■もういっかい





「……はあ」
「どうした、二口。悩みがあるなら頼り甲斐のある先輩に相談してみろ」
 それから数時間後、休日練習を終えた部室で二口はため息をついた。悩んでいるというアピールのつもりではなく、疲労からつい出たものだ。だがいつにない言葉で労わってくれた鎌先に感謝して、二口は話してみることにした。
「いや、オレもっと体力つけなきゃなあって思ってて、やっぱ地道に走るとかしかないですかね、茂庭さん?」
「なんで茂庭だよ!?」
「え? だって、鎌先さんが悩みは頼り甲斐のある先輩に言えって言うから」
 実行してみただけですと続けた二口は、またため息をついた。鎌先が騒いでいるのが鬱陶しかったのではない、本当に疲れていた。
 起き抜けに行為を求められて、一回だけだと応じたつもりの二口に青根は忠実に従った。ただ、『一回』の数え方が違っただけだ。認識が違ったとしても、せいぜい青根が出す回数での計上だと高を括っていたが、青根は繋がった回数でカウントする。つまり、完全に抜かなければ何度中に出しても回数としては一ということだ。
 あまりにかけ離れた解釈に、文句を言う声も掠れてしまう。さすがに朝から三度はきついと訴えたが、嬌声はまともな言葉を紡げず結果的に二口は意識が飛びかけた。必死に自制したのは、休日練習があったためだ。特に昨日部室の鍵を借りてしまったので、一番に行かなければと焦っていた二口は、重い腰をおしてなんとか起き出す。先にシャワーを浴びていた青根が手伝おうとするが、これ以上悪戯されると本当に腰が抜けそうだったので頑として断った。
 そもそも、青根は起きて十分で家を出ても問題ないので分かっていないのだ。
 練習がある以上はきちんと食事を取らなければならないし、汚れたシーツも洗濯しておかないとまずい。二口の家族は青根が泊まりくるたびにシーツが洗濯されていても、客用布団を出したためだと今のところは考えているようで助かっている。まさか、二人分の汗と精液でたっぷり濡れたシーツをそのままにして外出などできない。家を出るまでには時間がかかるのだと説明をしても、寝癖すら髪型の一部のような青根は首を傾げるだけだった。
 なんとか家での仕事も終え、朝食も胃にかきこんで玄関を出る頃には、もうだいぶ時間が危なかった。鍵を貸してくれた茂庭の信頼を裏切るわけにはいかないと、二口は学校まで走り続ける羽目になる。切迫感はないが、一緒に居たいので併走する青根が平然としていたのが妙にむかついた。そしてなんとか一番乗りだと荒い息で部室が見えてきたとき、珍しく早起きしたからという理由で同じく鍵を持つ鎌先が寸手の差で開けたことを恨めしく思っているわけではない。
「あ、やっぱり今日は疲れてたんだ? 体調悪いのかなって心配してた」
「茂庭さん……。」
「オレは単に先に部室開けられたことをずっと根に持ってるのかと思ってた」
「……。」
「無視すんなよっ、寂しいだろ!?」
 面倒くさいので返事をしなかっただけだ。だがそれを説明するのはもっと面倒くさく、二口はちょうど思い出したのでロッカーを開けて自分のカバンから鍵を取り出した。
「茂庭さん、忘れててすみません。これ返します」
「あー……ああ、うん、一度もらっとく」
「……?」
 今朝は練習が始まるギリギリの時間に茂庭が来たため、返しそびれていた。だが渡すと茂庭は微妙な反応をする。それに二口も不思議そうにすれば、まだ部室に残っている三人の一年生にその鍵を掲げてみせた。
「こないだ、コーチとかとも話したんだけどね。そろそろ一年生にも一つくらい鍵を預けようかな、て。まあレギュラーのうちの誰かに任せようって話になったんだけど、これ、誰が持ちたい?」
 どうやら昨日の鍵は予備のものだったらしい。確かにいつも茂庭が持っていたものとタグが違ったと二口が思ったとき、いきなりバッと手を挙げたのは青根だ。
「……!!」
「青根だけ? ……小原は?」
「オレは大丈夫です、来たときに二人がいないことってまずないですし」
 一年生で有望視されている三人のうち、まず間違いなく最も真面目な優等生は小原だろう。鍵を管理するに相応しい。だが青根が挙手したからではなく、最初から遠慮するつもりだったようだ。なくすかもしれないと思えば、確かに面倒くさいのかもしれない。だが軽く頷いた茂庭は、二口には尋ねることなく鍵を青根に渡した。
「じゃあ決定てことで。なくしちゃダメだよ」
「……。」
 恭しく両手で小さな鍵を受け取った青根は、何度も頷いている。人間性はともかくとして、練習に向けた態度だけは誰よりも真面目だ。青根はそれ以外のところが面倒くさいだけである。なにより一番の主力だしなと眺めていれば、青根はロッカーを開けてその鍵をカバンへとしまった。
「……おい、それオレのカバンだぞ」
「……?」
「青根が一番なくさないって自信が持てるところに保管するのは、いいことだと思うよ」
 極めて自然に二口のカバンに鍵を戻している青根は、指摘しても不思議そうにしている。茂庭からの言葉には、褒められて満更でもない顔をしていた。
 要するに、最初から二口に持たせるつもりだったのだろう。またため息をつけば小原も苦笑しているので、分かっていて遠慮したようだ。二口が頼られているというより、青根がコートの外ではだいぶ残念だということが浸透している証拠である。誇らしく胸を張れることではないと思っていても、実際に鍵を託されると嬉しくて口元がにやけそうで、困った。
「それでさ、体力がどうしたの? 見てる限りだと、二口は別に体力がない方じゃないと思うけどなあ」
「ああ、まあ……はい、そうなんですけど……。」
 鍵が再び同じところにしまわれてから、茂庭がそう話を戻す。
