■情熱系スパイラル






 放課後の冷めた教室。
 行き届いていない掃除の所為か、どこか煤けた埃っぽさを感じさせるこの時間帯は嫌いではない。
「う……あっ……!?」
「山本……!!」
 校舎の外、グラウンドの方から部活動の音が聞こえていたはずだが、もうそれも遠い。
 耳に入ってくるのは、互いの声と、息と、鼓動。
 耳でないところに響いてきているのは、きっと、嫌悪感だけだろう。
「獄寺っ、お前……!!」
「うるせえ、黙ってヤられてろよ……!!」
「おわっ!?」
 気持ちが悪い、吐き気がする。
 思わず顔をしかめてしまいつつ、肩をつかもうとしてきていた手を逆に握り、押し返した。
 上背にモノを言わせた普段の立ち回りなど呆気なく崩れ、山本は軽く驚いた様子を見せたときにはもう床へと押さえつけられていた。ゴッと鈍い音もしたので、もしかすると頭を打ったのかもしれない。痛みで反射的に閉じられた瞳は、いまだ開かれることはない。
 いっそ、それでもいいかと思う。
 このままこの男が目を開けないでいてくれれば、きっと、自分は少しだけ救われる。
「……ってえな、あんま手荒にすんなよ」
「……。」
 だが、そんな期待も直後にもたらされた言葉で霧散した。
 ああ、まただと思う。
 自分はまた、失敗してしまった。
「……手荒ったって、今更だろ。この状況で、オレが優しく押さえつけてたところで、なんか変わんのかよ」
「え? ああ、まあ、それもそうか」
「……。」
 そうだよなあ、と笑っているこの男は、本当に状況が理解できているのか。
 男が男に、しかも強引に組み敷かれていて、どうしてのん気に笑ってなどいられるのだろう。
 あるいは、『慣れ』なのかもしれない。もしくは現実逃避からの『麻痺』だ。
 どちらにしても、腹立たしい反応には違いない。
「続けねえのか?」
「……。」
 しかも、本当に不思議そうに尋ねられて、今度こそキレた。
「……山本、オメーはホントによぉ!!」
「なにいきなりキレてんだ? まーまー、落ち着けって、な?」
「これが落ち着いていられっか!! それともなにか、落ち着けってのは萎えてさっさと終わらせろって意味かよ、あぁ!?」
 室内灯が消された教室内は、もうだいぶ暗い。距離があけば表情すら認識できなくなりそうな視界で、ぐっと顔を近づけてそう凄んでみる。すると再び不思議そうに軽く瞠られた瞳は、じっと自分を映したままで、ある意味においていつものようによく分からないことを言っていた。
「あ、いや、ええっと……変わる、のか?」
「……なんの話だよ」
「だから、手荒にじゃなかったらってヤツだ」
 あまりに予想だにしていなかったので一瞬本気でなんのことか分からなかったが、どうやら山本は一つ前まで話題が戻ったらしい。あるいは、すぐに意識が向くほど頭に痛みが残っているのかもしれない。だが山本が言うように、押し返す際に気遣ってやっていたところで何が変わったとも思えない。山本自体、語尾が上がった半疑問系だったので、さして根拠がある発言でもなかったのだろう。
 そう思ってまた顔をしかめたとき、なんでもないように山本は続けていた。
「まあ、手荒じゃなかったらオレも頭打たなかっただろうし? あとついでに、嬉しかったかもしれねえ程度か」
「……意味分かんねえ」
 ここまでされていてその程度の気遣いで嬉しがんな、とばかりに繋がったままの腰を思い出したように突き上げれば、激痛が増したのか山本は久しぶりに顔を歪めてくれる。そのことに少しだけほっとし、握ったままだった手を外す。
「分からなくは、ねえ、だろ? だって……て、獄寺っ、お前、だから急に……!?」
 意味のないおしゃべりは終わりだと言外で示し、両手で腰を掴んで本格的に動き始める。野球で鍛えられた筋肉は、シャツの上からでもよく分かる。背が高いので細身でスラリとした印象が強いが、まがりなりにもファミリーの一員だ、接近戦を得意にしているだけのことはある。悔しいので認めたくはないが、中距離戦が本来の位置にある自分とは根本的に違う。
 そう思ったとき、また嫌悪感が増した。
「獄寺、なんでお前……!?」
「……うるせえ、違う意味で果てさすぞ」
「オイオイ、また花火遊びか? ココでそれシャレになってねえって……て、だから、ぅあっ……!?」
 既に何度もこなしたこんな行為だが、いつ誰かが廊下を通らないとも限らない。廊下を歩くだけならばまだやり過ごせるかもしれないが、教室に踏み込まれれば一巻の終わりだ。
 もちろんそんな不運な輩の方が、ではあるが。
 最低限にしか乱していない制服には、いつもの通り大量の爆薬を仕込んである。どれだけ没頭していても、周囲の気配を探る習性はちゃんと働かせている。
「獄寺っ、だか、ら……!!」
「……黙れって言ってんだろうが」
 そうして自分はちゃんと警戒しているのに、迂闊に声を上げて危険を呼び込もうとしているかのような山本の態度が腹立たしい。
 苦々しげに吐き捨てた後には、うるさい口をさっさと塞いでおくことにする。
 腰を掴んでいた手の一方を外し、また自然と上体を起こしかけていた山本の頭を力任せに床にガッと押さえつけた。
「痛ってぇ……んんっ!?」
 額から目元までを手で覆うように押さえつけ、強引に唇を合わせて黙らせる。ようやく大人しくなってくれた、と、安堵した世界で、急に自分の声が頭の中でガンガンと響いてきていた。
 この男がうるさかったのは、危険を呼び込むためじゃない。
 『助け』を呼ぶためだ。
 目的が一致していないのだから、協力など望めないのは当然だ。
 そもそも、そこまで警戒しなきゃいけない状況で、なんでオレはコイツをヤらなきゃなんねえんだ。
「……獄寺?」
「……。」
 立ち返ってはいけない疑問に、また吐き気がした。
 自然と外れていた唇で不思議そうに名を呼ばれ、どうしてだか安堵してしまったことで、また殺したくなった。






