『Binding BIND.』 お試し版 -01.
※注意※
この本は、本田×バクラ(女体)のみです。
海城は今回はないので注意してください。
↓よろしければ、スクロールをしてどうぞ。
■00
ひどく印象に残っている出来事がある。
あれは確か、六月の半ば、金曜日だった。後に思えば、最初に体調不良で倒れる前日だったのだろう。
「あー……くそっ、ついてねえな……。」
梅雨の中休み、空はすっきりと青く晴れ渡っている。だが朝というほどではない時間帯に一人登校していると、自然とそんな愚痴が口を突いて出た。
ついてないとぼやいたが、何から何まで自業自得だ。両親が嫁いだ姉のところに泊まりこむので、昨日の晩からいないことは分かっていた。弁当代などはもらい、食事も作り置きしてある。ただ、朝は起こせないのでちゃんと目覚ましをかけるようにと言われていたが、すっかり忘れた。ちなみに、普段から目覚ましをかけているが、それだけで起きられることがまずないため、母親から内線電話がかかることが多い。
そこまで寝起きの悪さを自覚していたのに、目覚ましすら鳴らなければ自然と起きられるはずもなかったのだ。最初に時計が目に入ったとき、既に始業に間に合う時間ではなかった。つい気持ちも折れて二度寝してしまい、ちゃんと目が覚めたときには一時間目が始まっており、頭を抱える。
どうせ授業中も寝ているのだから、少しでも出席日数を稼げばよかった。いや、一時間目に提出するはずの宿題をやっていないので、遅刻して二重に怒られるよりはよかったかもしれない。
どうしようもない後悔に揺れながらも、なんとか起き出し、作り置きの朝食を食べてから学校に向かったのは、単なる義務感だけではない。
「……。」
二週間ほど前に、いつもつるんでいるメンバーに新たな者たちが加わった。
一人は、元々いたようなものだ。小さな友人の体を器として間借りすることなく、すべてが終わったことへの褒美というか、猶予なのか、何故か実体を伴って戻ってきている。
それは、分からなくもない。自分たちと確かに友情を深めていたかつての王は、誰もが叶うならばもう少し共に在りたいと願っていただろう。
だが、もう一人の方はどうなのか。
誰か一人でも、戻ってくることを期待していただろうか。
「……もしかすると、獏良なのか?」
唯一可能性がありそうなのは、宿主であったクラスメートくらいだ。体を乗っ取られ、散々危険な目にも遭い、リングに宿った人格の所業まですべて知っても尚、歓迎している。今では双子の妹として、平然と受け入れている。
だがそれは、千年リングに宿る人格がかつての王のように実体を伴って戻ってきたので、そういう態度になったような気もする。つまり、積極的に望んだわけではない。三千年もの間、現世に留まり続けた原因が憎悪であったことを考えれば、記憶のゲームで敗北して安らかな眠りにつくことを獏良もまたひっそりと祈っていたように思う。
そうなると、誰が、どうして、かつての王以外も戻したのか。
当人ですらないということが、困惑をいっそう深める。
「……。」
この事態に最も戸惑い、ときに絶望しているようにも見えたのは、きっと演技ではないのだろう。獏良の強い勧めもあり、また挑発すれば無茶も実行してくれる童実野町の名物社長のおかげもあって、今では双子の妹としてこのクラスで席を並べている横顔は、いつもつまらなそうだった。
それは、遠くから見上げても印象は変わらない。
遅れてでも登校してきてよかったと、窓辺でぼんやりと空を眺めている姿を見つけたとき、思わず胸が弾んだ。
「……。」
今は、二時間目の途中だ。時間割は体育であり、自分のクラスだけでなく、学年ごとごっそりといない。久しぶりに晴れた校庭では、女子が授業をしている。男子は体育館なのだろう。もう少しして梅雨も明ければ、プール開きになるような時期だ。
頭を使うことは苦手だが、体を動かすことは好きだ。体育は比較的楽しいことも多く、今の担当教師はそれほど厳しくないので、着替えて謝りながら現れればあっさり合流させてくれる。一応体操服を持ち、更衣室が併設されている体育館に直接向かうつもりだった。だが校門から入ってすぐ、見上げた校舎の二階、自分たちの教室がある窓にその姿を見つけ、足は自然と体育館から向きを変えた。
靴を履き替え、階段を昇り、二階の廊下に進むと静まり返っている。どうやら他のクラスにはサボっている者もいないようで、自分の足音がやけに大きく聞こえた。
教室のドアは最初から開いており、窓もほとんど閉まっていないためその後ろ姿ははっきり見える。
白く長い髪が、外からの風を受けて少し揺れていた。元々癖が強く、闇人格ではなくなった今でも、いくら櫛を通しても髪ははねたままらしい。
「……。」
窓枠に肘をつくことで、やや前屈みになり、上がったスカートから白い脚が覗く。戸籍上は双子の姉となっている獏良より、制服自体が随分と小さい印象は当初からあった。現代に馴染んでいないというか、時にあまりに無用心すぎることがあるので、苦言を呈したくなったのは一度や二度ではない。
まだ、戻ってからたった二週間なのに。
つまらなそうな横顔は、いつも注意を引きつけた。だが、まともに指摘したことはない。先に言葉に出してくれる友人が多かったし、何より自分が言ったところで認識されるかも怪しい。どうやら、闇人格の頃に接触がなかった人物には、今のところまともに相手をする気がないようなのだ。むしろ、面識がある者たちは無視できないだけかもしれない。どちらにしろ、自分は名前を覚えられているのかも疑わしい自覚くらいはあった。
だからこそ、珍しく一人でいるという状況に、気持ちは弾むのに同時に足は竦む。
どんなふうに、声をかければいいのだろう。足音からも、こちらの気配は確実に察しているはずだ。それでも、振り返ることはない。無視していると語る背中に、散々迷って口にできたのは、どういう反応をされても言い訳ができるずるい演技だった。
「……獏良?」
「……?」
音の響きは似ていても、区別はつくらしい。当人ではなく、以前からの仲間の名前を呼ぶ。今では双子の姉ということになっているため、特徴的な白く長い髪からも、間違えるクラスメートは多い。
だからこそ、わざとそちらを呼んでみた。興味がない連中をとことん無視していても、ほとんど唯一、まともに相手をするときは、いつも双子の姉と間違われて訂正するときだった。
