■手探り
前はこうじゃなかった。
こうじゃなかったはずだ、と、最近良く思う。
「なあ獄寺ぁ……。」
「うるせえよ、今オレは十代目に大切なお話してんだから大人しくしてろっ」
人目も気にせず教室でイチャついている二人が、いわゆるそういう仲になってから結構な時間が経つ。
山本を好きなことを認められなくて、逆にキライだと散々公言しておいて、それでも気持ちを抑え込めずに傍で見ていても危なっかしくて仕方のなかった獄寺。それに対し、自らが獄寺に対して向ける好きだという感情の意味すら考えることなく、ただ気持ちが赴くままにじゃれて懐いていた山本。
しなくていい自制の限界を迎えたとき、獄寺は獄寺だからこそまさに暴発してしまった。たとえ相手を好きだったとしても、男が、同じ男にいきなり強姦されて平気なはずがない。だがそれだけ愛が深かったのか、強姦とすら受け取れないほど山本が少しアレだったのか、周りで慌てふためいた自分が滑稽になってしまうほどこの二人はあっさりとくっついたのだ。
許されたことが信じられなくて、ひたすら山本に手を伸ばして確かめたがる獄寺。
何を許すのかすら分かっていなくて、ただ伸ばされた手で撫でられることに喉を鳴らしていた山本。
「……収まるところに収まった、て、思ってたのになあ」
「あ、十代目穴埋め終わりました?」
「えっ、あ、ああっ、ごめん!? ちょっと、まだ半分しか……!!」
ついぼやきに近い独り言が漏れてしまったのを嬉々として聞き返され、自分は慌てて獄寺に首を振っていた。
今は放課後であるが、正確には他のクラスはまだ六時間目の授業中だ。たまたま自分たちは自習になったものの、ちゃっかり提出用のプリントが用意されていた。それが終わらない限り帰ったり部活に行ったりすることもままならないのだが、もうクラスのほとんどの人間は提出済みだ。本来の授業時間が半分回ってもまだプリントも半分しか進んでいない自分は、結局この時間丸々補習をさせられているようなものだ。授業の冒頭で自習の二文字を聞いて弾んだ胸の高鳴りを返して欲しい、などと逃避していても仕方ないので億劫な気分のままプリントに向かえば、すかさずシャーペンの先が示してくれていた。
「ココは、公式の応用なんですよ。さっきの問題で使ったのが、まず……。」
「う、うん……。」
ふと気づけば、このプリントをしているのはもう自分だけになっていた。教室でしゃべっていたクラスメートも、こちらの邪魔になると察したのか荷物をまとめて帰ろうとしている。それを羨ましく思うならば、自分もさっさとこの数学を終わらせなければ。一人では絶対に無理だろうが、今は心強い味方がいるのだ。
意外に育ちがよさげでかつて城に住んでいたらしい獄寺は、学年でもかなり上位の成績だ。いつ勉強しているのかと心底疑問だが、実家を飛び出す前に、と言われてしまうといろいろ切なくなってくるのは自明なので尋ねないでおく。
そんな獄寺は生真面目なところがあるので、よほどのことがない限り答えを丸写しはさせてくれない。あくまで自分で解いて身につけないと、結局定期テストで役に立たないからだ。それは痛いほど分かっているが、やはり訳の分からない数式を眺めているとさっさと数字を埋めて解放されたいと思ってしまう。だが余白部分にさらさらと説明用の公式を書いてくれているシャーペンの動きを見ていればそれもできず、今はなんとか理解しようと解説に耳を傾けていた。
「つまりですね。ココの部分を展開して解いたのが一つ前の問題なんスけど、こっちのはもう展開されてるんスよ。だから……。」
そう教えてくれる獄寺は、隣の席の机に勝手に座っている。こちらに説明するときだけやや身を乗り出しているのだが、獄寺が座っている席の椅子に腰掛けているのが山本だ。
自分と大差ない成績の山本だが、ここのところやや上昇気味なのは良くも悪くも獄寺のおかげだ。もっと二人の仲が深まる前から、なにかにつけて山本は獄寺に勉強を教えてくれと頼っていた。それは第一に好きな人に構って欲しかったからで、第二に現実的に補習や追試が立て込むと部活に影響が出るからだろう。その名残りなのか、こういう仲になってからも獄寺は律儀に山本の勉強を継続してみてやっているらしい。そのため、予習をしていれば簡単に解ける程度らしいこのプリントも、山本は一人でさっさと埋めてしまったのだ。
