■右側
「もうちょっとじっとしてろよ?……どうだ、髪とか痛くないか?」
「ハイ、大丈夫っス」
手際よく巻かれた包帯は、短い黒髪を絡ませることなくキュッと端を結ばれる。余った部分を鋏で落として終了するが、その間落ち着かなかったのは手当てのためではない。
ずっと、視線を感じているのだ。
だが目蓋と目の下を切ったためにまとめてガーゼを当て、包帯で塞がれた右目の側からの視線のため、体を動かさない限り確認することは叶わない。おかげで随分とそわそわしていたが、ようやく終わったことでほっと肩で息をついていた。
「そんなに緊張するなよ、包帯巻き直しただけだろ?」
「いや、まあ、そうなんスけど……えっと、ありがとうございます」
「いやいや、礼には及ばねえよ」
鋏と切った包帯を片手に笑っているのは、手当てをしてくれていたロマーリオだ。ガーゼとその下の治療薬は少し前に替えていたのだが、包帯は二周ほど仮留めのように巻かれていただけだった。山本も若干そうではないかと思っていたのだが、どうも今夜の霧の守護者の対戦を観に行くのは歓迎ではなかったらしい。確かに体のあちこちにある刃傷はほとんど塞がっておらず、痛みも当然取れていない。だが観戦しないという選択肢はないのだとあっさり言ってみれば、軽いため息の後にロマーリオは処置室に連れて行ってくれた。
そこで唯一仮留め状態だった頭の包帯を、しっかりと巻き直してもらっていたのだ。先日の別の患者に対する巻き具合を思い出せば心配もしていたが、ロマーリオは比較的まっとうな巻き方をしてくれた。あるいは昨日の被害者が山本の右側から無言で監視していたからもしれないが、とにもかくにもまずは礼を言ったときに、ふとロマーリオが怪訝そうな目をする。
「ん、なんスか?」
「……いや、わざわざその服に着替えたのか、て思ってな」
病室でもずっとパジャマでいたわけではなく、開襟のシャツを羽織っていた。胸も背中も刃傷が多数あるので、その方が脱ぎ着しやすいのだ。
だが観戦のために着替えた山本は、頭からかぶるタイプのトレーナーを選んでいた。着る際にどうしても体を捩ることになり、慎重に腕を通したつもりでもやはり傷が痛んだ。それでも父親が持ってきてくれた服の中でこれを選んだ理由をどう説明したものか、と山本が思ったとき、不機嫌そうな声が右隣からロマーリオへと向けられる。
「……一番厚いんだよ、それが」
「あ、獄寺……?」
「ほら、手当て終わったんならさっさと行くぞ」
見えない右側でそう答えておいてくれた獄寺は、言うだけ言うとギシリと椅子を軋ませてさっさと立ち上がっていた。手当てが済んでいるのでもう動いてもいい山本は、目だけを横にやっても見えない角度にいる獄寺へと体ごとを向けて追いかける。だがふと意味が通じたのかと思いロマーリオに振り返れば、どこか呆れたようにため息をつかれた。
「まあ、そうじゃないかと思ってたけど。とにかく無理はするな、そっちのスモーキン・ボムと違ってお前は数は少なくても一つ一つが深いんだからな」
「はい、気をつけますっ」
ワイヤーなどによる無数の細かい傷が多い獄寺に比べれば、確かに山本は傷の数では格段に少ない。だが直接鋭い刃で体を薙がれているため、その程度は総じて重いのだ。ほとんどの傷口がまだ塞がっているとは言えない状態で出歩くのは、確かに誉められたことではないのかもしれない。だがそれをおしてでも対戦を見届ける必要があると山本は思っており、そう口にした際も、ため息はついても反対する者はいなかった。
それでも、やけに責任を感じているらしいツナは心苦しく思うのでは、と心配になった。大袈裟な手当てをして煽るつもりはないのだが、頭部の包帯だけはどうにもならない。ならばせめて、体の包帯が見えないように。薄い色のシャツで透けてしまわないように、一番厚手のトレーナーを羽織ることにした山本は、処置室から出るドアへと向き直って慌てた。
「あっ……。」
「……早くしろって」
置いてくぞ、と呆れた視線で待っている獄寺は、もう廊下に出ていた。そして促すようにドアを閉めようとしたのは、単に急かしただけだったのだろう。
