【お試し版】
『幻罪プレイ』収録-01.
■00
本当のあなたは、どこですか。
「ったく、この山、ほんとに管理されてねえんだな。道なんかあってねえようなモンじゃねえか」
思わず出る愚痴も、心なし息が上がっているのが悔しい。幼い頃より嗜好と必然性から煙草を吸っていたため体力がないのだと、呆れられるのが屈辱だった。そんな周囲の雑音を黙らせるために、自分としてはかなり鍛えてきたつもりだ。生来の骨格の所為で華奢に見えたとしても、細身のスーツに包まれた体には無駄のない筋肉が今ではしっかりとついている。
そんな自負もあり、作戦中に体力的な不足を感じることはない。少し走っただけで息が上がることは、単純な見栄以上に、酸欠が冷静な思考を奪って命取りになりかねないからだ。操る武器が、匣もダイナマイトも広範囲に対応しているので、標的を追って走り回らなくていいこともあり、スタミナ切れで離脱したことなど一度もない。
だが、今回はそんな戦歴にも傷がついてしまいそうだ。作戦すら開始されておらず、曖昧に『この辺』と記された地域をひたすら徒歩で捜索する。自動車やバイクなどが入れないのは、今もぼやいたように道が整備されていないためだ。鬱蒼とした木々が生い茂り、暗い足元は木の根や倒木が折り重なってかなり危ない。スーツにスニーカーは似合わないという主義で今日も革靴で参加してしまったことを後悔しかけていると、ふと視界に白い手が飛び込んできた。
「……。」
「獄寺、大丈夫か?」
一瞬ビクッと肩を震わせるようにして足を止めてしまったのは、思ったより疲労で意識が散漫になっていたためだ。まるでこの未開の山中を一人で遭難しているような気にもなってしまっていたが、自分は決して単独任務ではない。平均すれば緩やかな斜面だが、足元が悪すぎて時折急勾配になっている先を、同じ革靴でも平然と歩き進めていた男が、振り返ってそう手を差し出していた。
どうやら独り言のぼやきが、聞こえてしまっていたらしい。息が若干上がっているのもバレたのだろう。自分より随分といろいろ歩き回っているはずなのに、息一つ乱さず、こちらに手を貸そうとまでしてくる余裕がある男に、見当違いな苛立ちを感じてしまう。
相手からすれば、純然たる親切なのだろう。だがこうして気遣われると、半分事務方の自分と、戦闘専従者の違いを見せつけられているようだ。もう十年以上も前から望んでいた『十代目の右腕』という地位は、意外に戦闘以外の分野が多かった。そうなりたいと願っていたし、十代目と尊敬する沢田綱吉、ツナも最近では自分をそうと解釈してくれていると思うこともある。それは本当に嬉しいし、もったいなほどの幸せだ。だが一つだけ想定外だったことがあるとすれば、どうしても訓練と戦闘だけに明け暮れてはいられないため、鍛えたつもりの体力でもこの男との差がますます開いていった気がすることだろう。
「……うるせえな、テメェの手なんざ借りねえよっ」
いや、気がするだけではない、きっと本当に差は開いている。
出会った当初から、ツナの家庭教師だったリボーンが、運動神経は抜群だと評価していた。それはせいぜい一般的な男子中学生の中での話かと思っていたが、実際にマフィアの中でもトップクラスだったらしい。身体能力を駆使するセンスはもちろんのこと、鍛錬も怠らないため技術を充分に、且つ作戦終了まで継続的に発揮し続けられる体力も備えているのだ。
今も少し前を進みながら、息も乱していない。振り返った顔に疲労は見えず、それこそ麓まで乗りつけた車から降りた直後のようだ。よく見れば、スーツのところどころが枝に引っかかれ、木の葉などもついている。それがなければ、本当に家を出たばかりと言っても信じそうなほど平然としている男に対し、こちらは一度止めてしまった足が根を張ったように動かなくなってしまった。
「そっか? だいぶ疲れてるように見えるけど」
「……大丈夫だって言ってんだろ、さっさと先に進むぞ」
それまでは何とか動いてくれていたのに、一旦止まると棒になってしまったように足が動こうとしない。先ほどよりも息が荒くなっている気もする。純粋な疲労だけでなく、高度も上がってきているからだろう。
まったく、どうして自分が山登りなどしなければならないのか。
