『厭恋的ジャッジメント』より 【お試し版】01.


■00





 夏の予感は、色濃い雨の気配と共に訪れる。
 学校祭、学園祭、似たような名称で示される文化祭は、この童実野高校でも行なわれる。七つ年上の姉が通っていた頃は十一月、つまり文化の日にやっていたらしいが、自分が入学してからは五月の大型連休の直後だ。二学期にやると体育祭との期間が短すぎて授業を消化しきれないだとか、同じクラスになったばかりの生徒たちの親睦を深めるためだとか、もっともらしい説明はなされたという噂もある。だが自分にとっては去年も文化祭は五月だったので、そういうものだと思っている。かつては連休前の四月に親睦を深める林間学校という行事があったが、時代の流れで廃止となりやっつけとして代替行事に指名されたという説が真実であっても、何の反感もない。
 一年生ならば、入学して一月半。そろそろ最初の友人グループというものは確立されているし、そこから更に輪を広げるならば、ほどよく手も抜ける文化祭はうってつけの機会だろう。クラスの出し物で一致団結するも良し、斜に構えて高みの見物をするも良し。それぞれの個性というものが分かるし、単純に騒ぐのが楽しいという感性も分かる。
「……それが、なんで、こんなことに」
 一年前、一年生だった頃の自分は、まさにそんな感じだった。文化祭は中学でもあったが、文字通り道を外れていたのでまともに参加したことはない。つるむ友人も中学からの知り合いがほとんどだった時期であり、今の友人たちとの親睦が深まり始めたきっかけとなった。
 だが、去年はクラスの出し物にばかり気を取られていたので、知らなかった。あるいは、あまりに興味がなさ過ぎて、こんな出し物が毎年恒例で行われているなど、気づきもしなかった。
 二年生となった今、クラスの出し物は相変わらず模擬店である。飾りつけなどの準備に始まり、食券の作成、飲食物の手配、当日は当然給仕などの仕事がそれぞれ割り振られる。実行委員や部活の関係で、クラスの出し物にはあまり関知しない者もいるが、自分は違う。他で手伝う必要があるからではなく、単純に、同情からすべての義務が免除された。
「……。」
 力仕事なら自信はある、身長もクラスで二番目に高いのでそちらを期待してくれてもいい。
 謙虚だが切実な申し出も、クラスメートは申し訳なさそうに断った。嫌われていたり、怖がられているのであれば、もっと開き直ることもできた。だが一年前と違い、風貌から遠巻きにされることもなくなった今では、優しいクラスメートたちの言葉は心からの気遣いだと身にしみて分かっている。
 こっちは大丈夫だよ、だって本田くんも準備があるでしょ。
「……準備ったって、前々からするもんでもねえだろ」
 思わずそうぼやいてしまったが、意外に声が低くなっていたらしい。隣で同じようにやや暗い顔で座っていた名前も知らない先輩が、ビクッと肩を震わせた。その反動で、先輩の肩からキャミソールの紐が落ちる。どうやらサイズが合っていないらしい。小柄な先輩なので、用意された衣装が大きすぎたようだ。慌てて紐を直す仕草は、たどたどしく、どこか切なくも見えた。
 なにしろ、そうして女性物の服に身を包んでいるのは、男の先輩だ。
 だが同情も薄く、笑う気など更々起きない。もし隣の先輩を笑ってしまえば、自分はその倍以上の嘲笑を浴びることが分かっているからだ。
「……。」
 人権だの性差別だのと騒ぐ連中の声が大きくなる一方の世の中で、童実野高校では何故こんな出し物が残っているのだろう。
 始まりは、きっと悪ふざけの連中が運営側にいたからに違いない。そして物珍しさで会場が盛り上がったのに味をしめ、次の年も行なったことが傍迷惑な恒例化を招いたのか。
 いつにない分析に頭を回すのは、何かを考えていないと現実を突きつけられてしまうからだ。
 何故。
 どうして。
 自分は姉に殴られながら借りたセーラー服で、ステージ横の控え室などにいるのか。
「……死にてえ」
 思わずまた呟けば、隣の先輩はビクッと体を震わせた後、無言のまましっかりと頷いた。
 きっと、同じ状況だと察してくれたのだろう。控え室には、単純な計算で十五名以上の男子生徒が、思い思いの衣装で居座っている。半分は、妙に晴れやかで浮かれている。中途半端に似合うことで、笑いを取り、目立てるのが嬉しいというおめでたい連中だ。こんな出し物は、そういう連中だけですればいいのだ。だが年々減っていく参加者に危機感でも覚えたのか、何故かすべてのクラスに一人以上の参加者が義務付けられていることには、今更ながら殺意すら覚える。
 暗い顔をしている者たちは、他薦にしろ、じゃんけんなどにしろ、望まないのに嫌々選抜された同志たちだろう。隣の先輩は、いかにも気が弱そうで小柄、顔立ちも柔和なので頼まれて断りきれなかったに違いない。だが自分は誰も他薦するはずがない風貌なのは一目瞭然であり、きっとくじ引きなどで負けたか、欠席している間に勝手にエントリーされていたと同情されたのだろう。
 これから晒し者になる時間を、共に乗り切ろう。
 無言の先輩からそんな気配すら漂ってくるが、実はそうではない。この場で言っても誰も信じないだろうが、自分は、本当は自ら立候補してこの役を引き受けたのだ。
「……。」
 目立ちたかったわけではない、女性の格好などする趣味もない。
 それでも、あのとき手を挙げてしまった。
 理由など、分かりきっている。今でも正しかったと信じているのに、こんなにも後悔してしまっている。
「……あのさ、キミ、二年の本田くん、だよね? 一緒に逃げない?」
「……。」
 そのとき、名前も知らない先輩が、横からそう声をかけてきた。
 よほど自分は苦悩に満ちた顔をしていたのだろう。あるいは、単に先輩が一人で抜け出す勇気がなかっただけかもしれない。
 今ステージでは、合唱部の発表が行なわれている。新緑の季節に相応しい爽やかな唱歌が終われば、恥辱のステージの始まりだ。どこまで本気かは分からないが、そんな先輩の誘いは確実に心を揺さぶった。だがそれは決して頷きたい動揺からではなく、絶対に頷けない自分の不器用さへの諦めだ。
