■V-DAY.
現代人の感覚は、いまいち分からない。
これもそんな一例だった。
「なあバクラ、週末そっち行っていい?」
「ああ、どうした?」
今から一週間と少し前、先週の金曜日のことだ。二月に入ったばかりのこの時期は本当に寒い。遊びに誘われても外出など応じるはずもないと分かっての提案なのだろうが、続いた言葉にはやや首を傾げた。
「じゃあ材料は買ってくからさっ、あ、獏良はいんの?」
「出かけるって話は今のところ聞いてないような、というかバカ犬、材料てのは……?」
「じゃあ本田のところに行く予定だった? 悪いっ、でも一日だけ、我慢してくれよな!!」
「……。」
材料という言葉を追及する前に、もっと他に気になる部分があり、不覚にも黙り込んでしまった。体育に向かう道すがら、今ではクラスメートである城之内からの指摘には少し反応に悩む。ちなみに双子の姉として存在しているかつての宿主サマは、大人しくしていれば華奢で繊細な外見を如何なく発揮し、風邪気味というとってつけたよう理由で体育を休み保健室で寝ている。本当は風邪などではなく、単に朝まで新作のホラーゲームをやっていたことによる寝不足だ。サボりなどずるいと、成績を出席で補っている城之内が無謀にも主張すれば、ニコニコとした穏やかな笑顔のままで獏良は朝までやっていた超リアルと銘打たれたホラーゲームを微に入り細を穿って説明してくれた。おかげで恐怖のあまり泣き出した城之内にしがみつかれ、胸を揉まれ、制服のボタンがまた飛んで獏良が無言で凄まれたのはとんだとばっちりだ。
それはともかくとして、体育館に併設されている女子用の更衣室へと歩きながら、言葉を選んで確認してみる。
「……なんで、宿主サマが出かけねえことと、オレサマがアイツのトコに行くのが結びついてんだよ」
正直に言えば、約束はしていない。だが恐らくそうなるだろうとは漠然と思っていた。いわゆる交際というものが始まってから比較的その頻度は多かったし、年が明けてからはもう毎週のことだ。一泊、もしくは二泊の予定かは差があるが、大抵は本田のところに泊まっている。たまにバクラの家になるのは、いずれも本来の家主である獏良が趣味の友人などと出かけた場合のみだ。
「え、だって獏良がいると本田泊まれねえんだろ?」
「……。」
「まあ、本田の部屋って母屋と離れてるから泊まりやすいから問題ないけどよ。でも、明日からの週末また大雪だって言うし、バクラが出かけるの嫌がるんじゃねえのかなって」
そしてあっさりと続けられれば、また黙ることしか出来なかったのが悔しい。
実を言えば、なんとなくそんな気はしていたのだ。週末のたびに男の家に入り浸る自分を、今では双子の姉ということになっている宿主サマは取り立てて非難はしない。むしろ、仲睦まじいと喜んでくれているようには思える。城之内が言うように、本田の部屋は離れになっているので比較的泊まりやすいのだが、それでも相手の家にばかりに迷惑をかけているような気になっているのかもしれない。
本田の家に連続して泊まっていると、ふと獏良が外泊を告げてくることがこれまでも何度かあった。急な予定だとは思ったが、偶然だろうと深くは考えない。外出しているから家で好きにしていていいよ、と笑顔で繰り返していた言葉に甘え、そういうときだけは本田を家に呼びつけていた。
獏良には獏良の付き合いがあるし、親でも本当の姉妹でもないので口うるさく言うつもりはない。だがそもそもの外泊の理由が、獏良本人の中にはないのかもしれないという疑念は、ゆっくりと育っていたのだ。
『……なあ、そのゲームまだやんのか? もうこんな時間だぞ?』
『ああ、うん、もうちょっと進めたいなあ〜、て』
日付もとっくに変わった深夜、画面が大きいからという理由で真っ暗な居間のテレビでゲームをしていた獏良に、一応そんなふうに声をかけてはみた。確かに楽しみにしていた新作のゲームなのだし、届いてすぐにやりたい気持ちは分かる。TRPGのシナリオやジオラマを作って徹夜をしていることもあるので、さして珍しいという光景ではなかったのだが、なんとなく違和感を覚えたのも事実だ。だがその理由は分からず、自分はあくびを噛み殺しながら適当に答えておいた。
『明日やればいいじゃねえか、週末もあるんだし』
金曜日の夜から、あるいは土日を潰してやれば、かなり進められるだろう。基本的にゲームが得意な獏良なので、クリアすることも可能なはずだ。焦ってやるほど時間がないとは思えず、よほどその新作ゲームが面白いのだろうか。血肉が飛び散り、アンデッドが呻き声をあげる画面は、かなり精巧だ。バカ犬が見ればきっと失神するだろうと関係ないことを考えていたので、獏良が答えたことは一瞬分からなかった。
『……週末は、天気が悪くなるみたいだからね〜』
『ハ? ……いや、だからって別に、外でやるワケじゃねえだろ。悪天候なら余計に家で引き篭もってゲームできるじゃねえか』
『……まあ、そうなんだけどね〜。キミはもう寝なよ、あったかくして寝るんだよ〜』
実際に眠かったこともあり、獏良の言葉をそのときは吟味することなく部屋に戻った。
だが、今また城之内から指摘をされて、やはりそういうことだったのだろうかと思う。獏良は外出したかったのではなく、外出することで部屋に本田を呼びやすくしてくれていただけなのだ。思い返せば、本田と初めてそういうことをするのに至った夏休みの終わりも、獏良からの提案と協力があってこそだ。薄々察していたとはいえ、まるで家主を追い出していたかのような自らの所業が居たたまれない。
「……やっぱ、アイツのトコ行くか」
「へ?」
自分が家を出れば、少なくとも獏良は大雪の週末に出たばかりのゲームもできずに大した理由もなく放り出されるようなことはない。そう考えての独り言だったのだが、当然ながら横で城之内は驚いた後、不満そうな顔をする。
「なんだよっ、だから一日くらい我慢しろって!!」
「いや、でもよ、そうすると宿主サマが気を遣って無理に外出予定作ることになるし……。」
「ならねえよっ、本田は呼ばねえの!! 本田呼んだら意味ねえだろっ、バクラ、ほんとに分かってんのか!?」
すっかり本田と過ごすということ自体は決定になっている自覚もないまま、そう説明すれば城之内からまた強く否定をされた。用件はてっきり勉強関係か傍迷惑なのろけ話、あるいは単純な食事会だと思っていたので、仮に今回はバクラの家に集合だとしても本田が不参加だとは考えていなかったのだ。材料という単語もあったので、食事会という線が濃厚だと考えていたのだが、違うのだろうか。
何が分かっているのか、いないのか、全く予想がつかずに怪訝そうにすれば、城之内もやっと気づいたらしい。少し思い出すように首を傾げながら、体操服が入った袋を振り回している。
「……ああ、そっか、そういや、そうかも?」
「勝手に納得してんじゃねえ、あと地味に何人か体操服入れに当たって悶絶してるからやめてやれ」
「獏良ってこういうの興味ねえと思ってたけど、去年、みんなに義理チョコくれたんだよなあ!! ……すげーリアルなゾンビを削り出したヤツ。あれ、千年リングの中で見てても何のことだかバクラには分からなかったかも」
あの出来は怖かった、と突然震え始める城之内は、獏良の手先の器用さとセンスに戦慄しているようだ。
言われて思い出したのは、確かにちょうど一年くらい前のこの時期、当時はまだ千年リングにいた頃に漠然と見ていた光景だ。宿主である獏良が、ブロック状の固形体を削り出し、何人かのクラスメートにあげていた。思い返せば、あれはチョコレートだった気がする。どういう嫌がらせなのだろうと不思議になった記憶にようやく行き当たるが、それが意味するところはまだ分からない。
「だからなっ、今年はバクラと一緒に作ろうと思って!!」
「……てめー、ホラーとか苦手じゃねえのか?」
「ゾンビ作るんじゃねえよっ、ていうか獏良が作る気だったらお前が止めろよ!! オレ、絶対嫌だからなっ、海馬へのバレンタインチョコ作ってる横で呪われしチョーク・ネクロファデスみたいなの精製されるとか!!」
それを言うならゾークだと訂正しかけたが、もしかするとチョコレートが材質であることを主張した命名なのかもしれない。城之内ファイヤーを地で行く城之内なのだしと妙な納得をすると、結局のところ何を作るのか分からないままだ。
「……バレンタイン、か」
だがふとその単語が引っかかった。そういえば、このところテレビや雑誌、店舗などでよく見かける。どうやら何かしらの行事らしいということまでは察していたが、いかんせん、復讐に関係ないことと獏良自身が興味を持たないことは、千年リングにいたときも素通りだったのだ。だが口にすれば早合点した城之内に嬉しそうに言われてしまう。
「なんだ、やっと分かったのかよ!! だから、な、一緒にチョコ作ろうぜ!!」
「……チョコレートを作る日、なのか?」
「作るっていうか、贈る日? 買うヤツも多いし、作るのは、その方が安上がりかなあって思って」
「贈る? 誰に?」
昨年のことを思えば、獏良はつるんでいるいつものメンバーには全員あげたようだ。男女の関係はない。ただ、あまりに出来が精巧すぎたためか、多くの者が城之内に食糧の足しにしてくれと押し付けていた気がする。
「んー、義理とか、友達とかにあげることもあるけど、オレたちなら一人だけだろ?」
「ああ……?」
城之内が、大変不本意ながら自分と二人を括りたがるときは、えてして理由は一つだ。
ようやく見えてきた話に、素直に感じたのは億劫さだ。正直、面倒くさい。チョコレートを買うだけならまだしも、作るのは実に面倒だ。溶かして固めるだけならば、いっそ出来合いのものを買った方が労力もなく味もいいだろう。時間と金と労力を割いてまで贈る意味が分からない。そんな暇があるなら抱き合っていた方がマシだとまで思うのだが、同時に更に億劫な現実にも気がついている。
