■遠きを臨む
-01.
「わーっ、いっぱいあるんだ!!」
「こんだけあると、爽快なのなーっ!!」
はしゃぐ声に獄寺はこっそりとため息をつく。だが主に一方に対しての気遣いから疲れた表情は押し隠し、自分で引き出してみせたばかりの棚を示した。
「そうでもないですよ、ここにあるので全部ですから」
「でも、十……二十……もうちょっとある?」
「三十ちょっとですかね、まあ半分はサングラスですし」
それを考えれば伊達の方は二十もないですから、と説明をしてみても、ツナの目は感心したままだ。そんな目を見下ろしていれば、獄寺も少しだけ気持ちが和らぐ。気が進まないままに家へと上げ、こうして私物のメガネを披露する。もちろんファッション半分と変装半分で所有しているものなので、度が入っていない伊達メガネだ。だがツナたちと出歩くときはほとんどしていなかったためか、珍しがられているらしい。しかも無邪気に喜ばれるとそれはそれで嬉しい、と思ったところで、一気に気分を急降下させる声が後ろから体重と共に圧し掛かってきた。
「うあっ……!?」
「なあなあ、獄寺。どれが似合う?」
「山本っ、テメェ、重いだろうが……!!」
獄寺の背後からでも充分に引き出しを覗き込める身長を持ったもう一人、そもそもこのコレクションを披露する原因を作った山本が両腕を肩の上から回すようにしてギュッと懐いてきていた。そんな体温には不愉快なくらい動揺するが、今は珍しく面白くない気持ちを消し去るまではいかない。それは山本に浮かれられなくなったのではなく、差し引きしても釈然としないものを抱えたままだということだ。
そんな獄寺の心情に配慮するでもない山本は、ここが獄寺の家だからというわけではなく、普段どおりのスキンシップをしてくる。九月が始まったばかりのこの時期、学校から直接三人でここに帰宅したので入れたばかりのクーラーもまださほど効いてはいない。だが徐々に体温が上がっていくのを自覚して獄寺が複雑な心境に陥りかけたとき、先に口を開いたのは隣から引き出しを覗き込んでいるツナだ。
「あ、あの、獄寺君……オレも、かけてみていい?」
「ああっ、ハイ、どうぞ遠慮なく!!」
鏡はそこにありますから、とニッコリ笑って部屋の隅を示せば、ツナは嬉しそうに手近なサングラスから試すことにしたようだった。
十代目が楽しんでくださっているなら、と安堵しかけた獄寺だったが、やはり主賓であるはずの腕が現実逃避を許してくれない。相変わらず背中から回されたままの腕を強め、やたら甘えるようにして耳元でねだられてしまった。
「なあ獄寺、オレにもー?」
「おいっ、山本……!!」
身長差があるのでどちらかと言えば後ろから抱き込むような格好になりつつ、口調はまるっきり子供そのものだ。
こういうときの山本は、扱いに困る。
普段の、獄寺から何を言っても天然のお気楽さでかわす山本には、邪険な対応が出来る。どれだけ獄寺が愛を叫んだところで理解されないのだから、安心して求められるし、また同様に安心して八つ当たりできるのだ。だが、勉強を教えること以外では滅多にないものの、あからさまに山本の方から頼られてしまうと獄寺は困る。嬉しくて胸が弾んで、異常に上機嫌な対応をしている自分が浮かれていると分かりやすすぎて、居たたまれなくなってくるのだ。
かといってつれない対応をすれば、山本は悲しむし、場合によってはすぐに他のクラスメートなどにお鉢を回してしまう。もっと粘れだとか、恋人以外を簡単に頼るなだとか、言いたいことはいくつもあってもまともに聞き入れさせたことはない。山本にしてみても、一度断られれば、滅多にないお願いだからこそ気が引けてすぐに撤回できるのだろう。だから山本がまだ自分に期待しているうちに、と焦ってすぐに応じればまるで自分が浮かれているようで、という堂々巡りに獄寺は陥るのだ。
だが今回に限定すれば、おねだりの内容、特にそこに至った経緯があまりに面白くないので応じる意識も低い。よって軽く身を捩じらせ、山本の腕の中で振り向くようにしてから獄寺は素っ気無く返していた。
「だから、お前も勝手に選べばいいだろ? 好きなのかけてみろよ」
元々メガネをかけていないのはお互い様なので、似合うかどうかも重要だが、より気にならないものを選んだ方がいい。ここにあるのはあくまで獄寺が趣味と実用を兼ねて揃えていたものであり、それほど種類が多いわけでもない。そのため、いっそ手当たり次第に全部かけてみて、一番違和感が薄いものにすればいいのではと思っていたのだが、獄寺が振り返っても腕を外すことのなかった山本はキョトンとして繰り返していた。