与えられた任務への愚痴は言うまいと心がけていても、気が抜ければ口にしてしまいそうだ。だが今回に関して言えば、直々にツナから頼まれたのだ。内容を聞けば、自分も少し気になることがあり、了承した。そのため誰を恨む筋合いはないと分かっていても、こうして実際に敵にも遭遇せず、ただひたすら手入れされていない山中を歩き回るという状況に苛立ちが増したとき、振り返っていた男が年不相応にニコッと笑っていた。
「あ、でも、オレは疲れちった。なあ獄寺、ちょっと休憩しねえ?」
「……。」
「ほら、えっと、GPSだっけ? あれで、どれくらい歩いたかも確認しようぜっ」
まるで出会ったばかりの中学生の頃、マフィアなどという血生臭いこの世界を知りもしない子供のときと同じような笑みを浮かべられるのは、それだけ余裕があるからだ。しかも、どう見ても疲れている様子はないのに、あっけらかんと言い放って数歩先から下ってくる。そしてすぐ近くにあった古い倒木へと腰を下ろし、刀と共に肩に背負っていたバッグを胸の前に回して開けていた。
「ええっと、これ、どうやって見るんだったかな……。」
「……貸せ」
こういうさり気ない気遣いを、素直に受けて喜べるタイプと、憐れみをかけられたようで屈辱に思うタイプがいるだろう。自分は確実に後者だ。だが突っぱねたところでもうこの男は先に進もうとしないだろうし、意地を張るには疲れすぎている。大きく深呼吸をして気持ちを切り替えるように肩を上下させれば、もう動かないのではないかと思っていた足が、ゆっくりとその倒木へと向かっていた。
今回の任務において、直接的な危機が訪れるまではリングも匣も使用は御法度だ。敵、と表現していいのかは微妙なところであるが、ここ数ヶ月の厄介事を引き起こしてくれている元凶が、炎に反応している可能性が高いためだ。実際には、ある特定の条件を伴って炎を灯らせた場合なのだが、不用意に使用しないに越したことはない。そのため、捜索や位置確認においても、炎を頼らず人力と機械でまかなっている。
「はいっ」
「……。」
「で、地図と照らし合わせるんだったよな……。」
最低限の荷物を詰めたバッグを、麓で車を降りたときから当然のようにこの男が背負っている。荷物持ちを買って出たのは、長丁場になった際の体力の差を予め考慮していたからだろう。非力だと蔑まれているようであるが、山に入る前だったので自分にも余裕があり、持ってくれるならそれでいいと鷹揚に構えられた。だが先に倒木に腰を下ろしていた男が、カバンから出して真っ先に渡してくれたものが水の入ったペットボトルだったことは、再びなけなしのプライドを傷つけられる。
本人はあくまで親切なのだろうが、わざとらしさがない方が余計に悪いということに気づいていないのだろうか。施しなど受けてたまるかと、それこそ中学生の頃ならば突っぱねたかもしれない。だが今は自分も大人になり、ここで水を拒む無意味さは頭でちゃんと分かっている。黙ってペットボトルを受け取り、倒木にこちらもドカッと腰を下ろしてから水を一口呷り、すぐにキャップを締めて返していた。
「ん? もういいのか?」
「ああ。それより地図とGPS貸せよ、お前じゃ時間かかるばっかりだろ」
飲んだ量が少ないと思ったのか、不思議そうに見てくる目にも苛立ってしまう。だが補給された水分は、思ったより精神も潤わせてくれたようだ。無駄な言い争いで体力を消耗するのも馬鹿らしかったので、相手の膝に置かれていた地図とマーカーをさっさと奪い取ることにしていた。
やや躊躇いはあったようだが、素直にペットボトルを返され、換わりにカバンの中から手の平に乗るほどの黒い機械を差し出されたので、受け取っておく。蓋を開ければ、移動した位置が一定の間隔で緯度と経度で表示されている。もっと大掛かりなものもあったのだが、今回は敵との戦闘は予測されていないため、最も簡易で軽量のものを選んだのだ。
通過時刻と共に、歩いた経路を地図に書き込んでいく。その動線から、概ね三百メートルの範囲は、目視による確認済みということだ。捜索範囲の緯度が低いところから、蛇行するように徐々に緯度を上げて全体を網羅していく。今のところ、特に見落としたような空白地帯もないので、おそらく目標は残り三分の一くらいの範囲にあるのだろう。
そうと分かったところで、また気持ちが億劫になる。
あと三分の一もあるのかとため息をつくが、隣で水を飲んでいたらしい男が膝に置いていた地図をぐいっと覗き込んできたことに驚いた。
「……あ、もう半分は終わってんだ?」
「おいっ、バカ、邪魔だっての……!!」
そうして身を乗り出されると、手元が見えない。マーキングの邪魔だと叱咤したつもりでも、ペンで足跡を辿る作業はとっくに終わっており、本当はこうして不用意に接近されることに動揺しただけだ。