「……本田のヤツ、絶対期待してるぜ?」
「……。」
「だって、初めてのバレンタインだもんな!! アイツ、純情乙女だからこーゆーの絶対好きだし!!」
城之内に指摘されるまでもなく、まさにそれに思いが至り憂鬱になっていた。いくら自分は三千年前の感覚を引き摺ったままで、いまだこの現代日本に疎く、そもそもの性格がドライであっても、相手はそうではない。本田は意外に記念日にはこだわる。こだわるが、こちらがそうでないと知ってるからこそ我慢するという、優しすぎると表現すべきか単に損な性格というか悩ましいところだ。
そして、最も悩ましいのは、喜ぶならそれぐらい付き合ってやろうかという方向に自分の気持ちも傾いていることだ。
「……バカ犬、てめーはいいのかよ?」
「ん? 何が?」
ぐらぐらと揺れる心情を悟られたくもなかったので、呆れたようなため息で話題を変えた。大した手間でもないので、チョコレートを一緒に製作することは構わないが、そもそも城之内は非常に多忙なのだ。
「バイト入ってねえのか?」
「あー……大丈夫、今のところ大丈夫。というか、年末まで週末のシフトほとんどオレが入ってやったから、結構みんな代わってくれるし、半日くらいなら余裕余裕っ」
「ダンナの方は?」
「それはもうっ、絶好調に仕事三昧!! ……まあ、先週付き合わせちまったし、しばらく会えないのは仕方ねえよな」
もしかすると今月は会えないかもしれない、と深くため息をついてる城之内だが、まだ悲壮感はさほど濃くない。先週、つまり城之内の誕生日に、たっぷり可愛がってもらった余韻が残っているのだろう。もし本当に今月会えないのであれば、せっかくチョコレートを作っても直接渡せないのではないか。そう思いはしたが、無駄に凹ませるだけだと分かっていたので黙っておく。
そんなことを話しているうちに、そろそろ体育館の更衣室へとつく。いつもつるんでいる杏子は、今日は授業の準備当番とやらで、先に行っている。後で誘うべきだろうかと思っていると、隣からギュッと手を握られた。
「だからっ、な、バクラ? 一緒に作ろうな!!」
「……ったく、仕方ねえな」
「そしたらさ、獏良も寂しくねえし? たまにはオネーサマと一緒に過ごしてやれよっ、アマネちゃん!!」
あの闇人格のマリクに対しても『マリクちゃん』と言い放った城之内なので、今更そんな戯言は気にならないが、むしろ前半に驚いて見つめ返してしまう。すると、こちらが驚いているのが驚きだと言わんばかりの顔をした城之内は、不思議そうに続けている。
「あれ、もしかしてバクラ、本田が来ると獏良が家出るの、鬱陶しがってるとか嫌がってるからとか思ってた?」
「いや、まあ、というか気を遣ってるのかと……。」
「気遣いは気遣いだけど、そもそもは獏良も寂しいんだって!! そっちに泊まるなら、本田が来てから、夜からでも獏良は出かけられるだろ? つまり、それまでは一緒に居れるだろ? だから、まるっとは無理でも少しでも長く居られる方が獏良も……うっ!?」
「どうした、バカ犬?」
「な、なんか今、『余計なこと言わないでね〜』ていう声と共に、首絞められた気が……!!」
大袈裟に苦しがる城之内だが、当然誰も首など絞めていない。大体闇の力であっても操れない獏良が保健室からそんな芸当ができるはずもないのだが、それでもなんとなくできそうな気もして、バクラは適当に首を撫でておいてやった。
「まあ、ちょっと外泊しすぎなのも事実だしな。今週はてめーの用事に付き合ってやるよ、本田には我慢させとく」
「というか、そもそも毎日でもエッチできるってのがずるいよなー、さすが盗賊王だよなー……ああっ、もしかして、あれか!? ちょっと焦らして我慢させた方が次ヤるときがっつかれて激しくなるから!?」
「てめーと一緒にすんな、バカ犬。それ以前に何がさすがなのか分かんねえよ」
「だーかーらっ、バクラって愛されてるよなあってことだよ!!」
本田の心を底引き網漁か!! と分かりにくい表現でじゃれてくる城之内を押し留め、ようやく更衣室に入ったことで、このときの話は終わっていた。
だが約束した週末の予定は、実際には破棄されることになる。季節柄まだ終息していないインフルエンザが城之内のバイト先で流行したらしく、替わってくれるはずのシフトが当日になってダメになったのだ。申し訳なさそうに電話をしてくる城之内に、バクラは気にするなと励ましておいた。そもそも城之内が材料も買ってくる予定だったので、訪問自体がなくなればチョコレートを作ることもない。
ただ、その電話を受け、予定がなくなったことを告げた直後、獏良が出かけようかなあと言い出したときは戸惑った。天気予報のとおり、外は大雪だ。電車もまともに動いていないだろう。徒歩で移動するにしても、かなり億劫だ。よほどの用事がない限りそもそも外出を控えるだろうと思われる天候にも関わらず、獏良が室内着から着替えた始めた理由はやはり気遣いなのだろう。
だが、城之内が言っていた『獏良も寂しがっている』という根拠には、まだ自信がなかった。そもそも獏良はかなり長く一人暮らしをしているし、こうして体が分かれてかもあまりベタベタされたことはない。自分が知らない趣味の友達も多く、単に本当に出かける用事があるのかもしれないのだ。
それを確かめるより早く、城之内と話したばかりの携帯電話で週末の訪問を断っておいた恋人へとかけた。どうやら姉の家で家具の移動だか何かに借り出されていたらしい本田は、やや驚いた様子だったものの、合鍵で先に離れに上がっておいてくれと承諾する。驚いたのは、予定が変更になったことでだけではなく、こんな雪の中で自分が出歩くということが天変地異にも感じたからだろう。電話を切ってすぐに見上げた窓の外は、いまだに空が白むほどの風雪だ。室内から見ただけでも寒さで震えそうだが、同時にこんな天気の中、本来の家主を追い出すようなことにならなくてよかったと安堵する。
『オレサマ、本田のところに泊まってくるな。こんな天気だし、わざわざ出歩かねえでゲームでもしてろよ。こないだ買ったやつ、まだ終わってねえんだろ?』
『キミに言われたくないんだけどなあ〜、まあゲームはするけどね〜……。』
少しいいことをした気にもなって、そんなふうに言ってみれば、獏良はやはり飄々としていた。どうやら外出予定は撤回したようだ。気遣われていたということは確かだったが、寂しがる様子などないので、城之内の読みは外れていると思ったとき、ふと目が合う。
『本田くんのこと、大好きなんだね〜』
『……そういうわけじゃ、ねえけどよ』
『キミって、ほんと一途で健気だよね〜。見てて微笑ましいよ〜』
そう言ってくれる表情は、本当に穏やかだ。瞳も以前と変わらない。それこそ、まだ千年リングに居た頃、たまに獏良が鏡を覗き込んだときに見ていた色と変わらないのだと分かったとき、不意に気がついてしまった。
どんどん友達が離れていき、孤独になっていった獏良は、寂しかったはずなのだ。
それと変わらないということは、今もまだ寂しいままなのだろうか。
『どうしたの〜?……ケータイ、鳴ってるよ〜?』
『……ああ、いや、なんでもねえよっ』
だが、たとえそうだとしても、自分が本物の妹のように傍に在れるはずがない。在っていいとも思っていない。どう接すれば正解なのか分からず、困惑していたときに再び携帯電話が着信を知らせていた。
出てみれば、先ほど話したばかりの本田だった。どうやら姉の家での手伝いはもう終わりかけだったらしく、天気も天気なので義理の兄が車で送ってくれるらしい。そのついでに拾っていくので、マンションの下についたらまた連絡をするという内容だ。電話の向こうで、気の強い本田の姉が『こんな雪の中を女の子に歩かせようなんて!!』と叫んでいたので、恐らくは本田だけならば車を出す予定ではなかったのだろう。また他のところに気を遣わせてしまったと、電話を切ってからため息をついてしまう。
それに、獏良はよかったねと声をかけてくれた。自分が極度の寒がりなのを知っているから、当然の解釈だ。あるいはそれで寂しそうな色が消えてくれれば、単純に寒波を憂慮していただけとも思い込めたかもしれないが、せっせと防寒着を準備してくれる獏良は以前と変わらないままだった。
二月十四日。
今年のバレンタインデーは平日だ。
「じゃあ、今度はボクから〜。まずは遊戯くんに、クリボー型のチョコレートだよ〜」
「わー、ありがとう、獏良くん!!」
登校してみれば、確かに朝から校内はそれとなく浮ついた空気が溢れていた。告白したり、告白されたりという行為はいくつも発生しているのだろう。だがそんな期待や不安とは一切無縁であるバクラは、居心地の悪さを感じるだけだ。
先週城之内からの約束が反故になったことで、チョコレート作りは断念した。どうやら城之内はさすがにもう誰かと作る時間は取れなかったようで、あれからどうしたのか連絡はない。どうせ当日会って渡せるわけではないので、買うこともしなかったのかもしれない。どう尋ねても城之内を落ち込ませるか不機嫌にさせるだけと分かっていたので、話題を避けている間に当日を迎えてしまっていた。
「あら、今年は普通なのね」
「ちゃんと目のところはホワイトチョコなんだね、細かいなあっ、ありがとう獏良くん!!」
「やっぱりボクの趣味じゃなくて、もらう人の趣味に合わせた方がいいって気がついたんだ〜。遊戯くん、そんなに喜んでもらえると、ボクも嬉しいよ〜」
示し合わせたわけではないのだが、このグループでは昼休みにまとめて渡すことにしたらしい。全員が弁当を食べ終わったところで、最初に出したのは杏子だ。一人一人小分けにするのではなく、大きな包みにチョコチップの入ったクッキーが大量にあった。みんなで食べてくれと広げたのには、いくつか理由もあるのだろう。想いを寄せているかつての王、ユーギには別の豪勢なものを用意し、後でひっそりと渡すのだろうなと思いながらクッキーをつまむ。
