■キッチン・ロマン
思えば、夏の暑い盛りの時期だった。
世間が盆休みに入る直前、親戚のところでのバイトに最後に出勤した際、いつもと勤務時間が違うことを知った。
「……え?」
「なんだ、忘れてたのか。今日は昼までで終わりだぞ?」
やや呆れたように言われたが、そもそも覚えていた記憶もない。ただ、毎月のスケジュールは予め渡されているため、そこに記載されていれば店長も知っていて当然と考えるだろう。昼食は近くのコンビニに買いに出かけるため、学校と違って母親に弁当を作ってもらっているわけではない。ほぼ毎日出かける息子を、両親もバイトなのか補習なのか、あるいはそれ以外なのか、さして気にもしていない。急に帰れなくなったのであれば連絡もするが、早く帰れるということは構わないに違いない。そう思ったところで、無意識のうちに携帯電話を手に取っていた。
「……メール、打っといてもいいスか」
「ああ? 開店前だし、大丈夫だぞ? つか、早く帰れるとまずいことでもあんのか?」
何を約束しているわけでもないのは、今日に限ったことではない。今朝は自宅ではなく、少しだけバイト先にも近い高級マンションからやってきたが、家主の居候である恋人は、ベッドでまだ寝惚けていた。昨夜も無理をさせた自覚もあったので、甘えるように懐いてくる腕をなんとか外し、寝かしつけてから部屋を出る。
そのまま顔を洗い、歯を磨いて着替えた後は、早めにマンションを出て途中でパンでも買って食べよう。そんなふうに考えていたが、夏休みでもきちんと朝から起きて家事をしている戸籍上の双子の姉が、ベッドで熟睡する妹の代わりに朝食を用意してくれていた。申し訳なくなるが、珍しいことではない。自分が泊まると恋人は大抵朝は起きられなくなるため、必然的に家事当番が変わってしまうのだ。それが居たたまれなくて、夜を控えめにしたこともある。すると、朝は起きてくるものの、あからさまに不機嫌で拗ねて内心では寂しがってくると透けて見える恋人に、姉の方が申し訳なくなったらしく気遣い無用と言い渡されてしまった。
つくづく、自分たちは甘やかされていると思う。感謝し、少しは遠慮すべきと分かっていても、許されると安心する。可愛がっていいのだと周りにも認めてもらえると、箍が外れた。
「恋人にか?」
「……まあ、ハイ」
「つかお前、あの写メの子がマジでカノジョなのか? 可愛すぎだろっ、今度連れて来いよ、やんちゃしてる割にずっと童貞貫いててほんとは女に興味ねえんじゃねえかってオヤジさんたちが心配してたヒロトにあんな可愛いカノジョがいるとかオレまだ信じられねえんですけど!!」
別に好きで童貞だったわけではないし、父親からそんな疑念まで持たれていたことは初めて知った。
幼い頃から知っている親戚の店長は、両親から伝わったらしく話もしていないのに恋人の存在を知っていた。だが、ずっと信じてくれていなかった。どうやら両親の勘違いか、心配すぎての幻想とでも思われていたらしい。どうしてそこまで疑われるのかとやや落ち込みもしたが、常々学校の友人たちにも『精神的に生涯童貞』と言われているので、そういうことなのだろう。あまりにしつこく、両親を安心させるためにエアー彼女を作ったのならばやめた方がいいと真顔で諭してくるので、面倒くさくなって写真を見せた。もちろん恋人に説明した上で、携帯電話で撮影したものだ。自分としては、こちらを向いている恋人を一人で普通に撮りたかった。だが趣旨を聞いていた恋人は、そんな写真では無関係の女性の写真と思われても仕方がないという正論で、交際関係にあると明白な状況、つまり繋がっているときに撮影すべきだと主張した。
それでは、いわゆるハメ撮りではないか。
興奮する要素がなかったわけではないが、親戚の店長に見せるという目的を考えると断念する。そういうときの顔を、他人に見せたくない。単純な独占欲で妥協をした結果、いわゆるキス写真に落ち着いた。
ちなみに、それを見せた親戚の反応はいまいちだった。
考えてみれば当然だが、キス写真では顔がよく見えないかららしい。
それでも、なんとなく可愛いというのは分かるらしく、今度是非連れて来いと先日からしつこい。いずれちゃんとすれば紹介することにはなるのだろうし、急ぐ必要はないだろう。だが親戚にしてみれば、いつまで続くか分からないのだから彼女でいるうちに見たいらしい。失礼だと顔をしかめたのは、下手なことを言って恋人を無駄に不安がらせて欲しくないからだ。
ともかく、今朝もまた繰り返している親戚を無視していると、すぐに返信が届いた。
「……。」
「お、返事早いなっ。カノジョ、なんだって?」
言わなかったのはプライベートを守秘したのではなく、単に了解という短い単語だったためだ。どうやらもう起きているらしい。その程度の感想を持ち、携帯電話はカバンにしまってバイト着に着替える。
今日の仕事が昼までと聞き、内心で安堵した。メールを打ちながら大人しくしていたのは、口を開けば欠伸が出そうだったからだ。