この男はいつもそうだと、歯痒くなる。無邪気な様子を振りまきながら、実に不躾に自分の中に土足で踏み込んでくる。互いに成長し、今年はもう二十四歳になる。誕生日の関係で先にその年齢に達しているはずなのに、まるで子供のような言動と、時折垣間見せる大人びた表情に、自分は翻弄されてばかりだ。
「……なあ、ほんとに繭を見落としてねえのかな」
邪魔だと言われたので素直に体は引いたものの、隣から地図を見下ろしたままぽつりと呟いた横顔に、また心臓がドクリと跳ね上がった。だがそれは好意的な昂揚だけではなかったことで、自分もなんとか冷静さを取り戻すことができ、軽いため息で返しておくことができる。
「見落としてねえ、てことで進むしかねえだろ。そんな心配は、この範囲を全部歩き終わってからだ」
「まあ、それはそうなんだけど。繭ってそんなに分かり易くなってんの?」
「これまでの発見例だとな」
口にされた心配は分かる、だがこう答えるしかないのも事実だ。
疑い出せばキリがないし、取り敢えずは想定される範囲をすべて捜索して、発見できなかった場合に改めて見落としがないのか立ち返るべきだろう。
そんな正論を吐きつつも、自分もやや不安に思うところはあった。実を言えば、これまでの発見例は、あまりに分かり易くそこにあったらしいのだ。どうして今まで目立たなかったのか、何故捜索隊に発見されなかったのかと、怪訝になる。霧属性の匣でもない限り、そんなに完璧なカモフラージュがされていたとは、にわかに信じられなかった。
だが、その点についても一応の理論はボンゴレも立てている。知ってはいるのだろうが、やはり隣で不思議そうにしている男に、自分はそれを繰り返すことしかできなかった。
「形代(コピー)を殺すまでは、そっちに『像』を盗まれてる状態らしいからな。本体は繭(コクーン)に囚われてても、その『像』がなくて、周囲に溶け込んでるから見えねえってのが通説だ」
淡々と説明をしても、隣の男は首を傾げたままだ。
「それって、コピーが消える前までは、透明な状態で物体としてはそこにあったってことなのか? こう、歩いてて、何もないと思ったところで突然ガンッてぶつかるみたいな?」
「そうなんだろうけど、そうじゃないかもしれねえ。追憶の匣に関しては、ほとんど伝承レベルの話で、これまで実在してるかも分からなかったから、絶対的にデータが足りてねえんだよ。大体、仮にそうだとしても、もうコピーは死んでるからコクーンの中の本体がちゃんと見えるようになってるはずだ」
こうして話している間も、実を言えばまだ眉唾物だと思っていることは内緒だ。
そもそも、今回の任務は通称『コクーン』と呼ばれる繭を確保することである。中身は、ボンゴレに所属している、とあるファミリーだ。ちなみにこのファミリーは、ミイラ取りが、ミイラになったものを、更に取りに行った者がミイラになったという失敗の連続の末端に加担している。
当該ファミリーが山に入ったのは一ヶ月半ほど前で、別の繭にいるはずのファミリーを回収に行く捜索隊に参加していた。そのときの要救助者は無事に回収できたものの、捜索隊の一人が囚われてしまった。体力にもよるが、繭に囚われてから一ヶ月から二ヶ月が生還の境目と言われており、戦闘要員ではなかったことを考えればそろそろ限界にも近い。
すぐに捜索隊を出せなかったことに関しては、いくつかの不幸が重なった。まず一つは、捜索隊として参加していた際、このファミリーは一人でいるところで囚われてしまったこと。もう一つは、囚われた後、素知らぬ顔で捜索隊に交流したファミリーがコピーだとしばらく見抜けなかったこと。最後の一つとして、コピーだと判明してから、それを自覚させて殺すまでに時間がかかってしまったためだ。
仮にコピーと判明した時点で捜索を開始しても、『像』はコピーが持ったままなのでまず見つけられない。たとえ偶然ぶつかるなどして場所が分かったとしても、どこが繭でどこが本体なのか、そもそも『像』がない状態で繭から出して無事なのか、誰も断言は出来ない。
これまで救出に成功した場合は、いずれもコピーを消してからなのだ。万全を期して回収に向かうためには、生還が危うくなるほどの時間がかかることは仕方なかったらしい。
「……追憶の匣、か」
物思いに耽っていたところで、そう隣から呟かれた言葉は嫌な冷たさを持って鼓膜に流れ込んできた。
