■往復切符
いつものように、バイトを終えてから家路を急ぐ。
高校生であることを思えば、本来この時間まで働くことはできない。だが苦しい家計事情を知っているここの店長は、ある時刻以降は倉庫整理や裏方の目立たない仕事を任せてくれているのだ。その温情に甘えさせてもらいながら、今日もせっせと倉庫で重い飲料ケースなどの移動に精を出した。
そうして少しばかりの残業代を稼いでも、あまり遅くまではできない。朝には、新聞配達の仕事があるためだ。慢性的な睡眠不足を学校で補うことは本末転倒になっている気がしないでもないが、眠いのだから仕方がない。せめて今夜は寝れますようにと心の中で祈りながら、城之内は足を進めていた。
「最近、だいぶ暑くなってきたしなあ……。」
初夏の香りが漂い始めているこの季節、日中はもうかなり暑くなっている。夜ならば気温も下がるが、クーラーなどそもそもなく、電気代も節約を強いられている中ではこれ以上暑くなるのはいただけない。寝苦しさは毎年のことであるが、多少は慣れても、歓迎などできるはずもない。
だがこのとき敢えて独り言を口にしたのは、ここのところの睡眠不足の原因を気温に転嫁したい気持ちがあったからだろう。そんな自覚もあり、思わず城之内は自分にため息をついてしまう。
「……。」
父親が暴れているのであれば、それも今更だ。幸いにして、ここ最近の父親は比較的落ち着いており、週の半分は日雇いの仕事にも出ている。肉体的に疲れているためか、酒もそこそこにしてさっさと寝てしまうので、父親が原因ということはない。
かといって、ゲームなどに興じて夜更かしをしているわけでもない。本当の原因など明らかであっても、どうしてもそれを認めるのは癪な気がして、あるいはまともに向かい合いたくなく、つい心地好い涼しさを伴う夜の空気に押し付けてしまった。
そんな自分にため息をついていても、なんの解決にも至らない。
そもそも、自分がどうして悩んでいるのかも、いまいち分からないのだ。
「……悩むようなことじゃ、ねえよなあ」
悩むということは、現状に不満があるということだ。あるいは、不安がある。
だがどうせ冗談だと思っていたし、長続きはしない。もし現状への不満であれば、それはさっさとこの曖昧な状態を終わらせてほしいと願う方向であり、そうであれば悩む必要はない。最初から、終止符を打つ権利は一度だけ認められているのだ。
『貴様がどうしても嫌だと思うなら、一度だけは見逃してやる』
あの男にしては、随分と寛大で、それでいて臆病だと思ったものだ。取り敢えず強引にでも関係を定義づける、だが城之内が嫌ならば一度だけ拒絶を容認する。
裏を返せば、二度目はないということだ。
拒絶して、再び戻ることはできないという意味か。それとも、一度拒絶し、それから戻った場合は、二度と拒絶はさせない。二度目を許すくらいなら殺してやるという物騒な宣言にも聞こえた。
「……。」
どちらであっても、城之内には今のところあまり関係ない。
拒絶するもなにも、そもそも相手が求めていること自体に真実味が感じられないのだ。
結局のところ、ここ数日の睡眠不足はこれが原因だ。向き合いたくないのでできるだけ考えないようにしていたのに、静かな夜の道を一人で歩いていると、どうしても思考はぐるぐると落ちていってしまう。
あの男は、本当は何を求めているのだろう。
いや、本当に求めるものがあるのだろうか。
関係を位置づけるはずの単語の解釈が、常人とは違っているだけなのかもしれない。
そうとでも思わないと、勝手な宣言をされてから既に数ヶ月。最後に会ってからは、数日。寝不足が始まる直前、遂にそういう日がと思いほとんど無意識に反応してしまった後の相手の態度に、崩れ落ちてしまいそうだ。
「……。」
ごく自然と顔が近づいてきたので、驚きつつも、何故か安堵の方が大きくてつい目蓋がおりていってしまった。
間近からあの青い瞳を見つめる勇気がなかったのも事実だ。
完全に瞳を閉じることにならなかったのは、唇に予想していた感触が一切訪れず、そのまま相手がため息をついてソファーから立ち上がり部屋を出て行ったためだ。
あのときは、さすがに呆然とした。
どうして何もせずに無言で立ち去ったのかと思ったとき、やっと自分が何を期待していたのかを冷静に突きつけられ、城之内は居たたまれなさで泣きたくなった。
「……あれ以来、か」
そのまま屋敷を出たので、あれから会っていない。電話などで話もしていない。もしかすると、相手も葛藤しているのかもしれない。そもそも、数ヶ月間何もしてこなかったような男なのだ。他の目的があっただけなのかもしれないし、本気だったとしてもそういうことまではするつもりがなかったのかもしれない。
考えないようにしようという努力は、一度思考が回り始めればあっという間に瓦解する。
嫌な方向にしか転がっていかない思考を振り払いたくて、ついぶんぶんと首を横に振ってしまったところで、ふと視界の端に入った何かに意識が引っかかった。
「……?」
家までの帰路の途中に、あまり大きくない川がある。もっと下流に行けば河川敷も広くなり、この季節であれば夜でも花火をしたりして騒いでいる連中もいる。だがまだこの辺りではなだらかな土手はそのまま川面へと繋がっており、憩いの場としてはいまいち不向きだ。
土手の上を歩いていた城之内は、そんな川側ではなく、陸地側に人影を見つけていた。見下ろす格好になるその一帯は住宅街になっており、公園などもあるので人がいることはさほど珍しくもない。とっくに日も落ちた夜ではあるが、深夜というほどではないので同じように帰宅途中のサラリーマンや犬の散歩をしている人などとすれ違うこともあった。
だが城之内が思わず足を止めたのは、土手から見えた公園で、見知った人間を見つけた気がしたからである。外灯からは外れた場所にいるが、それでも知り合いだと確信したのは夜でもよく目立つその白い髪のためだ。
「……獏良?」
城之内からは背を向けるようにして立っているその姿は、肩より長い髪からもクラスメートである獏良だと城之内は思っていた。だが、そうであれば疑問はますます深くなる。どうしてこんなところにいるのだろう、獏良の家はもっと遠い。どこかへ行く、あるいはその帰りだとしても、獏良の家から向かう経路上にあの公園があるとは思えない。
不思議に思った城之内は、土手の上で足を止めたまま遠い背中を眺めてしまう。声をかけようかと思ったのだが、さすがにこの距離ではかなり大声を出さないと気がついてもらえないだろう。近くに行くなら、少し先の階段を下りなければならない。そもそもあれは本当に獏良だろうかと思ったとき、城之内は思わず息を飲んでいた。
「……!?」
暗くてよく見えていなかったのだが、こちらに背を向けて立っている獏良の前に、一人の男がいる。緊張が走ったのは、やはりバトルシップでの印象が色濃く残っているからだ。
「あれって、マリク……!?」
しかも、闇人格の方だ。遊戯などと違い、主人格であるマリクが作り出した別人格であるもう一人のマリクは、千年ロッドの力とも相俟って相当凶悪な性格をしていた。それはもう一人の遊戯との闇のゲームにより消え去ったはずだが、実は完全にはなくなっていない。どうやら全くの別人ではないことが、良くも悪くも影響しているらしい。