 実際に、二口も特別体力がないわけではない。それなりに鍛えている自負もある。だがやはりどうしてもすぐ傍に屈強な肉体に驚異的な持久力を持つ男がいると、比べてしまうのだ。ベンチに戻ってくる青根をチラリを見れば、特に疲労は浮かんでいない。もちろん練習の後なので疲れていないはずはないが、少なくとも、二口のように今すぐ泥のように眠りたいとため息が出るほどではない。
「あれか、青根と比べて落ち込んでるんだろ」
「その通りですけど、たぶん鎌先さんの想像とは違いますよ」
「青根は旺盛みたいだしねえ」
「……茂庭さん?」
 また褒められたと思ったらしい青根は、嬉しそうに後ろから圧し掛かってくるが、重いと払い除けておく。すると鎌先たちから可哀想だという非難を視線だけで受け、二口は仕方なく我慢することにした。
 仲直りをしてから、青根はやたら人前でも懐いてこようとする。それを二口は拒絶する。男同士で目立つのだから、当然の対応だと二口は思っていたのだが、何故か他の部員たちから非難轟々だった。
『お前っ、青根が可哀想だろ!?』
『……!!』
『……は?』
『そうだよ、せっかく仲直りできて嬉しそうなのに』
『スキンシップとかできる友達ができて楽しそうなのに』
『街中とかは躊躇したとしても部室でくらいなら好きにさせてあげればいいのに』
『そうだそうだっ、生まれたばかりで母親を亡くした子供が育ての親となった飼育員によって立派に成長するがやがて種族の違いから接触は禁止されて飼育員をいつまでも親だと思って懐きたがって檻の中で寂しく吼えるしかない外見は恐ろしくも悲しい事情を背負った猛獣みたいで可哀想だろ!?』
『鎌先さんの想像の方がよっぽど可哀想というか、珍しく賛同得られてるみたいで余計に可哀想ですけど、要するにオレに人身御供になれってことですか』
 部員たちの中では、二口につれなくされると青根は他の者に懐くと考えているのかもしれない。それは御免被りたいので、素直に懐かせてやれと言っているのだろうか。
 二口が拒否したところで、青根は他の者に同じようには懐かないだろう。二口だから、触りたがるのだ。だがそう反論するわけにもいかず、微妙な顔をしていれば茂庭がおさめてくれた。
『まあまあ、二口も青根に食べられるんなら本望だよね?』
『……キャプテン?』
 ただ、笑顔で確認されても戸惑うところだ。
 茂庭は、何かに気がついているのだろうか。
 実はこれまでも何度かそんな勘繰りをしたことがあり、このときも嫌な予感がしていたのに、吹き飛ばしてくれたのは躾のなっていない獣だ。
『おわっ!? ……バカッ、だから離せって言ってんだろ!?』
『……!?』
『青根、部室の中くらいでならいいよー』
『……!!』
 キャプテンのお墨付きをもらったとでも思ったのか、腕を回してぎゅうぎゅう抱き締めてくる青根に、二口も降参した。下手に拒絶すると、何故か二口が非難の目で見られてしまう。なにより、周りが気にしないでくれるのであれば、青根と触れていられるのは安心するし嬉しい。
 だがそれをまだ見せるのは癪で、いつものように嫌がり、いつものように窘められ、いつものようにため息をつけばいつものように青根がもう一度圧し掛かってきた。若干、本当に重い。腕を回すと無意識に服の下に入れたくなることは覚えているようで、青根の両手は二口の肩に乗せられる。それがどうやら偉そうにマッサージをさせているようにも見えるらしく、従順な青根をこき使っているのかという方向でも優しくするよう助言されて、二口は参ったものだ。
「とにかく、体力をつけたいなら、地道な努力しかないんじゃない?」
「そっスよねえ……。」
「ロードワークなら付き合ってやってもいいぞ?」
「お構いなく」
「だからおめー最近オレに冷たすぎるだろ!? もっと頼れよっ、こんな頼もしい先輩なんだから!!」
 鎌先とは別に家が近いわけでもないし、部活以外でわざわざ落ち合ってもらうのも忍びない。どうせするなら青根の方がいいというのもあったが、純粋な遠慮だったにも関わらず鎌先は何故か最近頼り甲斐とやらが押し付けがましい。それはコートの上だけで充分ですと言ってみようかと思っていると、いきなり鎌先がビシッと指差してきた。
「だいたいなあっ、今朝のことだって、オレはバレー部のみんなのことを思って恐怖に打ち震えながら一番に来たっていうのに、根に持ちやがって!!」
「別に根に持ってないですよ、鍵持って早く来るつもりがあったんならメールでも入れといてくれたらよかったのに、て、気の利かない先輩にがっかりしてんじゃないですよ」
「がっかりすんなっ、次からメールするから!!」
「それより、恐怖ってなに? 鎌ちが一番に来るのって確かに珍しいよね、何かあった?」
 だが茂庭が当然の質問をした途端、鎌先はザッと青褪めた。それまでの威勢が嘘のように消え、やや震えながらベンチへと座り直す。
「……これは、黙っておこうと思ってたんだが」
「じゃあいいです。茂庭さん、笹谷さん遅いっスね?」
「そうだねえ、休日だから校舎に入れないのかなあ?」
「ああ、開いてるドアが限られてるみたいっスよ。遠回りになってるのかも」
「そっか。でもそうにしても遅いよね、机に置いたままだってのが勘違いで、見つからないのかな?」
「おめーらマジでもうオレの話聞けよ聞いてくれよ男子高校生がガチ泣きするぞ!?」
「泣き落としが通じるのは青根くらいですよ」
「……!?」
「……あ、あの、二口、疲れてていつも以上に鎌先さんが鬱陶しいのは分かるけどさ、青根も聞きたそうだから話させてあげたら?」
 真面目な小原からそう促され、二口も仕方なく頷いておいた。しゃべりたいならしゃべれと視線を向けたのに、鎌先は何故か落ち込んでいる。問題児だと分かっている二口からの言葉より、実に真面目な優等生の小原からの指摘の方がさり気なさすぎてダメージが大きかったのだろう。
 ただ、二口もからかいたかっただけではない。鎌先のもったいぶり方からして、話の系統は想像がつく。小原も気づくほど青根が興味を示したのは、当然だ。心霊番組の類があれば、青根はやたら見たがる、聞きたがる。問題は、そのくせ面倒くさいほどの怖がりで、早くも二口の肩に置いた手に力がこもっていた。