「……違えよ。宿主サマがサボってるわけねえだろ」
振り返り、窓枠にもたれかかるようにしてそう答えた声に、小さな賭けに勝ったと信じた。
正しい名を呼んだだけでは、こうして向き合ってはくれなかっただろう。やや気だるそうな声は、体調が悪いのかもしれない。だが内容を思えば自らはサボリだと認めているも同然で、呆れたふりをしつつなんとか会話を繋ぐ。
「お前、ずっとリングの中から見てたのに知らねえのかよ?」
「……。」
「獏良って、見た目華奢だし、病弱そうに見えるからな? よくゲームなんかで徹夜して眠いとき、保健室で寝てるって自分で言ってたぜ」
返した言葉は、嘘ではない。最初の頃は、本当に病弱なのかとよく心配したが、実はサボっているだけだと杏子に教えられた。本人もそれを認めていた。体調が悪いときは、むしろ学校を休むらしい。
それを、本気で知らないとは思っていない。ただ、人違いをしてバツが悪く、適当な反論をしてみせた。そんなふうに見えることを期待したが、怪訝そうに見てくる視線しか返ってこない。これでは、獏良と間違えたクラスメートたちと同じだ。違うことさえ指摘すれば、後はもう意識から外されていくようで、やや焦りつつ言葉を続ける。
「だから、獏良だと思ったんだよ。校舎の外からだと、結構距離があるしな」
「……。」
「そうでなきゃ、そのまま体育館に向かってる。体育なら、遅刻しても出たいかなて思える授業だし」
後ろめたいことがあるとよくしゃべると言うが、それは本当のようだと痛感する。推理物などで、犯人が勝手に自供していく心理を垣間見た。
不機嫌とまでは言えないが、あきらかに興味がなさそうな様子に、気持ちはどんどん焦っていく。どう言えば表情を変えてくれるのか、少しでもこちらに注意を向けてくれるのか。そればかり考えていたとき、ふと、前触れなく相手が笑った。
「……!?」
「てめー、宿主サマとオレサマの区別もつかねえのかよ」
薄っすらとでも、笑みには違いない。鮮やかな感情の色に目を奪われていたため、何を言われたのか一瞬分からない。だがすぐに必死で理解しようと努めれば、単純に呆れられただけだと分かり、安堵した。どうやら、ばれてはいないらしい。それを指摘されれば、反論を繰り返すだけであっても会話を続けることができる。
「だから、校門からは遠かったんだし、間違えても仕方ないだろ。この廊下からは近いけどよ、後ろ姿だったし」
「……。」
「お前、自覚ねえのかもしれねえけど、後ろから見たら獏良にそっくりだぞ。さすが、双子だって言って疑われないだけあるよな」
二人が並んでいれば、スカートの短さや、全体の肉付き、髪のはね具合で区別はつく。だが、一人でいて、どちらか正確に特定できるクラスメートは、まだ少ないだろう。私服であれば後ろ姿でも一目瞭然なのだが、学校では当然ながらデザインが同じ制服なのだ。分かりにくいという一般論を口にすれば、やや怪訝そうな顔をした後、再び窓の外を眺めるようにして背を向けられた。
「……オレサマは、宿主サマとは違えよ」
「知ってるって。けど、紛らわしいのも事実だろって話だ。クラスの連中だってよく間違えてるし、オレが分からなくても不思議じゃないだろ」
どうやら、機嫌を損ねたらしい。本当は間違えてなどいないのに、間違えたふりをして言い訳をするという虚しいことにも疲れてきたので、そこで会話も終わらせて廊下に戻った。
いや、正確には、一歩も教室には入れなかった。わずかな会話も、すべて廊下に立ったまま、開いていたドアからしただけだ。
何を言われたわけではないが、明確に拒絶されていると感じる。
もしかすると、少しくらいは自分への認識もあったのかもしれない。要するに、間違えるはずがない相手だと知られていて、間違えたことに不快感を示す。そうであるならば、申し訳ない。声をかけにくかったからだと、正直に話して謝罪したい。
だがそれもせずに立ち去ったのは、もっと根本的なことが分かっていたからだ。
きっと、単純に自分と話す気がなかっただけだ。
朝起きたとき、ついていないと思った。遅刻して校門をくぐったときは、ついていると思った。だが興味がなさそうな態度を示され、やはりついていないと思い直したのに、小馬鹿にするためでも浮かべたわずかな笑みが脳裏をちらつく。
もしかすると、ついているのかもしれない。
まともに会話が成立しなかったことは思考の隅に置いてやって、楽観的な感情がそんなふうに判断し始める。この程度でいちいち落ち込んでいては、あの者とまともに付き合えないことは織り込み済みだ。小さな幸せを噛み締め、大きな痛みには気がつかなかったことにしていないと、つらい。
すっかり仲間内でも馴染んでいるかつての王と比べても、あの者はいつも浮かない表情で、自分たちからは浮いている。心ここにあらずという雰囲気がまた儚げで、獏良とも違う体格とも相俟ってクラスメートからはいろいろと誤解もされているようだ。戻ってから二週間なのに、既に複数から交際を申し込まれたらしい。当人が面倒くさそうに、尋ねられればあっさり吐露するため、知りたくないのに知ってしまう。怖いのは、あまりに面倒すぎて、つい適当に承諾することがあるのではないかという点だ。それだけ、相手にも、自分自身にも、こだわりがないように見えた。現代への執着のなさが、そのまま自身にも無頓着にさせているようで、お節介と分かっていてもいつも傍目からはらはらしてしまうのだ。
そういう指摘をしたかったのに、結局は獏良と見分けがつかないという、ありきたりな会話で終わってしまった。話ができただけでも充分だと思い込んで体育館に向かい、着替えて授業に遅れて参加する。そして二十分もしないうちに授業は終わり、また制服へと着替えて友人たちと教室に戻ったとき、珍しい声がした。
『それっ、どうしたの〜!?』
「……?」
「あれ、珍しいな。獏良がでかい声出すなんて」
体育は女子の方が先に終わっていたようで、多くの者がもう教室にいた。その中に、当然獏良もいる。廊下まで聞こえた声に、隣を歩いていた城之内も不思議そうだ。顔を見合わせ、首を傾げてから教室へと入ったとき、思わず息を飲むほど驚いた。