もちろん勉強に目覚めたわけでも、急に賢くなったわけでもない。放課後の時間が減るのはイヤだからと獄寺に教えられていた教科書の予備知識と、なにより部活がない日なのでさっさと終わらせてたっぷり遊びたいという分かりやすい理屈で山本はいち早くプリントを終わらせることができたのだ。
そう思えばひどく申し訳ないのだが、だからといってこちらに愚痴るような性格であればまだよかった。ただ寂しそうに獄寺の腰に腕を回して横の席で懐かれていると、ますますすまなく思ったところで、ハッと閃くものがあった。
「……あ、そっか。獄寺君、オレ分かったかも」
「そうですか? じゃあ続き、頑張ってみてくださいっ」
もちろん自分のためにもこのプリントはさっさと終わらせたいが、山本のためにも早く仕上げてやりたい。そう思い、ひらめきのままに書き進めてみれば、どうやら合っていたようで止まっていた問題が一つ解けた。
「そうです、それで正解なんですっ、十代目!! こっから後は大体同じ発想なんで、たぶんいけますよ!!」
「う、うん、たぶんできそう……!!」
よし、と気合いを入れて問題に向かいつつも、自分はチラリと横目で隣の席を見る。するとこちらを向いていた山本とばっちりと目が合ってしまい、少し怯みつつも、一応大きく頷いてもう大丈夫だと示しておいてやった。
教える姿勢から見守るのへと移った獄寺は、山本の机にしっかりと座り直している。椅子に座ったまま、腰へと腕を回して獄寺の腹の辺りに顔を寄せるようにして山本は懐いているのだが、獄寺はそれを抱き返すでもなく好きにさせるだけだ。
山本にそうして懐かれて、平然としていられる獄寺はなかったはずだ。
かつての獄寺ならば、過度に動揺して葛藤の後に享受し、しっかりと山本を自らへと引き寄せていたはずなのに、最近とみにそういう光景に出くわさない。
「……獄寺ぁ」
「もうちょっと大人しくしとけって、今十代目はお勉強されてるんだからよ」
不器用ながらも、精一杯求めるのが獄寺。
鈍感ながらも、全身で受け止めていたのが山本。
そんな構図だったはずなのに、すっかり様変わりしていると気がついたのはいつだったか。逆、とは微妙に言い切れないものの、とにかく山本の方が獄寺に懐いている。それは甘ったれるようになったのではなく、単純に獄寺の態度がつれなくなったからだというのは明らかだ。
「……あ、えっと。獄寺君、オレ、たぶんもう大丈夫だから、山本に構ってあげてていいよ?」
「いえ、十代目がまだ頑張ってらっしゃるのにその右腕であるオレがそんなこと!!」
「獄寺ぁ……。」
本当に最後の一問まで自力で解けるかはあまり自信はなかったが、それでも山本の様子を見ていればここは友達としても頑張らねばという気分にさせられる。
それだけ、山本は獄寺に飢えている。今もまた腰の後ろへと回してた手を獄寺の肩へと置いて身を屈ませようとしている山本の姿など、二人の仲が始まったときには想像だにしなかったものだ。
「こらっ、だから我慢してろって言ってんだろ、山本」
「だって、ツナもああ言ってるじゃねえか。なあ獄寺、オレ、お前が……。」
好きなのだと繰り返す言葉も、もう聞き慣れた。あまり見ないようにしてプリントへと集中しているが、どうしても会話だけは耳に入ってきてしまう。
「……なのに、獄寺」
「いいから黙っとけよ山本、十代目のお邪魔になるだろうが」
「……。」
山本は最初からこうだ、ずっと獄寺が好きだった。
それは変わっていないのに、獄寺だけが素っ気ない。
愛される自信がついてそこに胡坐をかいているのならば、まだいい。なにしろ獄寺はお世辞にも恋愛上手とは言えないので、そんな態度に出てもおかしくないからだ。むしろ山本に愛想を尽かされかけて悔い改めた方が仲も深まるのではとすら思っているが、前提自体がほぼ起こりえないので無駄な期待にすぎない。
