■だいすき





「……。」
「……。」
「……青根?」
「……!?」
 すっかり習慣づいた週末の外泊で、風呂に入った二口が自分の部屋に戻ると、青根はベッドで正座をしていた。それなりのことをするようになってからも、浴室に乱入されると二倍疲れるからときつく禁じている。おかげで、先に風呂に入った青根を二階の自室で待たせていれば、正座で迎えられたことはよくあった。
 寂しいのも本当だろうが、それより期待しすぎて落ち着かないらしい。そんなにヤりたいのかと言えば何度も大きく恥ずかしげもなく頷いてくるので、二口もいちいち墓穴は掘らない。赤裸々に求められるのは、いまだに照れくさい。とにかくしたいのだと正座のまま手を伸ばされ、髪も乾かさないうちから体を重ねるのが常だった。
 だが先週から、その流れは少し変化している。青根の両親に個人アルバムを贈られたのがきっかけだ。青根の幼い頃からの写真が本当に可愛くて喜んだ二口に、青根も満足していた。だが、すぐに気がついてしまったらしい。
 二口には、青根の昔の写真を見せた。
 ならば、青根も、二口の写真を見せてもらえるはずだ。
 可愛いに違いないという、不本意すぎる確信に大興奮してせがんでくる青根には、二口も困った。だが、突っぱねきれなかった。自分は見せてもらったのだからというのもあるし、それより単純に青根からねだられるとどういう種類であれ抵抗ができない。仕方なく、元は父親の書斎に置いていた大きめの本棚を漁ってみる。
 二口の両親はそれほど写真などには興味はなく、撮るとしても初めて子になる兄か、初めての娘である妹が中心だ。小学校に上がるまではそれなりに兄妹と共に写っているが、それ以降は大きな行事くらいしかない。しかも、ここ数年は整理もしておらず、堅治の分という括りでアルバムに収められていない写真が積み上げられていく一方だ。クラスや部活で撮ったものをもらっても、アルバムがないので同じように積んでいった。おかげで、今では何年生のどういう行事だったのかも曖昧な写真ばかりが乱雑に残っている。
 そんな状態なのに、中学三年生で部活を引退するときに撮った写真は、何故か飾るようにして置いていた。
 未練であり、戒めでもあったのだろう。青根の中学と試合をしたのは写真より一年以上前なので、また雰囲気は変わっていただろうによく確信を持てたものだと後から感心した。
 ともかく、青根が見たがるので場所は教えておいた。十歳前後まではアルバムにまとめられているし、それ以降のものは半透明のビニル袋に入って本棚の隅に積み上げられている。勝手に見ていいと伝えれば、青根は嬉々として最も幼い頃の物から取り出していた。
「なんだよ、もうオレの写真には飽きたのか?」
「……!!」
 初日にだいぶ眺めたので、冊子として整理された部分は見終わっている。今は、中学に入った前後くらいだろう。写真だけの束を持ち出して、一袋ずつベッドに広げていた。相変わらず正座をしているので、カルタでもしているようだ。
 そう思ったのは、青根の顔があまりに真剣だったからでもある。ただ、怒りを持って睨みつけるような殺気ではなく、どこか悲しそうに見えた。部屋のドアは開けっ放しで、二口が階段を昇ってきた足音にも気がつかない。ベッドの傍まで来て声をかけるまで全く微動だにしていなかった青根にからかうように言えば、何度も大きく首を横に振られた。
「じゃあどうしたんだよ、そんなに真剣に見るものか?」
「……。」
「……ん?」
 本当に飽きたのであれば、そもそも写真を広げてはいないだろう。特に確認するでもなく許可を与えたが、何かまずい写真でもあったのだろうか。もらった当時はちゃんと見たので、破り捨てようと思った記憶はない。それでも青根は中学時代も部活一筋だったのだろうし、理解しにくい行事の写真でもあったのかと指を差された一枚に目をやると、中央に男女が大きめに写っていた。
「……かわいい」
「今一瞬隣の女のことかと思ってマジギレしそうになっただろ、つかこの写真がどうしたんだよ?」
「……。」
「青根?」
「……。」
 もちろん、中央に写っている男は二口だ。いまいち自信はないが、中学一年の文化祭の写真のような気がする。やや困ったような笑みで昔の自分は写っているので、カメラを向けられて面倒くさいと思っていたのだろう。小原も言っていたように、二口は試合中でもよく笑う。先輩などからは、緊張感がないとしばしば怒られた。おかげでいつも笑顔で朗らかな印象を持たれることも多いのだが、教室では決してそうではなかった。随分と面倒くさいことが多く、この写真を撮ったときも、確かその一つだ。
 二口を指差して可愛いと呟いた青根は、珍しくテンションが低い。非常に不本意だが、青根が二口を可愛いと褒めるときは大抵大興奮してはしゃいでいる。だが今はひどく声が暗かった。その原因は、二口そのものより、隣で写っている当時のおそらくはクラスメートの女子生徒、特にその腕がしっかりと二口の腕を回されているからだろう。
「ああ、えっと……たぶん、このとき、付き合ってた子、のような?」
「……!!」
「いや、違うかも。いや、どうだったかな? なんかよく覚えてねえんだよな、付き合ったっけ? 別の彼女がいたから、断ったんだったかな、どうだったかな……。」
「……。」
「誤魔化してるんじゃねえぞ、マジで覚えてないんだよ。名前はなんだったかな、『山』がついた気がするんだけど……山田、山本、山村、やま……いや、後ろかな、西山とか、春山とか、なんだったっけな……。」
「……。」
「卒業アルバム見たら分かるかもしれねえけど、でも一年の頃だと三年の写真じゃだいぶ変わってるよな、つか、ほんとにクラスメートだったかな、先輩とかだったかも……。」
「……。」
「というか、やっぱ彼女じゃねえ気がする、腕組まれて写真撮られて、面倒だなあって思ったし……。」
「……。」
「なんだっけな、なんかこれ、揉めたんだよな、思い出せそうなんだけど、なんだったかな……。」
「……。」
「……あっ、そうか!?」
「……!?」
「ほらっ、この、後ろで写ってる女の集団!? この真ん中と付き合ってたんだよ、で、後からすげーキレられてふられた!!」