伝承としては、知っていた。だが実在するとは思ってなかった。
人の後悔を食って、幻影を生み出す匣。
誰が作ったのか、目的はなんだったのか、それらは今もってさっぱり分かっていない。だがこのイタリアの片田舎で、ずっと実しやかに語り継がれていた。これまで発動報告がなかったのは、炎を出さないと開匣されないためだ。いや、あるいは誰も気づかなかっただけかもしれない。後悔に囚われ、理想として作り出された幻影を、誰もコピーとは気づかずに迎え入れる。繭に囚われたままの本体が力尽き、炎の供給が途絶えたところでコピーである形代も忽然と姿を消すので、失踪者として扱われてきたとも考えられる。
日本で言えば富士の樹海に似た鬱蒼とした深い森は、自殺の名所としても有名だ。それは、本来は自殺をするためではなく、追憶の匣に囚われたまま朽ち果てた本体が、躯となって何体も発見されたからなのだろうか。
無性に煙草を吸いたくなるような寒気に襲われたが、こんなところで火を灯すわけにもいかない。五月に入っているというのに、昼間でも薄暗くかなり肌寒いことを休憩してから思い出しながら、ずっと気になっていたことを口にしていた。
「……お前、この回収の任務、自ら志願したんだってな」
「え?……ああ、まあな」
今回の回収対象がそうであるように、追憶の匣に囚われた者を助けに行くのは危険を孕んでいる。
攻撃されたりするわけではなく、捜索者が次の犠牲者になるという危険だ。
この周囲一帯はそもそもボンゴレの影響下に長らくある地域であり、最初の犠牲者は村娘だった。ファミリーではなかったものの、リングの精製を手伝っていたため、多少の炎を灯すことはできた。その娘を助け出すのに向かったボンゴレのファミリーが囚われ、そのファミリーを回収するのに派遣した捜索隊の何人かが囚われ、という悪循環を繰り返しているのである。
実際に追憶の匣そのものを見た者がいないため、断言はできないものの、どうやら多属性か、七連式らしい。要するに、炎の属性に限らず、囚われているということだ。一度に複数の者が囚われることもあるので、七連式という説が若干有力ではあるが、推測にしかすぎない。七連式だとしても、それが一組であるという保障はなく、同じ属性の者で編成して向かわせれば危険が軽減されるかは分からなかった。
そのため、次第にボンゴレの中でも追憶の匣に囚われた者の回収に及び腰になっていった。助けに行けば今度は自分が囚われてしまうかもしれないと思えば、敬遠してしまうのも当然だろう。そんなイタリアでの状況を聞き及び、わざわざ日本から海を渡ってまで名乗り出たのはどういう理由なのだろう。
「だって、ツナが困ってたし」
「……。」
「たまにはこっちにも顔を出せって、小僧とかにもいっつも言われてたから、ついでに行ってこようかなって」
日本でも散々感じた不審さを、ここにきてやっと尋ねてみれば、返答はあっけらかんとしたものだった。
守護者の一人でありながら、最もイタリア語に疎いこともあってか、この男はあまり海を渡りたがらない。疎いとは言っても、日常的な読み書きはできるし、なにより会話はもっと勢いでこなしているので不自由さはないはずだ。だがやはり父親が日本におり、マフィアとは関係ないところで生まれ育ってきたためか、明確な用件がなければあまり渡航したがらない傾向はずっと感じていた。
そんな中、ツナが並盛の地下に巨大基地を作っていることからも、どうしても拠点が日本に移りつつある。それを快く思っていないイタリアの幹部連中のご機嫌取りというよりは、本国との連携を強化しておくためにも、守護者クラスでの交流は不可欠だと常々考えていた。事務方ではないこの男が行ったところで交渉などは期待は出来ないが、滞在したということそのものが重要になる。暇なときに既成事実を作っておけと口を酸っぱくして言っていたが、ここにきて急に身軽に腰をあげたのがこの回収任務だったことには、一抹の不安が過ぎった。
本当に、いまだに親友と豪語しているツナを助けたいだけなのだろうか。
追憶の匣の危険性を聞いても尚、参加することに躊躇いはなかったのだろうか。
「そういや、獄寺こそ何で? ツナに頼まれた?」
「……まあ、そんなところだ。テメェが頼りないからしっかり見といてくれって、お優しい十代目に期待されたんだよ」
いや、危険性を知っていたからこそではないのか、と嫌な方向に想像が回る前に、逆に尋ねられたことに笑って返しておく。