「……いえ、オレは」
「……?」
 先輩とは違う、無理矢理この役目を押し付けられたわけではない。
 たとえどういう経緯と結果がもたらされても、男は一度決めた信念は貫く。
 常日頃から、悪友に化石だのと馬鹿にされる気質で断ろうとしたとき、先輩が小さく驚く。尋ねておいて、もうこちらの返事を聞いていない。失礼とも言える態度に少しだけ気を悪くしたが、先輩が目を奪われている先を遅れて見やったとき、自分は思考も奪われた。
「……!?」
「あれ、キミのところのクラスメート、だよね? 彼が出るなら、キミがエントリーする必要なかったんじゃ……?」
 不思議そうにしている先輩の理由も分かる。この出し物、今では滅多に聞かない『女装コンテント』なるものに参加が義務付けられているのは、一クラスにつき、一人。最低一人という条件なので理論上は二人でも三人でも参加はできるし、当日飛び入りでの参加も認められている。だが笑い者になるリスクと、単純に衣装の準備などのため、飛び入り参加などまずないのだ。
 後に聞いた話では、どうやら三年連続他薦でクラス代表として出場していた先輩は、飛び入り参加などまずないと経験上知っていたらしい。
 だからこそ、驚いた。
 それ以上に呆気に取られた理由も、想像は難くない。
「……。」
 ただ、自分はもっと複雑な思いで見つめてしまう。
 こちらを見とめ、ゆっくりと足を進めてくるその姿は、また後悔する正解を求めてくる審判者のようだった。













■01




 本田ヒロト、十七歳。
 本日が誕生日であり、仲間内では最も早く一つ年上になった。先週あった身体測定では、身長も百八十センチに到達し、満足した。欲を言えばもう少し伸びてほしいとも思っているが、このクラスでは一番背も高い。そう思われている。本来はもっと高いクラスメートがいるのだが、相も変わらず不登校気味なので、なんとなく皆同じクラスだという意識が薄いらしい。
「じゃあ、クラスの出し物は模擬店てことで。後は文化祭の運営局から、全体の出し物への参加者を決めるようにって言われてるから、その説明をするね」
 誕生日だからといって、小学生のように浮かれていたわけではない。それでも、少しくらいいいことがあるのではないかと、期待してしまうのが人間だろう。
 だが、まさかこんなことになろうとは。
 今朝は一時間目にホームルームが組まれている。学校からの伝達事項がなければ、半ば自習のようなものだ。今日は約一ヵ月後に迫った文化祭の出し物を決定するという重大なテーマがあったため、それなりに白熱し、結果的に最も無難な模擬店に決まった。
 仕切っているのは、二年生から同じクラスになった御伽である。学級委員は杏子たちだが、文化祭は生徒会ではなく文化祭運営局の仕切りのため、文化祭実行委員とやらが各クラスで選出され、橋渡しになっている。ほんの二週間くらい前までは、城之内をこき下ろしたり、闇人格の遊戯に喧嘩をふっかけたり、実家が火事になったりと波乱万丈だったはずだが、学校では飄々としている。むしろ普通に自分たちとつるんでいるので、一見すると常識人故に影が薄そうだが、意外と変わり者のようだという評価を本田は固めつつあった。
「とは言っても、関係あるのは男子だけなんだけど。どうやら今年も例のコンテストをするみたいだから、各クラス一人以上の代表を事前に登録するように、だって」
 担任は教室の後ろで忙しそうにプリントをめくって何かの仕事に夢中だ。教卓に立つ御伽に、この場を完全に任せているようだ。実行委員として運営局からのお達しを御伽が伝えれば、教室内には微妙な空気が流れた。
 ほとんどの者は、去年の文化祭も参加しているため、女装コンテストの惨状を痛感しているのだ。あれは、ああいう場を楽しめる者でないと一生もののトラウマになる。ノリノリなお調子者がこのクラスにいることを、誰もが心の底では祈っているだろう。
 女子生徒は無関係なので、どこかニヤニヤして誰が犠牲になるのかを見守っている気がする。そんな被害妄想までしてしまうのは、選ばれたくない男子生徒たちの悲痛な願いの裏返しでもあった。
 ただ、本田はこのときそこまで切羽詰っていなかった。立候補などするわけがないし、強面と体格が相俟って絶対に他薦もされない。自分が被害者になることなど、よほどの悪運でもない限りありえない。そう高を括ってのん気に構えていると、斜め前の席からいきなり手が挙がった。
「ハイ」
「はい、城之内くん」
「お前」
 勢いよく立候補するお調子者とは全く違う声の低さで、まるで中学時代のようにドスの効いた声が響く。
 手を挙げたのは城之内だ。本田だけでなく誰もが驚きかけたところで、進行役の御伽が発言を認め、城之内は座ったままでビシッと御伽を指差した。
 まだわだかまりがあるのか、それとも城之内の素なのか。
 判断につきかねる指名に、御伽は笑顔で返す。
「御指名ありがとう、でも僕は実行委員だから参加資格がないんだよ。ごめんね」
「……チッ」
 舌打ちをしたので、どうやら城之内はそれなりに本気だったらしい。ただ、一つ思い出したのは、髪も下ろして比較的丸くなった城之内を、一部の女子たちが可愛いと騒いでいるらしいことだ。やんちゃで、男には乱暴者だが、女に手をあげることは絶対にない。入学直後だった一年前と違い、だいぶ城之内の人となりが好意的に浸透しつつあるのは、いいことだろう。それを、本人は戸惑っている。男気など古臭いと言いつつ、最も気にしていることは本田もよく知っている。だからこそ、他を指名することで自分には参加する気などないと、示したかったのかもしれない。あわよくば決まるかもしれないと、期待していたのだろう。
