■凶暴ハニー
「よお、ニーチャン。両手に花たぁ、羨ましい限りじゃねえか」
「……。」
卑しい笑みでそう声をかけてきた人相の悪い男に、本田は一瞬で顔をしかめる。
絡まれているのだということぐらいは、さすがに分かっている。
だが、この町にまだこんな勇者、あるいは珍獣がいたのか。
すかさず伸ばした両手で押さえたのは、男が『花』と評した両側の女性だ。右側にいた金髪には後ろ襟を掴み、左側にいた銀髪には腰を抱きこむようにして腕を回す。
「一人ぐれえ回してくれたって……グハァッ!!」
「……死にたくなかったらとっとと失せろよ」
両腕が使えないため、仕方なく本田は男の無駄な提案中に容赦なく足を蹴りだしておいた。
どうやら先に攻撃されると思っていなかったらしい男は、もろに腹に食らってもんどりを打って倒れこんでいる。恐らく、最初に声をかけられたときに本田が怯えているように見えたので警戒していなかったのだろう。確かに顔をしかめたし、怯えたのも間違いではない。だがその対象は今も両側でひどく愉しそうに殺気立っている二人の『花』であり、案じたのはこの男の悲惨な運命だ。
男が下品な声をかけたとき、右からはぐっと拳を握る気配がした。先手必勝、一撃必殺。喧嘩はとにかく先に殴った方が有利だ。補導されてからのことを考慮しないならば、正論である。それを恐ろしいまでの正確さで実践してくれるクラスメートは、見た目だけならば可愛い女子高生かもしれない。だがかつて『狂犬』という二つ名で呼ばれたという事実を知っていれば、この命知らずの男も声をかけるなどということは躊躇ってくれていただろう。
「て、てめぇ、いい度胸してんじゃねえかっ!? ぶっ殺すぞ!?」
不幸なことに、両手で二人の『花』を拘束している状態では、やはり蹴りも甘くなってしまったらしい。背中からきれいに落ちたのに怒鳴りながら立ち上がってきた男の手には、ナイフが握られている。
これはまずいことになった。
もちろん、危険が増したのだ。だがそれはこの男の方だ。
左手を腰に回して止めている体は、こちらに戻ってきたばかりで大して鍛えられてはいない。だが三千年前の血生臭い闘争本能はそのままで、単純な持久力と筋力こそ劣っていても、技と豪胆さに精彩を欠くことはない。完全なる武闘派だ。本田たちとも違う本物の殺意を全く悟らせずに凶暴さを撒き散らせる姿は、ある意味においては美しいが、恋人としてあまり拝みたくない。
「クソガキがぁっ、舐めてんじゃ……カハッ!!」
「頼むからもう黙ってくれ」
このままじゃアンタが殺されちまう、と精一杯の思いやりで、本田は両手を放して正面から突っ込み、ナイフを持つ相手の腕を避けて肘を顔面へと叩き込んだ。同時にナイフを持つ手首もつかみ、軽く捻って刃物は落とさせておく。
アスファルトに金属が落ちた音が響く頃には、今度こそ男の意識も落ちており、ずるずると崩れる体に本田は心から安堵した。
よかった、これで人死にだけは避けることができた。
路地裏でもないので、放置してもそのうち誰かが通報してくれるだろう。そう考え、男から手を放して振り返ると、先ほどまで両手で止めていた『花』がそれぞれ違った反応をしてくれる。
「おーおーっ、本田、なんか早えな!! お前いっつもギリギリまで殴るの躊躇ってたのに、なんだよぅ、やっぱバクラが絡まれたら黙っちゃいられねえってか!?」
「……前はお前が殴るのが早すぎたんだろうが、城之内」
意外にも不満を見せることなく、腰に両手を当ててからかってくるのは、右手側にいた金髪の『花』、城之内だ。高校生になり、喧嘩っ早さはだいぶなりを潜めているが、決して牙が抜け落ちたわけではない。積極的に喧嘩を買わないだけで、絡まれれば当然反撃する、むしろ正当防衛とばかりに暴れがちだ。まだ親友の遊戯がいれば耐える時間も長いのだが、怪我をするくらいなら身を守るために戦えという傍迷惑な教えをしてくださる恋人サマのおかげか、相変わらず血の気は多い。
だが、本田が本当に心配していたのは城之内ではない。城之内はあくまで危害が及びそうになれば、その拳や強靭な足で反撃をするだけだ。基本的には逃げて喧嘩を避けてもくれる。だがもう一人、本田の左側に立っていた銀髪の『花』、バクラは小さな火種を大きく血の花へと咲かせるのが最早趣味なのだ。