主に遊戯を標的とした憎悪ゆえの凶暴さはなくなったものの、そもそもの性格の一面としては残ってしまっているようなのだ。まああまり有害でもないですから、と、相変わらず大らかな姉のイシズがさらりと報告してくれたことを今更のように思い出す。どうやらあの一件で主人格のマリクが日本をかなり気に入っており、度々遊びに来るようになったので、もし闇人格の方と遭遇しても罰ゲームを加えなくても大丈夫だという根回しだったらしい。
だがそうと聞いていても、城之内はやはり警戒してしまった。どれだけもう一人の遊戯への憎悪が薄れようが、闇人格のマリクは性格的にああなのだ。凶暴性はただの本能なのだろう。そんな闇人格のマリクが、夜に人気のない公園で獏良と会っている。
「……いや、違うのか?」
不可解な組み合わせに不穏な空気を勝手に感じ取ったが、ふと城之内は更に思いだす。
確か、少し前にイシズが来日して挨拶に来てくれたとき、何かを言っていた気がするのだ。
いまだ闇人格のマリクが存在していることと、それは無害なので放置してくれということ。
イシズがそこまで言うのであれば大丈夫なのだろうと、その場にいた全員は頷いた。発動条件が以前と同じであれば、相変わらずリシドは出現のたびに昏睡させられているのだろうか。そんなことを考えていた城之内に対し、仲間内の誰かがイシズに尋ねた気がする。
そもそも、どうしてそんなに日本に来る必要があるのか。
いくら主人格のマリクが日本を気に入っていると言っても、やはりエジプトからはかなり遠い。イシズと違い、政府の高官のような立場にないとしても、そんなにふらふらと出歩いていいものなのか。本当に他に目的はないのか、不穏な兆候は皆無なのかと尋ねたのは、確か遊戯だったはずだ。
「……。」
そのとき、イシズは穏やかに笑っていた。
そして、どこか微笑ましそうに続けたのだ。
「……闇は、闇と、惹かれ合う」
光に焦がれる闇もいれば、闇と寄り添って安定する闇もある。
もう一人のマリクは後者なのだと微笑んだイシズは、何故か獏良を見ていた。獏良はどうして笑いかけられたのか分かっていない様子であったが、元々あまり気にしない性格なのか、穏やかな笑みを返していた。
そのとき、城之内はなんとなく察したはずだった。
だが、信じてはいなかったのだ。
「大丈夫なのか、あいつら……。」
土手の上から相変わらず眺めていると、やっと目も慣れてきて判別がつく。後ろ姿でも、全く雰囲気が違う。闇人格のマリクと向き合っているのは、やはり闇人格のバクラだ。
後にもう一人の遊戯から聞いた話によれば、バトルシップで獏良が消えたのはこのマリクとの闇の決闘が原因だったらしい。いろいろ事情もあったのだろうが、基本的には仲が悪そうだと城之内でも思う。どちらも尊大で、高圧的で、人を人と思わないところはよく似ている。バクラはさすがに三千年の年の功なのか、周りとの会話を成立させた上で馬鹿にしてくる。一方の闇人格のマリクは、そもそも会話があまり成立しない。単にしゃべるのが遅いのでそう思うだけかもしれない。どちらにしても、厄介な御仁なのは間違いない。
種類は違えども、もう一人の遊戯も時々扱いに困るような発言が飛び出すので、やはり闇人格とはどこか斜め上を見ているものなのか。失礼な結論に至っている城之内は、そこで軽く眉を顰めた。
「……?」
この二人が夜の公園で会っているということは、何かしらの悪巧みでもしているのではないかと邪推していた。だがマリクへと向かって歩き始めたバクラに、嫌な予感がする。
最近は忘れかけていたが、どちらも肉体的な痛みに強いのか、あるいは躊躇いがないだけなのか、かなり簡単にその一線を飛び越えてしまう。特にバクラはその傾向がひどい。互いに本来の体の持ち主が望まない自傷なのだから控えればいいのにと思ったのは、バクラがマリクの首辺りに両手を伸ばしたからだ。
まさか、いきなり首を絞めたりはしないだろう。伸ばす手つきはゆっくりであるし、マリクも抵抗していない。
そうは思っていても、本来の意味での決闘が繰り広げられるならば止めなければと土手から向かいかけた城之内は、また足を止めてしまった。
「……!?」
マリクの首へと伸ばされたと思った両手は、正確にはその少し横、肩辺りに置かれていた。更にすぐに背中へと回された両手でしがみつくようにし、身長がやや低いバクラの方が踵を上げて顔を寄せている。
あれは、キスしているのだろうか。
距離もあり、薄暗く、またバクラの背中側から見ているのではっきりとは断言できない。だが城之内の少ない知識でも、あれはキスをしている体勢だと思った。
「……。」
だがそうなると、ますます頭が混乱してくる。
どうしてあの二人がキスをしているのか、そういう仲だったのだろうか。いやああ見えて単に口移しで毒薬でも渡しているのだろうか、なにしろ二人の凶暴性はお墨付きなのだ。
ぐるぐると様々な思考が頭を駆け巡るが、まとまる気配はない。
ただ、それもふと気づいた事実に城之内は頭が真っ白になる。
「……!!」
よくよく見れば、マリクもバクラの腰の後ろに両手を回し、抱き寄せるようにして応じている。
これでは丸っきり恋人たちの熱い抱擁とキスだ。
そう思ってしまったとき、城之内は走りだしていた。
まるで自分たちとの差を見せつけられたようで、訳も分からず泣きたくなり、その場から逃げ出してしまった。
「じゃあね、城之内。また明日」
「あ、ああ……。」
「城之内くん、居残り頑張ってねっ」
杏子や遊戯、本田などが口々にそう言って先に帰るのを教室で見送る。胸に占めるのは、一人残される寂しさではなく、そんな嘘をついてしまった後ろめたさだ。いや、完全な嘘というわけではない。授業を寝倒していたため居残りの宿題を出されたのは事実だが、その提出は次の授業なので今日する必要はない。もっと言えば、学校でやる必要もない。教師も『居残り』という単語に正確さは求めていないのだろうと思う。
それでも、今回は口実にさせてもらった。いつもの仲間たちやクラスメートがどんどんいなくなり、大きなため息をついたところで話しかけられる。
「……で? オレサマに話ってなんだよ、バカ犬?」
「バクラ……。」
もちろん、少し前までは本来のクラスメートである獏良の方だった。だが昼休みに、放課後に用事があるので適当なことを言って残ってくれと獏良にそっと頼み込んでおいたのだ。
教室に二人きりとなったところで人格交代を起こしたということは、こちらのバクラも当然予想していたということなのだろう。寝不足が祟ってぐったりと疲れきった目を向ければ、バクラは妙に愉しそうにしていた。相変わらず人の悪い笑みを絶やさないその元気はああいう関係が安定しているのかと思いかけ、自分の思考回路に城之内はまた絶望する。慌てて大きく首を横に振っていれば、バクラはしばらく不思議そうにしていたが、やがて近くの席の椅子を引き、ドガッと腰を下ろしていた。
「なに一人で完結してんだよ、話があるって言ったのはてめーだろうがっ」
「ああ、まあ、そうなんだけどよ……。」
ついでに机に両足を組むようにして乗せたのは、その席が遊戯のものだからなのだろうか。殺し合いに発展するような険悪さではないものの、バクラはよく闇人格の遊戯を挑発している。あちらの遊戯は簡単にのってくれるので、からかい甲斐があるのだろう。
そんなふうに考えながら、城之内はバクラが座っている席の斜め前に腰を下ろす。そしてどう切り出したものか、やや躊躇いがちに口を開いていた。
「それが……その、昨日の夜、十一時前くらいなんだけど……。」
聞きたかったのは、もちろん昨夜見てしまった光景だ。