そんなふうに数式を解きながら思っていたとき、隣の席で山本がやや椅子から腰を浮かせたことは分かった。どうやら黙れと言われ、素直に黙って行動に出たらしい。
「……んっ、だから、山本? 大人しくしとけって」
「獄寺……。」
経験不足だが奥手というわけではない山本なので、こうして自ら唇を寄せることはそれなりにあった。いや、最近はそれなりに増えてきた、と言う方が正確かもしれない。これも結局は同じ理屈で、獄寺の方がしてやらないからだ。今もせいぜい軽く髪を撫でて押し返した獄寺は、変に余裕を持って山本を席へと座り直させている。
山本があんな顔をしているのが、見えていないわけではないだろうに。
少し気になってチラリと横目で見てしまっただけでも、山本は相当寂しそうだった。あるいは不安と困惑が入り混じったような、悲しそうな表情にも見える。机に斜めに腰掛けるようにして見下ろしている獄寺には、その悲壮感を汲み取ってやっている色は見えない。
「なあ、獄寺ぁ……。」
それはキスしているときの対比が、最もよく表しているように思えてならない。
もちろんジロジロ見るわけではないが、どうにも周囲の目が気にならない性質の二人なので、やたらキスをしているところを目撃する羽目にはなっていた。それこそ以前は、獄寺の方が必死で、山本はただ嬉しそうに喜んで受け入れていたような図だ。
ああ、獄寺君はほんとに山本が好きなんだな。
山本は獄寺君に好きだと示してもらえるのが、ほんとに嬉しいんだな。
そう思い、ほのぼのするやら当てられるやらで居たたまれなくもなったりしたのだが、それでも自分も安心していられた。なにしろ、表情の違いはあっても二人がとても幸せそうだったからだ。
「なんだよ、仕方ねえな……。」
「獄寺……。」
だが今ではそれが、すっかり変わってしまっている。
照れ隠しでもなんでもなく、本当にそう面倒くさそうに言った獄寺はようやく自らの手を山本の肩へと置く。机に座っているのでいつもと身長差が逆転している獄寺は、そのままほとんど真上を向かせるようにして山本の顎を上げさせていた。
性的な欲求でも、精神的な渇望でもなく、ただ黙らせるための手段。
取引じみた裏づけしかない動機で重ねられた唇でも、今の山本にとっては飢えを凌げる唯一であることには変わりないのだろう。
「んんっ……んぁっ、あ……!!」
それでも。
自らが唇を寄せたときより、相手から施される深いキスに山本の表情は泣き出しそうだった。肩に乗せるだけだった手を更に伸ばし、獄寺の頭を抱え込むように引き寄せてキスを受け入れる。隣から聞こえてくる艶めかしい唾液の絡む音に、気恥ずかしさより切なさを感じるのが他人事なのにつらかった。
獄寺が、好きなのだ。
こんなにも、獄寺が好きなのだ。
それなのに……獄寺は、もう。
「……ん、山本、もういいだろ?」
「獄寺……!!」
すがりつくような仕草が山本の心情を表している。できるだけ気にしないように、と目の前の数式に集中しているからか、こちらにも変にその感情がするりと滑り込んできて、浅はかな共感にしかすぎないのに胸が苦しくなった。
時間的に長いのか短いのかは分からないが、少なくとも山本の名残惜しそうな声を考えれば全く足りていないのだろう。それにも関わらずあっさりとキスを終えられて、一度名を呼んだ山本は、少し間を置いて、もう一度繰り返していた。
「なあ、獄寺……!!」
「なんだよ?」
尋ねてしまったら終わりだと、山本も心のどこかで分かっているのかもしれない。第三者にしかすぎない自分が口を挟めるはずもないが、お節介を焼く気にもならないのは山本自身も望んでいないからだろうと分かっているからだ。
もしかすると、分かっていないのは獄寺だけなのかもしれない。
獄寺は変わってしまった自分の態度にすら気がついていないのでは、と思ったとき、廊下をバタバタと進んでくる複数の足音に意識を取られた。
「……おーいっ、山本!! お前、ちょっとオレらのチーム入ってくれよ!?」
「ずるいって、山本入れたら勝負決まったようなものだろ!?」