だが手を伸ばした先を、ドアのノブがすっと掠めていった。
「……あれ?」
つかめると思ったのに、と山本が首を傾げたところでいきなりドアが逆に開く。
「なにやってんだ、ほんとに行く気が……!?」
「おわっ!?」
「……わっ、悪い」
握り損ねたドアノブに惚けている間に、苛立ったように廊下側から開けられたドアそのものに山本はガンッと額をぶつけていた。少し前屈みになっていたので顔全体ではなく額だけがドアの襲撃を受けたが、角だったので結構痛い。さすがの獄寺も戸惑うように謝ってくるほどの音が響けば、処置室の中からは当然の声があがっていた。
「おいおい、山本、大丈夫か?」
「あ、ハイ、たぶん……。」
「スモーキン・ボムも気をつけてやれよ」
たしなめるように言うロマーリオに、獄寺はムッとした顔はするが反論したりはしない。少しばかりの後ろめたさはあるのだろう。ペタペタと自分で額を触り、もう痛みが引いていることを確認した山本は苦笑しながら手を伸ばすことにする。
「獄寺、気にしなくていいって? オレほんと大丈夫だし、て、あれ?……ああ、大丈夫だから?」
「……早くしろよ」
山本にぶつけてしまったことでまた引かれていたドアへと手を伸ばし、今度こそ開いて廊下へ、と思ったのだが、そこでもまた違和感が生じていた。だがノブではなくドアそのものをつかもうとしたからか、あるいは先ほどと違って動いておらず距離も短かったためか、若干の目測のズレはあったものの山本はなんとかドアをつかむことができる。ギィと手前に引いてドアを開き、笑って繰り返せば獄寺は怪訝そうな顔のままでそう言い残し、くるりと踵を返していた。
慌てて追いかけようとすれば、ドアを通り抜ける際に壁に右肩が軽くぶつかってしまう。その理由もようやく自分で分かってきていた山本は、もう何を言うでもなく獄寺の背中を追いかけていた。
獄寺は、怒っているから。
それなのにこうしてまだ一緒に行こうと言ってくれる優しい『友人』に追いつきたくて、山本は距離感がつかめない状態のまま夜の町へと出かけていた。
意外に大変なものなのだな、と山本はすぐに思うことになる。
右目が塞がれていることで、右側の視界が悪くなることは覚悟していた。だがそれより困ったのは、距離感を誤認識してしまうことだ。特に動いているもの、迫ってくるものはひどい。たとえ動いてなくとも進行方向にある障害物までの目測を誤ったり、それらを気にするあまり右側が見えていないという意識が欠落してよく躓いたりする。
「おわっ……!?」
「……。」
「あっぶねえ、落ちるところだった……!!」
側溝に右足を突っ込みかけたり、電信柱にぶつかりかけたり。
そんなことを繰り返しながら、山本は夜の町をゆっくりと進んでいく。時間帯が時間帯なので対向車や通行人などがほとんどいなかったことだけが幸いだ。それでも足元や右側を警戒するあまり、どうしても歩みが遅くなってしまうことで、先を歩く獄寺に追いつくことはもう随分前に諦めた。
時計を見れば、まだ十一時半にもなっていない。このペースで向かっても充分に間に合うということは、病院を出た時間が早かったからだ。いつもと同じ速度で行けないなどと思いもよらなかった山本は、少し出るのが早いのではと首を傾げたものだ。だがこうして実際に向かってみれば、獄寺はこういう事態を予測して早めに出てくれていたのだろう。
「そのうち、慣れんのかな……?」
暗い夜道をほとんど一人でとぼとぼ歩きつつ、山本はそんなふうにぼやく。相当慣れた道にも関わらず、こんなにも歩くのが億劫になるとは予想だにしていなかった。右の眼球自体は無事だったので、包帯とガーゼを外せばすぐに視力は取り戻せる。だがこの調子では片目での生活が慣れる前に転倒でもしてもっと大きな怪我を負ってしまいそうで、普段あまり注意深く行動したりすることのない山本はそれだけで気疲れをしていた。
「あははっ、シャレになんねえー……。」