「なあなあ、獏良のヤツ、今年はちゃんと作ったんだなっ。バクラが言ってくれたのか?」
「一応な。ほら、ちょっと前に出たホラーゲームあっただろ? 最初はアレに出てくるクリーチャーにしようとしてて、オレサマが止めた」
「バクラッ、ありがとう!!」
「感謝しながら胸揉んで抱きついてくるんじゃねえっ、つかてめークッキー食いすぎだろ!? 口元拭け!! オレサマの制服にチョコつけてくんな!!」
余った分は城之内に持ち帰らせるつもりだったから食べる分にはいいのよ、と杏子は言っているが、問題はそこではない。躾がなっていない他人の犬を世話をさせられるのは今更だが、ため息をつきながら城之内を口元を拭いてやっていると、獏良は次のチョコレートを出している。
「それで〜、次は、ユーギくんに〜」
「おお、ブラック・マジシャン・ガールか。凄いな、そっくりじゃないか」
「さすがに色は再現できなくてごめんね〜」
透明のケースに入れられたチョコレートは、女性型ということもあってピンク色のストロベリー・チョコレートだ。もらう人の趣味に合ったものを、という趣旨で、遊戯がクリボーだったことはさして不思議はない。だがこちらのユーギにどうしてガールの方なのかと思うが、獏良はニコニコと説明してくれていた。
「味はイチゴだよ〜、舐めるように舐めてね〜」
「舐めるように舐める? というのは、どういう動作なんだ? ただの強調表現か? それとも、まだオレがこの現代に慣れてなくて舐めるように舐めるという誰もが知っている仕草を知らないだけでやはりこういう菓子は舐めて舐めて舐め尽くすというのが贈られたことに対する誠意とかそういう……?」
「ユーギッ、普通に食べていいのよ!?」
「あ、ああ、そうなのか、杏子……?」
「……ちょっとバクラくん、どうせなら獏良くんにもうちょっとアドバイスしといてもらえるかしら?」
城之内のおねだりばっかりきいてんじゃないわよと無言で凄まれても、正直そこまで思いが至っていなかったのだ。自宅の居間で、ホラーゲームの合間に削り出していたときは、外見だけならば穏やかな美少女の獏良が魔法少女を作っていた。その光景はあまり違和感がなく、スルーしてしまったことは素直に杏子にジェスチャーだけで謝罪しておく。
「次は、真崎さん〜」
「えっ、あ、私にもくれるの?」
「もちろんだよ〜」
バレンタインを先週までほとんど理解していなかったが、今では男性への告白だけでなく、女友達同士で交換することもかなり多いらしい。獏良は後者としてこのイベントを捉えているので、当然のようにいつもの友人であれば女性陣にも用意していた。
「ただ、真崎さんは決闘者じゃないから〜……モンスターじゃないんだけど、まあ似たようなもので、好きそうなものにしたんだけど、よかったかな〜?」
「そ、そうね、去年みたいなゾンビとかでないなら、なんとか嬉しいわ」
「あ〜……だったら、似たようなものかも〜。気に入らなかったら、ごめんね〜」
獏良は今膝の上に大きな袋を置き、そこから一つずつ透明なケースを出している。取り出す前の会話で杏子はかなり警戒したようだが、そういう類のものではないとバクラは知っていた。
「はいっ、真崎さんにはコレ〜」
「!!」
そして机に置かれたケースに入っていたのは、髪形が特徴的な人型のチョコレートである。
それに気がついた途端、杏子はガッと両手でケースを握り潰すようにしてつかみ、自分のカバンへと押し込んでいた。
「……杏子? どうしたんだ、気に入らなかったのか?」
「い、いえ、違うわユーギ、気にしないで!? ……獏良くん、ほんとに、アリガトウ」
「いえいえ〜、喜んでもらえて嬉しいよ〜」
恐らく何の形だったのか、いや、誰をかたどったものなのか、ユーギには分からなかったのだろう。喜びと気恥ずかしさと動揺を押し殺しているため、ひどくドスが効いたように礼を言う杏子にも、獏良は飄々としている。ユーギに対してと違い、杏子に対しては純粋な好意での選択なのだろうし、謝辞を素直に受けとれるらしい。
その傍らで、中途半端にしか見えていなかったらしい遊戯や御伽は、あれは星か、ウニか、いやスターフルーツかと囁き合っている。唯一あの一瞬でも野生の動体視力を誇っている城之内だけが正確に見ていたらしく、『いいなあ、オレも海馬作ってもらって食べたい』と呟くのは聞かなかったことにした。
「次は〜、ええっと、城之内くんのだな〜。ちょっと頑張りすぎちゃって、おっきくなったけど、ごめんね〜」
「オレの? えっ、なになに、あ、レッドアイズか!?」
ざわつく仲間内にも気にせず、次に獏良が指名したのは城之内だ。言葉の通り、他の者のよりケースも大きい。
「ん〜、レッドアイズは、さすがにパーツが細かすぎて〜、時間が足りなかったんだ〜。もっと丸い感じのものにしたんだけど、いいかな〜?」
「丸いの? あっ、スケープゴートか!?」
「あ〜、そっちのがよかった〜? まあ、似たようなものかな〜」
そう言いながら獏良が机に置いたのは、鮮やかに緑の人造人間だった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
「この緑のところはね〜、メロン味なんだよ〜」
「そこじゃねえ、そこじゃねえだろ獏良!?」
「え〜? でも、結構そっくりだと思うんだけどな〜? ああ、それでね〜、装備が着脱可能なギミックもつけといたから〜、後で部屋で一人で真っ暗にして懐中電灯で照らしながらメガネ押して外してみてね〜、まあ着脱後はボクの想像でデザインして作ってるんだけど〜」
「……なあ相棒、どうして城之内くんはあそこまで怖がってるんだ?」
「カードは絵も小さいし、デュエルのときは背中しか見えないから、あんまり気にしてなかったんだと思うよ、これまで」
「こええよ、こええよ獏良、でも、食料……!!」
こわがりの城之内が、むしろ今までサイコ・ショッカーの造型に疑問を持っていなかったのは、まさに遊戯がユーギに答えたとおりだろう。本物よりはやや不気味さを強調したチョコレートは、ソリットビジョンより生気がなくて、逆に得体の知れない何かになっている。涙ぐみながらも、恐る恐る受け取り、カバンへとしまっている城之内は、それでもその人造人間を食料として見れるようだった。
変なところに感心していると、ふと視線を感じる。
「……ねえバクラくん、どうしてアレは止めてあげなかったの?」
そう不思議そうに尋ねてきた杏子には、正直に答えておいた。
「いや、オレサマも最初はどうかと思ったんだけどよ?……こう、手伝わされてると、創作魂に火がついちまって」
「ああ、そういえば、アナタもああいうの好きなのよね……。」
「いくらボクでも〜、あんな精巧な仕掛けは無理だよ〜。さすが、元盗賊王だね〜」
そんな会話で、カバンにしまってきていた城之内がまたビクッと怯えている。だが、それは買いかぶりというものだ。サイコ・ショッカーの眼鏡を押した途端、装備が圧縮ガスによりキャストオフされ、目からは青白いビームが放たれてプラネタリウムのように回転し、獏良デザインの呪われし女の顔が腹部に現れ、それがイチゴジャムの涙を流し、背中からは食べやすいようにナイフとフォークが突き出し、口からは海馬コーポレーションの社歌が流れた後、ヒエログリフでのカウントダウンを経て首がシンプルに飛ぶだけである。
「大した仕掛けはできねえよ、なにしろ素材の大半がチョコだしな」
「まあ、そうよねえ。あのサイズだし、せいぜい歩き出すとか、その程度か」
杏子の案の方がよほど困難だと思うのだが、取り敢えずバクラは黙っておいた。楽しみには取っておいた方がいいだろう。そんな気遣いに感動したのか、席から戻ってきた城之内は、また何故か隣から抱きついてきて胸を揉んできていた。
「で、最後は〜……御伽くんっ」
「えっ」
「そんなっ」
「まさか!?」
「御伽のこと覚えてるとかっ、獏良、お前すげーな!?」
「キミたちの僕に対する評価と城之内くんの素直な感想が胸に痛いよ、これでも一応キミたち違って朝から女の子たちから結構チョコもらったりしてるんだけどなあ、僕は……!!」
あまりに個性的な集団にいるため、いまいち影が薄くなってしまっているが、御伽は黙っていれば一応美形で女子からも人気があるらしい。要するに、このグループから離れればかなりモテるのだ。それでも結局つるんでしまうことを選んでいるのは、人生のポジションを誤ったのか、より高みへと挑んだ勇者なのか、判断が分かれるところだろう。
取り敢えずまだ胸を揉んできていた城之内の手をバクラが叩き落としたところで、獏良は最後のケースを取り出している。
「御伽くんも決闘者じゃないから、悩んだんだよね〜」
さすがにそこであのピエロの面を作るほど、獏良は非情でも不謹慎でもない。ただ、どこまでもマイペースだった。
「はい、どうぞ〜」
「……念のため、この長方形で白の水玉模様のものが何なのか、聞いてもいいかな?」
「ぬりかべ」
「ぬりかべ!?」
「ぬりかべ!!」
コンニャクじゃねえの!? と続けた叫んだ城之内は、普段どんなコンニャクを食べているのだろう。見ようによっては不気味にも見えるチョコレートのケースを、人がいいためか一応手に取ったものの、御伽は対処に困っている。朝から想いを込めた本命チョコレートを渡してくれたどんな女子に対してよりも、御伽は今ドキドキしてるだろう。もちろん恋ではない。
一方の獏良もニコニコするばかりで、説明する雰囲気はない。あまりにこの空気が居たたまれなかったので、仕方なくバクラが口を開いてやることにした。