睡眠時間だけで言えばさほど短くはないはずだが、この暑さと、なにより就寝前の運動でかなり疲労が蓄積しているのだろう。バイトや補習といったものは、去年の夏休みと同じだ。だが今年はそれまでとは違う時間の使い方で、意外に夏バテしているのかもしれない。
ともかく、仕事中はしっかりしようと気合いを入れ直し、蒸し暑い一日をようやく始めていた。
店舗の中も、お世辞にも冷房が効いているとは言いがたい。なにより、修理に持ち込まれたバイクを移動させたり、工具を持って行ったり、銀行に走らされたりと外での雑務も多い。外気の温度が頻繁に変わることも、疲労を増させる原因だったのかもしれない。そのことに本田が気がつくのは、もう少し経ってからだ。
「あぢー……。」
昼までの営業時間を終え、そのまま片付けに入る。店舗は夏季休暇に入るため、いつもよりその準備が長い。更には、昼食を取ることはせず、すぐに帰路についた。早く帰りたかったのが半分と、単純に食欲があまりなかったのだ。
軽い寝不足と、抜けきらない疲労感。炎天下の中、ライダースーツでバイクを飛ばすとやや意識が朦朧とした。幸い事故を起こすようなことはなかったが、住宅街に入ってからは降りて歩くことにする。なんとなく、子供などが飛び出してきたときに避けきれる自信がなかったのだ。そうしてなんとかガレージまで辿り着き、バイクを停めてから脇にある階段を昇った。
両親たちの住む母屋ではなく、自室がある離れの二階に足が向くのは最早癖のようなものだ。無人のため蒸し暑く、昨日は戻っていないので換気すらされていない部屋へと向かう。足取りが重く、階段の一つ一つがいつもより高く感じた。体温より高いとしか思えない外気に、ゼェゼェと息は上がり、汗がやたら流れ落ちる。
ともかく、部屋に荷物を置き、備え付けの小さめの冷蔵庫にあるはずの水を飲んで、一休みしよう。
そんなことを朦朧とする意識で考えながら、本田はなんとかドアの前に辿り着いた。
「ええと、鍵……。」
手探りでカバンを漁り、部屋の鍵を出す。鍵穴に差し込もうとするが、なかなか上手くいかない。手が覚束なくなっているという自覚はないまま、なんとか鍵が入ったので、回してドアを開けると心地好い冷気が流れてきた。
「……?」
「あ、やっと帰ってきたのか」
一昨日ここを出た際に、クーラーを切り忘れたのだろうか。ぼんやりする頭でそう首を傾げかけるが、明るい照明と声に、本田はその場に立ち尽くして驚く。
玄関を開けてすぐ、台所側は日が差し込まないため、真夏でも照明をつけないと暗い。そこで、適度にクーラーを効かせて包丁を握っていたのは、朝ベッドで別れたばかりの恋人だ。
「昼には終わるって言ってたのに、全然帰ってこねえから心配してたんだぞ?」
「……いや、その、片付け、とか」
「ああ、なるほど。でもよ、それならちゃんと連絡しろよ? オレサマ何回もメールも電話もしたのに、てめー、全然返事寄越さねえしっ」
言われて思い出したが、本田はバイト先を出る際にも一度も携帯電話を確認していない。マナーモードにはしていたが、気がつくことが多いし、そうでなくとも定期的に見るようにしている。
それがすっかり抜け落ちていたというのは、よほどぼんやりしていたようだ。そんなふうに自分のカバンを見下ろしたとき、料理の途中だったらしいバクラは包丁を置き、手を拭いてから向き直る。
「なあ本田、てめー、夏バテ起こしてんじゃねえのか?」
「……え?」
「朝も全然食わなかったて、宿主サマ言ってたし。あと随分疲れてるみたいだとも言ってたけど、今てめーの顔見て、オレサマも納得した」
台所から玄関まで、ほんのわずかな距離しかない。ペタペタという足音は、バクラがスリッパなどを履かず、素足である証拠だ。視線を落としたままだった本田には、まずつま先が見える。そこから素足を視線で辿っていくと、膝を過ぎて太腿の真ん中辺りまできたところで、真っ白なエプロンへと変わる。
「……。」
「ぼーっとしてるみてえだけど、大丈夫か? 外、だいぶ暑かっただろ?」
端に大きく波打つフリルをあしらったエプロンなど、バクラは持っていただろうか。自宅であるマンションには、もちろんエプロンを置いている。双子の姉ということになっている獏良と色違いで、シンプルなものだ。本田の家で食事を取るときは母屋で母親の手料理か、出来合いのものをこの離れに持ち込む。離れのキッチンはコンロも一つしかなく、料理道具が揃っていない。冷蔵庫が小さいこともあり、まともに料理ができないことはバクラも知っており、敢えてここでする意志はこれまで見えなかった。
「冷たいものなら食べやすいかと思って、そうめん作ってた。これなら大丈夫だろ?」
「……。」
「けど、栄養考えたら、具もいろいろあった方がいいだろうし。もうちょっとで出来るから、てめーも……本田?」
軽く刻んだり、焼いたりする程度であれば、ここのキッチンでも充分だ。本田が帰ってきてからそうめんを茹でて、具材も揃えるつもりだったのだろう。