「ま、まあ、小原がそこまで言うなら、話してやるけどなっ。……簡潔に言おう、この部室は呪われている」
「……!?」
「……青根、痛い」
「……!!」
「ああ、今の不機嫌すぎる声だけで、鎌ちの話の恐怖を青根は上回ったねえ……。」
 実際に、パッと手を離した青根は焦ったように肩の辺りを撫でてくる。気配だけでも、二口の機嫌を気にしすぎて、呪われた部室への恐怖が薄れているのは明らかだ。それに鎌先は不満そうだが、気を取り直して話を続けた。
「おそらく、女の霊だ。誰もいなくなった夜の部室で、苦しそうに呻いている」
「……!!」
「そんな定番な……。」
「七不思議みたいなもの? 先輩たちとかから聞いたことはないけどなあ……。」
 高校の部室なのだから夜になれば無人なのは当たり前だろうと言いかけたが、それ以前の問題のような気もして二口は呆れておいた。
 大方、白い影を見ただとか、泣き声を聞いただとか、友達の友達から聞いたという噂話だろう。肩を撫でていた青根の手が、またギュッと掴んでくるので不確かな情報をばらまくのはやめてほしい。そう呆れた二口に、ゴクリと唾を飲み込んでから鎌先が告げた。
「……実は、オレが見たんだ」
「……!!」
「え。……鎌先さん、頭大丈夫ですか」
「鎌ち、練習のしすぎで疲れが……?」
「鎌先さん、今日はもう休まれた方が……?」
「なんでいきなり真顔で心配してくるんだよっ、喜びかけたじゃねえか!!」
 要するに、その幽霊だか何だかを目撃して、確認のために朝一番にやってきたらしい。もしかすると除霊するくらいの意気込みだったのかもしない。だがそんな男気を見せる前に、そもそも本当に幽霊だったのかを確かめた方がいいのではないか。怪訝そうに見つめる二口に、鎌先はやや顔を青褪めさせて頭を抱えた。
「いや、あれは絶対に幽霊だ!! ……誰も居ないはずの部室で、明かりがついて、影が揺れていた」
「……は?」
 それほど恐怖しているので、少なくとも鎌先が信じるくらいの要素はあるらしい。そう考えて耳を傾けたものの、二口は早速指摘してしまった。
「それ、本当に誰かが居ただけじゃないんですか」
「違うっ、あんな遅い時間に誰もいるはずがねえ!!」
「でも、部室の明かりはついてたんですよね?」
「ああ。だが、ドアは開かなかった」
「じゃあ電気を消し忘れて部室を閉めちゃっただけですよ」
「それなら窓に映ってた人影は!? 苦しそうな掠れた声は!? あれは絶対この世に未練を残して死んでいった女の幽霊だ!! こわい!!」
「……!!」
「青根がほんとに怖がるんで、そういう非科学的なことを叫ぶのやめてもらえますかね、鎌先さんの顔の方が怖いし」
「……ねえ鎌ち、それ、いつの話?」
 呆れ返っている二口と、その後ろで怯えきっている青根を交互に見てから、何故か茂庭が穏やかに尋ねる。すると、鎌先は青褪めたままで答えた。
「いつって、昨日だ、昨日の晩。オレ、忘れ物して午後の九時過ぎに戻ってきたんだよ、そしたら」
「……!?」
「おあっ!? ……バカッ、青根、マジで苦しい腕離せ!!」
「昨日……そっかあ、昨日、かあ……。」
 何故かしみじみと頷く茂庭と、腕を回されて痛がる二口。青根は少しびびりかけていたが、二口が文句を言えばやはりまた注意はそちらに移る。
 小原だけは神妙に聞いてやっていたのに、鎌先は不満だったらしい。いきなりビシッと青根の斜め後ろを指差すと叫んだ。
「ほらっ、今もそこに!!」
「……!!」
「ぐえっ……!!」
「……!?」
「あっ、青根、怖いのは分かるから!? 二口の首がほんとに絞まってるから、腕緩めてあげて!?」
「……なんて恐ろしい呪いなんだ、また一人可愛い後輩が犠牲になるとは」
 白々しいことを言って手を合わせてくる鎌先に、酸欠の中で二口は復讐を決意した。
 もちろん息苦しかったし、単純に痛い。やったのは青根だが、煽ったのは鎌先だ。茂庭からの言葉で慌てて腕を外した青根は、完全に青褪めている。幽霊より、呪いより、二口に嫌われることに恐怖していた。
 やっと解放されて大きく咳き込んだ二口は、一度ベンチから立ち上がってロッカーへと向かう。そして自分のカバンから携帯電話を出すと、萎縮しきっている青根に笑顔で手を伸ばした。
「……大丈夫だ、青根」
「……!?」
 叩かれたり、抓られたり、仕返しを当然予想していただろう。甘んじて受けることで許されるならと体を硬直させていた青根を、二口はギュッと優しく抱き締める。仲直りして以降、他の部員たちに非難されるので仕方なく懐かせることはあっても、こうして二口から手を伸ばすことはまずない。しかも、ベンチに片膝をつくようにして、正面からなのだ。困惑と昂揚でまだ緊張している青根に、二口は更に笑顔で慰めておいた。
「幽霊とかいねえよ、少なくともこの部室は呪われたりしない。万一のときはちゃんとオレが守ってやるから、あんまり怖がんな」
「……!!」
「……でも、意外だよねえ。青根って幽霊とか平気かと思ってた」
「たぶん、随分前から遠くに見えてて、ゆっくり近づいてきたら普通に挨拶とかできると思うんですけど。ああいうのって、いきなりじゃないですか。見た目とか得体の知れなさとかじゃなくて、単純に、大きな音とか急に現れるとかっていう『唐突さ』にびびるみたいです」
「ああ、なるほどねえ……いや幽霊がゆっくり近づいてきても挨拶しないでよ、周りがびびるからさ」
 怒ったりしていないと分かれば、青根はもうそれだけで安心したようだ。すると、二口を正面から抱き合っている状況に興奮したようで、青根からもしっかりと背中に腕を回してくる。やや苦しくて恥ずかしいが、今は懐かせておいて二口は青根の背中で持っていた携帯電話を操作した。
 青根には怒っていないが、鎌先は許さない。