 写真に写っているのは二人だけではない。その後ろにも、何人かの生徒が写りこんでいる。だがたまたま写真に収まっただけではなく、明らかにこちらを睨んでいる集団がいた。その中で、最も怖い顔をしている女子と付き合っており、散々詰られて別れることになった。
 当時の二口はまたかという程度だったし、だいぶ経ってからこの写真は腕を回している女子からもらったのでもう過去になっていた。ちなみに同時に告白されたが、二口は別の女子ともう付き合っていた。いろいろ間が悪い子なんだなという感想が、名前も思い出せない女子に対して唯一強く持った印象だ。
 楽しい記憶ではないが、似たようなことはたくさんあったので二口もいちいち落ち込むことはない。むしろ、経緯を思い出せてすっきりした。どうでもいいことは忘れっぽいが、写真そのものがトラブルとなったので運よく記憶が繋がり、晴れやかになった二口とは対照的に、青根はますます顔を曇らせて俯いてしまう。
「青根?」
「……。」
 二口に昔彼女が何人もいたことはもう知られているし、どの子ともまともに付き合っていないことも説明した。それを青根から詰られたことない。責めまくるのは鎌先くらいだ。
 だが、やはりこうして写真として過去を見せられるのは苦しいものがあるらしい。交際遍歴は隠しておらず、それでも昔の写真を見たいと言ったのは青根であるし、予想できてしかるべきだ。自分は何も悪くないと思うのに、二口は胸が痛くなってくる。せめて青根がみっともなく責めてくれれば反論できるのに、自業自得をしっかりと理解してぐっと耐える様を見せられると、ますます居たたまれない。
「……気にするなよ、昔のことだろ」
「……。」
 自分が言うのは変だと思いつつ、二口はベッドに広げられた写真を片付けた。空になっているビニル袋にまとめて入れ、それ以外にも本棚から持ってきたらしい束をまとめて戻しておく。その間も、青根は正座をして俯いていた。青根も悪くないのに反省しているように見え、心苦しくなってくるので二口はその正面へと座ることにする。
「青根、足伸ばせって? 膝痛くなるだろ……。」
「……。」
 そろそろ痺れるのではないかと心配もしながら脚を撫で、膝を伸ばさせた。二口の家族は基本的に大きいし、兄が同じくらいの身長なので次男にもかなり大きめのベッドが与えられた。縦に長いものは横にも広かったようで、当初はやたら大きくて落ち着かなかったこのベッドも、今では更に身長の高い青根と二人で寝ることができるので、本当に助かっている。
 正座から腰をつけてベッドに座らせ、脚を跨ぐようにして二口は身を寄せる。普段であればもう嬉々として背中に腕を回し、始めていそうな青根なのに、今はまだ俯いたままだ。唇も噛み締めているのを見れば、やはり怒っているのではなく、耐えている。なんだか顔が青褪めているようにも見えて、二口は風呂上がりでまだしっとりした手をそっと青根の頬に添えた。
「……!?」
「青根、嫉妬して苦しいんなら、もう写真見るなって? つらくなるだけだろ?」
「……。」
 驚いて顔を上げた青根にそう諭せば、また泣きそうに瞳が揺れた。頷くことはない。
 どうにもならない過去と分かった上で、それでも羨ましくて苦しくなる。それならば写真は見ないと決めてしまうと、青根曰く昔の可愛い二口を眺めることもできないのだ。
 だから、我慢する。それでも、うっかりすると混乱でどうしようもなくなる。
 今青根が最も不安がっているのは、自業自得な反応を見せることで二口が呆れて突き放されることだろう。だが焦るほど言葉が出ないのはいつものことで、それが余計に自分自身を追い込んでいく悪循環に陥る青根に、二口は深くため息をついた。
「……!!」
「……青根、ごめんな」
 本当は、対処法は分かっている。
 青根が嫉妬で苦しまないようにするなら、まずそうな写真は除外しておけばいい。だが二口では気がつけないところに青根はやたら目敏いし、卒業アルバムのように印刷されたものは外しようがない。
 だからこそ、万全を期すのであれば予め除外はした上で、更に青根がこの状態になったときに慰めればいい。
 大丈夫だ、過ぎたことだ。本気で付き合ってたわけじゃない、自分も迷惑していた。
 そんな言葉をいくら重ねても、青根を本気で安心させられないことは知っている。再びため息をついた二口に、勘違いしたらしい青根が必死に首を横に振っていた。
「青根……?」
「……。」
「……別に、拗ねて嫌味で謝ったんじゃねえよ。ほんとにオレが情けなくなってただけだ」
 青根も、どちらかと言えば二口が機嫌を損ねて形だけ謝ってみせたのではなく、どうにもならない過去での失敗を悔いているように見えたのだろう。ますます首を横に振って否定する青根を、二口は面映く眺めた。
 過去への反省は、当時の彼女たちに対する純粋な謝罪というより、今になって青根が気にするのであれば断っておけばよかったという程度だ。褒められたものではない。それより多くを占めるのは過去ではなく現在の不甲斐なさで、またため息を重ねるといきなり青根からギュッと抱き締められた。
「わっ……青根?」
「……。」
 今夜はもう気分が乗らないのかとも思っていたので、突然の接触には胸が高鳴る。だがしっかりと引き寄せてきた青根の表情はまだ苦しそうで、その気になれないのなら無理をしなくていいと言いかけた言葉は、久しぶりの低い声でかき消された。
「……だいすき」
「え……。」
「……だいすき、だから」
「青根……?」
「……。」
 苦しそうな愛の告白は、また二口を情けなくさせた。
 最近、たまに気づくことがある。話すことが苦手な青根に、二口はよく好きだと言わせた。態度ではいくら明らかでも、やはり言葉に出されると嬉しい。単純に、安心する。始めの頃は二口もその程度で、青根は言えとせがまれるので言葉にしていただけだろう。
 だが、次第にそれは意味を変えていく。二口が特に要求しないときにも言うようになった青根は、大半は溢れ出る感情を抑えきれなくて零しただけの、混じり気のない愛の告白だ。ただ、とてもそうは思えない表情で呟くときは、その先を求められている気がする。
 青根は、二口が大好きだ。
 二口は、青根のことをどう思っているのか。
「……。」
「……。」
 抱かれてまでいるのだ、態度で分かるだろう。