騒々しく教室に入ってきたのは、とっくにプリントは提出していち早くグラウンドに飛び出していったクラスメートの内の二人だ。確か、教室を出る前に勝負だ何だと言っていたので、大方二手に分かれて遊んでいたのだろう。山本を呼びに来たということは野球なのだろうが、そんなふうに誘ったクラスメートたちも、教室内の様子に遅ればせながら気がついたようだった。
「……あれ、お邪魔だった?」
「ほらみろっ、どうせ山本は無理だって!! あ、山本、なんでもねえから? 土壇場で往生際悪くお前入れるとか言い出したコイツのことは忘れてくれよなっ、じゃあな!!」
このクラスメートたちを除けば、もう教室には自分たち三人しか残っていない。プリントをしているのは自分だけだが、その周りに山本と、なにより獄寺がいては誘いにくいのは自明だろう。どの程度の解釈かは別にしても、獄寺がやたら山本に対して独占したがる傾向があるのは周知の事実だ。あるいはドアまで距離があるので、山本もまだプリントが終わっていないと思われたのかもしれない。
どちらにしろ、引き入れるつもりで来たので残念そうにしているクラスメートと、山本に入られては敗戦濃厚なのでむしろ嬉々としているもう一人のクラスメートの足を止めさせたのは、意外な人物だった。
「……山本、行ってくれば? ここにいたって暇だろ、どうせオレも構ってやれねえし」
「獄寺……?」
「獄寺君……!?」
野球となれば途端にそわそわする山本なので、今も若干興味をそそられた様子なのは確かだった。だがそれでも自分から言い出さなかったのは、ここに居たいと思ったからだ。そのことは誘いに来たクラスメートも分かっていたからこそ重ねなかったのだろうに、机に座ったままの獄寺は山本を押す。そのまま椅子から立ち上がっている山本に、チームに入ってくれれば嬉しいはずのクラスメートもやや困惑していた。
「えっ、あ、いいのか……?」
山本より、獄寺に対してそう確認してしまっている辺りがクラスメートの戸惑いをよく示している。だが当然獄寺はそれに答えることはなく、ただその場に立ち尽くしている山本の背中を押していた。
「いいから行けって、オレは十代目がプリント終えられるまでいなきゃなんねえんだから。お前全然大人しくしてねえし、邪魔だから野球でもなんでもして来いっての」
「……。」
「ご、獄寺君……!!」
何もそんな言い方しなくても、と言いかけるが、それより先にニコッと笑った山本がクラスメートへと尋ねていた。
「なあ、混ぜてくれんの?」
「お!? お、おお、オレらのチームちょっと負けそうで、あと1回しかないんだけど、助っ人呼んでいいって言いやがったから是非山本に……!!」
「そっか。オレでよかったら頑張るぜっ、なあ、打てばいいのか?」
情けかけるんじゃなかった、と相手チームのクラスメートが嘆いている中、山本はあっさりと承諾してさっさとドアに向かっていた。
その背中にはもう悲壮感はなく、野球バカという雰囲気しか見えない。だが敢えてそういう雰囲気を纏わせているのも自明で、ただ見送るしかできなかった自分に、山本はドアから出て行く直前に一度振り返っていた。
「あっ、じゃあな、ツナ。頑張れよ!!」
「う、うん……!?」
ひらひらと手を振って、クラスメートたちと共に山本は出て行った。
閉められたドアを呆然と眺めながら、自分はまだしばらく笑顔も引き攣ったままだ。
「……。」
「……。」
そうして足音も遠ざかれば、教室にはまた静けさが戻る。隣の教室で行われている授業が聞こえてきそうなほど静まり返った空気は、どうにも居心地が悪かった。
獄寺を、窘めるべきか。
一瞬だけそんな考えもチラリとよぎったが、すぐに否定してプリントへと向き直った。先ほどの言い方はあんまりだと思ったが、獄寺がわざとやってるようにも感じられたからだ。
もしかすると、何かしらの自覚、あるいは覚悟があるのかもしれない。
そこに自分が首を突っ込んでいいとは思えず、軽い深呼吸で今はプリントに集中しようと思ったところでいきなり話しかけられていた。
「十代目、煙草いいスか?」
「えっ、あ、うん、どうぞ……!?」