 もう立ち直ったのかとつまらなさそうにしている鎌先には、写真を添付しただけのメールを送信しておいた。
「ん? ……ギャー!?」
「……!?」
「鎌ち、どうしたの?」
「鎌先さん、だから急に大きな声出さないでくださいよ。可愛い青根がまた怖がるじゃないですか」
「二口、お前……あんな写真、よく……。」
 送信する際に写真を選択していたのが見えたらしい小原だけは、携帯電話に届いたメールを確認して悲鳴を上げる鎌先に同情していた。以前、青根の写真が欲しいと言っていた鎌先なので、ちょうどいいだろう。それが制汗剤を持って得意げにしているものではなく、真っ暗な教室で撮影したことで送信された妹が恐怖で泣いたものだったとしても、二口にとっては大切な一枚だ。
「二口っ、おめーなんでこんな写真をいきなり……こわい!!」
「あと、明日以降に鎌先さんのロッカーが突然塩でまみれてたりするかもしれませんけど」
「なっ……!?」
「……!?」
「青根、心配すんなって? そのときは、オレがやっただけだから?」
「……。」
「青根もそこで安心すんな!! つか呪いの正体はやっぱおめーかよ二口!!」
 昨日の夜九時過ぎに戸締りされた部室で見た影というのは、確実に自分だろうと二口も分かっていた。特に声に関しては、青根は最中でもまずしゃべらないので、聞こえたとすれば間違いなくそうだ。
 掠れて苦しそうな声を、鎌先は死して尚恨みを持つ霊のものだと判断した。実際には、快楽に溺れての喘ぎ声だった。解釈がかけ離れていても、聞かれていたことには変わりない。気恥ずかしさからため息をついて青根の肩に顔を伏せてみたが、そこでふと気がついた。
「……あれ?」
「おい二口っ、無視すんな!!」
「鎌ち、もうやめときよ。幽霊はほんとにいなかったんだしさ……。」
「青根、お前、このジャージ……?」
「……?」
 背中に手を回したとき、妙にぴっちりしている気がした。それぞれが四月に購入したものだが、多くの部員は長く着ることを想定して大きめのサイズにしている。青根もそうだった。元々が大きいこともあり、二口よりも一つサイズが上だ。
 練習中は暑いらしく、この時期でもすぐに上のジャージを脱いで半袖Tシャツになる青根だが、その前後ではしっかりとジッパーも上まで閉めている。気になって背中から肩へと手を置き直し、ぐいっと体を離させてまじまじと眺めた。
 すると、明らかに昨日よりジャージがぴったりしていた。全く余裕がない。だが急に青根が成長したわけでも、ジャージが縮んだわけでもない。他に考えられるとすれば、昨日とはジャージが別物ということだけだ。
「……お前っ、これオレのだろ!?」
「……?」
 よく見れば、青根の肩に置く自分の手は、袖から指先しか出ていなかった。
 二口もまた、練習中はジャージの上をほとんど着ないので、気がついてなかった。最初から中に長袖を着ているので、動くとすぐ暑くなるのだ。そして練習後も袖を通すだけで前は閉めないため、少しいつもと違うという感想はほとんど意識に残らない。
 だがそれを指摘すれば、青根は不思議そうに首を傾げる。間違えていることに納得できないのかと思いかけて、そうではないと二口も分かる。
「お前っ、朝から気づいてたんだな!?」
「……。」
「やっぱそうなのかよ!! だったら言えよ、なんで黙ってたんだ!!」
 非難してみたが、あまり意味がないことは二口にも分かっていた。朝は着ても部室から体育館までだし、二口にとっては大きめのジャージが、青根にはぴったりなので着れなくはないのだ。練習が終わってからも、どうせすぐに着替えると思っていたので、わざわざ指摘して互いに脱ぎ、交換するまでもない。言葉にすることが苦手な青根がそれをおしてまで頑張るはずがないとため息をついたとき、肩に置いた手を外され、指先をギュッと握られた。
「あ?」
「……かわいい」
「バカ!!」
「……!?」
 どうしてジャージが間違っていると、言わなかったのか。
 着られるので困っていなかっただけではない、言うほどもなかっただけではない。今は二つサイズが大きいジャージを羽織っていることになる二口が、可愛いと思ってご満悦だったらしい。
 指先と袖口を一緒に握られ、簡潔な言葉で理解した二口は思い切り叫んで青根の手を振り払う。今度は驚いているのが、本当に腹立たしい。
「しかも、自分のを着てるっていうのが、青根にはポイント高いんだろうねえ……。」
「そういうの、地味に喜びそうですもんねえ……。」
「なあ、お前ら何の話してるんだ? つか、青根が『可愛い』て言ってたのって? 男が萌え袖とかしても可愛いわけないし、ましてや二口だし、顔は良くても二口だし」
「鎌ちには分からない世界だよ、というか鎌ちが萌え袖とか知ってる方がオレもびっくりしてるんだけど」
 周りが勝手なことを言っている中で、二口は青根の首元に手を伸ばす。
「いいからっ、返せ!! 脱げ!!」
「……!!」
 ジッパーを下ろそうとすれば、青根がさっと身を引いた。だがベンチに座っているので、逃げるのにも限界がある。太腿辺りに足を乗せてぐっと押さえ込めば、青根はベンチで仰向けに転んだ。そもそもよほどのことでなければ二口が強く言って従わない青根ではないし、今回は特に間違いを正すためなので抵抗はしないだろう。だが不満だとばかりに口をへの字にされ、視線を逸らされる。だが二口も譲る気はなく、ジッパーに手を伸ばしたところでいきなり部室のドアが開いた。
「悪い、遅くなっ……?」
「ああ、笹谷、おかえりーっ。校舎に入れなかった?」
「遅えぞっ、笹谷。待ちくたびれただろ」
「笹谷さん、お帰りなさい。ところでジャージのまま残るようにって、一体何の用事なんですか?」
「……お前らが驚いてないのは、オレとは認識が違ってたのか、それともオレが要綱とカメラ取りに行ってる間にソレを自然に流せるほどのことがあったのか、どっちなんだ」
