■スクール・バッグ
「……ん?」
「どうした?」
それは先週の金曜日、放課後に買い物をして帰る途中だった。そろそろ家も見えてきたので、最も近いコンビニで飲み物を買う。液体は重いので、半ば習慣だ。自動ドアを出て、歩きながら二つの飲料パックをカバンに押し込み、肩へと担ぎ直したところでビリッという嫌な音がした。
わずかに、重心もずれている。実はそろそろまずいのではないかと思っていたこともあり、ゆっくりと肩からカバンを外すと、再びビリリッと派手な音を立てて紐が縫い付けられた部分の布が裂けた。
「……。」
「ああ、そのカバン、結構古そうだったしな。お前、なんでもかんでも荷物それに突っ込むし、重さに耐え切れなかったんだろ」
「……うるせえ」
隣で足を止めた恋人から淡々と指摘されるまでもない。そもそもカバンはこれ一つしか持っておらず、学校以外に出かけるときは財布と携帯電話だけをポケットに入れている。かなり古いというのも正しく、そもそもは戸籍上の姉となっている獏良が中学時代に使っていたものだ。校章の入った指定のものではなく、市販のスクール・バッグを二つ目として持っていた。童実野高校に転入する際、獏良はまた新しいものを買ったので、余っていたこちらをもらったのだ。
もちろん、新品で、好みのものを買ってくれると獏良は言ってくれた。だが服などはどうしてもサイズが合わないので困るが、カバンは物が入ればそれでいい。中学時代の、しかもサブ用ということでやや小さくもあったが、シンプルで使いやすいこれをバクラも気に入ってずっと使い続ける。教科書や弁当などはもちろん、泊まりの際の着替えや、飲み物などを買ったときも余裕がある限りは入れる。そうでないと、両手が空かないためだ。片手は外を警戒する意識が強いので、どうしても空けておきたい。そしてもう一方の手は恋人と繋ぎたいが故に、このお下がりのカバンに負担をかけていたようだ。
「これ、もう駄目だな。布の方が破れてるのは、どうにもならねえし」
「……。」
これ以上破れが広がらないようにと両手で抱えてみたが、そうすることでよく見えるようになった本田からは容赦のない診断が下されて言葉を飲む。
ただのカバンだ、それ以外の感傷などない。そう思ってはいるのだが、戻ってきてから約一年、しかも獏良から譲られたものということで、自分にも愛着が沸いていたらしい。複雑な感情で黙り込むしかないバクラに対し、本田は片手でそのカバンを取ると、肩にかけていた自分の方のカバンを渡してくる。
「……。」
「前に、獏良も新しいの買った方がいいって言ってなかったか? ちょうど替え時だったんだよ、そんなに落ち込むなって」
「……別に、オレサマは落ち込んだりなんか」
小さめでも、ぱんぱんに膨らむほど物を入れているカバンは、バクラが片手で小脇に抱えるとややつらい。そのため両手で抱きかかえるようにして持つしかなかったのだが、本田はそれを取り、自分のカバンと交換した上で横に持つ。サイズこそやや大きくとも、教科書類の入っていない本田のカバンはよほど軽い。それを肩に掛ければ互いにまた片手が空き、指を絡ませて繋ぎながらやっとコンビニの前から離れた。
「明日、特に用事ないよな? だったら新しいの買いに行こうぜ?」
「……。」
すぐそこにある本田の家、正確には私室にしている離れに向かって歩きながら、そんな提案をされる。
確かに、週末なのでこれから泊まる予定だが、明日は特に用事はない。一度布が破れてしまったものは、たとえこれから中身を軽くするように努めても、徐々に裂け目は広がっていくだろう。
だから、新しいものに替えるしかない。
それが分かっていても、バクラは階段に辿り着くまで口を開けなかった。
「……宿主サマに聞いてみてからにする」
獏良は貸すのではなく、くれるのだと言っていた。そもそも新品を用意したがっていたこともあり、反対することはまずないだろう。
それでも、まるで拗ねるかのように返したバクラに、本田はややため息をつく。階段を上りきり、ドアの前に立っても部屋を開けようとしない。まさか追い返されるほど呆れられたのかと焦ったが、すぐに単純に鍵がないだけだと気がついた。
「獏良はむしろ喜ぶと思うけどな」
「……それも、分かってる」
自分が背負っていた本田のカバンから鍵を出し、玄関のドアを開ける。実はバクラも合鍵を持ってはいるが、滅多に使わないため本田もカバンのどこにあるのか知らないのだろう。中へと入り、廊下にカバンを置いたところで、靴を脱ぐ前にすることはいつも同じだ。
やっと互いに両手が自由となるのだから、すぐに抱きつきたい。しっかりと腕を回して抱きしめられたい。そして踵を上げ、身長差を縮めてからたっぷりとキスをする。舌を絡め、水音が立つほど濃厚なキスを交わしていても、バクラの頭の隅には何故かずっとカバンのことが残り続けていた。
週も明けた月曜日、結局週末は本田のところに泊まり続けたバクラは、朝一緒に登校する。肩に掛かるのは、真新しいカバンだ。金曜日に獏良には電話をし、買い換える旨の報告はした。それならばお金をと申し出られそうになったが、バクラも今は一応収入源がある。ブランド物の高級品を買うわけでもないので、充分な額だ。以前は躊躇した新しいカバンの購入を簡単に決意させたのには、自分の金で買えるという点も大きかった。
あまり気乗りはしなかったが、壊れたカバンで登校するわけにもいかない。土曜日のうちに本田と共に出かけたバクラは、今ではすっかり新しいものを気に入っている。
「おはようっ、二人とも」
「ああ」
「おお、遊戯、おはよう」
学校が近づくにつれ、通学路には生徒が多くなる。何故か今日は追い越してからチラチラと振り返られるが、自分たちが手を繋いでいることぐらいは今更だろう。さして気にせず歩いていると、後ろから遊戯にそう声をかけられた。振り返らずとも、双子の弟となっているユーギと、家が近い杏子も一緒だと分かる。二人からも挨拶されるのだろうとバクラは思ったが、何故かそれは途切れた。