そんな説明をしていたバクラだが、本田からの反応が異常に薄いことをようやく訝ったようだ。更に一歩進み、玄関に立ったままの本田の正面に来る。そして軽く手を伸ばし、両肩へと置いて踵を上げる。
「おかえり?」
「……。」
胸元にも、エプロンの白いフリルが広がっている。だが、それ以外の衣類が見えない。
胸の谷間から首筋、そして顔へと視線を向ければ、すぐ間近からキスをねだる口元に、本田も思わず手を伸ばした。
「ただ、い……!?」
「……本田!?」
そのまま抱き寄せ、挨拶を返してから触れ合わせるつもりが、強烈な嫌な予感に思わずバクラの肩を押す。
もう一方の手では、自分の口元を押さえた。だが鼻の奥が弾けるような感覚の後、押さえた指の隙間から滴り落ちる鉄臭い血液に、本田の意識は遠のいた。
「……お前、オレのことバカだと思ってるだろ」
「思ってる」
幸いにして、意識を失うまではいかなかった。だがその場で崩れ落ち、昏倒しかけたところで、支えようとしゃがみこんできたバクラの腰に気がついたのだ。
ちゃんと、短パンを穿いていた。いつもより短く、また色も薄めだ。よく見れば、エプロンの肩紐に隠れて見えていなかっただけで、上半身も白いタンクトップに包まれている。
なんだ、着ていたのか。
心の中で呟いたつもりの声は、どうやら口から出ていたらしい。鼻血を押さえる手で聞こえないことを祈ったが、怪訝そうに顔をしかめたバクラは、意味が分かったらしくやがてため息と共に本田から手を離した。
「……お前が悪いんだろ、誤解されるような格好してるから」
「ああ、そうだな、そうだな、オレサマが悪いな、うんうん、その通りだ」
「……。」
ドサリと玄関から廊下へと転がった本田に、バクラはまずは濡れたタオルを持ってきて口元を拭いてくれた。鼻血はすぐに止まりそうだったが、無言でティッシュを丸めて詰めてくるのが怖い。なにより情けなくて拒もうとしたのだが、押し返す手には力が入らず、一人ではなかなか体を起こすこともできなかった。
どうやら、軽くのぼせてしまったらしい。熱中症というほどではないが、眩暈がしている。訓練のおかげなのか、だいぶ筋力もついているらしいバクラに担がれ、ベッドに運ばれたのは最も本田を傷つけたかもしれない。
よりによって、好きな女の前で鼻血を噴いて倒れ、手当てをされるのだ。
格好悪すぎて泣きたくなってくるが、そんな心情などお構いなしに、バクラはクーラーの効いた部屋で転がした本田の服をさっさと緩めた。顔の上、主に鼻の付け根辺りに冷やしたタオルを乗せた後、首筋なども別の濡らしたタオルで拭いてくれる。のぼせた体には心地好いが、さすがに下まで脱がされそうになると、抵抗した。風邪などで全く動けないようなときならまだしも、今は意識もあり、そこまでではない。覚束ない言葉で訴えれば、バクラはかなり呆れた後、ベルトを緩めるだけで勘弁してくれる。そして冷蔵庫からスポーツドリンクを持ってきて、とにかく休んでいろと言われたのが三十分ほど前である。
「……そもそも、お前、これどうしたんだよ」
体温が下がり、水分も補給されると、だいぶ意識もしっかりしてきた。鼻血はとっくに止まっており、ティッシュは捨てて口元ももう一度拭いている。だが以前仰向けのままなのは、第一に多少体がだるいためであり、実はそれ以上に心配性のバクラを安心させるためだ。
遅めの昼食の用意は中断し、準備していた食材などは一旦冷蔵庫にしまう。何度かタオルを替えたり、スポーツドリンクを飲むのを手伝った後は、仰向けで頭が下がりすぎると鼻血が逆流して喉に詰まるかもしれないという、今更すぎる気遣いでバクラもベッドに上がってきた。
添い寝をするわけではなく、頭に近い側の壁に背をつけ、足を伸ばして座る。太腿の辺りに本田が頭を置くように促せば、いわゆる膝枕の出来上がりだ。
こんなことをされればまたのぼせてしまいそうだが、淡々と話しているうちに玄関で何を誤解したのか、白状させられた。おかげで、タオルより冷たい視線をもたらされたが、本田としても反論はある。
単に忘れているのか、いまだつけたままの真っ白なエプロンを、バクラは一体どこで入手してきたのか。自宅マンションのエプロンを見ても、普段の服装からも、こういう大きなフリルがついた分かりやすく可愛いものは着てくれないと思っていた。だがいわゆる新妻エプロンのようなものを嫌がらないのであれば、自分が贈りたかった。そう悔やみつつ顔の横にあるフリルを引っ張れば、バクラはため息をつく。
「バカ犬がくれたんだよ。ダンナが好きなの選べって大量に押し付けてきたらしいが、そんなにいらねえからって」
「あー……。」
言われてみれば、触り心地がやたらいい。相当高級な素材で誂えた至極の一品なのだろう。
納得して頷けば、少し冷たい指先が首筋を撫でる。
「けど、いくら暑いからって、エプロン一枚でメシ作ってるはずがねえだろうが」
「……頭では分かってても、正面からはそう見えたんだよ」
「てめー、変な雑誌とかの見すぎなんじゃねえのか」