「……十代目、殺したくなるほど憎い理由ってなんなんでしょうね」
「え? ご、獄寺君……!?」
 今は昼休み、天気もいいということで昼食を終えてからなんとなく屋上にやってきたところで獄寺はそう口を開いていた。ちなみに山本はこの場にいない。昼休みに入った直後、野球部でのミーティングがあるからと呼び出されて行った。
 そのため、ツナと二人で屋上に足を運んだ獄寺は、フェンスにもたれかかって座りこむなりそう切り出した。紫煙を燻らせる咥え煙草が、妙な哀愁を引き立たせている。獄寺の言動にはいつも振り回されているツナには、それだけでピンとくるものがあったようだ。
「は、早まっちゃダメだよ、獄寺君!!」
「へ?」
「ランボのことでしょ、またランボがキミになにかしたんでしょ!?」
 だが、どうやら相手を誤解されたらしい。
 確かにあのアホ牛はムカつきますが、と怪訝そうにしつつ、獄寺は正面に座りこむツナにひらひらと手を振っていた。
「違いますよ、アレじゃなくって。その、なんていうか……こう、遠回しに言って、山本とか?」
「……物凄く具体的に聞こえるんだけど」
「あ、分かっちゃいました? さすがですっ、十代目!!」
 ボスと崇めたツナの洞察力に素直に感嘆した獄寺だったが、当然ツナは乾いた笑いをするばかりだった。そしてそれに獄寺が気がつかないのもいつものことだ。キラキラと尊敬の目で見つめる獄寺に、ツナは微妙に視線を逸らしつつ、言いにくそうに尋ねていた。
「ええっと、それで……昨日、山本となんかあった?」
「……!?」
 先の発言と合わせれば、獄寺が山本を殺したいくらい憎いと言っていることぐらいは推測できるだろう。
 だが、どうしてその原因が『昨日』に限定されるのか。
 もっと正確に言えば、どうして昨日に起因していると見抜かれたのか、思わず息を飲んで肯定したも同然の獄寺に、ツナはますます困ったように続けていた。
「い、いや、ほら? 昨日は山本、野球部の方の集まりで一緒に帰らなかったし。けど、獄寺君、一緒に帰ってる途中で、忘れ物したから学校に戻るって」
「す、凄い名推理ですっ、十代目……!!」
「い、いやいやいや!? なんか山本絡みのときって、獄寺君目つき違うから昨日は分かりやすかったというか、まあそれはいいんだけど!!」
 アハハハハ、とまた乾いた笑いで返されていることにも気がつかず、獄寺のツナへの心酔は深まる一方だった。
 だが見抜かれていたのであれば、隠し立てはもうできない。忠誠心ゆえに、ツナにとっては傍迷惑な決意を固めてくれていた獄寺は、急に気だるく座っていた足を正座に直して気合を入れていた。
「……十代目、実は」
「う、うん……!?」
 重苦しく切り出そうとしたのだが、そこで獄寺は言葉に詰まってしまった。
 怖気づいたり、躊躇したりしたのではない。単に、自分も話せるほど分かっていなかったのだ。むしろ尋ねたかったのはこちらの方で、そう気がついたときには獄寺は激しく動揺していた。
「すっ、すいません十代目!!」
「えっ、急にどうし……!?」
「オレ、まだ自分でもお話しできるほど理解できてなくて!! いや山本がムカツクとか腹立つとかイライラするとかいっそ殺してえとかは分かってるんですけど!!」
「そ、そこまでなのーっ!?」
 山本のドコが、と言われれば、多少は答えられるかもしれない。
 どうして、と尋ねられれば、また言葉に詰まるだろう。
 更にそんな憎しみから派生しているはずの、ここのところの自分の言動に追及されれば、不甲斐なさで死にたくなりそうだ。
 そんなことを思っていた獄寺に、ツナはますます困っている。そのことに今度は獄寺がまた動揺していると、不意にドアの方から能天気な声が聞こえてきていた。
「なんだ、オレも嫌われたモンだな」
「あっ、山本、このタイミングで……!?」
 どうやら野球部のミーティングは終わったらしい。手に提げたコンビニの袋からはパンが覗いていることで、今日は弁当ではないようだとも気がつく。だが自分の悪口を聞いてしまったという間の悪い状況に近いはずにも関わらず、山本はいつものようにニコニコした様子で屋上へと足を踏み入れていた。
「ようツナ、もうメシ食ったか? オレ、今からなんだよなーっ」
「そ、そうみたいだね、ていうか……!?」
「あと獄寺、お前、イライラしてんなら牛乳飲めよ?」
 きっとカルシウムが足りてねえんだぜ? と歩きながら差し出してくるパックは、購買で売られているものだ。受け取られても困るくせに、山本はごく自然と自らの牛乳をそう言って獄寺へと向けていた。それを、正座したままで不愉快そうに睨み上げることで獄寺はお断り申し上げる。すると軽く肩を竦ませた山本は、それ以上勧めることはなくその場へと腰を下ろしていた。
 そうしてガサガサとパンを出してかぶりついている山本は、昨日のことなど一切感じさせることはない。あんなことをされた教室で、朝からいつものように平然と睡眠学習をしていた。今もまた昨日のことを想起させる話題に遭遇していながら、動揺の欠片も見えない。
「あ、あの、獄寺君……?」
「……。」
「ツナ、ほっとけって。なーんか最近、やけに機嫌悪いみてえだから」
 大切な十代目に心配そうに名を呼ばれたことにも気がつかず、獄寺はすぐ横でパンを食べている山本をじっと睨んでいた。
 いっそ、開き直って暴露でもすればいいのだ。獄寺にあんなひどいことされてます、と、ツナに言うだけできっともう致命傷になる。今度こそ殺せる。こんな不可解な事態を、恐らく自分ごと吹き飛ばすことができる。
 そう知っているはずなのに、どうしてだか山本は例の行為について口を滑らせることはなかった。男としてのプライドなのかもしれないが、一度や二度の事故ではないのだ。いい加減なんとかすればいいのに、と加害者でありながら盗人猛々しく思っていた獄寺は、そこでふと色素の濃い瞳に射抜かれて息を飲んだ。