ため息をついていても仕方がないので、山本は気を取り直して再び歩き始めることにしていた。
手をついて項垂れたかったガードレールをまた指先でかすめてしまったことも理由として大きく、右にある側溝を体ごと向けて一度しっかり確認してから足を進める。なにしろ、学校はもうすぐ目の前なのだ。静まり返っているのはいつものことだが、やはり校門が開いている。今夜の対戦はどこなのだろうと思いながら歩いていくが、その先に獄寺の背中は見えなかった。
どうやらさっさと校門から校内へと入っていったらしい。それを薄情だとは思わないが、複雑なんだろうなとは山本も感じていた。
このボンゴレリングというものを巡っての事件が勃発する少し前に、山本は獄寺からよく分からない告白をされていたのだ。ラブレターで呼び出され、好きですだとか付き合ってくださいだとか、そんな告白ならば山本は何度も女子生徒にされたことがある。そのたびに、今はカノジョとか作ることは考えられないからと断っていたのだが、獄寺に関しては別だった。
「……。」
好きだとは言われたが、同時にひどく腹立たしいとも詰られた。
山本にしてみれば、ツナとの関わりでつるむこともしぶしぶ了承しているだけの獄寺だと思っていたので、まず好かれていたらしいことにひどく驚いた。むしろ苛立つのだと言われた方がよほど納得もできたくらいだ。だが獄寺はそうして愛の告白ともとれるものをしておいて、山本を突き放したのだ。
こんなことを言っても、どうせお前は分からないのだろう、と。
お前は何も分かってねえんだから、とひどく口惜しそうに、それでいて傷ついたように繰り返した獄寺に、山本は何も言えなかった。
「……まあ、確かに分かんねえのはほんとなのな」
実際に、いまだに山本は獄寺の言った好意の意味をはかりかねている。
友達とは、違うのだろうか。
一緒にいて楽しくて、信頼できる仲間だと胸を張れる誇らしさのような『好き』とは、違っているのだろうか。
「……。」
好きだと言いつつ苦しそうで、堪えきれずに同時に腹立たしいと胸倉をつかんできた獄寺は、山本が想像する友情の延長のような好意とは一線を画しているように見えた。
もちろん個人差はあるだろうし、友情と言っても千差万別だ。
特に獄寺はなにかと不可解なことが多いので、理解できるなどと簡単に言えるはずもない。
ただ、そのとき山本が思っていたのは一つだけだ。
「……まるで」
手紙をくれた女の子たちみたいだった。
もちろん獄寺が女のようだという意味ではないが、そう感じたことに山本自身が驚いた。好きだと告白してくれた女の子たちにしても、腹立たしいと詰ったり、ましてや胸倉をつかんで逆ギレしてきた子がいたはずもない。
それでも似ていると山本は思ったのだ。
そしてそう思ってしまったからこそ、条件反射的に『傷つけまい』として浮かべた愛想笑いに、よりいっそう傷ついた顔をした獄寺に殴られた。
「……。」
結局そのときはそれで有耶無耶になり、獄寺はこの件に関して一度も触れてきていない。夢ではなかったというのは殴られた痛みと翌日から異常に素っ気無くなった態度で分かっていたが、山本にはやはり、分からないことがほとんどだった。
一つは、これから獄寺にどう接すればいいのかということ。
もう一つは、殴られる直前、『いつものように』条件反射的な笑みを浮かべで、自分は何を言おうとしていたのか。
「……。」
好きだと言ってくれた女の子たちのように、今は考えられないから、野球に集中していたいからという言い訳をするつもりだったのか。
……そう、それは言い訳なのだ。
傷つけまいとして、好意を寄せてくれた人に対して精一杯の配慮をするつもりで、嘘をつく。
いや、カノジョという存在を今は考えられないのも、野球に集中したいのもそれはそれで間違っていない。嘘ではなく、真実だ。だがそれが断る最大の理由だという意味においては嘘であり、誠実さには欠けるが誉められるべき対応だった。
要するに、山本が相手の女の子に対して同じだけの好意を返せる自信がない。