「獄寺が選んで」
「だから、適当に……!!」
「オレ、こういうのよく分かんねえのな? なあ獄寺、お前が選んでくれねえ?」
スキンシップは無駄に多いが、こうしてそれこそ至近距離で覗き込まれることはさすがに少ない。加えて、あからさまにねだられると、やはり獄寺は強く否定できない。数本のサングラスを手にさっさと鏡の前で試しているツナが、山本はそういうのほんと分からないから選んであげないといつまでも上目遣いだよ、とアドバイスしてくれているのが聞こえたわけではなかったが、獄寺は仕方なく一番手前のメガネを手にしていた。
「……ほら、だったらこれかけてみろよ。百も二百もあるワケじゃねえんだ、どうせなら全部試せ」
「おうっ、サンキューな!!」
獄寺の言葉に山本はニッコリと頷くが、相変わらず両腕は獄寺の肩に回して緩く拘束したままだ。差し出したメガネを手に取る気配もなく、獄寺が怪訝そうにしていれば山本はやがてまた首を傾げる。
「……かけねえの?」
「なんでオレが、て、そうじゃねえのか……!!」
「かけてくれねえの?」
どうして自分がかけなければならないのか、と獄寺は誤解しかけたが、そうではない。山本は獄寺がかけさせてくれると信じて待っていたようなのだ。どこまで甘えれば気が済むのだと思いつつ、しぶしぶ折りたたまれていたメガネのつるを開いてやる。そして何故か目を閉じて待っている山本に動揺しつつもかけさせてやれば、やがてゆっくりと開かれた瞳との間に距離を感じた。
「……なんか、鼻が気になる?」
「調整はしてやるけど、そんなもんだ。耳は気になんねえのか?」
そっちは大丈夫そう、と言っている山本は、不思議そうに目をパチパチさせたりしていた。
おそらくこれまでほとんどメガネの類は縁がなかったのだろうなとは推測もできるので、初めてに近ければそんな印象だろう。だがそれよりも、獄寺は違和感を拭いきれない。度が入っておらず、世界を良くも悪くも歪ませていないガラスを挟んでいるだけにも関わらず、なんだか急に山本が遠くなった。
そう思ったとき、物珍しそうにしていた山本の目が不意に獄寺を見据えた。
いつもの黒い瞳が、しっかりとこちらを見つめてきている。無駄に似合いやがって、という皮肉も飲みこまされるほど見惚れてしまっていた獄寺に、山本ははにかむように笑っていた。
「ちょっと、変な感じ? 獄寺が、違って見える」
「そ、そうか……?」
「んー……獄寺、獄寺?」
二度名を呼んだのではなく、お前はちゃんと獄寺なのか、というくだらない問いかけだ。だが正確に理解できてしまう自分も億劫で、更には証明する方法が一つしか思いつけないのも情けない。そんなふうに自己嫌悪に陥る余裕があれば行動をとめることもできたはずで、気がつけば獄寺はもう山本に唇を押し付けていた。
「んっ……。」
小さく声を漏らした山本に満足しつつも、キスの甘さに溺れきれないことも獄寺は自覚していた。
それは、まさに山本が今かけているものが象徴している。
山本が山本で見えなくさせるそのアイテムを貸す羽目になった理由を思い出せば、腹立たしさと虚しさが増してきて、こんなにも想いの差があるという現実に膝を折りたくなったものだった。
発端は、いつものように昼休みになってからだった。正確にはこの日は始業式で午前中までしか学校はないため、午後はのんびりとしたものだ。今年はカレンダーの都合上、始業式が金曜日で、すぐにまた土日で学校は休みとなる。私学などではいっそ週明けから始業するところもあると聞けば羨ましく思ったものの、公立ではそんな融通は利かされているはずもなかった。
だがおかげで、珍しいこともあった。それは夏休み明けテストの日程が合わないとかで、三年生以外は実施されないことだ。その代わり、週明けの月曜日を最終期限としてかなり多めの宿題の提出が必須となっている。よってすべての部活の始動も月曜日からとなっており、来週の土日に遠征を控えた野球部からは相当不満の声が上がったという話は夏休み前に聞き及んだことだ。
要するに、今日から明後日までの三日間、山本は部活がないのだ。そのくせ、来週の土日、つまり九月九日と十日は遠征で丸々いない。特に夏休みで三年生が引退したとかで、山本たち二年生が主体のチームとなって初めての試合らしく、それなりに気合が入っているらしい。