「やあ、二人とも……?」
「おはよう、というか、アンタたちカバン変えた?」
「変えたけど?」
だが、杏子からの指摘はバクラにとって歓迎だ。
土曜日に新しいカバンを買いに行き、適当に選んでいる際にふと本田が言ったのだ。
『……オレも新しいの買おうかな』
『あ? なんだ、てめーのカバンもやばいのかよ』
『そうじゃねえけど、やっぱりちょっと小さいんだよな。着替えがあると、ジャージとかは絶対入んねえし』
互いの家にそれなりに着替えは置いているものの、下着以外はバクラはさして困らない。本田のものを借りれば済むためだ。だがその逆は無理であり、バクラの方の家に泊まるときは、本田は自分の着替えを持ってくることが多い。泊まり始めたのが冬場だったので、これから夏を迎える時期の着替えはまだ不充分なのだ。しかも、泊まりたくなる週の中日と、ほぼ確実に泊まりになる金曜日に体育があり、どうしても荷物が増える。先週末は、だからこそバクラのカバンはいっぱいで、本田は教科書類をあっさり諦めていたとも言える。
差し迫ってはいないが、いろんな種類のカバンが所狭しと並んでいるのを見ているうちに、本田も欲しくなったらしい。趣味や好みがなさすぎて、自分はなかなか決まりそうにない。だから先に選べと言ってみれば、本田が選んだのはやや大きめで紐も長く、斜め掛けができるスポーツバッグだった。
「もしかして、お揃い?」
「まあな」
本田が選んだのと同じシリーズで、一回り小さいタイプの色違いをバクラも購入した。以前のものに比べれば格段に大きいし、肩に掛け、腹の前辺りにカバンがくるようにして見せてみれば、本田は似合う似合うと褒めてくれた。カバンで似合うに合わないはあまりないと呆れつつ、気を良くしたバクラは新しいカバンの評価がまた少し上がる。土曜日は特に荷物もなかったので、本田が買ったものだけ値札を外してもらい、その中にバクラのものを入れて持ち帰った。本田の家で以前のカバンから中身を移し、日曜日は出かけなかったので、今朝がやっとのお披露目だ。
遊戯からの言葉に、バクラは気を良くして頷く。だが本田は黙っている。色違いだが、お揃いであることは間違いない。当たり前すぎる指摘に頷く必要性を感じていないのかと思ったが、あっさりしたユーギの言葉にやや不安が煽られた。
「……だが、本田くんはあまり嬉しそうじゃないな」
「……。」
「えっ、あ、いや、別にオレは嫌なわけじゃ……!?」
「まあ、そうよねえ。本田は嫌がっても当然よねえ」
「……真崎?」
実を言えば、家を出る前から本田の様子は気になっていた。
起きたときは、特に不機嫌でもなかった。何度もキスをしてくれているし、いつものように手も繋いでくれた。だが、玄関を出る辺りから、どことなく本田が怪訝そうというか、言葉少なになっているのだ。怒っているほどではない、だが何かを明らかに気にしている。口にはしないので自分には関係ないのかとも期待したが、ユーギの言葉に焦る様子からはどうやらカバンのことだったらしい。
そんなことは、当然だ。普段の朝と違う点は、この二人のカバンくらいしかない。店ではあまり気にならなかったが、実際に制服を着て、互いにカバンを掛け、その姿を改めて見たときに恥ずかしくなったのか。だがそういう類であれば、本田は照れつつもちゃんと言ってくる。それがなかったということは、恥ずかしいのではなく、純粋に嫌悪感があるのかと悔しくなったところで、杏子からも妙に納得されてバクラは驚いた。
「なんでだよ、前のヤツだって全校生徒の半分くらいとお揃いだったじゃねえか」
杏子に聞き返す形を取っているが、実際には横の本田にそう愚痴る。
童実野高校では学校指定のカバンはないが、推奨という曖昧な括りで一応の製品があるのだ。制服を購入するついでに買う生徒が多く、クラスでも半分くらいは今でもそれで通学している。足を止めて振り返ったことで、すれ違って学校に向かう生徒たちの肩にも、いくつも掛かっていた。邪魔にならないように道の端に避けているが、バクラがそうして観察してしまうからか、違う学年の生徒からもやけに視線を感じる。あるいは遊戯たちの髪型が人目を集めているのかと、今更の想像をしていると、杏子にため息をつかれた。
「バクラくん、そういうことじゃなくてね? そろそろ自覚してあげなさいよ、本田だって大変でしょ?」
「だから、何が?」
「あっ、その、オレはだからって別に……!?」
遊戯たちまで、まるで本田を憐れむかのように、うんうんと頷く。
おかげで、ますます不可解になった。新しいカバンは特段に派手なこともなく、校則違反というわけでもない。使い勝手のいいただの市販品だ。それに憂鬱そうな顔をする本田で、何を自覚しろと言うのか。そろそろ困惑しすぎて暴れそうになっていたバクラに、ある意味においてはとても頼もしい娘の声がした。
「みんなっ、おはよー!!」
少し離れた場所から手を振って叫び、嬉しそうに駆け寄ってくるのは城之内だ。この週末に海馬と会えたのか、朝からやけに元気である。元気すぎて、勢いのままに抱きつかれそうだ。そのまま胸を揉まれると今朝はちょっと痛いと警戒していたバクラの手前で、城之内は不思議そうに足を止めた。
「……バクラ、それって朝から何のアピール?」
「は?」
首を傾げて尋ねられても、バクラにも意味が分からない。だがゆっくりと手を伸ばしてきた城之内に警戒しなかったのは、胸よりも随分と下、やや左へと向けられていたからだ。
「胸、すげーことになってんだけど?」
「はぁ?……おわっ!?」
「なにこれ、本田の趣味?」
変態的だなと、のん気な口調で城之内は勢いよくカバンの紐を引っ張った。
