■二人で






「……!?」
 十年前からきた仲間たちを守るため、刀を振るうことに迷いはない。
 むしろこの十年で変化した戦い方を早く知ってもらうためにも、ここは、オレが。
 覚悟というほど悲壮ではなく、ごく自然にそう思って襲い来るミルフィオーレの連中に対峙した。そして、そろそろ片をつけようと二つの匣を指で弾き上げたとき、その衝撃に襲われていた。
「うわあああ……!?」
「はひ!?」
「あれ、どうなってるの……!?」
「えっ、私……?」
 確かこれは、十年くらい前にも感じたことがある衝撃だ。そう思っている間に、どうやら同時に時間の移動を余儀なくされたらしい仲間たちの声がやや離れた場所から響く。五人同時ということは、相当大きな爆発だったのか、あるいは連続していたのか。それともバズーカではないもっと大きなものだったのかもしれないが、とにかく爆煙が凄い。いまだほとんど視界は塞がれたままだ。
 言葉だけならば区別がつかないかもしれないが、声が聞き慣れたものであるということは、自分と同じ時代の四人のはずだ。いきなりの強制移動には驚いただろうが、ここが十年前ならば取り敢えず外敵はない。並盛もまだ安全なはずだし、と早合点したところで爆煙の中を低い姿勢で間合いを詰めてくる気配に気がついた。
「……!!」
 むしろ本来のここでの自分たちが心配だ、と、どうにもならないことに思考が移りかけていたので、自分の迂闊さを呪った。
 この強制移動が、味方や事故によるものとは限らないのだ。
 なんらかの要因で既に敵の勢力たちも十年前への干渉に始動し、その一端かと刀を構え直したとき、収まらない爆煙の中で接近した影が囁く。
「……早まんな」
「……!?」
「オレたちだけ移動する。この時代はまだ大丈夫だ、ランボもいるなら慣れたモンだろ」
 アホ牛あてにするなんざ癪だがな、と誘うように腰に腕を回してきたのは、懐かしい声だった。
 だが、先ほどまで守ってやりたかった十年前の相手ではない。
 この異常な爆煙はこいつのダイナマイトも加算されているのか、と思いつつ、気がつけば刀は鞘にしまって自分も煙にまぎれるようにして移動していた。
 少しだけ、残された四人が気にかかる。
 それも、確かに何度もこの時代に来ているランボがいれば、それほど問題はないだろう。イーピンは一番頼りになるし、笹川もしっかりしており、ハルに至ってはあの性格だ。置いていく心苦しさは感じたが、共に行く男の言葉を信じれば、この時代は大丈夫なはずだ。
 そうならば、この時代で何かをして手を汚すことになるのは自分たちだけでいい。
 いくら同じ時代を生きる仲間とはいえ、巻き込むことはできない。それは本来の時間軸にいた頃、散々思っていたことでもあった。
「……もう、誰も」
 思わず漏れてしまった言葉に、先を行く男が何故か続きを言ってくれた。
「巻き込ませねえよ、そのためにオレたちがココにいる」
「……。」
 煙から抜け出せば、澄んだ青空が見えた。
 並盛でも、こんな空が見えてたんだ。
 青さが目に沁み、胸に突き刺さってくる。だが今はまだ何もかもが途中なのだと気持ちを切り替え、とにかく前に進もうと思った。







 なにもかもが、懐かしい。
 あまり郷土愛だの感傷だのに浸るタイプだという自覚はなかったが、それでもそう思ってしまった。
「……ったく、焦ったぜ。テメェだけ呼ぼうと思ったのによ、いざ一人になったと思ったらアホ牛どもがやってきやがって」
「そうだったのな?」
 とりあえず川の土手に向かってみれば、年の瀬も近いこの時期は寒風が吹き荒れている。夏場ならば河川敷で様々なレジャーに勤しむ家族連れなどが見ることができる場所だが、さすがに無人だった。そこまできてようやく走るのを止め、横にしゃがみこんでゼェゼェと荒い息をついているのは、獄寺だ。
 だが、昨日から一緒にいた十年前の獄寺ではない。同じ年で、同じ時代で生きていた獄寺だ。あちらでもしばらく顔を合わせていなかったのに、再会が十年前の平和な並盛町ということには妙な具合だ。そう思いながら横を見下ろしていれば、ふと視線を感じた。