 茂庭と鎌先、それに小原が出迎えていても、笹谷の視線はこちらに向いたままだ。声をかけ損ねた二口は青根の腰を跨いだままで首を傾げるが、いきなりぐらっと姿勢が傾いた。
「おわっ!? ……あ?」
「……。」
「そんで、今の青根の行動も、先輩の前で寝転んだままでは失礼だっていう意志なのか、それとも腰の強さをアピールすることでオレの認識の正しさを示してくれただけなのか、よく分からねえけど。取り敢えず、そのポジショニングに二口も違和感がないことだけは理解した」
「はあ……?」
「二口はジャージを間違えて着てる青根に、脱がして交換しようとしてただけだよ。まあ、そもそもジャージをどうして間違えられるのか、よっぽど朝急いで乾燥機とかから出したんだろうなあとは鎌ち以外は気がついてるから、それは流してね」
「ああ、了解」
「なんで急いで出したら間違えるんだよ、同じ乾燥機に入ってるわけでもあるまいし」
 本当に鎌先だけが首を傾げている間に、二口は慌てて青根の腰から下りた。向かい合って腰を跨いで座り、青根の手が背中に回るような姿勢は確かに慣れきっている。自然すぎて、反応できなかった。下手をすれば、唇を寄せられても受け入れられたかもしれない。あまり懐くなと頭をはたいて少し離れた二口は、まずは自分からジャージを脱ぐことにした。
「そ、それで、笹谷さん、そのカメラとかって……?」
 一年生のうち、用があるので着替えずに残れと名指しで言われたのはこの三人だけだ。必要なものを教室に忘れてきたとかで、笹谷は取りに行っていた。結局何の用事かと尋ねながら二口は脱いだジャージを差し出せば、青根は不満そうにする。ぐいっと更に突き出すと、ハッと気がついた青根はそのジャージを受け取った。
 次は青根が今着ている方を脱いで返せと思うが、青根は受け取った方のジャージに顔を近づける。
「……ほとんど着てねえから、汗臭くはねえだろ」
「……。」
「がっかりすんなっ、バカ!!」
 残念そうな目を向けられても、二口も困るだけだ。諦めたように青根も二口のジャージを脱ぎ始めた頃、茂庭が説明をしてくれた。
「あのね、うちの学校、新聞部とかはないんだけど、広報紙みたいなのは生徒会が一応やってるんだよね」
「ああ、教室で黒板の横に貼ってあるやつですか」
 あまり興味がない二口でも知っているのは、時間割やテストの日程など、自然と目がいく場所の近くにいつも掲示されているためだ。そういえば、毎月学級委員が貼り替えていたような気がする。やっと返してもらえた自分のジャージが青根の体温で温まっているのを、どこか気恥ずかしくなりながら袖を通す。
「その広報紙って、学校行事があればその記事が中心なんだけど、それ以外にも毎月部活紹介してるんだよね。知ってた?」
「いえ、ちゃんと読んでなかったので、全然……。」
「で、バレー部は来月なんだよ。だから、記事にするための文章と写真、生徒会から頼まれてさ」
 笹谷が持ってきたクリアファイルにはその説明の用紙が挟まれており、カメラは写真提供用のものなのだろう。よく見れば、やや古いタイプのデジタルカメラには『生徒会用』というシールが貼られている。
「運動部は二学期以降に載ることが多いから、代替わりした新体制の紹介と、あとは期待の一年を載せるのが定番だ」
「へえ……。」
「まあ、結局二年連続で同じメンツが載ることがどの部も多いんだけどね、期待の一年てことは次期キャプテン候補ってことだしさ。ともかく、そういうことで、オレたち二年生だけじゃなくて、一年生も二・三人よろしくって生徒会から頼まれて、今日は残ってもらったんだ」
 笹谷と茂庭の説明で、二口もやっと理解できた。鎌先は納得したように頷いているので、二年生の中でも認識の差はあったらしい。クラスが違うだけならばいいが、本当に教えられていなかったのであれば可哀想だ。そんなことを二口が思っていると、別の声がおずおずと尋ねる。
「あの……それ、オレも、ですか? 生徒会からの指定が、『一年生は二人か三人』だったなら、青根と二口だけでもよかったんじゃ?」
 実を言えば、似たようなことを二口も思っていた。実力で言えば、青根が突出している。期待の一年生として選ぶなら外すわけにはいかない。だがその次となった場合、確かに二口か小原だろうが、無理に三人とする必要はない。二人でいいならば、自分ではなく小原ではないかと、二口は内心で不思議だったのだ。
 なにしろ、小原は真面目だ。練習に対してのみ真面目な青根や二口と違い、それ以外でも、特に先輩に対してでも、非常に真面目な好青年だ。次のキャプテンを選ぶときは、青根ではなく小原の方が確実に上手くいくだろう。そんなことまで考えるくらいなので、実力は拮抗していたとしても、それ以外の評価で小原が紙面に載ることは自然である。
 そう思うからこそ、小原の言葉には二口も驚いた。
「小原、お前そんな謙遜しなくても……?」
「そうだよ小原っ、三人でなくちゃいけないし!!」
 だが二口が言うより、先輩の方が説得力もあって嬉しいだろうと思ったが、微妙に違った。
「え、でも、生徒会からは二人でもいいって指定なのでは……?」
「お前、考えてもみろ。二人ってことで青根と二口にしたら、バレー部はどんなホストクラブと用心棒だってびびられるじゃねえか」
「……あの、笹谷さん?」
「笹谷の言うとおりだよ、それでまさかの青根一人の大特集にしたらバレー部って顔の怖さで勝ってんのって言われそうだし」
「……あの、茂庭さん?」
「でもよ、それで小原も入れて三人にしたら、『ああこの真面目そうな子も裏では何してんだか』みたいに思われそうじゃね?」
「……鎌先さん?」
「ああ、それはそうかも……でも、そんなリスクを取ってでも、バレー部の名誉のために中和剤となってくれる小原に、オレは感謝してるよ……。」
「茂庭さん……!!」
