■ホワイトノート

-03



 
 休日でも部活などで登校する生徒や教師がいるので、校舎内には入れる。だが開いている入り口は限られているし、運動部の場合は部室と体育館、またはグラウンドの往復だけで、まず校舎に寄ることはなかった。
「……。」
「……何してんだ、こんなところで」
「……!?」
 二口も、四月から続けている休日練習で教室がある校舎に行ったことは一度もない。
 しばらく部室の前でしゃがみこんでいたものの、そうしていても仕方ないと腰を上げた。とにかく青根がいそうなところを探すしかない。まずは校内を調べてから、範囲を広げよう。そう考えて二口が足を向けたのは、もちろん少し前まで練習をしていた体育館だ。
 だがそこは部室より前に閉められていた。もう一つの授業用の体育館も同様で、当然グラウンドにも姿はない。食堂や購買がある一画は、休日はそもそも開いていない。やはり校内にはいないのかと門に向かいかけて、少しだけ気にかかることがあり、二口は校舎へと入ってみた。
「部室、もう閉められたから。お前カバン忘れてったろ」
「……!!」
「気づいてなかったのかよ……。」
 授業にも、在籍しているクラスにも、青根は特に執着はない気がした。だからこそいるはずがないと思ったのに、結論から言えば、校舎に入ってすぐに見つかる。
 青根は、教室ではなく廊下にいた。だいぶ日が傾いたので、ただでさえ長い影がますます伸び、壁に映った先はE組ではない。A組の前、いつも放課後に部活へと迎えに来るときに立っていた場所で、青根は呆然としていた。
 相当不審な光景だが、幸いにして校舎内にはほとんど人がいないようだ。特に足音を殺して近づいたわけでもない二口に気がつかなかった青根は、その場所に立ち、廊下からA組の教室をじっと見つめて、何を考えていたのだろう。どうせ分からないと二口は首を振ったが、何故か胸の奥がざわざわとした。それを認めたくなくて、できるだけ平然とカバンを差し出す。あくまで部室を閉めたい先輩に頼まれたのだという格好を貫きたいのに、渡そうとして少し手が触れただけで派手に肩を震わせる青根に、我慢ができなくなった。
「……お前さ」
「……!?」
 あれだけ念を押されたが、謝るつもりは毛頭ない。説明すら、するつもりもなかった。
 だが部室で殺気立っていた気配は嘘のように削げ落ちて、おろおろする青根はまるで一週間以上前の姿のようだ。変えさせる原因は自分が作ったのに、二口は腹立たしくなってくる。今更そんな態度を見せるなと言いたくても口にはできない葛藤で、別のことを尋ねることにした。
「オレが三人兄妹だってのは、知ってるよな?」
「……?」
 何度か家に訪ねてきているし、その際に説明した。二口には年の離れた兄がいて、東京の大学に進学したが、卒業後はそのままそちらで就職した。今は社会人一年生だ。就職先の内定が出たとき、二口の家は祖父母と同居していた古い家から引っ越すことを決める。元より新居を建てる計画があったのだが、兄が地元に戻るか戻らないかで、間取りに迷っていたのだ。
 真ん中である二口はちょうど高校進学の時期だったので問題はなかったが、妹は小学校があと一年ある状態で転校となる。末っ子で人見知りでもある妹はそれがかなり寂しかったようで、続けていた習い事もあり、週に二度くらいは祖父母の家に行くようになった。
 学区が違うとはいえ、車で三十分の距離だ。両親共に前の家の近くの出身で、友人なども多い。そもそも祖父母とも不仲での引っ越しではなかったため、週末に行くと一泊してくることが増えた。それが、青根を気兼ねなく家に泊まらせることができた理由であり、一度も遭遇することがない二口の家族についてちゃんと説明していたつもりだった。
「兄貴は、東京で就職した。それは言ったよな?」
「……。」
 三人兄妹と言って不思議そうにしたのは、知らなかったのではなく、突然の話題に首を傾げただけだ。質問を重ねれば、思い出すような仕草をしてから青根は頷く。
「で、妹は小学生で、お前が来るときはいなくても一緒に住んでるって言ったよな?」
「……。」
「オレ、妹の名前が絵美香だって言わなかったか? ……それが、エミだよ」
「……!?」
 妹がいるという部分でもやや頷くの遅かったので、どうやら弟妹がいることは承知していたが、どちらかまでは覚えていなかったようだ。妹の名前に至っては、初耳だという顔をした。更に、それがメールや電話をしてきた『エミ』だと念を押せば、息を飲むほど驚いた後、青根にしては珍しく言葉が出る。
「……いも、うと?」
「妹だ、まだこんなちゃっちゃい生意気なエミだ。なに誤解してんだよ、まさかオレの彼女だとでも思ってたのか」
「……!!」
「……ほんとに思ってたのか」
 腹の辺りで手を水平に振ってみせたが、妹もそこまでは小さくない。だが兄としては、まだそんな認識の生意気だが可愛い妹である。そう言葉を重ねれば息を飲むほどまた驚いた青根に、二口も茂庭を始めとした他の部員たちの洞察力を認めざるをえない。
「兄貴があっちで入院して、母親が世話しに行ったから、仕方なくオレが妹の面倒見ることになった。つっても、メシの世話したり、休日の習い事にバスで連れてくとかだけどな」
「……。」
「父親と分担だから、仕事の都合でオレになったりならなかったりだから、しばらく自主練習は不参加になるかもしれないって監督とかには了承を取っておいたし、でもそれだって来週には……青根!?」
 部室でもした説明を繰り返しているうちに、ふらりと青根の体が揺れる。そのまま膝から崩れ落ちるようにして廊下に座り込んだ。
 忙しかった理由を聞けを二口は思うものの、正座をするようにして俯いている青根はそもそも全く耳に入っていないようだ。口元が動いている気がしたので、驚いたついで二口も廊下にしゃがみこんでみる。すると、何故か同じことを尋ねられた。
「……いもうと?」
「だーかーらっ、妹だって言って……?」
「……よかっ、た」
「……。」
 念を押されて呆れて頷くと、肩が上下するほど深く息を吐いて、青根はそう呟いた。