あのときは、闇人格同士ということで流血沙汰などを心配していたため、すぐにはいろいろな不自然さに気がつけなかった。仲睦まじいならそれでいい、友人の恋愛事情に首を突っ込むのは野暮なことだ。そういう気遣いができず、とにかく確かめたくなってしまったのは城之内自身が抱えている悩みに深く関わっている。
決して解決してくれるとは思っていないが、参考程度のことは聞けるのではないかと期待してしまった。それがまた睡眠を邪魔し、昨夜もなかなか寝付けなかった。気がつけば二人の光景に自分たちを重ねてしまっており、居たたまれなさで何度も布団の中でのた打ち回ってしまったものだ。
「昨日の夜?」
「ええっと、だから……お前、土手沿いの公園にいたよな……?」
このままでは本当に不眠症になってしまうかもしれない、繊細な自分にはつらすぎる。なによりバイトに影響が出てはいけないと午前中の授業をすべて豪快に寝ていた城之内は、昼休みに腹を括り、こうしてバクラに確かめることにしたのだ。
だがどう尋ねたらいいものか、迷った挙句にそう切り出したものの、バクラは不思議そうにしている。それに、もしかして人違いだったのか、まさか宿主の方だったのかとまで考えてしまった城之内に、バクラは勝手に納得していた。
「ああ、犬っててめーのことか」
「ハ?」
「いや、マリクが言ってたからよ、犬が見てたって。やっぱ誰が見てもてめーは犬なんだな」
それはお前がバカ犬などと失礼な呼び方をしてくるから、うつっただけではないのか。
妙に感心しているバクラに反論を試みたいが、黙ってしまったのはたったこれだけのことでいろいろと判明してしまったためだ。
やはり、昨日見たのはこのバクラだったようである。更に言えば、闇人格のマリクにはこちらに気がつかれていた。なにより、見られていたことを知ったバクラが変に慌てることもなく平然としていることが、城之内にとっては一番衝撃だったかもしれない。
「で、それがどうしたよ? バカ犬から出歯亀に昇格か? というか、どこまで見てたんだよ?」
「え、どこまで、て……?」
「マリクが言ってたの、終わってからだったしな。最後まで見物してたのか? てめーも大概悪趣味だなっ」
からかい混じりでも、そう断罪されるのはやはり心苦しかった。覗き見していたような後ろめたさは当然感じていたのだ。不可抗力で見てしまったとしても、指摘などせずそっと胸にしまっておくのが友情というものだろう。そもそもこのバクラやあのマリクが友情を抱くべき相手なのかは別としても、興味本位で尋ねてしまうのは悪趣味と言われても仕方がない。
そう思うのに、城之内は更に聞き返してしまった。
「……『最後まで』?」
だが字面ほどには不快感も怒っている様子もなく、むしろどこか親切そうにバクラは答えてくれる。
「だから、オレサマたちがヤってるの、見てたんだろ? ああ、そうだ、てめーも参考にしたいなら夜の公園はオススメしねえぞ? 物凄く蚊に刺される。どうしてもヤるってんなら、虫除けスプレーとかで対策してった方がいいだろうな。あと立位の方がたぶん服も汚れねえ」
「え……て、なに言ってんだよ!? そ、そんなとこまでオレ覗いてねえよ!!」
最初は困惑していたが、やはりバクラはそういう意味で『ヤる』と言っていたらしい。
要するに、あの後、公園でマリクとそういうことをしていたらしい。それが分かったときに、城之内は思わず顔を赤くして否定をする。そこまでは見ていないと力強く否定をするが、何故かバクラは不思議そうにしていた。
「そうなのか?……くそっ、だったらマジで蚊に刺され損じゃねえかっ。マリクの野郎、バカ犬がもう見てないならさっさとそう言えってんだっ」
「えっと、バクラ……?」
「……なんでもねえ、こっちの話だ。それより、ええと、つまりどういうことだ? 昨日オレサマがマリクと公園にいて、それだけを見て気になってたのか?」
なにやら一人でぶつぶつと悪態をついていたが、意味はよく分からない。だが確認をしてきたバクラには、城之内は少し迷った後、申し訳なさそうに首を横に振っていた。
「いや、だから、その……キス、してるとこまでは、見ちまって。えっと、悪かったな?」
一応そうして謝ってみたが、やはりバクラは気にしないようだ。
「別にいいっての、謝罪なんざいらねえよ。だから、それがどうしたんだって言ってんだ」
「……。」
改めて追及されると、城之内はまた言葉に詰まった。
どうしたのかと言われれば、別にどうということもない。二人の関係に驚いたのは事実だが、かといって城之内が何かを言う立場にもないし、何かを言いたいほどの感情も持ち合わせてはいない。それでもこうして尋ねてしまったのは、あくまで自分の状況と照らし合わせた上で、参考程度に聞いてみたかっただけなのだ。
「……なあ、お前とマリクって、恋人同士なんだよな?」
「あ?」
だからこそ、まずは前提として確認してみれば、バクラはおそらく本気で面食らっていた。
それに、城之内も面食らってしまう。キスしていたことは否定されていないし、それ以上のこともしていたと言葉の端々で察している。だからバクラはマリクといわゆるお付き合いをしているのだろうと思ったのだが、そのとき笑っていたバクラは、どこか顔を引き攣らせていた。
「いや、てめー、なに言ってんだ? 恋人って、そんな薄ら寒い単語口にしてんじゃねえよ」
「え、でもキスしてたよな?」
「ああ」
「そ、それ以上もしてるんだろ?」
「まあな」
「だったら恋人だよなっ、恋人だろ!?」
「違えよ、バカ犬。単に体の相性がいいだけだ」
「そういうのってよくねえよ!!」
なんとなく会話の流れは察していたが、行き着いた結論には城之内は思わず机を叩いてしまう。
中学時代に荒れていたこともあり、男女の仲は綺麗事だけではないと頭では分かっているつもりだ。そういう現実をちゃんと直視してるからこそ、理想を夢見ている自覚もある。だが、てっきり仲間だと思った途端に裏切られた気もして、城之内は声を荒げてしまったのだが、バクラはますます胡散臭そうだ。
「別に、男女じゃねえからいいだろうが」
「男女じゃねえからこそっ、余計に好きだから愛してるからヤるもんじゃねえの!?」
「てめーの理郎論はなんか耳腐り落ちそうだからやめろ、というか、男同士だから快楽で成立してんだろ?」
「男同士で気持ちいいのかよ!?」
「……まずそこから説明しねえといけねえのかよ、このバカ犬は」
何故か大袈裟にため息をついてるバクラに、城之内はぐっと反論を堪えておく。
確かに城之内も男同士でそういうことはできると知っているし、気持ちいい、らしい、とも聞いたことがある。だがどうしてもあんなことをして快楽に繋がるとは思えないのだ。だからこそ、快楽だけで関係を持てるという発言に引っかかったのだが、そこでハッと気がつく。
「そ、そうか、バクラは突っ込む側だから……!?」
「それも違えよ、とことんバカ犬だな。いやまあ、できねえワケじゃねえけど、マリクとならずっとオレサマが下だ」
「なんかその言い方って他ともヤってるみてえじゃねえかっ、そんなのマリクちゃんが可哀想だろ!? 恋人なら貞操守れよ、節操ねえことすんなっ、浮気とかお前それほんとサイテーだからな!?」
「だから恋人じゃねえって言ってんだろうがっ、というかマリクとしかヤってねえよ、あの野郎がやたら拗ねるからな!! これで満足か!?」
それなりに!! と頷きはしたものの、城之内はまだ首を傾げたままだ。
どうやら突っ込む側なので一方的に快楽を得て満足しているのかと思ったが、そうではないらしい。ならば、ますます受け入れる側のバクラの方が快楽を理由に関係を持つことが城之内は分からない。
