■Calling !
いつから、この男のことが、こんなにも気になるようになったのだろう。
「真ちゃんっ、今日のお昼はどうする?」
「……いつものようにお弁当なのだよ」
「あっ、じゃあオレちょっと購買で買ってくっから、待ってて!?」
比較的自宅も近い自分と違い、この男は通学にもそれなりに時間がかかる。要するに、朝自宅を出るのが早い。そうでなくとも両親は共働きのようで、朝食はまだしも、弁当は中学の頃から作ってもらっていないらしい。他人の家庭をどうこう言う気はないが、高校に入ってからしばらくして、その朝食もなくなった。登校時間が早すぎて、母親の負担を思いやり自ら断ったという話は聞いていない。だが、知っている。先輩たちが世間話のように教えてくれるまで知らなかったし、今でも本人から聞かされることはなかった。
「どうして待っていてやらねばならぬのだよ」
「だって、やっぱ誰かと一緒に食べたいっしょ?」
言うだけ言うと、教室から飛び出していく背中を見送ることもない。ため息をついて、カバンから弁当を出すだけだ。ただ包みを解く気にはならず、結果的に待ってしまうことになるのが、本当に不可解だ。
自分自身にその感性は薄いが、食事を誰かと食べたがる方が一般的なのだとは理解している。あの男も、そうなのだろう。文句ばかりだが、年の近い妹ともなんだかんだで仲がいいようで、共働きで帰りの遅い両親を待ちながら冷めたおやつを食べた幼少時代ならば語られたことがある。
だが、それほどまでに誰かと食事をしたいなら、どうして朝食は家族が誰も起きない中、一人で取っているのか。食べないという選択肢がないのは、スポーツマンとしては当然だろう。授業前にかなりの運動をこなすのだから、きちんと食事は取っておかないと体がもたない。
「……。」
入学当初、あるいは、入部当初は、それでも朝食はちゃんと家族と取っていた。職業を聞いたことはないが、母親の仕事はかなり朝が早いらしく、全員分を作って先に家を出るらしい。この高校に通うことで起床時間が早くなり、母親と一緒に起きてついでに家族の朝食作りを手伝ってから、登校しているという話ならば、まださして興味がなかった頃に聞いた気もする。
それが、ぐっと早い時間に出るようになり、母親も対応できない。なんとなく、しようとしたが、息子の方が断った気もする。
そんな予想までもう立つくらいあの男のことは知っているなのに、よく分からないことも多いのだ。
「……。」
どうして、そこまでして朝早く登校するのか。
母親に気遣わせたり、寂しいと恥ずかしげもなく言う一人での食事をしてまで、何故そんな時間に登校するようになったのか。
「……それは」
真ちゃんが頑張ってるからに決まってんじゃん。
尋ねたことなどないのに、答えが聞こえた気がした。
誰に言うでもなく、指示されたわけでもないが、通常の思考として自分は早朝練習を行っている。このことを最初から知っているのは、体育館の使用環境の確認で話しかけたキャプテンくらいだ。ちなみに、そのときに予備の鍵を渡してもらったので、何時に来ても問題はなくなった。部員の中には自主的な早朝練習をする者も多かったが、いつでも、誰よりも、一番乗りで体育館にいた自分を、やっぱ気合いが違うなと呆れられただけだ。
だがやがて、その日で最初に声をかけてくる部員が、いつも同じ男だと気がつく。
『おーっ、今日も早いな!!』
『もう汗だくじゃんっ、すげーな、お前!?』
『授業前にこんなに運動したら、眠くなんね?』
『……なあ、緑間って何時から来てんの』
あの頃は、まだ名字で呼んでいた。声をかけられれば、チラリと視線はやるものの、楽しく会話をする気にはならないのでもくもくと練習を続ける。その態度にため息はつくが、自分の練習に移って邪魔はしないでくれることを、少しだけ好ましく思っていた。
そうして先輩たちが来るまでは、二人きりで、それぞれが個人練習をしているという状況が続く中、あるときそれが五分ずつ早まっていることを知る。八時に来ていたとすれば、翌日は七時五十五分、その翌日は七時五十分。練習量を増やしたいのだろうという程度にしか気にしていなかった。だが、ある朝、占いでの『遠回りするといいことがあるかも』という結果に従い、十分ほど遅く体育館に現れると、真っ暗な入り口で泣きそうな声をかけられた。
『……あっ、緑間、やっと来た!!』
『こんな朝早くから、どうしたのだよ』
『お前、今日遅れただけか? それとも、毎日まちまちなのか? なあ、ほんとは何時に来てるんだよ』
占いを見てから来るので、七時や八時といったキリのいい時間に来ているわけではない。ただ、前日よりは十分遅い。この男は、自分が来て五分後には来ていた。つまり、今朝は更に五分早く登校してきて、逆にこちらが十分遅くなったのだろう。
体育館の鍵を開け、併設された更衣室へとまずは向かう。素直についてくる足音を聞きながら、辿り着いた先で照明のスイッチを他の誰かが入れるという状況を、どこか新鮮に感じた。
『今朝はおは朝の占いで遠回りをしたらいいことがあると言っていたので、実行したまでなのだよ』