 どうやら、本気で彼女と誤解していたらしい。だがそのことより、妹だと判明したことで、ここまで安堵する理由が二口には分からない。
 いや、想像はできる、だがそれはもうありえないことだ。一週間以上前ならばまだしも、あの駅の連絡路で、恋人にならなくていいと告げた二口に心からほっとした青根にはない思考だと否定した結果、導き出せたのはあれほど訝った他人の推理だ。
「……お前、まさか本当にオレにだけ彼女ができてずるいとかって、怒ってたのかよ? 他校の女子をふるように仕向けたからって」
「……?」
 そういう逆恨みに近い心理には陥らないと思うのだが、他には想像がつかなくて、つい鎌先の説を披露してしまう。すると、それまで俯いていた青根がキョトンと不思議そうに顔を上げる。一瞬ドキリとしたものの、二口はなんとか冷静さを保って確認してみた。
「だから、ほら、前に他校の女子からお前が告白されたことがあっただろ? 結果的に、オレがふらせるような形になったし、それを……。」
「……?」
「いや、だから、九月くらいに休日練習の後で、お前女子から手紙もらったよな?」
「……?」
「……オレの家に初めて来て、無理矢理キスされる原因になった件だよ」
「……!!」
 どうやら、青根はすっかりあの子のことを忘れていたようだ。別の見方から指摘してやれば、ハッとした後、何度も頷く。そこは覚えているらしい。そういえばあれは手紙をもらったのが発端だったと、ようやく記憶が繋がっている青根は、到底逆恨みなどしない。そもそも、彼女ができたかもしれない機会があったことすら、忘却の彼方だったのだ。
 では恨む部分がないのに、単純に彼女持ちになったと誤解した二口が羨ましかったのだろうか。そういうことを物凄く感じそうな鎌先ですら、あの程度の嫉妬だった。ましてや青根は彼女を欲しがっていないし、チームメイトにできたからといって羨むことはまずないように思う。
 そうなってくると、また迷宮に戻る。青根の心情が、さっぱり分からない。頭を抱えそうになった二口に、どうやら必死で質問の答えを考えていたらしい青根が、ぽつりと呟いた。
「……ここに、もどりたかった」
「は?」
 一瞬面食らうほど、二口も忘れかけていた質問だ。
 廊下で立ち尽くす青根に、何をしているのかと声をかけた。その答えが、これらしい。
 戻りたいも何も、青根はA組ではない。そもそも、教室ではなく廊下なのだ。だが青根はまさに、かつてはこの場所にいつも居た。不審がられても、そのうち面白がられても、毎日毎日授業が終わると部活に行くためにこの場所に二口を迎えに来た。
「……お前がっ、勝手にやめたんじゃねえか!!」
「……!?」
 まるでその頃に戻りたいとでも言っているかのようだと思ったとき、二口は思わず胸倉を掴んでいた。
 どうしようもなく腹立たしくて、普段の自分からは想像も出来ないような激昂が溢れ出る。
「あんだけ来るなって言っても迎えに来てたくせによっ、いきなり来なくなって!! クラスの奴らからも心配されるし!!」
「……!?」
「だいたいっ、あんだけしっかりオレのこと拒否しといて部活だけは迎えに来たいとか、どういうことなんだよ!! 全然分かんねえよ!!」
「……!?」
「彼女ができたとか勝手に誤解してっ、勝手に怒って、勝手に安心して。戻る気もねえくせに期待させるんじゃねえよっ、お前なんか大嫌いだ!!」
「……!!」
 怒りのままに言葉をぶつけるが、こういう語気では青根にまず伝わらない。それが分かっていても、止めることができなかった。
 全然分からないと、掴んでいた胸倉を突き飛ばすようにして離したが、本当は分かっている。認めたくないだけだ。青根はきっと、自分のことを好きだったのだ。
 もちろん、友達として。
 中学時代には、あるいはいっそ産まれてこの方、両親以外でこれだけ話さないで意志を汲み取れる相手はいなかったのかもしれない。だから懐くし、感謝もする。一緒に居て楽なので、いつも傍に来たがる。友情と思春期が同時に訪れたのだ、混同するのも珍しくはない。それが少し行き過ぎたのも、結局は拒みきれずに許した二口の方により責任があるのだろう。
「……。」
「……。」
 要するに、青根は体ばかり成長した幼い子供だった。
 二口はそんな青根に、友人ではない関係を望んで、互いの齟齬にやっと気がついて破綻しただけだ。
 恋人としては無理だったので、チームメイトとしてだけ接しようと二口は諦める。それは青根も同じだったが、恋人としては無理でも友人には戻りたいという、そんな欲求が捨てきれなかったのだろう。境界が曖昧な青根なので、ずっとそのまま追及しなければキスをしたりする関係ではいられたかもしれない。もっと先に進みたいと高望みしなければ、こんなふうに全部をダメにすることなかったのかもしれない。
「……青根、悪かった」
「……。」
 すべては自業自得だという現実が圧し掛かってきて、やっと二口は謝ることができる。上手くできるか分からないが、もし青根がそれでもと望むのであれば、部活内での通訳役くらいは引き受けてやろう。そう決意した二口は、大きく深呼吸をしてから顔を上げた。
「だから、青根、お前さえよかっ……青根!?」
「……!?」
 静かなのはいつものことなので気にしてなかったが、正座から尻餅をつくような格好になっていた青根は、呆然とこちらを見ていた。暴言が理解できなかったのは分かる。だが、明らかにただ面食らっているだけとは違うのは、その目が潤んで今にも涙が零れそうになっていたからだ。
 驚いた二口にまた驚いた青根は、ビクリと肩を震わせたことで本当に涙が溢れ出す。だがそれにも自分で驚いているらしく、また呆然とし始めた青根に二口は思わず手を伸ばしてしまった。
「お前っ、こんなことで泣くなよ!! オレが泣かしたみてえじゃねえか!!」
「……!?」
「……いや、オレが泣かせたんだけどよ、それは分かってんだけどよ、でも」
 袖でゴシゴシと拭いてやれば、青根は息を飲む。言葉にも驚いていたので、涙が出るほど傷ついたのは間違いないらしい。
 だがそれはそれで困惑する。二口としては謝ったつもりだったし、そもそもこの程度で泣くとは思ってもいなかった。