 そんなふうにだけは、絶対に言えない。二口だけは青根に言えない。態度が明らかすぎた青根に、苦手な口頭での証明を求めたのは二口なのだ。会話自体に抵抗がない二口が避けていい理由はない。それでも絶対に返さないことに、青根はもう気がついている気がする。
 好きだと言われて、分かったと頷く。あるいは、嬉しいと喜ぶ。
 そんな反応は返しても、では二口はどうなのかという類を示したことはない。今も、苦しそうに告げてきた青根に、二口は黙ってしまった。本当は何か言いたかったのに、どうしても言葉が出ない。
「……。」
「……。」
 焦る鼓動ばかりがうるさくなっていく中で、いつ青根から回された手が外されるのかと二口は怯えた。
 愛想を尽かされ、捨てられることをやたら青根は気にしているようだが、それは二口も同じだ。いや、きっと二口の方が不安は大きい。交際相手からふられまくった経験が語るのは、相手からの慕情があっても別れを告げられることもあるということだ。
 引っ越しなどで物理的に距離が離れてしまうような場合だけではない。むしろ、心の距離が離れていることに、好きだからこそ耐えられない。かつての彼女たちには、それでもよかった。彼女が二口との間に感じた距離は実在していたからで、それが嫌ならば交際は無理だ。
 だが、青根とは違う。気持ちはずっと近くて、しっかりと寄り添っていると思う。だがそう感じられるのは、青根から好きだ好きだと繰り返してもらえる二口だけだ。ただでさえいろいろ自信がないらしい青根は、やがて諦めてしまう気がした。いくら想いを向けても返してくれない相手に、失望するのではなく、後ろめたくなって身を引く。好きだからこそ強要したくなくて、別れることを選ぶ。
「……。」
「……青根、オレは、その」
「……?」
 そんな未来を不安がるならば、解決する方法は一つしかない。
 だが頭では分かっているのに、言葉は出なかった。いつもおしゃべりだと呆れられる口は何も紡げず、ただ青根を離したくなくて寝巻き代わりのTシャツの裾をギュッと握ったとき、いきなり携帯電話が鳴った。
「……!?」
「……?」
 息を飲むほど驚いた二口は、思わず手を離してしまう。だが青根の手は背中に回ったままだ。
 そのことに妙にほっとして、再びギュッと抱きついて青根の肩に顔を伏せた。だが青根の方が不思議がっている気配を感じ取り、名残惜しいが一度離れる。
「ああ、メールだ。つか、こんな時間に誰だよ……。」
「……。」
「……キャプテン?」
「……!?」
 いまだに携帯電話を持たない青根は、着信を無視しているように思えたのだろう。だが、今の音はメールの受信だ。後で見てもよかったのだが、もし青根がその気になってくれるならばメールを見るのが明日になってしまう。鎌先ならば内容を確認せずに放置しようと思ったが、表示された名前は茂庭のもので、つい不思議そうにすれば青根もベッドをのそのそと移動してきた。
「なんだろ、明日は休むとかかな……。」
「……。」
 この日は金曜日なので、明日は休日練習となる。定期的に休養するよう求められるため、茂庭もたまに午前中だけ来ない。数時間前にはそんなことは言っていなかったが、急に変更でもあったのだろうかとメールの本文を開いてみた二口は、茂庭の弱りきった顔が見える気がした。
『仲良くしてるところだったら、ごめんね。明日の朝なんだけど、鎌ちがオレたちが一番に行くからゆっくり来ていいって伝えろって。実はオレの家に泊まりにきてるんだ。』
「だったら鎌先さんがメールしてくればいいのに……いや、それだとオレが無視するからか?」
「……?」
 どうやら茂庭の家に鎌先が泊まっているようだ。このメールだけでは判断できないが、なんとなく笹谷もいるような気がした。
 了解のメールを出しかけて、ふとスクロールバーが出ているのに気がつく。随分と改行した後に、続きがあるらしい。指で画面を流してみれば、なんとも微妙な続きがあった。
『あと、鎌先先輩はとても頼り甲斐がある素晴らしい先輩なのでもっと仲良くするようにってさり気なく伝えろって、鎌ちが言ってるよ。本当に面倒くさい鎌先先輩でごめんね。おやすみ。』
「……むしろよく茂庭さんたちはあの面倒臭さに耐えられてますよね、みたいな」
「……?」
「……いや、それはお互い様か」
 世間一般的には、青根の方がずっと扱いづらいと思われていることは理解している。いつの間にか後ろから覗き込むようにしていた青根だが、画面は見ていない。興味はあっても、見ないように心がけている。見られても困らないものは隠さないようにしているので、二口はメールの前半も後半も肩越しに読ませてから、返信をしておいた。
「……『善処します、おやすみなさい』。こんなものでいいよな?」
「……。」
 夜も遅いし、茂庭も返事があるのか分からないと考えているだろう。あまり丁寧に返信するような内容でもなかったので、簡単に送っておいた。送信を終えた画面には時計が表示され、寝るまでに一時間もないことが分かる。後ろから懐く体温には安堵するが、それ以上の熱には今夜はならないのだろうか。軽くため息をついたときに、暗くなりかけていた画面がパッと灯り、メールの受信を伝える。
 茂庭からのおやすみメールかと思ったが、送信者として表示された名前には別のため息が出た。本当に茂庭のところに泊まっているらしい。
「鎌先さんて、ほんと、ある意味でマメだよな……。」
「……?」
 一応確認してみれば、『茂庭ならすぐに返信するのかよふざけんなオレにもちゃんとおやすみって言え青根がいるなら一緒に!!』とあり、二口は電源を切って充電器に差しておいた。きっと、今頃は興奮している鎌先を茂庭と笹谷が窘め、もうしばらくすると返信がないと落ち込むのを慰めるのだろう。それはもう本当に頼り甲斐のある茂庭と笹谷に任せてしまおうと思いながら、二口はベッドで振り返る。
「なあ、青根。……今日は、しねえの?」
「……!?」
「……しないなら、このまま、寝るけど」
 茂庭たちからのメールで深刻な空気はなんとか逃れたが、かといって艶かしい色にはなっていない。多少の躊躇いはあっても、行為を言葉で確認することはできる。それなのに、慕情を端的に告げる二文字は言えない。つくづく自分の情けなさにため息をつこうとした唇が、いきなり塞がれた。
「んっ!? ……青根?」
「……。」