だから仕方ないのだ、こいつは野球バカだから仕方がないのだ。
そう獄寺は何度も自分に言い聞かせたが、スケジュールを聞いたときの気落ちからはいまだに抜け出せていない。なにしろ、付き合い始めてから最初の獄寺の誕生日が来週の土曜日だったのだ。記念日を気にするのも気恥ずかしいが、そもそも山本がそのことを知っているとも思えないと自分を慰めかければ、獄寺は余計に凹んだ。だが一つだけ期待を持っていたのは、夏休みが終わる直前から、どうしても始業式、つまり今日中に宿題を全部提出しておきたいのだと頼まれ、山本に教える羽目になっていたからだった。
「……ハ?」
「だからな、案内とかするんだって。まあ詳しい説明とか、そういうのは社員サンがするらしいから、そこまでの取り次ぎ? 結構広いらしくてさ、その展示場」
実際になんとか宿題が間に合った山本は、始業式の後のホームルームですべてを提出し、担任を驚かせていた。
それは要するに、遠征で潰れる来週の土日はともかく、明日からの土日はあけておきたいという意志の表れだ。部活自体は禁止らしいが、自主練習はどうせするのだろう。だがそうにしても、丸一日ではない。土日のどちらか、その半日かもしれないが、山本は自分と過ごすはずだ。それが来週一緒に居られない埋め合わせとまでは考えていないかもしれないが、獄寺は少なくともそう信じていた。
夏休みの後半は二人きりで会うことがほとんどなくなっていたのだから、いい加減山本も飢えているはずだ。週明けの月曜日に提出してもいいのにやたら今日中に宿題は出しておくことにこだわった山本に、獄寺がそう期待したのも無理はない。どうしても九月の第一週だけはあけておきたいという強い意志を垣間見えたからこそ我慢もしていたが、突然切り出された話にさすがにキレにそうになっていた。
「じゃあ山本は何するの?」
「えっとな、駐車場があるトコの方の受付から、展示場、つっても三つくらいにエリア分けされてるらしくって。そこの担当者までお客さん連れてくんだって」
「へえ、そういう仕事があるんだ」
それでもぐっと獄寺が耐えていたのは、もちろんツナがいたからだ。
なんとなく学校で昼食を囲んだところで山本が話し始めたのは、明日からの二日間バイトをするというものだった。もちろん学校では特例を除き禁止しているので内緒ではあるが、そんな短期ならばまずバレないだろう。しかも本来雇われていた高校生の代理ということであれば、万一バレても言い訳の余地が残る。
山本が話したところによれば、並盛町の隣町で、規模の大きめな住宅展示会が行われているらしい。三社合同のそれはなかなか盛況だったらしく、八月末の予定が数日間、要するに明後日までの三日間延長されたらしい。それで困ったのは、高校生のバイトだ。金曜日は始業式があるし、土日があければすぐにテストがある。もう一人のバイトは大学生だったのでよかったらしいが、日程が合わなくなってしまった高校生が悩んでいるときに、弟の中学生の同級生、要するに山本が短期のバイトを探しているという話を聞きつけて代理を頼んできたらしい。
「まあ車で来ない客の受付は展示場の方にあるらしいけど。今日の金曜なんかはまだいいけど、土日はそこそこ人も多いらしくてさ」
「じゃあ今日はそのもう一人の大学生の人だけが頑張ってるのか。まあそんなに駐車場と離れてないんじゃ、案内も絶対必要ってワケじゃないんだろうけど」
従来駐車場の受付用特設テントから展示場までは、社員が案内していたらしい。だが今年は盛況なので展示会が始まってから急遽臨時バイトが二人ほど募集されたらしく、それで間に合う規模ではあるらしかった。
そもそもバイトは午前十時から午後三時までと短く、休憩はないものの時給はそれなりにいいらしい。真夏の屋外であることはそこそこ大変だが、天気によっては客足も変化するし、肉体労働というほどではない。住宅そのものの説明は取り次いだ先の社員がするため、予備知識もほとんど必要ないのだ。本当の意味での道案内、それにも関わらずそこそこ時給がいいのは必要な能力がひどく限定されているからでもある。
「その野球部のヤツの兄さん、て、言っても。去年はココで野球部だったから要するにオレも知ってる先輩なんだけどな、オレになら代理任せられるって言ってくれたらしくて」