「えっと、そうだな……オレがクラスのヤツから心配されても、それお前の所為じゃないよな。責任転嫁して、悪かった」
「……?」
「じゃあ、あれか、ほんとは分かってるのに全然分からねえって八つ当たりしたことか?」
「……?」
「……それも違うのかよ」
 不思議そうに首を傾げられるので、どうやら泣いた原因ではないらしい。あるいは、本当に聞き取れていなかったのかもしれない。どちらにせよ、二口も興奮していたので自分の暴言がいまいち思い出せない。五分も前のことではないのに、さっぱり分からない。
 深く考えない性格は、どこか達観して流しがちだ。感情的になってもそれは浅く、表面的な反応が多い。
 そのため、頭が血が昇って自分が何を言っているのか分からなくなるなど、二口にはほとんど覚えがないのだ。わずかに自覚しているのは青根とそういうことをしていた間なので、今回とは種類が違う。
「あとは、なんだったけな、期待させるな、て意味不明なこと言ったり……。」
「……。」
「……あっ、そうだ。大嫌いとも言ったか」
 しかも、なんとか思い出してみても、清々しいまでの子供のケンカだ。いっそ恥ずかしくもなってきた二口は、青根の反応に気が付くのが一瞬遅れた。
「……で、なんでまた泣きそうになってんだよ!?」
「……!!」
「そんなに傷つくか!? 大嫌いって言ったって、それは……!?」
「……!!」
「……あ、いや、その、言いすぎた。よし、大嫌いは撤回する、だから泣くなよ?」
「……。」
 泣きたいのはこちらだと内心で嘆きつつ、できるだけ落ち着いてしっかりと言い聞かせれば、青根もやっと頷いてくれた。
 どうやら、本当に嫌われたくないらしい。あれだけいろいろしておいて随分だと呆れる気持ちも確かにあるが、互いに求めるものが違うので仕方ないのだろう。少し前の妥協を思い出し、二口は続けてみる。
「そうだな……じゃあ、友達に戻る。それでいいよな?」
「……。」
「なんでまた泣くんだよ……。」
 実際には涙は零れていなかったが、青根が動揺したのは確かだ。呆れるより、弱ってしまった。本当に青根のことが分からない。てっきり仲のいい友人としての関係を求めていると思っていたのだが、違うのだろうか。
「……ともだち、だけじゃ」
「嫌だって言うのか?」
 しかも、再び言葉にしてまで否定されたことで、かなり強い意志なのだと示されてお手上げになりそうだ。
 チームメイトとしてなら、今でも揺るぎはない。クラスメートとして求められると、さすがに一年生の間はクラス替えはないので無理だ。他に、自分たちの関係を示す言葉があっただろうか。戻りたいと言っている以上は、過去にはそうだったことで前提で、全く別の新しい関係を築きたいわけではない。
「かといって、恋人は嫌なんだろ? じゃあオレとどうなりたいんだよ」
「……?」
「……恋人は、嫌なんだろ?」
「……?」
「嫌なんだよな!?」
「……!?」
 体を重ねてからたった三日間、しかも青根からの思い込みではあったが、他に思いつく関係はない。やや投げやりな気持ちにもなりながらぼやいたも同然だった二口を、青根は不思議そうに見つめ返した。念を押せば、ますます首を傾げた。だんだん苛立ってきて声を荒げて同意を求めるが、青根は当惑するだけでなく、また泣きそうになってくる。
「お前が嫌だって示したんだろっ、恋人じゃなくていいって言ったらほっとしたじゃねえか!!」
「……。」
「……そこは頷くのかよ、ああもうっ、お前マジで分かんねえっ、いい加減にしろ!!」
 少しだけ、連絡路での反応が自分の悲観的な見間違いというのを期待してしまったが、あれはあれで正解らしい。青根は恋人にならずにすむと分かり、ほっとしたのだ。
 それにも関わらず、恋人は嫌ではないとも示す。意味が分からなくて混乱した二口は、叫ぶだけ叫ぶと、廊下から立ち上がった。
「……!?」
「……お前、ちょっと来い。全部分かるまで、今日はもう絶対帰さねえ」
「……!!」
 ついでに青根の腕も引っ張って立ち上がらせ、二口は教室の中へと引き摺った。
 もちろん一年A組で、後ろのドアから入る。すると奥から三つ目の席が今の二口のものだ。身長の関係で、席替えをしても常に一番後ろなのは変わらない。そのため、青根も迎えに来るときはいつも後ろのドアのところに立つようになった。
「座れ」
「……?」
 椅子を引いて腰を下ろさせ、二口は机をあさって適当なノートを出す。筆箱すら置いたままなので、シャーペンを用意してノートの最後のページを開いた。
 青根は面食らっていたが、大人しくしている。二口の気迫に圧されているだけかもしれない。今はそれでもいいと思いながら、二口は前の席に回ると、椅子を引いて反対向きに跨ぐようにして座った。
「頷くのと、首を横に振るの。あと首傾げるの以外の答えは、ここに書け」
「……。」
「いいか、オレちょっと怒ってるからな。全部白状させるまでは、マジで帰す気ねえから」
「……!!」
 そう脅しても、青根が帰るのだと立ち上がれば身体能力的に止められそうにない。そもそも休日とはいえ見回りが来ていずれ校舎を閉めるのだろうし、目立たないように照明を付けない状態ではもう明るさが乏しい。日が暮れてしまえば終えざるをえないのに、青根は分かっていないのか、やたら緊張した。それを前の席から眺めながら、二口は大きく深呼吸をして、頭を整理してみた。
「……お前、なんで放課後の部活に行く前、迎えに来なくなったんだ」
「……。」
「書け」
「……!?」
 一週間前の件は、自分も混乱しがちだし、どうにも複雑そうなので後回しにする。まずは肩馴らしだとばかりに質問をすれば、青根は反応しなかった。仕草だけで答えられない類のためだ。だが今は可能性を列挙などしてやらないと宣言したばかりだ。ノートを指先で叩いて示せば、ハッと息を飲み、慌ててシャーペンを握った。
「……『おこってたから』、か。まあ妥当だよな、て思いそうになったけど、それならなんで戻りたいんだよ」
「……?」
「違うのか? ……怒ってた、てのは、オレのことか?」
