【お試し版】
『二式錯綜シグネチャー』収録-01.





■00





 真っ白な清潔さで占められた部屋に、ノックもせず入る。
 するとベッドで体を起こしていた男からは驚いたような視線が向けられたが、すぐに逸らされた。
「よう、医者に聞いてきてやったぞ」
「……。」
 気にせず口を開きながら室内へと進めば、スライド式のドアがバタンと音を響かせて閉まった。
 取り敢えずはベッドの脇へと行き、スーツのジャケットを脱ごうと壁へと向く。
 そのとき、ふと背中に視線を感じた。
 相変わらず、こちらが見ていないと見つめてくる傾向は強いようだ。
「もうだいぶいいみてえだな、退院も近いってよ」
「……。」
 だが壁に吊るされていたハンガーへとジャケットを掛け、ベッドへと振り返ると再び視線は逸らされる。
 まだ気にしているのだろうかと、内心でため息をつく。確かに今回の怪我は、完全に本人の不注意だ。厳密な作戦終了前に考え事をしていて一撃を食らうなど、ボスの守護者としてあるまじき失態だ。もちろんお優しい十代目は寛大にお許しになっていたが、同時にかなり心配もなさっていた。
 きっと、十代目も気がついていたのだろう。
 このバカが、やけにぼんやりとして物思いに耽っているのは、怪我をした一週間前に急に起きた変化ではない。それでも、十代目が想像しているよりはずっともっと以前から、それこそ数年前から時々その兆候があり、ここ最近ますますひどくなっていたということまでは、やはり自分しか知らないのかもしれない。
「……そう考えたら、やっぱ怪我の所為じゃねえのか」
「……?」
 今も、ベッドで体を起こしていたにも関わらず、この怪我人は何をしていたというわけでもない。テレビや音楽もついていないし、本や雑誌を読んでいたわけでもない。もちろんこの病室には自分が入ってくるまでは一人きりで、誰かと会話をしていた様子もないのだ。
 それなのに、暇潰しを要求するでもなく、日がな一日ぼんやりと過ごしている。
 四肢の怪我はさほどひどくないが、頭を打ったので念のためこうして入院しており、ぼんやりしているのはその後遺症のようなものだろうと診断されていた。
 そもそも、ぼんやりしていて怪我をしたのに、いまだに惚けているのが怪我に起因しているというのは矛盾している。だが、そうでもない限り、後は心の問題ということになってしまう。本人がしゃべらない以上は無理に聞き出すのはよくないという十代目の方針に従い、そっとしておかれているというのが現状だ。
 ベッドの傍に置かれているパイプ椅子へと腰を下ろせば、ギシリと軋んだ。その音へと注意は引かれるようなのに、顔を向ければ目を逸らされる。
「……。」
「……。」
 そのことも、十代目は気づいているのだろうか。
 不意に他人事のように考えてしまったのは、こうして、自分ばかりが目を逸らされる理由を想像したくないからなのかもしれない。今も、わざとらしいまでに背けられた視線は、ベッドの反対側の壁へと向けられている。顎を覆うように貼られているガーゼは真っ白なままで、一週間前に担ぎ込まれたときのように、替えても替えてもどす黒い血を滲ませることはない。
 傷痕は、残ってしまうようだ。
 そう医師から聞いたとき、あれほどの出血だったのだから当然だと予想していたのに、自分でも戸惑うほど動揺してしまった。
 きっと、その傷は、本来負わなくてもいいはずのものだったのだ。
 それにも関わらず、引き寄せて、一生背負うことになったのは、本人の弁解にもあったように『考え事』が頭を離れなかったからだろう。戦闘の最中に、いくら決着がつき、捕虜にすべき敵からの悪足掻きだったとはいえ、まともに食らうほど思考を奪っていたのは何だったのか。
 敵も瀕死だったからまだよかったようなものの、運が悪ければもっと重症になっていたかもしれない。そんな事態へと潜在的に引きずり込まれる結果となるほど、こいつの頭の中には、何が巣食っているのか。
 それを知るのが、恐い。
「……なあ、山本」
「……。」
 呼びかけても、応えはない。
 機嫌が悪いようだ、とは、もう誤魔化せない。
 この十年、自分たちは、ずっと恋人同士だったはずだ。
 それが、どうしてこんなことになってしまっているのだろう。
「来週には、ここ出てもいいらしいし。そろそろ引っ越しの準備も必要だしな」
「……。」
「お前、動けそうか? 体の方がまだつらいなら、誰か適当に手配しとくけどよ」
 だが、確認をするのはもっと恐かった。
 話しかけても、言葉はおろか、視線すら戻ってこない相手に続けたのは、不可解な態度の理由ではなくこれからの予定だ。
 以前より建設を進めていた並盛の地下基地は、半分ほど出来上がっている。司令部を移す一環として、幹部を優先して基地へと移住する準備が始まった。自分たちは元々並盛でマンションを借り、共に暮らしていたので、最も早く移り住む名簿に含まれている。この怪我がなければ、実は今日が引っ越しの日だった。もちろんそれは延期されているが、一ヶ月以内という期限つきだ。幹部として、なにより十代目の守護者として、率先してスケジュールを遅らせるのは居たたまれないので、できるだけ早く越したいと思っていた。