「……バクラ、お前、それは」
「さっさと沈めてんじゃねえよっ、せっかく試し撃ちの機会が巡ってきたってのに。相手が刃物出したら、撃ち殺しても死体始末してくれるって言ってたぜ?」
「それは誘拐とか暗殺とかそういうのを想定してのことだろ!?」
町のチンピラごときに物騒なものを出すなと叫んでしまう本田に、バクラはニヤニヤ笑いながら引き金部分に人差し指を入れて黒光りする銃器をくるくると回していた。そんなことをすれば、誤って弾が発射されることはないのだろうか。にわかに心配になってくる本田に対し、バクラは相変わらずだ。
「腕くれえは折ったのかよ?」
「……いや、たぶん捻挫程度だと思うけどよ」
「なんでぇ、甘いな!! バカ犬狙ったんだから、二度とそんな気起こせねえようにそんぐらいの制裁しとかねえと、ダンナさんが黙っちゃいねえぜ?」
呆れたように言うバクラは、自らも狙われたという意識は本当にないのだろう。腕は折っていないが、肘をめり込ませた鼻は折れているかもしれないと言ってみようかと思ったが、それでも甘いと言われそうだったので本田はため息で流しておいた。
そもそも、城之内の恋人、海馬がこの事態をより悪化させている。確かに海馬は有名人であり、その恋人である城之内も警護の対象となる。だが終始ボディーガードを連れ歩くことを城之内は良しとしない。童実野町内であれば比較的安全ではあるが、かといって全くの無防備というわけにもいかない。
そこで目をつけたのが、城之内と比較的仲がよく、当人の面倒見のよさも評価しているらしいバクラだ。女同士なので、男の警護ではやりにくいところもカバーできるのも魅力的だったらしい。バイトとして誘われたとき、バクラは最初こそ渋っていた。金を対価に雇われずとも、必要があれば守るつもりがあったからだろう。
だが結果的に海馬からの提案を受け入れたのは、武器や訓練施設の提供があったからだ。ついでに生活費として戸籍上双子の姉となっている獏良に現金を渡せることも利点だったようで、今ではすっかり板についているが、さすがに堂々と銃器を抜かれると驚く。
「お前が報告しなきゃ大丈夫だろ、というか、早くそれ仕舞えって……!!」
「ああ?」
あの海馬コーポレーションで、あの海馬瀬人の命を受けて、城之内を守るための訓練を受けているのだ。
当然銃器も提供されていることは知っていたが、なんとかに刃物どころではない。全く人通りがないわけではないので、見られてまずいものには違いないのだ。いくらこの町の住人が海馬の奇行に慣れていても、一応は持っているだけで法律に違反するものである。そんなことを説かなければならない億劫さをまた認識しつつ、本田が必死で訴えてみれば、バクラは回していた銃のグリップを掴んだ。
「なに慌ててんだよ、オモチャだっての、オ・モ・チャ」
「……。」
「なあバクラ、それって本物じゃねえんだ? ただの威嚇用?」
流れるような動作で銃を構え、こちらへ向けたところでバンと口で発射音を真似たバクラは、どこまでも楽しそうだ。横にいる城之内は不思議そうにしているが、まず偽物ということはない。バクラの言葉が嘘でないとするならば、拳銃すらバクラにとっては玩具も同然という意味だろう。
「バカ犬は触んじゃねえぞ? 怪我でもしたら面倒だからな」
「え、でもそれ玩具なんだろ?」
案の定、隣から手を伸ばしてきた城之内にはそう言って釘を刺し、バクラは制服のシャツをめくって腰からスカートの中へと銃を戻していた。当初は太腿に括ろうとしたらしいが、スカートが短すぎて隠せなかったらしい。てめーも触れなくなるのは嫌だろ、と恩着せがましく言われたが、そういう問題ではない。いや、触りたくなるのは事実だが、かといっていつも腰に銃を差して携帯されていても困る。
「……まあ、とにかく。二人が無事ならそれでよかった」
特に何があったわけでもないが、絡まれたのは事実である。いかに二人が凶暴で、おそらく自分より強かったとしても、守ってあげたい女の子ではあるのだ。口にすれば両者から手荒い非難を受けることは分かっていたので賢明にも黙った本田に、城之内は相変わらず胸を張っていた。