 今度は青根もしっかりと頷く。どうやら二口が怒っていると思い、迎えに行くのはやめたようだ。だがそれはそれで、疑問が残る。
「……怒ってると思って、怖かったから来なくなったのか?」
「……。」
 頷きかけた青根だったが、それを止め、また書き始めた。どうやら怖かっただけではないらしい。
「……『きげんをとりたかった』て、オレのか?」
「……。」
「まあ、それはそうだよな。つか、なんで迎えに来なくなったらオレが機嫌を良くするって思ったんだよ」
「……。」
「……ああ、そういや、前はずっと言ってたか」
 『いつもいってたから』
 忘れていたわけではないのだが、四月くらいまでは、毎日のように呆れたものだ。言わなくなったのは、言っても無駄だと悟ったからである。更に関係が進む頃には迎えに来てくれるのが嬉しくなっていたが、それを青根に告げたことはないので、青根の中ではずっと二口は嫌がっていると思っていたのだろう。
 それを実行すれば、もちろん二口は喜ぶ。きっと機嫌も良くなるはずだ。
 呆れていいものか悩むくらいの単純で矛盾した思考だと思うのだが、青根はどうやら真剣に考えて、実行していたらしい。だがそうした決意で我慢したのに、二口の機嫌は当然良くならない。怒ったままだ。以前のように迎えに行きたいと悩み、先ほどは呆然と廊下に立ってしまった。
 いくら変な思考回路だと感じても、それが青根なのだ、仕方がない。ただ、そういうものだと納得してみると、別の疑問が浮かぶ。
「……つか、なんでオレの機嫌を取る必要があるんだよ」
「……!!」
「部活内では、ちゃんと今までどおりしてただろ? 違うのは、練習の前とか、後とか、部活に関係ないところだよな?」
「……。」
「……それも戻したかったのか」
 傷ついたような目をされるだけで、書かせるまでもなくここは分かった。一週間以上前なら、青根の考え方として採用しやすい類だったことが大きい。
 あっさり頷かれて、二口はまた悩む。半分口実だが、半分は事実として家庭の事情で二口はしばらく部活以外で時間が取れなくなった。それを知らない青根は、二口が怒っているからこそ朝も一緒に行ってくれないし、放課後も一緒に帰ってくれないと考える。早く機嫌を直してほしくて、唯一二口から求められたこと、『いちいち迎えに来るな』という過去の文句を思い出して実行していたようだ。
 そこまでは理解できたが、ここで妹を彼女だと誤解して憤慨した理由は分からない。単に一緒に居る時間を取られることだけを嫌がるのであれば、それは彼女でも妹でも同じだ。誤解を解いたところで、青根の不満は解消されない。
 だが実際には、妹だと分かれば崩れ落ちるほど安堵するし、大嫌いだと口走れば泣く。相当理不尽だが友達に戻ろうと妥協すれば、それだけでは嫌だと駄々を捏ねる青根に、やはり恋人の件は避けて通れないのだと覚悟を決めた。
「……お前、オレと恋人になりたいのか? なりたくないのか?」
「……!!」
「まずはそれをはっきりしろ」
 どちらとも受け取れる反応を示すことが、混乱の元凶だ。どう答えられてもこれ以上は傷つかないと腹を括って尋ねた二口に、青根は随分と苦しそうな表情をした後、汚い字をより震わせて書いた。
「……『なれない』て、なんだよ。オレはなりたいのか、なりたくないのかってきいてんだぞ」
「……!!」
 なりたくないので、なれない。
 なりたいけど、なれない。
 若干後者の方が自然でも、この青根なのだ、あまり確率に差異はない。うっかり期待しないように自制をかけて追及したのに、青根が今度こそたどたどしく綴って、息を飲んだ。
「……!?」
「……。」
 『なりたい』
 それが自然だ、理由はどうあれ青根は頑張って映画に誘って恋人らしく振る舞おうとした。上手くいかなかったし、無理させたくもなかったので不要だと二口が告げただけで、青根はやはり恋人ではいたかったらしい。
 だから、彼女ができたと思い込んで、混乱した。
 むしろ、彼女がいるから恋人でなくていいと告げられたのだと解釈し、絶望した。
「……でもよ、お前、あっさり喜んだじゃねえか」
「……?」
「オレが恋人にならなくていいって言ったら」
 すると、また青根は悲しそうな顔になる。ヤってしまったことへの責任から、形だけの恋人を求めていたので、無理しなくていいと分かって喜んだのではないか。そう尋ねると、また青根は書き始める。
「……は?」
 『ねるのは むずかしい』
「寝るって、お前……ああ、いや、睡眠の方か。ええっと、なんだ、映画の前の晩に寝てくることが難しいってことか? そんな悩むことじゃねえだろ?」
 『ねれなかった』
「まあそうなんだろうけどよ、実際寝不足だったみたいだし。でも……?」
 『たのしみで ねれなかった』
「は? ああ、やっぱあの映画、楽しみにしてたのか? 楽しみすぎて寝れないとか、どこの遠足前の小学生だよっていうか……?」
 『はじめてのデート たのしみだった』
「あれやっぱデートだったのか!? つか遠足レベルなのかよオレは!!」
「……!?」
 さっぱり意識していなかったが、映画の途中に寝てしまったこと、つまり睡眠不足で現れたことを青根は随分と責められた気分だったようだ。二口としてはいつもの軽口の延長のような認識だったが、青根は深刻に受け取りすぎていたとやっと知る。
 映画であれ、なんであれ、デートの前日は楽しみすぎてちゃんと眠れる自信がない。だが恋人だからこそデートをするのであり、恋人でなくていいという発言は上手くいかないデートを繰り返さずにすむという点においては、歓迎だったらしい。
 ただ、問題はデートが苦痛でありながら、同時に眠れないほど楽しみだったということだ。
 青根が重荷と感じたのは、あくまで寝不足で行くと二口が怒るからであり、デートそのものは本来楽しみだった。嫌だというのも、失敗してまた二口に機嫌を損ねさせたくなかったのだろう。なんとか別の方法で機嫌を取ろうとしたのが、部活に迎えに来なくなるという行動に繋がった。
「……。」
「……?」