教室ではあまり吸わない獄寺だが、つきっきりで教えるでもない状況ではやや手持ち無沙汰だったのだろう。そう断ると、座っていた机からおりてその向こうの窓を開けている。カラカラと軽い音をさせてスライドさせた窓の隙間から煙は逃がすようにして燻らせ始めた獄寺は、しばらくそうしていた後、ぽつりと呟いていた。
「……前は、こうじゃなかったんスけど」
「そう、だね……。」
教えるには距離があり、なにより自分の持つシャーペンが一向に紙上を滑らない。そんな気配を察したらしい獄寺からのその一言で、自分の態度の変化に気がついていないのか、という勘繰りは消えていた。
やはり、獄寺も分かっているらしい。
それをわざとしているのか、そうなってしまうのかは別にしても、獄寺の言葉には自分もただ頷くしかなかった。
それきり押し黙った獄寺を追及しなかったのは、理由だとかを尋ねていいとも思っていなかったからだ。
ただ、獄寺が話したいなら聞く。
そんな意志だけは伝わるようにとプリントに向かうだけで何も書き始めていないでいると、再び獄寺はぽつりと続けていた。
「……オレは、十代目や、ファミリーが大切で」
「……。」
「アイツには、野球とか、親とか。オレとの関係以外にも、大切なものがいっぱいあって……。」
それが悔しかったから、突き放したのか。
すべてを独占できないと思い知らされて、絶望が興味を失せさせたのか。
続く言葉を予想もしたくなくて、思わず身が竦んでしまう。だがきっと、獄寺も苦しかったのだと思って耐えた。
「だから、こうしてねえと……。」
「……。」
「……アイツ、オレのこと好きだ好きだってうるさいんスよ。こっちはきいちゃいねえのに、そんなこと繰り返して」
そう言った獄寺の手から、もう煙草がないことにふと気がつく。どうやら床に落として踏み消していたようだが、それこそ二・三度しか吸っていなかったようなのに不思議だ、と思ったときには、その指が獄寺自身の唇を触っていることに気がついた。
どこか名残り惜しむかのように、あるいはそう思っている感覚を消そうとしているかのように、獄寺の親指は強く唇を擦っている。無意識なのかもしれないが、同時に獄寺が窓の外を見ている理由も分かってしまった。
「オレ、ほんと、こうしてねえと……アイツのこと、どうにかしそうで」
「……そっか」
「認めなきゃ、分かってやらなきゃとは思ってるんです。でも、アイツが、オレ以外に向けるすべての好意も、興味も、なにもかも。全部なくしちまえば……オレが、壊しちまえば。アイツは……オレの、オレだけの、ものに……。」
どうやら突き放すことで抑え込んでいたのは、自らの衝動の方だったらしい。だからといって安心できるものではないが、気持ちが冷めたわけではないようだと一つ分かってよかったと思うことにした。
「だから、もっと慣れなきゃって。アイツがオレだけのものじゃないんだってこと、分からなきゃって、こっちは必死で努力してんのに。あのバカ、逆にどんどん執着してきやがって……。」
「まあ、山本は何も分かってないんだろうし。大好きなキミが急に冷たくなったとか思って、寂しくなったんだよ」
そう苦笑して返し、できればその辺りの心情をちゃんと山本にも説明してあげて欲しいと願う。
だがすっかり安心しかけていた自分は、そこでハッと息を飲む。同じように苦笑して見せた獄寺の表情が、どこか不穏な色を垣間見せていた。
「獄寺君……?」
「……そう、最初はそうだったんです。でも、途中からそれが愉しくなってきて。だって、アイツが、アイツからオレのこと追いかけてくるんですよ、十代目? そんなのって、オレ、考えたこともなかったから」
距離を取ろうすれば、できると思っていた。
一気に縮めすぎたものを適度に広げるだけの話だ、できないはずがない。ましてやあの山本だ、こちらが構わなくなれば野球なり他の友人なりに意識が向かうだけだろうと思っていたのに、違った。
求められ、執着されることが心地好くて、こんなことをやめられない。
中毒に近く病みつきになった感覚を笑いながら話しているのに、やはり獄寺の表情はどうしようもなくつらそうで、泣き出しそうだった。
「獄寺君……。」