「いや……ほら、これって、削り出しで作ってるだろ? 結構削りカスが出て勿体無いから、そういうのを集めて固めたんだよ」
「知りたくなかったよ、そんなリサイクル事情……!!」
「じゃあこの白い丸は?」
「遊戯のクリボーの目にするために作ったヤツの余りだ」
ちなみに瞳になる部分には元々丸いチョコチップを使用したため、余ることはなかったのだ。もしそちらも余っていれば、御伽に渡されたものは水玉模様のコンニャクではなく、目玉だらけの妖怪に変わっていただろう。そちらの方がぬりかべには近かっただろうかと悩んでいると、杏子は獏良へと尋ねていた。
「ねえ獏良くん、御伽くんので最後なの?」
「そうだよ〜」
御伽は恐る恐るケースをカバンへとしまっていた。もらった好意は無下に出来ないらしい。そういう人の良さが、このメンバーでは影が薄くなる原因なのだろう。だが指摘してやっても心の傷を深めるだけだと思ったので、杏子と獏良の会話に入ることにする。
「オレサマはいらねえしな、そもそも削りカス固めたの、結構食わされたし」
「まあ、バクラくんはそうなんでしょうけど……。」
まさかこの場にいない海馬にもあげるべきではと提案するのかと怪訝そうにしたが、ポンと手を叩いた獏良があっさりと杏子に返していた。
「ああっ、本田くんにはないよ〜、独占欲が強い妹に嫉妬されちゃうからね〜」
「なっ……!?」
「……本田、てめー、宿主サマからのチョコ欲しかったのかよ」
「うわっ!? い、いや、違うって、そうじゃねえってバクラ!?」
そういえば、弁当を食べて杏子がバレンタインの話を始めた頃から、城之内とは反対隣に座っている男が妙に大人しかった。そわそわしているのは分かっていたが、まさか本当に獏良からのチョコレートを期待していたのだろうか。それが恋愛感情ではなく、むしろ友情から弾かれるような疎外感だと分かっていても、腹立たしい。思わず横から椅子を蹴れば、大袈裟に驚いた本田が何を言う前に、またむぎゅっと胸をつかまれた。
「このっ、バカ犬!!」
「なあなあ、それより、バクラは?」
「……。」
「バクラからはねえの? オレの手伝った以外に」
「……てめーこそ、どうなんだよ」
ちなみに、城之内がたまに大人しくしていたのは、杏子が持ってきたクッキーを食べていたからだ。かなりの量があったにも関わらず、もう半分近くがなくなっている。杏子の作戦は他の者も気がついていたので、ニ、三枚ほど食べて、あとは手をつけていないはずだ。せっかく拭いてやったのに、また口の周りにチョコレートをつけている城之内にそう切り返してみれば、意外にもあっさりと答えられていた。
「いや、オレも用意しようと思ったんだけどさ。板チョコとか、小分けになってるのとかで」
金銭的に苦しく、またこういうイベントごとに本来はあまり乗り気でない城之内だ。恋人への暑苦しい愛以外の理由で、参加に対して前向きだったのは、もらいっぱなしになってしまうことへの申し訳なさだろう。だが結果的に、何も用意してこなかったらしい城之内に、また金銭的に苦しくなっているのかと怪訝そうにすれば首を横に振られた。
「そうじゃなくて、モクバから電話が入ってよ」
「モクバ? ダンナの方じゃなくてか?」
「海馬まだ忙しいし。まあとにかく、よく分かんねえんだけど、バレンタインだからって、義理チョコとか渡すなって。特にユーギには渡すなって」
「どうしてだいっ、城之内くん!?」
「なんでまだ分かんねえんだよ、王サマはよぉ?」
「なんか、もしオレがユーギとか、まあ他の男でもいいんだけど、とにかくチョコレートを渡したりしたら、『この町は血のバトルシティと化すぜぃ!!』とか叫ばれちまって、ああいうトコは海馬に似てほしくなかったんだけどなあ、やっぱ血は争えないのかなあ、モクバは兄貴と違って真っ当な語録で育ってほしいぜ……。」
はぁ、とため息をついている城之内は、本当に憂鬱そうだ。むしろオリジナルである兄の方をそれでも愛しているということを自らの中でどう折り合いをつけているのかは分からないが、ともかく、モクバからの助言だとは理解した。要するに、嫉妬に狂った海馬が一人虐殺カーニバルを繰り広げてしまうという忠告なのだろう。語録は多少迷走気味でも、実に聡明な弟君だ。
そうモクバを褒め称えてやりたいが、こうして城之内が手ぶらであることを説明されてしまうと、当然のごとく矛先が自分に戻ってきてしまう。
「で、バクラは?」
「……。」
「用意してねえの?」
城之内からのニコニコとした切り返しに、バクラはぐっと言葉に詰まった。
忘れていたわけではない、今日がバレンタインだとは知っていた。だが、チョコレートの類は全く持ってきていない。
「……ねえよ、オレサマのキャラじゃねえだろ」
つい視線を逸らし、吐き捨てるように言ってみれば、城之内とは反対隣から肩を落とす雰囲気が感じられて腹立たしさが増す。
「確かにそうだけどよ、本田にもねえの?」
「……持ってきてねえ」
「なんで?」
しかも、視線を逸らしたのに城之内は胸倉をつかむようにして顔を戻させるのだ。こういう追及をされると思っていたので、できればこの話題を避けたかった。だが他の者たちも怪訝そうに見てくる中では居たたまれなさは増すばかりで、バクラは仕方なく口を開いておく。
「……忘れたんだよ、持ってくるの」
持ってきてはいない、だが本田の分はちゃんと用意していた。
そう言ってみれば、案の定城之内は疑わしげな目を向けてくる。
「ほんとに?」
「ほんとだっての」
「……嘘ね」
「嘘だな」
「嘘っぽいよね」
「嘘だよねえ」
「ボクもそれは知らなかったな〜」
「……バクラ、お前」
「だからっ、嘘じゃねえっての!? 宿主サマが知らねえのは、アレだ、本田の家に泊まりに行った帰りに一人で買ったからだ。よし、明日持ってきてやる、それでいいだろ!?」
何故人前で渡してみせなければならないのかと疑問に思わないでもないのだが、あからさまに嘘だと決め付けられるとやはり不愉快だ。つい売り言葉に買い言葉でそう宣言したが、普段なら最も面白がりそうな城之内が、生活苦からの妙な鋭さを見せる。
「今こうやって責められたから、これから買うつもりじゃねえよな? 特に明日の朝とかになったら、コンビニとかの売れ残りも安くなってるはずだし」
「なんでそんなに疑ってんだよ、だったら登下校は宿主サマに監視させればいいだろ!?」
「でも、バクラくんて夜中にロングコートで抜け出したりするの得意だよね、それで神のカード取り戻してくれたし。あのときは、ほんとにありがとうっ」
「遊戯、今その礼は逆効果しかねえだろうが、あと寒いんだからコートぐらい着させろよ……!!」
「今夜も冷え込むみたいだし〜、夜中に抜け出すならちゃんとマフラーと手袋とイヤーマフもしていくんだよ〜」
「だから、行かねえって、夜中にこっそり買いに行ったりしなくても部屋にちゃんとあるんだっての、そんなにオレサマの言葉が信じられねえのか!?」
思わずそう怒鳴ってみせるが、何故か応じたのはユーギだ。
「信じられないんじゃないっ、本田くんに比べるとどうしてもお前の乙女度が低いから疑わしくなってるだけだぜ!!」
「同じことじゃねえか!!」
「……本田の乙女度には異論はないのね」
「そりゃあないよね」
「うん、ないよね」
「本田くんは純情乙女ロマンチストが三本柱だもんね〜」
「いいなあっ、オレももっと海馬に乙女みたいな純情ダイレクト・アタックされたい!!」
「とにかく、バクラ、そんな繊細な本田くんに期待させるだけさせておいてっ、裏切るような真似なら許さないぜ!! 用意していないなら、いないと、今すぐここで正直に詫びるべきだ!!」
ビシッと指を差し、罰ゲームとでも叫びそうな勢いで頭ごなしに言われると、つい頭に血が上ってしまうのは仕方ない。ガタッと椅子が後ろで倒れているのも構わず、立ち上がったバクラはユーギへと怒鳴り返していた。
「だからっ、詫びる必要なんざねえよ!! オレサマは嘘なんかついてねえ!!」
そう叫んだとき、横からポンと肩に手を置かれる。
「……。」
「いや、バクラ、そんなに怒るなって? オレも期待とかしてたわけじゃねえし、責めたりとかもするはずねえから、気にするなよな?」
城之内とは反対隣からそう告げてきたのは、もちろん本田だ。内容も、予想していたからこそ黙ってしまった。
だが実際に聞かされ、更にはいろいろ複雑な感情を抑えこんでいると分かりやすい無理をした表情に、バクラは思わず両手を伸ばしていた。
「バクラ?……グハァッ!!」
「……うるせえ、いらねえんなら最初からそう言いやがれ」
バクラが立ち、本田が座っていたことで、高さもちょうどよかったので両手を後頭部に回して引き寄せた顔に膝をめり込ませておいた。かなり鈍い音と呻き声がしたが、不愉快な気持ちが勝っていたバクラはそう捨て台詞を吐くと、そのまま教室から出て行く。
それを見送った面々は、しばらく沈黙を保った後、大きなため息をついてから口を開いていた。
「そう言えって言われても、本田、吐血したまま突っ伏してるから無理よねえ……。」
「バクラはいつでも無理難題をふっかけてくるな、相棒」
「キミの罰ゲームほどじゃないと思うけど、でも、かなり怒ってたよね? 誰か追いかけなくいいのかな?」
「その前に誰か本田くんの手当てを……。」
久しぶりにキレたの見たなあ、とじみじみ感想を述べている面々に、御伽の心優しい主張は無視されていた。その代わり、一つ前の遊戯からの言葉に、本田が膝蹴りを食らう直前に血が飛ばないように杏子のクッキーを非難させていた城之内が答える。
「んー、オレじゃ無理だと思う。八つ当たりできる対象だから、まともに話してくれないと思うし」
「確かに、バクラは城之内くんには比較的よく手をあげているな。よし、ここはオレが代わりに」