 あのとき、恋人でなくていいと告げれば、青根が反射的にほっとしたのが悔しくて二口はすぐに視線を逸らした。更に妹から電話もかかってきたので、余計に青根を見ていなかった。
 だがもしちゃんと観察していれば、青根はすぐに首を横に振ったのだろうか。あるいは、上手くデートはできなくても別れたくないと、訴えたのだろうか。
「……お前、なんで急に恋人とか言い出したんだ」
「……。」
 喜んでしまいそうな自分をぐっと堪え、二口はそう核心を突く。
 これで、すべて決まる。青根が何故急にそんな考えに至ったのか、やはりそれは想像通りだった。
「……結局、ただの責任感かよ」
「……?」
 『やったから』
 肩透かしよりひどい。
 こちらは持ち上げておいて突き落とすような苦痛を味わっているのに、青根はキョトンとして不思議そうだ。むしろ、それのどこがいけないのかと言わんばかりの雰囲気がある。
 本当は、声が震えそうだった。一瞬で目頭も熱くなったが、薄暗さで分からないと思うことで、二口は必死で平静さを装う。二度も傷つきたくて、黙ってしまうともう何も言えなくなりそうで、二口はとにかく言葉を続ける。
「だから、お前はオレとヤったから、それで……。」
 『やっと 変人になれたとおもった』
「心配しなくてもお前は変人だっての、つか書けねえなら無理して漢字で書くな!!」
「……!?」
「つかお前、ヤる前からオレと恋人っていうか、付き合いたいとか、そういうの思ってたってことか!?」
「……?」
 ぬか喜びに泣きそうになったばかりなのに、また期待してしまう。どれだけ学習しないのだと囁く自分がいる一方で、そう追及した自分もいた。
 だが、青根はそれにも不思議そうにした。だが首を傾げる仕草は、どうしてそんな当然のことを今更尋ねるのかという態度にしか見えず、二口はまた混乱する。
 もしかして、青根はキスや手での愛撫だけに興じていたときも、ずっと望んでいたのだろうか。
 いっそ、その願望があったからこそ、部屋で見たアダルトDVDに触発されて、いきなり押し倒してキスしてきたのだろうか。
「なんでだよ!?」
「……。」
 ただ、その理由を尋ねるのは軽率だった。
 自制するのに必死だった二口はいまいち頭が回らず、思わず怒鳴れば青根はまた書き始める。
「……。」
「……。」
 『ずっと すきだったから』
 やっとセックスまで到達できて、これでちゃんとした恋人だろうとはしゃいで、まずはデートに誘ってみた。積年の想いが実って嬉しくて眠れず、とにかくデートといえば映画だろうくらいの勢いで選んだものは雄大すぎて途中で寝てしまう。自分でもまずかったと思っているところに、散々怒られ、更に恋人でなくていいと告げられる。無理への配慮かと期待して安堵したのに、いきなり女からの電話に出ると、青根を放置して帰ってしまった。
「……なんでだよ」
「……?」
 あの日の自分の行動を、純粋で少し浮かれた青根からの視点で思い返すと、随分ひどい態度だったと分かる。いっそ、あれが決定打となって気持ちが冷めてもおかしくない。
 だが一緒に行動することもなくなった二口に、青根はなんとか機嫌を取ろうと努力した。逆効果でしかなかったとしても、頑張った。とにかく戻りたいと願い、彼女と別れさせる方向に行動するのではなく、じっと待つ。耐え続ける。どうしてそこまでできるのかと呟けば、青根はまたノートに答えた。
「……。」
「……。」
 『すきだから』
「……オレ、お前に随分ひどいこと言ったよな。それでもか」
 『すき』
「オレは、なんとかお前とのこと忘れようとしてたのに、それでもか」
 『すき』
「オレ、いっつも調子のいいこと言って振り回すだけで、お前だって散々我慢してきたんだろ。もう諦めようとか、こんなヤツどうでもいいやとか、思ったりしなかったのか」
 『すきだから』
「……ほんとに?」
 『すき』
「……今でも?」
 『だいすき』
 少し楽しそうにはにかんでせっせとノートに綴り、ちゃんと前の席の二口を見上げてくる青根に、もう限界だ。
「……。」
「……!?」
 思わずシャーペンを取り上げ、机に叩きつけると同時にノートもバンッと閉じる。元よりさして使っていないノートだが、もう授業では出せないだろう。たとえ最後のページを開かなくとも、ここに青根が気持ちを書いたという事実を思い出すだけで、のぼせあがる自信がある。
 急に立ち上がって筆談を中断させた二口を、青根は不思議そうに見上げていた。だが次第に不安そうになっていったところで、二口は自己嫌悪しか生まれない言葉を告げる。
「……口で言ってくれたら、全部許してやる」
「……!?」
 悪かった比率で言えば確実に自分の方が大きいと分かっているのに、尊大な言い方をする。
 プライドならばまだいい。それですらなく、これが一番青根が口にしそうだと考えたためだ。
 案の定、驚きつつも焦って立ち上がった青根は、言おうと努力している。期待で弾む胸がまた罪悪感を湧かせたとき、長い腕が久しぶりに二口の背中に回った。
「……!!」
「……だいすき」
 間に二口の机があるので、しっかりと抱き合うことはできない。それでも頭を抱え込むように引き寄せた青根は、耳元でしっかりと囁いてくれた。
 薄暗い休日の教室は、静かすぎてまるで現実感がない。
 いや、きっとこれは現実ではないのだ。
 都合のいい夢を見ているだけかもしれないと意識が遠のきかけた二口が、それでも留まれたのは夢でも良かったからだ。
「……?」
「青根……。」
 ぼんやりした頭では区別がつかないまま、手探りでノートを避け、二口は自分の机に膝を乗せた。そして正座をするように上がると、今度こそしっかりと青根を抱き返す。
「……しても、いいから」
「……!?」
「それが、ほんとなら。オレのこと、好きにしていいし……。」
「……?」
「……好きにしてほしい」
 青根からちゃんと好かれているのであれば、何をされても構わない。
 健気だが、ずるい欲求だ。相変わらず恩着せがましいのに、最後まで貫けず結局はすがってしまった。
 青根はかなり驚いた後、しばらく反応がない。背中に腕を回したままだ。やはり夢でもこれ以上は都合よくできないのかとぼんやり思ったところで、いきなり強く抱き締められ、すぐに唇を塞がれた。