「ん?」
「……いや。やっぱテメェ息も切らしてねえんだなとか、ちょっと思ってただけだ」
 ムカツク、と言いながらスーツ姿でしゃがんでいる獄寺は、確かにまだ息が整っていない。それにも関わらず、煙草を出して吸おうとしている。息苦しいなら煙草を控えた方が、むしろ煙草を吸っているから体力が、と言いかけたが、もっと違うことに気がついていた。
「……獄寺、銘柄変えた?」
 確か、獄寺の吸う煙草は違うものだったはずだ。だがこの記憶も数ヶ月並盛を離れていたので、絶対とは言えない。もしその間に変えてしまったのだとしたらなんだか寂しいな、と暢気なことを考えていると、再び獄寺が下から睨んできていた。
「……いきなりこっちきたから、煙草も何も、全部置いてきちまったんだよ」
「ああ、それでこっちで違うの買ったのな?」
「いや、財布も置いてきちまったからな」
 その辺の親切なヤツにライターごと譲ってもらった、と言っているが、深くは追及しないでおいた。なにしろ獄寺はこの十年で、外見的にはいい意味で凄みが増している。仕立てのいい黒のスーツは笑ってしまうほど似合っているし、ハーフ故の顔立ちは端整さに磨きがかかって、時々直視できない。まあそれは前からか、と自分の中で早速否定をしていると、一度大きく煙を吸ってマズイとぼやいた後、獄寺が軽く隣を叩いていた。
「……ああ、それで?」
 そんな仕草だけで促されたと分かり、山本も土手から川原に下りるコンクリートの階段の上に腰を下ろした。それなりに大きな男が二人も腰を下ろせば狭い階段は幅いっぱいになり、通る人の邪魔だろう。だが川原はもちろん、土手にもほとんど人がいない。これなら別にいいかと思いながら座ってそう切り出せば、もう一度煙を吐き出した獄寺が話し始めていた。
「とにかく、敵も動いてたらシャレになんねえからな。真っ先に状況は確認したが、やっぱりまだおかしな動きは出てねえ」
「そっか……。」
「あのメガネ野郎探しだして殺してやろうと思ったんだけどよ、それよりあっちの世界が心配でな。なにしろこっちの十代目が行ってらっしゃるんだ、万一のことを考えて戦力補強を優先した」
 そこまで言った獄寺は、まだ半分も吸っていない煙草をコンクリートに押しつけて消していた。どうやら親切な人とやらは、携帯灰皿まではくれなかったらしい。
「……オレたちには、ボンゴレリングがねえ。この時代のテメェはいろんな意味でまだ腑抜けた野郎で心配がねえワケじゃねえが、ボンゴレリングがあるだけマシだ。さっさと入れ替わってもらった」
「ははっ、手厳しいな」
 そんな物言いも、獄寺自身の不甲斐なさを反映しているともう知っている。ツナのことで一番苦しんでいたのは獄寺だからだ。たとえ十年前のツナとはいえ、生きて再会できて獄寺が必死にならなかったはずがない。敵の根源を絶つ前に、ツナの安全を確保しておくのは絶対条件だ。
 だがそこで、獄寺は大きなため息をついた。
「……それで、こっちのアホ牛から十年バズーカ分捕ってテメェ探してたのに、見つからねえし。やっと見つけたと思ったら休みなのに野球部の連中とつるんでやがって、それもやっと一人になったと思ったらアホ牛に泣きつかれたアホ女がやってきやがるしで、まったく」
 どうやらそれが五人もいっぺんに入れ替わる原因になった、というのは最初に聞いた話だ。だが獄寺が文句を言いたいのはむしろ。最初に十年前の山本が簡単に見つからなかったり、野球部の連中といたことらしい。まずいと言って消したばかりの煙草を再びくわえようとするほど苛々している原因は、この山本にはなんとなく分かった。
「あー……たぶんだけど、ちょうどケンカしてた頃じゃねえ?」
「は?」
「ほら、獄寺が、その、いきなり……だから、ケンカっていうか、顔合わせづらくて、ていうか……。」
 山本の言葉に、しばらく怪訝そうにしていた獄寺だったが、やがて思い当たるものがあったらしい。ハッと閃いたような顔をした後、急に慌てたように火をつけていない煙草を投げ捨てて怒鳴っていた。