 ふと視線を反対の壁へとやれば、誰かが持ってきたのか、それとも備品なのか、カレンダーがかかっている。いつの間にか六月も後半になったなと日付を眺めていると、視線を感じた。
「……山本?」
「……。」
 だが、こちらが目を合わせようとすると、逸らされる。
 もう何度も繰り返した視線の追いかけっこに慣れることはなく、億劫な気持ちが募るばかりだ。思わず膝の上に置いていた手を見下ろしてため息をつき、うつむいたままでギシリと椅子を軋ませて立ち上がる。するとその間はベッドからの視線が絡み付いてくるのに、再び緑がかった瞳を向ければ深い色を湛えた特有の瞳はやはり自分を見ていなかった。
「なあ、山本、お前……。」
「……。」
 病室から出て行くことを期待したのかもしれないが、生憎まだそんなつもりはなかった。
 パイプ椅子から立ち上がり、数歩も行かずに今度はベッドへと半身を乗せるようにして腰掛ける。いいマットレスを使っているのか、椅子ほどには軋まなかったものの、ベッドで体を起こす怪我人がひどく緊張した雰囲気は察した。
 やたらぼんやりしていること。
 目を逸らされること。
 こうして、身構えられてしまうこと。
 どれが最初の兆候だったのだろう。たとえどれであっても、気がついたのは数年前だ。きっと、本人の中では更に前から何かが燻っていたのだろうと思えば、胸の奥が忘れられない痛みで軋んだ気がした。
「だから、引っ越しのことなんだけどよ……。」
「……。」
 それでも、自分から切り出すことはできなかった。
 あるいは、心のどこかで、まだこれらの反応から引き出される答えを認めたくないところが残っていたのかもしれない。
 とにかく、ぐっと近づいても顔を逸らす恋人に、そっと腕を伸ばした。結局ギリギリのところで追いつけなかった身長よりも、この広い肩幅の方がずっと劣等感を煽ってくれる。だがそれも今はどこか頼りなくも見え、それすら自分の最後の希望だと分かりつつ、強引に抱き寄せた。
「山本……。」
「んっ……。」
 少しだけこちらに傾くようにして、倒れこんでくる体をしっかりと抱きとめた。こういうときだけは、抵抗しない。不穏な反応はしてこないのだけが、救いだ。
 延期になった引っ越しの手筈などどうでもよくなり、久しぶりに感じる体温には素直に安堵した。
 やや消毒液くさいのは気になるが、それ以外は確かにいつもの恋人だ。上体をひねるようにしている相手に、もう一方の手を頬に当てる。そしてしっかりとこちらを向かせれば、ようやく視線が絡んだ。
「なあ、山本……。」
「獄寺……。」
 もちろんすぐに外されるが、逃げ場を失った瞳は伏せがちに視線を落とす。それがまるで誘っているように思え、これが都合のいい誤解だと知っていても唇を寄せた。
「んんっ……。」
 こうして唇を合わせるのは怪我をして以来なので、一週間ぶりだ。
 よく我慢できたものだと感心する反面、任務などの必要な会話をがなくなればほとんど口も開かなくなった相手に、怖気づいてしまったのも否めない。
 やはり、何かを覚悟しているのだろうか。
 予感としか言いようのない感覚を、自分は否定したかった。だがそうではないという確認も出来ないままに日にちばかりが過ぎていったが、どうやら杞憂だったらしい。
「んっ、んー……んんっ……!!」
 押し付けるようにして唇を重ねた後、軽く食んでから舐めてやる。
 それは、唇を割って入るぞという宣言であり、口内へと差し込む舌を受け入れさせる合図だ。
 すっかり身についていた仕草に、甘い息が漏れるのを聞いた。つまり口を少し開いたのだと分かり、そのままキスを深めようとしたところで何故か体が逆に動いた。
「……あ?」
「ごく、でら……。」
 相手に身を引かれたのではない。
 こちらが、やや上体を引いて離していた。
 その理由は単純に、向こうから胸に手を置かれて押し返されたからだ。
 だが、一瞬、どうして自分がキスを深めたいという欲求とは反対の動作をしてしまったのかと、面食らった。
 それだけ、こうして拒まれるということが予想できなかったのだ。
「山本……?」
「……あのな、獄寺」
 まだ怪我が痛むのだろうか、それとも診察や見舞いなどの訪問者の予定でもあるのだろうか。
 そういった理由を頭の中で列挙して吟味し、思考を混線させることも許されないままに、ゆっくりと口を開いた相手からは言葉が漏れる。
 呆然と見下ろしても、相変わらず視線は下へと落とされたままだ。
 瞳をのぞむことは叶わない。
「獄寺、オレ……ずっと、言おうと思ってたことが……。」
「ああ……?」
 肩を抱き寄せた腕の中には、確かに恋人がいる。
 そう信じていたのに、簡単な言葉がそれを否定する。
 何も考えたくないと思う頭の中では、印象が似ていたのか、ずっと『原罪』という言葉が躍り続けていた。
 
















▲REBORN!メニューに戻る  >>NEXT
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−