 だがさらりと流した御伽は、そんな指名を予想していたようにも見えた。確か、このクラスになってすぐに学級委員と文化祭実行委員を決めるとき、御伽は率先して手を挙げた。もしかすると、実行委員はエントリーできないことを知っていたのか。一年のときはクラスが違ったので全く知らないが、何かあったのかもしれない。髪も長く、美形だともてはやされ、女子には優しいので押し切られることを危惧しての立候補であったならば、先見の明があったということだろう。そんな素晴らしい才能を持ちながら、どうして千年パズルを奪えると思ったのだろう。たとえ父親からの半ば洗脳があったとしても、所持者の遊戯を見た時点で『持つとあんな髪形になるかも』と恐れなかったのであれば、その豪胆もまた美徳なのかもしれない。
 失礼な評価を本田が深めていると、御伽はまた穏やかに言葉を足し、クラス全体に促す。
「誰か立候補者はいないかな? 一応、賞品も出るんだよ。優勝者には、なんと、ノート十冊と鉛筆二十本」
 賞品という単語が出たとき、わずかに城之内は反応していた。これが購買の割引券だとか、食堂の食券であれば、プライドとの戦いに負けていたかもしれない。だが高校生としては間違っているが、学習道具など不要な城之内はまた舌打ちをしている。本田としては、何故今更鉛筆なのかという思いの方が強いが、どのみち欲しくはないので大人しくしておく。
 誰か、ノリのいいお調子者がいないだろうか。
 そんな空気がまた蔓延しつつあった中、一度は落胆していた城之内が何故か勢いよく手を挙げながら立ち上がった。
「ハイ!!」
「はい、城之内くん」
「誰もやりたがらねえんならっ、今日休んでるヤツにしとこうぜ!?」
 指名される前から既に腰を上げ、机を叩いて主張する城之内の顔は晴れやかだ。
 確かに、嫌がる役職などを不運な欠席者に押し付けることは、よくあるだろう。だが城之内が嬉々としてそれを訴えたのは、このクラスで唯一空いている机が誰のものなのか、思い出したからに他ならない。
「城之内くんっ、それは実に名案だ!! オレも賛同するぜ!!」
「そうだよなっ、遊戯!!」
「はいはい、そこ、手も挙げないで勝手に発言しないで。別人格が後押ししないで。あとエントリーしたところで当日欠席されたら何の意味もないだろ、逃がさない餌としてもう一人の遊戯くんが『女装コンテストで勝負するぜ!!』的な自己犠牲を見せてくれるなら僕も登録してあげるけど、どうする?」
「それは御免被るぜ」
 実に理路整然として、説得力に溢れる反撃だ。
 本田は心の中で、御伽の評価をまた一つ上げた。何から何までその通りで、今いないからと勝手に海馬を参加者にしたところで、当日も来ないだろう。あるいは、登録しただけで侮辱だと恐ろしい目に遭わされるかもしれない。唯一海馬がまともに参加する未来として考えられるのは、まさに闇人格の遊戯からの挑発以外にはありえないが、そうなると別の問題も発生する。
 勝負事にはめっぽう視野が狭い海馬が、金と技術をかけて何をしでかすか、分かったものではない。
 下手なことをやらかされると、童実野町全体の税収が傾くので、平和を望む民としてはあまり気軽におちょくってほしくない人種だ。だが城之内ももう一人の遊戯も悔しそうにしており、よほど海馬に女装させたかったのかと内心で呆れる。海馬は身長があるので似合いはしないだろうが、顔立ちのみなら整っているため、微妙に笑えないだろう。不完全燃焼な結果を招かなくてよかったと喜ぶべきだろうと悪友たちに思ったところで、御伽がもう一度教室内に促す。
「他に、自薦、他薦はないかな? もしどうしても決まらないようなら、公平に運任せになると思うんだけど」
 そう言いながら、御伽は封筒を振ってみせた。中にはくじが入っているのだろう。予め準備していたところを見ると、立候補者などいないと予想していたに違いない。
 完全な運任せとなれば、遊戯と城之内は、判断に迷う。二人ともとても引きがいい。それはこの場合、唯一の当たりくじを引いてしまうことに反映されるかもしれないためだ。
 他のクラスメートたちも、確率は低くとも当たってしまうことににわかにざわつき始めた。
 誰も、似合わない格好で笑い者にされたくないのだ。
 そうなると、他の者に押し付けたい。城之内が指名した二人のように、実現不可能な名前は出せない。なにより、選ばれた場合に少しでも嘲笑が減ればいいという見当違いな気遣いまであると、自然と注目が集まるのはある共通点がある。
 まず、身長が低い者。
「……ん? なんだっ、その視線は!! 相棒を晒し者にする気ならっ、このオレが許さないぜ!!」
 身長や体格は、女子生徒から衣装を借りることを考えた場合は、外せない条件だ。そのため、このクラスで最も背の低い遊戯にまずは自然と視線が集まっていたのだが、まだ闇人格のままだった当人はすかさず拒絶する。
「分かりにくい発言だけど、遊戯くんは嫌だってことみたいで。まあ海馬くんは晒し者にするつもりだったんだねってことは、気がつかなかったことにするけどさ」
 御伽も、遊戯がエントリーされると親友の城之内も反対して暴れることを想定していたのだろう。人格交代のことを知らないクラスメートたちにさり気なくフォローをしつつ、拒否を認めた。表人格の遊戯は、押し切られると断れないかもしれない。だが意外に芯が強く、それでいて元はいじめられがちだったことも知っている城之内などは、過剰に守りたくなってしまうだろう。当人は強い以上に優しいので、もし城之内などが指名されるよりはと、笑って引き受けるかもしれない。それでも、もう一人の過保護な人格が表に出てきて脱走してしまうことを考えれば、御伽としてもあまり安心できない人選というのも納得できる。
 くじの入った封筒をまた振ってみせる御伽は、半ば運に任せるしかないと考えているようだ。
「で、他はいいかな? ないならもうくじで決めちゃおうよ」
 だが最初に城之内が御伽を指名したように、もう一つ選ばれやすい要素がある。
 それは、柔和な顔立ちという方向で、美形である者。
 いわゆるイケメンでも、精悍で雄々しいタイプでは女装は似合わない。それよりも、女性的、あるいは中性的と言われがちな風貌の者がいいのではないかと、そんな選定で視線が集まるのは一人しかいなかった。