「ちょっと、ちょっと、もう一人のボクじゃ余計にダメだってば? バクラくんが怒ってないときでも話噛み合わないんだから」
「そうよねえ、かといって私や遊戯じゃそもそも聞いてくれるかも曖昧よね」
「僕は認識されてるのかが曖昧だから遠慮させてもらえるよね……。」
「なあ獏良、ほんとのトコはどうなんだ? バクラって、本田にチョコ買ってんの?」
そう城之内が尋ねたときには、獏良はもう席を立ってコートを羽織っている。更にもう一人分のコートも手にしながら、ニコニコして答えていた。
「ボクが買ったのを見てないのは、ほんとだよ〜。まあ、もちろん、妹が言うように一人で買いに行って、ボクに見つからないように隠してて持ってくるの忘れちゃったということもありえる話だけど〜」
「そうじゃなくて、獏良はどっちだって思ってんだ?」
城之内は、最初は用意していると思っていた。だが忘れたと言ったときに、そもそも用意していないと思ったのだ。仮に本当に忘れていれば、それをバクラが素直に言えるだろうか。持ってきているが人前で渡せないなら用意してないと主張しただろうし、渡せるならさっさと渡しただろう。忘れたことを素直に告白した心理を察することができないので、どうしても嘘と決め付けてしまったのだが、違ったのだろうかと悩んでいると獏良は違うことを尋ねてくる。
「城之内くんは〜、買ってるのと、買ってないの、どっちがいいと思う〜?」
「そりゃあ、買ってた方がいいだろ、本田は楽しみにしてただろうし」
「だから嘘はつけなかったんじゃないかな〜、て、ボクは思ってるんだけどね〜」
「……。」
本当に買ってないのに、忘れたと言い張る心理もよく分からない。そういうキャラではないと自認していたくらいなので、堂々と胸を張って言いそうな性格というのも分かるのだ。
だが本当に忘れてただけだったとして、それを素直に吐露するのと、用意していないと嘘をついて城之内をガッカリさせるのであれば、バクラはどちらを選ぶだろうか。
「本田くんだけになら、用意なんかしてないって言えたと思うけど〜。後で、二人きりになって、買って渡せばいいだけだしね〜」
「……やっぱりオレもバクラ迎えに行く」
「大丈夫だよ〜、妹には上手く言っておくから? まだ気が立ってると思うし〜、ボク以外だとほんとに殴られるかもしれないから、無理しないで待ってて〜」
そう軽やかに言って教室から出て行った獏良を見送ってから、杏子がしみじみと言う。
「なんだかんだで、やっぱり、獏良くんてよく理解してるのね」
それに、城之内はため息をつきながら返しておく。
「それをバクラはあんまり分かってないっていうか、自信ないみたいなんだよな。なんでだろ、あんなに獏良は優しいのに」
恋愛関係ではない、ただの友情よりは篤く特別だ。そういう慈愛を獏良から向けられていても、バクラは本当に分かっていないか、あるいは指摘しても怪訝そうにする。他人事としては理解していても、実感というものがないようだというのは、城之内もずっと感じていた。
周りが言ってもどうとなるものでもないのだが、時々バクラの謙虚で誠実すぎる態度は薄情にも思えて痛々しい。そういえば先週もついお節介を口にしてしまったと思い出しながら城之内がまたクッキーを口へと放り込んだとき、ぽつりとユーギが呟いていた。
「……家族という存在を、あまり知らないからだろうな」
「ユーギ……?」
三千年前の過去において、バクラは幼くして身寄りどころかすべての人間関係を一度失っている。
その事実と、原因を思い出したのだろう。ユーギはそう呟いた後、ややつらそうに押し黙っていた。それを見ていた城之内は、笑って返しておく。
「大丈夫だって? バクラもそのうち落ち着くだろうし、大体本田と結婚すりゃあ嫌でも家族はできるだろ?」
城之内の言葉には、周りも大きく頷いていた。
今のところ、あの凶暴で時に劇場型で激情型のバクラを上手く扱えているのは獏良と本田しかいない。恋人という立場を思えば、もっと本田には頑丈さを持ってもらたいと、いまだ吐血したまま失神している様を眺めながら城之内はそうぼやく。
それに、海馬並みの頑丈さを求めるのは酷だぜ城之内くんと独り言のように返したユーギに、他の面々はただ黙って頷いていた。
「なあ、城之内って結局どうなんだ?」
「……ああ?」
少し遅れて聞き返されたのは、不快に思っての態度ではない。純粋に聞こえづらいからだ。さすがに先週末のような大寒波ではないものの、二月の半ばなのでまだまだ寒い。濃い血の色のような深紅のロングコートに、白のロングマフラー、暗い赤の耳当てという完全防寒をしているバクラは、会話が聞こえにくいことはよくあった。
今日は、バレンタインだった。期待していたことは、本田自身も認める。だがそれは贅沢だと分かっていたのは、バクラは本当にまだこの現代に疎いためだ。
欲しいのなら、欲しいと言え。
そうでないとそもそも知らないのだから応じようがないと返されることは分かっていたので、できれば事前にバレンタインというものの情報を耳に入れておきたかったのだが、それは叶わなかった。単純に、恥ずかしかったのだ。きちんとプレゼンをしていれば、バクラは小馬鹿にしつつも応じてくれたという自信がある。だが男にとってのバレンタインの意味を切々と語るという情けなさに躊躇し、結局何も言えないままにこの日を迎えてしまった以上、期待するのはおこがましいと思っていたのも事実である。だからこそ、昼休みは様々な葛藤で黙り込むしかなく、加えてからかわれているバクラが珍しくキレそうになっていたので居たたまれなくなって止めてしまった。
「城之内。昼休みが終わる前、お前が尋ねてただろ?」
「……ああ」
すると、ここのところはほとんどお目にかかっていないかつて闇人格だった頃を髣髴とさせる冷たい目で見下ろされた。そう思ったときには、黒のオーバーニーソックスで包まれた膝が眼前に迫っており、直後に意識を失ったのだ。
今も、聞き返されたときは慳貪さが含まれているようで、昼休みの制裁を思い出してやや足が竦みかける。だがこれはいつもの耳当ての所為だと自らに言い聞かせ、本田が質問を繰り返せば、バクラは字面は同じでも随分と柔らかく頷いていた。どうやらいまだに怒っているわけではないと安堵しつつ、本田にはよく分からないこともあった。
昼休み、バクラの膝蹴りをもろに食らってしばらく意識が飛んだ本田だったが、それはさほど長い時間ではない。授業が始まる前にしっかりと獏良が教室へと連れて戻ってきたことで、城之内が駆け寄る際に椅子を蹴ったらしく床に転がった衝撃で目が覚めた。まだふらつく体をなんとか起こし、教室のドアの方へと視線を向ければ、そこにはいつもと言えばいつもの光景があった。
『バクラッ、ごめんな、オレてっきり嘘だと思って疑っちまって!!』
『……別にいいっての、忘れてきたオレサマも悪いしな』
『バクラは悪くねえよっ、バクラが買ってそうって思えねえほど本田が信用してなさそうだったのが悪いんだって!!』
バクラに遠慮なく抱きつき、フォローの言葉で何故かこちらに責任転嫁されてしまう。理不尽だと感じないわけではないのだが、それでバクラも呆れたように笑い、城之内の頭を撫でれるのならば構わないだろう。結局のところ、バクラの言葉を信じるという方向で落ち着いたようだ。おそらく自分が気絶している間に話し合ったのだろうと分かりつつ、本田は信じていない。やはり、そんな幸運があるとは思えなかったからだ。だが追及すればまたこじれると分かっていたし、とにかくバクラが機嫌を直したようなのでよかったとだけ思うことにした。
『それより、オレサマも一つ気になってたんだけどよ』
『ん?』
そろそろ離れろと城之内を押し返しながら、バクラはさらりと尋ねている。
『てめーこそ、どうなんだよ?』
『……。』
『ダンナに買ってやったのか?』
全く関係ないことだが、結婚も婚約すらもしていない海馬のことを、バクラは最近よくそう表現している。そういう女子もいるとは理解していたが、バクラにとっては、本来の意味で海馬はもう将来の城之内の夫と認識されているのだ。すっかり揶揄を受け入れてしまっている城之内もさすがだと、妙にこちらが気恥ずかしくなっている間に、城之内は返事の代わりに胸を揉んだようだ。
『だからっ、バカ犬、てめーは……!!』
『作れなかったし、買おうかなとも思ったけど、でもオレなんかが買えるチョコなんて海馬からすると駄菓子も同然だろうし、かといってあげねえと恋人としてダメな気もして、でも海馬は今日受け取ってくれるわけでもねえし……。』
いろいろと葛藤をぶつぶつと繰り返していた城之内の声は次第に小さくなっていき、バクラの胸を揉む手つきは大きくなっていく。そのことでバクラがまた怒鳴って手を離させたため、最終的にどうなったのか、本田には聞こえなかった。
そのことをふと思い出し、歩きながら尋ねてみれば、隣を歩くバクラは寒さからではなく顔をしかめていた。
「オレサマも、よく分からねえ。はっきり言わねえで、誤魔化してたしな」
「そうか……て、ことは、買ったんだろうな」
「だろうな」
買ってないのであれば、城之内の口上はただの言い訳にすぎない。妙に潔癖なところもあるので、それは性格的に潔しとしないだろう。あれだけの葛藤を口にしたのは、買ってしまったものの、渡せない、あるいは渡せても喜んでもらえないことを予想し、自らの中で予防線を張っていたのだ。気になっていたので尋ねたものの、どうしてやることもできない。そうため息を二人でついたとき、バクラの向こうから不思議そうな声があがっていた。
「そうなんだ〜? ボク、どっちなのかな〜て思ってたよ〜」
普段よりやや大きめの声でそう言った獏良は、耳当てをしているバクラに配慮しているのだろう。ちゃんと一度で聞こえたようで、バクラは獏良へと頷いている。