好きだと告げられ、胸が弾む前に気分が沈むことが誤魔化しようもない自分自身を映し出している。
それを自覚しているからこそ、野球などに責任転嫁する自分に後ろめたさを感じていた。だがさすがにすべてを正直に話した方が相手が傷つくことぐらいは分かっているので、結果的にこれでいいのだとも山本は思っている。
「だって、罰みたいなもんだしなあ……。」
好意に応えられない代わりに、少しだけこちらも罪の意識を負う。
重ねた分だけ嘘は上手くなったが、反射に近くなっていると気がつけたのは獄寺のおかげだ。
なにしろ、殴られる前にまずいと山本はもう思っていたのだ。
心にもない反応をしてしまったと認識が追いつく頃にはもう殴られていたので、そんなふうに思ったことすら山本は忘れている。直後にヴァリアーと名乗る集団に襲撃を受け、リングを授かって修行に励んだりといろいろなことがあったので、獄寺とのギクシャクした関係も忘れていられた。
寂しいのだと、考えなくてすんでいた。
「……。」
好きだと言われて、初めて胸が弾んだ気がしたのに。
動揺からだけでなく、純粋に嬉しいと思ったことさえもう遠い過去のようだ。ものの一ヶ月も前のことではないのに、その間にいろいろなことがありすぎた。
深いため息をつきながら、山本は半分開いている校門へと手をかける。
金属製の重い門扉は独特のひんやりとした感触を手に伝えるはずだったが、それを感じたのは相変わらず指先だけだった。
「あれ?……おあっ!?」
小指だけを引っ掛けるようにして右手がすり抜けただけならば、まだ大丈夫なはずだった。
だが重い門を滑らせるためについている滑車のレールに、山本は躓いてしまったのだ。もちろん見えていれば問題なく跨げただろうし、そうでなくともここにレールがあることぐらいもう一年半も通っているので当然知っていた。そうして通い慣れているという思い込みが逆に災いしたのか、派手にバランスを崩した山本は門をつかんで姿勢を保とうと試みる。だがただでさえ薄暗く、見えない右手側ですり抜けた門扉をつかむのは容易ではなく、二三歩たたらを踏んだところでドスッとぶつかっていた。
「……うお?」
「だから、なにやってんだよテメェは……。」
白っぽいシャツにぼすんっと顔を埋めることで支えられた山本は、拍子抜けしたように脱力してペタリとその場に膝をつく。だが驚いて顔を上げれば、もうとっくに対戦の場所に向かったと思っていた獄寺が呆れたように見下ろしてきていた。
「えっと、そこの……レールに、躓いちまって……?」
「んなことは分かってるっての、いちいち説明しなくていい。それよりそこでリボーンさんに会った、今夜は体育館だとよ」
「あ、ああ、そーなのな……?」
獄寺が何をしているのかと聞いたはずなのに、と不思議に思いつつ山本が頷けば、獄寺はまた大きくため息をついている。そしてすっと差し出された右手に、山本は首を傾げてしまっていた。
「獄寺……?」
「手。体育館までは階段も多いからな、いちいちコケてられちゃ堪んねえよ」
どうやら手を握ってくれるらしい。
そう分かれば分かったで、山本はいっそう不思議そうな顔をしてしまった。
確かに体育館までは、階段というより段差程度のものをいくつも越えていかなければならない。病院から道路に出る数段ですら下りるのに苦労した山本なので、手を引いてもらえるならばひどく助かる。
だがどうして、獄寺がそんなことをしてくれるのか。
今更というよりは、自分のことなどもうどうでもいいのだろうと思っていたので不思議で仕方がなかったのだが、そんな認識が追いつく前に体は正直な反応を見せる。獄寺の右手に、山本はほとんど無意識で自らの左手を重ねていた。
「ああ、サンキューな!!」
「……別に」
「なんか、アレみたいだな。ほら、車から女の人が降りたりするときに手で支えるみたいな、えっと、エスケープ?」
エスコートだ、と素っ気無く返されても嬉しさは隠しきれなくて、山本は獄寺の手をギュッと握ったままでようやく立ち上がっていた。そうすれば、何故か手を差し伸べてくれた獄寺の方が驚いたような顔をしている。だが手を振りほどかれることはなく、左側に獄寺を感じたところで山本はあっと声を上げていた。