「心配されるほど落ち潰れてねえっての!!」
「でも暴れると海馬が怒るだろ、喧嘩買うのはいつも最終手段て言われるだろ? だったら大人しくしといてくれよ、頼むから」
「うっ……まあ、それは、仕方ねえよなっ。海馬って過保護だし……。」
城之内には、海馬の名前さえ出しておけば騙せることはできる。甚だ不本意ではあるが、ここは虎どころか龍の威を借りておくしかない。
だがもう一方、自分の恋人の方は別だ。暴れ足りないと不機嫌になることも覚悟していたが、意外にもさして気にしていないようだ。
「無事に決まってんだろ、オレサマが撃つ前にてめーがさっさと沈めちまったんだから」
「あ、ああ……?」
「本田、ありがとな?」
右手を差し出してきたバクラに、本田は警戒しつつも手を重ねる。だが普通に握り返してきたバクラは、道路に倒れている男を踏みつけながら歩き出す。それに合わせて足を進めつつも、本田はつい尋ねてしまった。
「なあ、怒ってないのか?」
反対側では、ずるいずるいオレも海馬と手繋ぎたい!! と城之内が叫んでいるが、どうせすぐ静かになるので無視しておく。すると、バクラは一瞬怪訝そうにした後、横からニヤリと笑って答えてくれた。
「まあ、暴れ損ねたってのはあるけどよ?……オレサマ、てめーに守られるのは結構嫌いじゃないぜ?」
「……そっか」
三千年前は、たった一人で王国に喧嘩を売った盗賊王だ。
その魂に、守ることを許容してもらえるということが、どれほどの僥倖かはもう知っている。つい握る手に力を込めれば、バクラからは笑みを返され、城之内からはずるいと蹴られた。
そんなことがあった夏の日も、特に何か三人で出かけていたということではない。放課後となり、いつものメンバーで下校した。一人また一人と別れて人数が減っていくと、この三人となっただけだ。
「なあ、さっきの話だけどよ」
「んあ?」
本田とバクラに関しては、そういう仲だと認知されているので自然と周りが気を使ってくれた結果だ。城之内はバイトがない日はできるだけ家に帰りたがらないのは、昔からである。いくら父親が落ち着いても、根本的に実家では寛げないのだろう。
傍目にはカップルを無粋に邪魔しているように見えるのかもしれないが、バクラとの仲を良さを考えれば、むしろ自分が邪魔者ではないかと思うことが本田はよくある。今もファーストフード店で道路に面したカウンターテーブルに陣取っているが、真ん中に座っているバクラが話しかけたのは城之内の方だった。
「つか、てめー、ソースついてるっての」
「んー……で、さっきのって、なに?」
ハンバーガーにかぶりついていた城之内の口の端についてたソースを、バクラはごく自然と紙ナプキンで拭いている。されるがままの城之内もどうかと思うが、これを見て保護者だと感心した海馬も大概だろう。透明なガラスの壁から往来を眺めていると、横からは思わぬ話題が聞こえてきた。
「絡んできた男、気絶させた後。てめーが言ってただろ?」
「なんか言ったっけ?」
「本田が殴るのが遅いとか」
首を傾げている城之内は、誤魔化しているのではない。本当にすっかり忘れていたのだ。誓って言えるが、城之内の嫌味かも微妙な言葉は、大抵は頭を通していない。素で覚えていなかった城之内も、バクラの言葉でやっと思い出したようだ。
「ああっ、あれな!! いや、そのままだぜ? 本田って、昔から、絡まれてもギリギリまで手を出さないっていうか、先に一発もらってから殴り返すっていうか」
「……そうなのか?」
少し意外そうに肩越しの視線を向けられるが、なんとなく居心地が悪い。
バクラは、とにかく先に攻撃しなければ殺されるという、極限の状態で戦っていた意識が染み付いているので、理解しにくいだろう。加えて、こうして二人で、あるいは三人で行動するようになってから、ああいった絡まれ方をした場合はとにかく本田は率先して相手を沈める。それは第一に相手の生命のためであり、裏を返せばこの二人に怪我をさせたくないからだ。
「先に殴らせた方が、正当防衛になって印象が多少よくなるんだよ」
「……て、本田は言ってるけどよ、バカ犬はどうなんだ?」