相当痛いだろうという予想しかない城之内にとっては、受け入れるのは相手へのかなりの愛情があってこそだと信じていた。更に入れる側はそもそも男相手に欲情しないと突っ込むモノも突っ込めないので、互いに想う気持ちが高い証拠であると考えていたことを真っ向から否定され、分からなくなってくる。
「……なあ、ほんとに恋人じゃねえのか? 恋人じゃねえのに、あんなことすんの?」
そもそも、悪趣味と分かっていても確認したくなったのは、てっきりこのバクラはあのマリクと恋人同士なのだと思ったからだ。それを完全に否定され、戸惑いながらも念を押せば、バクラは違ったふうに受け取ったらしい。
「あんなことて何だよ、どれをさしてんだ?」
「え、だから、キスとか……。」
「別にキスしようがセックスしようが、オレサマたちの勝手だろ? そりゃあ、ちょっと縛ったり殴ったりたまに踏んだりもするけど、恋人じゃなくてもするだろうがっ」
「それは恋人でもおかしいだろ!?」
「おかしかねえよ、結構興奮するぞ?」
そんなアドバイスはいらない。
心底そう思い、顔を背けるしかなかった城之内だが、そこでふと違和感に気づきバクラにからかわれたのだと悟る。
「……て、なんだ、からかっただけかよ。バクラのが下だってんなら、縛ったりするはずねえしな」
縛られたり、という方向性でないとおかしいのだ。あるいはやはり、上なのだろうか。そういう解釈よりは、まるっとからかわれただけと考える方が自然であり、つい胸を撫で下ろしていた城之内に、バクラはまた呆れていた。
「からかってねえよ、事実だっての。マリクを縛った上でこっちが乗ってオレサマの中に強引に射精させるのとか、かなり愉しいし」
「……あの、バクラ、無理矢理とかはよくないんじゃないかと」
「バカ犬、そういう意味では合意の上だっての。まあ、オレサマが縛られるのも好きだけどな」
「お前の性癖なんか聞いてねえよっ、バカ!!」
つい想像してしまい顔を真っ赤にして怒鳴った城之内に、バクラは本当に不思議そうだ。
いや、ある意味、それは当然なのかもしれない。バクラの立場からすれば、城之内が話したいことというものがさっぱり分からないのだ。そんな困惑が凝縮されたらしく、再び表情を改めたバクラが淡々と尋ねてくる。
「……つまり、バカ犬はオレサマに何をききてえんだよ?」
それに、城之内はかなり迷ったが、結局は自分から頼んでこうして話をしているのだという点に立ち返り、素直に吐露しておいた。
「だから……オレは、バクラは、マリクと付き合ってるって思ってたから。男同士で、恋人って肩書きで、それでキスとかそういうことするのって、自然だよな、という確認というか」
しても当然、たとえ男同士でも恋人には違いないのだから。
そういう同意が欲しかっただけだと告白すれば、案の定バクラは変な顔をしていた。
「……てめーがしたくねえなら、しなくていいんじゃねえのか」
「へ?」
「というか、したくねえなら別れてやれよ、それが誠意ってモンじゃねえのか? 何ヶ月も生殺しの方がひどいだろ、まあ、それ自体が復讐だとか衣食住をアテにして利用してるだけなら別にいいけどよ。そういう打算じゃなくて付き合ってんなら、てめーからあの社長サンにはっきり終わりを告げたらどうだ」
最初は、単に感性の違いで面食らっているのだと思っていた。だが続けられた言葉で、バクラが城之内が抱えてる事態を正確に知っているのだと気がついてしまい、愕然とした。
数ヶ月前、あの男から恋人にすると宣言されたことは誰にも話していない。冗談だと思ったし、何かしらの策略かとも考え、無駄に友人たちを不安がらせたくなかった。だが、本心ではただ浮かれてしまった気持ちを悟られるのが恥ずかしかっただけなのだろう。屋敷に呼ばれ、会う頻度が増えると、どんどん楽しくなった。構われるのが嬉しくて、幸せが募っていくばかりだと思っていたのに、ある程度の期間が過ぎれば不安ばかり大きくなっていったのは事実なのだ。
そういった経緯と、当然ながらもう一方の当事者の名前。どちらもしっかり把握していると分かるバクラの言葉に、城之内はしばらく驚いた後、情けないと分かっていても俯いてしまった。
「……オレは、したくないワケじゃねえよ」
「あ? なんだ、そうなのか? でもキスの一つもさせてねえんだろ?」
「させてねえんじゃねえよ、あっちがしてこねえんだよ。だから……その、やっぱり、そうなのかな、て。恋人だなんだって言っても、辞書に載ってそうな意味でじゃなくて、何か他に別の理由があって、オレのこと縛ってるのかなって……。」
ばれているのであれば誤魔化す必要はないと腹を括り、初めてそう心情の一端を零す。それがこのバクラ相手だというのは不思議な気もしたが、お互い様だろう。
「……なんだか、聞いてた話とだいぶ違う気がしてんだが。まあそれはいい、社長サマが手を出さねえのは、ほら、あれだ、気持ち悪い葛藤だろ、どうせ」
だがどこか面倒くさそうに言ってきたバクラには、城之内も表情を険しくしてまう。
「そりゃあ、気持ち悪いよな、好きでもねえ男に手ぇ出すなんざ。だからアイツだってオレに何もしねえんだし、本気で恋人みたいに扱うつもりはねえんだよなってオレだって分かってっけどよ、でも……!!」
「いや気持ち悪いってのはそういう意味じゃなくて、なんかこう生娘みたいな恥じらいというか似合わねえ気遣いというか、正直『あの犬が嫌がることしない』とかってさも思いやりに溢れてるかのような言い方で実は手ぇ出す根性もねえ臆病者じゃねえかそういうキャラじゃねえだろみたいなことだったんだけどよ、まあそれはこっちの話として。よし、バカ犬、オレサマが一つ、先輩としてアドバイスしてやるぜ?」
「……先輩ヅラすんなよ、マリクちゃんとは恋人じゃねえんだろ」
長々と独白めいたところは意味が分からなかったが、急にニヤリと笑って請け負われても、胡散臭さは増すだけだ。怪訝そうに返したものの、バクラは気にせず机から足を下ろし、立ち上がる。そして城之内に対してビシッと人差し指を突きつけると、相変わらずの笑みで告げてきた。
「やりたいなら、てめーからやっちまえよ?」
「……!?」
「『恋人』、なんだろ? てめーらは。だったら手ぇ出されねえなんて嘆くな、手ぇ出して拒まれてから落ち込め。二人そろって女々しいこと言ってんじゃねえよ、欲しいものはてめーのその手で奪っちまいな!!」
「で、でも、オレは……!?」
「……これは、盗賊王て名乗ってたオレサマからの助言だ。欲しいものは、チャンスが巡ってきたときしっかり掴まねえと、後悔するぜ?」
いつまでも手が届く場所にあるとは限らないのだ。
それは、本当に助言だったのかもしれない。憎しみであれ、三千年もの間、何かを追い続けてきたバクラなのだ。考えれば、いつも思い切りのよさは目を引いていた。あれは失う後悔を知っていたから、掴めるときは躊躇いなく手を伸ばせるようになっただけなのかもしれない。
表情や言葉にはいつものからかい混じりの笑みが滲んでいるが、バクラの瞳は怖いくらい真剣だった。それに驚き、じっと見つめ返してしまうと、やがてふっと目を逸らされる。
「……まあ、てめーが本気なら頑張りな? 昨日のオレサマたちを見て、羨ましいと思えたんなら、てめーの気持ちも本物だ」
「バクラ……。」
まるで見透かしたような指摘に、城之内からも目を逸らした。
