■年下彼氏





 翌朝、早朝練習の後に茂庭が青根に話しかけていた。どうやら昼休みに一緒に昼食を取る約束を取り付けたようだ。羨ましくなったものの、素直に感心もする。部活の前ではあまり時間もないし、他の部員の目もある。かといって部活の後では帰宅するだけなので逃げられる確率は高い。昼休憩ならば、すっぽかすと放課後の練習で気まずくなってしまうので、青根も警戒はしても足を運ぶだろう。
「……茂庭さん?」
「なに?」
 そうして待ち合わせた昼休みに、茂庭は青根から何か聞き出せたのだろうか。
 気になって仕方なかったが、放課後は先日のテストが悪すぎてうっかり教師に捕まってしまい、練習開始ギリギリで部室に駆け込むことになる。茂庭はもちろん、青根もおらず、やはりどうなったのか分からない。いや、そもそもあれだけ逃げ回って、おそらく他の部員たちからも尋ねられても口を割らなかった青根なのだ。一日で判明はしなかったのだろうと諦めつつ練習を終えて部室に戻った二口は、そこで初めて違和感に気がついた。
 前日のように、片付けをしてから部室に戻る青根は、随分と離れたロッカーを使っている。呆然としている間にさっさと着替え、鎌先たちに頭を下げて逃げるように部室からはいなくなった。入れ違いで入ってきた茂庭は、二口の隣のロッカーを開ける。もちろん茂庭の荷物が入っている。
 昨日までは、青根のロッカーだった。
 一年生である青根が、三年生で、しかもキャプテンの茂庭のロッカーと勝手に替えることなどできるはずがない。
「……なんでもないです」
「そう?」
 つまり、青根がロッカーを替えてほしいと、二口の隣は嫌なのだと、茂庭に訴えたのだ。
 通常は許されない我儘なので、きっと茂庭は理由を尋ねたはずだ。そして、それならば隣で居たくないのも当然だろうと納得したからこそ、替わってやった。
 昨日はあんなにも期待したことが、馬鹿馬鹿しくなってくる。
 所詮は、こういうものだ。
 いくら実力者と持ち上げられても、それは今の二年生の中でという条件付だ。後輩全体の中であれば、二口より青根の方がずっと有望である。先輩も後輩も敵しかいないという感覚に久しぶりに喉の奥が引き攣るような気がした二口に、茂庭が横で困ったように笑う。
「だってさ、これが交換条件だったんだよ? ……青根が、二口を避ける理由を話してくれるっていうね」
「……。」
「一番ドアに近いロッカーがいいって言うから、最初はオレじゃなくて鎌ちに頼んだんだけど、断られちゃってさ? だから、二番目に近いオレが替わったんだ」
 予想通りの話をされても、二口はもう興味はない。手が止まっていた着替えを再開し、とにかく早くこの部屋から出て行きたいと願うが、少し遅れて二口は首を傾げた。
 昼休みに茂庭が青根から話を聞き、当然それを今も部室に残っている二人、鎌先と笹谷には話したのだろう。青根ができるだけ二口と離れたロッカー、つまりドアに近い方を希望したのであれば、もちろん鎌先になる。笹谷は茂庭より部屋の奥側だ。
 だが、どうして鎌先は断ったのか。冬場は外気が入りやすくて寒いといつも暴れていたのにと不思議になって視線を向ければ、かなり不機嫌そうな顔をした鎌先が吐き捨てた。
「面倒くさい」
「……まあ、そうスよね」
「どうせすぐ元に戻りたいとか言うに決まってんだろ!? なんだよあの理由っ、真剣に心配してたオレらがバカみてえじゃねえか!! 茂庭もあんまり青根を甘やかすな!!」
「だってそれが聞き出す条件だったから、仕方なかったんだよ……。」
 どうやらただ移動するだけでなく、いずれまた戻すことが予測されるので二度手間が嫌だったらしい。茂庭も苦笑しているので、鎌先の意見には概ね同意なのだろう。
 だが、鎌先たちがそこまでため息をつく理由とは何だったのか。なんとなく部室内を見回してから、二口はピタリと笹谷に視線を定めた。
「……おい、茂庭に訊け、茂庭に」 
「だって、茂庭さん言いにくそうなんですもん。どうなんですか、それってオレが聞いたらまた傷つきます? 聞かない方がよかったて感じの理由ですか?」
 隣で着替える茂庭は、部室でこの四人になってから実は何度もため息をついていた。二口以上に着替えるスピードが遅い。それだけ億劫なのだろう。
 やっと少しだけ自分の内側以外にも視線がいくようになった二口は、より苦しいだけならば聞きたくないと示して笹谷に尋ねてみる。すると、笹谷はチラリと茂庭を見た。
「……茂庭、伝えないのか」
「勘弁してよ。オレ、青根から直接聞いてほんとどう反応したらいいのか分からなかったんだし……。」
「……おい、鎌先」
「オレの家訓は『他人の痴話喧嘩に関わるな』だ!! 絶対嫌だ!!」
「鎌先家の家訓なんかどうでもいいけど、まあいいや、オレも面倒くさいし。二口、青根ってお前のことが好きなんだとよ」
「……は!?」
 茂庭に断られ、鎌先にも嫌がられ、ため息をついた笹谷があまりにさらりと告げてきて二口は一瞬反応が遅れた。
 思わず凄むように聞き返したが、笹谷にはからかっている様子はない。それが一層混乱に拍車をかけそうだが、すぐに二口は理性が引き止める。
「そんなはずないでしょっ、好きな相手に対する態度ですかアレ!? 茂庭さんっ、きっと騙されたんですよ、ロッカー替わってもらうために適当に誤魔化されただけですって!!」
 少なくとも、笹谷と鎌先はそれが理由だと茂庭から聞いたので、真に受けただけだ。だが直接青根から聞いたらしい茂庭は、どうして信じてしまったのか。やっと着替え終わってパタンとロッカーを閉める茂庭に二口は隣から声を荒げるが、再びため息をついた茂庭が疲れたように見上げてくる。
「……青根がそういう嘘つくと思う?」
「え……いや、それは……いや、でも……!?」
 二口が戸惑っている間に、茂庭は更にため息を重ねて続ける。やっと自ら話してくれる気になったようだが、切り出しからして既に主旨がよく見えなかった。
「まあね、オレも最初は違う話だと思って。部内恋愛は禁止ですよねって感じのこと確認されたから、てっきり女子マネのこと好きなのかなて思ったんだけど」
「いやでも仮にそうならオレを避ける理由が……?」
「だって女子マネ、あらかさまに二口のこと好きだし」
「それ今オレ知りましたけど!?」
「つかそれマジなのか!? チクショウ、好きだったわけじゃないけどなんか悔しい!!」
「……たぶんそれ部内で気づいてないの二口と鎌先くらいだと思うぞ」
「けどまあ、女子マネはちゃんと分かってるっていうか、告白とか、そういうつもりはないみたいだったし。結局サッカー部のヤツと付き合ってるみたいだしね」
「なんかそれオレの想像の許容範囲を超えてんですけど!?」
「サッカー部め!! サッカー部め……!!」
「……サッカー部は悪くないだろ、つか女子マネも部内恋愛禁止だと思って二口のこと諦めたんだから悪くはないだろ」
 衝撃的な内容に面食らっている間に、勝手にふられた感じにもなっていて二口は更に驚く。何故か鎌先は頭を抱えていた。相変わらず鈍いらしい。そんな反応を微笑ましそうに見ていた茂庭が、さらりと問題発言をする。
「ともかく、部内恋愛禁止ってのは、どの部活でもよくある暗黙の了解みたいなもので、少なくともウチでは明確なルールになってるわけじゃないんだけどね。だから、まあ、節度を守ってくれるなら、女子マネと二口が付き合っても問題なかったんだけど」
 そんな仮定の話には、二口は全力で否定するしかなかった。
「問題ありますよっ、だってオレ彼女いますもん!!」
「え」
「鎌先っ、しっかりしろ、オレもちょっと意識遠のきかけた……!!」
「二口彼女いるの!?」