「え……んんっ!?」
「……!!」
 初めてのときのように、生温かい舌が性急に捻じ込まれ、貪るようなキスに二口はまた思考が蕩けていく。
「んんっ、ふ、あ……んぁっ、ア、ああ……あお、ね……!!」
「……。」
 必死に背中に回した手でしがみついて、夢にしては随分と生々しいキスを受け入れた。
 先週の水曜日、初めて体を重ねたときが、最後のキスとなった。あれから、抱き締められたのが一回と、手を握られたのが一回。日曜日からは視線もまともに絡んでいない。
 それなのに、青根とキスしている。
 抱き締められて、体をまさぐられ、性急な愛撫を施されている。
「んぁ、あ……あっ、ひ、あぁっ……んん、ア……!!」
「……。」
「あお、ね……もっ、と……んぁっ、アア、んん……ん、あぁ……!!」
 いつの間にか抱き寄せられて机から下ろされていた。埃っぽい教室の床に寝かされ、着替えたばかりの服を乱されていく。少しも冷たく感じない青根の手で肌を直接撫でられていくと、胸を弄られるたびに息を詰め、直接性器を触れられただけで腰が疼いた。
 早く繋がりたいと、自然と膝を開きそうになったところで、ふと青根の手が止まる。
「……。」
「……あお、ね?」
 何故か、二口に触れるのをやめてカバンへとその手を伸ばしていた。まさか帰るつもりかと焦るより先に、手探りで出した物をいきなり二口にずいっと見せてくる。
「……。」
「……お前、いつのまに、こんなの用意したんだよ」
 思わず素に戻ってしまうほど、薄暗い中で必死に見上げた物は、想定外だった。
 初めてのとき二口が自らの後孔を慣らすために代用したものより、ずっと正当なものに近い。それを見せてきた意味を、二口はぼんやりと考えた。
 自慢もあるだろう、そこまでするという宣言かもしれない。
 だがずっと一緒に居た青根の性格から想像して最も大きく占めるのは、そこまでしていいのかという確認のような気がした。
「……言っただろ、好きにしていいって」
「……!!」
 案の定、少し笑いながら背中を引き寄せ、言ってみれば、青根の気配が弾んだのが分かる。一度ローションは横に置いて、愛撫を再開してくる青根に、二口は本当に参った。
 夢現の状態から快楽へと引きずり込まれたのに、しっかりと意識を引き戻された。その上で、また触れられるのだ。すっかり高まっている体も、心地よさに浸る息も、何一つ隠せそうにない。全部自覚させられたまま、愛撫が重ねられていく。
「んぁっ……あ、ん……あお、ね……。」
「……。」
 その方が、ずっと深く快感と向き合わせられた。青根から触れられるのが、嬉しくて、気持ちよくて、幸せでたまらない。
 もう、くれない熱だと諦めていた。
 それなのに夢に見て、情けなさに落ち込んだりもした。
「あお、ね……あおね、んんっ、んぁ、ア……!!」
「……。」
「ふぁ、あっ……ア、もっかい、いっ……んんっ、んぁ……!!」
 再び育てられていく快楽に、二口はほとんど無意識のうちにねだる。
 手も、唇も、性器だって青根なら全部心地よい。だが初めてしたときにもなかった種類を求めて甘えた二口に、青根はギュッと抱き締めたまま、耳へと口元を寄せる。
「……大好きだ」
「ん……!!」
 そして、低い声を流し込むようにもう一度囁かれ、鼓膜からも犯されるような錯覚がして二口は達した。
 青根は、自分のことを好きなのだろうとは思っていた。分かっていたつもりだった。
 だがそれをちゃんと言葉にされることが、自分にとっては絶頂を迎えてもおかしくないほど甘美なのだと、教えられてしまった。




「……で、ケンカは続行中なのか」
「へ? ああ、いや、一度は仲直りしたんスけどねえ……。」
「なんでそんな無駄なこと!?」
 翌日の日曜日も、自主練習はある。普段の早朝練習よりは遅いが、始まりの時間までには青根と一緒に部室に行った。着替えて、体育館に行き、練習をする。昼休憩になったところで、食事のために部室へ財布を取りに戻ったとき、尋ねてきたのは茂庭ではなく鎌先だった。
 ここのところよくなされる質問の亜種だが、やはり否定しておく。鎌先たちが思うところの『仲直り』ではないが、二口と青根は、きちんと関係を修復できた。むしろ、以前よりずっと強固にできたという自負もある。だがそれと同時に、全く別の理由で揉めたというか、トラブルがあり、一晩経っても青根が鬱陶しく落ち込んでいることは事実だ。
「オレだって別にケンカしたいわけじゃなかったんスよ。というか、オレにもどうにもできないことだったし」
「……青根が悪いのか?」
「いや、青根も悪くない……ああ、悪いというか、まあ原因ですけど、仕方ないというか、いやそれ言うならそもそも会わせたオレが悪かったというか……。」
「どういうことだ?」
 鎌先に曖昧な説明をしているだけで、青根がまた唇を噛み締めたのが分かる。相当ショックだったらしい。だがそれは青根の責任であり、同時に青根の責任ではない。もう一人の当事者が悪いとも責めきれず、二口も困ってしまった。
 昨日は教室で行為に及んだ時点で、もう夕暮れだった。ただでさえ性欲が強く、独占欲も強い青根は、一週間の禁欲と彼女疑惑が相当堪えていたらしい。その反動が大きすぎ、二口は後ろで繋がるのは二度目なのに、覚えているだけで四度は中に出された。二口の方はまだ痛いだけで快楽が全くないという解釈があるらしい青根は、律儀で誠実な気遣いから何度も手で抜いてくれる。正直に言えば三度目には後ろだけでイッていたのに、分からなかったらしい青根に出すまで扱かれて、本当に失神するかと思った。
 平日とは違い、校舎の正面玄関を閉める際にも、すべての教室をいちいち見周りはしないらしい。そうでなければ、守衛か教師に確実に見つかっていただろう。青褪めたのは、辺りが真っ暗になってから校舎を出ようとして、入るときは掛かっていなかったはずの鍵がしっかりと掛けられていたときだ。内側からは開けられないドアを何度か揺らしつつ、守衛などに見つからなかった幸運に浸っていたのに、青根は単に出られなくなったと思ったらしい。窓から出ればいいと得意げに示されて、なんとなく呆れて頭をはたいた。すると、腰が痛いからかと解釈したらしく、横抱きで運ばれそうになって二度目にはたいた。