「い、いきなりじゃなかっただろうが!? オレはちゃんと確認して手ぇ出したのに、テメェ、逃げ回りやがって……!!」
「ああ、まあ、それはそーなんだけど。オレ、あの頃、いや、この頃って言うのかな? とにかく、まだあんまりよく分かってなくて……獄寺のことも、好きだっていうのも、よく分かってなくて……。」
 ふと視界に入ったのは、山本からすれば十年前の空だ。
 そう、こんな空の、寒くなるもう少し前。
 まだ中学生だった当時に、獄寺から好きだと言われた。もちろん山本も好きだったのでそう返せば、何故か困惑された。
 友達の好きと、友達だけではいられない好き。
 その違いも分からず、ただ好きだと言われたから好きだと返し、獄寺からの接触に今度は戸惑うばかりだった時代だ。タイミング的に、初めて抱かれた直後だと思われる。確かにどうして獄寺があんなことをしてきたのか分からず、殊更避けてしまっていた時期なので、見つけにくかったのだろう。
 懐かしい感情だ。
 どこかくすぐったい気持ちもして笑ってしまっていると、しばらく苛立ったようにしていた獄寺はガシガシと髪をかきむしると、ふいっと川原へと視線をやってから尋ねていた。
「……今は、分かってんのかよ」
 その視線の移動があからさまだったので、何か意図が有るのかとつられてしまった。だが尋ねられたことを考えれば、単に目を合わせにくくなっただけらしい。頑なにこちらを向こうとしない獄寺を真横からまじまじと眺めてしまった山本は、ますます笑ってしまっていた。
「はははっ、獄寺、今更何言ってんだ?……分かってないままでこの十年、お前に抱かれてたとか思ってんの?」
「……テメェは筋金入りのバカだからな、ちょっと心配になっただけだ」
「相変わらず心配性なのなー?」
 この十年とは言っても、ずっと寄り添っていられたわけではない。何度か危機的なこともあったし、そうではなく外的要因で引き離されることもよくあった。今にしても、数ヶ月ぶりの再会なのだ。
 それを改めて自覚すると、獄寺に触れたいなあと思った。
 触れてもらいたいとも思った。
 だがそんな状況ではないということより、もっと根本的にそこには至れない何かを山本はずっと感じていた。きっと、この獄寺は自分に触れるつもりはないだろうという予感に近い何かだ。
「まあ、あっちの世界のことは、自由に戻れねえ以上最善の手は打ったつもりだ。あとは、こっちでオレたちがどうするかだな」
「ああ」
 それでも、頷いたところでふと違和感に気がついた。獄寺がこちらにきてからの行動は説明されたが、どうにも時間が合っていない気がする。
「……なあ、獄寺。お前がこっちきてから、どれくらい経ってる?」
 そう尋ねれば、最初は明らかに小馬鹿にされた。
「なに言ってんだ、こっちのオレがそっちに行ったんだろ? せいぜい、五・六時間……!?」
「……オレ、あっちでこっちの獄寺やツナに会ってからほぼ丸一日一緒だったぜ?」
 しかも、山本と遭遇する前にもラルと長く移動していたようだ。そもそもリボーンも正確に十年前ではないらしいと言ってこともあり、やはり何かが作用しているようである。
 山本の言葉にしばらく呆けていた獄寺だが、結局クシャリと前髪をかきあげてため息をつく。そんな仕草も憎らしいほど様になっているが、口にすると怒られそうだったので黙っておいた。
「……そっか、これまでの十年バズーカの性能は入れ替わり以外ほとんどアテにできねえってことだな。いつまでこっちに居られるかも見当つかねえし、できることはさっさとやっちまうか」
「そーなんのかな?」
 正直に言えば、いきなり十年前に来ても、何をすべきか山本にはよく分からない。元々賢くないと自認していることに加え、この数ヶ月は並盛を離れていたので状況をリアルタイムで知らなかった点が大きい。もちろん既に知識としては詰め込まれているが、たった数時間で何をすべきか判断し、順位をつけ、既に状況確認とあちらの戦力補強まで実行している獄寺には素直に感服した。