 青根のキスは肯定を示すことが多いが、この場合はそれよりもしたいという反応が強い気もする。すぐに離された唇でどちらか分からず、困惑している間に、青根はまたベッドの中央に戻っていた。端に座っていた二口は戸惑うが、少し昂揚している青根に手を引かれ、これは期待していいのだろうかと胸が弾んだ。
「青根、やっぱすんのか……?」
「……。」
「オレは……別に、しても、いいけど……。」
 偉そうに許可してみせても、本当は二口の方がずっとしたい。好きだと言えなくて不安になったときほど、青根からちゃんとまだ執着されていると示されたい。
 つくづく性格が悪いと自分でも思うのだが、この件に関しては甘やかしてくれる青根も悪いと思うのだ。
「……いっぱい、したい」
「ん……分かった」
「……!!」
 普段より時間がないのに、普段以上にしたいと口にした青根に安堵した。ゆっくりと押し倒されて見上げた青根は、何故かやや戸惑っている。やはり本当はしたくないなどと勘繰らなくてすむのは、もどかしげにシャツの下に差し入れた手でまさぐられるからで、二口からも青根の背に腕を回した。
「青根……。」
「……。」
 促すように軽く引けば、青根はしっかりと覆いかぶさってくれた。重みと、体温が、本当に心地よい。
 大好きだと思うのに言葉にはできなくて、たっぷりと翻弄して喘がせてくれる青根の責任だとこの夜も思うことにした。




 翌日の土曜日、いつものように朝から休日練習がある。鍵当番ではなくなったので青根と共にいつもの時間に行ったのだが、さすがの二口も異変に気がついた。
「……あのね、二口、こんなお願いは心苦しいんだけどさ」
「鎌先さんに謝れって話ですか?」
「オレは謝ってほしいんじゃねえ!!」
「……だ、そうですけど?」
「ああ、うん……そうだよね、二口が悪いんじゃないし、謝れっていうのは、お節介だったよね、ごめん……。」
 どうやら、昨晩のメールを返さなかったことが、鎌先には非常に堪えてしまったようだ。直前の茂庭には返信をしていたので、まだ起きてはいたはずだと分かるからだろう。偶然にも茂庭に返信した直後に電源を切ったのだと言ってもよかったが、明らかに嘘なので、二口はまだしも青根が不思議そうにすればばれてしまう。
 しかも、そこまで気にしていると思わなかったというか、朝はむしろ遅刻しかけて焦っていた。どうやら青根は不安になるとセックスを重ねることで安堵したいらしく、本当にいっぱいされてしまって腰が重い。そんな中でなんとか部室に到着し、急いで着替えて体育館に向かうとまず鎌先に睨まれた。だがすぐに集合がかかったので、特に会話もなく過ごす。それが、鎌先には無視されたと感じたらしい。本当に面倒くさい。そうと気がついたのは昼休憩のときだったが、今日は絡んでこないなと思いながら二口はいつものように青根とさっさとコンビニに出かけた。昨晩のメールのことも、すっかり忘れていた。昼休みも会話がなく、またポジションが違うので練習でもずっと別だった。今日はあまり鎌先の声を聞いていないと気がついたのは、午後の練習も終わって着替えに戻る頃になってからだ。部員の何人かは風邪で休んでいるらしく、そろそろインフルエンザも流行りだしているらしい。もしかすると鎌先は風邪を引いて喉でも痛いのではないかと思い、二口にしては実に親切な気遣いで声をかけてみた。
『……鎌先さんて風邪とか引きそうにないのに珍しいですね』
『おめーそれどういう意味だよオレが馬鹿だって言いたいのか!?』
『え? ……ああ、まあ』
 なんだ、しゃべれたのか。
 驚いて適当に打った相槌が、どうやら決定打になったらしい。昨日は昨日でメールを無視して、朝も挨拶もなく昼でも放置かという突然の言葉の嵐に、二口はポカンとした。気配以外は静かな青根といることが多いためか、普通に面食らった。鎌先は一人で頭を抱えているのでそっとしておこうと思い、さっさと自分のロッカーに戻って着替えていると、茂庭からの申し出を受けたのだ。
 茂庭は申し訳なさそうに、笹谷はだいぶ疲れた顔をしているので、鎌先の嘆きに散々付き合わされたのだろう。メールを返さなかったことだけは謝ってもよかったのだが、それは不要だと本人に叫ばれてしまった。二口はもうどうしようもない。しっかりと着替え終えて荷物をしまい、カバンはロッカーから出しておく。それをベンチの隅に置いてから、いまだにジャージのままの鎌先を見た。
「突然ですけど、鎌先さんに相談があるんですよね。いいスか?」
「なっ……!?」
 ちなみに、部室にはもういつもの六人しかいない。着替えていないのは鎌先だけだ。茂庭と笹谷、それに小原は私服に近い制服になっている。青根はそろそろ着替え終わりそうなので、上着を着たらベンチに座るように手で示しておいた。
「い、一瞬浮かれそうになったがっ、騙されねえぞ!? どうせ『面倒くさい先輩のあしらい方』とか、『付き合いにくい先輩のかわし方』とか、『本当は嫌いな先輩へのそれとない悟らせ方』とかっ、相談にかこつけた悪口を言うつもりなんだろ!? ひどい!!」
「まあそんな手管を知ってるなら確かに教えてほしいですけど、乗ってくれないなら別にいいです。茂庭さんたちに相談するし」
 青根も着替え終えたのでベンチに座らせ、二口は正面から腕を回すようにして懐く。青根も嬉しそうに背中へと手を回してくれるのを確認してから、二口は茂庭に尋ねた。
「鎌先さんへの相談とは別なんですけど、なんでオレってそこまで性格悪いって思われてるんですかね?」
 それに、茂庭たちはわざとらしいまでに腕を組んで唸った。
「うーん、それは……まあ、これまでのことを思うと、ねえ?」
「鎌先がちょっと鬱陶しい性格だってのを除いても、なあ?」
「あの、笹谷さん、また鎌先さんが落ち込んでるので、そんな正直な感想は……?」
「ああ、なんだかその反応に、ちょっとオレも落ち込みそうですけど……それはそうとして、鎌先さんに相談なんですけど?」
「なんだよ!!」
 やや暑苦しくて鬱陶しい自覚はあったのか、笹谷の言葉で落ち込んだ鎌先はやっと着替え始めていた。その間に二口は姿勢を変え、青根に背中をつけて寄りかかるように座る。青根の両手は肩の上から回させ、胸の前でギュッと握っておいた。
「まあ正確には、オレの友達の相談、なんですけどね」
「……二口とその友達との間の悩み事、てことか?」