答えたことは、嘘ではない。そもそもこの回収任務を、日本にいたこの男にツナも頼んだつもりはなかったのだ。ただ本国からの報告を受け、困ったことになっていると世間話のように話したらしい。すると、ならば自分が行ってくると言い出したことに、ツナも驚き、少し心配になったようだ。
守護者であるかどうかより、純粋な体力から考えれば、人一人を担いで山からおりてくることは容易いだろう。万一なんらかの戦闘があっても、充分に対応できる能力もある。だが追憶の匣の特性を聞いてから申し出られたことで、ツナは別の意図があるのではないかと危惧したらしい。
『ほら、山本ってさ? たぶん……いまだに、オレに、感謝してると思うから……。』
『十代目……。』
もう十年以上も前、ツナによって自殺を未遂に止められた。
そのことに感謝しており、恩に報いるためにマフィアの道に進んだのではないか。
ツナの中には、ずっとその後ろめたさがあることを知っていた。たとえどれだけ本人が否定したとしても、ツナは完全には信じきれないのだろう。その原因の一つとして、この男にはマフィア以外の夢があったという事実がある。
その夢を捨てることになったが、後悔などしていない。それを証明するために、わざわざ危険な任務を買って出てイタリアまで行くのではないか。
ある側面において、この予想は事実だろう。人探しという、体力的にはさほど大したことのない任務ではあるが、ミイラ取りをミイラにする危険は当人の中の素質に左右される。回収任務を買って出たことで、その素質はないと本人は考え、暗に示しているのだ。
だがそれは見立てが間違っており、実はその素質があるので危険になってしまうのではないか。つまり当人の自覚のなさによって、潜在的な危険誘発要因を持っていると知らないままで、危機に飛び込ませてしまうのではないかとツナは心配している。
「オレ、そんなに頼りねえかな? まあ確かに、GPSを地図に書き込むとか、獄寺みてえにスラスラできねえけど」
「……。」
だが、自分は別の危惧を持ち、この任務への同行を決めた。
元々一人で向かわせることはないため、誰かが同行するのは決定だった。できれば五人以上の捜索隊を組みたいところであるが、出せば出すほど囚われていくのであれば、なかなか人も集まらない。なにより無駄に人員を増やして危険を大きくする必要もないので、二人という最低限の人数で行うことに異論はない。
ツナは、あくまで無自覚による事故を心配している。
だが本当に危険な素質を自覚していないのか、怪しいところだと自分は思っていた。
「でも、一人担いで助けてくるくらい、オレだけでもできると思うんだけど」
「……。」
「まあ確かに、万一遭難でもしたらいけねえし、誰かと組んで行けってのは分からなくもねえんだけど、でも、わざわざ獄寺まで日本から来てくれるほどのことじゃ……て、獄寺?」
もし危険な素質を自覚したまま、この地に足を踏み入れたのであれば、最早それは故意だ。
そう思ったとき、また体がぶるりと震えてしまった。冷えた汗で体が寒がっただけではない。鬱蒼と茂る木々に遮られて、五月の暖かい日の光も届かないこの場所は、妙に静かで胸の内まで時々冷やしてくるようだ。
隣でぼやくように話されていた言葉が途切れ、怪訝そうに顔を覗き込まれる。近づく顔と絡む視線は、寒さで震えた体を必要以上に火照らせるとも知っていたため、座っていた倒木から先に逃れるように腰を上げていた。
「……もう休憩は充分だろ、さっさと捜索続けるぞ」
「あ、ああ……?」
ついでに畳んだ地図とGPS装置を押しつけ、ゆっくりと辺りを見回した。取り敢えず、視認できる範囲では繭らしきものはないようだ。
受け取った地図や持ったままのペットボトルをカバンへとしまい、肩に担ぐようにして続いて立ち上がった男も、同じように見回してから北側を指差す。
「取り敢えず、こっちに進む?」
「ああ。そうだな、百メールくらい先の、隣の木に斜めに倒れてる木が見えるか? あそこまで行ったら、東に曲がる」
「オッケー」
先をこの男が歩き、どこで折り返すのかを自分が決めるという役割分担は、なんとなく決まっていた。捜索範囲の中の、緯度で言えば三分の二ほど進んだ西端に今はいるのだ。あまり一気に登りすぎると横断している際に見落としが発生しやすくなるため、目安として五百メートル前後で東西へと折り返すことにしていた。