 きっと、自分一人だったら迷っていた。
 何をすべきか分からず、ただ原因と思われる男の抹殺のために邁進していただけかもしれない、と思ったとき、ごく自然に抹殺という単語が浮かんだ自分に愕然とした。
「……山本?」
「いや、なんでもねえ……。」
「そうか?」
 たとえ仮定として思っただけでも、言葉に至るまでに違和感がなかったことが、怖かった。
 そしてその原因も、山本は自分でよく分かっている。
 それを自分の中で毒のように抱え、自滅するのは構わない。だが獄寺に見抜かれてしまうのは怖いと、山本は思っていた。
 特に、獄寺はこちらの時代の自分を見ている。一人になるまで待っていたということは、野球部の連中と楽しそうにしている自分をずっと眺めていたのだ。
 そんな獄寺に、今の自分は見られていたくない。
 決めたはずの覚悟は、ただの復讐だと分かっていた。あるいは、死んでもいい理由にしたかった。
 そう、復讐さえ果たせたならば、そうすれば自分もオヤジのところへ……
「……山本、お前を喚んだのはもう一つ理由がある」
「え……あ、こっちのオレをあっちに送るために、じゃなくて……?」
 リボーンや十年前のツナと獄寺、あるいは同じ時代の連中には隠し通すことが出来た。ごく自然に振る舞えていたと思う。
 それでも、この獄寺の前では動揺しかけていたとき、ふと獄寺が話題を変えてきていた。様子がおかしいことを察して気を使われたのかとも思ったが、内容としては重要そうだ。自分は単なるボンゴレリングを持った十年前の自分を送り込む際の副産物程度だと思っていたので、わざわざ呼び出すような理由があるとは思っていなかった。
 もしかすると、獄寺が為そうとしていることに協力が居るのだろうか。助太刀ならばいくらでも、と山本は俄然やる気も出てくるが、何故か獄寺に視線を逸らされた。
「獄寺……?」
「……ほんとに、必要なことかは分からねえ。ただ、それでもオレは、テメェに」
 そう言葉を重ねる獄寺は、ひどくつらそうだ。もしかすると獄寺もこちらの世界にいきなりきて、まだ作戦で迷っているのかもしれないと思ったとき、後方の土手でキキーッと自転車のブレーキ音が響いていた。
「……武かぃ?」
「……!?」
「て、隣はやっぱり獄寺君かい。土手に出前なんて変な注文だと思ってたよ、まったく」
 こんなとこでピクニックかぃ、と言いながら自転車をおりてくる声は、山本の記憶にあるより少しだけ若いものだった。だが硬直して動けない山本に対し、どうやらまた親切な人に携帯電話でも借りて出前の注文を入れたらしい獄寺が、あっさりと振り返る。
「テメェの息子がどーしてもココで寿司食いてえって言い出したもんでな。ま、金は小遣いから引いとけよ」
 そんなふうに言って二人前の特上にぎりのケースを受け取っている獄寺に、その声は、いやこの時代の父親は予想通りのことを言っている。
「バカ言いねえ、可愛い息子のおやつの配達に金取る親がどこにいるってんだい、獄寺君?」
「……だ、そうだぞ、山本? よかったな?」
「えっ!? あ、ああ、うん……。」
 箱を一つ膝に置かれ、不自然すぎる笑顔でそう話をふられて山本はかなり焦った。
 この頃の父親に、自分はどんな態度だっただろう。
 懐かしさよりもひたすら混乱し、何も言えない山本に対し、父親の方がふと口を開く。
「……獄寺君、ちょっと見ない間に随分大人っぽくなったねぃ」
「……!?」
「ああ、スーツの所為だろ。なんかクリスマスに余興するとかでな、十代目のファミリーはみんな着せられて練習してんだよ」
 009だっけ、と嘘八百を並べている獄寺に対し、それは007ではないのかと父親は返しているだけだ。
 自分の父親があまり気にしない性質というのは、充分に理解している。だからこそ、本来この世界にいるはずの自分ではなく、十年後の自分だとバレるはずもない。
 だから、ごく自然に振る舞えばいいのだ。