「……あれ〜? もしかして、ボクが他薦されてる〜?」
 期待にすがるような目をいくつも向けられ、飄々と首を傾げたのは獏良だ。長い髪と、白い肌。穏やかで柔らかい物腰は、まさに美少女のような美形である。去年もその風貌で、教師に目をつけられていた。一見すると気弱そうにも見えるため、頼めば押し切れると新しいクラスメートたちは思ったのかもしれない。
 だが獏良を見ている瞳のうち、本田以外にも遊戯や城之内、杏子、それに御伽は色が違う。要するに、獏良がただの優男ではないと知っている面々だ。意外に身長も高いということだけではない。首から提げた千年リングに宿る凶悪な人格が現れ、豹変するのではないかと危惧する。それがなかったとしても、獏良本人もニコニコとしてつかみどころがなく、気弱とは違うのだともう知っていた。
「まあ、そういうことなんだけど。獏良くんはどうかな?」
「え〜、ボクかあ、どうしようかな〜……。」
 一応進行役として確認した御伽に、獏良は困ったように笑っていた。
 その反応に、本田たちは、おやと思う。嫌ならば嫌だと、はっきりと言うと思った。あまり考えにくいが、嫌だが言い出せないのであれば、変なところで頼りになる闇人格がガラも悪く吐き捨てるとも予想した。
 だが闇人格が出てくることもなく、獏良もはっきりとは拒絶しない。
 特に普段から笑みを浮かべていることもあり、満更ではないのかと早合点したのは、いつもの友人たちより遠いクラスメートたちだ。
「獏良なら絶対似合うって!!」
「マジで優勝できるかもしれないぞっ、出てみろよ!!」
「え〜、そんなことないと思うんだけどな〜……。」
 完全に運任せのくじ引きをする前に、スケープゴートが決まるならそちらの方が断然いい。打算に満ち溢れた無責任な声援も、多少の本心が含まれているのだろう。
 それにまた困った顔を浮かべる獏良は、どうなのだろうか。
 嫌がっているようにも見えるし、迷っているだけにも見える。迷う段階で、引き受けてもいいという意志もあることは間違いない。ただ、どうして引き受けてもいい、あるいは引き受けざるを得ないと思ったのか。全く嫌でないのであれば、獏良は最初から手を挙げていただろう。むしろそうしなかった段階で、何かしら忌避したい理由もあったのだと思ったとき、何かに片手を引き摺られた。
「……。」
「……本田くん? ああ、はい、発言どうぞ?」
 戸惑うように名前を呼んだ御伽の声は、もう聞こえていなかった。
 これは、きっと正解だ。
 間違っているとは、今でも思わない。
 それでも、最初から後悔すると分かりきっていた、そんな選択だった。




 昔から、割を食うだとか、貧乏くじを引くだとか、散々言われてきた。
 自分でも、どうしてだか分からない。
 ただ、いつも悩み、ちゃんと考えて、後になっても間違った選択ではなかったと思うのに、悔やむことが多い。
 今朝のホームルーム、一ヵ月後の文化祭で女装コンテストの参加者に立候補したことも、その最たるものだろう。
『それにしても、本田、アンタ今朝はいきなりどうしたの? どう考えたって、アンタなんて最もお呼びじゃないコンテストじゃない』
『うるせえよ、そんなことはオレだって分かってんだよ……。』
 昼休み、蒸し返してきたのは一人蚊帳の外だった杏子だ。杏子は席が一番前なので、一番後ろから友人たちを見ていた本田とは当然ながら視野が違う。不思議そうに痛いところを指摘され、やや震える声で反論するのに精一杯になっていると、穏やかな声が割って入る。
『人の趣味は、それぞれだしね。やりたいって本田くんが言ってるんなら、それでいいんじゃないかな?』
『それはそうだけど、でも、御伽くんもビックリしたでしょ?』
『……賞品に目がくらんだんだよ、それでいいだろ』
 本田が手を挙げ、立候補すると言い出したとき、確かに御伽は驚いていた。だが、二度は尋ね返さなかった。理由など、明らかすぎたためだろう。教室内を最もよく見渡せる教卓に立っていた御伽は、唯一他の生徒たちと対面できる位置に立っていたのだ。
 まだ不思議そうにしている杏子には、本田も適当に答えておく。賞品がノートと鉛筆では、家庭環境からも学習意欲からも、説得力はない。女装が趣味だと思われるよりはマシだという程度の言い訳だったが、何故か横から謝られる。
『そ、そうだったのか、本田くん!! オレはそうとも知らず、ノートも鉛筆も青眼の白龍柄をオーダーメイドし放題に違いない海馬を推薦しかけてしまって、本当にすまない、許してくれ本田くん……!!』
『ああ、まあ、いや、うん、なんだ、その、遊戯は気にしないでくれていいからな?』
 真に受けたらしい闇人格の遊戯から、几帳面に謝罪されると申し訳なさが増した。
 本田が立候補して、教室内はもちろんざわついたが、出たいと言う者がいるのに却下する必要はない。犠牲者は、クラスに一人いれば充分なのだ。実行委員である御伽がエントリーを認めたことで決定となり、ホームルームは終わった。直後からこの世の終わりのような顔で本田が項垂れていたので、誰もこの件に触れられなかったというのは、本田以外が知るところである。
『……ねえ、本田くんてさ、やっぱり』
『遊戯?』
 昼休みとなり、ようやく弁当を食べて少し浮上してきたところで、杏子が部外者として切り出した。触れなさ過ぎても不自然だという配慮がされたことも、本田も気づいていない。それほどまでに、とっくに後悔が胸の内を渦巻いている。
 だが闇人格の遊戯が謝った後、普段の遊戯が表に出てくる。そして何かを言いかけたとき、その肩にポンと手を置いたのは城之内だ。
『城之内くん……。』
『本田はこういうヤツなんだっての。ほっとけって、好きでやってんだから』
 その言い回しでは、やはり女装趣味があるように聞こえるのではないか。