その目標を決め、再び捜索を開始する。座り込んだときは二度と動いてくれないのではないかと心配になった足も、わずかな休憩でしっかりと回復していたようだ。積もった枝葉や下草を踏みしめながら、革靴でまた歩き始める。
「……まあ、確かに獄寺は大丈夫そうだけど」
「……?」
薄暗いとはいっても、まだ日も高い午前中である。照明が必要なほどの暗さでは当然なく、視界に困ることはない。冷たく澄んだ空気は心地いいはずなのに、自殺の名所でもあることを思い出せば淀んでいる気がした。更にそれが追憶の匣の影響なのかもしれないと思えば、禍々しさを感じた。
そんな中で、繭に囚われた人間を探すという、御伽噺のような任務についていると、自然と無口になる。話題がないというより、話していれば息が上がってしまうためだ。だがこのときは、歩き出してまだ数メートルもいかないうちに、前を歩く男からそんな声が聞こえた。
独り言なのかもしれないが、妙に気になってしまった。何が大丈夫と言うのか、自分はすっかりこの山登りに辟易していると思ってしまい、つい口を開いてしまう。
「……大丈夫に決まってんだろうがっ」
そして吐き捨てるように言った内容は、当然強がりだ。男の言葉を否定だと知っていても、認めるのは癪で、結果的には肯定することになる。頷いているのにやや不機嫌そうという、おかしな反応を見せてしまえば、先を歩く背中は少し笑ったようだ。
「ああ、まあ、そうだよな。獄寺は、後悔とかなさそうだし」
「……。」
「それをツナもちゃんと知ってるから、オレの見張りとして指名された?」
だがどうやら、質問の意図は違ったらしい。体力のことではなく、まさに追憶の匣に狙われる危険要因についての話だったようだ。
追憶の匣は、人の後悔を食うと長らく言われていた。これは伝説ではなく、どうやら事実に即した解釈だったらしい。そもそも、叶わなかった理想像というものが幻影として現れるのだ。そこにあるのは、当然ながら強い後悔である。その後悔が強いほど、引き込まれやすいらしい。
多かれ少なかれ、誰しも後悔はあるだろう。だがそれがどの程度のものなのか、客観的に他人と比べることはできない。軽い方だと思っていても、捜索隊の中でもし一番強い後悔だった場合には囚われてしまうのではないか。そんな疑心暗鬼が生まれれば、回収任務への参加を躊躇う気持ちも分からなくはないのだ。
そのため、ツナから指名されて快諾したということは、追憶の匣に囚われるほどの後悔がないと信用されているからかと尋ねられたことには、少し動揺した。
「……当たり前だ。オレはこの世界、マフィアになったことに微塵の後悔もねえからな。最初からマフィアの家に生まれてたし、十代目と出会ってからはずっと右腕になるのが夢だった。そのことは、十代目もよくご存知のはずだ」
「やっぱそうなんだろうなあ、それがオレとの違いなんだろうな……。」
先を歩かれることで顔を見られないことには安堵し、そう淡々と返せばまたどうとでも取れる相槌が返される。
生まれた環境の違いにより、今の状況に後悔はないことをツナに信じてもらえない。
あるいは、生まれた環境が違うから、マフィアとなることに微塵の後悔もない。
二つの解釈は、主体が異なっている。前者であれば、まさにツナが心配していた通りだ。ツナに信じてもらえないので、証明するためにこの任務に志願した。
だが、自分はどうしても後者であるように聞こえてしまう。後悔を糧に、理想の幻影を作り出すことは、ある種の人間にはむしろ甘美な誘惑ではないのだろうか。お前は本当に後悔していないのかと尋ねられない背中に、しばらく黙って足を進めてから、ふっと肩の力を抜いて笑ってみせながら口にしていた。
「……まあ、だからってオレにも後悔が全くないワケじゃねえ」
「え、そーなのな?」
「たとえば、この山登りを始める前に、もう一服しとけばよかったとかな」
東へと曲がる目安とした斜めの木までは、あと少しだ。この辺りは急に勾配が激しくなっており、近くの幹に手をつかなければ登ることが難しくなっている。再び歩き始めてまださほど経っていないのに、既に息が上がり始めているのを情けなく思いながら、できるだけ声を落ち着けてそんな冗談を言ってみた。
それに、振り向きはしないものの、先を進む背中も少し肩が揺れたのが分かる。笑ったというよりは、呆れたのかもしれない。どちらにしろ、冗談として伝わったようなので、さり気なく切り返すつもりだったところに先に言われてしまった。
「ああ、そう言われれば、オレも後悔してるかも?」
「……何をだよ?」