 そう頭では分かっているのに、どうしても父親の顔を見ることが出来ない。あのときの、少し前の最期の顔を思い出してしまって、振り向くことができない。
「……おい、山本? せっかくここまで寿司持ってきてもらったんだぞ、テメェも礼くらい言えよ?」
「あ、ああ……!!」
 横から小突かれても、やはり山本は動くことができなかった。
 だってオヤジはあのとき、と唇を噛み締めたとき、ザザッと横の土手、階段ではない部分を滑ってくる音がした。それにビクッと震えたときには、斜面から回ってきた父親がいきなり正面にしゃがみこんできて山本は驚いてしまう。
「こらっ、武!!」
「えっ、あ……!?」
 しかもいきなり怒られて両手を伸ばされ、激しく動揺したときには父親の手は多めに開けられていたシャツのボタンを留めていた。
「……え」
「獄寺君はきっちりスーツも着込んでるっていうのに、おめーはまったく、いつまで経っても。ほら、ちゃんとネクタイも締めねぃ? なんだっけ、イギリスだかなんだかのスパイ役なんだろ?」
「あ、ああ、そーなのな……!?」
 どうやらこの格好はすっかり父親の中で007の劇か何かということになっているらしい。文句を言いつつもシャツを締め、ネクタイを直してくれている父親に呆然としてしまう。
 記憶にあるよりはやはり若いが、やはり父親だった。
 ずっと大好きだった自分の父親だった。
「テメェのバカ息子、いまだに自分でネクタイもちゃんと締められねえんだよ。そのうち家でも教えてやれよ」
「学校にして行ってねえのは知ってたけど、まさか締められねえとはオレも思ってなかったのさね。けどまあ、獄寺君の言うとおりだねぃ、ちゃんと教えねえと……おっ、できた」
 ほらこれでいい、とニカッと笑って見せた父親につられるようにして山本も表情が笑みに近いものになる。
 息苦しさを感じるのは、きっとこのいつになくちゃんとした位置で締めたネクタイの所為だと思う。
 決して、嗚咽を堪えているからではない。
「ほら武、これでいいだろぃ?」
「あ、ああ……その、オヤジ……。」
「ああ?」
 ありがとな、という言葉を口にするだけなのに、喉が潰れて声が出ない。これではやはりネクタイをきつく締めすぎだと笑いたいのに、どういう表情をすればいいのか分からなくて、思わずうつむきかけたときにぐいっと顎をつかまれた。
「……!?」
「……武、この傷」
 まさかここにきてバレたか、と焦るが、横でさっさと寿司を食べ始めていた獄寺があっさりと言う。
「ああ、特殊メイクだっつの。今朝までなかった傷が、そんなキレイに痕になってるワケねえだろ」
 あくまで十四歳の、中学二年生だということで押し通すつもりの獄寺の言葉は、実に巧みだった。慳貪すぎてさすがの山本でも少し怖かった父親の目つきが、あっという間に感心したものに変わっている。
「ほう、なるほどねぃ!! いやあ、それにしてもよくできてるなあ、この傷……。」
「そ、そーだろ? 獄寺の姉さんが得意で……!?」
「多才なんだねぃ、獄寺君のお姉さんは」
 ビアンキだと言ったのはもちろん便乗した根拠のない嘘だったが、父親はすっかり納得してしげしげと傷を眺めてからやっと手を放してくれる。ちなみに、不意打ちでビアンキを出されて獄寺は横で静かに腹を押さえていた。
 太陽の様子からして、昼過ぎより確かにおやつの時間に近いのだろう。本来は休憩中で、そろそろ夕方の開店の準備に入らなければならない頃合だ。それにも関わらず、普段は受けないはずの時間を指定された注文を、おそらく獄寺、つまり息子の友達だと察したからこそ父親は持ってきてくれたのだ。さすがにもう店に戻らなければならないらしく、階段の下の方で立ち上がった父親はいつものような温かい調子で続けていた。
「ま、育ち盛りだし腹減ったんだろぃ? 武もさっさと食べて、劇だかなんだかの練習頑張りな?」
「あ、ああ……。」
 そう言って再び階段から斜面に外れて土手に戻ろうとしている父親だが、横を通り過ぎてからふと思い出したように尋ねていた。