 思わず顔をしかめて城之内を睨めば、馬鹿にしたような表情を返された。いや、心底馬鹿にしているのだろう。最も付き合いが長い城之内は、本田のこういう損な性格を知っている。
 ただの酔狂でも、仮に本当に女装趣味があったのだとしても、その方がマシだ。
 独り善がりで一方的な情けをかけたのだと相手に知られるくらいならば、自分が誤解されたままでいい。
 人がいいのを通り越していると、散々呆れられた気質が出てしまっただけだと分かっている城之内は、そんな言葉で本田の望む方向に解釈を促してくれる。たとえ自分自身とは相容れない信条であっても、理解し、尊重はしてくれるのだ。
 そんな城之内からの気遣いを、本田は歓迎する。自らが関係者だとは全く考えていない様子でもくもくと昼食を平らげている獏良には、心から安堵した。
「……まあ、それはそうとしても」
 昼休み以降、文化祭の件に触れてくる者もなく、放課後を迎えた。
 いつもの面々と途中まで帰り、手を振って別れる。一人きりで自宅までの帰路を進んでいると、自然と億劫な気持ちが増してきた。
 女装コンテストでは、衣装や小道具はすべて参加者が用意しなければならない。大抵は同じクラスの女子生徒に借りるようだが、本田はこの体格のおかげで無理なのだ。私服でも、貸してくれそうな仲のいい女子生徒は杏子くらいしかおらず、やはりサイズ的に難しい。そうなると自前で用意するしかなく、アテと言えば近所に嫁いだ姉くらいなのだが、相談した段階で半殺しにされそうだ。
 中学時代に道を外れていた本田だが、七つ年上の姉はもっと気合が入っていた。本田が非行としては可愛いものですんだのは、当時はとっくに更正し、義兄と結婚を控えていた姉の影響が大きい。男女の違いや、結婚相手にもよるのだろうが、姉は向こうの家族に認められるまで相当苦労した。覚悟していたとは言っても、やはり取り返せない過去を悔やんだらしい。
 せめて、弟はそんな思いをしないように。
 前科がつくことはするなと、違法なことは徹底して禁止された。竹刀を振り回して教育的指導をしてくれるので、さすがの本田も逆らえなかったのだ。喧嘩だけは城之内と共にしていたが、それ以外の不良らしいこととはずっと無縁だった。つるんでいた城之内が、興味がなかったというのも大きいのだろう。おかげで今も童貞なのだが、それは姉の指導がなくとも同じだったかもしれない。
 ともかく、本田にとって嫁いだ今でも姉は絶対的な恐怖の対象だ。
 面倒見がよく、優しいのだが、それ以上に怒らせると怖い。今ではほとんど聞かなくなった『男らしさ』を地で行くところもあり、可愛い弟が女装してコンテストに出ると知ればどう暴れるか分かったものではない。
「……。」
 だが、姉以外に衣装を借りられるアテはない。母親は姉より随分と小柄なので、絶対的に無理だ。
 新たな問題に直面し、とぼとぼと帰路を進む本田は、また深いため息をつく。
 仮に運よく衣装は他から調達できても、参加したことが姉にばれたときが怖い。事前に話しておくことは必要だろう。だがその場合、やはり半殺しにされるとため息を重ねたとき、曲がり角の先からすっと人影が現れた。
「……獏良?」
 白く長い髪と、童実野高校の男子制服。なにより胸元で揺れている千年リングに、足を止めた本田は思わずそう呟く。
 そういえば、獏良は用があるからと放課後になってすぐ、一人で先に下校した。それなのに、ここにいる。用があったのではないかと間抜けな質問をしかけたとき、本田は思わず息を飲んだ。
「なあ、てめーバカなのか?」
「……!?」
 ゆっくりと足を進めて近づかれて、ようやく髪型の違いに気がついた。いつも穏やかにニコニコとしている表情は一変しており、呆れ返って馬鹿にした顔が本田に向けられる。
 これは、獏良了ではない。千年リングに宿る闇人格、バクラだ。御伽の実家が火事になる直前に見かけて以来だ。てっきりあれもバクラの所業かと思っていたが、遊戯の話では胡散臭さは残るものの一応助けてくれたらしい。
 このバクラにも、何か目的があるのだ。そのためであれば、協力的な姿勢も見せる。理屈としては理解したつもりだが、実感は追いついていない。なにより、今は千年アイテムなどを巡る戦いも起きておらず、明らかな部外者である自分をこうして待ち伏せする理由は、さっぱり分からなかった。
「……なんだよ、急に」
 そのため、警戒はしたが、どこかのん気でもいられる。良くも悪くも、このバクラが自分など眼中にないことは分かっている。だからこそ、物珍しさと相俟って少しだけ興奮している自分には気づかないまま尋ねた本田に、バクラはあからさまに顔をしかめた。
「オレサマ、無駄話は嫌いなんだけどなあ?」
「それが事実ならこうして先回りして待ち伏せしてるのが最大の無駄……いやいや、なんでねえよ、ほら、あれだろ、文化祭のことだよな?」
「分かってんなら、さっさと答えろ」
 少し茶化してみれば、機嫌を損ねたようでぐっと千年リングを握りこまれる。こんなことで闇の力を発動されると、過去に最も間抜けな罰ゲーム対象者に名を連ねてしまうだろう。なにより、こちらのバクラは気紛れにもほどがある。千年アイテムに関わらないのに現れることなど稀すぎて、慌てて引き止めれば再び睨まれた。
「いや、答えろって言われてもよ、何を……。」
 ただ、真面目に答えようとしても、本田は戸惑ってしまう。引き伸ばしているつもりではない、単純に分からない。バクラの質問は、間違いなく『何故立候補したのか』だろう。ただ、それをどうしてバクラが尋ねてくるのか、そちらが分からないのだ。
「てめー、やっぱりバカなのか?」
「だんだん確信されていってるみてえだから、一応答えてみるけどよ?……獏良、嫌がってただろ?」
 困惑している間に、怪訝そうにバクラから尋ねられたのでようやく本田は答えておいた。
 遊戯たちと違い、少なくとも獏良には闇人格が出ているときの記憶はないようだ。信頼の差なのか、バクラの方が警戒して壁を作っているのかは分からない。どちらにしろ、こうして闇人格の方と話していても獏良に筒抜けではないという事実が本田の口を軽くさせる。