「……!?」
「獄寺、メシは?」
 こんな時間だ、昼食など食べていて当然だろう。
 むしろ、最初にこの屋上に現れて、十代目には食事は済んだのかと尋ねていたではないか。
 それを今更自分にまで確認してくるのは、山本が単に鳥頭だからではない。
 間違いなく、『ついで』だ。
「あ、えっと、獄寺君ももう食べてるよ……!?」
「そっか? ああ、そうみたいだなーっ」
 ぐるぐると螺旋を描くようにして降下していく気分を察したのか、ツナがフォローするように口を開く。そのことでようやく我に返った獄寺は慌ててツナへと向き直るが、そのときにはもう山本の視線も外されている。
「す、すいません十代目、答えてもらっちゃって……!!」
「えっ、そんな恐縮されるようなことでも……!?」
「ほんと、スイマセン……!!」
 真摯に謝っている様子を無視するでもなく、凝視するでもなく。
 自らの昼食を進めながら山本は平然と眺めている。視線を逸らすほど興味がないわけではないが、わざわざ止めに入るほどの執着もないのだ。
 視界はツナを捉え、意識はひたすらボスを崇めた唯一人に向いているはずなのに、傍観者にすぎない山本が気になって仕方がない自分に、本当に嫌悪感が増した。ギリッと唇を噛みしめ、何かを叫んでしまいそうな自分を必死で押し留めている姿に誤解でもしたのか、慌てた様子のツナが山本へと話をふる。
「あ、ねえ、山本からも何か言ってあげてよ!?」
「……何を?」
 こちらの複雑な心情はどうであれ、傍目には山本からの問いかけを無視したのが発端だ。
「だから、気にしてないとか、そんな感じのをさ!?」
「え、オレ何か気にしてなきゃいけなかったのか?」
「だって、山本を無視しちゃって、それをオレが変なフォロー入れたから獄寺君こんなに思いつめたみたいな顔してるんだし……!?」
 ツナの気遣いは有り難い分、獄寺にはまたつらかった。別に今獄寺はそんなことで思いつめていたワケではないのだ。
 ただ、憎悪が増しただけだ。
 殺意と置き換えられそうなそんな感情に、ようやく理由が見えてきそうな予感で、武者震いとも戦慄とも分からない動揺の只中にあった。
「つまり、オレが無視されて怒ってるとか、そういうことか? なに言ってんだよ、そんなワケねえだろっ」
「そ、そう、だよね……?」
 獄寺にとっては尊敬するボスであっても、ツナは山本にとってはいまだ一人のクラスメートだ。見当違いな心配をしている友人を励ますようにそう笑い、軽く肩を叩いているその様子は、本当にあっけらかんとしている。
 その笑顔に、吐き気がこみ上げてくる。
 もう少し、もう少し。
 あと少しで、殺したい衝動に名前をつけられる。
「そうだって? なにしろ、オレ獄寺に嫌われてるし」
「……山本?」
「それ知ってて話しかけたのもオレだし、無視されて逆ギレとか? んなことしねーよ、むしろ普通にキレなかった獄寺のが偉いんじゃねえのか?」
 気ぃ使わせて悪かったな、とまたツナの肩を笑顔で叩く山本に、ようやく分かった気がした。
「えっと……山本は、獄寺君のこと、嫌いなの?」
 尋ねてしまった後にハッと息を飲んでいるツナは、気遣わしげにこちらへと伺うような視線を向けてきていた。
 それに、獄寺は薄っすらと口元に笑みを浮かべ、首を振ることができた。
 そんな気遣いは無用なのだ、山本の答えなど分かっているのだから。
「へ? オレは別に嫌ってねえけど?」
「そう、なんだ……?」
 たとえ山本が自分を嫌っていても、きっと殺したくなんてならなかった。
 ただ、誰にでも向ける笑みで、心からの嘘偽りないその笑みで。
「まあ、獄寺はオレのこと嫌ってるみてえだけど」
「山本……。」
「ツナにはちょっとしんどいか? まあ、なら距離置いた方がいいのかもなあ、悪い悪いっ」
 獄寺が嫌っていても自分は平気だと笑ってみせる山本を、消し去りたいと思っていた。
 きっとこれは殺意ではない。
 ただ悔しくて、自分の存在などその程度なのだと突きつけられて、苦しいだけなのだ。
 嫌悪感も、殺意も、煽り立てる元凶は確かに山本だ。
 だがそれらが向いているのは本当は自分自身で、いっそ楽にしてくれと祈ってしまいそうになる。
「えっと、その……それは、山本と獄寺君の問題だと思うから、オレは……。」
「そっか? まあじゃあ、なんとなくまだこのままでいいか?」
「……いいと、思うよ」
 ツナの言葉を受けてまた笑った山本に、吐き気がぶり返してきて思わず口元を手で押さえる。
 胸どころか体中が締め上げられるような苦痛を、やっと言い当てることが出来た。
 この吐き気と、気持ち悪さと、頭が沸騰でもしているような感覚は……ただの、嗚咽だった。






 日没には遠い放課後、明かりのついていない教室で一人煙草をふかす。
 今日も今日とて、放課後まで山本は野球部のミーティングだ。会議ばかりせず体を動かして練習した方がいいんじゃないのか、と思いはするのだが、ちょうど世代交代をした時期だとかでいろいろ雑事があるらしい。スポーツなど無縁で、学校すらまともに通うのが初めてな自分には部活動のことなどさっぱり分からない。
 それでも、同じ場所、同じ時間帯。
 昨日の再現でもしたいのか、ツナを送り届けた後また戻ってきてしまった自分に獄寺は笑ってしまっていた。
「……ツナと帰ったんじゃなかったのか?」
「ああ、お送りしてきたぜ?」
 練習自体はないので、他の部活と比べても中途半端な時間に解散となった山本は、今日も一人で教室へと荷物を取りに帰ってきていた。人気のない校舎で、規則正しく廊下を近づいてきていた足音。山本だと分かっていたのでつい笑ってしまいつつ煙草を咥えていた獄寺は、やや驚いたように声をかけてきた山本にまた内心で笑みを深めていた。
 屋上であんな会話をした後なのに、よく平気で笑って会話ができるものだと思う。