獏良が話しかけた先には、窓辺から移動し、自分の席についた双子の妹がいる。だが、三十分ほど前に見たばかりの姿とは、明らかに変わっている点があった。
「……なんだ、あいつ。自分で切ったみてえだな」
「……。」
「もう夏も近いし、暑かったのかもね」
遅れて教室に入った遊戯もその変化に気がつき、妥当な感想を述べていた。
教室の後ろに設置されたゴミ箱の縁には、何本か白い髪の毛が引っかかっている。中にはもっと大量に捨てられているのだろう。明らかに自分で切ったと思われる髪は、やや斜めに一直線になっており、二十センチは短くなっていた。
背中の半分は越えていた毛先は、もう肩に少しかかる程度しかない。朝からそうであれば昨日のうちに切ったと考えられるが、一時間目にも会っていた友人たちはどうして今なのか、不思議でたまらないはずだ。
「そういう理由じゃないと思うぜ、相棒」
「そうなの?」
たぶん、暑かったからではないのだ。
内心では分かっていても、同じことを別の人物に否定されて驚いた。何か知っているのかと焦るが、そういうことではないらしい。単なる予想だったようだが、まるでその言葉を受けるかのように、自分の席で頬杖をついたままぼんやりと獏良に答える声が聞こえる。
「……特に、理由はねえよ」
「だからって〜、自分で、教室で、切らなくてもいいでしょ〜?」
特に理由がなく、そんな行動は取らないだろう。苦笑している獏良の気持ちは分かる。
ただ、それが助言を素直に受け止めた結果なのか、あてつけなのかは分からない。
前者であれば、少し嬉しくなってしまいそうだ。だがおそらくは後者だろう。区別がつかないと非難しすぎて、女の命とまで言われる髪を切らせてしまったのだろうか。そうであれば、申し訳ない。ただ、そんな言い回しを知っているかは謎であったし、なによりあてつけにしては殊更こちらに誇示する素振りもない。
本当に、ただの思いつきのような気もした。発端になっても、誰がそうさせたのかは、もう覚えていない。興味もないということなのかもしれない。
それでも、気になった。
万一自分がからかいすぎたことが原因であれば、謝りたい。また話ができるのだという打算を見抜かれたわけではないのだろうが、すぐに始まった三時間目が終わると、その姿は教室から消えた。トイレか何かかと思っていたが、四時間目にも現れず、昼休みになったところで、体調が悪いので早退すると獏良にだけ告げに戻ってくる。
この日は金曜日だったので、土日は休みでもちろん会えない。
週明けに登校してきたときは、もう髪は整えられており、まるで学校で切ったことすらなかったことになっているようで、何も言えなくなった。
■01
戸籍上は獏良の双子の妹、その正体は三千年前の魂が何故か実体を伴って現れた姿。
戻ったばかりの頃、さして意味のない会話だと思っていたものを引き金にして髪を切られたことが、最も強い印象になると諦めていた。きっと、自分たちはまともに絡むことはない。スキンシップとしてはもちろん、会話も、視線すら交わらないだろう。
「んぁっ、あ、んん……ふ、あぁっ、あ、ん……!!」
「バクラ……!!」
それが、三ヶ月ほど経過して、突然ひっくり返る。
言葉も、目線も、肌すら重なる。ついそうして名を呼べば、口が離されたことを嫌がるように制服のシャツを引っ張られた。
「あ、本田ぁ……もっ、と……。」
「……ああ」
「んんっ、んー……ん、あぁっ、んぁ……!!」
せがむ声に促され、再び深くキスを施す。
これは、本当に現実なのか。
幸運すぎて生まれる疑念は、じっとりしたバクラの熱さと軋むベッドの音が殺してくれた。
今日は、普段と何も変わらない一日のはずだった。
週に二回体育はあるが、金曜日以外は火曜日、今日だ。九月も終わりが近づけば、だいぶ気温も下がる。真夏の盛りはとっくに過ぎているが、だからといって持久走はつらい。どういう思考回路なのか知らないが、比較的気温も穏やかで、涼しさすら感じる心地好い天気に、体育教師たちは地獄のような授業を閃いたようだ。
男女ともに同じ内容だが、走る場所が違う。男子は学校の敷地周り、つまり外周だ。女子は校舎周りである。いずれにしても、トラックではないので正確な距離を測れない。途中でサボっても分からない気がしないでもないが、とにかく走らせたいだけのようであり、億劫な授業は開始された。
「よっしゃ、オレの勝ちだな!!」
「……くそっ、城之内、お前本気出しすぎだろ」
こういう授業のとき、大抵は苦手にしている遊戯を気遣い、城之内はペースを落として共に走ることが多い。今回もそうなると思っていたのだが、よく考えれば遊戯は一人置いていかれることはもうないのだ。
どれだけ素で王者の風格を持っていても、もう一人の遊戯、いや今はアテムという名で遊戯の双子の弟扱いになっている者も、運動が苦手だ。二人で仲良く走るので、城之内くんは先に行っていいよと遊戯たちが言っていた。それに、迷う様子を見せていたので、気遣うつもりで言うほど体力があるわけでもないから一緒に走ってやれよと遊戯に言えば、後ろから蹴られる。
遊戯たちには気遣えるのに、相変わらず乱暴な悪友だ。
だったら勝負だと血気盛んに持ち込まれ、よく分からないままに賭けをすることになる。相手の勝ちは見えていたが、大したことは要求されないだろう。プライドが高く、それでいて甘え慣れていないので、勝利の報酬であっても金品を巻き上げるような真似はできない。城之内のことはよく分かっていたので、適当に頷いてスタートした。
授業としては、学校の外回りを二周。早くゴールできた者が勝ちで、授業も終えることができる。最初の一周は、城之内もほぼ併走していた。だが半分である校門を過ぎたところで、いきなり速度を上げ、あっという間に姿が見えなくなる。途中、追い越すことになる遊戯たちに併走して話しかけていなければ、もっと早くゴールしていたのだろう。負けるだろうと分かっていても、予想より大差で正直悔しい。ゴール地点である校門では、息を上がらせた様子もない城之内が、かなり得意そうに待っていた。
「本田がなまってるだけじゃねえの? ああ、いや、お前昔から体力なかったよなあ?」
「……お前と一緒にするな、オレが普通なんだよ」