 女子マネージャーは三年生で、二口にすれば優しいお姉さんという印象しかなかったので、本当に意外だ。特に、同じ部活内という近場にいて好かれるというのはこれまでにないことで、少しマネージャーの感性が心配にもなる。だが今はちゃんと別の彼氏がいるようなので安心したところで、何故か鎌先からおぞましいものを見るような目を向けられ、笹谷には意識を失いかけられ、茂庭には横からかなりの勢いで驚かれた。
「な、なんですか、いちゃいけないんですか?」
 思わず戸惑いながら言ってみれば、鎌先からぐっと肩を掴まれる。
「おめー、もしかしてずっと任意練習に出なかったのって、その彼女が原因なのか……!!」
「い、痛いですって、逆恨みで後輩の肩砕かないでくださいよこの馬鹿力先輩……!!」
 本気で痛かったので抵抗してみれば、鎌先は手は外してくれた。だが、気がつけば三人の先輩に三方を囲まれている。残り一方はロッカーがあり、逃げ場がないと諦めた二口は仕方なく説明する。
「まあ、彼女っていうか、別れたことをまだ確認してない相手ってことですけど……。」
 すると、案の定鎌先からは噛み付かれた。
「なんだそれ!? ちゃんと付き合ってんだろ!?」
「ちゃんと付き合ってません」
「はあ!?」
「てか、任意練習に行かなかったのは、ほんとに行きたくなくて家で寝てただけです。そんな状態なのに、わざわざ外出して彼女に会うとか、憂鬱なことするはずないじゃないですか。外出歩けるなら、オレ、部活に行けてましたよ」
「……なんだろう、二口って、見かけ以上にひどい男なの?」
「……ある意味で想像どおりだけどな」
「……羨ましい、彼女いたとか、マジ羨ましい」
「そんなにひどくはないと思いますよ、責められたくないから二股だけは絶対にしないし。つか、同時に二人から連絡来るとかマジめんどいし」
「二口死ね!!」
「ギャー!?」
 何故か鎌先に首を締められた。力は込められていなかったが、それでも首に手がかかるだけで驚くものだ。思わず硬直したのが分かったのか、鎌先もあっさり手は離してやっとベンチに座ってくれる。
「……なあ、それって青根に言ったのか」
「へ? あー……ああ、そうですね、言った気がします」
 そしてため息混じりに尋ねられ、二口もやっと思い出した。
 例の女子から手紙をもらい、待ちぼうけを食らって電話をした翌日、愚痴とも八つ当たりとも言えない言葉の中で、二口は確かに青根に吐き捨てた気がするのだ。
 そもそも、誰に告白されようが付き合うはずがないのに。
 だって、今は彼女がいるのだから。
「それだよ、青根から避けられたほんとの理由って、絶対それだって」
「二口、やっぱひどい男だな……。」
「いやだからオレは確かに付き合っててもこっちから連絡しないしメールもほとんど返さないし自発的に会わないし部活優先だしぶっちゃけ一緒にいても面倒くさいとか思ってる時間が九割越したりしますけどっ、でも、二股だけはしないんです!! それって凄くないですか!?」
「逆にすげえよバカ!!」
「痛ったぁ!? もうっ、鎌先さん、嫉妬しないでくださいよぅ!!」
 せっかく座ったベンチからいちいち立ってまで頭をはたかれて、二口は不満の声を上げる。
 ただ、こうして鎌先たちから非難される理由も分かる。普通に付き合っている彼氏がこういう態度ならば、確かにひどいと思うのだ。だが二口にも言い分はある。
「だって……オレだって、付き合いたくて付き合ったわけじゃないのに、面倒くさいんですもん」
「どういうことだよ?」
 つい泣き言を言えば、鎌先から聞き返され、また怒られる予感がしつつも二口は仕方なく説明した。
「……一年の三学期、テスト中は帰るの早いでしょ。そんとき、やっぱりテスト中だったらしい中学の同級生に会って」
「その子に告白されたの?」
「いえ、そいつは男です、別の高校ですけど。で、共学だから、あっちは何人かのクラスメートがいたんですね。久しぶりだなって話して、誘ってくれたからメシだけ一緒に食ったんスよ。そしたら、翌日くらいにその元同級生からクラスメートの一人に連絡先教えていいかってメールがきて、嫌な予感はしたんですけど、OKしたら、速攻で告白されました」
「羨ましい、なんだその急展開……!!」
「……つまり、二口はその中学の同級生の顔を立てたってこと?」
「……意外に律儀なんだな、方向性間違えてる気がしないでもないけど」
「だから、正直相手の顔もあんまり覚えてないし、電話は一回、メールは五回も返してないんですよ。相手からはいっぱい来てましたけど、それ四月の始めくらいまでだし、まあ別れてるとは思ってますけど、相手に確認はしてないって状態です」
 中学時代のその同級生は、部活のチームメイトでもあった。先輩からも後輩からも疎まれる二口を、比較的まともに扱ってくれた同級生の一人だった。世代交代をしたとき、当然のように顧問からはキャプテンに指名された二口が固辞するのを見かねて、手を挙げてくれた恩もある。
 久しぶりに会ったとき、今の高校で楽しそうにしていた中学時代の元キャプテンは、もうバレーをしていなかった。テスト中でもカバンを替えるのが面倒くさいので、『伊達工業』というロゴの入った部活カバンだった二口を、どこか複雑そうに見ていたように思う。自惚れかもしれない。ただ、もう部活に馴染んだのかと問われ、スタメンに定着したとは何故か伝えられなかった。中学の頃よりずっと楽しくやれているとは言えなくて珍しく大人しかった二口に、その元同級生のクラスメートは勝手に惚れてしまったらしい。
 実に迷惑だと思ったが、必死に告白する相手の声は上の空で、中学時代のことばかり二口は思い出してしまう。本当に厄介なので高校に入ってからは誰とも交際する気などなかったが、やる気もない奔放なエースをいつもかばってくれた元キャプテンの姿が脳裏にちらついて、どうしても断れなかった。
「そのことも、青根には話したの?」
「いえ、そこまで詳しいことは……ああ、でも、オレが全然その彼女に積極的じゃないことだけは言った気がします。だから、ひどい男だと思われて避けられたんですかね?」
 鎌先たちもあからさまに呆れていたし、他人事として聞けば二口もつれなさすぎだとは思うのだ。それなりに信頼し、懐いていた先輩の人間性を知り、失望する。それが避けるようになった原因であれば、自業自得すぎて打開策も見つからない。せめて別れているかも分からない彼女に連絡を取って誠実さをアピールしてみるかと考え始めた二口に、茂庭たちはもっと呆れていた。
「そうじゃないって、青根は二口のことが好きなんだよ?」
「……好きだったら避ける意味が分からないじゃないスか」
 確かにすっかりその話は忘れていた。あまりに信憑性がなさすぎて、二口の中では青根が追い詰められて適当に誤魔化したことになっていたのだ。そのため、改めて言ってみれば、茂庭は何故かニッコリと笑う。
「そうだよね、二口には分からないよね」
「……なんですか、その棘がある言い方」
「お前は人を好きになったことがないから分からないんだろってことだ」
「笹谷さんまで!? オレだってそれなりにっ……まあ、その、好きだなとか、可愛いなとか思ってる人くらいいますよ」
「その彼女か?」
「……違います、顔もいまいち覚えてないって言ったじゃないスか」
 反論しかけたが、言葉に詰まる。初恋も一応あった気がするが、所詮は幼稚園児が一緒に遊んでいて楽しい相手が女児だったというだけのような気もする。名前も覚えていない。小学生になってからは、既に彼氏だ彼女だということに巻き込まれがちだったので、女性全般に対してやや遠巻きとなった。中学になってからは更に拍車がかかったが、そこがまた女子に対してはクールだという謎の評価に繋がり、やたら好意を寄せられて散々だった。