 よほど危機感がないのか、と嘲笑われるべきは、本当はどちらなのだろう。
「そういや、昼もそんなこと言ってたよな。ツナと帰った後に、また戻ってきたってことか」
「それそれ」
「……。」
 教室内は薄暗いが、かといって荷物を取るだけならば大して困るほどではない。照明をつけるでもなく教室内へと足を踏み入れてくる山本を、獄寺は廊下との壁に背をつけるようにして床に座ったままで眺める。
 こうして待ち伏せしたのは、もちろん初めてではない。
 昨日が一回目というわけでもなく、ここ二・三ヶ月では何度となくした行動だ。
 つまり、山本が一緒に帰らない日、野球部の練習がある日ばかりということだ。もちろん毎回ではないし、約束も宣言もしていない。それでもこんな逢瀬を重ねてきた中で、獄寺は初めて山本に尋ねられていた。
「……なんで?」
「……。」
 どうして、そんな面倒なことをしているのか。
 わざわざ学校に戻ってくるという行動ではなく、その後の行為を指摘しているのだろう。自分の席に辿り着くこともなく、中途半端な位置で立ち止まって振り返ってきた山本は、しっかりとこちらを見つめてきていた。それにゾクゾクと煽られる自分を自覚しているのに、獄寺は立ち上がれそうにない。
「わざわざ言わねえと、分かんねえのかよ?」
「ああ、いや、そっちじゃなくて……いやそっちでもあるっていうか。まあ結局、オレと同じって思っていいのか?」
「どういう意味だ?」
 昼休みにようやく認識した『嗚咽』は、下手に気を緩めれば慟哭に変わってしまいそうだ。
 そんな情けない様は見せられなくて、必死で抑えこむあまり身動きが取れなくなっている獄寺だったが、分かるような分からないような山本の言葉には素で首を傾げた。怪訝そうに聞き返せば、山本はまたあの腹立たしい笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。
「獄寺ってさ、部活とか疎いんだよな? だから気付いてねえのかもしれねえけど、このクラスにも野球部のヤツが何人かいるだろ?」
「それぐれえ、オレでも知ってる」
 ただでさえ山本の方から距離を縮められて動揺は増すのに、切り出された話題にはますます顔をしかめてしまう。
 山本が言うように、このクラスにも野球部の部員は何人かいる。いちいち名前は覚えていないが、いつも山本を自分たちから引き離し、分からない話で盛り上がるいけ好かない連中だ。認識などしたくないとは思っているが、最初から存在に気がつきもしていないわけではない。むしろ知っているからこそ忘れていたいと思っている数名の顔が脳裏をチラつき、呼び覚まさせた山本を憎たらしく感じた。
「いや、だからな?……今日とかもそうだけどよ、部活が終わって、なんでオレしか教室に戻ってこねえのかとか、疑問に思わなかったのか?」
「……荷物置いたままだからだろ」
「他のヤツは荷物ごと部室に行ってんの、つか大抵の運動部はそうしてるって。要するに、わざわざ教室に戻ってきたりしねえで、部活終わったら部室からそのまま帰んだよ」
 そう言われて、獄寺は初めて気がついた気がしていた。
 言われてみれば、こうして山本を待ち伏せていた際に、野球部の連中と鉢合わせたことはない。たまに教室に戻る他の生徒はいずれも運動部ではなかった印象もあり、そういうシステムだったのかと変に感心してしまった。
 実際に、獄寺が初めて山本を教室で襲った際も、山本はカバンをかけた状態で教室に現れていたのだ。あれは要するに、部室から直接帰ろうとしていたところを呼び出され、教室に向かったからなのだろう。だがそれ以降、山本がカバンを背負って現れたことはない。いつも野球部の用具だけを持って教室に入ってきて、教科書や弁当箱といったいわゆる荷物は教室に置き去りだった。
「……それが、どう『同じ』に繋がるんだよ?」
 山本の行動が他の野球部員とは違うことは理解したが、それがなんだと言うのか。そろそろ燃え尽きそうな煙草を外して床で捻り消し、獄寺は怪訝そうに睨み上げる。するとすぐ前まで足を進めていた山本はそこでピタリと立ち止まると、ニッコリ笑って片手を差し出してきていた。
「……!?」
「なんか、あれ以来お前が待ってくれてる気がして。なあ、獄寺もオレと一緒に帰りたかったんだろ?」
 確かに、山本の部活がない日はツナを加えた三人で帰ることが多い。山本が部活でいない日は、部下として護衛をする心意気で家まで送り届けることが多い獄寺だが、だからといって山本が一人で帰っているとは思っていなかった。
 どうせ、自分には分からない野球とやらに興じれる連中と楽しく下校するのだ。
 数ヶ月前、ツナを送り届けた後にふとそう思ってしまった獄寺は、湧き上がる嫌悪感をどうにもできず、邪魔してやろうと思い部活が終わる頃を狙って携帯電話で呼び出した。そのときは山本を襲うつもりはなく、そもそも山本を部員たちを引き離せられればそれでよかったのだ。真っ暗な放課後の教室に緊急事態だと煽って急行させておいて、獄寺は何をしたいというわけでもなかった。それを見抜いたらしい山本が呆れ、こんなことなら野球部の連中ともっとゆっくりしてくればよかったといったようなことを口にした瞬間、破滅的な衝動のままに山本を押し倒していたのだ。
「……バカか、お前」
「あ? なんだよ、違うってんならなんでいつもいつも獄寺は待ってくれてんだ?」
 本気で獄寺が一緒に帰りたいだけだとでも思っていたのか、どこか腹立たしげに吐き捨てれば山本は不思議そうにしている。
 ここで、何度犯されたか忘れたわけではないだろう。
 時間的にはちょうどこんな頃合、昨日も強引に組み敷いたのに、どうしてその相手に平然と手を差し向けられるのか。
「別に、オメーなんか待ってねえよ」
「じゃあ誰待ってたんだ?」
「……誰も、待ってねえ」