 いつもはそれほど感情の起伏が激しくない小原が、やけに感動している。先輩たちからの励ましに喜ぶのは勝手だが、実にいい笑顔で振り返られても困る。
「二口、青根も、オレで役に立てるなら喜んで協力するから!!」
「……?」
「……うるせえよハゲ」
「ハゲじゃないっ、ボウズだ!!」
 ジャージを交換した後は自然と腕を回してきた青根に、二口はまたベンチに腰を下ろしていた。懐かせている青根はよく分かっていないようだが、二口は呆れてぼやいてしまう。さほど悪口を言ったつもりではなかったが、間髪入れずに怒鳴り返されてやや驚いた。
 小原は短すぎる髪型を気にしていたらしい。それならば伸ばせばいいのにと面食らっていれば、頼り甲斐のある先輩が今度はまともに宥めてくれる。
「まあまあ、小原も。中和剤になってほしいのはほんとだけど、実力で選べばこの三人なのも事実だからさ?」
「は、はいっ、ありがとうございます!!」
「てことで、まずは写真の前に、紹介文を考えてほしいんだよね」
 笹谷から受け取ったプリントを茂庭が差し出し、見る気がない青根を除いて全員でそれを眺めた。
 部活全体の概要や戦績などは、生徒会が文章を作ってくれるらしい。既に出来上がっており、内容を確認してほしいという一文もある。ちゃんと目を通していないが、大きく丸がついているので茂庭たちが既に承諾を出しているのだろう。
 考えるべき紹介文とやらは、期待の一年生に対して、それぞれつくもののようだ。先輩側からの説明でも、本人からの意気込み等でもいいらしい。一年生が三人の場合、写真などのスペースから一人につき紹介文十文字までという制限がある。そんな短いものであれば勝手に考えてくれればいいのにと思うが、茂庭はどこか複雑そうにしていた。
「一昨年はね、もちろんオレたちは入学前だけど。当時の二年生に任せたら、悪ふざけがすぎて大変だったらしいんだよ」
「はあ、まあそういうこともありますよね……?」
「それで去年は、引退した三年生たちが自分たちの悲劇を繰り返したくないからって、自分で考えていいよって言ってくれたんだ」
「それなら……?」
「……で、今年はその過ちを繰り返さないために、ちゃんとみんなで決めようってことにしたんだよね」
 上級生が勝手に決めてひどい文章になったというのはまだ理解できるが、自分たちで決めて後悔したというのは、どういうことなのだろう。数ヶ月でも一緒に部活をした今の三年生は、後輩から提出された文章を変えて載せるとは思えない。茂庭たちの表情からも、一語一句そのまま掲載されたことを悲劇だと思っているからこそ、今回は一緒に考えようと提案してくれている。
「ちなみにこれが去年の広報紙なんだけどさ」
「……茂庭っ、なんでそれを!?」
「見本って書いてあるから、生徒会から資料としてついてきたんじゃないですか。……て、鎌先さん?」
 ただ、悲劇の度合いはそれぞれ違ったようだ。下の紙を出してきた茂庭に対し、鎌先は頭を抱えている。その反応に青根も興味を引かれたようで、一年生の三人で覗き込めば、この提案も分かる気がした。
 去年の期待の一年生として紹介されたのは、三人。
 茂庭、笹谷、それに鎌先なので、やはり同じになることが多いのは事実らしい。バレー部全体の紹介が最も大きく、続いて新体制になったキャプテンなどの紹介がある。その下に、去年の一年生たちの記事があった。やはり一人につき十文字の制限があったにせよ、それは随分と冒険的なものだ。
「……茂庭さんの、『ケンカしないで。』は、まだしも」
「それ一番マシなのか!? そうなのか!?」
「……笹谷さんの、『起きてます。』も、まあ、分からなくはないですけど」
「小原やっぱお前もオレが眠そうとか思ってたのか」
「……『カミソリ』?」
「うわあああああああああああああああああ!!」
「……!?」
「鎌先さん、オレの青根をびびらせんなって散々言ってるじゃないスか、マジでロッカーを塩釜にしてやりますよ」
「そうだよねえ、『カミソリと呼ばれる男』て書かれても、呼ばれたことないのにねえ」
 鎌先の絶叫に青根がやたらびびるのは、声の大きさより、昨日見たという幽霊に取り憑かれたのではないかという不安があるからだろう。再びギュッと腕を回してきた青根はため息混じりに抱き返しておいて、二口は茂庭に頷いておいた。
「まあ、去年の鎌先さんには、これが格好いいと思えてたんでしょうし。蒸し返すのは可哀想だから、鎌より小さな剃刀て呼ばれたいらしいことは忘れてあげましょうよ」
「……死ねっ、去年のオレ、死ね!!」
「去年の鎌ちが死んだら、今の鎌ちも死んじゃうだろ。それより、今年の一年にはオレたちの、というか鎌ちの悲劇を繰り返させたくないし、ちゃんと来年見ても恥ずかしくないの考えてあげようよ」
「……。」
「あ、茂庭さんの言葉がトドメ刺したみたいですよ」
 結局のところ、茂庭や笹谷も、さほど後悔はしていないらしい。苦笑する程度の恥ずかしさはあっても、鎌先ほどではない。その原因が、どうやら去年の二年生は一年生からの文章をそのまま載せたからだということになり、この場が設けられたようだが、発端である鎌先は魂が抜けたように虚空を見つめていた。それにまた青根がびびっているのが分かり、ヨシヨシと頭を撫でつつ二口は尋ねる。
「じゃあ、自己紹介を十文字で作ればいいんですよね? 普通に『頑張ります』とかじゃダメなんですか」
 ありきたりだが、一周回って目立つかもしれない。奇を衒い過ぎるよりいいと思ったのだが、茂庭も笹谷も首を傾げる。
「それじゃ、あまりに普通じゃないかなあ……。」
「面白味に欠けるよなあ……。」
「そういうとこが去年の鎌先さんを止められなかった原因のような気がしてますけど、じゃあ、どうします? 他のヤツのを考えるパターンにしますか?」
 去年のことも、本人が本人のを考えたことで起きた悲劇だ。それを避けるため、二口はまず小原を指差した。
「『五分刈りドリーマー』?」
「……。」