「……スイマセン、十代目、今の忘れてください。何があっても自業自得だって覚悟はもうできてますから、聞かなかったことにして、どうなっても気には病まないでくださいね」
だが急に話を切ってそうまとめた獄寺は、限界をもう感じているのだろう。
自分自身ではなく、山本の方の限界だ。つれなくされてすがりたくなる心情は誰にでも起こりうるだろうが、それにも限度がある。もう付き合ってなどいられないと目を覚ますのか、あるいはもう無理なのだと察して諦めるのか。
どちらにせよ、一般論としては山本の方が獄寺に愛想を尽かしてもおかしくないレベルなのは傍目からも明らかだ。その自覚から言ったと思われる獄寺に、何を返せばいいのかは分からない。だがそうして戸惑うばかりで押し黙っていたのに、何故か獄寺はいきなり舌打ちしていた。
「え?」
「あっ、いや、スイマセン、十代目じゃないんです!! ちょっと、あのバカが……!!」
こちらの動揺に気がついたのか、慌ててそう否定した獄寺はそう言うと焦ったように窓を閉めていた。そして窓には背を向けたその表情は、どこかほんのりと頬が赤い。
「……山本と、目でも合って手とか振られた?」
「な、なんでそれを……!?」
さすがです十代目!! と感動してくれているところを悪いが、実際にその程度で動揺して顔を赤らめていたのかと思えば微笑ましくもなってくる。
そんなにも、純粋に山本を好きなのに。
同時に難しく考えたり、後ろめたさで雁字搦めになったり。不安で仕方ないから強がってみせるのに、ちょっとしたことでまた喜んでいる。
「……獄寺君、自分でも分かってるんだろうけど」
「な、なんですか……?」
あるいは、自分も少し深刻に感じすぎていたのかなあと反省した。
確かに、二人の関係は前とは異なってきている。だがそれは過渡期にしかすぎず、やがてまた落ち着いてくれると信じている。
「そんな獄寺君も、山本はきっと好きだよ」
「……。」
「ただ、言っても理解が難しいってことは、言わなきゃもっと分かってくれないってことだよ。一つだけキミを責めることができるとすれば、好きな子を泣かせたままだってことぐらいかな」
意図したわけでもなく、またこんなにも山本を追い詰めるつもりがなかったのであれば尚更だ。
少し黙ってしまった獄寺は分かってくれたものだと思うことにして、ようやく自分はプリントへと向き直る。
すっきりしてきた気分で、改めて挑んだ数式は目に眩しい。解き方が分かった、と思った感覚すらすっかり抜け落ちてしまっており、自分の頭の性能に激しく落ち込んだところで、ドタドタと複数の足音に気がついていた。
先ほど山本がグラウンドで手を振ったということは、試合も終わったのだろう。野球をしていたのであればそれなりの人数のクラスメートが参加していたはずで、置いたままのカバンを取りに来たようだ。当然その中にいるはずの一人を出迎えるために、面倒くさそうに窓から歩き始めた獄寺はぼやいている。
「チッ、仕方ねえな……。」
今はまだ、自分の言葉を理由にしてくれてもいい。
尊敬する十代目に言われたので仕方なく、という口実で構わないので、と願ったところに、クラスメートに混じって山本も戻ってきていた。
「さすがだなーっ、山本!! いやあっ、助かったぜ!!」
「そっか? ならよかったけど」
「くそうっ、まさかほんとにホームラン打てるなんて、あああっ、山本お前ほんっと凄いよな……!!」
「ほんっと山本サマサマだよなっ、て……うわっ!?」
どうやら逆転のホームランを叩きこむという活躍を見せたようだ。そろそろ六時間目も終わる頃合で、急にざわめきを取り戻しつつあった教室で焦った声が上げたのは山本を誘いに来たクラスメートだ。
どうやら試合に勝って得意満面で戻ってきたところに、獄寺の凶悪ヅラで凄まれたらしい。心から同情する、と内心思いつつ眺めていれば、獄寺はそのクラスメートを睨みつけたまま、横の山本の腕をぐいっと引いてた。
「……!?」
「終わったんならさっさと返せ、これはオレのだ」
「えっ、あ、ああ、分かってるって!? ああああありがとなっ、獄寺も!?」