「買ったことは間違いねえと思う、けどよ、渡しに行くかは五分五分ってところだな」
「ああ、なるほど、城之内くんの場合、それもあるか〜……。」
「オレたちがけしかけても、成功率は低いしな。できれば海馬本人か、まあそれは無理でも、モクバとかに背中押してもらった方がいいんだろうけど、そこまで気を回すとバレたとき拗ねさせるし」
「キミたち二人がけしかけても、ダメなんだ〜?」
よくけしかけられて空回ってるように思うけど〜、と続けられれば、苦笑するしかない。確かにそういうことは何度かあったが、微妙に状況が違うのだ。苦笑するだけで上手く説明できない本田に代わり、獏良へはバクラが答えていた。
「……真正面からの助言は、よほどの窮地にでも立たねえ限りバカ犬は聞かねえんだよ。それこそ、別れられるとかまで追い詰められてねえと、助言としての助言は無理だ。それがプライドでもあるんだろうし、大抵のことは諦めることに慣れちまってるからな」
「ああ、なるほどねえ〜……。」
今回で言えば、バレンタインのチョコレートを渡さないからと言って、深刻な事態にならないと思っているのだろう。実際に海馬は会えないようであるし、渡すとしても次に会えたときでいいのかもしれない。今日中に屋敷や会社に赴いて預けておくことが唯一絶対で、実行しなければ海馬に見捨てられるという確信でもない限り、助言をしたところで城之内が動くとは思えないというのは本田も同感だ。
「まあ、その代わり、助言と思ってねえ勝手な羨望ならフットワーク軽いけどな、あのバカ犬」
ただ、それは正面きって諭した場合の話である。たとえば、バクラが嬉々として本田にチョコレートを渡し、それに本田が感涙でもして見せれば、勝手に羨ましがった城之内が是非海馬にもと馳せ参じることは容易に想像がつく。
もしかすると、バクラもそれを計画していて、チョコレートを買っておいたのだろうか。そして忘れてしまってあれほど苛立ったのかと考えてみたが、ここまできてもまだバクラが用意していたということを信じきれない本田は、無意味な想像は止めておいた。
「そういえば、城之内くん、からかいすぎたこと結構落ち込んでたよ〜? キミも、また構ってあげなよ〜」
「ハァ? あのバカ犬、散々胸揉んできてたじゃねえかっ。おかげでブラ外れるしよ、ああくそっ、また腹立ってきた……!!」
「いや、あの、バクラ、往来でそんなこと口走るなっていうか……!!」
戸籍上の双子の姉妹の会話を微笑ましく聞いているつもりだったが、さすがにそんな単語が出てくると本田はついそう窘めてしまう。それに、久しぶりにこちらを見上げてきたバクラは、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべていた。
「バカ、なにこの程度で今更恥らってんだよ? ああ、それとも、なんか想像したのか?」
「い、いや、オレは、別に……!?」
制服の上から直そうとしたようなのだが、四苦八苦した挙句、上手くいかなくてトイレでシャツまで開いてバクラは留めたらしい。その手間より、寒かったことがかなり腹立たしかったようで、午後の授業が始まるチャイムと同時に教室へ戻ってきたときはかなり機嫌が悪かった。
ちょうど信号待ちになったので三人で足を止め、車が行き交う道路の前に立つ。だがバクラの視線は相変わらずこちらを見上げてきており、片方の手袋を外していた。
「けどまあ、とにかく寒い、オレサマは寒い。てめーの期待に添えるような格好はできねえしな、今はこれで我慢しろ」
元々そんな期待をしていたわけではないが、バクラもただの戯れ言なのだろう。寒い寒いと繰り返しながらも、こちら側の手袋をだけを外し、コートのポケットへと押し込んでいるのを見れば、早くその白い手を外気から守ってやりたくて本田も片方の手袋を外していた。
「寒いんなら、帽子とかもかぶった方がいいんじゃねえのか? 結構あったかいらしいぞ、ああいうの」
「どういうのだよ? ああ、銀行強盗とかするようなヤツか」
「バカ、元盗賊王のお前じゃシャレになってねえよ」
髪の色素がとことん薄いためか、バクラは余計に寒そうに見えてしまう。そんな会話をしながら、本田は手袋を外した手でバクラの手を握り、そのまま自らのコートのポケットへと突っ込んだ。案の定、バクラの手は指先まで冷えている。手袋をしていても、寒かったのだろう。それに対し、代謝がいいのか単なる子供体温なのか、本田は比較的温かい方だ。最初は冷たく感じた手も、握ったままポケットに入れていれば次第に温もりが移っていく。よほど気温が低いときは、こうなることも予想して予めポケットにはカイロも入れているのだが、そんなときでもすぐに熱いと感じるようなることを本田はもう知っていた。
ちょうど信号も青になったので、バクラの歩調に合わせて足を進める。ただ手を繋いだり、並んで歩くときと違って、繋いだ手をポケットに入れていると自由度が下がるのだ。身長差がかなりあるため、どうしても本田の歩幅が大きい。それを補うようにわずかに速度を緩め、バクラと歩き出せば、その向こうで少し先に出た獏良が振り返っていた。
「……慣れてるんだね〜」
「ああ?」
「あ……あっ、いや、その、だから、これは、その!?」
「別に照れなくていいんじゃないかな〜、本田くんも〜」
すっかり忘れていたわけではないのだが、なんとなく、自制するのを忘れていた。
今は普段の大人数とは違い、獏良を含めた三人だけなのだ。他の面子も加えた大所帯のときは、こういうことはない。移動しにくくなるのもあるが、大きな理由は城之内がやたら騒ぎ立てるからだ。だが三人という人数に限定すれば、大抵は獏良ではなく城之内になる。すると、不可解なことに、手を繋ごうが何をしようが、城之内はあまり騒がない。羨ましがっても、聞いてくれる第三者がいないからかもしれない。
ともかく、三人という人数のときは、二人きりのときとあまり変わらない。
そんな感覚があり、つい三人目が普段とは違うのだということをあまり認識していなかった本田は、指摘されて思わず動揺したところでコートのポケットの中でギュッと握る手に力を込められた。
「……!?」
「ただオレサマが寒いんだよ。それだけだ」
そしてどこか拗ねたようにバクラは言う。だが寒さで頬は赤くなっているし、繋いだ手を強められるとまるで離したくないと照れているようだ。そういう態度はキスしたくなるからやめてほしいと心底願いながら、本田もまたしっかりとポケットの中で握り返しておいてやった。
「素直じゃないな〜、キミも。ああ、そうだ、今日の夕食当番、キミだったよね〜?」
信号を渡れば、バクラたちが住んでいるマンションまでもうすぐだ。比較的街中にあるマンションの周辺は、店も多く、スーパーなども近い。獏良からの言葉で買い出しでも頼まれるのかと思ったが、実際には逆だった。
「それ、代わってあげるね〜」
「あ? なんだ急に、オレサマが作るぞ?」
「だって、本田くん泊まっていくでしょ〜? いいから、キミはゆっくりしなよ〜、ボクはちょっと買い物してから帰るから先に暖房入れといてね〜」
元々、当番の有無に関わらず、冬場はかなりの頻度で獏良が買い出しをやってくれているようだ。バクラも申し訳なく思うものの、とにかく寒くて一刻も早く部屋に帰りたい。その分、他の家事などで埋め合わせをしているようだが、そもそも週末はほとんど家にいないので半々とは言い難いらしい。
本田は詳しく聞いていないが、先週末、バクラが会わないと言い出したのはそこにも理由があるのではないかと思っていた。城之内が遊びにくるという話も聞いていたので、女ばかりで集まりたいこともあるのだろう。深くは考えず、了解し、姉の家で手伝いをやらされていると、突然電話がかかってきたのだ。
直接的な理由は、城之内がバイトで来れなくなったからのようだが、あんな大雪の中、当初は歩いて来るつもりだったらしい。何か獏良とあったのではないかと察したが、バクラは何も言わなかった。ただ、いつもよりは甘えるような仕草が多いようには感じた。そこにきて、この申し出なのだ。そもそも平日に、一人で訪問すること自体に不自然なものを感じてはいたのだが、それはこのときはっきりと態度で示された。
「なんでだよっ、泊まってくワケねえだろ!?」
「……!?」
「……どうしたの〜? 本田くんが、驚いてるよ〜」
手袋をしたままのもう一方の手で、マンションの手前にある道を曲がってスーパーに向かおうとしていた獏良の手をバクラがつかんでいた。それはすがるような必死さで、正直本田も面食らった。だが、ポケットの中の手も必死にこちらを握り締めてきており、取り敢えず自分を突き放しての言葉ではないのだと理解した本田は、恋人の肩を持つことにする。
「いや、獏良、さすがにオレも今日は泊まらねえって? 明日も学校だし、着替えとかだって持ってきてねえしよ?」
いつものメンバーで集まって雑魚寝で泊まるようなこと以外にも、何度か二人のマンションに泊まったことはある。そのいずれもが、獏良が他の友人宅に外泊して不在のときだ。本田としては、やはり緊張もする。だがバクラが生粋の寒がりで、特に今の時期は外出したがらないため、可能であれば自分から出向き、週末を一緒に過ごしたいと甘えてしまった。恐らくそういった前科で誤解させてしまったのだろうと思い、本田も泊まらないのだと否定してみたのだが獏良は不思議そうだ。
「泊まらないの〜? でも、ヤるよねえ〜?」
「ハ?……ええっ、あ、いや、お前、何言っ……!?」
「ああ、それとも、チョコ受け取ったら本田くんの家に移動するの〜?」
「い、いや、それは……!?」
「……移動しねえし、部屋でヤったりもしねえよ。だから、変な気遣ってくれなくていい。オレサマだって、居候の身なのくらいちゃんと弁えてるっての」