「そんなの、先に殴られましたって後から言い張ればいいだけだろ。徹底的に潰しゃあ、相手だってこっちの不利になるようなこと言えねえっての」
理屈としては分かる、だが実践できていた城之内が恐ろしい。
中学時代はまださほど体格も女性的ではなく、最初は本当に男かと思っていた。だが声変わり前というわけではなかった声を滅多に発することすらなく、恐ろしいほど冷たい拳を振るっていた。酒や煙草、薬やセックスにも耽ることはなく、ただひたすら城之内は喧嘩だけに明け暮れる。女に倒されたとあれば、余計にしつこくなっていく連中は二種類いたが、そのどちらも城之内は冷酷な力だけで捻じ伏せていた。
その片鱗を垣間見せた城之内に、他の者ならば怯えたかもしれない。だが話を聞いたバクラの感想は、簡単に殺せねえってのは面倒なんだな、というもので、そちらの方が本田はずっと怖かった。
「で、それがどうしたんだ? ああ、そうだなあ、今の方が思いきりがいいからか、本田もずっと強く速くなってる気がするぜ?」
だがさり気ない城之内の言葉には、本田も軽く目を瞠った。単純褒められて嬉しかっただけではない。比較できるということは、あの頃、何もかもつまらなそうにただ前だけを見据えて拳を振るっていた城之内は、その後ろで必死に斃れることだけは阻止しようとしていた自分をちゃんと見ていたのだろうか。
「やっぱ、愛する女のためだと違うんだろうな!! 妬けるなあっ、バクラ!?」
「……てめーも守られてはいるって分かってての発言か?」
「なに、まだオレのこと疑ってんの? 本田はお前のことだけ好きだって、愛してるって、あんまり嫉妬深いと本田に見放されるぜ?」
城之内にすればいつものからかいだったのだろうが、うっかり感動しかけたのがばれたのか、やたらバクラは怪訝そうだ。それをまた城之内が遠慮なく煽るので、本田は店にあまり客がいないことを確認してからバクラへと両手を伸ばした。
「オレはバクラだけだから、安心しろよ、な?」
「……まあ、いいけどよ」
「ほんっと、バクラって、そーゆートコ可愛いよな」
「うるせえな、ダンナとじゃれてるときのバカ犬ほどじゃねえよ」
カウンター席のため椅子は動かせず、仕方なく肩をつかんでやや回すようにしてから、本田はバクラを後ろから抱きしめた。店舗に効いた冷房でほどよく冷やされた体は、腕を回しているうちにすぐに穏やかな気配へとなっていく。城之内はまたからかっているが、返すバクラにも余裕がある。確かに可愛いと心の中だけで頷いていると、飲み物へと手を伸ばしながらバクラは続けていた。
「けどよ……バカ犬は、なんで荒れてたんだ?」
「へ?」
そういうことは、こんなふうにさらりと尋ねる話題だろうか。大体分かるだろうと本田はつい緊張するが、城之内は面食らっただけで気を悪くした様子はない。
「あー……あれかな、やっぱ親父が一番荒れてた時期で。家にいたくなかったら、自然と?」
「そんなものか。まあ、てめーが反撃できねえ父親が暴れる家より、外の方がずっと安全だったかもな」
よかったよかったと城之内の頭を撫でてやっているバクラは、やはり感性が少しおかしい。だからといって外で他の者を殴っていてはいけないだろうという、当たり前の倫理観が出てこない。全く気がつきもしないのか、あるいは一般的な考えとしては理解していても城之内が無事であることの方が大切なだけなのか。どちらにしても、さらりと褒められた城之内は随分と変な顔をしている。外を選ぶことを認めてくれると思われる海馬ですら、恐らくは公的施設を頼るべきだったとか、道を外れない方向での苦言は呈したはずだ。
結果的に無事だったのだからよかったというものではない。
そう考えるのが海馬であり、たとえ結果的に無事ですまなかったとしても、目の前の危機を回避するのを優先すべきと考えるのがバクラだ。男女の差ではなく、常に生死の境を走り抜けてきたからこその賛同だろう。
それが城之内にも分かったのか、頭を撫でているバクラの手を取ると、ギュッと握り返している。
「バカ犬?」
「なあ、ほんとはオレのことじゃなくて、本田の理由が聞きてえんじゃねえの?」
「……。」
「えっ、あ、オレか……!?」