『はぁ? なにそれ、お前毎朝それ守ってんの?』
生真面目に説明をしても馬鹿にされることは慣れていたので、さっさと自分のロッカーを開け、着替え始めるが、軽い調子で続いた言葉には少し驚く。
『緑間って、可愛いトコあんだなっ』
『……お前は何を言ってるのだよ』
『そうだ、オレ、真ちゃんて呼ぼっかな? そしたら親しみも沸きそうだし』
『それならオレはお前を』
下の名前で呼んでやろうと返そうとして、覚えていないことに気がついた。
着替える手を止め、ふと横を向く。そういえば、この男はクラスメートでもある。二重の意味でクラスでも浮きがちな自分に、やたら話しかけてきて、部活の繋がりとは有り難いものだと適当に流したことを今更のように思い出した。
『ん、なに?』
『……いや』
気がつけば、傍にいた。だいぶ低い目線から、面白がるような色を向けられ、どことなく居心地が悪くなってこちらから目を反らす。
『……それより、オレより早く来るなら、先輩から鍵をもらうといいのだよ』
よく分からないが、不安になった。今にして思えば、あれは一種の予感のようなものだったのだろう。
『え、それはいいって? オレが言ったところで、先輩が鍵を預けてくれるとは思えねえしっ』
『……?』
『それに、真ちゃんいねえのに来てもしょうがねえだろ?』
二人揃って練習をしているわけではない。なにより、早朝練習は己の鍛錬のためにするものだ。まるで他人に理由を押し付けるような真似は、褒められたものではない。
ただの軽口に目くじらを立てるほどでもなかったのに、このとき顔をしかめてしまったのは、きっと誤解したからだ。
『ストレッチするの、やっぱ誰かとやった方がいいしな!!』
『……まあ、それくらいなら付き合ってやるのだよ』
まるで、自分と居たいかのようではないか。
わざとらしく伸びをしてあっさりと続けられた言葉で、自分の勘繰りが否定され、情けなさが増した。
下の名前すら出てこない不義理な自分が、このチームメイトに、あるいはクラスメートに、何を期待していたのか。これまで感じたことのない動揺と自己嫌悪は、ため息で誤魔化してさっさと着替える。シューズを履き、紐もしっかりと結び、軽く屈伸をしてから更衣室を出る。そして体育館のコートに向かう短い廊下で、後ろを歩く男の独り言が聞こえた気がした。
『……それに、やっぱ毎朝一番にオレが真ちゃんに挨拶したいしなっ』
それも、ただの冗談だと思った。五分ずつ登校を早めていったことで、先週辺りから確実にこの男が朝一に声をかけてくるようになったからだ。万が一にもそんな理由であれば、とっくに叶っているはずである。だが、どれだけ早く来ようとも、既に自分がシュート練習を開始していれば、挨拶すらままならない。そちらがもし真実であれば、こうして同じ時間に来たがることの説明がつく気がしたが、なんとなく、心の中だけで否定しておいた。
「……。」
懐かしいことを、思い出していた。
今ならば分かるが、あの頃から何一つ嘘はついていなかった。言わないことも多いが、言葉にしたものは決して嘘ではない。そういう男だと、もう知っている。
「ただいまー……て、あっ、真ちゃん、待っててくれたんだ!?」
「……お前が待っておけと言ったのだよ」
ぼんやりしていれば、当該の男が教室に戻ってきた。息こそ上がっていないが、距離がある購買まで走って往復してきたことは分かる。机に包まれたままの弁当を発見し、嬉しそうに顔を綻ばせる。そんなに喜ばれると、まるで無視すると思われていたようで気分が悪いはずなのに、それよりずっとこちらも嬉しくなってしまうのが、本当に不可解だ。
「いや、そりゃ言ったのはオレだけどさ、真ちゃんがそれを聞いてくれるってのが凄くね?」
「……オレはオレに関わらないことには比較的寛容なつもりなのだよ」
「いやいやそれは関わることっしょ? めっちゃ関わってるっしょ?」
いつもの軽い調子で言いながら、前の席に戻り、逆向きで椅子へと座る。
そうして購買で買った食事を同じ机に置き、パンッと手を合わせていただきますと言うことも、もう知っている。
「いただきま……。」
「……高尾和成」
「はい!? ……え、今なんでオレのフルネーム呼んだの?」
今はもう、知っている。
そんなささやかな自慢だと気がつくはずもなく、食事前の言葉も途中で忘れるほど動揺したらしい男は、不思議そうに首を傾げていた。だが自分も説明する気はなく、さっさと包みを解いて弁当を開ける。すると大した意味はないと察したのか、向かいに座る男も食事を始めていた。
「まあ、いっか。真ちゃんがオレのフルネーム、つか下の名前呼んでくれるなんて、まさにキセキだし」
「……。」
今日はいいことあるかもとぼやいている男は、きっと、まだ知らない。
以前は、本当に下の名前を知らなくて、呼べなかった。
今では照れ臭くて自分からは名字と続けてでしか呼べないなどと、きっと、高尾はまだ知らなかった。
| になたんへ、冬コミ原稿への激励として書きました。 UPしていいと言ってくれたので、UPしました。 ロボっぽい何か |