 自分の偏差値と通学可能範囲、更にバレー部がそれなりに強いことを考えた場合、伊達工業を選んだのはほぼ男子校であることも大きな要素だった。女子は少ないので安心していたが、一年生の間に一通り面倒事には巻き込まれる。なんとかそのすべて断ったのに、他校の、しかも一度しか会っていないぼんやりした印象の女子と付き合う羽目になるとは二口も思っていなかったので、うっかり対処が遅れてしまった。
 なにもかもが自業自得かとため息を重ねるが、いつの間にかベンチにまた座っていた鎌先から軽く足を蹴られる。
「痛いですってば、暴力反対っ」
「おめーが可愛いって思ってるヤツって誰だよ」
「……誰でもいいでしょ」
「オレか!?」
「青根ですよ!!」
 大して痛くはなかったが、それでも文句を言っていればおかしな確認をされて二口は思わず反論した。
 だがその名前を出すと、茂庭たちは腕組みをしてやけに頷いている。わざとらしすぎて苛々するが、二口も訂正はしない。
「だって、そんなの、茂庭さんたちも分かってたでしょ? あいつ、すげー可愛いじゃないですか、見た目は怖いけど。で、あいつはあいつで懐いてくるし、絶対オレのこと好きだと思ってたのに、いきなり避けられて、オレ、やっぱり、あの理由じゃ納得できません」
 二口も青根のことは好きだ、だから懐いてほしいし可愛がりたい。避けたくなどない。もっと身近に、ずっと傍にいてほしい。ただでさえ学年が違うので、部活の前後しか会えないのだ。わずかな時間を大切にしたいと焦がれるのに、それを青根は徹底して踏みにじる。
 到底、好きな相手にする態度とは思えない。茂庭に話した理由は絶対に嘘だと決めつけるが、何故か頭を撫でられた。
「茂庭さん……?」
「じゃあ青根に直接確かめたらいいんじゃないかな?」
「だってそれじゃっ……うわっ!?」
「正直オレももうあまり首を突っ込みたくないから、青根を引き止められる魔法の言葉を教えてやろう」
「笹谷さんそれほんと正直すぎません!? ……まあ、念のため魔法の言葉は聞いておきますけど」
 茂庭とは反対側に立つ笹谷からぐっと抱き寄せられ、驚いている間に興味を引かれて二口はまた戸惑う。
 どうにも、昨日から笹谷が甘やかしてくれるのが地味に切ない。ついでに、そのたびに鎌先が歯軋りしてまで悔しがるので、そちらは非常に面倒くさい。
「……そんな言葉で、効果があるんですか?」
 そして、教えてもらった言葉には怪訝そうに笹谷を見てしまった。
「お前、先輩からの有り難い助言だぞ? 信じろよ」
「……まあ、そこまで言うなら、試してみますけど」
 耳元で囁かれてくすぐったくもなりながら頷けば、やっと笹谷も腕を離してくれる。茂庭はとっくに手を引っ込めていた。ただ、正面のベンチに座る鎌先だけは腕を広げて切なそうに見上げてくる。
「……嫌ですよ。だって鎌先さん、蹴るし、叩くし、首絞めるし」
 念のためお断りすれば、やはり鎌先は嘆いた。
「なんでだよっ、どうしてオレには懐いてくれないんだ!! マジで理解できねえ!! オレも可愛い後輩が欲しいっ、ていうか後輩を可愛がりたい!!」
「そんなに後輩とスキンシップがしたいなら、オレと青根以外にしてください。つか青根にしたらマジで何かします」
「何かってなんだよっ、具体的に言われるよりこええよ!?」
 叫ぶ鎌先には、茂庭たちが頭を撫でて慰めていた。あっさりそれで機嫌を直すくらいなので、鎌先には後輩よりも同級生からの方がいいのだろう。
 自分は、どちらがいいのだろうか。
 笹谷のような先輩に甘やかされるのは嬉しい。戸惑うが、決して嫌ではない。だが軽く両手を見下ろすと、やはり抱きとめたいのは後輩というか、今は意味が分からない理由で逃げまくっている大きな体だと思った。
 二口にはさっぱり理解できなくとも、青根は一応茂庭には理由を話したのだ。更に、ロッカーも離すという具体的な行動に出ている。これが前進なのかは分からないが、少なくとも八方塞だった昨日までよりはマシだろう。
「……まあ、とにかくオレも、もう一度話せるものなら青根と話してみます。茂庭さん、ありがとうございました」
 青根と話してくれたのは茂庭なのでそう礼を言い、二口はカバンを担ぐ。だがその紐を茂庭と笹谷にガッと握られた。
「え?」
「あのさ、確かに今は二口は青根に避けられてるけどさ。ちゃんと話したら、また前みたいに戻れるとオレたちは思ってるんだよね」
「はあ、まあ、そうなることをオレも願ってますけど……?」
「……てことは、たぶん今日が最後だ」
「何のですか?」
 二口は早速明日にでも捕まえてみようと考えているので、もしすべてが上手くいけば明日からはまた青根と帰るようになるだろう。淡い期待だと思っているが、そう願っていないと二口も正気を保てそうにない。だがそれを茂庭たちから改めて念を押され、首を傾げれば、あっさりと言われた。
「青根がつれないときくらいさ、オレたちを頼ってよ? そりゃ青根といるときみたいな幸せは提供できないけど」
「……。」
「寂しい思いしてんのが自分だけとか思ってんじゃねえぞ、二口」
「……はあ」
 そういえば、青根が部活に合流する前までは、同級生のチームメイトより茂庭たちといることがずっと多かった。青根が入ってからは、可愛い後輩に付き合うという名目だけでなく、青根が他の先輩に懐くのが怖くて無意識にでも二人きりになりたがった。結果的に、茂庭たちと部活が終わってから行動することが少なくなる。青根に避けられるようになってからは、それを追及されたくないし、そもそも青根のことで頭がいっぱいでいつも一人でさっさと帰っていた。
 曖昧に頷いたのは、練習終わりに茂庭たちと帰ったり、食事をしたりするのは、自分からだけの欲求だと思っていたからだ。要するに、茂庭たちは面倒くさい後輩に付き合ってやっているだけという図式だ。だが意外にそうでもなかったのかもしれないと気づきながら茂庭に促されて共にドアに向かっていれば、笹谷からため息混じりに頼まれる。
「……あと、面倒くせえから鎌先も誘ってやってくれ」
「へ? あー……鎌先さん、半径三メートル以内に入らないなら一緒に帰ります?」
「遠い!! せめて二メートルで!!」
 やけに静かだと思っていた鎌先は、ベンチで頭を抱えていた。適当に帰宅を促せば、何故か妥協を求められたので無視しておく。
 そうして、律儀に少し離れている鎌先も含めて四人で部室を出れば、もう外は真っ暗だった。
 こういうのは久しぶりだと思いながら、二口は可愛くないことを口にする。
「……なんか、それでも青根がいないのが寂しいとか思ってて、ほんとすいません」
 それに、茂庭たちは笑って許してくれた。
「大丈夫だよ、二口がつらいのも分かってるつもりだし」
「さっさと仲直りして、五人で帰れるようになればいいだけだ」
「……なあ、お前ら、なんの話してんだ、やっぱ三メートルは遠い、首絞めたのそんなに根に持ってんのかって二口に言ってくれよ、頼む」
 鎌先だけは違うことを懇願していたが、二口よりも茂庭と笹谷が首絞めには眉を顰めていたのか、バス停までお許しは出なかった。




 翌日の昼休み、チャイムが鳴ると同時に二口は教室を出た。いつも一緒に食べているクラスメートには部活の用だと断っておく。
「……。」
 前日の部室では、よく分からないことも多かった。だが、一つだけ確実な収穫もある。それは、昼休みが最も捕まえやすいという事実だ。
 階段を降り、懐かしい校舎一階へと二口は足を踏み入れる。昼休みになったばかりなので、廊下には購買や食堂に向かう生徒で溢れていた。伊達工業の制服は、一見して学年が分かる特徴はない。そのため、見慣れない顔があっても、同じ一年生の違うクラスの生徒だと思えるのだろう。あまり不審がられることなく一年A組の前まで辿りついた二口は、一度足を止めて深呼吸をしてから教室の後ろのドアを開けた。