「いえ、その友達が別の相手との間で抱えてる悩みってことです。オレではいい助言ができそうにないんで、先輩から何かないかなって」
「……。」
 つまり、二口自身が抱えている問題ではない。あくまで別の人物から持ち込まれたものだと繰り返したのは、そうでないと鎌先でなくとも誰にも打ち明けられそうになかったからだ。
 ただ、念を押せば、鎌先はやや黙る。少し落ち着いて聞き返していたので話を聞く気になったのかと思っていたが、むしろ怒らせたのかもしれない。他人の悩みを勝手にしゃべるなだとか、自分で考えずに押し付けてくるなだとか、真実であれば二口もどうかと思う点はいろいろある。鎌先は暑苦しいだけでそういった常識の部分ではかなり真っ当なので、機嫌を損ねたのだろう。無意識のうちにため息をついたとき、やっと着替え終えた鎌先がロッカーを閉めた後、振り返ってきた。
「……二口っ、そんな大事な相談を、オレにしてくれるなんて!!」
「へ? ……あれ、なんかこれはこれで、ちょっと罪悪感が?」
「なんでもオレにきいてくれっ、お前の大事な友人の役に立たせてくれ!! 頼りにしてくれて構わないんだ、だってオレは頼り甲斐のある先輩だからな!!」
「なんだかますます言いにくくなりましたけど、ここで撤回して泣かせるほどオレも非道にはなれないんで、なんかもう、すみませんね……?」
 鎌先がやたら感動してくれている間に二口はさり気なく謝っておいた。
 青根は後ろからギシギシと体重をかけてくるので、自分に先に相談してくれてもいいのにと思っているのだろう。だが、拗ねるほどの気配はない。二口ですらいい助言ができない相談など、自分にはますます無理だという自覚もあるのだ。それでも少しだけ寂しいと態度だけで示す青根には、手をギュッと握って慰めておいた。
 そもそも青根には相談できるはずがない。友達の悩みだと誤魔化したとしても、青根にだけは言えるはずがない内容だ。むしろ鎌先でも解決できるとも思っておらず、なんとなく、自分の中で出ている答えを後押しして欲しいだけに近かった。
「ええと、その友達なんですけど、まず前提として凄く仲のいい彼氏がいるんですね」
「……。」
「……あれ、鎌先さん?」
 だが切り出してみると、鎌先が無表情になった。それに二口が面食らいつつ見上げていれば、やがて深くため息をついた鎌先が、やけに凄むようにして尋ねてくる。
「……つまり、相談してきた友達ってのは、女子か」
「へ? あー……ああ、まあ、そうですね、取り敢えずそう思ってもらっていいです」
 せめて恋人という表現にすれば友達の方は男という設定にできたかもしれないが、話しているうちにいろいろと不自然になっただろう。あくまで彼氏がいるのは女性だという認識の鎌先に、二口は適当に頷いておく。架空の話にムキになっても仕方がない。だがあっさりとそこは流したつもりだったのに、何故か鎌先はますます暴れた。
「なんだよおめーはっ、女友達がいるのか!? 相談されるほどの!? 自慢か!!」
「いや、そんな程度で自慢とか言われても……?」
「つか元カノとかじゃねえだろうな!?」
「……!?」
「違いますって。……青根、ほんとに違うからな?」
 そもそも中学時代に付き合った彼女とはいずれもひどい別れ方をしているので、それから友達に戻ったということはない。ましてや、これは存在しない『友人』の話なのだ。早速面倒くさいと思いつつ、最も誤解されては困る青根には肩越しで念を押して、二口は続けておいた。
「親戚みたいな子です、ほんとにオレとは色恋沙汰にはなってないです。というか、彼氏のことが大好きなんで、全然そういうのは心配ないし」
「まあ、それならいいけどよ……つかっ、まさか、恋愛相談なのか!?」
「ダメですか?」
 ダメだろうとは、内心で二口も思っていた。やたら騒ぎたがる鎌先は、これまで交際もしたことがない清い肉体の持ち主なのだ。精神的にはいろいろありそうだが、もちろん経験則には基づいていない。だが、よりによってその手の相談は可哀想だよという茂庭たちの非難の目に気がついたのか、頭を抱えかけていた鎌先がぐっと堪えた。
「い、いや、どんな相談でも大丈夫だ。任せろ、オレだってテレビや漫画や人の噂や妄想なんかでは百戦錬磨の猛者だからな」
「はあ、頼りになります」
「……たぶん昨日のメールがきっかけなんだろうけど、鎌ちごめんね、ほんとにごめんね」
「……というか、鎌先はなんであんなに童貞であることを誇らしげなんだ」
「……鎌先さんのスペックでも十七年間彼女ができないとか、ほんとオレたちは夢も希望もなくなるんですけど」
 顔はいいのにと頷き合っている三人には、非常に同意する。背も高く、スポーツもできて、根も真面目な性格なのだ。これで彼女ができないのは、相当運がないのか、すべての長所を霞ませるほど性格が面倒くさいということだろう。
「続けますけど、だからその女友達には凄く仲のいい彼氏が居るんです。オレも会ったことがあって、まあ、ちょっと寡黙な感じで」
「青根みたいなのか?」
「……まあ、そう思ってもらって、取り敢えずはいいんですけども」
 それはちょっと寡黙どころではないだろう。鎌先は笑っているが、茂庭たちはそろそろ何かを察したようだ。やたらこちらを神妙にうかがっている。
「ちゃんと付き合いだしたのは最近ですけど、その前からまあ相思相愛てやつで、ラブラブだったんですよ。で、今はもう恋人として付き合ってるから、こう、好きだのなんだのみたいな会話があるみたいなんですけどね」
「ああ……なんだろう、想像するだけで、殺意が抱ける……。」
 本当に友人の相談をしていれば戸惑っただろうが、殺意を抱かれたところで所詮は架空の人物だ。鎌先の言動を知っていればむしろ当然の反応で、二口はあまり気にせず本題に入った。
「それで、悩みっていうのは……友達の方は、好きとかそういうの、言えないみたいなんですよ」
「……ん? 友達、てのは、彼女の方だよな? 無口なのは彼氏だろ?」
「そうです。だから余計に、悩むみたいで」
 見えない何かと心の中で戦っていたらしい鎌先だったが、二口の言葉には不思議そうに視線を戻した。