「会わせたって、誰に? もしかして、妹さん?」
「ああ、まあ、そうなんスけど……。」
 ちなみに、青根の強すぎる性欲に改めて少し引いたことや、喘ぎすぎて声は掠れ腰も抜けたことで揉めたのではない。まだ教室にいたとき、一応終わってから服を着てぐったりしていたところに、メールが届いたのだ。
 携帯電話を持っているのは二口だけなので、もちろんそちらだ。動かすのも億劫な手を伸ばし、親切なのかセクハラなのか腰から尻までを撫でてくる青根の手を払って、なんとか画面を見たときに青褪めた。
 メールは、妹からだった。
 すっかり忘れていたが、まだ部室にいたときから、夕食に行こうとメールが来ていた。その一通目には、学校を出たら場所と待ち合わせ時間をメールすると返した。だがそれ以降、何通か催促のメールが届いていたのに、すべて無視する形になってしまった。
 最初の数通は怒っていたが、次第に弱気になっていく。母親がいないことで甘えている自覚があったらしく、我儘を言いすぎて怒っているから返事をくれないのかと、妹はすっかり悲観的になっていた。慌てて返事をしようとして、二口は考える。随分と不安がらせたようなので、何か詫びになることがしたい。これからただ食事に行くだけでは足りないだろうという配慮から、後ろから懐く青根を肩越しに激写した。
「元々、メシに行こうって催促されてて。遅くなった詫びとして、前に紹介し損ねた『友達』連れてくからってメールして、暗かったんでフラッシュもたいて青根撮って写真を送ったんスよ」
「……それ、ちょっとしたホラーじゃない?」
「……オレにもし送られてきたら、泣いてしまうかもしれん」
「まあ妹から返事はなかったんですけど、父親がメシに連れて行ってたらそれでいいし、青根と二人でメシになるのかなって思いながら、指定したファミレスに行ったんスよね」
 だいぶ遅い時間ではあったが、そのファミリーレストランは二口の家のすぐ近くにある。小学生でも来れるだろうし、一人で来るのが怖いなら一度家に迎えに行ってもいい。そんな程度で行ってみれば、店の前で妹はちゃんと待っていた。少し不安そうな顔は遅くなって空腹だからだと思い、二口は可愛い妹に謝りながら近づいたが、エミがハッと息を飲んで視線を向けたのは優しい兄より更に大きな人物だった。
「そしたら、妹がいて。青根見て泣き出したんですよ」
「……まあ、うん、それは仕方ないよね」
「……それは、妹を責められないな、確かに」
 大きいだけならば、妹も泣かなかった。二口がまず大きいし、長兄も同じくらいだ。だが恐怖写真からの本人登場で、これは我儘を言いすぎた自分への堅治お兄ちゃんなりの罰なのかもしれない。そこまで思いつめて泣き出した小学五年生を、バレー部の誰も責められないだろう。程度の差はあっても、みんな青根には少なからずびびった経験があるからだ。
「それで、ケンカになった?」
「いや……ケンカじゃなくて、正確には気まずくなったというか、青根の方もショック受けて泣きそうになってるし」
「……!?」
「……青根は否定してるけど、物凄く想像がつくよね」
「……オレだって小学生に泣かれたら傷つくしな」
「で、両方慰めるのは無理なんで、青根には帰ってもらったんスよ。妹が落ち着いて、ファミレスでメシ食ってから青根にもフォローしたかったけど、相変わらずケータイないし、こんなことで家電にかけらんねえし。まあ大して気にしてねえかなって思ってたら、今朝もまだ落ち込んでたって感じです」
 日曜日は食堂も購買もやっていないので、昼食は外で食べるか、何か買ってくるしかない。自然とコンビニへと向かいながら一通り説明すれば、茂庭も鎌先も、同情的な目で青根を見た。やや離れて歩いていた笹谷や小原たちも、哀れむような目で青根を眺めていた。
 顔が怖いのはもう仕方がないし、青根の所為だが、青根の所為ではない。
 二口も妹を泣かせるつもりはなかったし、妹も兄の友人を見て泣くつもりはなかったはずだ。
 少し人見知りの気質があるとはいえ、やはり小学生の女子には怖いようだと納得したが、そうでもないらしいと朝になって二口は知った。
「でも、今朝練習行こうと思って一階におりたら、玄関に手紙が置いてあったんスよ」
「……?」
「妹さんから?」
 夜中に起きて、翌朝出かける兄のために妹は必死に書いたらしい。可愛らしい便箋と、子供らしい文字が綴る言葉に、二口は思わず涙ぐみそうになったものだ。
「そうっス。……ほら、エミが青根にってさ」
「……!?」
「……え、それ大丈夫なの」
「……二口の妹だしな、いくら小学生でも、心に致命傷を負わせるようなひどいことが書いてあるのかも」
「一応オレが先に読んで確認してるから、平気っスよ。……ほら、大丈夫だから、読んでみろって?」
「……。」
 心配が分からなくもないが、もしそうであればさすがの二口も渡したりしない。兄妹そろって、青根をこれ以上傷つけるつもりはないのだ。
 二口が財布から出した便箋を受け取りつつ、青根はかなり緊張しているのが分かる。だが再度勧めれば、恐る恐る開いていった。そして読み進めていけば、安堵するのも当然だ。
 『昨日は泣いてごめんなさい。もう泣きません。本当です。だから堅治お兄ちゃんと仲良くして下さい。お願いします。   二口 絵美香』
「……。」
「……あ、ほんとだ、青根喜んでるぽい」
「……余計に内容が気になるじゃねえかチクショウ」
「単に、ごめんなさいってのと、お兄ちゃんと仲良くしてねって書いてあるだけですよ。……まあ、いろいろあったから、青根は余計に嬉しいんだと思いますけど」
 最初は彼女だと疑ったエミなのだ、妹だと分かってからも応援されるのは嬉しい。明らかに『仲良く』を深く受け取りすぎているのだろうが、二口としてもそちらで問題ないので黙っておく。
 ただ、妹からの手紙は、もう一通あったことは内緒にしておく。