 すると、小原は青根を指差す。
「『トーテムポール猛獣』」
「……?」
 珍しく流れを理解したらしい青根は、抱きついたままで二口を見上げた。
「……『かわいい』」
「却下」
「……!?」
「せめて最後まで言わせてあげなよ……。」
「そうだぞ、気になるだろうがっ」
 続いた言葉がたとえどんなに格好良かったとしても、『可愛い』の段階で認められないので二口は青根の口を手を塞いで黙らせた。青根も驚いているが、二口から手を伸ばされるのは大好きなのでむしろ喜んでいる。喜ばせすぎると暴走されるためほどほどで手を離した二口は、笹谷が持ってきていたシャーペンを借りて余白にさらっと書いてみた。
「じゃあ、もうこの辺でいいんじゃないんですか。十文字で個性と無難を同時に出せるのは、難しいですよ」
 覗き込んだ面々は、何故か感心している。ようやく魂が戻ってきたらしい鎌先にも納得されると、これが採用されれば来年自分たちは後悔するのだろうなと二口は今から覚悟をした。
「……いいんじゃないかな、分かりやすいし」
「……統一感もあるし、嘘やはったりでもないし」
「……誰かが一人だけ飛び抜けて恥ずかしいとかもないし」
「オレはいいよ。青根は?」
「……。」
「じゃあ決定だね」
 考え込むほどどつぼにはまりそうだが、だからといってこんなに適当でいいのだろうか。提案しておきながら不安になるが、反対するほどでもない。戸惑っている間に茂庭は二口からシャーペンを受け取り、生徒会への提出用にもしっかりと書き込んでしまった。
 その間に笹谷はデジタルカメラを起動させている。本当に紹介文は決定で、次は写真を撮るつもりらしい。
「じゃあ、全員ジャージの前は閉めて、身だしなみ整えろ」
「ていうか、撮るなら朝言ってくださいよ、髪もちゃんとセットしたのに……。」
「……それはオレと青根への嫌味なのか?」
「へ? 青根はあれでも今朝はオレがちゃんとセットしてやってるけど?」
 ハゲ発言からどうにも小原の当たりが厳しい気もするが、二口はいつもは開けているジッパーを上げながらそう答えておいた。すると、小原だけではなく、茂庭たちも全員不思議そうに青根へと視線を向けた。普段と違うようには見えないし、整髪剤を使うような性格とも思えないからだろう。それは二口も理解できるので、軽く自分の髪を手櫛で整えてから、まだベンチに座っている青根の髪を梳いてやった。
「走ったり、練習したりしてるうちに、乱れるんですよ。髪質が硬いんで上がったままだし、分かりにくいですけど」
 ちなみに今朝はあまりに時間がなくて、髪のセットも適当だった。そんな日に限ってと思うが、本人が思うより周りは気がつかないことが多い。青根に至っては、そもそも気にしないだろう。立てと腕を引っ張っていれば、感心したように茂庭が言う。
「へえ、そうだったんだ。……というか、青根の方こそ面倒くさがってボウズとかにしそうだけど、よく考えたらおしゃれだね」
「……。」
 運動部ではボウズが基本のところもあるが、少なくとも伊達工業のバレー部は髪型は自由だ。長すぎなければ校則としても問題はない。だが中学の名残だったり、面倒くささだったりして、ボウズにしている部員も一人や二人ではない。その筆頭でもおかしくないのに、青根は短髪だが決してボウズと呼ばれるような髪型でもない。それを茂庭はおしゃれだと褒めたが、実際には違うだろう。
「……茂庭さん、青根がボウズだったら洒落にならないくらい今より怖いと思うんスけど」
「え。……あっ、それもそうか!?」
「……!!」
「想像しただけで、一瞬ぶるっちまった……。」
「オレはまだ見た目優しいボウズだったんですね……。」
「まあオレは青根がボウズでも構いませんけど。……でも、今くらいのがセットするために構ってやれるから、好きだけどな?」
「……!!」
「……絶対、二口も青根がボウズなの嫌がってるだろ」
「……そりゃあ怖くないはずがないよ、想像しただけでも」
「……でも青根はすっかり騙されて嬉しそうに頷いてますよね」
「一年、そろそろ並べ。写真撮るって言ってるだろ、小原が真ん中でな」
 撮ることに異論はないが、位置を指定されて二口は首を傾げた。取り敢えず指を差された壁側へと進みながら笹谷に尋ねてみる。
「三人一緒に撮るんですか?」
「個別でも集合でもいいってことだけど、一人ずつだと青根の怖さが引き立つだろ」
 それには非常に納得する。ちなみに、去年の一年生も集合写真だった。鎌先と笹谷が睨み合っており、それを茂庭が困った様子で止めようとしている。三人の性格がよく出ていると思うが、それを採用するのもどうなのだろう。もしかするとあの写真も後悔しているのかもしれないと思えば、立ち位置も従うべきだ。
「小原が真ん中として、オレはどっちに? 右ですか、左ですか」
「それはどっちでもいい。要するに、お前と青根を並ばせないためだし」
「……なんでですか?」
「怪しいオーラが写りそうだから」
「……!?」
「……青根、心霊写真とかそういう意味じゃねえから。怯えてねえで、いつもみたいにキリッとして立ってろ」
「そろそろ撮るぞー」
 まだ鎌先の幽霊話が尾を引いているのか、笹谷の言葉に青根は怯えている。だが、確実にそういう意味ではないだろう。だがそうであれば、そんなことを心配されるほど筒抜けかと別のため息が出る。
 それでも、いつまでもごねていても仕方ないので、二口はカメラを構える笹谷に向き直る。
「笹谷さん、ただ突っ立ってるだけでいいスか」
「そうだなあ……肩組んで、腕が余る両端はガッツポーズとか、気合い入ってそうでいいかな」
 ありがちな写真だが、運動部としては分かりやすい。小原が腕を回してきたので二口からも回し、空いた手は拳を握ってみせる。青根も反対の手で同じような格好をすれば、笹谷がひらひらと片手を振った。
「よし、じゃあみんな、こっち見ろ。……せーのっ」