 不思議そうに質問を重ねてくる山本につい答えてしまったのは、少しばかりの本音が混じる。
 いっそ、来てくれなければ思うことは何度もあったのだ。
 山本が現れなければ、当然抱かなくてすむ。これ以上山本を嫌う自分という像を重ねさせないでくれ、と本能では叫んでいたのだろう。
「えっと、じゃあオレ、お邪魔だったか? 悪いな、相変わらず気がきかなくてよっ」
「……。」
 どうやら自分に用があったわけではないらしい、と解釈した様子の山本は、決まりが悪そうに笑うと屈んでいた背筋を伸ばそうと上体を起こす。当然差し伸べていた手も引かれていくが、それを掴んでしまったのはほとんど反射としか言いようがなかった。
「……獄寺?」
「オレ、は……!!」
「えっと、獄寺、その……おわっ!?」
 握った手は自分よりほんの少し大きくて、体温も高くて、胸を弾ませた。
 だが強く握れば分かるスポーツ特有のマメや皮膚の硬さに気がついて、嗚咽が慟哭ではなく衝動に変化した気がした。
「痛ってえな、だから獄寺、急に……?」
 体格差があっても、不意をつけば同い年の男くらい簡単に床に転がすことが出来る。無意識で受身を取っている山本の勘の良さにまた苛立ちが増しつつ、獄寺はそのまま馬乗りになるようにして圧し掛かった。
 今も、昨日も、最初のときですら、山本が本気で抵抗しようと思えば押しのけることはできたはずだ。ダイナマイトを危惧した、とは、いまだに花火だと思っている山本に限ってありえない。ならば、どうして素直に身を委ねたのか。いくら天然だからといって、男同志で及ぶ行為ではないことぐらい理解しているはずだ。
「獄寺……?」
「……なんで、なんだ。ききてえのは、こっちの方だ」
 獄寺は、山本を嫌っている。
 山本はそう理解しているはずだ。
 逃げようと思えば逃げられるし、なによりわざわざ教室に戻らず部室から直接他の部員たちと帰ればこうして獄寺に襲われることもなくなる。獄寺がツナに心酔していることは理解しているので、告げ口をすれば簡単にやめさせることもできる。そしてそんなまどろっこしいことをせずとも、山本が一言、嫌だと言ってくれればこんな行為も終わるはずだった。
「なんだよ、獄寺もききたいことあんのか?」
 だが押し倒された状態でも、山本は相変わらずだった。不思議そうに、ともすればやや嬉しそうに、そんなふうに尋ねてくる。ただの好奇心だとしても、それが猫を殺すこともあるのだといい加減学んで欲しい。
 だから、山本の言葉に今は乗じて獄寺は口を開いていた。
「オレも、そっくり同じこと尋ねてやる。……なんで、ココにいんだよ?」
「……?」
「オレが、待ってるって分かってて。こんなことされるって知ってて、なんでテメェはわざわざやって来やがんだ!?」
 苛立ちから思わずそう叫べば、山本はますます不思議そうな顔をしている。
「……言わなかったっけか? オレ、獄寺が待ってると思ってたから」
「それは聞いたっつの、そうじゃなくて!!」
 まさか抱かれたいからかと妙な願望を口走りかけていた獄寺より先に、山本が何かに気がついたような顔をしていた。その表情で、ようやく理解したかと獄寺は思う。だが埃っぽい床に仰向けになったままの山本は、普段どおりのひどく単純な笑みで獄寺の胸を抉ってきていた。
「ああっ、いや、ほらお前ってオレのこと嫌いだろ?」
「……ああ」
 山本の立場から言えば、嫌われていることをこんなにも平然と笑って話せているのだ。それだけ、嫌われていようがどうだろうが興味すらないと、切り捨てられている気分になる。いや、実際にその通りなのだろう。いまだにマフィアのことも理解せず、打ち込める野球も温かい家庭も普通の友人たちも多い山本にとって、自分などに執着を向ける余地はないだけなのだ。
 そう痛感し、嗚咽が諦観に移りかけていた獄寺は、思わず視線を逸らしていた。そのため、嫌っていると頷いた際に、山本が少しだけつらそうに顔を歪めたことは気がつかなかった。
「いや、だからさ?……こうして、オレのこと待ってくれてんだったら、ちょっとは好転するんじゃねえかなって」
 そんなふうに思ってたんだけど、と笑いながら続ける山本に、ようやく獄寺は自らが視線を逸らしていたことに気がつく。ゆっくりと顔を向け、視界に入れてみれば山本はやけに真剣な目でこちらを見上げてきていた。笑みは浮かべているものの、瞳は笑っていないという状態で、獄寺はひどく煽られていることを実感する。
「獄寺って、ツナの右腕になりたがってるだろ? だからオレと張り合うけどよ、かといってオレを潰してもツナの部下が減っちゃうんだよな。つまり、嫌いなままでも困るとか、そんなふうに思ってんだろうなあって」
「……。」
「だから、ツナがいないときに相互理解っつの? そういうの深める機会作ってくれてんだろうけど……オレ、お前に嫌われることしかできねえみたいだし。獄寺がイライラしてるのもスゲェ分かるんだけどよ、悪い、正直どうしたらいいのかオレにはお手上げだ」
 あくまでマフィア『ごっこ』での話なのだろうが、一応そんな解釈はしていたらしい。ボスの右腕という座を巡り争ったとして、負けた方が使い物にならなくなるのでは身内での潰し合いだ。巡り巡って、十代目のためにはならない。そこまではいかずとも、部下同士があまりに仲が悪いのは考え物だ。上に立つ者であれば、多少なりともそう考える。そんなふうにツナの心配を察し、獄寺が大変不本意ながらも相互理解を深めようとして待っていた、と、山本は思っていたらしい。
 山本にしては妥当だ、というのが素直な感想だった。同時に、成績の悪さは野球に時間を取られているからで、バカっぽい反応は単なる性格だとももう知っている。要するに、山本は頭の回転は悪くない。むしろ自分などよりずっと、もっと、冷静であることも多く、それが腹立たしかった。