まさにその通りで、男同士でもああして触れ合えるバクラたちを羨ましいと思ってしまった。自分は数ヶ月も『恋人』として在り、また誰が見ているわけでもない二人きりの室内でもキスすらしてもらえなかったというのに、大した違いだ。ただの八つ当たりにも至らないほど、自分たちの関係の希薄さを突きつけられたようで動揺していた城之内だが、バクラの言葉には目が覚める思いだった。
それを確認したからか、バクラは自分の席へと戻り、荷物を片付けている。そして肩へとカバンをかけたのを見て、つい城之内は当たり前のことを尋ねてしまった。
「……帰るのか?」
すると、バクラは呆れたように振り返ってくる。
「話は終わったんだろ、オレサマだって暇じゃねえんだよ」
「あ、ああ、引き止めて悪かったな……?」
「……てめーの恋人サマと違って、ずっとこっちにいるワケじゃねえんだよ。会えるときに会っとかねえと、勿体ねえだろうがっ」
いやアイツだってずっと童実野町にいるわけでもねえしいても忙しくてあまり会えない、と言いかけた城之内だが、もっと不思議に思うことがあってつい尋ねてしまう。
「……なあ、マリクちゃんて恋人じゃねえんだろ? 付き合ってねえんだよな?」
バクラが時間が惜しいとばかりに会いに行こうとしているのが、マリク、それも闇人格の方だということぐらいは分かる。だが恋人であることは何度も否定していたし、体の相性がいいからだとも断言していた。
それにも関わらず、今のバクラは愛しい恋人にいそいそと馳せ参じているような態度だ。一貫していない気がして不思議に思った城之内に、バクラもまた不思議そうにしていた。
「恋人じゃねえって、何度言わせんだよ」
「でも、なんか……バクラって、マリクちゃんのこと、好きみたいだし……。」
「……。」
甲斐甲斐しさには、確実に好意が見える。そう指摘をすれば、バクラは黙ってしまった。呆れ返った様子に、これは怒られるかもしれないと覚悟を決めていた城之内に、実際にもたらされたのは深いため息だ。
「ったく……なんでオレサマが今更好きでもねえ男とヤらなきゃいけねえんだよ」
「え……ええっ、あ、そうなんだ!? マリクちゃんのこと好きなんだ、えっ、マジで!?」
「そんなに驚くようなことかよ、気に入ってんのは隠してたつもりはねえ。だから、会いたいし、会えたらヤる、簡単だろ」
「ええー……なんでそれで、付き合わねえんだよ、オレにはそっちのが不思議だって。お前こそ、マリクちゃんに『好きです付き合ってください』て言えよ、言われ待ちなんて女々しいことしてねえでさ」
「言われたいワケじゃねえ、バカ犬の感性で勝手に決めつけんな。とにかく、オレサマは帰るぞ、時間がねえって言ってんだろうがっ」
少し苛立ったように吐き捨てたバクラは、今度こそ本当に教室から出て行った。
それを見送った城之内は、ふと思い出す。これまでも、数日くらいずつ、連続して放課後に獏良がいつものメンバーとの下校を断ることがあった。今にして思えば、あれはマリクが来日していた期間ということなのだろう。そうであれば随分と健気だと思うのだが、本人はどうにも認めたがらない。あるいは、好意は認めても、恋人という肩書きを毛嫌いしているような印象がある。
ただのプライドかもしれないし、あるいは過去にトラウマでもあるのか。尋ねてもバクラは答えてくれそうにないが、一つだけ納得した部分もあった。
「そういや、イシズさんも言ってたか……。」
闇は闇と惹かれ『合う』。
あれは相互に惹かれるという意味だったのだ。もしバクラからの一方的な興味であれば、イシズは弟を守っただろう。もしマリクからの一方的な執着であれば、イシズは相手を守るために弟をエジプトにとどめておくだろう。
そうでない以上は、傍目からも互いに惹かれ合っているのは明白だったということだ。
「……なんか、オレたちとは逆なのかもな」
名ばかりの恋人である自分たち。
恋人のような実績だけは重ねているらしいバクラたち。
名実共に揃っていないという点では似ていると実感した城之内は、今更のようにバクラの助言が胸にじわじわと響いてきて、ようやく覚悟も決めることができていた。
「なあ海馬、オレたちって恋人同士なんだよな?」
「……ああ」
翌日の放課後、童実野高校の校舎の屋上で、そんなやり取りがなされる。向かい合って立っているのは、クラスメートである城之内克也、昨日よりは随分とマシな顔になっている。一方の海馬瀬人はますます顔色が悪いと、バクラはそう思いながら眼下の光景を眺めていた。
『何の用事だよ、社長サン? オレサマ、結構忙しいんだけどよ?』
きっかけは数日前、帰宅途中に突然海馬コーポレーションからの車が横付けされ、有無を言わせず乗せられたのだ。黒服たちに銃は突きつけられていたが、抵抗できなかったわけではない。ただ、単純にどうしてこんな目に遭うのか、興味をそそられたので大人しく付き合ってやった。
そうしてバクラが連れて行かれた先は、予想していた通りに社長室だった。海馬は仕事をしていたが、バクラの言葉にその手を止めたので、やはりよほど大切な用事があるのだとは察する。
『……あの男がまた来日してきたからか』
『は? なんだ、知ってんのかよ。だったらオレサマが忙しいのも分かるだろ、用があるならさっさと済ませて解放してくれよ』
だが返事はそんなもので、単なる皮肉かとバクラは思ったが、海馬はため息をつくとそのまま椅子から立ち上がっている。そしてバクラが座るソファーの向かいへと移動して腰を下ろしながら、言葉を続けていた。
『以前、あの男の姉が、お節介にも宣言しに来たことがあった』
『ああ、まあ、そうだろうな。学校にも来てたし』
『……あの女が言っていたのは、本当なのか?』
指示語が多くていまいち分かりにくいが、要するにマリクの姉であるイシズがやってきて、海馬にも釘を刺していったという意味だろう。海馬にとっては、三千年前の因縁や闇の力がどうこうよりも、グールズという非合法組織の総帥としての側面からマリクを襲撃しないとも限らない。その際に、ある程度の話をイシズがしたとして、それをバクラに確認しているのであれば、マリクとの関係も把握しているに違いない。
問題は、どうしてそれを海馬が確認したがっているのかという点だ。多忙に加え、よほどのことがない限り海馬が他人に興味を持たないことは自明である。いろいろと推測するだけ無駄な気がして、バクラは取り敢えず質問には頷いておいた。
『イシズが何を言ったのか知らねえが、オレサマとマリク、ああ、闇人格の方な?』
『闇人格などというオカルトをオレは信じん!!』
『だったら今話してるオレサマは誰なんだよとか、あんだけ目の敵にしてる王サマの存在はどう処理されてんだとか、いろいろツッコミどころは満載だけどよ、まあいいとして。とにかく、オレサマとマリクがベッドの上で不健全なスポーツをする仲なのは事実だが、それがどうした?』
『貴様らの関係など知りたくもないわ!! ……ところで、オレには恋人がいるのだが』
『オレサマだっててめーの恋愛関係なんざ知りたくねえよ!! ……けどまあ、ちょっと興味がわいたから聞いてやる』
いちいち否定をしないと気がすまない性格らしいので、そこは軽く流してバクラは先を促した。
まさか、恋愛相談だとは思っていなかった。十七歳にして今をときめく世界的企業の社長であり、その容貌からも言動からも人心を惹きつけてやまない海馬である。大半は、その奇行から目が離せないという意味だが、女性の中にはそれすら愛しく思えて慕う者も多くいるのだろう。だが当の海馬には浮いた話など聞いたこともない。仕事やカードに夢中なのも事実であるし、立場的に警戒してるのもまた大きな理由だろう。