「……!?」
「……なあ、青根っているか?」
 すると、ちょうど開けようとしていた二人の女子生徒が、かなり驚いて見上げてきた。身長差があるのでその頭の上から教室内を見回すが、見落とすはずがない姿がない。クラスメートであるはずのその女子生徒に尋ねるが、何故か泣きそうな顔をされ、そんなに凄んだつもりもないのにと不思議になったところで、声をかけられた。
「二口先輩っ、どうしたんですか?」
「ああ、作並か」
 伊達工業では先輩は『さん』付けが定着しているが、まだ入部して二ヶ月も経っていない部員には先輩という敬称で呼ぶ者もいる。廊下からそう声をかけたのは、そろそろ部室組にしようという話が出ているリベロの作並だ。いきなり見知らぬ上級生に尋ねられて泣きそうになっている女子生徒よりも随分話しやすいと安堵し、二口はそちらに視線を向けた。
「お前って、青根と同じクラスだっけ? あいついないんだけど、今日休み? いや朝練はいたよな」
 それに、作並は首を横に振る。
「ちゃんと授業にも出てますよ。さっき移動教室だったし、片付けがあった班は遅れてるから、そのうちに戻ってるんじゃないですかね」
「つかあいつって、クラスにちゃんと友達いんのか? いないならお前が構ってやれよ、可哀想だし」
「いや、二口先輩が心配するほどじゃ……あっ、ほら、戻ってきましたよ?」
 作並に指を差され、廊下の先に視線をやれば確かに青根がいた。同じ教科書を持った男子生徒二人と一緒だ。バレー部員ではない。青根はただ頷くだけだが、会話も成立しているようだ。それに、急に自分がここにいるのが場違いな気もして足が竦みそうになるが、二口に気がついた青根が驚いて教科書を落とすのを見れば一気に頭に血が昇った。
「あのっ、二口先輩、なんでそんなに殺気立って……!?」
「……。」
 焦って止めようとする作並の声も耳に入らず、二口はずんずんと足を進める。
 青根も逃げようとはしたのだろうが、教科書やノートを落とすし、一緒にいた友人たちも不思議そうにしている。手を伸ばしていた教科書などを先に拾った二口は、それを名前も知らない一年生たちに押し付けた。
「なあ、お前らって青根の友達?」
「は、はい、そうですけど……?」
「ちょっと部活の関係で、昼休みは借りてくわ。こいつの教科書とかは机に置いといてやってくれ」
「あ、ハイ……?」
「わかり、ました……?」
 あっさり頷かれてまた不可解な苛立ちが増すが、二口はできるだけ優しく笑って拾った教科書などを渡しておいた。
 青根がスポーツ推薦であることは知らなかったとしても、部活に熱心なことは周知だろう。わざわざ先輩が迎えに来るほどの用事らしいと察したようで、友人二人は青根の教科書などを受け取ってさっさと教室に入って行った。それを見送っていたのは、二口だけではない。
「……二口先輩、なんか、大丈夫ですか? 茂庭キャプテンとかに連絡した方がいい感じです?」
 どういう想像をしているのか分からないが、作並からそう言われ、ビクッと驚いたのは青根だけだ。
「大丈夫だ、むしろ茂庭さんたちのお墨付きだし」
「……!?」
「ああ、そうなんですか。だったらよかった。……青根、いってらっしゃい」
「……!!」
 最後の頼みの綱とでも思っていたのか、安堵したように作並が言って手を振り、教室に入っていくのを、青根は呆然と見つめていた。
 それが、無性に悔しかった。昼休みになってだいぶ時間も経ち、ぐっと人気が減った廊下で、二口はとっとと囁いておくことにする。
「……また逃げたら、オレ、ほんとにお前のこと嫌いになるからな」
「……!!」
「嫌われたくなかったら、大人しくついてこい。一回話させろ、それでダメならオレも諦める」
 笹谷に教えてもらった魔法の言葉は、確かに効果覿面だった。
 逃げそうになっていた足はピタリと止まり、ようやく腕を掴むことができる。顔は相当引き攣っていたようだが、そんなことに構ってはいられない。
 とにかく、やっと捕まえることができた。あれだけ避けておいて、むしろまだ嫌われていないと思っていたのかと呆れる気持ちもあるが、それよりずっと胸が弾んで仕方がない。
 だが腕を引いて廊下を進もうとすれば、青根から不可解なことを呟かれた。
「……手紙、の」
「は?」
「……会い、に」
 かなり戸惑いながら、青根はチラチラと教室の方に視線をやっている。どうでもいいと思ったが、念のため振り返る。すると、廊下の先で、最初に青根のことを尋ねた女子生徒たちがこちらを困惑しつつ眺めているのに気がついた。部活の用事という建前が信じられず、喧嘩などを想像して青根を心配しているのだろうか。だがそんな様子にも見えず首を傾げていた二口は、やっと廊下を曲がって女子生徒たちの姿が見えなくなってから、唐突に気がついた。
「……ああ、もしかして、さっきのが例の手紙くれた女子だったのか?」
「……!!」
 二口は電話で話しただけなので、顔は知らなかったのだ。より泣きそうだった方が、そうだったのかもしれない。だがたとえ声を聞いても、気がついたとは思えない。それなのにやたら驚いている青根を、二口は怪訝そうに見上げた。
「だから、電話で、しかもほとんど泣き声でしか話してねえんだぞ? 何週間も前だし、覚えてるわけねえだろ」
「……!!」
「それに、オレはあの手紙の女子に会いに来たんじゃねえ。青根に用があるんだよ」
「……。」
 改めて繰り返せば、青根はいっそう黙り込んだ。元よりほとんどしゃべらないが、気配がより落ち込んだことはもう感じ取れる。
 逃げそうにないと判断し、二口は取り敢えず手を離した。目的地は、校舎と駐輪場の間だ。この時間にはまず人気がないことは確認している。今日もそこへと青根を促せば、やはり賑わう食堂などと違い、誰もおらず閑散としていた。
 二口も昼食を食べていないし、それは青根も同様だ。何も昼休みの時間をすべて拘束するつもりはない。少し話をすれば、それで終わりだ。頭では分かっていても、こうして青根と向かい合うのは久しぶりで、二口もなかなか言葉が出なかった。
「……そこ、座れよ」
「……。」
 校舎から駐輪場へと出る短い階段を示せば、青根は大人しく座りこんだ。二口は立ったままなので、見下ろす格好になる。
 すると、急に抱き締めたくなって困った。身長も高く、体格も随分といい青根を、部室のベンチに座らせてよく抱き締めた。その頃は、青根もちゃんと背中に腕を回してくれた。今はまだそれを試す勇気なくて、二口は必死で欲求に抗い、ようやく尋ねることができる。
「……昨日、茂庭さんから聞いた」
「……!!」
「オレを好きだから避けるって、なんなんだよ」
 そして端的に言えば、青根はまたビクッと震えた。俯き、視線を逸らす。若干顔色も青褪めているようだと思えば、少なくとも青根が茂庭に嘘を言ったわけではないことだけは納得できた。
 だが、そうであればますます理解に苦しむ。昨日の部室で茂庭たちにも言ったが、普通は好きであれば傍に居たいと思うはずだ。それなのに、青根はあからさまに避けた。あれからずっと考えて、一晩経った二口にはやっと辿り着けた想像がある。
「……まあ、少なくとも、お前はそうなんだろうな。オレのことが好きだと思ってるから、避けたくなる」
「……?」
 好意的なのも、間違ってはいないのだろう。やっと青根の心理が解けた気がするこの理屈は、二口にとってそれだけでも価値のあるものだ。
「青根、お前って先輩に可愛がられたことないんだろ?」
「……!!」