「……なんだよ」
「なあ獄寺、せっかくなら右手にしてくれねえ?」
こけそうになったのを助けるのならば利き手の右がよかったのかもしれないが、山本にしてみれば常に見えない右側の方が恐い。そうお願いしてみれば、獄寺は不機嫌そうな顔はしたままだったが、あっさり手を放して山本の右側に移動してくれる。
「チッ、注文の多いヤツだな……。」
「あははっ、悪ぃなっ。それと……ありがとな?」
「……別に」
今度は右手を獄寺の左手にギュッと握られて、山本は喜びが増してそうお礼を言っておく。
だが離された左手は、急に寒さを感じた。せっかく獄寺の体温であったまりかけていたのに、と名残惜しくなっていた山本は、さして深く考えずにその左手を自らの頬にペタリと当てていた。
「……何してんだよ」
「え? ああ、なんか獄寺の熱がもったいないかなって」
怪訝そうに尋ねられたので素直に答えてみたのだが、何故か獄寺はひどく驚いた顔をしていた。それからなんとなく悔しそうに視線を逸らしている様は、何度か見かけたことのある対応だ。それを山本が思い出す前に、手は握ったままで正面に回ってきた獄寺が睨み上げるようにして視線を向けてきていた。
「山本、テメェ、分かってんのか……!!」
「へ? 何を?」
「……だから、オレが前に言ったことだよ」
怒られたのかなと思い、山本は自らの頬に当てていた手をゆっくりと外す。
するとそれを合図にするように踵を上げた獄寺が、しっかりと瞳を合わせて睨んだままで唇を押し当ててきていた。
「……え?」
キスされたのだ、とは分かった。
触れるだけですぐに離れた獄寺の唇は冷たく、到底熱を分け与えられた感じはしない。だが獄寺とキスしたのだと認識した途端、自分の中から急速な熱が全身を駆け巡って特に顔は真っ赤になってしまった。
「山本……?」
「えっ、あ、ああ、えっと……その、分かってる、気がする……?」
「……それはそうみてえだな」
やっぱりこういう『好き』なのか。
言葉には出せなかったが、山本はそう心の中で思っていた。握られたままの手が、温かいを通り越して熱いくらいだ。だが急にその手を外されかけて、山本は慌ててギュッと握り返していた。
「ご、獄寺っ、なんで……!?」
「……早く行くぞ」
焦って尋ねるが、振り解かれることはない。それに安心している間にさっさと獄寺は踵を返し、歩き始めてしまう。
普段見えているときよりも若干早い気もするその速度に、二人の腕はあっという間にいっぱいまで伸ばされる。だが繋いだ手はそのままで、それ以上は開きはしないのだと思いながら山本も少し駆けるようにして足を踏み出していた。
ほんの数歩で隣に並ぶことができ、また安堵する。一人で街中を歩いていたときに散々躓いたのでこの速さは恐くないわけではないが、それでも大丈夫だと思っていた。きっと獄寺が見ていてくれるし、仮に躓いても支えてくれる。それが無理なほど派手に転倒してもそこに獄寺はいてくれるのだと思うだけで、山本は充分だった。
「……山本」
「んー?」
「……オレは、テメェに合わせてやったりしねえからな」
ずんずんと校内を体育館へと向かって進んでいると、不意に獄寺がそう口を開く。
一瞬単純な歩調のことかと思ったが、すぐにそうではないと気づく。
「必要なら、手は貸してやる。けど、それはあくまでテメェがオレたちにちゃんとついてきたいと思ってる場合だけだ」
「獄寺……?」
オレ、ではなく、オレたち。
複数形であることに、山本は少し胸が痛んだ。
あのとき、告白のようなものをされたときも獄寺はそう言っていたのだ。
獄寺を分かっていないのが腹立たしいのではない。
獄寺『たち』を分かっていないのが、好きだという言葉を口にするときに苦しそうな、あるいは罪を告白するような顔をせざるをえない理由なのだ、と。
「オレたちは、テメェに合わせてやることはできねえ。だから強引にでも手を引いて、同じ速度で歩かせる。それが嫌なら……山本から、手を放せ」