「……武、今日も遅くなるのかい? 獄寺君のところに泊まるのか?」
 この発言で、今日の日付は獄寺に初めて抱かれた翌日だと分かる。
 だが、本来そう声をかけてもらえるはずだった自分は、十年後の世界に行ってしまっているのだ。いつ戻ってこれるのか、そして自分も戻れるのか、それは分からない。
「……たぶん、遅くなる。獄寺のトコに泊まるから、心配はしなくていいのな」
 今はそう言うしかなくて、振り返らないままで言った山本を父親はどう思っていたのか。
 親離れしていく息子を、ただ寂しく眺めていただけなのか。
 だが自転車のスタンドを足で弾き、ギシッとタイヤを軋ませて跨ったはずの父親は、そのまま去る前に突然口を開いていた。
「……武が、今どういう状況なのか、相変わらずオレには分からねえけど」
「……!?」
 このときより少し前、ヴァリアーとボンゴレリングを賭けた戦う前の修行の際も、父親は敢えて理由を尋ねなかった。だからいまだに知らないはずだが、それでいてしっかりと頷いてくれる。
「武が信じた人なら、確かだとオレは思ってるからねぃ? 武、大丈夫だ」
「オヤジ……?」
「オレの自慢の息子だからなっ、おめーは!! ……武、なんの心配もいらねえ。おめーなら、大丈夫だ」
 本当に演劇だと思っているのか。
 それとも、何かを察したのか、山本には分からない。だが初めて弾かれたように振り返ったとき、自転車に跨っている父親は、とても頼もしく見えた。
「獄寺君も、武をよろしくねぃ?」
 あるいは、察していたのは恋愛的なことだったのかもしれない。息子に対してのときとは違い、殊更含みを持たせて言った父親に、同じように振り返った獄寺は寿司を片手にあっさり請け負っていた。
「任せろっての、十年でも二十年でもずっと面倒見てやっから」
「……いや、まあ、頼んだよ」
 変に重みがあったのは、実際にこの獄寺はその意味でほぼ十年既に面倒を見てきた実績があるからだろう。怪訝そうにしつつも、父親はそう繰り返して今度こそ立ち去りかける。だがすぐにアッと声をあげ、慌てて自転車をおりていた。
「そうだそうだっ、すっかり忘れてた。獄寺君の声のような気がしたから、だったら武もいるかと思って持ってきてたってのに……!!」
 そう言いながら慌しく父親が持ってきたのは、出前用のケースから出すのはひどく不似合いな牛乳パックだった。
「……おいおい、酢飯に牛乳かよ」
「ケチつけるねぃっ、武はいつも牛乳なのさね!! ……な? 武?」
 呆れている獄寺に言い返してから、父親は牛乳パックを土手から差し出してくる。それを、階段に座ったまま振り返って受け取れば、父親はまた笑っていた。
「じゃあな、武。帰ってきたらいつでもチラシ寿司作ってやっからな、獄寺君にいじめられたらすぐ戻ってくるんだぞ?」
「あ、ああ……うん、オヤジ、ありがとな……?」
 どういたしまして、と息子相手でも律儀に返して、今度こそ父親は自転車で去っていた。
 ほとんど人気のない土手を、自転車の音が遠ざかればまた静けさだけが包み始める。座っているには少し風が強くて寒い川辺だが、山本は寒さからではなく静かに震えていた。
「……こっちのテメェが一人になったから、注文入れようと思ったのに、ちょうどケータイ持ってるヤツが通りかからなくて。手間取ってる間にアホ牛どもがきやがって、焦ったっての」
「……。」
 一人さっさと寿司を食べ終えていた獄寺は、独り言のようにそう言っていた。
 だが山本は隣に座ったまま、動くことが出来ない。膝に置いた寿司のケースと、ラップの上に乗せてしまった牛乳パック。その上にポタポタと落ちる涙は止まりそうになく、ただの後悔なのかなんなのか、よく分からない感情に翻弄される。
 そんな山本に、獄寺は醤油皿だの箸だのをケースへと入れて片付け、後ろの階段へと置いてから煙草に火をつける。
「……寿司、相変わらず美味かったよな」
「……。」
「オレたちの時代に戻っても、まだ食ってたいよな」