「嫌なのは誰でも同じじゃねえか。それに、あのとき宿主サマは引き受けるつもりだったぞ?」
 少し機嫌は直ったようだが、当たり前すぎる切り返しには本田も悩む。このバクラは、あの獏良のことを、どこまで分かっているのだろう。本田にしたところで、何かしらの確信や知識があっての行動ではなかったのだ。
「いや、確かにオレもそうじゃないかとは思ったけど……でも、本気で嫌がってる気がしたから」
「……『気がした』だけなのか?」
「まあな、獏良からなんか聞いたわけでもねえし」
 唯一根拠らしいことと言えば、転入当初、教師に因縁をつけられたことだ。長い髪と、恐らくはその顔立ちも含めて、女のようだと揶揄されたらしい。その場に本田はいなかったので又聞きであるし、本当にそう教師が口走ったのかは分からないが、直前にやたら女子生徒たちから美少年だともてはやされた逸話と合わせれば想像に難くない。
 モンスター・ワールドから脱出した後、同じように人形にされていた教師が解放され、随分と不思議に思った。確かにお世辞にもいい先生とは言えないが、かといって一度絡んだだけでどうしてあんな目に遭わされていたのか。獏良にも尋ねてみたが、髪を引っ張られ暴言を吐かれたことしか思い当たる節はないと言う。
 その話を聞いて、城之内や杏子は、闇人格のバクラはよほど沸点が低いらしいと慄いていた。闇人格の遊戯は、罵倒されたのであれば罰ゲームは当然と、返事に困る反応をしていた。
 だが、本田は違うことを思った。
 もしかすると、あの教師の言動は周りが思う以上に獏良を傷つけるものだったのかもしれない。
 バクラにとって、獏良は宿主であり、何らかの理由で千年アイテムを集めるために遊戯に接近する貴重な駒だ。その獏良がまた不登校になったり、転校したり、あるいは精神的に錯乱でもすると不都合だろう。
 理由はどうあれ、バクラは獏良のためにあの教師に制裁を加えた。
 それほどまでに譲れないことが、女性的だと評価されることなのではないか。今朝はそこまで意識していなかったが、結局は獏良本人ではなく、バクラの言動からそう推測したことに思いが至ったとき、唐突に脛に激痛が走る。
「痛ってえ!!」
「てめー、オレサマと話してんのにぼんやりしてんじゃねえよ」
 痛みで現実に引き戻されたが、不機嫌そうに凄まれた近さに本田はまた動揺した。
 いつの間にかバクラはもっと近づいていた。身長差はさほどなく、睨みあげてくる視線は射抜かれそうにきつい。凶器を懐に忍ばせられたような恐怖と、単純にこのバクラが自分などに接近してくる稀有さに鼓動は高鳴る。
「ぼんやりしてねえよっ、つか、お前、だからって蹴らなくてもいいだろ!?」
 脛を蹴られた反動だと誰かに言い訳をしてやや後ずさってから、本田はそう言い返す。すると、また少し距離が空いたバクラが不意に笑った。
「……!?」
「まあ、ほんとに『気がした』だけで身代わり引き受けたんなら大した勘の良さだな。大正解だ、宿主サマは女みてえって褒め言葉に一番凹むからな」
「あ、ああ……!?」
 それは褒め言葉なのだろうかと言いかけて、少なくとも獏良にそう言う相手は褒めているつもりなのだろうと察した。
 更に、あの獏良が凹むのだろうかと首を傾げかけて、傷つかないならそもそも転校などしないことに思いが至った。今でこそ飄々として打たれ強い印象が強い獏良だが、最初からそうだったはずがない。逆を言えば、遊戯たちに出会い、不可解な現象の元凶が判明してから強くなった気がする。本田はこのときまだ知らなかったが、獏良が傷ついたのは正確には容姿を揶揄されることではないのだ。
 了くんは、とっても可愛いね。
 本当に、天音ちゃんが生き返ったみたい。
「だから、女装コンテストなんざ出たくねえって心底思ってる」
「そ、そうだよな……?」
 事故で死んだ妹との引き合いに出され続けることで、容姿を、特に女性的な方向での褒められ方をされると複雑な気持ちになるのは最早刷り込みだ。今では妹の死も受け入れているし、悪意があって言われているわけでもないと理解している。
 それでも、条件反射に近い。嫌な気持ちになることは、そう簡単に止められない。だからこそ、女装コンテストへの出場など本当に獏良は嫌だったと、バクラも認めたのに何故か呆れられた。
「でも、てめーはやっぱりバカだな。あんなことしても、何の意味もねえよ」
 本田が立候補したおかげで、獏良は嫌な役目を押し付けられずに済んだ。
 これは紛れもない事実だ。意味がないはずがないと反論しかけた本田は、小馬鹿にしきった顔で更にバクラに笑われる。
「宿主サマはな、嫌ではあったけど、実際にくじになって他の嫌がってる面々に回されるのも嫌だったんだよ」
「それも分かるけど、でもオレは自分から立候補したんだし……?」
「自分をかばって、だろ?」
「……。」
「そんなことは、宿主サマだって分かってんだよ。自分なんかのために、大切な友人の一人を笑い者にしちまう。そういうこと、気にしねえ薄情で鈍感なヤツだと思ってたのか、てめーは?」
 指摘されたことは、耳が痛い。そういう思考を考えなかったわけではない、恐らく昼休みに遊戯が言いかけて、城之内が止めたのもこの類だ。
 獏良にとっては、どちらがマシだったのだろう。
 半ば劣等感にもなっている中性的な容姿を、殊更強調してしまうことか。
 それとも、回避するためにより似合わない友人に犠牲を強いることか。
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて尋ねてくるバクラに、本田は苛立つ。だが不愉快さは、自己嫌悪だ。図星を指されたからといって、逆ギレするような情けない真似はしたくなかった。
「……あんときは、考えられなかった。気づいたら手ぇ挙げちまってたんだし、しょうがねえだろ」
 仕方なく、正直に告白しておく。