 何度も繰り返しているように、二口の友達とは、女性の方だ。そして、その彼氏である男性が、性格的に無口なのである。一般的には女性の方がおしゃべりだろうし、このカップルでは特にそれが顕著だ。いくら両想いで付き合いだしても、男の方があまりそういうことを言わないというのは自然な流れで理解できる。
 だが、二口は反対のことを説明した。好きだと口にするのは本来寡黙であるはずの彼氏の方で、彼女の方はそれに答えられない。
「ええと、それは……寡黙な彼氏が、可愛い彼女のために頑張って告げてやってる、てことでいいのか?」
 面食らっていた鎌先からそう確認され、二口もため息混じりに頷く。
「そういう部分もあると思います。元々は彼氏の方が寡黙すぎるから、付き合う前に彼女の方が不安になって、ちゃんと好きなのか言えって迫ったのが発端なんでしょうけど、今では彼氏の方も抵抗がなくなってるみたいな」
「随分と積極的な彼女なんだな、無口同士のカップルじゃないのか?」
 すると、鎌先から確認されてそこを説明していなかったと二口は気がついた。この友人カップルは架空でも、もちろん実在するモデルがいる。そのため、本来は彼女の方がおしゃべりにも関わらずという点が抜けていた。確かに物静かであまり話さない女性もいるが、今回はそうではない。
「そうですね、彼女の方はむしろおしゃべりだと思います。よく話すから、寡黙な彼氏と足して二で割るとちょうどいい的な」
「なんかお前と青根みたいだな」
「……いやまあ、だから、それで。とにかく、本来はおしゃべりな彼女が言わなくて、寡黙な彼氏だけが頑張って好き好き言ってるんですよ。それって、良くないですよね?」
 彼氏にばかり負担をかけているようで、申し訳ない。ましてや、言わないことで気持ちを疑われて別れられでもすれば元も子もない。だから言うべきだと背中を押してほしかっただけなのに、鎌先は不思議そうに首を傾げた。
「彼女の方が彼氏をそんなに好きじゃなかったら、仕方ないんじゃねえのか?」
 それには一瞬頭が真っ白になった。
「そこは好きなんですよっ、大好きなんですよ、ほんとは結婚したいくらい愛してるって言ったじゃないスか!!」
「え、そこまで言ってたか!? てっきり中高生くらいの話かとオレ思ってたんだけど!?」
「……まあ、高校生、ですけどね。物の喩えです」
 思わずムキになって否定してしまったが、予想以上の言葉が出て二口は自分で焦った。顔が紅潮しているのを、鎌先はただ強く否定して興奮しただけだと思っただろう。後ろから懐いている青根には気づかれないことを祈るが、急に後ろからピタッと耳に頬を押し当てられ、その温度差で自分がいかに火照っているのかを教えられたようでまた気持ちが焦る。
「あ、青根……?」
「……。」
「ええと、つまり、二口の友達はちゃんと相思相愛なんだよな? で、彼氏は言ってくれるのに、彼女は言葉で返せない。それが原因で嫌われるとか、別れたりとか、そういうのを心配してて、回避するための方法を相談されたってことか?」
「……まあ、そんな感じです」
 ゆっくりと振り返ってみても、青根は不思議そうにしているだけだった。どうして『友達の』話で二口が急に焦ったのか、理解できないのだろう。そこにはやや安堵している間に、鎌先が悩みをまとめてくれた。
 鎌先が難しそうに唸るのは当然だ。たとえ恋愛経験がなくても、答えなど決まっている。
 心配ならば、ちゃんと言えばいい。
 むしろそれ以外の答えがないからこそ、当人も分かっているはずのことしか繰り返せなくて、相談されても困るのだ。
「……ねえ、その『彼女』は、どうして言えないの?」
「え」
「あっ、茂庭ずるい、オレも今そう言おうと思ってた!!」
 だが鎌先が黙るのを見計らうようにして、慎重に尋ねてきた茂庭に二口は嫌な具合に鼓動が跳ね上がった。
 鎌先以外の四人は、その『彼女』が誰か、『彼氏』も誰か分かっているのだろう。それ自体は気にしない。ただ、分かられた上で言えない理由を答えることには勇気がいる。誰がどう聞いても、『彼女』が一方的に悪いと明らかだからだ。あくまで架空の友人ということにして、理由は聞いていないと誤魔化そうかとも一瞬考えた。
 ただ、いまだに後ろから回されたままの手を握っていると、もう逃げたくないとも思った。
 答えはとっくに出ているのだから、お前が悪いと責められても背中を押してほしい。
「それは……たぶん、恥ずかしいから、です」
「……それだけ?」
「はい、ほんとに、それだけで……。」
「なあ、でもその女友達、性格としては結構おしゃべりなんだろ? で、ちゃんと彼氏のことも好きなんだよな? それでも言えないのか?」
「……そう、みたいです」
 鎌先の疑問はよく分かる。むしろ、逆であればこれほど悩まなかった。
 二口の方がいつものように軽い調子で好き好きと繰り返し、青根は全く言わない。だが態度では分かる。そういう関係であれば、まだ不安を覚えるまでにはならない。気になれば青根にせがみ、口をさせればそれですむ。
 だが、現状としては、青根はかなりの頻度で好きだと言ってくれるが、二口からは返したことがない。今の髪型の方が好きだとか、限定的でずるい会話はある。だが、青根をちゃんと好きなのだと面と向かって言葉に出したことなく、それが青根にはじわじわと不安として溜まっていくのではないかと怖くてたまらない。
「でも、寡黙な彼氏には好きだって言わせて、たぶん何度もそうしたから、彼氏の方は今では割と言ってくれるんだろ?」
「……そういうことです」
「けど、自分からは恥ずかしくて言えないのか?」
「……はい」
「彼氏には言わせたのに?」
「……ええ」
「恥ずかしいから? 彼氏には恥ずかしがらせておいて? 自分は言わないくせに、それで嫌われたらどうしようかとか悩んで? 言えないから言わなくていいとかって開き直るでもなく? 言えばいいだけだって分かりきっててもやっぱり恥ずかしくて誰かに相談して後押ししてほしいくらい、ほんとはちゃんと言って喜ばせたいほど彼氏が大好きってことなのか!?」
 淡々と確認していた鎌先だが、次第に語気が強くなり、最後にはそう声を荒げた。
 あくまで自分勝手な架空の女友達に憤っているだけだろうが、真正面から怒られて二口も落ち込む。やはり、他人事として聞けば誰もがこういう反応なのだろう。言わない自分が一方的に悪いのだと肩を落としかけた二口より先に、何故か鎌先が床へと崩れ落ちた。