思考がちゃんと回っている今ならば、そんなことは分かっているのだ。いくらしっかりした布地でも、色が白である以上、よく見れば着ている服は多少透けている。肩や脇の辺りなど、エプロンで完全には隠れていない部分もある。なにより、ここは本田の自室であり、息子ではなく両親が訪ねてくることもよくあるのだ。特に、今日は昼食を作ろうとして、足りなかった調味料などは母屋に借りに行ったらしい。バクラが来ていることは両親も承知している以上、何かしらの用で訪ねることは決して稀なことではなく、そんな危険を承知で倒錯的な格好で待っているはずもなかった。
ただ、帰宅したばかりの本田には、そうした理論的な思考など無理だった。そもそもいるとは思わなかった恋人が、部屋で、着てくれるはずもないようなエプロンで待ってくれている。朦朧とした意識ではすべてが幻覚のようにも思え、これが自分の妄想であれば、きっと定番の格好をしてくれているに違いないと興奮してしまうのもまた、自然なことだったのだ。
「……だっ、だからあれは義兄さんのだって言ってるだろ!?」
情けなさに打ちひしがれていると、一瞬反応が遅れる。すっかり忘却の彼方になりかけていたが、以前発見されたアダルト雑誌の中にも、確かに裸エプロンの特集もあった。急に指摘されて慌てるが、バクラは淡々としたものだ。
「でも、てめーも見たんだろ? 見て楽しんだから、誤解したんだよな?」
「いやっ、その、楽しんだっていうか、その写真そのものじゃなくて、ほら、そういうのって男のロマンだろ!?」
「こないだのスクール水着といい、男はロマンがいっぱいで忙しいことだな」
他の女性の写真を見て興奮した過去を蒸し返されると困るので適当に力説するが、バクラにはさらりと流される。誤魔化したのは事実だが、それでいて本心でもあるのだ。結婚を約束した女性が、可愛らしいエプロン一枚で出迎えてくれて、嬉しくない男はいないと思う。状況と相手によるという正論が全く頭に浮かばないほど、本田は裸エプロンの魅力を信じている。
だが、バクラにはいまいち伝わらないようだ。呆れたように言った後は、本田の肩を持ち上げて体を起こさせる。
「だからっ、バクラ、その……!?」
「そんだけ元気なら、もう食えるだろ。てめー、勝手に夏バテとか起こしてんじゃねえよ」
どうやら、食事をしたいらしい。もしバクラも一緒に食べるつもりだったならば、昼食よりおやつの時間に近くなっており、腹も減っているのだろう。
理屈としては分かっても、あっさり膝枕を終えられて本田は動揺する。なにより、ベッドをおりて台所に向かうバクラの後ろ姿ではちゃんと短パンとタンクトップが拝め、誤解したことが今更のように恥ずかしい。
「夏バテっていうか、まあ、ちょっと忙しかったし、寝不足だったから……。」
まさに夏バテとしか思えない言い訳をしつつ、本田も諦めてベッドから足を下ろし、腰掛けた。テーブルに置いたペットボトルに手を伸ばし、まだ残っていたスポーツドリンクをついでに飲み干す。
「ほんとに夏バテだったのか? てめー、それでちゃんと食えんのかよ」
深くため息をついていると、台所側からそんな声が聞こえた。空になったペットボトルをゴミ箱に投げれば、見事に入る。それに少し気を良くして、本田は返しておいた。
「まあ、せっかくバクラが用意してくれたんだし」
正直なところ、空腹をはっきりと認識できるほどではない。だが食事をすることを想像しても、気持ち悪くなるようなことはなかった。
食べられるなら、食べた方がいい。無意味に食事を抜くと、それだけ体力は落ちる。夏バテへの対処法を心の中で繰り返し、そう頷いたところで、バクラが台所から戻ってきた。
「用意したっていうか、用意させたんじゃねえか」
「……え?」
「ほんとに、これがそんなに食いたいのかよ、てめーは?」
そうめんの準備にしては、早すぎる。まず茹でるための湯を沸かさなければならないだろう。
だが確かに、ガスコンロをつける音も、冷蔵庫を開ける様子もなかった。なにかしているとは思っていたが、まさか、そんなご馳走を用意しているなど、夢にも思わなかったのだ。
「だいたい、これって後ろから見たら、相当間抜けな……?」
「ストップ!!」
やや肩越しに振り返るバクラの背中には、エプロンの紐しか見えない。真正面からはほぼ同じ格好でも、今は誤解した姿が正解になっている。首を傾げつつ、こちらの部屋に戻ってくるバクラを、本田は力強く止めた。それに、足を止めたもののバクラは変な顔をしている。
「なんでいきなり英語なんだよ、つか、やっぱ冷静になって目の当りにすると食う気なくしたか?」
エプロンの裾を少しつまみあげているが、短パンは見えない。恐らく、下着もつけていないのだろう。
そこまで想像が辿り着けば、もう本田は止めるしかない。敢えてバクラをそこに立たせたまま、本田がベッドから立ち上がり、歩み寄った。
「そうじゃねえよ、そんなことあるわけねえだろ」
「でもてめーは……おわっ!?」
「……言ったじゃねえか、男のロマンだって。せっかくだからそっちで食いてえんだよ、なあバクラ、フルコースで平らげていいんだよな?」