何故か山本より先に獄寺にお礼を言ってしまっている不憫なクラスメートは、言うだけ言うとそそくさとその場から立ち去る。だが腕を引っ張られた山本は当然困惑している。あるいはグラウンドから手を振ったのに無視されて、また凹んでいたのかもしれない。少し迷うような仕草を見せた後、やがてへらっと笑って口を開いていた。
「獄寺、オレちゃんと勝利に貢献してきたんだぜ?」
凄いだろ、と言ってはいるが、自慢しているように聞こえないのは山本もそんなことを言いたいからではないからだ。だが褒めてとばかりに口にしてみただけの様子の山本に、獄寺は軽くため息をつくと、もう一方の手を頬へと添えていた。
「獄寺?」
「……偉い偉い。ご褒美やるから、ちょっと屈め」
投げやりな口調でおざなりに褒めた獄寺に、山本はキョトンとしていた。それでも素直にやや姿勢を落としたところに、獄寺は額に唇を押しつけていた。
「わっ……!?」
「……山本」
「な、なに……!?」
今更その程度で、と思えないのは、教室を出る経緯を考えれば獄寺から額にとはいえご褒美でキスしてもらえるなどと予想だにしていなかったからだろう。ちなみに教室には野球から戻ったクラスメートが数人いるが、基本的に獄寺のこういう仕草はハーフ故の文化の違いだと好意的に解釈されている。だがこれまでは平然と、あるいは嬉しそうに受け入れていた山本が、含むところがあるからこそ珍しく戸惑っているのを獄寺はじっと見つめていた。
「……こんなオレでも、まだ、好きか?」
「……。」
そうして獄寺が尋ねたのは、ひどく端的のことだった。
表面的に受け取れば、先ほどの自分の言葉を疑い、本人に確認しているという辺りだ。だが実際には、獄寺は許して欲しいのだ。
不器用なことしかできなくて。
悲しませたいわけではないのに、こんなふうにしか振舞えなくて。
今も、受け取りようによっては山本に愛想をつかせろと迫っているように聞こえなくもない。とてもそうは思えなかったのは当然自分は先ほど獄寺と話していたからだが、山本にはちゃんとそれが伝わるだろうか。どうにも最近悲観的になっている気がしていたのでにわかに不安になり、慌ててしっかりと二人を見つめれば、すぐに杞憂だと分かった。
「好きだけど?」
「……そうかよ」
「あのな、オレな、ほんとに獄寺のこと好きなのな? 獄寺、頭いいから、いろいろ考えるところがあるんだとは思うんだけど。オレにはそれ、全然分かんねえから? だから、分かんなくても待ってる。ちゃんと獄寺が分かるように言ってくれるまで待ってるから、その……たまには、やっぱり構って欲しいけど。オレ、獄寺のこと好きだから、ちゃんと待ってるから?」
我慢する、とは言い切れない余地を残して、寂しさを滲ませながら言う山本は、獄寺の言葉を正確に理解していたようだった。
危惧するまでもなかった、と自分の動揺に呆れたのにも理由がある。
なにしろ、山本はしっかりと正面から獄寺を見下ろしているのだ。あんなに泣きそうな顔で、必死にすがるように、それでいて感情を押し殺した声でそれでも好きでいてくれるのかと言われて誤解のしようもない。
獄寺が、望んだままに。
少し笑顔も見せてそう返した山本に、獄寺はしばらく黙って見上げていた後、やがてふいっと視線を逸らしていた。
「……十代目、プリント終わりました?」
「えっ!? あ、ああっ、うん、もうちょっと……!!」
一瞬逆に山本の言葉が伝わらなかったのかと焦ったが、そうではない。なにしろ獄寺の手は相変わらずしっかりと山本の手を握ったままなのだ。その上でこちらを気にしてきた理由など、一つしかない。
「で、でももう終わるから!? オレ一人で提出して帰れるから、獄寺君たち、先に帰ってくれていいよ?」
「いえ、それは……えっと、でも、その……。」
「ほんと、大丈夫だから!? ここまで教えてもらって獄寺君には感謝してるから、ありがとう!!」
気遣いに甘んじていいものか、とまだそんな葛藤をしている獄寺の背中を押すように、できるだけニッコリと笑ってそう言ってみる。それでもやはり心配されているのか、先に帰るとは言いきれなかった獄寺の手を山本が振り解いていた。