「うわあああああああああああああああああ!!」
「……鎌先さん?」
 もしかすると女性というものへの理想が高すぎたのかと申し訳なくなるが、床に蹲って頭を抱える鎌先が唸ったのは全くの予想外だ。
「なんて……なんて、素敵な子なんだ」
「……は?」
「性格とか結構気が強そうなのにっ、大好きな彼氏には照れて仕方ないとか!! 恥ずかしくて好きって言えないとか!! 可愛い!! いじらしい!! 甘酸っぱい!! 最高だ、健気な小悪魔すぎて興奮する!!」
「やめてください今オレ心底鎌先さんが気持ち悪いです」
「……鎌ちって、絶対いい恋愛できそうにないよねえ」
「……趣味が悪いというか、物凄い厄介なのに引っかかりそうだよな」
「……なんとなく、鎌先さんに彼女が出来ない理由、分かってきました」
「二口っ、頼みがある!! もしその子が彼氏と別れることがあったら是非オレに紹介してくれ!!」
 鎌先としては軽口の延長だっただろうし、本当に友人の相談であれば二口も苦笑して聞き流せた。
 だが今の二口にはそれは無理だ。気がついたときには一番近いロッカーを思いきり足でガンッと蹴っていた。
「……!?」
「……嫌です、絶対別れません」
「お、落ち着いて二口、鎌ちほんとに分かってないだけだから……!?」
「そ、そうだぞ二口、鎌先はいろいろ危ういがそういうつもりじゃ……!?」
「あ、足、大丈夫だったか? 怪我とかしてないと、いいけど……!?」
「……青根ぇ、鎌先さんが相談に乗ってくれねえでヤなことばっか言ってオレのこといじめるんだ。明日あたりに鎌先さんのロッカーに甘酸っぱいリンゴ酢とかぶちまけといてくれよお」
「……?」
 わざとらしく嘆いてみせながら後ろの青根に抱きついたが、半分以上は確かめたかっただけだ。
 状況が飲み込めていない青根だが、しっかりと抱き返して背中をさすってくれる。自分たちの話題とは気がついていないらしい。甘えられて嬉しくなっていると分かる鼓動に二口は安堵したが、青根はどうやら鎌先に苛められたと真に受けたらしい。周囲を見回してから茂庭に視線を定めると、久しぶりに口を開く。
「……リンゴ酢、どこで」
「買わなくていいから!? 二口の冗談みたいなものだから、青根は実行しなくていいからね!? な、二口!?」
「……鎌先さんが謝ってくれないなら、実行させます」
「鎌ちは謝って!? 冗談でも言っていいことと悪いことがあるよっ、オレだってたまには怒るからな!?」
「え、そんなにダメだったか!? あっ、その、二口、オレはそんなつもりじゃ……い、いや、言い訳は潔くないな、すまなかった!! ちゃんと相談には乗るから、機嫌直してくれ!!」
「……。」
 二口としても、自分が気にしすぎなのだとは分かっている。それでも、女友達の相談だったとしても別れることを期待するような発言は失礼だという部分で拗ねてみれば、後ろで床から立ち上がった鎌先が謝る雰囲気を察した。だが、動揺した自分が落ち着くには鎌先の謝罪では無理だとも分かっており、二口は青根の背中に回した手で、小原に指示をする。
「え。そんな無茶な……。」
「……。」
「あー……あのっ、鎌先さん、小悪魔みたいな女性が好みなんですか? 妙に納得しましたけど」
「な、なんだよ小原、いきなり。今はそんな話してる場合じゃねえだろっ」
「まあそれはオレもそう思うんですけど、のっぴきならない事情がありまして……。」
 小原が頑張って鎌先の視線を逸らしてくれている間に、二口は青根からやや離れて唇を押し当てた。
 青根は当然驚いていたが、キスを深めようとはしない。さすがに回りに先輩たちがいることは分かっている。すぐに唇は離したものの、軽く髪を撫でてゴチッと額を合わせてくる青根に、二口は嬉しくてはにかみながら告げておいた。
「青根、さっきのリンゴ酢の件はナシな? 鎌先さんがあんまり意地悪だから、オレ、ちょっと、取り乱した」
「……。」
「もう大丈夫だから、ちゃんと謝ってくれたから、大丈夫。青根が慰めてくれたから、機嫌直った」
「……。」
 まだ少し心配そうだった青根だが、笑って繰り返せばやっと納得してくれたようだ。額を離してから、再びギュッと抱き締めてくれる。素直に顔を肩に埋めて抱き返していると、しみじみと茂庭たちが頷き合っていた。
「……ああいう仕草も言葉も平気なのに、やっぱり言えないものは言えないんだねえ」
「……それだけ特別というか、青根はわりと言うらしいって事実が今更ながら凄い気がするんだが」
「……恋愛って、不思議ですよねえ。ただでさえ不思議な二人だから、余計にかもですけど」
「な、なあっ、二口? それで、その相談の回答、考えてみたんだけどよ!?」
 好きに感想を言っている茂庭たちはいいが、鎌先がかなり焦ったように話しかけてくる。
 正直に言えば、二口はもう相談はどうでもよかった。そもそも、どうすべきなのかは自分が一番良く分かっている。他人事として聞けばやはり自分が悪いのだと確かめられただけで充分だ。ついでに鎌先の趣味が悪いことが判明しても、それはどうでもいい。
 ただ、動揺した口実にした所為か、鎌先は真剣に考えてくれていたようだ。背中を撫でる青根も少し気遣わしげなので、仕方なく二口は青根に腕を回したままで軽く振り返ってみた。
「……なんですか」
「うっ……ああ、えっと、その。恥ずかしいのが言えない理由なら、電話とかメールとかはどうかな、みたいな?」
「……。」
 少なくとも、面と向かって言うよりは恥ずかしさも軽減するのではないか。鎌先にしては真っ当な提案だったが、二口はふいっと顔を背けて再び青根に抱きついておく。
「……無理です。直接言いたいからってのは別にしても、ケータイ持ってないんで」
「へ? ああ、そうなのか? 高校生なのに、今時珍しいよな。持ってないのって、青根くらいかと思ってた」
「……。」
「……?」
「あっ、いや、そうだな、だったら手紙とか? 筆談みたいな感じで伝えるとか、どうだ?」
 高校生でも家庭の方針で持たされていない者はいなくはない。学校によっては持ち込み禁止であるし、なくても困らない者も一定数はいるものだ。だが交際相手がいるのであれば携帯電話を欲しがるのが普通だろう。鎌先の認識が間違っているとは思えない。そろそろ茂庭にも協力を仰いで、部として不便なのだと青根の両親に訴えてみようかと考えているところに、次の提案がなされて二口は低く返した。