 その言葉に、山本の涙はいっそう溢れ出した。だが直接的な言葉では何も言わなかった獄寺が、煙草を片手で外し、もう一方の手をポンと山本の頭に置く。
「……そのために、オレたちがここにいるんだろ?」
「ごく、でら……!!」
 嗚咽を堪えきれなくて、一度喉が詰まりつつもその名を呼んだ。そして一度大きく頷けば、獄寺はガシガシと髪を撫でるようにしてくれていた。
 そう、獄寺の言う通りなのだ。
 ツナだけではない、父親だけでもない。
 もしあの世界を変えることができるなら、自分はどんなことでもしよう。
「大丈夫だっての、テメェの親父だって言ってただろうが? テメェは、大丈夫だ」
 オレが一緒にいるならな、と続けた獄寺は、横から身を乗り出すようにしてきていた。
 押しつけられた唇には、少しだけ驚いた。もう触れてもらえないのでは、と思っていたのは、きっと自分が触れてほしくなかったからだと分かる。
 父親の死を抱え込めなくて、平然としてみたり、復讐に死ぬのだと決めてみたり。
 そんな自分を知られる気がして、知られると突き放されてしまう気がして、触れてほしくなかった。
 だが一緒にいると繰り返してくれた獄寺に、まだ涙は止まりきっていなかったが、山本はようやく少しだけ笑うことが出来る。
「……獄寺、醤油の味がするのな」
 煙草も吸ってはいるが、まだ一口だったためか触れるだけのキスでもわずかに醤油の味がした気がした。気の所為だったかもしれないが、そんなふうに言ってみれば獄寺は途端に顔をしかめている。
「テメェの家の味だっての。嫌ならテメェもさっさと寿司食え、そしたらおんなじ味になって気にならなくなるだろ」
「そういう、モンなのかな……?」
 理屈はよく分からなかったが、それでも父親が一生懸命握ってくれた寿司は食べようと思った。
 きっと、大丈夫だ。
 自分は、いや自分たちは、大丈夫だ。
「……結局、オレだってな」
「獄寺……?」
 そうして、ようやくラップを外したところで、獄寺がそう独り言のように呟いていた。
 テメェに会いたかったんだ。
 この状況を打破するため、山本に父親を会わせて発奮材料にしたかった。それと同じように、そもそもこの獄寺がたった一人でこの世界で戦おうとしたとき、呼び寄せたかったのはこの山本だったのだ。そこには当然、単なる戦力として計算できるもの以上の期待が込められている。
 自分にとってはそういう存在なのだ、と暗に示され、山本はまた言葉に詰まった。
 だが、もう涙が出ることはない。
「……オレも、獄寺となら頑張れると思うのな」
「ああ、そうかよ……。」
 素っ気なく相槌を打っていても、獄寺が安堵していることは分かった。あるいは照れているのかもしれないが、まだ泣いたばかりでうまく頭が回っているとは思えない山本には、よく分からない。
 それでも、一つだけはっきりと分かることがあると思った。
 それは、きっと父親は正しいのだろうということだ。
「そーなのな? オレ、獄寺となら、絶対負けねえと思ってるから」
「……そうだな」
 もしあのとき二人で居合わせることができていれば、と後悔することはもう飽きた。
 そのときは別々だったのだ、仕方がない。
 だが今はこうして共にあるのだ。
 今からが本当の闘いだと気合を入れ直し、その前に腹ごしらえとようやく寿司を頬張ることにする。するとやはり少しだけ懐かしくて泣いてしまいそうになった。だがそんな感傷すらなくすためだと思い直せば、滲みそうだった涙は横から獄寺が黙って拭いてくれ、今度こそ本当に止まる。
 澄んだ並盛の平和な空を見ても、もう苦しくはならない。
 同じものを、獄寺と一緒に十年後にも連れて行くのだと、山本は誓っていた。











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今更のように無料配布本をUP。
2007.05.に配布したもの。
本誌の24歳祭りに動揺したまま書いたけど、いつものごとく、そのうち矛盾しても許してね☆という感じで! すまない。

ロボ1号