一歩この部屋に入ったところに立つバクラを、抱きしめ、抱え上げて台所に戻す。帰宅してすぐ、キスを深めていて高まりすぎて玄関でしたことはあっても、わざわざベッドから移動したことはない。正面から繋がりたがるバクラとでは、寝転がれる場所か、座るところがないと難しいためだ。
だが、今はそれよりもこの幸運を心行くまで味わいたかった。シンクの端に座らせれば、かなり冷たかったようでバクラは一瞬身を竦ませる。それでも本田に腕を回したまま、一度大きく息を吐いてから、ニヤリと笑ってくれた。
「ああ、召し上がれ?」
「……。」
普段であれば、バクラからの承諾を得た時点で、極端に視野が狭くなってがっついてしまう。そうならないように自制したのは、たっぷりとこの姿のバクラを堪能したかったからだ。
上半身を覆う部分は、豊満な胸を包みきれていない。胸元や脇から覗く輪郭と、透けて見える胸の形に、まずは手を伸ばしてみる。
「んっ……。」
「……。」
指先でエプロンの上から撫でれば、もどかしそうな声をバクラは漏らす。実際に、物足りないのだろう。直接触れるでもなく、しっかりと揉みしだくでもない。まるで撫でるだけかのような指先はくすぐったくもあるらしく、笑いそうになっているところで、急に先端を引っかく。
「んぁっ……!?」
「……。」
「……本田ぁ」
人差し指で擦るようにした後、親指で押し潰し、そこから両方の指で摘みあげる。期待してるのか、すぐに硬く勃ち上がったそれを転がすように弄るが、あくまで布越しだ。
「んんっ、んー……!!」
「バクラ……。」
不満そうに名を呼ぶ唇を塞ぎ、たっぷりと口内を舐めてから本田はやや姿勢を屈めた。混ぜたばかりの唾液を塗りこめるように、エプロンの上から弄っていた先端を舌で嬲る。片手はもう一方の先を苛め、反対の手は腰の後ろに回してシンクの端から倒れないように支えた。
相変わらずぬるい刺激にバクラは拗ねたような声は漏らすものの、次第に熱は篭り始める。濡れた布地はぴったりと肌に張り付き、色づいたそこを透けさせる。硬くなり、勃ち上がった形もはっきりと描き出しており、口内に含んで舌と歯でしっかりと愛撫してやった。
「んっ……ふ、あぁっ……!!」
強めに刺激をすれば、甘ったるい声を上げ、ビクビクと体を震わせる。感じ入った声色は、本田の情欲を容赦なく煽るのだ。
指で弄ってやっていたもう一方にも舌を這わせ、手を入れ替えて先に濡らしてやった乳首は布越しに指で苛めた。普段よりは弱い愛撫でも、バクラもちゃんと熱を上げていた。小刻みになっていく呼吸と、湿度を帯びた吐息。支えている腰が疼いているのは間違いなく、たっぷりと両方を可愛がってやってから本田は一度顔を上げた。
「……なんか、すげーいやらしいよな」
純白で、愛らしさを主張するエプロンは、胸を二箇所だけ濡らしてピンクに色づいた突起を透けさせている。しみじみと呟いた本田に対し、バクラの感性は一致しないようだ。
「そんなこと、真顔で言えるてめーのがすげえっての。こんなの、間抜け以外の何物でもないだろ」
「間抜けだと思ってんのに、バクラも興奮してんのか?」
「オレサマはこんなカッコで興奮なんざして……んぁっ!?」
布越しの分、まだ余裕があるのか、呆れたように言ってくるバクラの足の間にいきなり手を伸ばす。
もちろん、エプロンの上からだ。やや開かせて座らせていたので、布の上から触ることも苦ではない。散々弄っているのでほぼずれることもなく襞の上の突起へと触れた後、ぐりっと引っかくようにしてから更に下へと指を這わせた。
すると、クチュリといやらしい水音をさせた襞の奥は、殊更エプロンの布地を押し込めずともすぐに濡れてくる。とっくに愛液が溢れていた証拠だ。濡れて襞の形もはっきりと分かるようになったところを、布越しにくすぐりながら、本田は拗ねたような唇にキスをしてやる。
「んんっ……!!」
「……バクラだって、興奮してんだよな?」
「だからっ、オレサマは、そんなこと……!!」
「……オレが興奮してるのに、興奮してんだよな?」
性的な知識がなさ過ぎて、男女の差以上にこういう感性には開きがあるバクラだ。裸エプロンなど、そもそもしている女の方が興奮できるかは本田にも自信がない。
ただ、バクラが今興奮しているのは間違いなかった。濡れているそこも、もどかしさに尖らされた唇も、何もかもが早く本田と抱き合いたいとせがんでいる。
この格好はよほど理解に苦しむのか、いつになくバクラは頑固だ。だからこそ言い直してみれば、バクラはますます怒ったようだ。
「バクラ……?」
「……うるせえ、手ぇ離せ」
布越しに秘所へと触れる手を外させ、本田の背中に回していた自らの手も引いてしまう。不機嫌さいっぱいの言葉には焦っても不思議ではないが、このとき本田は慌てるようなことはなかった。拒んだようにも見えるバクラが、そうと望んでいるようには思えなかったからだろう。
唇を尖らせたままのバクラは、まずは片手でエプロンの肩紐を落とす。肘の辺りまでずれれば、布越しではない胸が露になる。更にエプロンの下側の裾を摘むと、自ら持ち上げて早く侵してほしいと震えるそこを見せつけた。