新しいカバンは、サイズこそ一回り小さくとも本田のものと同じ型だ。要するに、斜め掛けにもできるスポーツバッグである。店では荷物が入る部分を体の前に持ってきたが、実際に歩くときはそうすると邪魔になる。当然のように後ろへと回していれば、カバンの紐はバクラの右肩から左脇腹に向け、胸の上を斜めに渡っていた。
それが谷間を一層強調していたらしいと、バクラにもようやく分かる。だが力加減などなく引っ張ったことで、制服のシャツが嫌な音を立てたことに怒りは極まった。
「このっ、バカ犬!! なにしやがんだっ、ボタン千切れただろ!?」
「へ? ああ、悪い悪いっ」
ただでさえ最近また留めるのに苦労するようになったボタンは、斜め掛けの紐に押され、更には強く擦られて限界を迎えたらしい。外れただけではなく、二つくらいは糸が切れた。それを証明するかのようにアスファルトに小さなボタンが転がる頃には、シャツは臍から上くらいはほぼ全開になる。
「バカ犬、てめー……うわっ!?」
「だから、バクラ、お前このカバンはどうなんだってオレはずっと言いたくて……!!」
「よかったな、バクラ? 朝から本田にギュッてしてもらえて!!」
そのこと自体は嬉しいが、本田は抱きしめたというより、人目から肌や下着を隠したかっただけだろう。しっかりと抱き寄せつつ、片手でバクラのカバンを勝手に外す。それを杏子に託し、体操服が入っているからという指示からも明らかだ。今日は体育はないものの、金曜日から自宅に戻っていないので、本田の家で洗濯をしてそのまま持ってきているのだ。普段であればロッカーに放り込む体操服は、通学路でシャツの上からかぶせるように着せられる。それからシャツのボタンの残っていたものを外し、中から抜いてカバンに押し込められた。
「……。」
「バクラ、お前はもうこのカバン持つな」
道路に転がったボタンも拾ったので、杏子からカバンを受け取ろうとすれば、先に本田に持たれてしまう。
自分の荷物なのだから、自分で持つ。恋人を荷物持ちくらいにしか思っていない連中とは違う。そう睨んでみても、本田は無視して二人分のカバンを担ぎ、手を引いて歩き始めた。
「我慢してあげなさいよ、やたら注目されて本田もずっと気が気じゃなかったんでしょうし」
「……そんなに注目されるわけねえだろ、こいつが気にしすぎなんだよ」
仕方なく歩き出せば、ようやく足を進め始めた杏子からそんなふうに言われ、バクラは拗ねたように返す。朝からやけに視線を集めている気はしたが、そういう理由ではないだろう。胸が大きいだけならば、杏子や城之内も該当するはずだ。そう本気で思っているバクラに、横を歩く城之内は呆れた様子だ。
「バクラって、ほんと自覚ねえよなっ。まあ本田も煽られて困るだろうし、あのカバンはもう使わなくていいんじゃねえの?」
「……買ったばっかなのに、勿体ねえ」
「冬ならいいんじゃない? コートは厚手だし、そんなに目立たなくなるから」
学校からそのままダンススクールに行くこともある杏子だが、カバンは学校推奨の物で、荷物が多いと別の手提げに入れている。どうして一つにまとめられるほど大きなカバンにしないのかとも思っていたが、重くなりすぎて斜め掛けをせざるをえなくなることを、避けていただけなのかもしれない。
ようやくそんなことに思いが至っても、バクラは面白くない気持ちが晴れることはなかった。
手を繋ぎ、二つのカバンを提げ、先を歩く本田は本当に胸が強調されることを嫌がっただけなのか。さっぱり自覚のないバクラには信じられなくて、ただ単に揃いであることを疎んだのではないかと勘繰れば、憂鬱さは増すばかりだった。
「あれ、またカバン変えた?」
「……ああ」
翌日の火曜日、下駄箱で会った杏子にまた指摘をされる。昨日とは違い、それにバクラは素っ気無く頷く。
「昨日の放課後、本田くんが買ってくれたんだって〜」
「ああ、そうなの? よかったわね、そっちの方が安心だろうし」
「……。」
今朝は一緒に登校してきた獏良の説明に、杏子は頷いているが、バクラはもう何も言いたくなくて黙った。
獏良が言うように、今バクラの背中にあるカバン、肩紐が二本有り、背負うリュックサック型のものは昨日本田が買ってくれたものだ。昨日、登校途中にシャツのボタンを城之内によって弾き飛ばされ、仕方なく体操服に着替えたバクラを、既に教室にいた獏良は不思議そうに迎えてくれた。城之内が頼み込んだのでシャツのボタンはつけてくれたが、そもそもの経緯を聞き、本田に笑顔で配慮が足りないよねと言ったのが脅しになったのかもしれない。
ともかく、放課後にまた買いに行こうと誘われる。斜め掛けにしなければいいのだろうとバクラは返したが、紐が長いので肩掛けにするとバランスが悪いと言い張られた。大方、そのうち面倒になって斜め掛けにすることを見抜かれていたのかもしれない。
だが以前のもののように壊れたわけでもなく、サイズなどに不満があるわけでもない。それほど必要とは思えないのにまた買うことに対する躊躇よりも、メーカーも型も全く違うものにすることに何の抵抗もないらしい本田に、バクラは拗ねてしまう。
『……いらねえって言ってるだろ、明らかな無駄遣いじゃねえか』
『金はオレが出すからいいだろ?』
『オレサマが使う私物を、理由もなくプレゼントされる意味も分かんねえよ』
土曜日に行ったのとは違う店で、本田が勧めてくるのは背負うタイプばかりだ。斜め掛けよりも更に両手は自由になるし、胸が強調されることもない。荷物は多く入るのでちょうどいいだろうといくつか選ばれたが、バクラにしてみればそもそもまた新しいカバンを買うことが嫌だ。
『オレの我儘でカバン替えてもらいたいんだから、オレが買ってやるのは当然だろ?』
『……オレサマは、そもそもまた新しいのなんかいらねえよ。土曜日に買ったこれでいい』
相変わらず本田が持っていた自分のカバンの紐を軽く引っ張ってみたが、本田が折れてくれることはなかった。