「大体さ、オレ、なんでお前に嫌われてるのかもよく分かってねえし。言ってくれれば、改善できることなら努力すっけど?」
「……テメェ、言ったな」
 だがぐるぐる思考が落ち込んでいく間に、山本からはそんな発言がされていた。
 ある意味において誠実な山本なので、友情ならば自然な発言だったのかもしれない。だが獄寺は山本にそんな感情は微塵も抱いておらず、昼間に自覚してから燻っていた衝動がここにきて一気に爆発してしまった。
「オレがテメェを嫌いなのはっ、オレがテメェを嫌いなのをテメェが平然としてやがるからだ!!」
「……ハ? わ、悪い、もっかい言ってくれるか? なんかいまいち、理解できなくて」
「要するにオレに嫌われてて平気なテメェがムカツクって話だ!!」
 かろうじて力任せに殴ることは耐えたものの、握った拳はフルフルと震えてしまう。なんとなく、自分はとんでもない発言をしてしまった気がするが、今は気にしない方向に思考を無理に流しておく。我に返ってしまえば脱走したくなることは薄々感じ取っていたので、せめて山本の反応を見るまでは、と堪えていた獄寺に、組み敷かれている山本は曖昧に笑っていた。
「あ、えっと……それで、オレはどうすればいいんだ? お前に嫌われてて平気じゃねえ、て足掻くんだったら、今と変わんねえだろ?」
「……!?」
 言葉だけでなく、震えていた拳にそっと手を重ねられたことでも心臓が止まりかけた。
 うっかり都合のいい解釈をしてしまいそうで、思わず山本から視線を逸らして否定する。
「……平気なクセに」
 だが非難するつもりだった自分の言葉が、予想以上に不貞腐れたガキのような響きで獄寺は内心焦った。するとこんなときは鈍く流すでもない山本が、笑いながら急に体を起こしていた。
「うおっ……!?」
「平気じゃねえって、これでも結構傷ついてたんだぜ? けどオレこんなだし、どうすりゃいいのか全然分かんなくって……なあ、獄寺? オレ、どうしたらお前に好きになってもらえるんだよ?」
「なっ……なに言ってんだっ、このバカ!?」
 腰の辺りを跨ぐようにして座ったまま、上体を起こした山本に獄寺は背中に腕を回される。まるで自分が甘えて座りこんでいるかのような体勢に焦っているうちに、続けてとんでもないことを尋ねられて獄寺は思わず怒鳴ってしまっていた。
 だが、直後に居たたまれなさで顔が上げられなくなる。
 山本にとっては、『嫌い』の反対が『好き』だっただけだ。どこまでいっても単純な友情、しかもごっこ遊びの延長だと解釈している。そんな状態の山本が言う『好き』などに、大した意味は込められていない。下手な言葉で煽られて、こんなふうに求められて、山本が想定している以上のことを返してしまいそうになった自分が獄寺は本当に情けなかった。
「え、えっと、獄寺?……その、オレ、またなんか怒らせたというか、嫌われるようなこと……?」
「……。」
 うだうだした責任転嫁ではなく、分かりやすい自己嫌悪で項垂れる獄寺に、山本は何故か機嫌でも窺うかのように顔を覗きこんでくる。長めの髪が表情を隠してくれているが、それすら頬に添えられた手で排除しようとしてくる山本の傍若無人さに、獄寺は半ばヤケになってくる。
「獄寺……?」
 いつもこうなのだ、最初からずっとこうだったのだ。
 大した意味もないクセに、自分に笑顔を向けるから。
 誤解させて、期待を持たせて、自分だけじゃないと何度も教えて絶望に突き落としてくれるのに、たった一つだけ特別なことを許してくれたから、願ってしまった。
「……オレは、お前なんかずっと嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ、絶対好きなんかならねえ!!」
「そう、言われると。まあ仕方ねえんだろうし、オレも諦めるしか……?」
「やっぱそうなんじゃねえかっ、お前オレがどう思ってようが平気なんだろ!? だったら変に気ぃ持たせんなよっ、オレはお前のそういうトコが一番だいっ嫌えなんだ!!」
 子供のケンカにもなっていない、ただの八つ当たりだ。そんな自覚はあってもついぶつけてしまった獄寺に、山本はしばらく驚いたように目を瞬かせていた。
 随分と日も落ちてきたので、照明のついていない教室内はだいぶ暗くなりつつある。瞳の色がかろうじて判別できる暗がりの中で、山本はまた困ったように笑う。
「ええっと……オレの嫌いなトコって、さっきと変わってないか? いやまあ、それはいいんだけどよ、それより獄寺……。」
「……なんだよ」
 呆れ返った、といった様子で一度言葉を区切った山本は、そこで片手をポンと頭に乗せてきていた。
「……!?」
「お前、横暴だなーっ。いや、知ってたけど、面白れーっ!!」
「……。」
 声を立てて笑い出した山本は、そんなことを言いつつわしゃわしゃと長めの髪をかき回すようにしてくる。それが鬱陶しいということよりも、純粋にこちらも呆れてしまった。
 どれだけ言葉を重ねようが、やはり山本には何も伝わらない。
 むしろ先に諦めようとしていた獄寺に、ふと手を止めた山本が、ずいっと顔を寄せてきていた。
「なっ、なんだよ……!?」
「……けど、どんだけ面白くても、やっぱお前には嫌われてたくねえよ。なあ獄寺、もっかいくらいチャンスくれねえ?」
 負けず嫌いという性格は、粘り強さでもあるらしい。教室内の暗さが純粋に視野を狭めている所為なのかもしれないが、山本は今それこそ吐息がかかりそうなほど顔を近づけてきていた。
 至近距離で望んだその表情に、嘘は見受けられない。むしろこれ以上になく真摯に求められて、獄寺はほとんど無意識に唇を塞いでいた。
「んっ……?」
 触れた瞬間にはさすがに我に返っていたが、直後にこれまでの快楽が一気に呼び覚まされて引くに引けなくなってくる。いつしか両腕を山本の肩の上から後ろへと回し、頭を抱え込むようにして深く唇を合わせていた。さすがに山本は戸惑っている様子だったが、獄寺に止める気がないと察したのか、既に回していた腕でしっかりと背中を抱き返してくれる。
