔しいが、自分にできるところは必ず果たしてみせると何度も繰り返してくれた。
 それを思い出せばまた涙が溢れてきたが、もう苦しさや悔しさからではない。
 忠誠を捧げた十代目以外に、託せたり信じられたりする誰かがいることが、嬉しかった。
 山本という存在をこうして気持ちを預けられるようになっていた自分が、少し気恥ずかしくもあった。
「……。」
 枕で拭いた後こぼれた涙はもうそのままにして、ゆっくりと目蓋を閉じる。
 そうすれば、ひたひたと睡魔も歩み寄ってきている。
「十代目、ほんとに……。」
 意識が薄れていく中で、漠然と謝ってはいけないのだと誰かが囁いて、そこで言葉は途切れる。
 負けたことは、まだ謝ってもいい。
 もっと早く決着をつけていれば、だとか、もっと出血を抑えられていればといった、戦況に関するものならば反省はして然りだ。
 ただ、一つだけ。
 どうしても詫びてはいけないことがある。
「……。」
 こうして、生きていることを。
 恥じてはいけない。
 悔いてはいけない。
「……オレ、たちは」
 死ぬためにではなく、生きるために戦っているのだ。
 少なくとも、こうして生き残って喜んでくれている人たちに対しては、後悔が余計に悲しませる。
 死を垣間見させて一度苦しめたのに、生きていたのに、更に悲しませてどうするのか。
「……。」
 だから、今は心の中だけで違うことに対して謝っていた。
 今自分が感じている重荷を、渡すことになったことを。
 不甲斐なさまですべて背負わせることなる愛しい人に、眠りに落ちる前に祈る。
「やま、も……と……。」
 あの温かい重みを、失うことがありませんように。
 ただの一滴でも血を流してほしくないと願いつつ、ようやく長い夜から逃れることができそうだった。
 ああ、自分はまだ生きている。
 生きているからこそ、あの重みに触れることがまたできて、幸せだった。







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なんだかんだで、獄寺氏の前だけではちょっとだけ揺れてるのもいいかなあとか、そんな妄想が滾って以下略(スイマセ…!
この後。
朝になって血の手の平の痕が以下同文だと、「まさかあの重みは…!?」とか獄寺氏は無駄に怯えると思います。意外と怖がりぽいし。すぐ祈祷するし(笑


ロボ1号