そう切り出したところで、一旦言葉が区切られる。何か慎重に告げるべき言葉が続くのか身構えたが、どうやら単に目安とした場所に到達したかららしい。立ち枯れたのか、斜めに倒れている木のすぐ傍まで足を進め、ほぼ垂直に削られたような斜面を長い足で一気に跨いでいた。
足の長さならば負けていないはずだが、周囲につかまれる木々がないのに体を揺らすこともなく跨げたのは、筋力の賜物だろう。自分に同じことができるだろうかとやや億劫に思っていると、先に上がった男が立ち枯れの木に寄りかかられてる幹に片手で捕まり、もう一方の手を差し出してきた。
「ほら、獄寺?」
「……。」
少し迂回をすれば、手を借りずとも登れる斜面がある。なにより、やや不恰好になるかもしれないが、自分一人で登れなくもないのだ。休憩する前ですら断ったのだから、今更手を借りるはずもない。だがそんなプライドを凌駕したのは、途中になってしまった会話の続きが気になっていたからかもしれない。
「……だから、何をだよ?」
「え?」
「テメェが後悔してること」
面食らった表情は、もう一度尋ねられた意味が分からなかったのではなく、自分が素直に手を重ねたからだろう。軍手すらしていないので、木々の屑がついた手はやや汗ばんでいた。もちろん、こちらの手もそれは同じだ。だが触れたときの一瞬の動揺さえ過ぎれば、しっかりとした握力で痛いくらいに握り締められ、軽い呼吸の後に一気に引っ張り上げられた。
ほとんど足で斜面を蹴る必要もなく、隣に立つことができてまずは安堵する。だが少し見上げる目線になることを、今更のように腹立たしくなりながらそう続ければ、やっと質問の意図が分かったらしく手を放しながらあっけらかんと笑われた。
「ああ、大したことじゃねえけど、イタリア渡ってくる前にもっと味噌汁とか飲んどけばよかったかなあって?」
「……。」
こっちの日本食ってなんか違うんだよな、と続ける内容は、確かに大したことのない内容だった。
肩透かしを食らったような気になり、わざとではないため息が出る。そもそもこちらも冗談を向けたので、冗談でしか返されないのかと思ったとき、ふと心を気持ち悪く撫でられた気がした。
「じゃあ、こっからは東に……?」
「……待て」
何かが、ある。
誰かが、見ている。
そんな感覚だ。立ち枯れの木があるこの場所は、断層でもあるのか、かなり勾配がきつい。歩いた距離に対して、高度が大きいのだ。そのため、急に変わったように感じる視界に、ゆっくりと辺りを見回してみる。すると、向かうつもりの東よりはやや北に寄った先に、わずかに気配を感じた。
「……山本、あれ、見えるか」
「え?……あ」
「あれ、か……。」
炎を感知するレーダーでは、当人の炎が尽きかけているため漠然とした範囲しか指定できなかった。かといって、実際に探知機をこの場に持ち込めば荷物になるし、軽量型の大半は炎をエネルギーとして作動するので危険には変わりない。なにより、かなりの手錬れであれば感覚として察することができるため、大体の範囲が特定できれば後は自力で見つけられるだろうという予測は、当たっていたようだ。
わずかにしか見えないものの、北東にある比較的大きな木の根元に、何かがあった。少し白みがかった丸い物はまさに『繭(コクーン)』と呼ぶに相応しい形状だ。この距離では、半透明になっている中にいるのが目的の要救助者かは分からないが、誰か、あるいは何かが入っていることだけは確かのようだ。
「やっと見つかったか、てこずらせやがって……。」
特に何か障害があったわけではないが、どっと疲労が押し寄せてきたことで思わずそうぼやいてしまう。すると笑いながら先に進む背中から、ゆらりと刀身が抜かれていた。
「山本……?」
「……なんか、アレ、変な感じしねえ? ほんとに探してた繭なのかな」
「他の何だって言うんだよ? まあ、確かに変な感じはするけどよ……。」
繭が実体として目に見えている以上、追憶の匣の効果は切れている。元々、攻撃を主とした匣ではないのだ。リングで炎を注入し、開匣して操っている術者がいるわけでもない。それこそ、匣自身が意志でも持っているかのように、虎視眈々と炎と後悔を併せ持つ次の餌食を待っているだけの罠だ。
警戒するのはいいが、下手に構えてうっかり炎を出してしまった方が危ない。なにしろ、基本的には攻撃性がないと言われているだけで、狙った獲物を捕らえる際には多少は暴れるらしいのだ。回収すべき対象が生きていることは喜ばしいが、生きているからこそわずかでも追憶の匣が炎を吸収し、次の犠牲者を得る糧にもできる。何を仕掛けてくるのか分からないのも事実ではあるが、やはりもう刀を抜いていることには不安の方が大きかった。