 バクラの言うことはもっともだし、獏良は今より苦悩しているかもしれない。どこまで自分が友人と思われているのかは謎だが、モンスター・ワールドで巻き込まれた者たちにはやたら引け目を感じていることは気づいていた。
 今ならば、我慢できる。だがあのときは、そんなことを考えられなかった。後悔する予感はあったのに、それでも助けられるならばと動いた手は、間違っていたとは思えない。
 虚勢とは知りつつ、そんな意志を乗せて睨み返せば、バクラは驚いたような顔をしている。
 だがやがて、またふっと笑った。
「……!!」
「てめー、ほんとにバカなんだな。遊戯の取り巻きの中じゃあ一番影薄いしそんなに気にしてなかったけどよ、どんだけ人がいいんだ、バカにもほどがあるだろ」
「決闘者王国の地下牢であんな運命的な出会い方しといて、オレのバカさ加減をまだ見抜けてなかったのかよ」
「ああ、そういやそうだったか、これは失礼したな」
 やたらおかしそうに笑っているバクラは、本当に忘れていたらしい。
 地下牢からモクバを救出していたときも、本田はバクラに同じように呆れられたのだ。
 あんなにも、衝撃的だったのに。
 何故か悔しくなってくる本田に対し、一頻り笑ったバクラはやがて大きく息を吐く。
「……だいたい、一クラスで一人限定ってわけでもねえのにな」
「は? あっ、おい、お前それどういう意味で……!?」
 仮に獏良がやはり出場するので本田は辞退していいと言い出しても、頑として譲らない気持ちはあった。だがそれはあくまでクラスの代表が一人に限定されている場合に有効なものだ。選出した者が優勝すれば、そのクラスにも一応賞品が出る。まさか一人あたり消しゴム一個のためにクラスメートたちが獏良を勝手に追加エントリーするとは思えないが、不穏な言葉に本田の不安は一気に増す。
「な、なあバクラ、でもお前だって獏良が不安定になったりすると困るんだろ? 助けてやったりしねえのか」
 この闇人格に期待するのもおかしな話だが、獏良を宿主と呼び、目的のために必要な駒としていることは間違いない。ついそんなふうに尋ねると、また呆れられた。
「オレサマがもっとスマートに回避してやるつもりだったのに、てめーがしゃしゃり出たんじゃねえか」
「……やっぱそうなのか」
「余計なことしてくれやがってとは思ってるけど、まあいい、勘の良さと笑える人の良さで今回は見逃してやる。せいぜい、当日を楽しみにしてな」
 言うだけ言うと、バクラはさっさと歩き始めた。どうやら話はこれで終わりらしい。
 本田にとっては、何も解決していない。引き止めたい気持ちは沸きあがったが、躊躇いの方が大きくて実行には移せなかった。
 結局、バクラは何をしに来たのだろう。
 本当に、本田がどうして身代わりを引き受けたのか、不思議だっただけか。
「……当日を楽しみにしてる、じゃねえのか」
 なにより、捨て台詞の違和感が本田を繋ぎとめた。
 たまに遊戯たちの前には現れるらしい闇人格のバクラが、こうして自分のためだけに現れただけでも立候補した価値があったなどと喜ぶ気持ちに、気づきたくなかった。




 あれから約一ヵ月、文化祭の当日。
 女装コンテストの開始まであと少しというときになって、本田はあのときのバクラの言葉の意味が分かった。
「お前っ、なんで……!?」
 隣に座っていた先輩も呆けたように見ていた先に現れたのは、事前にエントリーされていなかった人物だ。誰もが獏良了だと思っただろうが、この場では本田だけがその名は正確ではないと知っている。
 ちなみに、出場経緯はどうあれ、集められた男子生徒たちはきれいに二種類に分けられる。ただ女性物の服を着ただけのタイプと、カツラや化粧、胸に詰め物までした完成度の高いタイプだ。もちろん本田は前者である。女性らしいものと言えば、姉から借りた中学時代のセーラー服しかない。ちなみに貸してくれと申し出たとき、殴られはしたが、半殺しまではいなかった。どうやら事前に城之内が話を通してくれていたらしい。姉は女性にしては背も高いが、やはり中学時代のものであるし、特に胸は何かを詰めようにも余裕がなかったのだ。
 本田みたいタイプは、ただ女装してるだけで面白いから。
 杏子はそんな言葉で、一応持ってきてくれていたダンスの発表会用の化粧道具はしまってくれた。その優しさに本田は感涙したが、一度も杏子が直視してくれなかったことは気にしないことにする。
 それならそれでいいのだ、いっそ友人たちは誰も見に来てくれないことを祈っている。
 だが客席ではなく、こうしてステージの控え室に現れた姿に、本田が思わず声を絞り出せば近づいてきた獏良、いやバクラはなんとも微妙な顔をした。
「……いや、てめーを笑ってやろうと思ったんだけどよ、想像以上にバケモンだな」
「うるせえっ、正反対の意味でお前もそうじゃねえか!!」
 バケモノとは失礼だ、そういう評価は口紅を塗りたくって特殊メイク状態になってる者たちに向けるべきだろう。変な負けず嫌いと、もっと単純に頭が混乱している本田に、バクラは歩きながら自分の服を見下ろして不思議そうにする。
「そうか? オレサマ、結構似合ってると思うんだけどよ」
「だから正反対の意味でって言っただろっていうか、そうじゃなくて!!」
 そんな話をしている間に、ステージから軽快な音楽が流れ始める。どうやらコンテストが始まったらしい。最初に進行役の生徒の説明があり、その後は一年A組から紹介されていく段取りだ。アピールタイムという有り難くもない配慮もなされているのでまだ少し時間に余裕はあるが、本田は慌てて声を潜めた。
「……お前、なんでそんな格好してんだよ」
 最初の出場者がステージに出たようで、会場からは歓声が上がっている。野太いコールだったので、まず間違いなくお調子者が注目を浴びているのだろう。そんなことを気にする余裕もなく、本田は改めてバクラを見た。