往来でまたとんでもないことを言い出す双子の姉の方に、本田はかなり慌てたが、バクラは落ち着き払っている。いや、頑なになっているようだ。本田は気絶していたので昼休みの城之内たちの会話を知らないが、それでもなんとなく分かる気がする。
きっと、バクラは後ろめたいのだ。そして獏良はそれを無駄だと知っている。
「キミこそ、変な気は遣わなくていいんだよ〜」
「宿主サマ……?」
いまだにそう呼ぶバクラの言葉が、バクラからの感情をすべて表しているのだろうが、相変わらず穏やかな笑みを浮かべた獏良は引き止められていた手を一度握り返していた。
「キミは居候じゃない、ボクの妹だ」
「……でも、それは」
「天音にはならなくていいよ、だって彼女はもう死んだんだ。でも、キミはこうして生きてる。ボクはキミを二人目の天音とは思ってない、でも二人目の妹だとは思ってるから?」
「……。」
「そんなキミが、キミの大好きな人と仲良くしてるのはボクも嬉しい。まあ、さすがにリビングとか廊下とかでされるのは困るけどね〜、キミの部屋でいちゃいちゃする分には、文句もないし、むしろ協力してあげるよ〜」
だんだんと語尾がいつものように間延びしていったのは、向かい合っている獏良には、バクラの表情の変化が分かったからだろう。最初は驚き、まだ躊躇っていたバクラも、やがて真摯な言葉に納得したようだ。急に雰囲気が柔らかくなったバクラは、かなり安堵したのだろう。それに獏良もニッコリと笑っていたが、何故かまたすぐに気配が曇っていた。
「バクラ……?」
「……でもよ、泊まりはしねえだろ。コイツもその気はねえようだし」
チラリと肩越しに視線を投げ、またバクラはふいっとそっぽを向く。どうやら先ほど便乗した言葉を、今更のように根に持っているようだ。
「いやっ、だから、それは……!?」
「キミが泊まらせないって言い張ったから、本田くんも合わせてくれただけでしょ〜? 優しい恋人に、八つ当たりはダメだよ〜」
「……どうだかなっ」
「バクラ、お前、そこは分かれよ……!!」
自分が泊まりたくないはずがない、要するにヤりたくないなどありえないのだ。
そうとは口走れないので、本田は握った手を必死で指先で撫でるようにしてそう訴える。それに、バクラはまだしばらく無言で拗ねていたようだが、やがてくるりと身を翻していた。
「……寒い」
手は繋いだままなので、必然的に本田の胸に顔を埋めるようにして寄り添ってきたバクラを、本田はもう一方の手で軽く抱きしめてやる。寒いという言葉は、本心でもあり、照れ隠しなのだろう。本田が宥めるように何度か背中を撫でてやれば、やがて落ち着いたのか、再び顔を上げて振り返ると獏良に向かっていた。
「えっと、宿主サマ、じゃあ先に部屋戻っとくから、買い物と夕飯の準備、悪いけど頼むな」
「うん、任せて〜。あ、居間だけじゃなくて、ボクの部屋の暖房も入れといてね〜」
そう言って手を振り、今度こそスーパーへと足を向けた獏良は、最後に一言念を押しておいた。
「ああ、チョコ渡すの、忘れないようにね〜」
「……!?」
「……分かってるっての。そもそも、その証明なんだしな。二度は忘れねえよ」
獏良の言葉に、バクラも淡々と受け答えをしている。
だが、それに本田は最も動揺してしまった。
それではまるで、本当にバレンタインのチョコレートを用意していたかのようではないか。
「……てめー、なんでここにきて焦ってんだよ」
「えっ、あ……!?」
「どうせ嘘だと思ってたんだろうがっ」
獏良がスーパーに向かうための角を曲がるまで見送ってから、バクラはそう低く隣から吐き捨てる。拗ねているのではない、怒っているのだ。苛立ちを示すかのように、指を絡めるようにして繋いだままの手で本田の手の甲をつねりながら、バクラは歩き始めていた。
「痛いって、おい、こら、バクラ……!?」
「……。」
マンションに向かってすたすたと先を言うバクラに、歩調を合わせなければ繋いだ手がポケットから出てしまう。そうすると寒いだろうという気遣いだけで追いかける本田は、放課後になってすぐ、告げられたことを今更のように思い出す。
『ねえ本田くん〜、これからウチに来ようよ〜』
『へ? ああ、いいけど?』
『妹がキミのためにバレンタインのチョコ、用意してたって言うからさ〜。それ、取りに来てほしいんだ〜』
獏良がそう話しかけてきたとき、まだ機嫌が直っていなかったのか、バクラは腕組みをしたままそっぽを向いていた。だが驚く本田より先に声をあげたのは、傍で聞いていた城之内だ。
『なにそれっ、いいなあ、オレも行きたい!! でもバイトが早番!!』
『バカ犬、早番ならマジで急がねえとまずいじゃねえか。ごねてねえで、さっさと行けよ』
地団太を踏んでいる城之内には呆れたように返していたが、バクラは本田には特に何も言わなかったのだ。用意していたとは思えないが、昼休みから放課後まで特にサボッたりもしていなかったので何かできたとも考えにくい。かといって、本当に用意しているならば、獏良が誘い、バクラは不機嫌そうにしている理由もよく分からず、取り敢えずは頷いて三人で下校することになったのである。
「なあっ、バクラ、ほんとに……!?」
「……。」
マンションはもう見える距離だったので、すぐにエントランスにはつき、まずは一階のロビーの鍵を開ける。そこから建物内へと入り、ちょうど一階にあったエレベーターに乗り込んでもバクラは無言だ。
もしかすると、獏良も騙されているのかもしれない。今更嘘だとも言い出せないだけではないのだろうか。もしそうであれば、多少はがっかりするものの、話を合わせてやるくらいはできる。なので、黙り込むことで変な期待だけはさせないでくれと、早まる鼓動に本田が混乱を極めたところで、バクラが口を開いていた。
「……朝、寒いんだよ」
「あ、ああ……?」
「一応、暖房はつけてんだけどな、やっぱ寒いものは寒いんだよ」
突然何の話だと面食らうが、適当に相槌を打っているとエレベーターのドアが開いた。すぐに部屋へと向かい、玄関の鍵を開けているバクラは、どこか淡々と続けている。
「だから、起きたときは寝ぼけてるというか、結構頭がはっきりしてねえことが多いんだよ、オレサマは」
「いや、それも知ってるけどよ、だからそれが……?」
「……忘れねえように、制服のシャツの上に置いといたんだが、着替えるときによけた気がする。で、たぶんそのまま忘れた」
「……!?」
「机の上か、その横辺りに落ちてるはずだ」
玄関が開き、室内へと入ったところでバクラは繋いでいた手を離した。それは少し寂しくもあったが、さっさと靴を脱いで上がっているバクラがリビングに向かってしまったため、本田はやや取り残される。
靴を脱ぎ、上がりこみはしたが、どうしたものか迷う。既に何度も来ているので、間取りに迷っているわけではない。リビングの暖房を入れたらしいバクラは、今度は獏良の私室へと向かっている。だが、本田に指示はない。どうしろとも言わないが、動くなとも言わないのだ。
「……。」
気がつけば、足はバクラの部屋へと向かっていた。廊下を曲がり、そこへと辿り着く。ドアノブをそっと回せば、まだ暖房が入っていないため廊下と同じく室内の空気は冷えていた。
記憶を頼りに壁へと手を伸ばし、スイッチに触れて明かりをつける。すると一瞬で明るく照らし出された室内で、学習机へと自然と目を向ければ、そこには見慣れない黒い箱が素っ気無く置かれていた。
「……。」
「……ああ、やっぱ机に置いたままだったか」
ドアの前で立ち尽くしている本田の背中を邪魔だとばかりに軽く押し、中へと入ったバクラはその箱を手に取る。黒の包装紙だが、ポイントにはハートがあしらわれており、一目でバレンタイン用の商品と分かるものだ。振り返ったバクラは、それを無造作に投げてくる。
「……!?」
「ほらよっ、それが欲しかったんだろ? ったく、たまたま忘れたくれえで、みんな揃って疑いやがって。そんなにオレサマが買ってたのがおかしいのかよっ」
饒舌に愚痴っているのは、照れている証拠だ。寒がりのバクラが、まだ暖房をつけるのを忘れるほどに、視線をうろうろさせて動揺している。寒さからではなく、頬も紅潮しているようだ。
そう思ったとき、本田はまず深呼吸をした。
そして可愛い恋人のために、まずは暖房のスイッチを入れてやってから、チョコレートを片手にバクラの前へと立つ。
「本田……?」
「……ありがとな? すっげー嬉しい」
「……。」
この感謝と、なによりも幸福感がどう言えば伝わるのかは分からない。ただ、思いついた素直な言葉で告げれば、やや面食らうような顔をした後、バクラもはにかんで両手を伸ばしてきた。
「……だったら、態度で示せよ? オレサマ、取り敢えず寒い」
昼休みには膝蹴りを演出してくれたその両手を、バクラは本田の肩へと回す。そしてやや踵を上げる仕草だけで意図することが分かっていた本田は、しっかりと腰を抱きしめ、まずは深いキスで暖めてやることにした。
あれから、約三時間。
すっかり忘れかけていたが、実家に『今日はバクラのところに泊まる』とメールを入れた本田は、携帯電話をパタンと閉じた。
「……参ったよなあ」
今はバクラが風呂に入っており、上がるのを待っている状態だ。本田の部屋ならば、同じ離れの中にある風呂場なので誰と遭遇する危険もない。大抵は先に本田がザッと体を洗い流し、浴槽に湯がたまったところで、ベッドでぼんやりしているバクラを運ぶことになる。そのまま出ることは稀で、バクラが相当疲れているときは洗ってやるし、逆に余裕があるときは再び誘われ、風呂場ですることもある。