拗ねたように黙ったバクラは、城之内の理由も興味はあったはずだ。だがこの反応を見れば、自惚れではなく、こちらも聞きたいらしいと察してしまう。
そうなると、本田は焦った。城之内のように分かりやすく納得させられそうな理由がすぐに思いつけない。
「……てめーは、なんか理由があったのか?」
「ああ、いや、そうだな……!!」
ついでにいまだ腕の中にいるバクラに肩越しに視線を向けられると、本田はますます焦り、取り敢えず口にしてみることにした。
「ほら、あれだ、思春期の社会に対する鬱積した苛立ちとかをだな……!?」
「嘘くせえ」
「本田なんかいまだに思春期全開じゃねえかっ」
「おいこら城之内それどういう意味だよ、ていうか、ああ、じゃあ、なんだろ、悪ぶってるのが格好よく見える時期ってあるだろ? それだっ」
ニヤニヤしている城之内には、なんとなく嫌な予感がする。だがそれ以上に、明らかに誤魔化していると分かるためか、バクラの機嫌がどんどん下降していくのが不安でたまらなかった。
城之内はバクラを嫉妬深いと評したが、実際はただの寂しがり屋だ。拗ねると凶暴な言動に出るだけで、本音では恋人である本田のことは何でも知りたいという可愛い欲求にすぎない。
「いや、だから、その……積極的に、そっちに行くつもりじゃなかったんだけどよ。一回教室で派手な喧嘩しちまって、なんかこう、周りとも距離が出来て、それで、気がついたらずるずると……。」
仕方なく、本田は話すつもりのなかったきっかけをそう話していた。
今思い返しても、実に情けない。大した覚悟もなく、単に居づらいからと逃げ続けた先で、やっとつるんでくれる連中を見つけられたのが素行の悪いグループだったというだけなのだ。そのため、途中で城之内に出会わなければ落ちるところまで落ちたかもしれないと、本田は今でも恐怖することがある。喧嘩そのものより鮮烈で目が離せない対象を見つけたからこそ、本田はまるでヒーローに憧れる子供のように他の些細な悪事からは手を引いた。
守ってあげたいお姫様と思えたならば、今もこうして城之内とつるむことはなかっただろう。ただ、あまりに強すぎて、それなのに孤高すぎて、一歩引いて見守りたくなった。倒れることなく戦い抜いて欲しいと、そしていつか心も体も休まる安住の地を見つけてほしいと、ずっと願っていた。
最初に城之内が人として落ち着いたのは、高校に入って遊戯と出会ってからだ。だがまさか女として落ち着く先が、あのカードの奇行師と名高い海馬だとまでは予想していなかったが、傍からもとても似合いのカップルなのでなるべくしてこうなったのだろうと思っている。
「……派手な喧嘩?」
「あ、ああ……?」
しみじみとそんなことを考えていた本田は、怪訝そうに聞き返されてドキリと胸が跳ね上がる。
実を言えば、この経緯はさほど話すことに抵抗はない。自慢できる逸話ではないが、ありがちなきっかけでもあるからだ。だが腕の中で振り返ってくるバクラに戸惑っていると、その向こうから人の悪い声が更に追い討ちをかけた。
「オレ、知ってる」
「……!?」
「なんだ、バカ犬は喧嘩の原因聞いたのか?」
「聞いたっていうか、オレ居たし。本田は全然覚えてねえみたいだけど、オレ、あの日、たまたま中学校に行ってたんだよなあっ」
その言葉には、ザッと青褪めた。
本田は教室で喧嘩をする羽目になった一年生のとき、確かに城之内とクラスが一緒だった。だが中学に入学した当初から城之内はほとんど登校していなかったので、当時はまともに顔を知らなかった。そのため、言葉のとおりたまたま登校していたのであれば、本田も気がつけなかった可能性が高い。
「城之内、お前……!?」
「まあでも、あれは相手が悪かったと思うぜ? 本田は悪くねえ、生まれつきのことをどうこう言ってからかうのって、サイテーだしなっ」
「何があったんだ?」
しかも、ニヤニヤと笑う城之内の言葉で、本当に知っているのだと本田は確信した。
不思議そうにバクラが尋ねているのは、口では道徳的なことを言っている城之内が、小馬鹿にするように笑っているからだろう。
実際に、笑われてもしょうがないことだとは思う。あんなからかいで爆発し、もしもっと悪いところまで落ちてしまっていたら目も当てられない。そうと自覚しているからこそ、情けなくてたまらなくなってくる本田に、城之内はチラリと視線を向けてきた。