「ああ、まあ……山本、愛想いいもんね」
「家が自営業だからかな? 代理のこと、一緒に働いてる社員サンたちに言っても、全然大丈夫だったって」
代理を探していた高校生は、並盛中の卒業生でもあるのだ。弟からの情報だけでなく、本人もまた野球部で数ヶ月間だけだが山本と同じ部活でその人となりを知っていた。そのため、代理として推薦するのも躊躇がなかったらしいという話を、ツナが一歩踏み込んだ表現で端的に納得していた。
要するに、ただの道案内にしかすぎないバイトに最も求められるのは、社員に繋ぐまでに客に気を良くしてもらっておくことなのだ。接客のバイト経験が必須だが、それも年齢層が限定されないものが求められる。同年代である若年層は住宅展示場などに最も出向かないからだ。両親より少し若い世代や、そのもう一つ上。あるいは小学生以下の子供たちが多く、そういった客層に愛想よく世間話でもして間を持たせられる能力が必要で、むしろボランティア活動などの経歴があれば歓迎される類の仕事内容だった。
傍で聞いてるだけの獄寺であっても、実に山本向きの仕事だとは思う。それは代理を頼む高校生も知っていたのだろうし、直接山本と面識がない社員に説明する際に『実家が寿司屋でよく手伝っている』と言えば印象もよかったのだろう。しかも二日間だけの限定の代理であり、それならばと了承が出たのも頷ける話だ。
だが獄寺にとって問題は、当然そこではない。明日からの週末二日間、こうしてバイトをするために山本は宿題を終わらせておきたいと夏休みの後半に頑張っていたということだ。
「まあ、それならよかったね。バイトしたいって前から言ってたし、ちょうどいいのが見つかったんじゃない?」
しかも朗らかにまとめたツナの言葉に、獄寺はまた落ち込んでいた。
山本がバイトを探していたなど、自分はそもそも聞いたことがなかった。どうも話の流れからして、短期の、しかも単発のものを探していたらしく、その理由は『お小遣いでは足りないから』だ。
単純に欲しいものがあり、それを父親にねだるのはどうかと思ったらしいので、バイトをしたかったようだ。
そんなに金が欲しいなら自分がくれてやる、だからせめて今週くらい一緒に居てくれてもいいのではないか。
そんな言葉が脳裏に浮かんだだけで、獄寺は自分を殴りとばしたくなっていた。それでは完全に援助交際、することをするのだから買春も同然だ。山本とそういう関係になりたいわけではないし、獄寺が望んで金を出したところで山本は受け取らないだろう。
つまり、どうにもならないことなのだ。
山本にとっては夏休みの後半から更に二週間獄寺とそういうことをしなくても、大して気にならない。恋人の誕生日より野球が大切で、その次がバイト、せめてその次くらいには自分は在れるのだろうかと思ってしまったのが情けなくて、また獄寺はため息を深めた。そもそも山本の中に、恋人というものはカテゴリーとして確立していないのかもしれないとすら考える。学校の友達、野球部の仲間、同じクラスの連中、近所の遊び仲間。広い意味での『友』の中の一人にしか過ぎない自分が、優先などされるはずもない。そう思っていた方が気は楽だが、物は考えようということではなく単なる事実だ。
「……だからさ、獄寺?」
「おわっ!?」
だから別に自分は傷ついたりしていない、と思い込もうとしていたところで、いきなり顔を覗き込まれて獄寺はひどく驚いていた。
昼食自体はほぼ食べ終えており、どこも部活がないということで教室にはほとんどクラスメートも残っていない。そんな中で机を寄せ合い、バイトの話をしていたのだが、輪に加わりたくなくて意識から遠ざけていたところでそうして視界に入ってこられ、獄寺は必要以上に動揺した。
「な、なんだよ、脅かすな……!!」
実際には話を聞いていなかった自分が勝手に驚いただけとも分かっていたが、獄寺はいつものようにそう悪態をついておく。だが机に伏せるようにして視線を上げてくる黒い瞳に、ここのところやたら目にした色を垣間見た気がして嫌な予感がした。
「だって獄寺が聞いてくれねえし。オレ、相談してんのに」
「な、なにをだよ……!?」
「獄寺君っ、獄寺君、あのね、山本がどうしたら年上に見えるかなって……!?」