「腫れ物扱いされてそうだもんな、中学のときとか」
「……。」
 小学校では、先輩後輩という関係もさほど確立していない。クラブチームであれば、特にそうだろう。
 だが中学で初めて部活として始めた場合、いきなりその上下関係を強要される。戸惑う者も多いはずだ。ただそれに反発して飛び出すのではなく、強要どころか控えめにも求められないで、不確かなまま過ごしてまう者も一定数はいるものだ。
 唇を強く噛み締め、先ほどとは明らかに違う感情から青褪める青根の表情だけで、肯定を受け取った。それに、二口は堪えきれずに数段上に腰を下ろし、青根の頭へと手を伸ばす。
「……!?」
「オレにも分かる、つかオレも中学の頃はそうだった。でも、ココの先輩たちは、厳しいけど優しいよな?」
「……。」
「お前は知らないだろうけど、茂庭さんたちの一コ上の学年て、ほんとに厳しかったんだぞ? 今の鎌先さんなんて甘すぎるくらいだ。……でも、優しかったんだよなあ」
「……。」
「傲慢じゃなくて、卑屈でもない。ちゃんと実力も認めてくれた上で、後輩として扱ってくれる先輩って、貴重なんだよな、お前も分かってると思うけど」
 いっそ、特別扱いという孤立は、青根の方がひどかったのではないかとすら想像している。青根自身は二口と違って周囲とも仲良くしたかっただろうし、後輩に関しては怖がられつつも慕われていたのではないか。だが先輩に関しては、確実に無理だっただろう。ただの中学生に、この圧倒的な実力差を突きつけられて卑屈になるなとはなかなか言えない。逆にやっかみできつく当たられそうだが、二口の場合はへらへら笑って逃げたし、青根は外見の怖さでなんとか免れたのだろう。半ば自分のことを振り返りながら言った二口に、青根は何度も頷いていた。
「オレは、茂庭さんや笹谷さん、あと認めたくないけど鎌先さんが居てくれたから、まだバレー部にいれたと思ってる。あの先輩たちと一緒に、少しでも多くの試合がしたい。だからチームとしてもっと強くなりたい」
「……。」
「……たぶん、オレは、おんなじように青根にそう思ってもらいたかったんだよな」
「……!?」
「青根、悪かった」
 三人から受けた優しさを、たった一人で青根にだけ渡したかった。先輩というものへの苦手意識が薄れたことで、すっかり後輩への接し方も上手くなったと誤解していた。
 ため息をつきながら謝れば、少し下の段に座っている青根が驚いたように見上げてくる。なんだが必死に見えるのも居たたまれなくて、二口はできるだけ優しく続ける。
「青根、オレのこと好きなんだよな?」
「……!!」
「で、気まずくなって、避けてたんだろ?」
「……。」
 昨日と一昨日、やたらスキンシップを激しくされて、やっと二口も違和感に気がつけた。
 確かに嬉しい、安心もする。だがこれが、先輩という括りの複数からではなく、たった一人から、しかも毎日のようにされていればどうなのだろう。二口は恋愛感情というものを、外から散々向けられて辟易しているので、きっと間違えたりはしない。だが免疫がないほど、嬉しいと感じることで錯覚してしまうのは仕方なかったのかもしれない。
 きっと、青根は優しくて構ってくれる先輩を、大好きだと思ったのだ。
 その純粋な気持ちを読み違えて、恋愛的な意味合いだと決めつけてしまい、避けるようになってしまった。
「青根、誤解させて悪かったな?」
「……。」
 自分の身に置き替えてみれば、優しいだけの今の三年生たちを、男なのに好きになってしまったと思えば、二口であっても避けたくなったかもしれない。嫌悪感を持たれるのは怖いし、なにより後ろめたくて仕方がない。しかもそれで避けるようになって大好きな先輩が悩んでいれば、先輩は何も悪くないのにと、謝りたくなっただろう。
「大丈夫だ、茂庭さんだって笹谷さんだって優しいだろ? 他の二年生だって、小原とか、もうお前を怖がってないし、ちゃんと後輩として可愛がってくれる」
「……。」
「オレはオレで、もうやたら撫でたり抱き締めたりもしない。二人きりで出かけたりとかも、もうしない」
「……。」
「そしたら、お前も落ち着くって? オレのことは、ただ、最初の頃に一番可愛がってくれたから、懐いてただけだ、て。オレしかいなかったら、オレのことそういう好きだと誤解したんだ、て」
「……。」
「オレは青根を、ただの後輩の一人として扱う。青根も、オレをただの先輩の一人として接する。それでいいだろ? だから、な、青根? 茂庭さんたちも心配してるし、オレだけを避けるのはもうやめてくれよ」
 いつの間にか、青根は抱えた膝に顔を伏せていた。
 本当は今でも抱き締めたくてたまらないが、それがまた青根の誤解を深めさせるのであれば、我慢する。先輩の務めだろう。不器用な者同士が、初めての関係に浮かれてしまって、間違えた。修正するには、二口からその他大勢になるしかないのだ。
 優しく諭せば、青根は俯いたままでも頷いた。ズキリと胸が痛んだが、これも成長の痛みだ。必死に堪えていると、やがて青根が顔を上げた。
「あお、ね……?」
「……。」
 だが、その瞳はみっともないくらい濡れていた。驚いて呆然としている間に、青根は階段から立ち上がると、洟をすすり上げてから口を開く。
「……すきになって、ごめんなさい」
「え……あっ、おい!?」
 これまで、何度も告白はされてきた。
 だが、好きになったこと自体を、こんなふうに謝られたのは初めてだった。
 言うだけ言うと、青根は頭を下げて、階段をおりていく。目元を拭う仕草で、あの涙が見間違いではないと教えられて、二口はまた動揺する。
「青根っ、待てよ、なんで泣くんだよ……!!」
「……。」
「別にこれは失恋とかじゃねえだろっ、むしろ勘違いだって分かって喜ぶとこだろ!?」
「……。」
「なのに、なんで……そんな……。」
 思わず追いかけて、青根の制服の背中をつかんだ。まるで初めて会ったときの逆だ。まさか泣かれるとは思っていなかったので、二口はひどく動揺する。
「なあ青根、じゃあオレはどうしたらいいんだよ? お前はどうしてほしいんだよ?」
「……。」
「ただの先輩、後輩になるだけじゃダメなのか? でも前みたいなのだと、お前が苦しいんだろ? オレはもうお前に避けられたくねえよ」
「……。」
 足は止めてくれたものの、青根は目元を何度もゴシゴシと拭うだけで振り返ってもくれない。もちろん、答えてもくれない。必死で考える二口も、思考が空回っていきそうだ。
「茂庭さんは部内恋愛は禁止まではされてないって言ってたけど、だからって付き合うわけにもいかないだろ? オレ、彼女とちゃんと別れてないし」
「……。」
「だーかーらっ、なんでまた泣くんだよ!? じゃあオレがちゃんと彼女と別れてお前と付き合ったらいいのか!?」
「……!?」
「……そう、なのか?」
「……。」
「あー……うん、分かった」
「……!?」
「ちょっと別れてくる」
 正確には、別れていることを確認するということだが、提案してみればやっと青根が振り返ってくれたので二口も安心する。だが腕を外した青根の顔は、ひどいことになっていた。こうなるまで泣かせてしまったと焦る気持ちはあるのに、青根の方がずっとおろおろしていて、二口はつい苦笑しながら手を伸ばす。
「……!?」
「オレ、二股だけは絶対嫌なんだよ。どんだけひどいって言われても、それは嫌だから、ちゃんと別れてるって向こうに確認取れるまで、お前とは保留な?」
「……。」
 そして袖口で目元を拭いてやれば、青根は硬直したようにじっとした後、洟を啜り上げて何度も頷いた。