「……嫌です、そんな二番煎じみたいなの」
「つかなんでさっきから二口が自分のことみたいに答えてんだって気がしないでもないけど、とにかく、やっぱり面と向かって言いたいんだよな?」
「……はい」
「でも、恥ずかしい、と?」
「……恥ずかしいのを見られてるのが恥ずかしいってのと、あと、別の理由もあります」
「そうなのか?」
「言うとすれば、普通は二人きりのときじゃないですか」
「まあ、そうだよな……?」
 もちろん、恥ずかしいのが最大の理由だ。ただ、それ以外にも多少の原因はある。人前で好きだ好きだと本気で言えるはずがなく、試みるとすればもちろん二人きりのときだ。鎌先が頷いたところで、二口は青根から顔を上げ、その瞳を見上げた。
「……?」
「……二人きりだと、やたら抱き締められてドキドキしてそれどころじゃなくなるんですよ」
「は? 彼氏の方が、スキンシップが多いてことか?」
「まあ、そんな感じというか、単純に性欲が強いというか」
 今は部室で、周りに他の部員がいるので青根も腕を回す程度だ。だがもしこれが自室であれば、二口はもうとっくに前戯でイかされているか、それこそ繋がって揺さぶられていてもおかしくない。ただでさえ気合いを入れてしっかりと告げるのだという強い意志が必要なのに、そうされてはまともに言葉も紡げなくなる。
 だから少しくらいは青根にも責任があると不思議そうな顔を見上げていると、しばらくぶりに鎌先に怒鳴られた。
「ばっ、バカか、おめーは!? せ、せ、性欲が強いとか絶倫とかヤりまくりとか簡単に口にしてんじゃねえよっ、バカ!!」
「オレ、そこまで言ってませんけど。……まあ、間違ってもないですけど」
「……ああ、やっぱり、青根ってそうなんだ」
「……今日の二口、気だるそうだったもんな」
「……青根はいつもと変わらないから、やっぱり体力的な差があるんでしょうね」
「……?」
「求められたら拒めないし、始められたらまともに会話なんかできないし、なんかだんだんこっちは悪くない気がしてきました」
「いやそれはちゃんと避妊とかもしないとまずいだろ!? まだ高校生なんだから清い交際をすべきだろ!? というか二口っ、オレ分かったぞ!!」
「……何ですか?」
 避妊という単語が出る辺りで、まだ二口の『女友達』と思っている鎌先に、何が分かったとも思えない。童貞であることをあれほど屈折した誇りにしている鎌先は、どうやらそんな主義の人間だったようだ。そうであれば自分たちは随分といかがわしい後輩たちだなと思っていると、いきなりガシッと肩を掴まれた。
「……鎌先さん?」
「恥ずかしいなら、彼氏からは見られないように。抱き締められて有耶無耶にされるなら、それができないように」
「はあ、それができれば苦労はしないっていうか、地味に青根以外から肩掴まれるのイヤなんですけど……?」
「彼氏のこと縛って目隠しして告白したらいんじゃね!?」
「……鎌先さんは天才ですか」
「いやあそれほどでも!!」
 全く期待などしていなかったが、二口は目から鱗が落ちた気分だ。
 確かに、まったくもってその通りだ。あくまで対面にこだわって告白するのであれば、恥ずかしがる姿を見られないように目隠しをして、更に抱き締められたりしないように腕も拘束する。元より部屋で二人きりならば見えなくとも告げる相手は二口だと分かるし、そもそも声で間違えようがない。なんという素晴らしい解決方法なのだと二口は素直に感動したが、何故か慌てたのは周りだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんな倒錯的なこと適当に勧めちゃダメだってば!?」
「そうだぞ地味に想像しちまっただろうがっ、オレの苦痛に謝れ!!」
「二口、間違っても青根が手首捻ったりするような縛り方はやめとけよ? できればタオルとか、幅が広いもので括った方が安全だから」
「小原もなんのアドバイスしてんの!?」
 正確には、小原はどこか達観していた。二年生より付き合いも深い分、二口にやめる気がないことはよく分かっていたのだろう。二口はいそいそと姿勢を直し、再び青根には背中を預ける格好になる。そして今度は肩からではなく腰の横から両手を回させて、腹の前でしっかりと握って鎌先には返しておいた。
「鎌先さんっ、相談してよかったっス!! たまにはほんとに頼りになるんですね、あざーす!!」
 それに、肩から手を離した鎌先も誇らしげだ。
「『たまには』は余計だが、役に立てたようでオレも嬉しい。また何かあれば、いつでも頼っていいからな」
「はい!!」
「……なんだろう、鎌ちが二口にもう少し優しくしてもらえたらいいのになあっていう願望は叶ったのに、この、胸の奥がざわざわして落ち着かない感じ」
「……茂庭、きっとそれは不安とか嫌な予感とか事態がより悪化した後ろめたさとかだ」
「……万一何事もなかったとしても、それを報告されたらオレたちはダメージ食らいますしねえ」
「じゃあオレ、早速解決のために帰りますね!! ……青根、帰るぞ?」
「……?」
 晴れやかな笑顔で挨拶をし、二口はベンチから立ち上がって青根の手を引いた。互いのカバンは近くに置いており、それぞれ担いで部室を出る。
 そんな二人を見送ってから、鎌先はしみじみと呟いた。
「……いいことをして、後輩からも感謝されると、気分がいいなあ」
「鎌ちはそれでいいかもしれないけどさあ……。」
「オレたちのこの苦悩はどうしてくれんだよ……。」
「まあ明日青根が怪我してないことを祈るばかりですよねえ……。」
「みんな、どうしたんだ? あっ、オレが二口の女友達の悩みを見事に解決したから、嫉妬してんのか?」
 ニヤニヤと嬉しそうに言う鎌先に、誰もが口を開きかけて、結局誰も何も言わなかった。
 嫉妬はしていない、むしろ傍迷惑すぎると文句が言いたい。
 だが、このところは本当に二口につれなくされて鎌先は凹んでいたのだ。それが、やっと頼ってもらえたと胸を張る姿が弟が生まれたばかりの幼い兄のようで、なんとなく微笑ましくもなり、短い春を堪能させてやった。








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