「……教えていいのか?」
「……。」
「いいって、聞かせろよ? 場合によっちゃあ、今からでもオレサマが仇討ってやるぞ?」
葛藤から黙っている間に、勝手に返事をしたバクラは淡々と腰に片手を当てている。シャツの下にあるのは、先ほどと玩具だと言っていたものだ。相変わらず物騒な恋人に動揺がまた増すが、それは城之内が止めてくれていた。
「仇とかはいいって、そもそも本田が机投げて大怪我したみてえだし」
「ああ、そうなのか」
「……いや、そこまでの怪我じゃねえぞ、お前らが考えてるレベルじゃねえぞ」
「しかも、それ以来すげー大人しくなったって感謝されてたらしいぜ? なんか、落ち着かねえ小学校の悪ガキみてえなヤツだったしな、本田じゃなくてもいつか誰かがキレてたと思うって、後から聞いた」
童実野高校に無事に入学できているということは、中学三年生の頃に本田と城之内は一応の更正をして受験勉強をしている。その際に、城之内は杏子のようなタイプの女子の数人に勉強を教えてもらい、少しだけ仲良くしていたのだ。本田は覚えていないが、その中に一年生のときクラスメートだった者もいたのだろう。
今更のように、あのときの行為を周りがどう見ていたのかを聞かされ、動揺しないわけではない。言葉が本心であれば、もしかするとそれほど遠巻きにされていたわけではないのかもしれない。だが、二年も経ってから振り返れたことなのかもしれないし、城之内に対して気を遣っただけなのかもしれない。どちらにしても、あのとき苛立ちが頂点に達して机を投げたことが今に繋がっているのだと思えば、しなければよかったとは言えなかった。
「で、結局原因はなんだったんだよ?」
少し感慨深くなっていると、バクラはまた蒸し返している。どうやら、一度気になってしまうと知りたくて仕方ないらしい。
正直、もったいぶるほどのことではない。だがあまりにくだらなさ過ぎて、知ったときのバクラの呆れ具合を想像するのがつらいだけだ。
「まあ、大したことじゃねえんだけどよ。なあバクラ、イニシャルって分かるか?」
「バカにすんなっての、それぐらいは知ってる」
本田が深く項垂れたことで、もう隠してはおけないという覚悟を見抜いたのだろう。そんな切り出しで、城之内は本当に知っていたのだと本田は痛感した。
「たとえばオレ、城之内克也だと、K・J、まあ今だと逆でもいいみてえだけど」
「だから、それは知ってるっての」
「なあ、だったら本田は?」
「ハ? そりゃあ、本田ヒロト、なんだから……?」
当然のように導き出された答えに、バクラは一瞬口篭る。
そして振り返ってきた目は、やはり『くだらねえ』と物語っていた。
「だから言っただろっ、小学生の悪ガキみてえなヤツだったって!? バカだよなあっ、いい気になってからかってたんだろうなあっ、そんで本田に机投げられてりゃ世話ないよな!!」
「というか、ほんとに、そんなことで……?」
「……中学一年だぞ、十三歳だったんだぞ。多感な時期だったんだっての、ああくそっ、自分でもバカだったって分かってんだから笑えよ!?」
「あははははははは!!」
「城之内はなんかムカツクから笑うな!!」
いまだにイニシャルの話題になると微妙な気持ちになってしまうのは、エイチが二つ並ぶことそのものではなく、過去の所業があまりに情けないからだ。だが笑うなと怒鳴ったものの、正面から笑い飛ばされると何故か逆にすっきりもしてくる。
「別にいいじゃねえかっ、それでハブられて、オレと知り合えたんだろ?」
「ハブられたわけじゃねえよ、進んで孤立していってやったんだよ、というか、もう別にいいだろうが……!!」
しかもあっさりと城之内本人に言われれば、わだかまりのようなものが瓦解していくのが悔しい。少し気持ちが浮上しかけたところで、しばらく呆気に取られていたらしいバクラが、両手を重ねてきた。
「……!?」
「そんなにキレねえでもいいのに、なあ? 名は体を現すって言うじゃねえか」
「あっ、あの、いや、バクラ、それは……!?」