そんなふうに思っていたので、まさか海馬に恋人がいるとは考えたこともなかったのだ。
学校で話題になったこともなく、仲間内も誰も知らないのだろう。それを一番に相談されているという不自然さは、続いた言葉ですべて明白となった。
『そうだな、名前は仮に、Jとしておくか』
『……ああ、バカ犬か。言われてみりゃあ、確かにお似合いだよな、てめーら』
『オレの可愛い駄犬を犬扱いしていいのはオレだけだ!! まあ、似合いだという正当な評価に免じて、今回は許してやる』
『そりゃどうも』
男同士であるという点、そして海馬の恋人とも面識があるという点。
これが、相談相手に選ばれた理由だとはっきり分かる。しかも、しみじみと想像してみれば、お似合いだという評価は、バクラの中でも確かにしっくりときた。
二人とも執着が強く出るタイプなので、海馬と城之内は互いに興味があることは明白だった。ただ、海馬からの態度は悪いし、城之内も食ってかかる。執着はしていても、その感情は互いに最悪。そう表面的に思っていたが、よく考えれば海馬は本当に認める部分が微塵もなければ毛嫌いすらしない。城之内に至っては、そもそもいないものとして華麗に存在を無視できる。そうならなかったことで、いずれは好意へと転化していくのは必然だったのかもしれない。
妙に納得したバクラは、そこで自分に相談が回ってきた理由を考えてみた。
『で、どうしたよ、初夜の手順でも聞きたくなったのか?』
実際にそうだと思ったのではない、単にからかってみただけだ。付き合いだしてからどれくらい経つのか分からないが、勝手なイメージではその日に手を出していそうだ。だがバクラの言葉に、海馬は想像以上に怒りを露にする。
『そんなものは聞かずとも分かっておるわっ!! ただ、そこに至るまでの経緯を……!!』
『経緯? んなもん、押し倒せばいいだろが』
『それができれば苦労はせん!!』
『ああ、バカ犬、確かにケンカ慣れしてっから力ありそうだしなあ』
『オレに比べれば大したことはないっ、赤子の手を捻るようなものだ!!』
『だったら押し倒せるはずだろ、殴って気絶でもさせてヤっちまえばいいじゃねえか。心配なら薬盛ったり、途中で起きて抵抗されねえように手足拘束しとけば絶対成功するっての』
『き、貴様……!!』
海馬の方が力があるという主張も理解できたからこそ、ますます意味が分からなくなってしまったバクラに、一度言葉に詰まった海馬は再び怒鳴り散らしていた。
『だからっ、オレたちは恋人だと言っているだろう!!』
『……聞いたけどよ?』
『オレはヤツを強姦したいわけではない!!』
いやヤツが恋人にならぬと言った際にはそれも少し考えてはいたが、と聞いてもいない訂正を加えている海馬を、バクラは不思議そうに見つめ返してしまう。一つには、海馬が強引な手段に出ることを厭わないタイプだと思っていたからだ。だがモクバへの愛情の傾け方を見ていると、本当に大切な相手には優しくできるのかもしれないとも納得する。それでも違和感が拭えなかったのは、後に城之内にも否定することになる理由と同じである。
『別に強姦とは言ってねえだろ、縛ったり殴ったりくらい普通じゃねえか』
『……オレは今、貴様のような乱暴で特殊性癖者に救いを求めようとしていた自分を殴りたい』
『だったら殴れよ、殴っちまえよ、そしたら新しい世界が開けるかもしれねえぜ? まあオレサマが痛みに興奮することは否定しねえけどな』
『ええいっ、それが特殊性癖と言ってるおるのだ、変態め!!』
『別に甚振ることだけが趣味でもねえよ、殴るのも殴られるのも好きなんだから対等でいいじゃねえか』
『余計怖いわ!!』
あの海馬に、本気で怯えたような目を向けられ、さすがのバクラも落ち込みそうなる。
なにしろ、あんな服で、恥ずかしげもなく世界に向けて発信したり、自社ビル前に堂々と青眼の白龍の像を建てたりする社長様なのだ。その海馬に変態と罵られるのはさすがに傷つくとため息をつきながら、一応言い訳をしてみていた。
『……いや、まあ、殴ることは最近滅多にしねえな。そのときは興奮して愉しいけどよ、出血止めるのに手間取るし、後で宿主サマや主人格の方に散々文句言われるからな』
『他への気遣いができるのに、何故それがそもそも行為の対象に注げんのだ』
『うるせえな、オレサマたちはこれでいいんだよ。大体、てめーだって恋人サマへの気遣いが足りなくて先に進めてねえんだろ? ご教授願いてえならっ、殊勝な態度でも見せやがれってんだ』
『クッ……!!』
オレサマたちの関係を罵りたいだけなら帰ると宣言してソファーから立ち上がってみれば、海馬は相当悔しそうに唸っていた。だがいきなり自らも立ち上がると、部屋に入ったとき座っていた仕事机の方へと向かう。まさか銃でも持ち出すのかと思ったが、引き出しから何かを持ってきた海馬は、再びソファーへと腰を下ろしながらそれをテーブルへと投げる。
『……なんだ、これ?』
『カイロ空港との年間フリーパスだ。これがあれば、好きなだけエジプトと往復が出来る』
冊子状になっているそれには、KCというロゴも入っている。おそらくは、それを使えば簡単に航空券を予約でき、料金も会社持ちとなるのだろう。
『オイオイ、公私混同がすぎるだろうが?』
クレジットカードのようなものが付属しているのを確認し、効力を確信したバクラはソファーへとまた座る。
『システムは我が社の社員用のものだ、だが口座はオレの個人資産なので会社には負担をかけん』
『で、これをオレサマにくれるってのか?』
『成功報酬としてだがな』
フリーパスとやらは二冊あり、既にバクラとマリクの名前で作成されている。だがそれを再び手に戻した海馬は、どうやらこれを餌に働かせたいらしい。
正直に言えば、随分と魅力的だ。やはり世の中、金は大切である。
『仕方ねえな、オレサマに何をさせてえんだよ?』
一応聞いてやるとばかりに腕を組んで促せば、海馬はやや視線を逸らした後、ようやく口を開いていた。
『……城之内と恋人になって、数ヶ月経つのだが』
『初夜に至ってねえってことか』
『それ以前に、キスもできん』
だが続いた言葉には、一瞬呆気にとられた。思わず笑いそうになってしまったが、目を逸らしている海馬にも自覚はあるのだろう。ここで笑えば仕事の話もなくなると、バクラは何とか耐え抜く。
『……そ、それで?』
『いや、正確にはできそうになったことはある。ただ……その前の数ヶ月間、全く、そんな気配がなかったのだ。急にしおらしくなられても、オレは喜ぶ以前に疑ってしまった。何か理由があるのではないか、誰かに脅されでもしたのではないか』
『脅されたんだとしたら、てめー自身以外に思いつかねえけどよ……。』
『とにかく!! ……城之内の本音が知りたい、オレと恋人としてちゃんと触れ合うつもりがあるのか』
『んなこと、てめーで尋ねろよ……。』
『キスをしてもいいのか、手くらいなら繋いでもいいのか、あるいはもっといっそ深く繋がってもいいのか』
『ヤりてえって言っちまえよ、拒まれたらそれではっきりするだろ』
『バカがっ、拒まれないように事前に探っておきたいのだろう!? オレは城之内がどうしても嫌だと言うなら我慢してみせる、だが躊躇いがあるだけならばそれを払拭してやって事に臨みたい!! そのためにっ、貴様は城之内に探りを入れ、ヤツが躊躇う理由を報告するがいい!!』
『でもよ、本音を知りたくて他から探るならオレサマより遊戯とかのがいいんじゃねえの』