実際に、まだ十人ほどしかゴールしていない。城之内以外は、皆運動部で活躍している者たちだ。それを思えば、健闘した方だろう。そう自分を慰めつつも、息が上がって少し吐きそうだ。しゃがみこみ、呼吸を整えていてもかなり情けない。確かに中学の頃の方が体力があった気もして、さほど意味があったとは思えない城之内の言葉に、真剣に悩みそうになったときに声をかけられた。
「あっ、ねえ〜、城之内くん、本田くん〜」
「獏良? あれ、女子って校舎周り走ってるんじゃないのか?」
男子を受け持つ教師は校門の外でタイムを計測しているため、ゴールした敷地内にはいない。もう着替えて教室に戻ることも可能であり、少し進んだところで城之内と話していると、獏良が小走りで駆け寄ってくる。
まだ息が整わないので、会話は城之内に任せ、地面にしゃがみこんだまま見上げる。すると、獏良は制服のままだった。運動を得意としていないことを考えれば、いち早くゴールをしたのではなく、そもそも見学だったのだろう。サボっているのかは、よく分からない。なにしろ、本当に少し顔色が悪いのだ。だがそれは声をかけてきた内容の所為かもしれないと、本田は思い直した。
「あのね、疲れてるところ悪いんだけど〜、お願いがあるんだ」
「ああ?」
「妹が、走ってるうちに気分悪くて動けなくなっちゃって、保健室まで運んで欲しいんだよ〜」
その言葉に、妙に納得する。
今日は、九月の終わり。最初は、六月の半ば。獏良が妹と称するバクラは、ほぼ一ヶ月おきに数日間体調を崩している。どうやらその時期だったにも関わらず、まだ大丈夫だろうと体育に出て、動けなくなったらしい。
ちなみに、教師の手を借りようとしないのは、バクラの警戒心が強すぎるためだ。いまだに、闇人格の頃に面識がなかった者には興味すら抱こうとしない。だが見知った仲間ならば、大丈夫だ。そう獏良は考えたのだろうが、希望的観測である気もする。どちらであっても、バクラは嫌がりそうだ。ただ、顔見知りの方が、獏良が気遣った結果だと察し、嫌々でも手を借りるかもしれないという意味では頷けた。
「大丈夫なのか!? なあ、バクラってどこにいるんだ? すぐにオレが運んで……?」
「……ま、待てよっ、城之内!?」
戻ってきた当初こそ、バクラを最も警戒し、それこそ正面切ってお前は敵だろうと糾弾したのは城之内だ。自らが受けた被害ではなく、今後も友人たちが危険な目に遭うなら許せないと思ったのだろう。友情に篤い城之内ならではの反応だ。
それに、バクラはほとんど無反応だった。一言呟いたのは、バカ犬は相変わらず面倒くせえというひどいもので、頭に血が昇った城之内がまさに犬のように喚き立てるのを抑えるのに苦労した。女を殴るような悪友ではないが、険悪になりすぎても困る。だが、杞憂だった。どういう直観力なのか分からないが、城之内はこのバクラはもう無害だと判断したらしい。むしろ口が悪く、しばしば乱暴な思考に陥りがちという共通点からか、割と仲良くしているように見えて、悔しい。
城之内からは明らかに友情で、バクラからはうるさい犬くらいの認識でも、いつも傍で見ていて胸の奥がざわざわした。そんな自分が嫌でぐっと堪え続けたはずだったが、気がついたときには叫んで立ち上がっている。
「本田?」
「本田くんが運んでくれる〜?」
「えっ、あ、いや……その……だから、ええっと、城之内は、まだ遊戯たちがゴールするの、待ってやってるんだろ!?」
苦しい言い訳だと分かっていたが、それしか思いつけなかった。仲間内で、最も遅くゴールするのは遊戯たちだろう。御伽はそこそこ早いので、もう現れてもおかしくない。先に着替えてもどうせまた待つことになるので、ここで遊戯たちを待つつもりだったのは明らかだ。
「いや、でもバクラが倒れてるって話だし……?」
だがそれは、仲間内の一人が体調を崩して助けを求めているという状況で、優先すべきことではない。遊戯たちも、きっと同じことを思う。だからこそ、友情に悖る行為ではないし、普通に不思議そうにしている城之内に、本田はハッと気がつく。
「そ、そうだっ、さっきの勝負、オレが負けただろ?」
「お前が勝てるとは思ってなかったけどよ?」
「これは、その罰ゲームってことで? 損な役目は引き受けてやるっ、だから城之内はここで遊戯たちを待ってろって?」
城之内は何か言いたそうだったが、引き止められる前に獏良の手を引いた。場所も知らないのに慌てていたと分かったのは、そっちじゃないよと獏良から逆に手を引っ張られたときだ。相当、気が急いていたらしい。軽く自己嫌悪にもなりかけるが、校舎の裏、周囲を走っている女子生徒たちにも目立たないようなところでしゃがみこんでいる姿を見つけたときにはそれも吹き飛ぶ。
「……。」
「よかった〜、じっとしててくれたんだね〜」
先導するための手を離し、そう言って安堵したように駆け寄る獏良の声で、おそらく一人で歩けると言い張ったことは予想がつく。だが、到底可能とは思えない。少し離れていても、呼吸が荒く、顔も上気しているのが分かった。膝を抱えるようにして座り込んだまま、チラリと視線を向けた後は、また顔を伏せる。
「本田くん〜、運んであげてくれる〜?」
「あ、ああ……!?」
「……いいっての、平気だ」
獏良に遅れて足を進めた本田は、そう頼まれて手を伸ばした。だが、触れる前に端的に断られる。掠れたような声にはそんな場合でもないのにどきどきしてしまい、つい自らを戒めるつもりでも、返しがきつくなった。
「平気そうに見えねえから、獏良も心配してオレを呼びに来たんだろ」
「……。」
「ねえ〜、意地張らないで、運んでもらいなよ〜?」
「お、オレだって運びたくて運ぶわけじゃねえ。けど、獏良もこう言ってんだから、今は大人しく運ばれてろ」
本当は、運びたくてやってきた。
だがそれがばれるわけにもいかないし、このまま抵抗されて放置することもできない。完全に獏良の威を借り、そう説き伏せる。反論がなかったことで、消極的でも肯定だろうと気合いを入れ、思いきって腕をつかめばやたら派手に震えられて内心傷ついた。
それでも、振りほどかれることはない。体を寄せ、片腕を背中に回させるようにして抱え上げる。するとやけに高い体温と、小刻みな呼吸が顕著に感じられ、なにより完全に腕の中にいるのだという実感が本田の何かを昂揚させた。
「じゃあ、保健室に連れて行ってあげて〜。ボク、先生に説明したら、制服持って行くから〜」
「あ、ああ……。」
「……。」