「……。」
今は単に見えない片目の代わりとしてしている行動だが、それ以上の意味を含んでいることは明らかだった。
まだ一日と経っていないこの学校内で起きた惨劇を、山本も忘れているはずがない。
だから選べと酷なことを言ってくる口とは裏腹に、獄寺の手は温かい。強く握り締めてくれる力がその意志を饒舌に示してくれていて、山本は少しだけ左目も伏せて哀悼を捧げた後、ゆっくりと目蓋を押し上げて少し先を歩く背中を見た。
「……少しだけ、待っててほしいのな」
「……。」
返事を予想していたのか、獄寺は何も返してこなかった。
それでも手は握られたままで、一度ずらした後にしっかりと指まで絡めてくる。
離したくないのだという無言の主張に今は少しだけ許してもらって、山本も黙って歩くことにしていた。
あんなことがあったばかりで、恐くないと言えば嘘になる。
我が身に降りかかる恐怖というよりは、理不尽さに憤る感情に近い。これを受け入れられなければ共に歩めないのだと、こういう世界と知ってても一緒に来てほしいのだと、言葉に出せないのは獄寺にも葛藤があるからだろう。
獄寺の求める『理解』とは、単純な認識ではなく賛同、あるいは参画の意味だ。
分からせてやる、とは言えない。それは強引に引きずり込むことと同じになる。
だから山本から分かりたいと近づいてほしい、あるいは分かったからこそ拒まれることも全く想定していないわけではないのだろうが、拒むならば最初から分かってほしくないのかもしれない。一つは飛び込む覚悟がないままに血生臭い現実を垣間見させるつもりはないという配慮で、もっと多くはすべてを理解した上で拒絶された方が傷が大きいからだろう。
その気持ちは、山本にもよく分かる。
自分のすべてをさらけ出して逃げられるよりは、本当の自分を見せないままでそれを拒絶の理由にしてしまいたい。単純な自己防衛本能だ。
その傾向が強く感じられ、見せないようにと常に心がけていたと思われる獄寺が、ちゃんと分かれと言ってきた。
ほとんど懇願のようにも聞こえ、どこか祈りを思わせる。
そこまで求める気持ちがあるということは、山本は純粋に嬉しかった。
単純にずっと傍に居たくて自然と足を速めていた山本は、いつしか見えない右側に不安を感じていないことに気がついた。
「……まあ、そうだよな」
「……?」
そんなことは、当たり前だった。
だってその先に獄寺がいるのだから、と笑ってしまった山本は、きっと自分は獄寺のことが好きなんだろうなと漠然と思っていた。繋がれたままの手は少し気恥ずかしくて、面映くて、また熱がぶり返してくる。だが温かいだけの手ではないのだともう知っているからこそ、どうすればいいのかすぐに決められなくて、決めてはいけない気もして、ただ置いていかれたくなくてまた力をこめた。
「……痛いっての」
「えっ、あ、悪いっ」
その途端、ぼそっと呟かれた後に足を止められ、山本は反射的に謝る。確かに少し力を入れすぎたかもしれない、と思ったところで、足を止めて振り返った獄寺がまたじっと見つめてきていた。
「獄寺……?」
「……。」
若干握る力は緩められたものの、手は繋いだままだ。つられるようにして山本も足を止めて向かい合い、空いている左手をそっと伸ばしてきた獄寺に山本はまた胸が弾んでしまった。
「……包帯」
「ん?」
「包帯、頭の。ズレてる」
だが獄寺の指先が触れたのは頬などではなく、頭に巻かれている包帯だった。どうやら校門のところでこけて獄寺の胸に顔を埋めるような格好になった際、包帯がズレてしまっていたらしい。山本からは当然見えないが、外れるほどではないのだろう。少し下に引っ張るようにしただけで簡単に直せてしまったらしく、離れていく手に一抹の寂しさをおぼえたとき、ふとその指先で耳朶を撫でられた。
「わっ……!?」
「……山本」
ぞわりとした感触と、ひやりとした温度差に反射的に身を竦めたところで、ズキリと傷が痛んでいた。
まるで警告のようだ、と内心山本は笑ってしまいそうになる。