「そうだよな、本田って結構スケベだし。多感な時期だったて言うけど、今も変わんねえよな」
「変わるだろっ、変わってるだろ!? 少なくとももう机は投げねえよっ、というか、だからバクラ、お前、こんなとこで……!?」
後ろから回していた手を取ったバクラは、一方を胸へ、もう一方を内腿へと導く。もちろん服の上からだが、柔らかい感触には昨夜も貪った熱を思い出し、本田は顔を真っ赤にしてしまった。
押し当てられているだけで、もちろん外そうと思えば外せる。だがつい勿体無いと思ってしまう自分は、スケベと言われるのも仕方ないのかもしれない。そんな謙虚さに本田が震えていると、やがてバクラは手を離し、ぐるりと椅子を回して振り返ってきていた。
「まあ、敵討ちは我慢しといてやる」
「あ、ああ……?」
「そうして机投げてなけりゃあ、バカ犬とつるむこともなくて、高校で遊戯と知り合うこともなくて、オレサマとこうしてなかったんだろうしな?」
いい投擲だった、と見てもいないのに褒めてくれたバクラは、チュッと触れるだけのキスを贈ってくれた。
ここは街中のファーストフード店で、少ないとはいえ他の客もいる。道路に面したカウンター席は透明なガラスの向こうには、仕事帰りのサラリーマンなども行き来しているのだ。出会えたことを喜ぶ心情を惜しげもなく言葉に表し、表情へと乗せ、態度でも示してくれたバクラに見惚れてしまったが、我に返れば恥ずかしさしか沸いてこない。
「いいなあっ、オレも海馬とちゅーしたい!!」
「ダンナの仕事、まだ忙しいのか?」
照れるでもなく間近から観察して願望を叫んだり、普通の会話へと戻っていたりと、女性の方が肝が据わっているのは今更だ。むしろ自分が動揺しすぎなのだろうかと本田が悩んだとき、突然城之内が叫んだ後、頭を打っていた。
「あっ、海馬!! ……痛っ!?」
「なにしてんだよバカ犬、幻覚でも見たか」
「城之内、大丈夫か?」
道路に面したカウンター席から、城之内が突然身を乗り出したのだ。当然その先には透明であっても壁はあり、城之内は頭をぶつけている。まるでガラスなどを認識できない鳥やペットのようだと思ったが、バクラと共に呆れた後、店の外を見て一瞬息を飲んだ。
「海馬っ、海馬、どうしたんだよ!! 仕事じゃねえのか!?」
「……いや、一仕事終えたんだろうな」
「……オレの頑張りは、無駄になったか」
店の外、往来に立っていたのは本当に海馬だった。白いスーツに身を固めているところを見れば、会社にいたことは間違いない。壁があるのにはしゃいで話しかけている城之内に、海馬の表情は硬い。そのスーツと、手にしたジュラルミンケースに血が飛んでいるところを見ると、大方遠巻きにしている警護からの報告を受け、あの絡んできた男を血祭りに上げてきたのだろう。
だが何かぶつぶつ言いながら近づいてくる海馬に、本田は恐怖を感じて目を逸らしてしまう。どうせ声は聞こえないのだが、海馬の口元が『オレの可愛い駄犬に頭突きをさせるとはこの愚かな壁め』といったようなことを言っていると気がついたとき、本田は思わず立ち上がって大きく腕でバツ印を作った。
「……本田、なにやってんの?」
「どういうサインだよ、そりゃあ?」
「いや、お前ら、今はオレに感謝しろよ、降り注ぐガラスの破片から守ってやったんだぞ……!!」
ジュラルミンケースを後ろに引きかけた手を、海馬はピタリと止めている。どうやら城之内を害したとして透明な壁に制裁を加えたいようだったが、そんなことすれば当の城之内にも木っ端微塵になったガラスの洗礼を受けることになるのだ。
分かっていなかったらしい城之内とバクラには奇行にしか見えないだろうが、それでも構わない。守れてよかったと安堵していると、トレーに残っていたポテトを口へと放り込んだ城之内が椅子から立ち上がる。
「片付けといてやるから、バカ犬はさっさとダンナのトコに行け」
「ありがとなっ、バクラ!!」
海馬の意識はすっかり店から出ようとする城之内に移っているので、もう大丈夫だろう。制止の合図もやめ、ゆっくりと椅子に腰を下ろしていると、相変わらず面倒見のいいバクラはそうして城之内を送り出していた。店の出口から往来に出た城之内は、海馬へと駆け寄り、返り血も気にせずしっかりと抱きついている。海馬もどこか幸せそうだ。完全に仕事が終わっているのかは分からないが、抜け出すくらいは余裕もあるのだろう。一度ぎゅっと抱き合った後、すぐに手を繋いで海馬と城之内は去っていく。