 そうしてしばらくの間、混ざった唾液が艶かしい音を立てるほどのキスを交わしてから、不意に獄寺は唇を離す。
「……思いついた」
「あ、何が……?」
 山本が自分に嫌われたくない理由などどうでもいい、考えても落ち込むだけだ。
 だが少なくとも、その他大勢に向けるくらいの一般的な好意は向けられているはずなのだ。
 それを特別で、唯一のものに変化させていけばいい。
「とりあえず、一個だけ約束しろ。そしたら、少なくともオレも山本のこと嫌いにはならねえから」
「おっ、なんかあんのか? オレにできることなら言ってみろよっ」
 この山本をして、自分へのありきたりな好意が他に類を見ないものへと移る可能性は限りなくゼロに近い気はしている。だが、何事も挑戦してみなければ始まらない。ダメで元々という玉砕覚悟より、少しでも他の誰かに掻っ攫われる危険な芽を、摘めるものなら摘んでおきたかった。ずるいという自覚はあっても、獄寺にできることはそんな後ろ向きなものが精一杯だ。
「よしっ、じゃあ約束しろ!! ……オレ以外と、こんなことすんな」
「……。」
「……なんだ、その沈黙は。つかもうしたとか言うんじゃねえだろうな? 誰だ、どこのどいつだ!? チクショウッ、さっさと相手吐きやがれっ、そいつ果てさせてからテメェも殺る!!」
 なんとも言えない微妙な顔の山本に、一気に頭に血が昇った獄寺は上着の下に装着しているダイナマイトへと手を伸ばしかける。だがそれを制したのは、呆れ返ったような山本のため息だった。
「……変な誤解すんなよな。獄寺以外で、オレなんかにこんなことする物好きがどこにいるってんだ」
「分かんねえだろっ、テメェ無駄に人気あるじゃねえか!?」
 確かに男同士では稀かもしれないが、女子生徒は虎視眈々と狙っていると断言できる。獄寺にとっては男相手も女相手も大差はなく、とにかく山本を取られたくないだけだ。そんなことは当然口にできるはずもないが、再び大きなため息をついた山本は、あっさりと頷いてくれていた。
「まあ、可能性どうこうを言ったら水掛け論だろうし、そこはいいけどよ。仮にそんな物好きがいたとしても、普通にお断りだろ?」
「……オレには、簡単に脚開きやがっただろうが」
「なんで開かせた方が被害者みたいな顔してんだ? とにかく、安心しろって、オレそんな器用じゃねえし? 獄寺としか考えられねえよ、むしろ他のヤツとしろって言われた方が絶対無理だ」
 そう言った山本は、何故かゆっくりと唇を押し当ててくる。
 どうして獄寺相手ならばいいのか、獄寺としかしないとあっさり断言できるのか。
 そこを追及したくてたまらないのに、頬に落とされただけの幼いキスで、獄寺は軽く意識が飛びそうになっていた。
「山本、卑怯だぞ……!!」
「ハ? なんだよ、お前からはスッゲェするのに、オレからはしちゃダメだとか、そういうことか?」
 思わず漏れた言葉に、山本は怪訝そうに尋ねてきていた。それに何を返すつもりもなく、また余裕もなく、獄寺は深呼吸をしていた。
 とにかく、事態がほんの少しだけ好転したことは確かだ。
 山本は自分のことが当たり障りない程度には『好き』で、自分にだけは体を許してくれる。
 たったそれだけのことが分かったに過ぎないのに、昼休みに自覚した嗚咽は、違った感情からこみあげてきそうになる。
「獄寺……?」
 回したままの腕でギュッと身を寄せ、上背のある体を抱きしめる。腰に座っているので若干自分の方が背が高く感じられることにも気を良くしてから、獄寺は宣言していた。
「……山本、ヤるぞ」
「え? あ、今日もヤんのか?」
「あったりめえだろ、つかオメーが煽ったんだっ、責任取りな!!」
 嫌だとは言わせない、と目では睨むが、実際に嫌だと言われれば続行できない自分を知っている。だからこそ、むしろ拒まないでくれという懇願で無意識に見つめてしまっていた獄寺に、困ったように笑った山本は呆れは滲ませつつも頷いてくれていた。
「まあ、するならするでもいいんだけど……なあ、あんま手荒にはすんなよ?」
「……優しくやったら、嬉しがるんだったっけか?」
 ちょうど一日前での会話を思い出し、少しだけ余裕ぶってそう尋ねてみれば、あっさり肯定されてしまった。
「ああ」
「……頑張る」
「頑張ってくれんの? そっか、ならまあ、期待させてもらうかな……。」
 追いつめて、手荒に扱って。
 憎しみでもいいから唯一つの存在として刻み付けたいなどという後ろ向きな思考は、結局は愛されたい裏返しでしかない。何も認めたくなくて、気がつくことすら無意識に封じ込んでいても、いつかは瓦解すると知っていた。
 だがそれが、なんの幸運なのか、すぐには否定されなかった。
 ましてやほんの少しとはいえ可能性まで見せられたのだ、努力しない手はない。
 そんなふうに気持ちを切り替えた獄寺は、技術のなさをどう補えばいいのか分からないまま、ただひたすら言えない言葉を伝えるかのようにまずはキスを深めることから始めていた。






「……お前なーっ、奢りって、コレかよ」
「うるせえなっ、奢ってやっただけ有り難いと思え!!」
 とっくに日も暮れ、街の街灯が灯りだして数時間が経過した頃。
 獄寺はコンビニの前でそう山本に呆れられていた。
 獄寺が差し出しているのは買ったばかりの牛乳パックだ。一応気を使って一リットルのものにしてみたのだが、山本の方はなかなか受け取ってくれない。
「いや、だからってな?……さすがにココで、一リットルは飲めねえだろ」
「……!?」
「今気がついたんだな、お前……。」
 ストロー渡されなかったときにおかしいと思わなかったのか、と続ける山本から、獄寺はそっと視線を逸らしていた。