『こんなことをあのヒトデ頭に頼めるか!!』
海馬の理屈は分からないでもないのだが、そもそもバクラは城之内とそれほど親しいわけではない。まだ宿主の方ならともかく、自分は友人という括りにすら入っているのか怪しいものだ。友情の篤さを考えれば遊戯の方がいいのではないかと考えたが、海馬からは一蹴される。毛嫌いしているということもあるが、そもそも遊戯の方がそんなずるい真似はできないと突っぱねそうだ。そう納得しかけたが、他にも理由はあったらしい。
『それに!! ……もしヤツにもその気があるなら、貴様ならば経験者として助言できることもあるだろう』
『……。』
もし城之内はさほど嫌がっておらず、ただ未知の体験すぎて踏み込むのがこわいという躊躇いであったならば、経験を糧にしていろいろ教えてやってほしいらしい。そんな打算からの選定と分かれば、バクラも大きく頷いておいた。
『……なるほどな。よし任せろ、もしバカ犬がその気ならオレサマが縛り方とか罵り方とか薄皮一枚だけ切るナイフの使い方とかレクチャーしてやるぜ!!』
『そんな気遣いはいらんっ、というか駄犬を調教するのはオレだ!!』
その後も海馬はいろいろと怒鳴り散らしていたが、バクラは適当に聞き流しておく。
要するに、海馬からの依頼とは二つだ。
一つは城之内が海馬に対してどう思っているのか、恋人らしい行為を許容できるのか。
もう一つは、後者だった場合に、躊躇う理由を探り、経験者としての助言をする。
「そんなの、他人に任せてる段階でどんだけ追い詰められてんだよ、あの社長サマも……。」
数日前の会話を思い出していたバクラは、今眼下で広がる光景を眺めながらそうぼやく。昨日の段階で、海馬にはとっくに報告している。内容としては、城之内は満更でもないという感触だということである。だがそれに海馬は怪訝そうにし、フリーパスをまだ渡してくれなかった。どうやら実感が伴わないと信じられないらしい。話が違うと抗議してもよかったのだが、喜びたい気持ちと、にわかに信じられない葛藤で、顔色が大変おかしなことになっていた海馬が少し哀れで、バクラは昨日のところは引き下がっておいてやった。
そもそも、城之内がバイト帰りにあの土手を通ることは承知の上で、バクラはわざと公園でマリクとの行為を見せつけてみたのだ。海馬はいろいろ憂慮していたようだが、正直気持ちの問題ではないとバクラは思っていた。男とできるのか、できないのか。それは生理的な嫌悪感の有無であり、どれほど好きでもダメな者はダメだろう。恋愛的には海馬を好きだが、どうしても男同士という抵抗が抜けきらない。そんな結論だった場合、相思相愛なのに手を出せない海馬は可哀想だし、自制が効かずに手を出せば好きな相手に強姦される城之内も可哀想だ。どちらに転んでも成功報酬はもらえなくなりそうだったので、手っ取り早く男同士の行為という現実を見せつけて煽ってみるつもりだったのだが、翌日には深刻な顔で尋ねてきたので、最初はやはり嫌悪感が勝ったかとバクラは思ったものだ。
だが、予想に反して城之内は、少なくとも海馬との行為に関しては抵抗は薄そうだった。むしろ望んでいると確信した。拍子抜けしたし、バカらしくもなった。これでフリーパスは入手したも同然だと喜ぶ以前に、どうして互いに求める気持ちはあるのに、手を伸ばすことに躊躇っているのかと本気で首を傾げてしまう。
報告した海馬の態度からも、結局は互いが直接話し合わなければ無理なのだろう。
それも焚きつけるべきなのかと荷が重くなっていたバクラだったが、今朝また寝不足で顔色を悪くしていた城之内がそっと報告をしてきた。
『……あれから、海馬に連絡して』
『ああ……?』
『今日の放課後、会うことにした。まあ忙しいみたいで、学校でちょっと話すくらいしか時間は取れねえみたいなんだけどよ』
どうやら助言がちゃんと届いたという宣言らしい。変に律儀だと思うが、正直そんな報告は聞きたくなかった。聞いてしまえば、どうしても悪趣味だとからかったことがしたくなってしまう。高いところが大好きな海馬を思えば、会うのはどうせ屋上だと思い給水棟にのぼってのんびり待っていたが、本当に二人が現れたことには軽く驚いたものだ。
「恋人ってのは、この場合、普通の意味でいいんだよな? 辞書とかに載ってそうな意味と思っていいんだよな?」
「……もちろんだ」
「じゃあなんでその通りに実行しねえんだよ?……オレじゃ、その気になれねえのか?」
「城之内……?」
「なあ海馬、お前にとっての恋人ってなんなんだよ?」
おそらく、バクラからの昨日の報告に続き、城之内からの呼び出して海馬の葛藤はまた深まったのだろう。
期待していいのか、それとも最後通牒を突きつけられるのか。
ますます顔色を悪くしていた様子に、心の中だけでご愁傷様と呟いてやっていたバクラが眺めている先では、城之内の追及がまさにクライマックスを迎えようとしていた。
どうやら助言になったというのは、本当らしい。いつにない真正面からの言及に、海馬が軽く怯んでいるのは分かった。だが逃げることは許さないという城之内からの瞳に、ようやく海馬も腹を括ったらしい。
「……唯一生涯傍に置いておきたいと思える相手だ」
「海馬……。」
愛せる相手だけならば、弟であるモクバも含まれるのだろう。だが恋愛感情ではなく、純粋な兄弟愛であるモクバに対しては、いずれは自立して離れていくことを寂しく思いつつ望んでもいる。
そんな海馬にとって、恋人とはモクバにも望んでいないような種類のことを期待する相手なのだ。
はっきりと答えられ、城之内もまた怯んでいる。いや、あれは感動しているだけなのかもしれない。そこで嬉し泣きするだけだとまた誤魔化されるぞと眺めているバクラの前で、城之内は最後の一手をちゃんと放っていた。
「それが、オレだと思っていいんだよな?」
「……ああ」
「ちゃんと恋人だと思ってるんだよな、オレのこと?」
海馬にとっての定義だけでなく、それが自らに向けられた欲求なのだと確認する。
完璧な立証を終えた城之内には拍手を送ってやりたい。だが満足しているのは城之内だけで、海馬は単に事実確認をされたにすぎず、何も確信を得てはいないだろう。困惑したままとありありと分かる表情が、もうすぐ一変するとバクラは確信する。
「よ、よし、それならいいよなっ、いいんだよな!!」
「城之内、何を……?」
欲しいなら、自分から奪っちまえ。
そんなアドバイスを正確に理解していた城之内は、海馬の両肩へと手を置く。そして気合を入れるように叫んだ後、かなりの勢いで顔をぶつけていた。
「……ほんっと、躾がなってねえバカ犬だな」
ガツッと歯がぶつかる音が聞こえそうなほどの勢いで衝突した顔面同士に、バクラは思わず上から眺めてそうぼやいてしまう。今下では二人は互いの顔を押さえて悶絶中だ。もう少しすれば、先に立ち直った海馬がいつもの調子で怒鳴り散らすのだろう。
「……お前ほどじゃないと思うけどねぇ」
「ああ? なんだよマリク、オレサマに文句でもあんのか?」
いきなり何をするこの凡骨が、という予想どおりの怒声を海馬が響かせたところで、後ろに座らせて椅子代わりにしていたマリクがそんなふうに呟いたので、思わず振り返る。すると既に体の前へと緩く回されていた手の一方がそっと顎に伸ばされ、更にしっかりと後ろを向くように促されたので、その意図を察していっそ噛んでやろうかとバクラは思った。
「……バクラ、お前、また物騒なこと考えてるんだろぉ?」
「チッ、勘がよくなりやがったな」