最近会うときは、いつも夏休みの宿題を見てやるというものばかりだった。山本は基本的には物分りもよく、ポイントさえ教えれば後は比較的さらさらと解いていく。当然一緒に見ることになっていたツナにかかりきりになるのも、自然な流れが半分と後は獄寺の保身のためだ。尊敬する十代目もいる前で情けない姿は見せられない、つまりうっかり山本にがっつくような真似はできないと自制するあまり、殊更放っておいたのも事実ではある。
すると、山本が拗ねる。構ってもらえないからではなく、自分で解き進めるポイント程度のことすら獄寺が教えず、放置してしまうからだ。教えてくれと頼る視線で見つめられ、動揺したのは一度や二度ではない。そのときと同じような目を向けられてまたうっかり動揺している自分に腹が立っていると、横から慌てたようにツナが説明してくれていた。
「年上に……?」
「う、うん、だって元々は高校生以上のバイトでしょ? 一応高校生ってことで入るらしくってさ」
一緒に働く大学生と、親しい社員だけは知っているようだが、名目上は高校生扱いのようなのだ。もちろん学力テストをされるわけではないので、外見がそう見えればいいらしい。
聞いていなかった会話では、その点だけ気をつけてきてくれと先輩に言われたと山本が相談していたらしい。
だが説明してくれたツナをまずポカンを見つめ、続いて獄寺はまじまじと山本を見つめてしまう。依然机に伏せた状態で見上げてくる様はどこか大人しい犬のようで、つい手を伸ばして短めの髪を撫でてしまったところでハッと我に返っていた。
「……獄寺君、その、イチャつくのはまた後にした方が」
「いやっ、あの、十代目、そうでなく!? このバカ、どう見てもその点は大丈夫でしょう、むしろ大学生でも通じそうですし!?」
「獄寺、髪ひっぱんなよなー……。」
焦るあまり思わずぐいっと黒髪を鷲づかみにしてしまった獄寺に、ツナは少し遠い目をしていたが、当の山本は文句を言いつつ嬉しそうだ。その理由もよく分からず、ついぐしゃぐしゃとかき混ぜるようにしてしてやれば余計に喜ばれた気がしないでもなかったが、自分も楽しくなってくることは認めなくてつい憎まれ口を続けていた。
「いや、大学生は無理ですよねっ、だってこいつバカですし!!」
「……それなんだよなあ、獄寺」
「ハ?」
どうやら山本自身も、自らが年相応に見えない自覚はあったらしい。服装や表情にもよるが、先入観なく見ればまず間違いなく山本は高校生か、それ以上に見える。ならば問題がないのではと獄寺は言っていたのだが、急に山本は悪態を認めてため息をついている。それに獄寺が首を傾げていると、またツナが教えてくれていた。
「オレとしては、たぶん冗談だと思うんだけどね。どうも、その先輩に。バカっぽく見えるのはダメだから気をつけろって言われたらしくってさ」
「いや見えるとか見えないとかじゃなくて山本は真実バカですしだからそれ仕方ないっていうかそれバイトに関係あんのかとかそもそもこのバカなところが可愛いんじゃねえかとかそうだ十代目オレその先輩やらに制裁を……?」
「ごごご獄寺君!? 淡々と真顔で続けるからうっかり聞き流しそうになったけど、落ち着いて、落ち着いて!?」
きっとその先輩も冗談だったはずだから!? と必死で言葉を重ねられ、獄寺はようやく怒りを行動に移すことは自制できていた。
もちろん先輩とやらの会話を直接聞いたわけではないので断言はできないが、全くの冗談だったか、あるいは素行が悪く見えないようにしろという意味ではなかったかと推測するツナの言葉には獄寺も賛同する。愛想のいい案内係に、学力的な賢さは求められていないはずだ。確かにしゃべりがいかにも頭が足りない不良崩れのようでは困るが、山本を直接知っている先輩とやらならばその心配はないと分かっているだろう。
そう考えれば、やはり冗談という可能性が高い。
それでいて、山本はそうと受け取っていないらしいということも明らかで、ツナも少し困っているようだった。
「どう頑張っても、オレ、賢そうには見えないよなあ? 自分でも分かってんだけどさ、じゃあ、どうしたらいいのかなって……。」
「山本、だからそんなに心配しなくても大丈夫だって、きっと?」
しまりなくへらへら笑っていることが多いので、賢そうには見えないという自己分析は悲しいくらいに的を射ている。その点は納得しても、獄寺は面白くない気持ちがぶり返してきた。