それをしばらく見送っていた本田に対し、携帯電話が鳴ったバクラは画面を開いて確認していた。
「……ああ、特別手当が入ったってよ」
どうやら先ほどの撃退の件で、バクラに連絡があったらしい。基本給とは別に、トラブルを解消するごとに出来高払いとなっている。傍にはいなくても、かなりの距離を取って、あるいは監視カメラでちゃんと海馬も城之内の身辺を確認しているのだ。
「お前は何もしなかったじゃねえかよ……。」
「だから、てめー宛てだっての。というか、てめーもいい加減雇われたらどうだ?」
「オレはいい、なんかそういうの苦手だ」
実を言えば、これまで本田も何度か海馬からバクラと同じように城之内の警護として雇いたい旨は打診されているのだ。だが仕事として考えるのは難しく、バクラほど役に立てるとも思えない。なにより、くだらないプライドだとしても、中学の頃とは違う立場になるのも嫌でずっと断っているのだが、本田が一人で片付けた際にはこうしてバクラの口座に手当てが振り込まれるらしい。
「まあ、そう言うなら貯めといてやる。向こうだってそんな真剣に考えてねえよ、こないだ会ったときも結婚資金にしろとか言ってたしな」
「なっ……!?」
金はあって困るものではないという考えの下、バクラに預けておくことに異論はない。海馬はあまり人を信用できない性格なので、払うことが安心に繋がっているというのも分かるのだ。いずれまとめて返してもいいし、城之内の役に立つことに使ってもいい。そんな程度に考えていた本田に、バクラの言葉は不意打ちで思わずむせてしまった。
「なんだよ、ありがてえ話じゃねえか」
「いやさすがに他人に支援は受けねえよというか、そうじゃなくて……!!」
ニヤニヤしているバクラは、単にからかっただけだろう。海馬はああいう性格なので、本気でそんなことを言いそうだ。だが敢えて伝えてきたのは動揺させるためでしかなく、見事に顔をまた赤くしてしまった自分が、本田は本当に情けない。
そんな様子を横で見ていたバクラは、ジュースを一口飲んでから切り出す。
「……そういや、さっきの話だけどよ」
「あ、ああ、というかどれだ?」
「てめーのイニシャルだ」
蒸し返された話題に思わず警戒するが、ジュースのカップをトレーへと戻したバクラは、魅惑的に笑っていた。
「そんなに嫌なら、婿養子に入るか?」
「……考えとく」
そうすれば、少なくとも変えることができる。今度は鉛筆の濃さになる気がしないでもないが、そもそも今後イニシャルなどでからかうような連中もいないだろう。だが尋ねてきた表情があまりに愉しそうだったので思わず頷けば、バクラはまた笑みを深め、テーブルの下で手を握ってきていた。
その手は柔らかいが、部活などをしているわけでもないのに、ところどころ皮が硬くなって癖がついている。
止めろと言っても無駄なことは分かっている。バクラにとって、戦うことは生きることと同じなのだ。暴れたい衝動を抑えきれないと知っているからこそ、ならばせめて訓練を受けて自衛にも努めてほしい。そしてその力を、守るためだけに使ってほしい。
贅沢だと分かっていても、もう怪我はしてほしくないのだ。
体も、心も、傷ついてほしくない。
本当に大切に思っているのだと握った手に想いを込めれば、それが通じたわけではないのだろうが、バクラはまた笑って謝罪するようなキスを頬へと贈ってくれていた。
| ▲SSメニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− またロボの中だけの脳内設定が満載の以下略なんですけども。 いやまあ、戦う女の子って素敵だよね! みたいな 違うかな! いや今回戦ってないですけども。 本田はほんとに苦労性というか、惚れた相手が悪かったというか。 三人(四人?)しか出てこないと、比較的短く終わらせられると気がついた! 当たり前か! いやでもなんだろ、凶暴なハニーはいいですよね・・・ ロボっぽい何か |