だが、バクラも絶対に折れてやらないと突っぱねていれば、一度店から出ることになる。諦めるのか、あるいは別の店にでも行くのか。警戒するバクラが連れて行かれたのは階段の踊場だ。月曜日ということもあり、商業施設が入ったこのビルはさほど客も多くない。ほとんどはエレベーターかエスカレーターで階を移動しており、ベンチが設けられたその場所は人気もなく静かだ。
まさかと危惧し、いっそう警戒はしたが、二人分のカバンだけをベンチに置いて抱きしめられることを拒めはしない。ましてや、深いキスを施され、背中に回された手がやがてスカートの上辺りを撫でてくれば、心地好さで頭がぼーっとした。たっぷりと舌を絡ませ、唾液を飲み込むたびに体温が上がる感覚がする。場所も忘れて没頭したいのに、キスの合間にいちいち『だから新しいカバン買ってもいいよな?』と確認をされ、そのたびに面白くなさは鬱積していった。
本田は、本当にずるいと思う。ああいうキスと焦らすような愛撫をされれば、バクラにまともな思考は残らない。どれくらいそうしていたのか分からないが、下肢が疼き、熱く震えるような予感に身を竦ませる。そのとき、耳元で『いいよな?』と繰り返されても、より大きな快楽への期待としか受け取れなかった。
結局ほとんどキスだけでイッてしまい、ぐったりしつつ頷いたバクラに、本田も随分と安堵していた。ベンチに座らされ、少し待っていろと指示される。やっと呼吸が落ち着き、火照りも収まるが、物足りなさは増した。膝を動かしただけでも下着の中から水音が立ちそうだ。愛液で濡れるもっと奥を熱いモノで嬲ってほしいのに、機嫌よく戻ってきた本田がくれたものは買ったばかりのカバンだった。
「じゃあ、本田もまた新しいの買ったの?」
「……。」
「ん〜、それは断られたみたい〜」
もしかすると、本田はバクラが絶頂を迎えたとまでは分かってなかったのかもしれない。キスに心地好くなり、頷いただけだと思ったのか。ともかく、すっかり婀娜めいた雰囲気など消して、新しいカバンを見せてくる。
値札も外してもらったようで、紐の長さを調整すると本田はバクラのスポーツバッグを、そのまま新しいリュックサックに入れた。それだけ、容量も保証されている。ベンチから立つように促され、背負わされると、重量が分散するためか肩掛けよりも軽く感じた。なにより、本田が自分のために選んでくれたものだ。どうこう言っても、それは嬉しい。だが満足したとばかりにそのまま帰宅する気の本田が悔しくて、せめてもの提案をしてみたが無下に断られた。
「まあ、本田は斜め掛けでも問題ないしね。そんなに財布に余裕があるわけじゃないでしょうし、自分のまで買い直すことはないか」
「それもあるし〜、この子がお礼で買ってあげるって言っても、いらないって言われたんだって〜」
「……。」
今朝は遊戯たちとは一緒ではないようで、杏子と三人で教室へと向かいながら、獏良が昨日のことを説明してくれる。何から何まで、その通りだ。
スポーツバッグは、もう諦めた。その代わり、本田も色違いのリュックサック型のものを買えばいい。金のこともあり、バクラはそう申し出てみたが、本田は笑って流すとさっさと商業施設から手を引いて出てしまう。抵抗しきれなかったのは、やはり熱が燻っていたためだ。少しだけ、続きをしてくれるのかと期待してしまった。だが本田は結局そのままバクラをマンションまで送り届けただけであり、不満が爆発したバクラは家で散々獏良へと愚痴ることになった。
「本田なら確かに遠慮しそうだけど、でもそれ、どうしてバクラくんが本田にもまた新しいのを買おうとしてるのか、理解できてないからじゃないの?」
「……。」
「たぶん、そうだと思うよ〜」
ただのお礼だと思ったからこそ、謙虚にお断りした。
杏子たちはそう考えているようだが、バクラには確信がない。むしろ、分かっているからこそ、バクラのカバンだけを替えたかったのではないか。昨日は焦らされた挙句に放置されたこともあり、ますます不信感は募る。そんなことを考えながら歩いていためか、杏子や獏良から少し遅れて階段を上りきり、三年生の教室がある廊下に出たところで、後ろから頭に手を置かれた。
「……!?」
「よう、二人ともおはよう。今日は遊戯たちと一緒じゃねえんだな」
声をかけたのは、杏子と獏良に対してだ。先に頭を撫でられたので気にしなくていいと分かっているのに、昨日の態度を思い出すと不安がせりあがる。
「本田くん、おはよう〜」
「どうも、遊戯たち寝過ごしちゃったみたいで。遅刻するかもしれないから、先に行ってて言われたのよ」
「ああ、なるほどな」
そんな会話をしているうちに、髪を撫でる手も外れ、横をすり抜けて先に行ってしまう。
やはり、何かしら思うところでもあるのか。足が止まったバクラを、少し先で不思議そうに振り返った本田は、戻ってきて手を握ってきた。
「どうかしたのか?」
「……なんでもねえよ」
促す仕草には安堵し、ようやく再び歩け始めたのに、しみじみと呟かれるとまた気持ちは揺れる。
「やっぱ、そのカバンの方がいいな」
「……。」
「オレのに合わせねえで、最初からそういうのにしとけばよかったよなあ」
土曜日に二人で買ったとき、気乗りしないバクラは本田に先に選ばせた。それに適当に合わせただけだとしか思っていない様子の本田には、獏良や杏子が何か言いたそうにしている。だが二人が本田に何を言う前に、バクラは笑って返しておく。
「まったくだ。てめーの趣味の悪さを考えねえで、適当に決めるとよくねえって学んだぜ」
「別に趣味は悪くねえだろ、オレが持つ分にはこれも問題ねえんだし」
他愛のない会話をしながら、教室へと入る。席まで繋いだままでいることも多い手を先に離したバクラは、両手で軽く両方の肩紐に触れ、早く下ろしたくて堪らないカバンをやっと背中から外せた。