先輩が冗談を言ったのだとしても、その辺りはいっそどうでもいい。ただ単に、そんな冗談も真に受けて悩むほどバイトに対しては真剣なのに、という嫉妬じみた感情だ。来週は仕方ないにしろ、今週も会えない原因に真摯な姿勢を向けられて、くだらないと分かりつつ苛立ちが増して山本の髪から手を外せばごく自然にすっとその手を握られていた。
「……!?」
「なあ獄寺、どうしたらいいと思う?」
「は、離せよ、このバカ……!!」
寂しがるような素振りは卑怯だ。
心底そう思っているのに、獄寺は握られた手を自分から外すことはできない。こんなにふうに山本に頼られるのは、求められる、あるいは甘えられていると同義語にしか獄寺は受け取れないのだ。普段が普段な分、そうされると獄寺は参る。つくづく惚れた弱みだと情けなくなってきたところで、違う理由で困っていたらしいツナがあっと声を上げていた。
「そうだっ、メガネとかかけてみたらいいんじゃないのかな?」
それに、獄寺はさすがは十代目と感心することなった。
実際に今から賢さが滲み出るように内面を鍛えることはできないので、できることがあるとすれば外側で取り繕うことだけだ。その最も単純で、且つ効果的なものとしてメガネというアイテムがある。かけている者が必ずしも知的というわけではないと誰もが知っていても、そう見えてしまうという効果に関しても疑問を持つ者はほぼいないだろう。特に受付から展示場まで、ほん数分しか会わない家族連れは当然見た目でバイトを判断するはずだ。その際に、メガネというのは賢さまでいかずとも、真面目そうな印象を与えることに一役買うのは期待できる。
「おおっ、ツナ、いいこと言うな!! そういや先輩もメガネかけてたのなー?」
「じゃあ山本も、て……目、悪くないよね?」
「オレ、ずっと両目とも2.0」
普段はコンタクトというわけでもなく、予想通り山本は視力がいいらしい。矯正が必要なほどではないがやや近視気味の獄寺はなんとなくムッとしてしまうが、そこでまさかツナに話を向けられるとは思っていなかった。
「このために買うっても勿体無いし、誰かに借りるってのも矯正用のじゃ無理だよね……獄寺君、伊達メガネって持ってなかったっけ?」
「……オレですか?」
確かにオモチャのようなものはともかく、そこそこ見映えのいいメガネはそれなりの値段がする。ただでさえ金がなくてバイトをしたいと言い出した山本に、新たな出費は本末転倒だろう。また誰かに借りるにしても、実際に視力が悪くてレンズに度が入ったメガネでは互いに不便だ。よって、妥当な線として度が入っていない伊達メガネというのは納得できるが、そこで自分にお鉢が回ってくるとは思っていなかったのだ。
「いえ、持ってなくはないですけど、でも……。」
「それ、山本に貸すのって無理かな?」
「……いえ、無理ではないですけど」
実際に獄寺は二桁の伊達メガネを所有していたし、貸すのが嫌だという潔癖さも心の狭さも持ち合わせていない。特に十代目と尊敬するツナの口添えがあるならば、断る理由を見つける方が難儀だ。
それでも獄寺が乗り気ではなかったのは、単純な面白くなさからである。
どうして、自分が協力などしてやらなければならないのか。
……自分よりバイトを優先する、薄情な恋人に対して。
「なあ獄寺、貸してくれねえ?」
「……。」
だがそれも、手首をつかむようにしていた山本から、しっかりと指を絡めるようにしてギュッと手を握られるまでしか張れない虚勢だった。無意識だと知っているからこそまた逆らえない自分にため息を深めつつ、獄寺は仕方なさそうに了解してやっていた。
「……別に、いいけど」
「じゃあ今から家に行っていい?」
するとあっさり続けられた言葉には、否が応でも胸が弾んだ。
そんなつもりではないのだろうが、今はまだ昼過ぎだ。この後山本は部活もなく、暇なはずである。明日からはバイトらしいが、そう朝が早いわけでもないようなので、泊まりは無理でも多少帰るのが遅くなっても大丈夫だろう。
一瞬でそこまで考えてしまうのを情けなくは思っても、むしろ開き直る気持ちの方が強い。
それだけ、山本に飢えていたのだ。
それは山本も同じだと思い込みたくて、たとえ違ってもこれから体に教えてやればいいと心に誓ったところでふいっと視線を逸らされる。
「じゃあツナ、急ごうぜっ!!」
「えっ、あ、オレも行くの……!?」
黙っていた獄寺に勝手に了承を受け取り、上機嫌でそう言った山本にはツナはひどく驚いていた。