だが、どちらにせよ、そんなことは今は無理だ。せめて獏良が不在であれば別だが、いきなり遭遇するのは互いに気まずいだろうという配慮で、気だるそうにしていたバクラを起こして先に風呂へと行ってもらった。それなりの回数に及ぶと、どうしても体力の差が出てバクラの方が早く潰れる。かつての肉体ならばまた違うのだろうが、今はまともに鍛えていないのだ。たまに暴れると、筋力や体力のなさを嘆いているので、本能的にはバクラはやはり武闘派なのだろう。だが現状においては、度胸や精神的な経験値はまだしも、体はごく一般的な女子高生である。双子の姉も在宅していることとあわせ、できるだけ抑えようと頑張ってはみたのだが、いまいち成功しなかった。
「……。」
それもこれも、あれが悪いのだと本田は自分のカバンの上に置かれた黒い箱に心の中で責任を転嫁した。
まさか、本当に用意してくれているとは思っていなかった。バレンタインの知識は予想どおりなかったようだが、そもそも先週末の大雪の日、城之内がバイトで来れなくなった約束とやらがチョコレートを作ることだったらしい。本田がどう伝えるべきかとぐるぐる悩んでいた間に、バクラはとっくに知っていたということになる。それを嘆くのではなく、珍しく悪友に心から感謝する。
城之内、本当にありがとう。
つい感動が口を突いて出たらしく、妙な誤解をしたらしいバクラに、バカ犬はてめーにも義理チョコとやらはやらねえよと蹴られてしまった。相変わらずそこは自信がないらしい。もしかすると、自分がバクラとユーギの関係にいつも動揺してしまうのと似ているのかもしれない。
知り合った時期、共に過ごした時間の差はどうしようもないものだ。
友情だが優しく汎用性がある感情だけだった本田たちと、敵意だが苛烈で唯一無二の感情をぶつけ合っていたバクラたちは、どちらがより不安を煽るものなのだろう。
「……まあ、どっちにしても」
いくらバクラが疑ったところで、城之内には海馬という絶対的な恋人がいるのだ。
そして、本田がいくら不安を煽られたとしても、少なくともバレンタインの日に、こうしてチョコレートをもらえたのは自分だけだという絶対的な事実がある。そこを拠りどころにすれば、少しだけ自信が出る気もした。携帯電話が鳴り、実家から了解の旨の返信が届いたのを確認してから、本田はベッドをおりる。カバンの上に置いたままだった黒い箱を取り、慎重に包装紙を剥がしたところで、急にドアが開いた。
「おい、風呂開いたぞ……て、なんだ、それ食うのか?」
「ああ、まあ……。」
「腹減ってんのか? それなら、宿主サマがもうメシ作ってくれてるから、さっさと風呂入ってこいよ」
そう言いながら、バクラは制服やコートを今更のようにハンガーへと掛けている。始めた際に余裕がなかったので、脱がしてから適当に床へと落とし、風呂に入る前に机に投げてそのままだったのだ。濡れた髪をまだタオルでまとめ上げているバクラは、普段は髪で見えないうなじがさらされている。それをじっと見てしまっていたのに気がついたわけではないのだろうが、タオルを解いてばさりと髪を下ろしたバクラが、本田の横へと歩み寄ってきた。
「なあ、それ、どんなのだよ?」
「お前が買ったんだろ?」
「バカ、先週の日曜だぞ? 買ったの。売り場が身動きできねえほどすげー混んでて、ゆっくり選ぶ余裕なんかなかったんだっての。取り敢えず、最初に目に付いたものにしてみた。たぶんフツーのだと思うけどよ、違ったら悪いなっ」
髪をタオルで拭きながら、興味深そうに箱を覗いてくるバクラの言葉は、本来ならば傷つくべきものなのかもしれない。
だが本田には、人混みを嫌うバクラが、恐らくはデパートの専用売り場にでも足を運んでくれたというだけで、もう幸せなのだ。包装紙は既に剥がしたので、妙に高級そうな黒い紙の箱を本田は開けてみる。
「……普通だな」
「……ああ、普通だな」
バクラもあまり確認をせずに買ったらしいので、とんでもない面白チョコだったらどうしようとも思ったが、箱の中に行儀よく仕切られて収まっていたのは、最も普通に想像するところのチョコレートだった。粒状のもの、丸い飴玉のようなもの、銀紙に包まれた板状ものが、少しずつ並んでいる。見た目も上品で、何か冒険したような雰囲気は微塵も感じられない。
「やっぱり、こう、宿主サマみてえなユーモア溢れるようなものの方が、インパクトはあるよな」
「インパクトより、ダメージのがでかいぞ、アレは? 今日だって、結局まともに喜んでたの遊戯だけじゃねえか」
「周りがドン引きしてただけで、王サマも喜んでただろ?」
本田は動揺していたので、杏子がもらったチョコレートがどんな形をしていたのか、知らないのだ。そのため、クリボー型をもらった遊戯だけが被害を免れたと言ったつもりが、バクラからの切り返しに情けなくもビクッと肩が揺れてしまった。
どうにも、バクラからユーギの名前、あるいはそのあだ名のようなものが聞かれると、緊張を強いられてしまう癖が抜けない。もう、条件反射のようなものなのかもしれない。ほんの数分前には自信がついたと思ったばかりだったのに、情けなくてため息が出そうだ。だが実際にそうするとまたバクラが機嫌を損ねると分かっており、必死で平静を装っていると、白い指先が箱へと伸びる。
「まあ、てめーはこれでよかったて思っときな。一つくらいは今食べるだろ?」
「あ、ああ……?」
ユーギの名に動揺したことは気づいたはずなのに、そこには言及せず、バクラは箱から最もオーソドックスなチョコレートを一つ摘む。そのまま自らの口元に持っていき、軽く咥えるようにしてから瞳を合わせられると、何を求められているのかは嫌でも分かる。
「んっ……どうだ、美味いか?」
「……高級そうってことしか分からねえ」
「なんだ、食わせ甲斐がねえヤツだな」
唇を寄せ、チョコレートを受け取り、ついでに口内へと押し込むように舌を入れられればまともに味わうことなどできるはずがない。むしろチョコレートより、すぐに出て行った舌をもっと味わいたいと内心で思いつつ、それは賢明に堪えてなんとか食べてみた。
すると、普段食べるような菓子とは随分違うことは分かる。だが、美味いのかは、たぶんそうだとしか言えない。そもそも、さほど甘いものは好きではないのだ。それをバクラも知っているので、二つ目は勧めず、箱に勝手に蓋をしていた。
「まあいい、お前もう風呂入ってこいよ。宿主サマがメシ食わずに待ってくれてるし」
「え? あ、そうなのか? それは悪いことしたな」
散々ヤった後なので、シャワーすら浴びずに居間で寛ぐのはありえない。だが妙にのんびりしてしまっていたのは、夕食を作った獏良が、自分たちを待っているとは思っていなかったのだ。恐らく、バクラも先ほど聞いたのだろう。本田の部屋にあるバクラの着替えほどではないが、この部屋にも一応本田の着替えを置いている。突然泊まることになったときのためではなく、以前獏良が不在のときに泊まって忘れたものだ。
着替えを手にしながら、制服のシャツはさすがに替えがないと気がつく。そう言えば、明日は体育の授業もある。どのみち、朝は一度実家に寄ってから登校しようかと考えながら本田がドアへと向かえば、声をかけられた。
「……なあ、本田」
「ああ?」
足を止め、振り返れば、バクラはベッドへと腰掛けている。その手には、本田が預けるようにして渡していたチョコレートの箱があった。
「オレサマがこんなの渡したの、てめーだけだからな」
「……。」
「それだけ、覚えとけ」
バレンタインというものを、城之内から教えられたのであれば、確実に本来の企業の策略を説かれたはずだ。
恋人や夫婦、あるいは片想いの男性に愛を告白する。
それに則ってみせたのはお前に対してだけだと笑ったバクラを、本田は今すぐにでもベッドに駆け戻り、押し倒したい衝動を堪えるのに必死だった。
バレンタインに関しては、珍しく城之内はいい仕事をしてくれた。
そう心から感謝していた数日後、本田はとんでもない恐怖を味わうことになる。
『……貴様、どういうつもりだ』
『へ? あの、何が……?』
『あんなオカルト・ギミックを満載にした菓子をオレの可愛い凡骨に贈るとはどういう了見だ!?』
『ええっ、あ、もしかして、いやでもあれはオレが作ったわけじゃ……!?』
『ええいっ、問答無用!! というかっ、貴様の女の方を手打ちにすればそれはそれで駄犬が泣くので仕方がないのだっ、オレは妥協してみせる、貴様が代わりに責任を取ってその血で贖えこの痴れ者がぁ!!』
どうやらバレンタインの翌日に学校で少しだけ会った後、また改めてやっと時間が取れたときに城之内はあのサイコ・ショッカー型のチョコレートを海馬に見せたらしい。元々好奇心旺盛なので、メガネを押してみたい衝動に駆られてはいたのだろう。だが怖い、それでも気になる。ならば一緒に、できれば海馬が押してくれと頼まれ、胡散臭く思いながらも応じてやったことは想像に難くない。
本田はどういう仕掛けがなされていたのか知らないのだが、海馬の乱心ぷりを見ると、城之内が恐怖で気絶するくらいのことにはなったのだろう。かつてモクバが危惧したという、血のバトルシティの開催か。迫り来るジュラルミンケースの鈍い光に覚悟を決めた本田は、どうか死にませんようにと祈りながら殴られておいてやった。
それは別に、自己犠牲精神でもなんでもない。
自分が海馬に殴られたと知れば、バクラが怒り、城之内を殴る。城之内はバクラに殴られたことで怒り、原因である海馬を殴る。あるいは今ジェラルミンケースで殴られるより、数倍の拳となって海馬に戻るかもしれないのだ。だからこれは、自己犠牲に酔っているのではない。ましてや、かつて城之内と共に百戦錬磨でケンカを潜り抜けてきた自分が、恐怖のあまり身が竦んで動けないからではないのだと、本田は自分に言い聞かせていた。
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