 兄である二口に宛てたもので、内容は簡単に言えば、謝罪と、『あんなに怖い顔の人とも仲良くできる堅治お兄ちゃんを尊敬した』というものだ。どうやら顔が怖いことは否定しないらしい。だが慣れてしまえば気にしなくなる性質は血なのかもしれず、青根に宛てた手紙からも次に会ってもきっと大丈夫だろうと思えた。
 青根が大切そうに便箋を財布にしまったところで、足を止めた二口は、ビシッと茂庭に頭を下げた。
「なっ、なに……!?」
「今回はっ、個人的なことで心配かけて、すいませんでした!!」
「……!?」
「いや、でもご家族の入院とかは、仕方ないことだし……?」
「……ほら、青根もさっさと頭を下げろ」
「……!!」
「ああ、そっちか……。」
 驚いている青根を引っ張り、ぐいっと頭を下げさせる。するとやっと自分たちの件だと気がついたようで、青根もしっかりと茂庭に謝罪した。
 いくらチームメイトでもケンカくらいはするだろうが、今回に関してはどうしても痴話喧嘩に巻き込んでしまった側面が強い。そのため、けじめをつけるつもりで謝ってみれば、茂庭はかなり驚いた後、穏やかに許してくれた。
「まあ、仲直りしてくれたんなら、それでいいよ。オレたちほんと心配してたっていうか、怖かったしさ」
「……怖かったよな、青根が」
「……マジ恐怖だったよな、青根が」
「……オレは意外に冷徹すぎる二口にびびってたんだが、少数派なのか?」
「ケンカをするなとは言えないけど、できれば、ほどほどにね」
 少し離れて歩いていたほかの部員たちも、自然と合流する形になって口々にほっとしていた。
 二口は自分のことでいっぱいだったが、主に青根が周りを不安がらせていたようだ。純粋に怖いだけでなく、コミュニケーションが難しくなって苦慮したのもあるのだろう。もうしばらく通訳として働かなければならないのかと呆れつつ、いまだ隣で頭を下げていた青根の肩にガシッと腕を回す。
「……!?」
「もう大丈夫っス、オレたち仲直りしたんで?」
 好きだとも言ってもらえたし、デートが困難でも恋人でいようとも確認できた。些細なケンカまではなくせないが、部内が戦慄するような冷戦をするつもりはないし、したくない。だが詳細は言えないので簡単な言葉で請け負い、胡散臭いと評判の笑顔で茂庭たちには返した二口に対し、しばらく硬直していた青根がいきなり抱きついてきた。
「おわっ!? ……バカッ、離せ、苦しい、バカ!!」
「……。」
「……早速ケンカしてんじゃねえか」
「……青根なりの仲の良さの証明なんだろうけど、突飛すぎるよな」
「……絞め殺そうとしてるようにしか見えないですしね」
「やめてっ、こら、二人とも、やめなさいっ、コンビニの前でケンカしないで、ああもう……!!」
 邪魔になるからと茂庭は必死で止めてくれているが、鎌先を始めとした面々は、二口たちを避けてさっさとコンビニに入って行っていた。それに気がついたのか、茂庭もおろおろしつつコンビニに向かう。周りに部員たちがいなくなったことを確認してから、いまだ腕を緩めない青根に二口は囁いておいた。
「……目立つことしたら、もうさせてやらねえぞ?」
「……!?」
 痛いくらいに抱き締めてきていた青根は、弾かれたようにパッと腕を離す。そして少し後ずさり、不安そうに顔を覗き込んでくる。
 そんなに心配するくらいなら、最初からしなければいいのに。
 二人の関係が秘密だというのは、初めてキスしたときからずっとの約束だ。
 妹の件でやや相殺されていたが、きっと、青根は初めてヤったとき以上に浮かれていたのだろう。ようやくそれが態度に出ると、二口も嬉しくなってくるので困る。抱き返したい衝動を抑えることがどれだけ大変なのか、青根は分かっていない。
 だからこそ、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けた二口は、肩を叩いて青根をコンビニへと促した。
「……メシ買いに行くぞ、昼休憩そんなにねえんだから」
「……。」
 何度も頷いて歩き始める青根に、二口は笑いながら続けた。
「それに。……今日からは、また一緒に帰れるんだし」
「……!!」
「部活も、部活以外も、こんなに楽しかったんだなって久しぶりに思い出せて、オレ、今、すっげー幸せっ」
 言っているうちになんだか恥ずかしくなって、早口でまくし立てると先にコンビニへと入った。
 青根は驚いたように足を止めたまま、呆然としている。しばらくすれば我に返って、慌てて追いかけてくるのだろう。
 そんなつもりはなくとも、翻弄してばかりの自分のどこがいいのか、二口にはさっぱり分からない。
 だが自分も青根に振り回されるのが楽しいので、そういうものなのかもしれない。
 男にしてはおしゃべりだと評価されがちな二口と、背中で語るにも限度があると寡黙具合を嘆かれた青根は、足して二で割るとちょうどいい。もう引退した三年生には、よくそう言われたものだ。
「……青根っ、メシ何にする? オレさー、昨日結局ファミレスでステーキにしたんだよな。でもまた肉食いたいんだけど、どうかな?」
「……。」
「そうだよな、やっぱ肉だよなあ」
 やっと追いついてきた青根に、手にした二つの肉中心の弁当を見せながら二口は話しかける。青根はしゃべらない。頷いて、片方を指差す。青根がそちらを買い、二口が残った方を買い、食べるときは半分ずつに分ける。そんな予定が、これだけできちんと成立する。
 もし本当に自分たちを足して二で割ったような人間がいれば、周りにはちょうどよかったかもしれないが、きっとこんなふうにはならなかった。
 青根だから、好きになった。
 二口だから、好きになってもらえた。
 そんな当たり前のことを実感できるのが嬉しくて、本当に、幸せだった。








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捏造満載で申し訳ない!
ラブラブな二人が 大好きです。

ロボっぽい何か


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