「やれやれ、お前は、本当に、凶暴だねぇ……。」
屋上では、城之内から攻撃されたわけではないとようやく分かったらしい海馬が、一転して優しく話しかけているようだ。反省したのではなく、せっかくのチャンスに必死になっているのだろう。城之内は一世一代の勇気が無駄になったことでだいぶ落ち込んでいるようだが、今膝を抱えてそっぽを向いているのは単純な恥ずかしさが大半に違いない。海馬がもう少し押せば今度こそまともなファースト・キスを迎えられるだろうと思ったところで、ようやくバクラも何故マリクがこのタイミングで呆れたように口を開いたのか分かった気がした。
「なんだ、てめー、まだ最初のときのこと怒ってんのか?」
「……そういうわけじゃ、ないんだけどねぇ」
「根に持つなよ、小せえ男だな。大体、あれはマリクがいけねえんだろ?」
「……どうしてキスしようとしただけで、殴られて、気絶させられて、目を覚ましたら縛られてて意識もないままにセックスまで終わってたのか、納得できる説明があるならしてもらいたいものだよぉ」
「嬉しすぎてちょっとはしゃいじちまっただけだろうが、そもそもこの細腕で一発殴ったくれえで昏倒するてめーが軟弱なんだよ。もうちょっと鍛えやがれ」
盗賊王だった頃の肉体ならいざ知らず、今の体は普通の男子高校生よりも更に華奢だろう。時に女のようだとまで揶揄される細さで殴ったとき、マリクが簡単に意識を飛ばしたことには本当に驚いた。そんな懐かしさに浸っていても、マリクは眠そうな顔で微妙な表情をするばかりだ。だが回された腕はそのままであるし、顎に添えられた手も外されることはない。それに少しだけ機嫌を直したバクラは、いまだ漂う心地好い闇の気配に軽く体を摺り寄せてから、ゆっくりと唇を押し当ててやる。
「……まあ、過去のことは許してあげるよぉ。それよりバクラ、どうして今回は急にあいつらの仲を取り持つことにしてやったんだぃ?」
あっさりと機嫌を直したことはよく分かる。単純なヤツだと思いはするものの、それがお互いさまだとも知っていたバクラは特に文句も言うことなく、マリクの言葉に促されるようにして再び屋上へと視線を戻した。
少し目を離している間に、海馬と城之内もやっとまともなキスに至れたようだ。互いに屋上へと膝をついてしゃがみこむようにして、抱き合い、唇を寄せている。海馬の後ろに回された城之内の手が、降参を示すように激しく背中を叩いているので、いずれあちらも噛むか殴るかされるのだろう。
「ちょっとした取引だ、成功報酬もらえたらてめーにも分けてやる。まあそれは理由の半分だな。残りの半分は、恋人同士でもねえオレサマたちにご教授願いてえって照準合わせてきた社長サマが、滑稽すぎて面白かったからかもしれねえ」
「……。」
「……なんだよ?」
バイト帰りの城之内にいちゃついてるところを見せつけ、海馬との仲が深まるように煽る。
そんな説明で公園に誘い出し、実際に体を重ねたが、詳しいことはマリクに説明していなかったのだ。成功か失敗かは海馬の気分次第なので、ちゃんと報酬をもらってから話そうと考えていた。元々マリクは他人にあまり興味はないし、理由はどうあれバクラがヤりたいのだと誘えば応じないはずがない。だがやはり気にはなっていたらしく、下に広がる光景が最も分かりやすいと思いながら答えたバクラは、後ろの気配がやや険しくなったのを察した。
不機嫌になったようだが、回された手が外されることはない。むしろより強く後ろから抱きしめてきたマリクは、バクラの肩に顔を伏せるようにしてため息をついていた。
「……オレは、バクラを、恋人だと思ってたんだけどねぇ」
「あ?……ああ!? あー……あぁ、そうだったのかよ、そりゃ悪かったな」
「……別に、いいけどねぇ」
つい驚きで声が大きくなってしまったが、幸いにして眼下の二人は気づいていない。どうやらキスからそのまま押し倒そうとした性急な海馬を、城之内が下から蹴り上げたらしい。力では自分が上だと豪語していた海馬だが、本当に愛しい相手には全力を出せないのであれば分は悪いのだろう。
そんな感想を持っていても、胸の内をざわざわさせるのは別のことだ。
あれだけ城之内には否定しておいたが、どうやら少なくともマリクの方は恋人気分だったらしい。別にいいと言ってはいるが、気配が饒舌すぎるマリクは確実に拗ねて落ち込んでいる。そうなるとセックスも淡白になって結局不愉快だとも知っているバクラだが、どうしてやればいいのかもいまいち分からない。
「むしろ、そうじゃないと思ってたんなら、オレからの束縛を、どう思ってたんだい……。」
「あー……いや、ほら、てめーて基本がガキだからよ? ただの独占欲かと」
他のヤツと寝るな、自分が来ているときは最優先させろ。
そんなマリクからの要求は、子供のワガママだと思っていた。応じてやったのは愛ではなく、自分にとっても何の不都合もないことだったからだとバクラは信じている。だがそれに、マリクは要求が通ったので関係性にも合意を得たと喜んでいたのだろう。
思えば好きだの気に入ってるだのという言葉も、真実なのでよく口にしていた。マリクも喜んでいた。それがまた誤解に拍車をかけたのだろうなと思えば、さすがに申し訳なくもなってくる。
「……別に、恋人じゃなくてもいいんだよぉ。ただ、その独占欲を、満たしてくれるならねぇ」
しかも、いつにない殊勝な態度、本当のところはただ拗ねているだけなのだろうが、謙虚とも取れる対応をされるとバクラも困ってしまった。
仕方なく、バクラはマリクの腕の中で振り返ってやることにする。
「バクラ……?」
「オレサマは恋人なんざに興味はねえよ、なるつもりもねえ」
今も屋上で海馬を正座させ、キスから初夜までは三ヶ月は待てと持論を披露している城之内のように、強いこだわりたいわけではない。せめて一ヶ月にしろと妥協を求める海馬ほど、厄介な執着があるわけでもない。
だがはっきりと断言すれば、やはりマリクの表情は曇る。ただでさえ眠そうな目を逸らし、精一杯の不機嫌さを示してくるマリクに、バクラは少しだけ降参してやっていた。
「……でも、てめーがそうだと思いてえんなら、それは止めねえよ」
「……?」
「てめーを一番に、そんで唯一にしてやる。オレサマを飼い慣らす気概がマジであんなら、せいぜい足掻いてみやがれ?」
そういうてめーが好きだと告げ、バクラは笑いながら今度はしっかりと深く唇を塞いでやった。やや驚いた様子を見せたマリクも、再び両手を回し、ぐっと抱き寄せて嬉しそうにキスを貪っていた。
結局その日は気分が乗ってしまい、屋上の給水棟の上でマリクと事に及んでしまったので、城之内たちがいつ帰ったのかをバクラは知らない。
だが翌日には城之内から気恥ずかしそうに礼を言われ、一週間後には海馬から大量の荷物が届く。礼のフリーパスだけでなく、熱くない蝋燭だの、様々な形状の鞭だの、ありとあらゆる拘束具だのが出来高払いだと尊大で達筆な文字で熨斗をつけて同封されていた。どうやらあの社長サマは自分の性癖をやや誤解しているらしい。そう察しはしたものの、きっと妥協の一ヶ月より更に短い一週間以内で初夜まで完遂できたのだろうと察し、バクラはなんとなく喜ばしくなってくる。
これは、自分からも少しお返しをしたくなる。
取り敢えずは、あの社長サマの心に響く多種多様な罵詈雑言をノートにしたため、言葉責め用の資料として城之内に贈ることをバクラは決意したものだった。
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