「なあ、最近バクラってなんか機嫌悪くね?」
「……。」
「……本田くんが、それ言っちゃうんだ〜?」
「……本田、アンタ、それはいくらなんでも」
「……ボクたちでも、理由は分かるのにね」
「……相棒、今回に限ってはオレですら察してるぜ」
「……まとめると、本田くんは意外に乙女じゃなかったことでいいんじゃないかな?」
「本田が意地悪すっから、バクラが拗ねてるだけだろ」
あれから数日後、再びの金曜日だ。そろそろ期末テストが近いというとってつけたような理由で、今週は週の中日に泊まっていない。週末は金曜か土曜、更にどちらの家に泊まるかという話も、まだしていない。いや、本田の態度から察することはできる。先週は本田のところに泊まったので、本来であれば今週はバクラのマンションに来る確率の方が高いのだ。だが、本田はほとんど空のカバン、要するに着替えなどを持たずに登校してきた。昨日までに決めていなかったので、バクラも着替えは持ってきていない。土曜日から泊まるつもりなのかもしれないが、一切そういう話題が出ないまま金曜日となり、落ち着かなくなりつつあったところで昼休みにいきなりそんなことを言われた。
「え、オレ何かしたっけ?」
「だからぁっ、お前が、バクラのカバンを……。」
「……バカ犬、黙れよ」
月曜日の一件で躊躇いが生まれ、自分から切り出すことを我慢していれば気がついたことがある。
中日の泊まりも、週末の予定も、そもそも放課後にどうするのかもバクラから尋ねなければ本田は特に何も言わない。明確な用件があれば別だが、用がなくとも一緒に街をふらつきたいとバクラが言わないのであれば、さっさと帰ることを知ってしまった。
実を言えば、カバンのことよりこちらの方がずっと動揺は大きい。将来も約束したし、ずっと一緒にいられる可能性も見えた。それには安堵し、幸せだったはずなのに、だからこそ我儘を通すほどではない気がしてしまう。要するに、それほど必死にならなくとも大丈夫なのにと呆れられそうで、何も言えなくなった。
もっとはっきりした事情があれば、バクラも堂々と宣言できる。
だが、カバンの一件は騒ぎ立てるほどではないだろう。敵がいないと積極性を発揮できない本田に最近似てきたのではないかと、自分でも億劫だ。
「カバン?……ああ、もしかして、あのスポーツバッグ、そんなに気に入ってたのか?」
「だからっ、そういうことじゃねえだろ!? バクラは、お前と……!!」
「……黙れって言ってんだろ、バカ犬」
中途半端なところで制止したためか、城之内の意図するところが分からなかったらしい本田に、苛々しながら説明を重ねるのをバクラはまた止めておいた。
本田はますます不思議そうにするが、城之内もぐっと黙り込む。機嫌を損ねたというより、バクラが本気で話してもらいたくないと思っていることが伝わったからだろう。バカなようでいて、人の気持ちには敏い。だが今回は悪友の鈍感さに腹を立てているのか、ふいっとそっぽを向くと、いきなり遊戯へと話しかけた。
「じゃあオレの話ならいいよなっ……なあ遊戯、オレ、商店街のオバチャンにダンボール箱もらってきてさ」
「う、うん、何に使うの?」
遊戯も驚いているが、一応聞き返せば城之内はニッコリと笑って答える。
「それに、アルミホイル貼って取っ手つけたら、ジュラルミンケースぽくね!?」
「……ど、どうかなあ、それは?」
「小学生の工作並じゃない、それ」
「薄いアルミホイルを〜、破らず、皺にならないように、きちんと貼るのって結構難しいかもよ〜」
「え、そうなのか? まあ、それなりの出来でもいいしっ、だって海馬と同じカバン持ちてえだけだから!!」
どうやら、暗に示すという高度な対応に城之内は出たようだ。他の面々も当然察しているので、それが目的ならば出来は気にしなくていいだろうと頷く。唯一分かっていないのは、怪訝そうに首を傾げた本田だけだ。
「城之内、海馬とお揃いなんてやめた方がいいんじゃないのか?」
「なんでだよ?」
「まあ、海馬に言えばわざわざ手作りしなくてもくれそうだけどよ、そもそもナントカに刃物みてえなことにしか思えねえから」
海馬が本来仕事の道具入れにすぎないはずのジュラルミンケースを、凶器として振り回しているのは最早常識だ。それを城之内もまた手にすれば、荷物入れではなく、武器にしか見えないという弁はバクラも同感である。
だが、城之内が言いたかったのはそういうことではない。だからこそ、やや失礼な方向に窘められても暴れることはなく呆れるだけの城之内に、ため息をついてみせたのはバクラだ。
「……バカ犬、ほんとに作る気なら手伝ってやろうか」
「えっ、バクラ……?」
「オレサマ、どうせ今週はずっと暇だし。綺麗に貼るならスプレー糊とかのがいいだろうけど、どうせてめーは持ってねえだろ」
城之内も、本気で工作をするつもりはない。ダンボールをもらってきたという話すら、適当な嘘だろう。そもそも目的が馬鹿馬鹿しいし、本田も言うように海馬に言えば十個でも二十個でも本物をくれそうだ。
だからこそ、いつもならば呆れて流すだけの計画に、バクラは敢えて乗ってやった。今週末はずっと予定がないのだと示したかったのは、もちろん城之内に対してではない。
「……ああ、それならちょうどよかったかな」
「本田……?」
やや驚いた顔をしたので、本田には普段どおりの過ごし方が頭の中にあったのだと分かる。だがそれに安堵する間もなく、続いた言葉にバクラはもう何も言えない。
「いや、オレ、てっきり今週はバクラのとこに行くのかと思ってて、準備してたんだけど。朝ちょっと寝過ごして焦ってたら、間違えて、着替えとか忘れてきちまったんだよな」
「そういえば、本田くんて今日ジャージ忘れたからって体育も見学だったよね」
どうやら、カバンにやけに荷物が入っていなかったのは、そういう理由かららしい。