くすぐったい初恋のような気持ちに浮かれているのを不謹慎だと窘めるようであり、ここに至るまでの苛烈な現実を忘れるなというようでもある。あるいは、そうして割り切りていないからだと自己欺瞞してまで、現実逃避をしているのだろうか。好きだという感情すら保身のための口実にしている気がして嫌気が差す。
それが獄寺にも伝わっていたのか、繋いだままだった手を外されてしまった。表面的な傷ではない、もっと深い胸の奥が軋みを上げるようにズキリとまた痛んだが、山本はじっと堪える。だがそれが、獄寺と離れることが恐いのか、離れたくなくて知ろうとした先にあるものを予感しての痛みなのかは、まだ山本にも分からない。そう思ったとき、先ほど触れられた左側でなく、右の耳にいきなり手が触れてひどく驚いた。
「……!?」
死角から伸ばされた獄寺の手は、ずっと繋いでいた方だったので逆にひどく温かく感じた。
弾かれたように顔を上げたことでようやく自分が俯いていたと気がつく山本に、獄寺はもう一度左の耳へも触れてくる。そうして両手ともで耳朶を撫でてからするりと指を滑らせ、頬を包んでくれた。
見えている左側に触れた手は、相変わらず外気にさらされ冷たい。
だが見えない右側から撫でられた手は、分け合った体温の余韻を残してひどく温かかった。
「獄寺……。」
「……。」
まるで獄寺の両面性、あるいは相反性を如実に示しているようにも感じられる両手の間で、そのバランス取ったかのような緑がかった瞳がじっと見上げてくる。それを山本もまたじっと見つめ返していれば、やがてその距離がゆっくりと縮まる。言葉ではなかったが促されるように自然と左目も目蓋を下ろせば、完全に閉ざされた視界でもはっきりと獄寺の唇を感じることが出来た。
押し付けるだけの、いたわるような優しいキス。
不意打ちにも近かった一度目と同じ色のまま終わると思っていたが、離される直前に、一瞬違った動きをみせる。
「んっ……?」
「……。」
だが舌で唇を舐められ、更にその先をせがむような仕草を感じさせた獄寺だったが、すぐに引いていた。
慈しむ気持ちはあるのだろう。だが獄寺にとっては、自分はそれだけの存在ではないのだ。
唐突に突きつけられる感情に、山本は訳もなく揺さぶられてしまう。これがつらい現実からの逃避としての恋ならば失敗だ、と誰かが囁いている気がした。言い訳にしかすぎないはずの感情で、こんなにも足元がぐらついては本末転倒だ。自分を守るための欺瞞なのに、逆に崩されてしまいそうになる。
それでもまだ何を言うこともできず、当惑するだけの山本に獄寺が口を開く。
「……焦らなくていい」
「え……?」
相変わらず両頬を両手で包んでくれたままで、獄寺ははっきりと続けていた。
「今はまだ、何も終わっちゃいねえから。だから甘やかせられねえ、引き摺ってでもテメェをついてこさせる」
「……。」
「……けど、オレはちゃんと待つから」
もう少しだけ待ってほしいと漏らした言葉に、遅れ馳せながら獄寺は頷いてくれていた。
驚いて瞬くことも忘れた左目が、瞠られたままで呆然と獄寺の像を捉え続ける。瞬きを忘れてしまったから、眼球の表面が乾いてしまった。だから保湿のために水分が分泌されるのは自然な体組織の反応だと分かっていても、何故か喉まで引き攣ってくるような感触に山本は動揺する。
「ごく、でら……!!」
獄寺だって、決して平然としていられる状態ではないだろうに。
それなのにおくびにも出さず、こうして待つと言ってくれた獄寺を、愛しいと思っていた。
「今になって泣くんじゃねえよ、そんな顔で十代目の前に出んなバカ。まあリボーンさんの話だと、何故か体育館でお眠りになってるようだけどよ……。」
「んっ……!!」
困ったような物言いで獄寺が左の目尻に唇を押し当ててくれたことで、嘘のように涙はピタリと止まる。そのことに山本自身も驚くが、ほっと安堵にも近い笑みを一瞬だけ獄寺が浮かべてくれたことが嬉しかった。それにつられるように山本も少しだけ笑ってみせれば、獄寺はくるりと背を向けてさっさと歩き始めていた。