 勢いでとんでもないことを約束した気もするが、何故か今の方がずっと気分が軽い。むしろ、浮ついている。いい先輩としてその他大勢になろうと決意したときより、はるかに嬉しくて、二口はつい涙を拭いた手をそのまま後ろへと回した。
「……!!」
「……でも、これくらいは、『先輩として』いいよな?」
 かつては何度もしていたし、ここ数日は二口もやたら笹谷にされている。両手共を回してギュッと抱き締めれば、しばらく迷う仕草を見せていた青根の手も背中に触れて、二口の胸はまた高鳴った。
「青根……。」
「……。」
 それだけでも、充分だと思った。青根は混乱しているだけで、唐突に自分の気持ちを否定されて意地になっただけかもしれない。交際を申し出たのは二口からであるし、それこそ落ち着いてくれば今度は違う理由で再び避けられるようになるのかもしれない。
 だがたとえそうであっても、こうして最後に抱き合えたのは良かった。自分にとってはいつまでも可愛い後輩だと予防線を張ったのに、耳元でそれこそありきたりな恋文の一文のようなことを囁かれ、不覚にも二口まで泣いてしまいそうだった。




 青根とようやく駐輪場で話せた翌日は、土曜日だ。長期休暇中ではないので、必須練習日である。そもそも任意練習でももう休む気がない二口だが、少しだけ気が重くなりながらその朝は足を運んだ。
「おはよう二口、なんだか疲れてる?」
「おはようございます、茂庭さん。いや、疲れてるっていうか、ちょっと寝不足なだけなんで、気にしないでください……。」
 昨日はいろいろなことがありすぎて、どうやら興奮状態にあったらしくなかなか寝つけなかった。ちなみに、二口以上に混乱が大きかったらしい青根は、もっと眠れなくて寝過ごしたらしい。練習開始には間に合うが、約束の時間には絶対に無理だ。バス停で待たずに先に部室に行ってほしいという内容が、悲壮さの伝わる表現でいくつも届いていた。
「それって、その……。」
「はい?」
 大丈夫だ、怒っていない。そうすべてに返信しながらロッカーに向かう二口に、茂庭は言いにくそうにしている。それに横で首を傾げれば、かなり早いこの時間でも部室にいる笹谷があっさりと指摘した。
「青根とはどうなったんだ?」
「……ああ、まあ、ええと」
「昨日は、なんだか微妙な雰囲気だったよな。でも一緒には帰ってたみたいだし、仲直りできたのか?」
 実を言えば、その報告も兼ねて青根とも話し合って今朝は早く来る予定だった。だが青根は寝過ごしているし、いつもはいる鎌先も来ていない。少し悩んだものの、二口は先に茂庭と笹谷には話しておくことにした。
「それがですね、昨日、オレ、昼休みに青根を連れ出したんですけど」
 まずはそう切り出せば、茂庭も頷いている。
「ああ、そうみたいだね、作並も心配してたよ」
「……あいつ、結局連絡したのかよ。まあそれはいいんですけど、それで、オレは、オレなりに考えて、青根は先輩に優しくされたことがなかったからオレへの好意を恋愛的なものと誤解しただけだって諭したんですけど」
 だがそこまで言ったところで、茂庭と笹谷はあからさまに顔をしかめた。
「うわ、それはさすがにひどすぎだよ……。」
「そんなこと言われたら、オレなら泣いちまうかもな……。」
「ええ、まあ、実際青根にも泣かれたんですけど」
 しかも、うっかり正解されて、二口は頷く。すると二人からは非難轟々だった。
「泣かしたの!?」
「最低すぎるだろ!?」
「だからっ、謝りましたってば、それは!? と、とにかく、だからって青根と付き合うわけにもいかないでしょ!?」
「……まあ、それは、ねえ」
「……やっぱ男同士だしな、なかなか越えられないよな」
「前も言いましたけど、オレ、ちゃんと別れてない彼女がいたんで。二股だけはしたくないんで、別れてるって確認取れるまでは、青根とは付き合えないし」
「気にするのそっち!?」
「つか別れてるって確認取れたら付き合うのか!?」
「へ? そうですよ、だってオレまた青根に泣かれたくないですもん」
 ただ、問題はそこからだった。青根が落ち着くのを待って、まずは購買に向かう。泣いた痕が残る青根は近くに残して、二口は二人分のパンと飲み物を買って戻ってきた。それからまた人気のないところに移動し、食事をしながら二口は持ってきていた携帯電話でかけてみる。学校は違っても、昼休みの時間は大体同じだ。
「……いや、いくら泣かれたくないからってさ、普通交際までできるかな?」
「……二口の後輩愛はトラウマすぎて空回ってんのか?」
「で、早速元カノにかけたんですけど、着信拒否されてたんですよね」
「えっ、それって確かめるまでもないってこと!?」
「さすがに放置しすぎたんだろ……。」
「一応メールもしたんですけど、やっぱりダメで。まあ普段ならそれでいいんですけど、青根が心配そうだから、仲介する感じになってた中学の同級生に電話してみたんですよ」
 そちらは繋がったものの、留守電になっていた。どうやら学校ではずっとそうしているようだ。仕方なく彼女の名前を出して連絡先が知りたいという録音を残した。放課後になり、練習の前に携帯電話を確認したが、返事がない。終わってからもう一度確認をすれば、着歴と、今更どうして知りたいのかという内容のメールが届いており、解決を期待して青根を引き止めて一緒に帰りながら返事を打った。
「そしたら電話がかかってきて、どうも、元同級生は元カノのことがずっと好きだったみたいなんですよね」
「へ!?」
「お前、また違う修羅場持ってくるなよ……。」
「で、オレがあまりに素っ気無いって相談を受けてるうちに、なんか元カノはそいつと付き合うようになってたらしくて」
「よくあることだけどさっ、よく聞くパターンだけど、それってどうなの!?」
「二口、お前、とっくに元カレになってんじゃねえか……。」
「まあそれで、まだ未練があるのかって最初はキレられて、いや全然なくてむしろ次のために別れてること確認したいって言ったら、なんでかまたキレられて」
「……まあ、その元同級生の気持ちも分からなくはないよね」
「……二口、お前、同窓会とか大丈夫か?」
「とにかく、元カノのことはどうでもいいって力説したら、なんか隣にいたみたいで、やっと電話かわってくれたんですけど」
「……さすがに、元カノも可哀想だよ」
「……お前、そんなだといつか刺されるぞ、気をつけろよ」
「そんで、二ヶ月ぶりくらいに話して、オレも初めて知ったんですけど。オレとその彼女、付き合ってなかったんですって」
「ええっ!? そんな今更!?」
「告白されてOKしたんじゃなかったのか!?」
 青根に関する事以外で、昨日二口が最も驚いたのはその事実だろう。電話口でかなりポカンとしていれば、彼女だと思っていた他校の女子から、捲くし立てられた。
「そうなんですけど、それから一回も会ってないのに付き合ってるとは言えない、みたいな? なんだよー、だったらそれ早く言ってくれよー、そうと知ってたら会わないままだから付き合ってないって安心できたのにー、て文句言ったら、電話切られました」
「……うん、そうだね」
「……元カノ改め、その女子は悪くない」
 さすがの青根のも隣で聞いていて微妙な顔をしていたので、着信拒否にされる前にすぐにかけ直して元同級生には謝っておいた。
 彼女が憤慨しているので基本的には肩を持つが、それでも中学の三年間、同じ部活で二口を見てきた者なのだ。口の悪さは正直さと知っているので、腹は立っても、彼女に未練がないことは確信できたらしい。むしろ確認したいほど好きな相手がいることが不思議だったようで、今度紹介してくれと言われたが、可愛すぎて見せるのが勿体無いから嫌だと断っておいた。
「まあそんな感じで、別れたというか、そもそも付き合ってもなかったって確認できたので、青根と付き合うことにしました」