問題は、本田の中での予定が覆されても、用意できていないのでちょうどいいとあっさり受け入れられたことだ。たとえ着替えを忘れても、一度取りに戻ればすむ。あるいは、バクラが本田のところに泊まるのであれば、置いている分だけで過ごすことも可能だ。
そういった変更もできるはずなのに、すっかり本田は今週末のお泊まりはないものと決め付けた。代わりの予定が城之内のダンボール工作でも、何の疑問もないらしい。むしろ口実にされた城之内が泣きそうなほど動揺しており、慌てて謝る前にバクラは手を伸ばしておいた。
「……!?」
「任せとけって? オレサマ、結構手先は器用だぞ? 三日三晩恐怖で魘されそうな会心のギミックつけてやっから、期待してな?」
「それはそれで、怖えよ、バクラ……!!」
別に城之内に仕返しをするつもりではない。恐怖仕掛けのダンボールを作製したところで、城之内に頼まれて作動させるのは海馬だろう。そうして、二人が会えるきっかけを作ってやりたいだけだ。頭を撫でてそう言ったバクラに、本田は嫌な顔をするでもなく、やっぱり城之内には優しいんだなとほのぼのしていて、また切なくなった。
本当に城之内のためにダンボール工作をするとしても、道具や材料を考えれば自宅の方がいい。なにより、金曜日の夜は一番バイトも忙しい時間であり、城之内は放課後になると申し訳なさそうにしてさっさと帰って行った。わざとらしく手を何度も振ったのは、今日は忙しい、つまりバクラを拘束することはないと本田に示していたのだろう。だが適当に見送った本田は、特に何も言わなかった。他の面々と共に下校し、分かれ道で手を振って、それだけだ。
「ねえ〜、ほんとに作るの〜?」
「ああ。どうせ暇だしな」
それからは、獏良と共に買い物をして帰る。午後の授業中にざっと頭の中で設計図を描いてみたが、足りない部品もありそうだ。二月のバレンタイン用に作ったものの余りだけでは、心許ない。せっかく自由に使える金も多少はあるのだし、せっせと買い物をするのを横から見ていたのに、帰宅して獏良から改めて尋ねられた。
ちなみに、今日の食事当番はバクラだ。これも、本田がこちらに泊まりにくると予想していたからである。予定通りそれをこなし、さて図面でも描くかと模造紙を広げる。正確な設計図ではなく、あくまで自分のメモ程度だ。チョコレート菓子よりはサイズも耐久性もあるので、かつて杏子が言っていたように、まずは足が出て二足歩行が可能にしようかと案を練りながら、バクラは相槌を打っておく。
「城之内くんも〜、冗談だったと思うんだけど〜」
「まあ、そうだろうな」
「キミのギミックて、本格的すぎてまた泣かせちゃうんじゃない〜?」
「どうせ作動させるのはダンナだろ、バカ犬は大丈夫だっての」
「でもさ〜……ほんとは、本田くんと居たいんでしょ〜?」
「……。」
自分の冗談が原因で会えなくなったて分かってると、城之内くんも喜べないと思うよ。
そんな言葉には、否定する気はないが、頷くこともできなかった。
「キミも、意地張らないでさ〜? 本田くん、ほんとにただ気づいてないだけなんだし〜」
「……。」
「今はたぶん〜、キミの方が嫌がってるって思って、だから、優しいから引いてくれてるだけだと思うよ〜」
そんなことは、獏良に言われるまでもない。まず間違いなく、本田はバクラに気遣っているだけだ。
機嫌が悪そうだと察し、理由を探る。いまいち判明はしないものの、週末の予定を暗に否定したバクラに、やはり怒っているようだと考えて主張はしない。
きっと、これは優しいのだ。
カバンのことも、言えば優しいので合わせてくれるだろう。だから嫌なのだと我慢してしまったバクラは、自分が悪いのだと痛いほど分かっている。おかげで余計に動くことができないと黙り込む気持ちも分かるらしい獏良は、ため息をつくと、手元の携帯電話を見下ろした。
「じゃあ、ボクがお節介する分はいいよね〜?」
「やっ、宿主サマ、それは……!?」
「……あれ、鳴ってるよ〜?」
だが止めていいものか迷っているうちに、先に携帯電話が鳴りだす。獏良のものではない。居間のソファーにバクラが投げていた方から、着信音が響いてきた。
メロディを変えているので、出なくとも誰だか分かる。だからこそますます動揺していると、取りに行った獏良が律儀に通話ボタンを押してから耳に当ててくれた。
『もしもし? なあバクラ、そういや今日って城之内はバイトなんだよな?』
「……ああ」
獏良から携帯電話を受け取れば、名乗りもせずにいきなり用件を話される。名前は表示されているので構わないが、内容にはやや身構えた。どういう方向の話なのか、さっぱり予想がつかなかったためだ。しかも本田は外からかけているのか、やけに風の音が大きくて聞き取りづらい。
『それって、要するにお前らのとこに城之内は泊まっていかねえってことか?』
「……そもそも、滅多に泊まったことはねえよ。仮に今日がバイトなかったとしても、明日の朝は入ってるだろうし。泊まれるほど時間があるなら、ダンナのトコに行くだろ」
『ああ、それもそうか』
よく分からないが、本田は城之内が泊まっていくと考えていたようだ。海馬の仕事が終わるまでの暇潰しだと言って寄ることはあるが、泊まりとなるとほとんどない。今更どうしてそんなことを尋ねるのかと怪訝そうにしていると、一呼吸置いた本田が、やけに神妙に尋ねてくる。
『……なあ、じゃあまだ暇か?』
「……。」
『体調悪いんだよな? 手は出さねえし、寝るの別でいいから、泊まりに行っていいか?』
そして、ひとつ判明したのは、本田はどうやらバクラの機嫌の悪さも女性特有の理由だと思っていたらしいということだ。
確かに、そろそろ前から一ヶ月なので、なっていてもおかしくない。だが実際にはまだだ。相変わらず変なところを気遣っていたのだなと呆れている間に、本田は否定と受け取ったらしい。
『いや、無理にとは言わねえから』