ツナにしても、伊達メガネを借りるのは山本なので、山本だけが獄寺の家に行くと思っていたのだろう。だが山本にしてみれば、放課後の帰り道に獄寺の家に遊びに行く感覚らしく、当然皆でと考えたようだ。
「あれ、行かねえの? 用でもあんのか?」
「えっと、そういうワケじゃないんだけど……!?」
気を遣われているのはよく分かっているので、獄寺はツナに本当に申し訳なくなってくる。だが変に拒むよりは行くだけ行って、先に退散した方がいいと判断したらしく、困った様子で確認されれば獄寺もすぐに頷けていた。
「あの、獄寺君、その……オレも、行っていいのかな?」
「もちろんですよっ、十代目!! 大したおもてなしはできませんけど、よかったら、是非!!」
「よし、じゃあすぐに行こうぜっ。オレ、あんま時間ねえのなーっ」
だが繰り返された促す言葉の後に、あっさり付け足された情報に獄寺は一瞬思考が止まる。それに気がついたツナが、不思議そうに獄寺の代わりに山本へと尋ねてくれていた。
「あれ、山本、これから何か用でもあるの……?」
一人さっさと椅子から立ち上がり、山本は飲み干した牛乳パックなどのゴミを片付けている。当然外された自分の手が机の上で未練がましく転がってるのを眺めていれば、獄寺はなんだかもう達観してしまいそうだった。
分かっていたはずだった。
山本がこういうヤツだというのは、充分に納得した上で、それでも恋人にしたいと手を出したはずだった。
大切なものがたくさんあって、自分などに求めることは本当に少ない。ただ元来の人の良さで、性的なことまで求められても拒みはしない『友人』なのだ。他とは種類が違うだけの、山本にとっては自分が数多くいる友達の一人にしか過ぎないことなど、最初から知っていたはずだった。
だから、こちらが持っているような『恋人』像を山本に求めても仕方ないのだと、獄寺は諦める。いや、口に出して説明し、ちゃんと求めればある程度は応えてくれるはずだ。だが断られるかもしれないと思うだけで、獄寺は恐かった。分かっていないからこそ言葉遊びのような『恋人』として付き合ってくれているのだから、あまり獄寺が抱える渇望は見せない方がいい。そう心の中で繰り返して落ち着こうと試みているのに、あっけらかんとした山本の言葉は簡単に神経を逆撫でしてくれる。
「言ってなかったか? 先輩がな、スーツ貸してくれるって。だから三時には先輩の家に行かなきゃいけないのなーっ」
「そ、そうなんだ……!?」
山本に相槌を打ちつつ、チラチラとツナが気にしているのはこちらだという自覚も獄寺にはある。
尊敬している十代目に、こんなことでご心配をかけるわけには。
情けなさにも拍車がかかってため息一つで自らも椅子を引いて立ち上がった獄寺は、ツナにはニッコリと笑って返していた。
「じゃあ十代目、急ぎますか」
「そう、だね……!!」
久しぶりに獄寺君が恐いよ、と笑顔を向けたにも関わらず嘆いているツナの言葉は、当然獄寺の耳には入らない。
それほどまでに、腹に据えかねていたのだ。
しかもこれは自分の一人相撲で、自業自得だと分かっているので怒りのぶつけどころも見つからない。気に食わないならそう言えばいいし、あるいは切り捨ててしまっても構わないはずだ。だが自分から山本を突き放すことはもちろん、頼りにされているときに邪険にすることすらできない臆病さにそろそろ泣きたくなってきたところで、獄寺はいきなりギュッと抱き締められていた。
「うわっ……!?」
「獄寺、ありがとな!!」
こんな仕草も、その他大勢の『友人』に向けるものと大差ないと知っているのに。
また胸が弾んでそれまでの葛藤がどうでもよくなりつつある自分を、獄寺は殺せるものなら殺したいと本気で思っていた。
そんなふうに、昼間の出来事を思い出していた獄寺の見つめる先には、黒い瞳が驚いたようにこちらを見つめてきていた。二時前には獄寺の家に着き、適当なメガネをかけさせてやったところで思わずキスしてしまった。度が入っていないメンズ越しの瞳はやがてゆっくりと細められていくが、それは受け入れて目蓋を下ろしたのではなく、怪訝そうに眉間を顰めただけだ。
「……その、獄寺」
「……。」
まずいって、という言葉は半分飲み込みつつ、山本は視線を逸らしてそっと獄寺を押し返していた。