「……ちゃんと食べるって、言ったじゃねえかよ」
「バク、ラ……!?」
「朝起きたら、もう、てめーがいなくて。早く味わって欲しくて、ずっと据え膳になってたココ、いやらしく仕込んだてめーがちゃんと責任取れよっ、バカ」
言うだけ言うと、エプロンから手を離してバクラは再びギュッと抱きついてきた。その体は、のぼせていたはずの本田より、もう随分と熱い。
外れかけているエプロンごと、バクラを抱き上げ、シンクから廊下に下ろす。そして自分の腰を跨がせるようにして座ってから、まだ拗ねている唇をキスをした。
「んっ……!!」
「……メインディッシュは、ここで、な?」
最初は、この台所で繋がりたい。だがデザートは甘ったるくベッドに移動してまたしたいと言えば、一度で終わる気のない宣言に、バクラはやや驚く。夏バテによる疲労を心配していたのだろう。だがすっかり硬くなっている本田のモノに気がつけば、あながち嘘でもないと分かったらしい。
やっと嬉しそうに笑って、素直に舌も口内に招き入れてくれる。
「んんっ……ん、いっぱい、食べてくれよ?」
「……ああ」
はにかんで告げられたおねだりに、本田はもう興奮が増すばかりだ。
こんなにも可愛い新妻を、思う存分味わうことができる。
しかも本当にはまだ結婚していないので、いずれ籍を入れれば二度味わえるという幸福に浸りながら、極上の快楽に舌鼓を打った。
離れにある自室で、テーブルに置いたそうめんを囲む。
「でも、なんで急にそーめん?」
「器からこぼれるほどいっぺんに取るな、バカ犬」
「いや、ほんとは昼飯の予定だったんだけどよ、うっかり遅くなっちまって……。」
「なんで?……あっ、エッチしてたのか!?」
予想通りのことを叫ぶ城之内は、口から錦糸卵がこぼれたらしく、またバクラに怒られていた。
本田たちがようやく食事にありつけたのは、夕方になってからだ。そろそろ準備をするかとバクラが腰を上げたところで、携帯電話がメールの受信を告げる。どうやらバイトを終えた城之内が、仕事が早く終わりそうな海馬との待ち合わせで遊びに行きたいという内容のようだった。
だが生憎、バクラはマンションにはいない。会社からは遠回りになるが、そうめんを用意している。食うなら来いと返事をしてみれば、三十分もしないうちに城之内は現れ、こうして一緒に夕食を囲むことになった。
「あ、いやまあ、それはそうなんだけどよ……!?」
「……なんか、怪しいな。本田が素直に認めるなんてよ」
「え!?」
麺の量は余裕があったし、具材はそもそも多めに準備していたらしい。母屋から食器を借りてくるだけで出迎える準備はできたのだが、いざ食べ始めるとやたら鋭い城之内に本田は背筋が寒くなった。
確かに、セックスはしていた。だがそれだけが理由で、こんな時間まで食事ができなかったわけではない。城之内からのメールがバクラに届く前の一時間くらいは、本田はベッドで横になっていた。眠っていたのではなく、もちろんいやらしいことをしていたわけではない。純粋に療養を言い渡され、何の反論もできずに大人しくしていただけだ。
「なななななんでだよっ、オレが、バクラと、そういうことしてちゃいけないってのか!?」
「それにオレがどう答えるかなんて明らかなのに、わざわざきくのが怪しいっての。……なあバクラ、なんかあったの?」
「……!!」
「いいから、バカ犬、箸で持ち上げた分はさっさと食えよ」
めんつゆが零れてると、バクラはため息混じりに台ふきでテーブルを拭いていた。
どうやら言うつもりはないらしい。そうと察して、本田も安堵してそうめんを食べ始めた。城之内も、バクラに話す気がないと察したのか、単に食欲が勝ったのか、大人しく食事を再開する。
確かに、バクラもいちいち言いたくはないと思うのだ。裸エプロンでヤったところまでは、まだ、いいかもしれない。だがこの生活スペース側ではなく、台所側にはクーラーがない。間のドアを開けていれば、冷気が流れる程度である。
そのわずかな気温差が原因か、それとも単に興奮し過ぎたためかは分からないが、本田は本日二度目の鼻血を噴いた。しかも、それはバクラと繋がり、最初に中へと出した直後だ。
『……。』
『……。』
『……あ、あの、バクラ』
『分かった、もういい。てめーが大興奮だってのは分かったから、ちょっと上向いてろ』
さすがのバクラも、ボタボタと深紅の血液が真っ白なエプロンを染め上げていく様に、艶かしい気分は保てなかったらしい。深いため息で離れると、血塗れのエプロンは脱いで肌についた血もそれで拭う。廊下の隅に置いていた短パンなどを身につけてから、タオルを片手に再び処置してくれた。
ただ、呆れる気持ちは一度目よりよほど大きかったようだ。鼻血がなかなか止まらなかったこともあり、服を調えさせてからベッドで休むように命令される。もちろん、膝枕はしてくれない。それどころか部屋からも出て行ってしまったので、愛想を尽かされたかと随分と混乱したものだ。