「……そもそも、オレサマは暇じゃねえよ。バカ犬に渾身のダンボールギミック作ってやるって約束したし」
黙っていれば引いてしまうことは、本来は優しさで美徳と褒められるべきなのだろう。それでも、今のバクラには不満だった。それ以上に不安でつい虚勢を張れば、本田は納得する。
『そうだよな、いや、オレが悪かった。オレも帰るし、邪魔したな?』
「待てよっ、帰るって、てめードコに……!?」
『どこって、そりゃあ家に決まってるだろ?』
「そうじゃなくてっ、今、ドコに……!!」
そして電話を切られそうになり、焦って追及すれば、また風の音が強くなった。
『……今どこに、て、マンションの下だけど?』
「……!!」
『じゃあな、バクラ。土日に時間ができて、体調も良くて気が向いたら電話してくれ』
今日は風が強く、このマンションの部屋の窓も強く揺らしていた。
あっさりと切れた電話に呆然としたバクラは、頭が上手く回らない。どうやら本田はわざわざマンションまできて、お伺いの電話をかけていたようだ。何かのついでで寄っただけなのかもしれない。本気で泊まる気なら、家を出る前に確認するだろう。それが、マンションに来てからかけたというのは、気紛れのようでもあるし、実際には下にはいなくてアリバイ作りかもしれない。
「……あ、本田くん〜? 今から妹が迎えに行くから、もうちょっとそこで待っててね〜」
だが、そういう姑息なことをする男ではないと知っていた。気がつけば携帯電話を放り投げ、玄関に向かって走る。代わりに自分の携帯電話でそう獏良がかけているのをどこか無意識に感じながら、エレベーターも待ちきれずにバクラは階段で地上までおりた。
「……本田!!」
「どうしたんだよ、そんなに息切らして?……あ、獏良、バクラ来たから電話切るな?」
やっと一階に辿り着き、エントランスではなく裏口から抜けたバクラは、そこでバイクに横から座って携帯電話を耳に当てた本田を見つけた。どうやらまだ獏良と通話していたようで、それを切ってから携帯電話をポケットへと仕舞う。
不思議そうにしている本田へとふらふらと歩み寄れば、バイクから腰を上げ、本田も軽く手を広げてくれる。それが嬉しくて思わず抱きつけば、期待通りしっかりと抱き返されてバクラは泣きたくなるほど幸せになった。
「本田ぁ……。」
「お前、もしかして階段で下りてきたのか? 体調悪いんだし、エレベーター使えよ」
「……オレサマ、まだ生理じゃねえよ」
「あ、そうなのか? いや、そうにしてもよ、階段使う理由は……?」
「……早く会いたかったんだから、別にいいじゃねえか」
実際には、エレベーターを待って乗った方が早かったかもしれない。だが、一歩ずつ階段を下りていく方が着実に自分の足で近づけている気がしたのだ。呆れるだけの本田に言っても伝わりそうになかったので、拗ねて呟くだけにすれば、やけに驚かれる。それがまた悔しくてギュウギュウと抱きしめる手に力を込めていると、やがて軽く背中を叩かれ、顔を上げるように促された。
「……。」
「お前、忙しいんじゃなかったのかよ? 下りてきてくれるくらいの時間はあったってことか?」
「……キスするくらいの時間もある」
それはよかったと言いながら、ゆっくりと唇を押し当てられると気持ちは逸って仕方がない。月曜日以降、バクラが警戒していたこともあり、キスすらあまりしていなかったのだ。すぐに深めて、舌を絡ませたい。背中を抱き寄せるだけの手で、まさぐってもらいたい。そしてもっと奥まで繋がりたいと体は疼くのに、触れるだけのキスで終えた本田が尋ねてくる。
「本田ぁ……!!」
「いや、だからな? 結局、今日って……。」
泊まっていいのかと、本田は言いかけたのだろう。だが久しぶりのキスで中途半端に煽られたバクラが、不満たっぷりでシャツを引っ張ったとき、本田のカバンの紐が肩からずれた。
「……え?」
それに気づき、背負い直す本田のカバンは、まだ真新しい。バクラを後ろに乗せることは滅多にないため、雨でもない限りは後部座席に括りつけていることが多い。先週買ったスポーツバッグであれば、形としても乗せやすいだろう。だが今本田の背中にあるのは、紐を片方だけ肩に掛けたリュックサック型だ。
しかも、一瞬しか見えなかったが、よく似たものをバクラは持っている気がした。面食らって思わず声が漏れ、驚いているバクラに、本田も不思議そうだ。だがやがて気がついたのか、背中に回したカバンをもう一度肩から下ろして前へと持ってきた。
「ああ、結局あれからオレもこれ買ったんだよな。色違いだけど」
「……なんで」
「金がねえし、小遣い前借できねえかなって相談したら、理由聞かれて。で、話したらなんでか知らねえけどオヤジが今回は特別だって出してくれた」
金の出所は、正直どうでもよかった。やけに歓迎してくれる本田家なので、恐らく息子の鈍感さに居たたまれなくなったのだろう。
だがそうだとしても、そもそも本田がこのカバンを欲しいと言い出さなければなかったことだ。月曜日にバクラのを買ったとき、お礼に買ってやると言っても拒まれた。あれは単に彼女に出させることへの抵抗だったのかと困惑するが、それとも違うらしい。
「バクラのを買ったときは、そんなに欲しいって思ってなかったんだけどよ」
「……だから、なんで」
「次の日から、お前が背負ってるの見てるうちに、なんか、こう」
「……便利そうだと思ったのか」
「それもあるけど、笑わねえか?……なんか、オレのカバンが可哀想になってきた」
意味が分からない。
つれない態度をされ続けた自分の方がよっぽど可哀想だ。説明が不可解すぎて睨めば、本田も苦笑しながら続ける。
「いや、オレも何言ってんだろとは思うんだけどよ。ほら、スポーツバッグの方、一緒に買ったから、月曜の朝まではオレの部屋に並べて置いてただろ?」
「置いたけどよ……。」