「山本、お前、体育館に着く頃にはもうちょっとマシに笑えるようになっとけよ」
「えっ、あ……努力する……。」
そういうのは得意だから、と言ってしまうと怒られそうで、あるいは悲しまれそうで、山本は言葉にはしないでおく。
いや、しようと思ってもできなかっただろう。
さっと一人で先に行かれてしまう、と慌てていたところで、相変わらず視界になっていた右手を当然のようにギュッと握られたのだ。てっきりもう繋いでくれないのかと思っていたが、獄寺の発言を考えればそうではないことに気がつける。
今はまだ、何も終わっていないのだから。
山本を捨て置いてなどいけない状況なのだから、強引にでも手は引いてく。誰一人脱落者を出さないための緊急措置のようでもあり、そうして握った手で体温を確認し続けていたいという逼迫した欲求のようにも感じられた。
すっかり視界の不安などなくなった山本は、そうして右手を引っ張ってくれる獄寺にもう一度笑いかけていた。
「獄寺、ありがと、な……。」
「……ああ」
未明の戦いで、自分は確かに何かを失った。
ぽっかり空いた穴のような虚しさの象徴が、閉ざされてしまった右側の視界なのかもしれない。
だがそれを、強引さで買って出てでも補おうとしてくれている存在の温かさが、するりと山本の中にしみこんでくる。
「獄寺……。」
「……なんだよ」
「……。」
ずっとじゃない、今だけだ。
突き放しているのでなく、いずれ山本がこの手を必要としなくなることを知っている、信じているからこその発言だ。甘やかしたりしないと繰り返されるのは、もしかすると獄寺自身にも言い聞かせているつもりなのかもしれない。
それぐらい温かく、心地の良い体温に握られたままで。
今日もまた観戦へと赴く。
「……。」
「……だから、なんだよ」
歩くたびにわずかな振動でもギシギシと痛む傷を抱えたままで、それでも山本は笑うことにする。
「あのな、獄寺?……オレ、獄寺のこと好きだから」
「……!?」
「ほんと、大好きなのな」
あからさまに驚いた反応は示したものの、獄寺は振り返ることはしない。足も止めず、やがて見えてきた体育館をじっと見据えたままで、唐突に呟いていた。
「……足元」
「んー?」
「すくわれるなよ」
数歩先の段差のことなのか、あるいはもう一つ意味を重ねているのか。
どちらにせよ、山本も返す言葉は同じだ。自然と歩調を緩めてくれた獄寺の手に促されたまま、渡り廊下を横断するために段差を慎重に越えていく。
「だーいじょぶだって、こうして獄寺が繋いでくれてるから?」
「……言ってろよ」
呆れたような、小馬鹿にしたような返事で笑って流した獄寺に、山本も安堵する。
自分たちは、まだこれでいい。
既に対戦を終えた者たちなのだから、こうしていた方がいいのだ。
ふと見つめた体育館があまりに明るい光を窓からこぼしていて、目が眩みそうになった。もつれそうになる足すら、無理に引っ張って行ってくれる手がそんな躊躇を許さない。見えないはずの右側の方が、いつのまにかもっとしっかりと何かが見えている気がして、山本は自然と握り返す手に力をこめた。
きっと、獄寺は忘れてしまっているのだろうけど。
こうして繋がった体温で生きてくれていると安堵できるのは、自分も同じなのだ。
「獄寺……。」
右の目蓋と目の下の傷は、いずれ癒えていく。
けれど。
すべての世界がズレてしまい、指先が掠めるばかりで何もつかめなくなってしまったこんな夜に、右目の代わりになってくれた存在を決して忘れることはないだろう。
忘れることなどできない、束の間の優しい夜だった。
| ▲SSメニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 包帯武のエスコート話のはずが、なんか珍しい系統に。 もしかするとロボは絶賛山サンに獄寺氏が優しくしよう月間なのかもしれないと思った昨今です、ウフフイ… 相変わらず本誌妄想でスイマセン。あ、前に書いたのとは別で! なんかそんな感じでした…。 ロボ1号 |