「なあ、ところでバカ犬」
「んー?」
ちなみに、そのときバクラが向かったのは、隣の母屋である。血塗れになったエプロンを片手に持っていたので、母親たちは誰がどんな怪我をしたのかと、戦慄しただろう。
そこで、バクラは本田が最中に鼻血を噴いたと説明し、布についた血液を落とす方法を尋ねたらしい。
確かに、このエプロンで迎えられたら鼻血くらいは噴くに違いない。
変に納得した両親の根拠は聞きたくなどなかったが、結果的に、血液を落としきれなかったようだ。一見すれば、赤みはもうない。だが薄っすらとコーヒーでもこぼしたかのような茶色い枠が広がっており、純白という表現からは程遠くなっているだろう。
「こないだくれたエプロンだけどよ、あれ、ほんとにまだいっぱい余ってんのか?」
「ん? 余ってるけど?」
ちなみにそれは、この室内で干されている。本田が嫌な予感がしたときには、バクラはあっさりとそのエプロンを指差し、城之内に説明した。
「本田が鼻血噴いちまって、洗っても汚れが落ちきらねえんだよ」
「バクラッ、お前、それ言わないつもりだったんじゃ……!?」
「あー、本田にはあのエプロン、刺激強すぎたのか。定番とか好きそうだしな、裸エプロンとか土下座してても頼みそうだよな」
「土下座まではしてねえよっ、今回は……!!」
恋人のあまりに情けない失態に、城之内相手でも話すつもりはないと思ったのが、間違いだったようだ。思わず声を荒げれば、横からバクラが軽く頬を叩いてくる。
「あんまり興奮すんな、また鼻血噴くだろ」
「……。」
さすがに一日で三度は噴かねえよと言いかけたが、一度出すと鼻の粘膜が弱くなって出やすくなると聞いたこともある。ぐっと堪えた本田に、バクラはヨシヨシと頭を撫でてからチュッと頬にキスをしてきた。
鼻血を噴かないように興奮するなと窘めるのであれば、随分と逆効果だ。そう指摘したいが、これもぐっと堪えた。バクラの手で上手く転がされているようで、なんとなく悔しい。
「で、バカ犬。まだ余っててて、マジでいらねえんなら、もう一つくれねえか」
押し黙っていると、バクラがそんなふうに城之内に尋ねる。混乱していたので気がつくのがやや遅れたが、そういう提案は珍しい。最初の一着は、まず間違いなく、城之内が押し付けただけだろう。それが駄目になったからといって、バクラが更に欲しがることは考えにくい。仮に欲しくなれば、城之内の手を煩わせることなく、自分で買いそうだ。
そもそもは、城之内に着てほしいと海馬が贈ったものなのである。それを横取りというか、下取りに出させようという真意は、しばらく不思議そうにしていた城之内の言葉からも明らかだ。
「有り余ってるしオレ着ねえからいいけど、なんで? 本田が鼻血噴くような厄介なもの、いらなくね?」
「鼻血噴くほど煽れるって分かったんだから、着ねえ手はねえだろ? まあ、毎回血塗れにされても困るし、次からは鼻血は抑えさせるけどよ」
「……そうかっ、そんなにか!!」
城之内としては、物をもらうこと自体に抵抗があるし、着ないことで服が可哀想という意識もあるのだろう。お屋敷のクローゼットで眠らせておくよりは、誰かに着てもらった方がいい。そんな意志でバクラにも渡したのだろうが、予想以上の効果に、ようやく気がついたらしい。
「ありがとうっ、バクラ!! オレも今度海馬のヤローを誘惑してみる!!」
「クーラーの温度には気をつけろよ、意外と背中は寒い」
「……あの、バクラ、お前実は寒かったのか? わ、悪いっ!?」
「そうだっ、今度屋敷に来いよ!? いろんなエプロン、ほんとマジいっぱいあって、バクラが欲しいの選んで持って行っていいから!?」
バクラとしては、本当にもらう気は薄く、仮に二着目を手にすることになっても城之内が最もいらないものでいいと考えていたに違いない。だがやけに意気込んでいる城之内は、そんなことを提案する。
「いや、あの、城之内、そこまでしてくれなくても……?」
「なんでだよっ、本田にも悪い話じゃないだろ!?」
海馬との仲が、また深まりますように。
その程度の要求が、大きな話になりそうでバクラはやや戸惑っている。だからこそ、恋人として察し、今日は格好悪いところばかり見せているので挽回したい気持ちもあって口を挟んだが、何故か城之内から変な同意を求められた。
「いや、オレはエプロンくらい買ってやれるっていうか、あのエプロンでも充分ていうか……?」
「そうじゃなくて、エプロン以外もいっぱいあんの!!」
「……。」
「海馬のヤロー、オレにいろいろ着せたいみたいなんだけどよ。一回勝手にアパートに送りつけてきたことがあって、量が多くて邪魔すぎるって怒ったら、屋敷に専用の部屋まで作っちまってよ。そしたらクローゼットもアホみたいにでかいから、物凄い量を集めてんのっ」
「……いや、あの、それは、たとえば」
「頭痛えからオレもちゃんと見てねえけど、ナースっぽいのとか、あと浴衣とかも一式あったな」
「……。」