 昼休みに屋上で自覚し、逃げられないと思いまた放課後に山本を待ち伏せした。そこでいろいろ本音を垣間見させてみれば、少しだけ希望が見えたのだ。
 よって山本を陥落させるべく頑張ったセックスを、と意気込んだものの、それは完全に空回りに終わった。
 なにしろ獄寺は山本とが初めてで、女性相手でも経験がない。姉やかつての城の専属医師の影響でやや恋愛などを倦厭していたこともあり、知識の乏しさは否めなかった。
 おかげで、頑張りが単なる持久力にしか繋がらず、自分だけがめいっぱい愉しんでしまったという自覚はあったのだ。軽くどころではない自己嫌悪に項垂れた獄寺を、しばらく起き上がれなかったくせに山本がやたら慰めてくれたのが一層情けなさを煽ってくれた。せめてと思い、帰りに何か奢ると宣言してこうしてコンビニに寄ったのだが、実際に山本が好きなものと考えて牛乳しか思いつかなかった。
「……いらねえんなら、いい」
 受け取ってもらえない一キロ程度の液体がどんどん重く感じられ、獄寺はそう低く呟く。するとコンビニの前で待たせていた山本は、ようやく笑いながら牛乳のパックを持ってくれていた。
「そうは言ってねえだろ、有り難くもらいますって?」
 そう言って笑った山本は、おもむろに一リットルの牛乳パックを開けていた。
 実は受け取ってはもらえても、ここで飲むとは思っていなかったのだ。いつもの五百ミリリットルのものならばともかく、さすがに一リットルはコンビニの前で簡単に飲みきれる量ではないだろう。実際に直接口をつけて飲んでいる山本だが、まだ半分も減っていない。
「……ココで飲むのかよ」
 また気を使われたのだろうか。
 自分の不甲斐なさでそんなふうに言ってしまった獄寺に、山本は笑いながら返していた。
「まあ、さすがにちょっと時間はかかりそうだけどよ。飲み終えるまでは、お前も先に帰ったりしねえだろ?」
「そら待つくらいはしてやるけどよ……。」
「お前、ヤるだけヤったらいっつもさっさと一人で帰るしさ? オレ、よっぽど嫌われてんだろうなあ、て思ってたし、だから今こうしてちゃんと二人が帰れてるの、結構嬉しいんだ」
 だが唐突に切り出されたことに、獄寺は思わず息を飲んでいた。
 確かに、大抵の場合教室でやれば獄寺は先に一人で帰ることが多かった。もちろんやったまま放置したわけではないが、一緒に帰ることを殊更拒んだのは単なる後ろめたさからだ。そのことを非難しているような口ぶりでも、山本は随分と嬉しそうだ。やがて腰がだるいとコンビニの前にあるベンチに座ってしまうが、当然のように横に座るのだろうという目で促されて、獄寺はふらふらと隣に腰を下ろしていた。
「獄寺も飲むか?」
「……いらねえ」
 するとごく自然と勧めてくる山本に、獄寺は深い深いため息をついていた。
 山本は基本的には素直だからこそ、あまり考えずに思ったことを口にする。それがどれだけ相手を殺す口説き文句になっているかなど、本人は考えたこともないのだろう。
 少しだけ苛立って、煙草を咥えつつ獄寺はぼやく。さしたる意味はなかったが、牛乳を飲んでいる山本にそんな感想が浮かぶ。
「……よく、そんなに飲めるよな。さっきも散々飲まされてたクセによ」
「ハ? いやオレ、牛乳飲んだのって昼飯のとき以来の……て、ああっ」
 嫌味というより下世話な皮肉だったのだが、素で不思議そうな顔をしていた山本は、途中でうっかり気がついてしまったらしい。わざわざ牛乳パックの口を閉め、ベンチの上に置いてからまじまじと獄寺の顔を見やってきていた。
「獄寺って、そういう冗談も言うんだな……。」
「しみじみ言うなっ、恥ずかしくなってくんだろうが!?」
 まさか山本が顔を赤くして照れるとは思っていなかったが、良くて窘められる、大半の可能性としては意味を理解せずに流すというのを獄寺は予想していたのだ。それを、変なところで感心されても逆に恥ずかしくなってくる。隠語ですらない下世話な言い回しは、かつての城の専属医のおかげで変に馴染みがあるのだ。当然普段から口にするはずはないが、山本を見ているとついどんな反応か試したくなったのも事実だ。
 だがうっかり言った自分が恥ずかしくて顔が真っ赤になっており、また情けなさが募ったとき、何故か山本は笑いながら返していた。
「まあ、言うのはいいけどよ? それって、オレの前だけだったりするのか?」
「……当たり前だろ、他に言ってどうすんだよ。つかそれより、なんで妙に嬉しそうなんだ!?」
「え? ああ、なんか……オレにだけ特別って感じがしたから、かな?」
 そういうのって嬉しいよなーっ、とそこで照れている山本に、獄寺はしばらく隣でポカンと口を開けたままで眺めてしまっていた。
 自分だけを、特別に。
 それを願って教室で約束させたのは獄寺だが、山本はこんなにもあっさり自分に同じことをさせている。いや、別に乞われずとも山本を特別に思っているのだから当然か、と獄寺が自問自答している間にも、山本は笑っていた。
「……なあ、山本」
「ん?」
 こんなとき、ふと、言ってしまおうかと思うことがある。
 自分は、本当は……
 本当は、お前のこと……
「……なんでもねえ」
「なんだ、言いかけて止めんなよな。まあいいけど」
「……。」
 それでも、まだ勇気が出なくて獄寺は言葉を飲み込んでいた。
 ベンチに踵も乗せ、膝を抱えるようにして今度こそ煙草に火をつける。そして一度大きく肺へと煙を吸い込んで、ゆっくりと吐き出してから心の中だけで呟いていた。
 大好きなのだ、と。












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なんかよく分からないままに書き始めたら、最初の方獄寺が鬼畜みたいでビックリでした(そんな感想!)。
しかも後半でキュンキュンしすぎて落差に自分で呆然としました。
ギャフン!
まだいろいろ書き慣れてなくてホントごめんなさい…。

ロボ1号