「……今凄いことさらりと言ったよね!?」
 そして話をまとめると、茂庭にはやけに驚かれる。先にそう宣言していたので、自然な流れのはずなのに不思議だ。だがかなり怪訝そうにした笹谷からも念を押された。
「二口、お前、それ大丈夫なのか? 青根の『好き』てのは、恋愛的な意味なんだぞ? それこそ、今まで付き合ってきた彼女にするみたいなこと、することになるんだぞ?」
 だがそれには二口はまた首を傾げてしまう。
「そんなことしませんよ、青根にはちゃんとメールもするしデートもするし会うのに労力惜しみませんもん」
「……忘れてた、二口って今までの彼女に対しての方がひどいんだった」
「けどよ、そこは尽くしたとしても、青根とそういうことができんのか?」
 笹谷は表現をぼかしたが、要するに性的な意味合いを持つ行為だろう。昨日のようなハグまでならば、まだ友達などでもしなくはない。だがあくまで恋人であれば、そういった行為を伴うことは当然予想がつく。
 面と向かって尋ねられると、二口も困った。どうにも顔が赤くなり、照れくさくなって仕方がない。
「いや、まあ、その……キスまでは、昨日したんですけどね」
 そしてうっかり感触を思い出しながら言えば、一瞬ポカンとした後、茂庭と笹谷には盛大に驚かれた。
「それっ、早くない!?」
「交際開始何時間だよ……!!」
「だ、だって、青根が可愛かったら仕方ないでしょ!? オレと付き合えるって分かって、もう嬉しくて仕方ないって感じでギュウギュウ懐かれたら、ちゅーの一つくらいしたくなるじゃないスか!!」
「……そんなこと、同意を求められても」
「……もしかして、数時間後どころか、数分後の話なのか」
「それにっ、青根も驚いてたけど、喜んでくれましたよ!? あっ、そうだ、それでオレ、一つ発見があったんですけど」
 明らかに聞きたくないという顔をされたが、照れている二口は気がつかない。とにかく、昨日の夜から、浮かれてしまって仕方がないのだ。
「……青根って、結構キスが上手いんですよ? いきなり舌入れられて、オレ、びっくりしました」
「別に知りたくないよ、その情報……!!」
「確かに青根って図体でかい割りに意外に早くてテクもあったよな……。」
「笹谷はなんで普通に受け止められるの!? あとバレーの技術とは別の話でしょ!!」
 実を言えば、過去に何人も彼女がいても二口はキスをするのが初めてだった。キスも含めて、それらしい行為は相手を期待させ、また別れる際の批判材料になると知っていた。だからこそ、できるだけ言質を取られないようにする意識が強くなり、せいぜい手を繋いだことがあるのが数人程度で、キスのような明らかに恋人にしかしない行為はずっと避けてきた。
 それなのに、昨日は我慢できずに自分から唇を寄せた。驚いた青根が逆にぐっと引き寄せ、舌を滑りこませてきても戸惑いよりずっと嬉しさが大きかった。気恥ずかしくもあったので瞳はギュッと閉じ、とにかく青根の好きなようにさせる。口内で生温かく触れる舌に嬲られていると、終わった頃にはやや腰が抜けていて、二口も戸惑うほどの心地よさだった。
「だから、まあ、節度ってのは守るつもりなんで。部内恋愛ですけど、一応黙認してくださいっ」
 そして、茂庭にそう許可をもらうことが、今朝の目的だった。うっかり青根は寝過ごしてこの場にいないが、先に言っておけば茂庭もやっと笑ってくれる。
「まあね、やっぱり男同士だし、あんまり目立たないようにね? オレたちが禁止するとかじゃなくて、そういうところは、自分たちで気をつけてね」
「はいっ、了解です!!」
 おどけたような敬礼を返せば、二口はまた嬉しくなった。優しくて理解もある茂庭なので、却下されるとは思っていなかった。だがそれでも、やはり消極的にでも認められると嬉しい。達成感もあってやっと着替えようとするが、比較的ドアに近いロッカーからわざわざやってきてまで、笹谷が肩を掴んでくる。
「……笹谷さん?」
「なあ、オレもお前らの交際に反対とか、そういうんじゃねえんだ。ただ、オレにとって、青根も可愛い後輩であることには違いない。だからこそ、確かめておきたいんだけどよ?」
 いつにない真剣な様子に、二口もやや面食らう。だがしっかりと真正面から尋ねられたことは、非常に答えにくいものだった。
「お前、ちゃんと同じ意味で青根のこと好きなんだろうな?」
「……。」
「お前が青根の気持ちを理解したことも、その上で付き合うことも、そういうことに抵抗が薄いのも理解した。けど、それってほんとに二口も同じ意味で青根が好きだからなのか? 可愛い後輩に応じてやる優しい先輩像に酔ってるだけじゃないだろうな?」
「……まあ、それも否定はしないですけど」
「おい、それじゃ……!!」
「二口……。」
 実際に、あのとき急に交際を提案したのは、後輩を泣かせるような先輩でありたくなかったからだ。
 いまだに二口の中には、やはり青根は誤解しているだけではないかという想像がある。どれだけ青根に懐かれても、わずかな不安は消えない。それは青根にとっても同じだろう。
 だが真実でも、誤解でも、青根がこれは恋心だと主張するうちは応じようともう決めたのだ。二度とあんなふうに泣かせたくないし、そのためであれば付き合うことなど大したことではない。健気な自己犠牲だけではない、青根から大好きだと抱き締められると、二口も嬉しくて幸せで泣きそうになる。ただ、これが自分の中でちゃんと恋なのか、自信がないだけだ。
「……だって、あいつ、泣きながら謝るんですよ」
「え……。」
「お前が誤解だって決めつけたときのことか?」
「そうです。可愛くて大好きな後輩から、『好きになってごめんなさい』て謝られる気持ち、笹谷さんたちに分かりますか? オレ、もう青根をそんなふうに泣かせたくないし……。」
 二口は、そこで言いよどむ。泣いている後輩に対して、泣かせたくないと頑張るのは優しい先輩だろう。自分はそうありたいと願っている。だが、昨日、あの駐輪場の近くで、泣きながら謝る青根と対峙して、二口の中に去来したのはそんな誠実な感情だけではない。
「……それに、ここでその謝罪を受け入れたら、次は、誰に、そうやって謝るんだろうなって思ったら、オレ」
「へ?」
「二口……?」
「相手が男でも、女でも、青根は好きになったらああやって謝るんだと思います。また失恋させたくないとか、そういう褒められた衝動じゃなくて、オレ、青根がオレ以外に好きだって言ったり異常に懐いたり、ましてやキスとかそういうことするの、堪えられそうになかったから」
 だから、繋ぎとめた。他に渡したくないと焦った。
 そもそも、青根がまだ懐いていた頃から、ずっとその葛藤はあった。青根も他のチームメイトやクラスメートたちと仲良くすればいいと願い、そう勧めるのに、自分をずっと一番で特別にしてほしい。避けられるようになって浅ましい願望は潰えたと項垂れていたところに、どれだけ説得しても否定して青根は二口だけをそういう意味で好きだと告げたのだ。
 優越感よりも、充足感が凄かった。やっと青根は自分の特別になってくれるのだと思うと、抗いきれなかった。
「ほんとにいい先輩でありたいなら、可愛い後輩に道を誤らせないためにも応じるべきじゃなかったとも、分かってるんです。応じたにしても、オレはただ青根の思春期を寛容に受け止めてやってるだけじゃなくて、オレの都合とか、欲求とか、そういうのが多分に含まれてて」
「……そう、みたいだね」
「……二口、お前って」
「だから、ほんとは優しい先輩像に酔ってたいんですけど、それもできないっていうのが本音です。理想と現実がかけ離れてる上に、現実の方がオレに甘いんですよ? ほんっと、オレって、先輩とか後輩とか、そういう関係築くのダメだなあって、そう、呆れてはいるんですけど……?」