「どうせオレが着ないってのも分かってるみてえで、バクラとかにあげてもいいっていつも言ってるし。だから、好きなの選びに来いよ? そんで、バクラに着せてみて、鼻血のレベルを教えてくれればオレは満足だぜ!!」
執着がある者に対しては心が狭い海馬なので、純粋にお友達にも服を恵んでやるつもりはない。むしろ、今回のように主にバクラに流れ、性的なことに結びつく実績を知り、城之内が意気込むことを狙っているのではないだろうか。
そうであれば、なかなかの策士だ。
そして、その恋人である城之内も、実に巧妙だ。
「……城之内、その話、乗らせてもらうぜ」
かつて利害の一致したバクラと海馬は握手をしていたが、自分たちにそれは似合わない。軽くテーブルで身を乗り出し、肘を曲げて右手を出せば、同じように身を乗り出した城之内がガッと腕を絡ませた。
「そうだろ、生涯童貞の本田なら分かってくれると思ってたぜ!!」
「いやだからオレは体は童貞じゃねえっていうか……!?」
「……ハイハイハイハイ、てめーら、勝手に話進めんな。さっさと離れろ、そんでメシ食え」
すると、横からバクラが割って入り、城之内と組んだ腕を外させる。
勢いとはいえ、かつてのように城之内と接触するような真似は、不安がらせたのかもしれない。同じことを城之内も察しただろうが、素直に手を引っ込めて座り直すと、先にそうめんを食べ始めている。だがまだ不安が残っていた本田は、箸を伸ばす前に尋ねてみた。
「……なあ、海馬の屋敷に遊びには行くよな?」
実際にもらうかは別として、そういう衣裳部屋があるのであれば、城之内が嬉々としてバクラに着せてくれることは容易に想像がつく。それを拝めるだけでも、心底嬉しい。つい念を押した本田には、バクラはあからさまにため息をついていた。
「……デザートも食えねえようなヤツが、なに言ってんだよ」
「……。」
「デザートって? そうめんの後に、なんか用意してんの?」
「こっちの話だ」
そもそも、台所でしたのはメインディッシュで、デザートとしてベッドで更にヤると宣言していたのだ。
あまり機嫌が良くなさそうに見えるのは、単純に物足りないかららしい。いきなり思いもよらないところから返されてしまい、本田は横に座るバクラへとテーブルの下でそっと手を伸ばした。
「……後で、ちゃんと食べてやっから?」
「んっ……絶対だぞ?」
「なあなあ、デザートってなんだよ? 明らかにいやらしい意味だよな!?」
短パンから覗く膝を撫でれば、少し驚いたように息を飲んだバクラが、嬉しそうに笑った。
やけに興奮して追及したがる城之内には、何故かめんつゆに薬味ばかりを投入する。苦いと暴れる城之内を、それが大人の味だと唆しているバクラは、薬味など一切入れてない。なにしろ、生まれ直してまだ一年と少し、子供な部分も多いのだ。
ふと見上げた先には、洗濯されたエプロンが干してある。
あれを着せたとき、新妻だと思った。
「……でも、どっちかと言えば、幼な妻だったよなあ」
「本田、お前……。」
「てめー、なにしみじみ言ってんだよ、バカ」
口に出しているとは気づかないでいると、呆れた二人が何故かめんつゆに薬味を入れてきた。
生憎、二人と違って本田は割りと苦味も好きだ。だがそれにも限度というものがある。これは蕎麦でもないのだ。さすがに、口に入れる前にもう目にしみそうなほど山葵を入れるのは勘弁してほしいと思っていても、城之内は珍しく感心してくれるし、バクラは横から溢れる涙を拭いてくれる。夏バテの食欲不振のことなど忘れるほど食事も進んだが、少し胃が痛くなった真夏のある日だった。
ちなみに、数日後に本田とバクラは本当に海馬の屋敷に招かれることになった。城之内の提案ではあるが、海馬も是非にと誘ったらしい。
それだけで、胡散臭さは増す。どんな八つ当たりが待ち構えているのかと戦々恐々として出向いた本田は、まずは腹ごしらえをと案内された食堂で、悠然と聳え立つ青眼の白龍の像を目の当りにした。ただの像ではない、その口からそうめんが流れてくるのだ。
そうか、こっちか。
海馬のプライドを触発したのは、そうめんパーティーの方だったらしい。どちらがより多く薬味を入れても泣かずに食べられるか勝負を挑まれ、本田は開始前から既にまた胃が痛くなる。だがバクラは勝手に勝負を受けるし、海馬は無駄に目の敵にしている。おそらく、あの夜に本田がかなりの薬味を入れてもそうめんを食べることが出来たのを、城之内が海馬に対して絶賛したのだろう。
つくづく、厄介な悪友である。
負けることは分かっていたが、変に張り合って泣きそうなのを必死に堪えている海馬などという空恐ろしいものを降臨させたくもない。どこで、ちょうどよく負けてみせるのか。そこにばかり気が取られていた本田は、まず青眼の白龍の口から発射されるそうめんの勢いが早すぎて、取ることができないと気づくのが遅れた。更に、樋に突き立ててみても箸が砕かれるという恐怖に、薬味を口にせずとも涙が溢れたものだった。
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