「で、オレだけがずっと使ってても、冬までバクラの方には会えないんだよなとか思うと、可哀想で。だからオレのも取り敢えず寝かせとくことにして、今のバクラのカバンと色違いを使うことにした」
更に説明されても、不可解さはますばかりだ。そもそも、カバン同士が寂しいなどと思っているはずがない。人形などであれば、まだ感情移入する小学生の女子くらいがいても理解は及ぶ。だが対象はただの荷物入れであり、しかもとっくに結婚できる年齢に達した男子高校生からの発言に、バクラはますます怪訝そうな顔になる。
それにまた笑った本田は、カバンを背負い直すと、片手で髪を撫でてきながらまとめた。
「まあ、簡単に言うとオレが寂しかった」
「……!!」
「なあバクラ、体調じゃねえんなら、なんであんなに機嫌悪かったんだよ? そんなに、スポーツバッグの方を気に入ってたのか? オレとしては、斜め掛けにするのはやっぱり避けてもらいてえけど、でも、どうしてもってお前が言うんなら……?」
「……今は、リュックの方が気に入ってる」
相変わらず分かっていない発言に、素っ気無く返せば本田はまた驚く。
だが、ようやく何かを察したらしく、一度肩越しに自分の背中を見て、それから深くため息をついた。
「ああ、なるほど……いや、まさか、バクラがそういうこと気にすると思ってなくて……。」
「……。」
考えてみれば、本田は今日学校にジャージなども忘れている。間違えて、忘れた。あの発言は、正確には、新しいこのカバンに入れておいたが、間違えてスポーツバッグの方を持ってきてしまったという意味だったのだろう。それでも体育以外の授業で困らないのもどうかと思うが、しみじみと言われると面白くないだけでなく、気恥ずかしくもなってくる。
「悪かった。オレ、そういう機微に疎くて、怒らせてたんだよな?」
「……怒ってたわけじゃねえよ」
「じゃあ寂しがらせてたか? なあバクラ、それならたっぷり謝らせてくれよ。オレ、週末ならやっとバクラも触らせてくれるかと思ってたから、昼休み、お前が城之内を優先したの結構ショックだったんだぞ? まあ結局諦めきれねえで来ちまったけど」
照れたように言葉を重ねられると、ますます顔は赤くなりそうだ。
本田は本当にただ気遣っていただけと分かり、バクラも安堵した。安堵すると、欲情した。
「……生でしてくれら、許す」
どうせ応じてくれないだろうが、一応希望を述べてみると、やはりため息をつかれた。
「お前、それ言うのやめろって言ってるだろ?……オレの自制が効かなくなったらどうすんだ」
「……!?」
「代わりに、お前がもういいって泣いて頼むまでよがらせてやっから、それで許してくれるよな?」
実際には、生理的反射以外で泣けば本田はそこで手が止まるだろうし、そもそも拒む前に失神しそうだ。
だが、今週は中日にしていないこともあり、想像だけでもずくりと腰の奥が疼いた。もう濡れてきそうなほどの昂揚に、バクラは精一杯仕方なさそうに頷いておく。
「……分かった。妥協してやる」
声はかすれ、熱を帯びる。期待で興奮が高まっていることは明らかなのだろうが、嬉しそうに笑った本田は、もう一度キスをする前に告げてくれた。
「ありがとな? オレも、バクラのこと大好きだぜ」
「んっ……。」
そんなことは、こちらは言っていない。
だが否定する気は起きず、ようやく深められたキスに没頭していると、頃合を見て獏良から『さすがにマンションの前で始めないでね〜』という電話がかかってきて我に返った。
バッグに関しては、どうやら本田は色違いなので最初からそもそもお揃いだという認識はほとんどなかったようだ。だがバクラが変えてから次第に落ち着かなくなり、放課後に素っ気無くされるので時間を持て余したこともあり、木曜日に一人で買いに行ったらしい。
そんな話を獏良と共に居間で聞いたのは、土曜日の昼過ぎになってからである。金曜日の夜に訪ねてこられ、獏良からの電話でやっとマンションに戻ってからは、宣言どおりたっぷりと体を重ねた。本田の家と比べて声を出せないので、愛撫は緩く、だがずっと長くて、翻弄され続けた結果でもある。
おかげで、日曜日の夜に一応の約束だからということで顔を出した城之内に、バクラは大して凝った物が渡せない。見た目では、まさにダンボールにアルミホイルを貼り、取っ手をつけただけだ。KCというロゴがスイッチだとだけ説明をして渡せば、城之内はもう竦みあがって触れることも出来ず、何故か爆発物処理班のような格好をした海馬コーポレーションの社員たちが回収していった。
そんなに仰々しく運ばずとも、ギミックは一つしかないのに。
バクラが呆れていると、社員と城之内がいなくなってから、どんな仕掛けかと本田に尋ねられた。
『さすがに時間がなくて大したことはできなかったぞ?』
『でも二月のこと思ったら、やっぱり凄いんじゃ……?』
『いや、今回は本当に一つだけだ。スイッチ入れると足が出て、三歩歩いたら正座する』
『……それで?』
『終わり』
何故本田が深いため息をついているのかは、よく分からない。この程度であれば、城之内は気絶しないだろうし、海馬からの八つ当たりを受けることはないだろう。
だが、実際には憂鬱そうな本田の予測の方が、正しかったらしい。
まさか正座をして終わりではないだろうと、次に何が起こるのかとあちらのカップルは二人して正座したまま一時間ほどじっと待ってしまったようだ。海馬にとっては貴重すぎる時間を無駄にされ、城之内は足が痺れて腹立ち紛れにこけながら海馬を殴る。ついでに正座したままのダンボール箱にもぶつかり、回路がおかしくなって高速で正座と歩行を繰り返す様がやたら怖かったらしく、数日後にまた本田が海馬に殴られることになるのは、仕方がないことなのかもしれなかった。
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