それに獄寺が驚いて振り返るより早く、山本は両腕で後ろからギュッと抱きしめる。
「おわっ!?」
「ツナ、ありがとな!! じゃあオレら先に帰るわ」
「う、うん、オレのことはほんと大丈夫だから? 山本も、根気強く獄寺君には付き合ってあげてね……!!」
友情には篤いが割り切りも早い山本なので、先に決断したということはそれだけ獄寺に飢えているのだ。むしろ少しでも一緒にいたくてプリントも一人で頑張ってさっさと片付けたのだろうに、悪かったなあと思っている。だがこちらを責めるような色など全くないままに、山本は笑って返していた。
「あははっ、だーいじょぶだって?……オレ、ほんとに獄寺のこと好きだから?」
「あ、うん……。」
そう言ってまた後ろからギュッと獄寺を抱きしめ、首の辺りに顔を摺り寄せている山本になんだかこちらが照れてしまった。
確かにこれは、山本も悪いのかもしれない。
山本に友情以上のものは向けていない自分でも照れるのだから、恋愛的に好きで、しかも自らに対して真正面から告げられるのは軽い中毒症状を引き起こしそうだ。距離をとらなければ、と獄寺が怖気づいたのも分からなくはないが、逃げる前にやめさせるという選択肢を取れなかったのでやはり自業自得だろう。山本には見えないところでかなり動揺していた様子だった獄寺は、やがて大きく深呼吸をして後ろから懐いてくる山本を見上げていた。
「……だからな、山本?」
「んー?」
オレもちゃんと好きだから、という言葉はなかったが、それは軽く身を捩るようにして振り返った獄寺が、今度こそ唇にキスをしてやったことで伝わっていただろう。
そうして戸惑ったり、悩んだり、ときに間違ったりもして関係というものは進んでいくのだと思った。
遠回り、かどうかは、分からない。ただどれだけ途方もなく長く、険しい道のように感じたとしても、それが唯一であれば近道も迂回もないからだ。もしかするとまだ歩いてすらおらず、這うようにして手探りで進んでいるのかもしれないが、そうしてでも進みたい道と相手がいることを心から羨ましく思った。
ちなみにこの日、自分が手探りで進めざるをえなかったのは自習の課題プリントだ。二人の愛に当てられて理解したつもりだった解き方がすっ飛んでしまったらしく、獄寺に帰られてしまった後は散々だった。かといってそれを愚痴るわけにもいかず、微妙な気持ちで翌日登校すれば、何故か獄寺に謝罪されてしまった。
『スイマセン、本当にスイマセン十代目、あんなに釘刺されてたのに、オレ……!!』
『ど、どうしたの獄寺君!? そういや今朝は珍しく山本の姿が見えないけど、昨日なにが……!?』
本格的に仲がこじれてしまったのかと焦った自分に、獄寺が切羽詰った様子で告白してきたのは、昨日夕方から散々山本をなかせてしまった、ということだった。
好きな子を泣かせるのは頂けない、という言い回しをどうやら真に受けていたらしい。
激しく凹んでいる獄寺は、どうやら今朝は保健室登校になった山本を送り続けてから教室に来たようだ。
朝からそんなことを聞かされて、自分はなんだか億劫な気分になりながら適当に答えてみるしかない。
『いや、まあそれは、いいんじゃないのかな……泣かせるじゃなくて、鳴かせるだったんだろうし』
『なっ……た、確かにその通りっス、十代目!! さすがはボスたる資質に溢れた御方、日本語への造詣がこんなにお深いなんて!!』
『そうだねー、ありがとうー……数学はできないけどね』
再提出になった課題プリントを手伝ってもらいたいのだが、すっかり以前のテンションに戻っている獄寺には微妙に切り出しにくくて、うまくいかないものだと嘆いたものだ。
それでもすっかり以前のような、あるいはそれ以上に互いを深く想い合っている様子の二人が。
大好きだった。
| ▲SSメニューに戻る −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 獄寺氏からチュウされて必死になる山本武が書きたかっただけのハズやのに。 シリアスにもなりきらず半端でスイマセンorz ロボ1号 |