感動していると、横から話しかけられて本田も焦る。少し、獏良のことが意識から抜け落ちそうになっていた。それどころか、学校であることも忘れかけていた。危なかったと自制し、冷静さを取り戻せば、バクラの体温をより現実的にさせる。それがまた混乱させそうだという堂々巡りを繰り返しつつ、とにかく保健室だと本田は急いだ。
バクラが座り込んでいた場所から、保健室はそう離れていない。校庭で怪我をした者もすぐに入れるようにと、廊下とは反対に建物の外壁にもドアがある。両手は塞がっていたが、なんとかノブを回し、扉を開けることは出来た。自分の靴は脱いでからバクラをベッドに横たえ、靴を脱がしてドアの前まで持っていく。
「ん……。」
「……。」
腕を離したとき、バクラが小さく唸ったのは単にベッドに横になれて安堵したからだろう。深い意味はないと分かっていても、妙に艶かしく聞こえてしまい、本田は焦る。靴を置きに行ったのは、気持ちを落ち着かせたかった理由も確かにあった。
こうして保健室まで運ぶという役目は果たしたのだし、もう出て行っても問題はないだろう。獏良を待つとしても、ベッドではなく、保健医のいない部屋の方で充分だ。
「……。」
それなのに、バクラの靴を自分の靴の横に並べると、本田はゆっくりとベッドに戻った。保健医が外出中で、まだ校舎内も授業中だ。静まり返った空間で、やけにバクラの息遣いが耳につき、誘われるように横へと立てば、一度ゴクリと唾を飲み込んだようだ。
「……礼は、言わねえぞ」
わずかに鳴った喉の音にも、意識は過敏に反応する。ましてや、強がりと思われるそんな言葉を、弱々しいが熱っぽく吐息のように向けられても、手放さないようにしている理性が簡単にすり抜けそうでこわい。
「いいって、これくらい。恩に着せるほどのことでもねえよ」
「……。」
むしろ、こちらが感謝したいくらいだ。
たとえわずかの間でも、純粋な救護活動の範囲内であっても、触れることができた。この実体の重みを、確かめることができたのだ。ただ、謝礼はいらないので、詫びてほしい。一度触れ、ちゃんと存在できると知れば満足するに違いないと思い込んでいた自分が、もっと手を伸ばしたくなるような熱を持っているのだと教えられた。再び触れたくなる温度なのだと知りたくなかったと、自制するためにも、気遣いを口にする。
「お前、ほんとに大丈夫か? 顔も赤いし、風邪でも引いちまったのか?」
「……。」
これは、病人だ。苦しんでおり、気遣うべき対象なのだ。
そう自分に言い聞かせつつ、いわゆる病気ではないと知っている。ほぼ一ヶ月くらいの間隔で体調を崩すのは、そういうことなのだと以前獏良が示唆させたことがあるためだ。
「……うつらねえから、気にすんな」
「けど、だいぶ苦しそうだぞ? あ、もしかして、動けなかったのって走ってるときに足捻ったとかもあるのか?」
「……違う」
「捻挫とかでも、ひどいと熱出たりするしな、て、違うのか……。」
姉がいる本田は、勝手に納得したつもりになっていた。だが、本当に女子特有の体調不良なのか、不思議になる。
抱えたとき、こんなにも体温が高いのかと眩暈がした。顔は完全に火照っているし、息も荒い。どう見ても、風邪か何かで発熱しているという方が納得できる。持久走の途中だったこともあり、捻挫のような怪我も想像してみたが、すぐに否定される。
「なあ、バクラ? お前、ほんとに……?」
直接的に尋ねられるはずもなく、言葉を飲み込んだ本田の前で、バクラは背を向けていった。
話をしていたくないという意思表示かと傷つく暇もなかったのは、体を丸めるようにしたバクラが、軽く息を詰め、何かに耐えるようにギュッと瞳を閉じたからだ。きつく噛み締められた唇からは、血が滲みそうだ。苦痛に襲われていると傍目からも明らかな様子に、不謹慎な昂揚よりも、純粋な心配が上回った。
「おいっ、大丈夫か!? どっか痛むのか!?」
「ちが、う……。」
「どう見ても普通じゃねえだろっ、さっきから!!」
やはり息を止めていたようで、否定する言葉を呟いた後、大きく咳き込んでいた。ベッドが軋むほど体が跳ね、横を向く体勢からうつ伏せに近くなる。
「風邪じゃねえのかもしれねえけどっ、だったら、余計にずっと体調崩すのヤバイって? なあ、バクラ、ちゃんと病院行けよ? 動けねえならオレがまた運んでもいいし、できることがあるなら協力すっから、だから……あ」
「……!?」
こんなことを言っても、聞き届けられることはないだろう。だがあまりにつらそうな様子に、本田はつい手を伸ばして背中をさすりながら、諭そうとした。
断じて、下心があったわけではない。触りたいのは事実だったが、背中に触れたのは、あくまでバクラが直前に咳き込んだからであり、ましてや意図して事故を装ったわけではないのだ。
「わっ、悪い!? これ、わざとじゃ……!?」
「……。」
背中をさすっていたとき、体操服が突然弾むような動きを見せた。正直に言えば、サイズが合っていないと思われるシャツは、胸を締め付ける下着のラインをくっきりと浮かび上がらせていた。だが、それを親切にかこつけて外してやろうという悪戯心はない。演技ではなく、本当に慌てる。完全な事故だと信じてもらえても、結果は重大だ。直してやることはできるはずもなく、困惑が極まったとき、ガチャリとドアが開く音がした。
「……!?」
「制服、持って来たよ〜。大丈夫〜?」
どうやら、教師への報告をして、体育館の更衣室に寄ってきたらしい獏良が現れた。それには、心底ほっとする。一人盛り上がっていたのを悟られたくなくて、深呼吸でなんとか気持ちを落ち着け、平静を装う。
「ああ、獏良、遅かったな。なんか、こいつだいぶ苦しそうだぞ? 今日は早退させた方がいいんじゃないのか」
そう思ったのは、嘘ではない。風邪にしろ、違うにしろ、バクラの体調が悪いのは事実だ。だが体育にまで出ると主張したのであれば、どうせまた平気だと強がるのだろう。恐らく獏良もそう考え、説き伏せようとしたのだろうが、背中を向けたままのバクラが小さく頷いたのが分かった。
「……着替えたら、そうする」
「……!?」
「あ、ほんとに〜? よかった、キミ、よく無理しちゃうから〜」
「だから、宿主サマはもう、教室に戻れよ」
もうすぐ授業が始まるぞという言葉で、方便だと察したのだろう。安心しかけて、また心配そうになる獏良に、バクラはもっと意外なことを告げた。