 少し遅れて、フラッシュが光り、シャッター音が響く。笹谷が手招きするので近づいていけば、撮ったばかりの画像を見せられた。
「……青根、お前なんでこっち見てんだ」
「……。」
「……オレ、完全に邪魔者ですよね」
「いいんじゃないかな、性格もよく出てて」
「青根がカメラ向いてる写真の方が怖いだろうしな」
「じゃあ写真もこれでOKてことで。後は生徒会に出しとくから、来月の広報紙を楽しみにしとけよ」
 二口だけはさり気なく撮り直しを要求したが、多数決で負けてしまう。きっと、来年にはどうして真面目に撮らなかったのだと後悔するのだろう。
 それでもごねるほどではなかったし、何より青根に見つめられているのは写真の中でも面映い。これはこれでいいと納得して、二口は着替えることにした。だがカバンに手を伸ばしたところで、ベンチに置きっ放しにしていた携帯電話が震える。忘れて帰るところだったとほっとし、取りに行った二口は届いたメールを見て肩を落とした。
「……今日も帰らねえのかよ」
「……!!」
 このところは一泊が多かったが、両親と妹は祖父母のところに連泊してくるようだ。独り言だけで察した青根が、着替える手も止めて抱きついてくる。泊まりたいという意志を正確に受け取った二口は、昨日と同じように電話帳から青根の自宅の番号を呼び出してから笑顔で画面を見せた。
「自分で連絡するか?」
「……。」
「……それとも、一回に限定されるのと、どっちがいい?」
「……!!」
 鎌先だけは何が一回なんだと首を傾げていたが、他の者は黙々と着替えている。
 ばれているのか、いないのか、やはりよく分からない。
 そう思っていると、青根が珍しく通話ボタンを押した。
「青根……?」
「……。」
 自分で連絡するのかと思ったが、青根は呼び出し音が鳴り始めた携帯電話を手ごと握って二口の耳に当てさせる。やはり話すのは嫌らしい。自分とするのを減らされる方がいいのかと不機嫌になりかけたところで、電話が繋がってしまった。
「……ああ、二口です、こんにちは。えっと、実は」
「……。」
 昨日は母親だったが、今日は父親が出た。名乗ったところで丁寧な挨拶を返され、更に外泊をあっさり許可される。もちろん恐縮しており、また謝礼を持たせると繰り返す父親と話している間も、当の息子は後ろからしっかりと二口に抱きついていた。
 この両親から、どうしてこんな無口な子供ができたのだろう。一人っ子のようなので、甘やかしすぎたのが原因だろうか。電話を終えると、二口はいつも不思議になる。だが肩越しに振り返れば、気配も表情も、すべてが饒舌だった。
「……言っとくけど、今朝のは『三回』だからな」
「……!!」
 一回と制限されたところで、また抜かずに頑張ればいい。そう考えているのが分かって二口が釘を刺せば、青根はかなり驚くが、しばらく悩んでから、大きく頷いた。
 どうやら、さすがに青根も疲れているらしい。それでも一回はしたいと言うだけ凄いのかもしれないと感心した二口は、青根が至った結論にまだ気がついていない。
 一回しか出してはいけないのであれば、それまでに散々愉しめばいい。
 二口の方に制限はないので、キスや愛撫だけで何度も果てさせる。そろそろ失神しそうになってから、繋がって、限界まで揺さぶる。ある程度高められた二口は軽い刺激でも達するようになるので、青根が一回出すまでに三度はいけるだろうという予測が立っていた。
 青根は自分が気持ちいいことと二口が気持ちいいことの境界が曖昧だ。要するに、二口がよがっているのを見るのが大好きなのだ。それが可愛くて堪らないのだからと本気で思っている青根は、早く帰るべく自分のロッカーに戻って着替え始めた。
「……練習の前に三度もしてきたんなら、二口も体力があると思うけどなあ」
「そんな話してたのか? 二口も充分化け物だろ、そもそも青根を受け止められるくらいだし」
「そうですよねえ、オレもそう思います」
「なあ、なんでそんな話になってんだ? つか三回ってなんだ?」
 体力に悩む発言の際に笹谷はいなかったが、茂庭のぼやきで察したらしい。同意している小原に対し、鎌先だけはいつまでも不思議そうにしていた。
 そんな周りに気づくことなく、さっさと着替えた二口はカバンを肩に掛け、ロッカーを閉める。
「じゃあ、お先に失礼しますっ」
「ああ、お疲れ」
「お疲れさんっ」
「また明日な」
「だから三回ってなんだ?」
 青根も着替え終え、しっかりと頭を下げている。そんな挨拶が終わるのを待ってから、二口は手を伸ばした。
「ほら、帰るぞ」
「……!!」
 繋いだところで、このままでいられるのは部室のドアを開けるまでだ。
 それでも、許されるようになったのが本当は嬉しい。
 すぐに手を重ねてきた青根と共に、今日も同じ家まで帰ることができる。そう思うだけで弾みそうになる胸を必死で抑えながら、二口からもギュッと握り返した。




 翌月、生徒会の広報紙がいつものように各クラスに配布される。学級委員が時間割の横に貼ったので確認してみれば、茂庭たちはあの日決めた通りにそのまま提出したようだ。
 ただ、二口にも一つ誤算があった。写真はともかく、紹介文は『鉄壁1号』『鉄壁2号』『鉄壁3号』というそのままだったが、名字の所為なのか小原ではなく二口が二号にされていた。おかげで、クラスメートたちからはからかうように『二号くん』と呼ばれる。
 それでは、なんだか愛人のようで嫌だ。
 自分が本妻なのだと反論できるはずもなく、しばらくは溜まったストレスの向けどころがなくて、二人きりのときに何度も青根に『いちばんすき』と言わせてやっと二口も落ち着くことができた。











<<BACK

鎌先さんはハブられているのではなく、ピュアだから周りが気を遣ってるだけです。たぶん!
そんなことより、青根きゅんは可愛いね! はい!

ロボっぽい何か


▲SSメニューに戻る