 バクラもまた、化粧などは一切していない。髪は元々長いので、かつらは必要なかったのだろう。やはり胸を詰めることも抵抗があったのか、まったいらのままだ。だが身を包む衣装は、本田のものと全く同じセーラー服である。靴下や革靴は自前だろうが、転入生である獏良がそんなものを持っているはずがない。ましてやバクラが所持しているはずもないと混乱していた本田は、呆れたように返された言葉でいかに自分が動揺しているかを思い知らされた。
「なんでって、自分の身代わりで笑い者にされる可哀想な友人を助けてやろうっていう、宿主サマの心優しい気遣いじゃねえか」
「……!!」
「けどまあ、だからって行動に移してもてめーの友情を無下にするんじゃねえかってうだうだ悩んでる様子だったから、オレサマが勝手にやることにした」
 てめーの服はバカ犬から聞き出してたからなと付け加えられて、衣装の出所もだいたい分かる。本田が姉から童実野中学のセーラー服を借りたと知り、獏良のフリでもして適当な女子から借り出したのだろう。杏子は違うが、クラスの半分近くの女子は童実野中学の出身だ。敢えて衣装を合わせた理由はこのとき本田にはよく分からない。ただ、それよりも、もっと他のことが気になってしまう。
「いや、まあ、それはそうなんだろうけどよ、そうにしたって、バクラ、お前……!?」
 ドアからこの椅子まで、ただ歩いただけだ。化粧もしておらず、身長も女子にしてはかなり高い。胸の膨らみなど当然なく、顔立ちも獏良よりよほど凶悪なはずなのに、何故か本田にはひどく『女性的』に見えた。
 歩き方、身のこなし方、仕草の一つ一つにわざとらしさがない。
 明らかに、普段の獏良とは違う、もちろんバクラとも違うのだ。それなのに、どうしてこんなにも女性らしく見えるのか。鼓動がうるさすぎてまともに思考が回らなかった本田も、ハッと閃く。
「そっ、そうか、これまで女に取り憑いたこともあるからか!!」
「人を幽霊みたく言ってんじゃねえよ」
「いやまさにそのものじゃ……て、足あげんな!? 中見えるだろうが!!」
 バクラがこれほどまでに上手く女性に『化ける』のは、千年リングで様々な人間に寄生してきたからだろう。そう結論付けた本田を、バクラはいつかのように遠慮なく足で蹴った。だが女子よりは身長もあるバクラのスカートはやたら短いし、本田は椅子に座っているので視線がそもそも低い。男だと分かっていても動揺してしまう本田に、バクラは呆れて見下ろした後、ふっとステージの方を見やった。
「……?」
「次で、一年も最後だ。てめーはそろそろ退散しろ」
 登場はクラス順であり、それは飛び入りの場合も変わらない。本田もバクラも、出番まであと少しだ。当然のようにそう言い捨てたバクラには、本田も負けじと言い返す。
「そんなことできねえよ。お前だけ笑われる的にさせて、逃げ帰れるかっ」
 バクラは確実にそのために現れたと分かっていたが、それでも本田は素直に従うことなど出来ない。反論すれば、また呆れた視線が降ってくる。
「いや、このまま二人で出たって笑われるのは確実にてめーだけだと思うんだけどよ?」
「そ、それは分かってるけどよっ、オレも男だ、一度やると言ったことを覆したりしねえ!!」
「そんな格好で男だって主張されても、滑稽さしかねえんだけど」
「うっ……!!」
 何から何まで、その通りだ。意地を張る意味はない。
 だが、そんなことは本田も分かっているのだ。そもそも、立候補したときから後悔は延々と続いている。
「……なあ、宿主サマのこと、まだ気にしてんのか? だったらマジで無駄だぞ、どうせ今は記憶ねえんだし、終わってからのこともオレサマが上手く考えてる」
 そして、本田が苦悩していることも、バクラには分かっているのだろう。気遣いや心配というより、純粋に不思議そうにそう言われた。
 確かに、今は獏良に意識はない。決して穏やかな手段とは限らないが、コンテストが終わってからも獏良がからかわれるような事態にならないような方策がバクラにはあるのだろう。
 それでも、本田は頷けなかった。
 理屈だとか、合理性だとか、そんなことで気持ちが割り切れるならば、破滅型のお人好しと揶揄されてきたはずがない。
「いいからっ、オレが出るから、お前は引っ込んでろよ!!」
「本田……?」
「オレはバクラのことも笑い者にさせるつもりはねえんだよ!!」
 引き金になったのは、名前を呼ばれたからかもしれない。
 なんだ、オレの名前、知ってたのか。
 妙な感動は滑稽さも通り越した主張を本田にさせる。
 どうして、自分がバクラのことまでかばわなければならないのか。こいつは敵だ、協力するフリを見せてもあの狂気を忘れてなどいない。いつか、必ず対峙する。共に歩めない存在なのだと頭では分かっていたのに、まるで友人の一人かのようにかばってしまう。
 こういう言動は、バクラが最も嫌悪するところだろう。敵味方という以前に、他人にかばわれること自体、弱き者として軽んじられているようで憤る。バクラは、そういうタイプだ。驚いた目は蔑みと怒りに変化していくことを本田は覚悟したが、やがてどこか面白そうに笑った色に、警戒した心の砦が無残に打ち砕かれる。
「……てめー、ほんとにバカなんだな」
「えっ、あ、バクラ……!?」
 何度も向けられた言葉なのに、何故か甘ったるく聞こえた。それに動揺している間に、本田は軽く屈んだバクラに手を取られる。
「紹介はクラスごとなんだろ? ほら、行くぞ」
「あ、ああ……!?」
 握られた手は、少し骨ばっていてお世辞にも柔らかい女性の手などではない。
 それでも、鼓動はまた跳ね上がった。
 出番が来て、緊張したのだと思いたい。
 あるいは、やはり笑い者になることに苦痛が増しただけと誤魔化したい。
 本当は、この選択もまた正解なのにきっと後悔すると分かってしまったからだとは、まだ認めたくなかった。














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バクラさんが男なのは、ここまでです。
盗賊王以降は女体で、必然的にエロぽいのも女体のみです。
シリアスになるつもりが、ただのラブでした!
いつものこと!

ロボっぽい何か