「でも〜……?」
「……付き添いなら、いらねえよ。こいつが送ってくれるって言ってるし」
「え」
「え?……本田くん、いいの〜?」
「え!? ……あ、ああ、もちろんだ!? 任せろって!!」
かなり驚いたことに、獏良も驚かせてしまったが、先ほど焦ってそんなことを口走ったと思い出す。
あれは病院に連れて行くという意味だったが、目的地を家に変えたのだろう。あるいは、できることがあれば協力するという言葉の方を取ったのかもしれない。
どちらにしろ確かなのは、本気ではないということだけだ。単に獏良に心配をかけたくなくて、嘘をついている。だが下着のラインが見えない背中を見下ろしていると、片棒を担ぐことを拒めなくて、本田は引き攣った笑顔でもしっかりと頷いておいた。
「大丈夫だぜ、オレがちゃんと責任持って送り届けてやっから?」
「そう〜?……じゃあ、お願いしていいかな? ボクだと、どうしても背負ってあげられないんだよね〜」
本田くんがいて助かったと、心から信じきって嬉しそうに言う獏良には、心苦しい。だがこれも、罪滅ぼしだ。仕方がない嘘だと自分に言い聞かせていれば、安堵したように頷いた獏良は、隣のベッドに着替えなどを置いてもう一度バクラを労わってから保健室を後にした。
ドアが再び閉まる頃、校舎内にチャイムが響き渡る。どうやら授業が終わったようだと思ったが、時計を見ると次の授業が始まる時間だった。全く気がつけなかったが、一度終業のチャイムは鳴っていたらしい。きっと、バクラの様子に夢中すぎて耳に入らなかったのだろうと思うと、本田は自然とため息が出た。
「……そんなに、落ち込まなくてもいいっての。本気で家まで背負わせるつもりじゃねえよ」
「バクラ……?」
だが、本田の態度に誤解をしたらしいバクラが、背を向けたままで言ってくる。
相変わらず、呼吸は浅く、早い。半分しか見えない顔も、頬は紅潮したままだ。体を起こす気配すらないことからも、この一瞬で体調が回復したはずはない。恐らくは気遣いで否定してくれたのだろうが、本田はまたそれを否定した。
「いや、運べってんなら、マジで運ぶぞ? 獏良にもそう約束したしな」
「……。」
「お前の体調がよくねえのは事実だし、その、さっきのそれも含めて、詫びでオレにできることがあるなら……。」
つい凹凸のないなだらかな背中を眺めながら、本田はそう言ってみる。口にはしたものの、何も求められはしないだろうと考えていた。
せいぜい、早く出て行けだとか、連れて帰ったことにして口裏を合わせろというのが、関の山だ。だが、たとえそうであっても、まるで秘密を共有するかのようだ。小さな喜びを見つけ、大きな痛みからは目を逸らす。バクラと接するうちに習得していった感性を自分の中でまた繰り返していたとき、ふと尋ねられた。
「……ほんとに、してくれんのか」
「え? あ、ああ、オレにできることならな?」
「……。」
このとき、バクラが確認したのは家まで運ぶということだと、信じて疑っていなかった。先ほども体を委ねたくらいであるし、本当に一人では帰れないほどなのかもしれない。獏良に明確な宣言をした以上、可能な限りは実現させたいとも考えているだろう。分かりにくいが、バクラは獏良をとても大切にしている。だからこそ、獏良も今は妹だと公言し、心からそう思っていると感じられる。
実に美しい、姉妹愛だ。本当の血縁ではないからこそ、不確かな絆に必死にもなれるのだろう。その手伝いをできるなら、素直に嬉しい。しかも見返りで十五分くらいはバクラの体温を背中に感じられるのであれば、何を差し置いても自分が名乗り出たいところだ。
今日は、とても運がいいのかもしれない。そもそもこうして会話が成立するだけでも、僥倖だ。持久走に負けていて心底よかったと、新聞配達で鍛え上げた体力を持つ悪友に感謝するが、バクラはまだ迷っているようだ。
「……なんで」
「だって、友達だろ? お前はそのつもりはねえんだろうけど、少なくとも、オレは何とも思ってねえし」
「……。」
躊躇う気持ちも、理解できる。謙遜や遠慮ではなく、不信感だ。かつては敵として、それこそ命も危ういような真似をした自覚もあるからこそ、親切にされると疑わしくなるのだろう。
だが、過去は過去だ。記憶のゲームで敗北した後、憎悪を清算された今のバクラまで、憎むつもりはない。城之内のように真正面から非難し、真正面から認めたことはないが、それでも本田ももう水に流したつもりだった。何とも思っていないという言葉に、微塵も偽りはない。
ただ、それがバクラに伝わるかは別問題だ。
無駄になる確率の方が、高い気がしていた。たとえ信じてもらえずとも、送り届ける役目を他の男に回すくらいなら、強引にでも担ぎ上げたい。そんな意欲はあるが、実行できるかは甚だ怪しい。なにしろ自分の不甲斐なさは自覚していると一人勝手に落ち込んだとき、随分と葛藤していたバクラが、体を仰向けにした。
「……バクラ?」
「なあ、それなら……触ってくれよ……。」
ギシリとベッドを軋ませ、しばらくぶりに瞳を合わせてくるバクラは、短い言葉で本田の思考を止めた。
言われた意味が分からず、固まったままでも、やけに光景は鮮明に脳裏に焼きつく。体操服は胸の辺りで不自然な形に押し上げられており、下着が外れたままだと示す。それがやけに生々しく、意識しないように努めていると、バクラには否定的な反応に見えたようだ。
「……なんでも、してくれるんじゃ……ねえのか、よ」
「あ? あっ、ああ、いや、まあオレにできることならな?」
「……つまり、てめーにはできねえって、ことか」
「何がだよ? ああ、『触る』ってことか? いや、さわる、じゃなくて、さする、か? お前、やっぱりどっか痛くて……?」
都合のいい解釈ならば、どこか傷ついているようにも見えた。しかも、触ってほしいと頼み、断られそうだと早合点して、傷つく。ここまで想像逞しいと、現実離れしすぎて本田もやや冷静になれた。こんなことを、バクラが求めるはずもない。
ただ、何か別のことは要求されているようであるし、最も単純な推理を立てた。