基本的には獄寺からの接触を拒まない山本が、こういう態度に出る理由はよく分かる。実際、獄寺も自分の迂闊さを呪いたくなっていたからだ。
この部屋には別の人物、よりによってツナがいる。たまたま視線は向いていなかったのは幸いとしても、人前でのこうした接触を山本はひどく嫌がる。単純に恥ずかしいというよりは、男同士だということを危惧しているのだろう。現実的には獄寺がハーフということもあり、キス程度では文化の違いと周囲に受け取られがちなのだが、山本にとってはそういうことでない。きっと自分とキスする仲だとバレるのが嫌なだけだと思えば苛立ちより悲しみが強く、それすら麻痺させるほどの虚しさで獄寺はまた泣きたくなった。
だがそんな無様なことができるはずもなく、獄寺は何事もなかったかのようにくるりと背を向けてメガネの入った引き出しへと向き直る。そして次のものを手に取ろうとしたところで、遠くから携帯電話の着信音が鳴り響いていた。
「あっ、オレだ。えっと、カバンは……?」
「……居間だろ」
「ああっ、そうだった!!」
焦って走って行った山本に、獄寺はなんとなく予想がついていた。ふと視線を感じれば鏡の前でサングラスを試していたツナが慰めるような目をしており、先ほどのキスも見られていたのだなと察する。そのことには何故か動揺より安堵を感じ、仕方ないよと言ってくれている気がする瞳に少しだけ気持ちが安らいだところで、バタバタと足音が近づいてきていた。それに軽くため息をついた獄寺は、引き出しの隅に並べてあったものを手に取っておいた。
「獄寺っ、ツナ、悪い!! なんか先輩が出かけなきゃいけなくなったらしくて、今からスーツ借りに行かなきゃいけなくなった!!」
「そ、そうなんだ? じゃあまた明日、じゃなくて、月曜日にねっ」
「ああ、またな!!」
カバンを抱え、予想通りのことを口にした山本に、ツナは驚きつつもそう返している。だがその間にスタスタと部屋のドアに向かった獄寺は、焦って帰ろうとしている山本にすっと手を伸ばしていた。
「獄寺……?」
「……ほら、コレも貸してやっから」
かけたままだったメガネを取り、折りたたんでから手にしたケースにしまってやる。そして、携帯電話を出すためか、中途半端にジッパーの開いていたカバンへと突っ込んでおいてやった。
そんな一連の動作を山本は目を瞬かせながら眺めていたが、やがて獄寺がメガネを貸してくれたのだと理解が追いついたのか、少し嬉しそうに首を傾げてみせる。
「なあ獄寺、さっきの、オレ似合ってた?」
ノンフレームでレンズが横に長いタイプのそのメガネは、人によってはキツイ印象も与えるだろう。だが山本は元々表情が無駄に柔和なことが多いので、足し引きすればちょうどいいはずだ。結局かけたところを一度も鏡で見ていない山本に尋ねられ、長々とそう説明しても聞いてもらえる時間はないと知っていた獄寺は端的に頷いておいてやる。
「……ああ」
「そっか。ありがとなっ、獄寺!!」
すると本当に嬉しそうに笑った山本に、獄寺もつられて笑みを返しそうになった。だがその表情が完璧な笑みを結ぶ前に山本は手を振ってその場から退散し、さっさと獄寺のマンションを後にする。
慌しく玄関が閉まる音が響いたのを合図に、獄寺は大きく肩を上下させて息をつく。
できればそれこそ本当に膝を折ってしまいたかったが、さすがにそれをせずにすんだのは、部下としての矜持だ。
「獄寺君、その……。」
気遣わしげにかけられる声には、違った理由から涙がこみあげてきそうだ。
「えっと、なんて言うか……だから、その、山本は。仕方ないよ、ああいうヤツだから……。」
「……はい」
大切なものがたくさんあったり、かといって無意識に獄寺を翻弄したり。
それを今更嘆いても仕方がないと慰めてくれるツナに対して、本当に獄寺がすまなく思っていたのは違うことだ。
先ほど、うっかりキスしてしまった際に困ったように押し返されたことが、頭から離れない。
戸惑うようなことあっても、これまで明確にああして拒絶されたことは初めてだった。自業自得とはいえ、意外に傷ついてしまっている自分を持て余す。更にそんな程度で凹んで尊敬する十代目にも心配をかけている自分が本当に億劫で、獄寺は今度こそその場にしゃがみこんでしまった。
長い週末になりそうだという予感で、押し潰されそうだった。
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