「……。」
「……。」
先を進む背中に続き、やや距離をとって後に続く。何かあれば援護できる位置についたのは、自分の武器は今回の任務ではかなり不都合と分かっていたためだ。匣兵器はそもそも予め出して備えるのにも炎が必要であるし、ダイナマイトでは火事を引き起こしかねない。これでは本当にお守りだと思いながら足を進めていくと、次第に繭の様子が見えてきた。
木の根元にあるそれは、直径が一メートル半はある。回収対象の身長を考えれば、中にいるとしても座って膝でも抱えているのだろう。半透明ではあるものの、薄っすらと白い膜がかかっているような状態なので、近づくほど中身がよく見えるようになる。
「……ああ、やっぱりアレが繭なのか」
「……。」
それは、先を歩く方がより早く確認できたようだ。気配に警戒はしていたものの、しっかりと中が見えるようになれば、一ヵ月半前に捜索隊に加わっていた男だと分かったらしい。自分は直接の面識はないが、写真で顔と服装は確認している。まだよく見えないのでやや横にずれ、自分も繭の中を拝もうとしたところで、警戒を解いたらしくカチャリと刀が鳴って下ろされていた。
「なあ獄寺、あの繭から出すのって、斬ったりとか……?」
「……山本っ!?」
「え……うわっ!?」
だがそれを待っていたとばかりに、急に白い何かが自分たちの間に大量に流れ込んできた。
緊張感のない表現でいいならば、まるで素麺だ。白く細い糸のようなものが、身長をはるかに超すような量で上から突如現れる。
その白い波に、山本の姿は一瞬で消された。
「山本!!」
それでも、声は聞こえていたので、必死でその糸の中へと手を伸ばす。
「ぐぁっ……!?」
だが伸ばした手が糸に絡みつかれ、そのまま下へと押し流された。斜面にぶつかりながら転がり落ち、やがて全身に白い糸が纏わりつく。きつく圧迫され呼吸も苦しくなるが、この先にあの男がいるのだと思えば躊躇いはなかった。
「く、そぉ……!!」
ギシギシと全身が捻じ切られるような圧力の中、必死で腰へと右手を伸ばす。そして、髑髏を模した砲を開匣し、袖口に仕込んだダイナマイトを装填してから、まずはそのまま一発放っていた。
「ぐっ……!!」
狙いは定められなかったので、半分は自分の右足に向けて撃ったようなものだ。皮膚が焼き切れる感覚はあったが、骨や神経には届いていない。軽傷だと判断して、比較的自由になった糸の中で再びダイナマイトを装填する。
嵐の属性を持つ砲を放って消滅するということは、やはりこの素麺は炎によって精製された産物だ。髑髏の砲の威力は確かだが、なにしろ素麺が大量すぎる。周辺が消えて呼吸と動きが一時的に楽になっても、すぐにまた流れ込んでくるのだ。
ここから脱出するには、もっと威力をこめるしかない。先ほどは小型しか仕込めなかったが、今度は通常のダイナマイトを装填し、範囲も調整して放っていた。
「食らえ!!」
大量の糸の流れにあっても、あの声が聞こえている気がした。そちらに向けて放てば、どうやら貫通したようで眩い光が差し込んでくる。
「やま……も、と……!!」
その先に、あいつがいる。
そうと信じて手を伸ばすのに、眩しすぎる光はまた流れてきた糸に閉ざれそうになる。
奪われるわけにはいかない、それを心配してついてきた意味がなくなる。
「や、ま……!!」
あの男を、正体不明の匣などにくれてやるわけにはいかないのだ。
そうと誓いながら進むのに、やがて絡みつく糸に身動きが取れなくなっていく。
それすら、まるであの男が拒んでいるからのようにも感じられ、ふと力が抜けてしまった。
ああ、やはりそういうつもりだったのか。
自分がどれほど足掻いても、あの男には、結局、手が届かない。
「……。」
こうしてまた、触れることもできないところに行ってしまうのだと諦めたとき、背中から後頭部にかけて強い衝撃を受け、意識を失う。
暗闇に落ちていきながら、漠然と思っていた。
この糸に飲み込まれたあの男は、本当は何を望んでいたのだろう。
ずっと後悔していたのだと知ってしまっても、感想としては、ああやっぱり、という程度だった。
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