触るのではなく、さする。つまり、ただの聞き違いだ。風邪か何かで発熱していれば、頭が痛いだろう。仮に獏良がかつて言っていたように、女の子の体調不良であれば、腹が痛いに違いない。さすったところで気休めにしかならないだろうが、そんなことを欲するほど、悪化して精神的にも参っているのかもしれない。
そうであれば、本当に心配だ。なにしろ、あれだけの精神力でずっと復讐を滾らせ続けた魂が自分などに救いを求めるなど、よほどの事態に違いないと伸ばした手は、逆にもっと熱い手に取られた。
「え?……おわっ!? あ、お前、何し、て……!?」
「んんっ……ん、あぁっ……!!」
「……!?」
単に捕まえるだとか、引っ張っただけではない。明らかに本田の手をある場所に触れさせようという意図を持って、バクラは導いていた。
ベッドに倒れこみ、覆い被さってしまった本田の手の最初の感想は、思ったより硬いというものだ。だがそれはすぐにずれ、布越しでもはっきりとした柔らかさを感じる。シャツが上へとずれたことで、背中側のホックが外れている下着も引き摺られた。つまり、胸を触っていると遅れて自覚したとき、慌てて起き上がろうとして力を込めた手に、バクラが喘いだのが分かった。
「あの、バクラ……?」
「ん……んぁ、あ……!!」
「……。」
体はもう一方の手をシーツについて起こし、本田は改めて見下ろす。
すると、自分の左手は、バクラの右胸をつかんでいた。下着は完全に鎖骨の辺りまで上がっているようで、元々小さめの体操服は、はっきりと胸の形を示している。それをもっと確かめるかのように手を動かせば、またバクラが声を漏らした。
これが事故で、バクラの望んだことでないならば、当然嫌がって手を払いのけるだろう。だが、相変わらず手首に触れている手は、むしろもっとしてほしいとすがるようだ。苦しそうに歪められた表情も、もどかしさや快楽に堪えているようにしか見えない。
きっと、これは夢なのだ。城之内に張り合って全力疾走をしていて、体力が限界を超え自分は酸欠ででも失神したのだろう。
「……なあ、触るって、こういうことか?」
「あ……んんっ、んぁ!? 本田……なあ、もっと、ちゃんと……。」
夢、つまり現実ではないからこそ、左手で胸の頂を撫で、シャツにくっきりと浮かんだ突起を指で弾くようにしても、拒まれたりしない。逆に、もっとしてほしいと、言葉でも視線でもねだられる。
興奮しすぎてすっかり思考を取り戻した本田は、これは夢だと決め付けた。こんなに都合がいいのだから、楽しまなくては損だとすら思う。ベッドに上がり込めば、仰向けのまま見つめてくるバクラは、やや足の位置に迷ったようだ。戸惑うような膝を割らせ、開かせた足の間へと座り込む。その上で両手ともを豊満な胸へと伸ばす様子も、バクラはじっと見つめ、触れたときに嬉しそうな吐息を漏らした。
「んっ……ん、あ……。」
「なあ、ちゃんと触れってのは、こういうことか?」
左右ともに下着は上にずれており、シャツ越しではあるがしっかりとその感触が伝わる。本田は体格がいい方であるし、手も大きいと自認していた。だがそれでも片手では掴みきれないほどの質量が、また現実感を薄れさせていく。
バクラが転入した当初からかなり男子生徒にモテたのは、このスタイルの良さだ。端的に言うと、性的興奮を煽る。まだ高校生であれば、大きな胸はそれだけで注目されるだろう。ましてや、腰は引き締まっており、もっと下にいけばまた大きくなる。肉感のいい太腿は短いスカートから惜しげもなくさらされており、顔立ちも獏良とよく似ているがずっときつい印象を与える気位の高そうな美人なのだ。
これで、モテない方がおかしい。だがバクラはどこまでも過去を知らない連中は鬱陶しいという態度だったし、彼氏が欲しいというような性欲にも恋愛にも関心がないように見えていた。
「ん、本田ぁ……もっと、いっぱい……。」
「……ああ」
それが、自ら男をベッドに誘う。しかも胸を触らせて、よがるのだ。
これが夢でなければ、死にかけている自分が走馬灯のように欲望を幻覚として見せているだけに違いない。
本田がバクラへの興味を素直に認められない原因として、この胸に代表される外身の良さがあった。好意的な発言をすれば、まるで外見だけに惑わされたクラスメートたちと同じになる気がした。この者は、普通の可愛い女子高生などではない。三千年前には大災厄をたった一人で引き起こし、それを長い間完遂するために王の魂まで付け狙っていた執念深い恐怖の塊だ。
まさに存在する意味のすべてだったアテムへの憎悪を失い、現世への執着すら見い出せないバクラは根本的に違う。何も知らなくて、ただ器にはしゃぐだけならば仕方がない。だがすべてを知っていても尚、こんな欲求を沸きあがらせてしまうのは、バクラの葛藤や不安定さの何もかもを踏み躙っているようで、居たたまれなかった。
「あ、んんっ……ん、んぁ、ん……!!」
だが、何をどうこう理屈をつけても、一度触れてしまうと止められない。自慢にもならないが、女性経験がない本田にとって、胸を触ること自体初めてだった。世の中には、嫌がらせとして弟に無理矢理胸を押し当ててからかう姉とやらもいるらしいが、本田の姉はそういうタイプではない。むしろ故意ではなくとも、手が触れそうになりでもすれば、そんなスケベに育てた覚えはないと先に顔を拳で殴るような気質だ。
おかげで、気の強い女性、特に粗野な物言いや口の悪い者が苦手である。気になるのはいつも清楚なお嬢様風で、強面なこともあって上手くいったためしはない。付き合いが長い城之内に言わせれば、成就しない原因はそこではないらしい。意味としては、強面以外の欠点があるのだろう。いちいち指摘されなくとも分かっているといつも不機嫌になったが、もしかすると、城之内はそもそも本田が好きになったと思い込む女性が、単なる物珍しさの域を出ていないと気がついていたのかもしれない。
「なぁ、本田……もっと、ちゃんと、触るのって……できねえ、か……?」
「……。」
気が強く、口が悪くて、乱暴者。友人としてつるむならまだしも、そういう対象には絶対できないと公言していた典型だ。しかも、姉と重なるようなことはない。手厳しいだけで、本田の姉は実に面倒見がよく、いわゆる姉御肌だ。暴力に訴えることはないが、杏子とも似ている気がする。そういうタイプであれば、恋愛対象にならずとも、友人として信頼が置ける。付き合いやすい。いっそそこから発展するなら想像の範疇だが、ずっと苦手にしていると思い込んでいた相手が、気になり、葛藤から予防線を張り、たまの会話ではやたら素っ気無くする。少しでも注意がこちらに向くと嬉しくて、求められるならば何でも応じたいと気分は昂揚するなど、ありえないはずだった。