 話しているうちに、ドタドタという忙しない足音が響いてくる。茂庭たちと共に部室のドアへと視線を向けば、その直後に開け放たれた。
「……!!」
「おわっ!? ……バカッ、急に止まるんじゃねえよっ、青根!!」
 しかも、続いてぶつかる音がした後、ドサッと倒れたのは鎌先だった。どうやら後ろを走っていて、急に止まられて避けきれなかったようだ。だが鎌先の体重でぶつかられてもびくともせず、ドアを開けた状態で立ち尽くしているのは、昨日から恋人になったばかりの青根だ。
「……鎌ち、大丈夫?」
「……なに朝から捨て身のタックルかましてんだよ、いくら腹筋鍛えても頭からぶつかってたら意味ないだろ、つかこれ以上バカになられるとオレたちも面倒みきれん」
「笹谷厳しい!! 朝から厳しい!!」
 部室の入り口に座りこんだまま、鎌先は落ちたカバンを叩きながらそう嘆いていた。笹谷は腕組みをして呆れるだけだが、茂庭は優しいので青根の横をすり抜けて鎌先の横まで足を運ぶ。
「でもさ、どうして二人で走ってきたの? あとなんだかバレー部として恥ずかしいから、早く立ち上がってよ」
 前半に関しては、二口も同感だ。青根に関しては分からなくもない。寝過ごして、焦り、とにかくバス停から部室までの通学路も全力疾走したかったのだろう。だがそれをどうして鎌先も追いかけてきたのか、カバンを叩きながらふいっと視線を逸らしてからやっと説明される。
「……なんか、バスが同じだったんだよ。で、話しかけたのに、青根はずっと頭抱えてて、頷くとかの返事もないし」
「ああ、寝過ごして焦ってたみたいだしね、青根は」
「なのにっ、バスから降りたら急に走り出したんだぞ!? オレ体調とか悪いのかってちょっと心配してたのに、あんな脚力見せつけられて、追いかけるのが精一杯だったのに急に止まるし!! まだ無視してるし!!」
「……。」
「鎌ちだから無視してるんじゃないよ、青根が二口のことしか見えてないの、いつものことだろ? それよりさ、早く立ち上がってよ?」
「嫌だ!! なんか最近オレに冷たい笹谷が引っ張り上げてくれねえと立たねえ!!」
「……茂庭、そいつもう部室前のオブジェかなんかと思って放置しとけ」
「武ちゃんひどい!! 靖志泣いちゃう!!」
「誰が武ちゃんだ気持ち悪い」
「オレも嫌だよ、こんなでかくて鬱陶しくて扱いに困る置き物とか」
「要もひどい!!」
 こういうときだけ下の名前で呼ばないでと鎌先が茂庭に小突かれている間に、やっと青根は部室にゆっくりと入ってきた。だが視線はずっと奥にいる二口に据えたままだ。そうして数歩歩いたところで、青根はハッと気がつき、悲しそうに横のロッカーへと振り返る。
 昨日から、青根のロッカーはそこになったのだ。二口の隣は茂庭である。だからこそ、肩に掛けていたカバンを外し、ロッカーには入れるものの、着替えるでもなくチラチラと視線を送ってくる青根に、二口はため息をついてから軽く両手を広げてやった。
「……!!」
「茂庭さんたちは、もう話しといたから。節度守れるならいいってよ」
 そして端的に告げてやれば、青根はもうベンチも跨いであっという間に二口へと腕を回して抱き締めた。
「んっ……バカ、ちょっと苦しいって……。」
「……!!」
 力強さが、そのまま青根からの慕情だと思う。嬉しくてはにかみつつも、やはり呼吸が苦しい。軽く背中を叩いて緩ませてから、二口からもしっかりと腕を回してやった。
 青根の体温と呼吸、それに軽く汗の匂いも感じれば、昨日のことは夢ではなかったのだと実感できる。
 また懐いてくれるし、ちゃんと好きでいてくれるのだ。うっとりしていれば急にバッと離され、驚いたところでじっと正面から顔を覗き込まれた。
「……バカ、ここ部室だぞ?」
「……。」
「ま、いっか。今は後押ししてくれた先輩たちしかいないし」
 照れるほど熱っぽく見つめられれば、青根が何を求めているのか二口にも分かる。気恥ずかしくなったものの、抗えそうにない。自分の言い訳をしてから緩く顔を傾けただけで、もうキスの許可だと学んだ青根にしっかりと唇を合わせられた。
「んんっ……ん、んぁ……ふ、あぁ……ん、青根……。」
「……。」
 押し当てるだけではなく、すぐに舌を差し込まれてたっぷりと絡められる。濃厚なキスに今度こそうっとりと意識が蕩けていく間に、部室の入り口では別の会話がされていた。
「……二口ってさ、『節度』の意味、知ってるのかなあ?」
「……ぐだぐだ言ってたけど、どう見ても青根にベタ惚れだろ、あれ」
「なっ、なあ、なんであいつら、キ……キ、ス……とかっ、してんの!? やべえ、オレほんとにしてるの生で初めて見た!! なあ笹谷っ、茂庭も、なにあれどういうこと!?」
 むしろ初めて見るのが後輩の、しかも男同士なのはどうかと思うが、しっかりと青根に抱き締められている二口には指摘する余裕がない。笹谷にはキスは抵抗がないと言ったが、むしろ好きだ。もっとしてほしい。青根が望むなら、その先までしたい気持ちもある。自分から誘えるほどの自信はないが、それでも青根から溢れんばかりの慕情と性欲を向けられると、胸も腰も疼いて仕方ない。
「はしゃぐな童貞、単にあいつらは付き合い出したってだけのことだろ」
「は、はしゃいでねえし!? ど、どど童貞とか言ってねえだろっ、証拠ねえだろ!!」
「鎌ちもさ、今日に限っていつもより遅く来るから。二口の話を聞きそびれるんだよ」
「だってそろそろ朝顔の種蒔いたら水やってけって言われて、それで……!!」
「いや早いだろ、朝顔にはさすがに早いだろ、つかめそめそめしてねえでさっさと立てよ、ああもうほんっと、後輩たちより面倒くせえなあっ」
「笹谷ぁ……!!」
「……そうやって、笹谷がまた甘やかすからさあ、鎌ちはずっとこうなんじゃない」
 ようやく笹谷に引っ張り上げてもらった鎌先は、嬉しそうに抱きついている。笹谷は嫌そうだし、茂庭は呆れていた。それでいて、笹谷はしっかりと抱き返してやり、茂庭はジャージについた土を払ってやっているので、甘やかしているのはお互い様なのだろう。
 青根から随分と長いキスを外されてから、二口はぼんやりする頭でそんなことを考える。思考を離しておかないと、妙なことを口走りそうだった。だがそんな逃避も、もう一度青根からチュッと触れるだけのキスをすれば無駄になる。
「んっ……青根、オレのこと、好き?」
「……だいすき」
「オレも大好きっ」
「……!!」
 そうして再びギュッと抱きつけば、すぐにまた抱き返された。
 青根は可愛い後輩で、頼もしいチームメイトだ。そこに、もう一つ、他の誰とも共有できない恋人という肩書きを加えることができた。
 『先輩』も、『後輩』も、ずっと自分とは無縁の関係だと思っていた。
 今でもちゃんと築けているかは分からないが、この可愛くて無器用な後輩を、先輩として、恋人として、めいっぱい愛そうと心に決めた優しい朝だった。







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まず これは何だっていう言い訳なんですけども
6巻の冒頭のキャラ紹介ページ 何故か青根きゅんが「1年」て…
とんだ誤表記だと 思ったのですけども
「あれもしかしてほんとは1年で他がすべて間違い!?」
という そんなノリでやってみたけど そもそも青根きゅんしゃべんないから
全然年の差らしさがないっというか そんな話でした!
鎌先靖志さんごめんなさい!

ロボっぽい何か


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