「ちゃんと触ってやってるだろ?……ほら」
「んぁっ!? んー……ん、あ、でも……本田ぁ……。」
「違うってんなら、どうしてほしいんだよ」
両手で服越しに大きく胸を揉みしだき、わざとらしく呆れてみせながら尋ねる。とっくに紅潮していた頬はますます上気し、心なしか瞳は潤んでいるように見えた。具体的に言えと返して手を離せば、バクラはすがるような目と声を向ける。もどかしげに揺れる膝が、軽く本田の足を横から叩くようにして再開をねだっている。そんな誘惑にも堪え、本田が待っていれば、やがてバクラの指先は自らのシャツの裾に伸びた。
「だか、ら……もっと、ちゃんと……。」
「……。」
元々だいぶずり上がっていたが、それを捲るようにしてバクラはゆっくりと手を動かす。ジャージとの隙間に白い肌が見え、やがてその幅が大きくなっていき臍もさらされた。
じっと我慢していれば、そのうちバクラは自分で最後までたくし上げたかもしれない。だが童貞である本田にはその甲斐性はなく、気がついたときには脇腹へと手を触れさせていた。
「ひぁっ、くすぐっ……んんっ、んぁ!?」
「……。」
「あ、あぁっ……ん、んぁっ……ア、やぁっ…んんん……!!」
最初こそくすぐったそうに身を捩らせたバクラだったが、本田がシャツの下へと手を滑り込ませ、直に胸へと触れれば体を竦ませた。布越しとは違う、素肌の感触だ。かなり紅潮しているためか、じっとりと手に懐くようなすべすべとした肌を堪能する余裕はなく、柔らかい乳房を一度揉み、すぐに硬くなっていた突起を両方とも指先で摘んだ。
ベッドに上がって以降は殊更避けていたので、バクラにとっても予想外だったのだろう。やたらと甘ったるい声を鼻から抜けるようにして漏らした後、ギュッと全身に力を込めるようにして緊張する。だが数秒も続かず、深い息を吐いて今度は全身を弛緩させた。
「ん……あ、本田ぁ……。」
「……。」
男ほど顕著に分かるわけではないが、きっとイッたのだろうと漠然と思う。熱のこもった声はそのままなのに、満足そうな響きがある。それでいて、物足りないと赤い舌は訴えているようだ。すぐにまた胸を愛撫する動きを再開すれば、バクラの表情は歪むのに、息には恍惚とした色が混じっていた。
「んんっ、ん、あ……ふ、あぁっ、ん……んぁ、あ……!!」
「バクラ……。」
すっかりコリコリと硬くなっている乳首を、指先で転がすように弄り、時折引っかく。小さすぎるシャツの下では手があまり自由に動かせないため、名残惜しいが片手を抜き、しっかりと下着と共に首元までたくし上げれば、豊満な胸がさらされた。
感触だけでなく、視覚からも煽られる。仰向けになっているのにしっかりとした存在感を示す胸を、周囲から形をなぞるようにして撫で、再び大きく揉みしだく。そのたびに、艶かしい声が漏れる。息は上がり続けており、口は開き、赤い舌先も覗いたままだ。対照的に、瞳はぎゅっと閉じられ、快楽をより味わおうとしているかのように見えた。
視覚がなければ、感触はリアルになる。それは本田も先ほどまで実感していたが、バクラにもされると何故か悔しい。きっと、こうして胸を触ってきているのが、誰であっても同じだと示されているようなものだからだろう。そういう態度が気に入らないのだと、もっと言えばだからこんな目に遭うのだと、情けない言い訳を心の中でしながら本田は身を乗り出した。
「んっ……あ、本田?」
「……いや、あの、これは、だから、つい」
瞳が合っていれば、勇気が出なかったかもしれない。なにしろ、バクラは目元がきつい。闇人格だった者はみんなそうだったが、睨まれると本田が竦みあがってしまうのはバクラだけだ。ただの恐怖ではなく、こちらの悪意のようなものを見透かされるようで背筋が寒くなった。要するに、実体が戻る前から、劣情を抱いていたということなのだろう。
今更のように気がつくが、唇が触れ、驚いたように目を開けたバクラは、それほど怒っている様子はない。単純に、何をされたのかよく分かっていないのかもしれない。これはこれで、求められていないことを不意打ちで卑怯にも奪ってしまった罪を突きつけられているようで、居たたまれない。もしキスだとはっきり伝わっていないならば、誤魔化してしまおうかとまで考えていた本田に、バクラは一度自らの唇を舐めて尋ねた。
「なあ、てめー……これも、できることに、含まれてんのか……?」
「……まあ、そういうことだけど」
「そう、なのか……。」
どうやらキスだとはばれたようだが、驚きは微妙にずれていたようだ。もしかすると、キスはしてもらえないと思い、ねだらなかったのかもしれない。そうだとすれば、なんだか殊勝な浮気相手のようだ。何から何まで不可解な反応でも、夢にしか過ぎないのであれば不思議ではない。
やがて納得したように目蓋を下ろしていくバクラを、拒んでいるとは思わなかった。それは夢だからこその願望であり、また実際に薄く開いた口でもねだられたからだ。
「なあ、もっかい……。」
「……。」
そして求められるままに再び唇を寄せるが、目を閉じているのでどれほど接近しているのか分からないらしいバクラからの言葉に、理性が飛びそうになる。
「なんか、さっき……また、イけそうだった……。」
「……!?」
「なあ、本田、オレサマのこと……もっと、いっぱい、触って、キス、もして……きもち、よく……んんんっ!!」
してくれと、背中に腕を回されたのを合図に、本田は唇を塞いだ。
したことはなかったが、舌を捻じ込んで口内をまさぐる。驚いて逃げる熱い舌を強引に絡ませながら、両手では再び胸を揉み、乳首も虐めてやる。
すると、バクラは全身を竦ませ、甘い声で達するのだ。
夢なのに理性を保っておく意味がとっくに分からなくなっていた本田は、望まれるままに愛撫を施し、バクラの体を貪ることに夢中になった。
心のどこかで、これは夢ではなく、悪夢に繋がる現実だという予感はあっても、止められなかった。
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