■火木2
降旗に誘われたストリート・バスケットの大会で、思わぬ再会を果たした。
雨で試合は流れたものの、時間が経つと余計にその衝撃がひしひしと重みを増す。
「……なあ火神、さっきの氷室って選手だけどよ」
「えっ……あ、ああ、タツヤがなんスか?」
会場から学校へと戻る電車は比較的空いていたが、五人ともかなり雨に降られていたので、座席に腰を下ろすつもりはない。二号を連れてきていたため、まずはカゴと荷物を開かない方のドアにまとめる。なんとなく話題が途切れたところで、他の一年生より頭一つ高く、自分と目線がほとんど変わらない先輩にそう話しかけられた。
「要するに、血の繋がったお兄さんじゃなくて」
「……?」
「兄貴的存在の、アニキ、なんだよな?」
まだ空調が入っていた電車内では、雨に濡れた体は少し寒い。風邪をひくようなことはないだろうが、学校に寄れば一度熱いシャワーを浴びてから帰宅した方がいいかもしれない。
そんな話を、黒子や降旗などはしている。だが元々来るはずだった河原の代理で、何故かやってきていた二年生が尋ねたのは、タツヤのことだった。
それに、ドキリと胸が嫌な鼓動を刻む。首から提げているチェーンも小さな音を立てた。
黒子に指摘され、戦いたくないという気持ちには整理がついたつもりだ。だが、雨で勝負がお預けとなったことで、余計に感情が鬱積してしまっている。ただ、以前のような、嫌な気持ちだけではない。まさに、兄のように慕っている相手に、真剣に挑むという高揚感だ。これからウインター・カップを戦い抜けば、その先で試合をすることもあるだろう。そんな予測が、ますますやる気を出させてくれる。
いい意味での、刺激となった。過去へのわだかまりも、少しとけてくれた。
どちらかと言えば、帰国したことで結果的に勝負を逃げたような格好になり、再会することがあってもタツヤは二度と試合をしてくれないのではないか。そんな不安の方が大きかったのも事実だ。
「……まあ、そうっスね」
「……。」
それが、タツヤからはまた挑まれた。今度こそ、決着をつけようと言ってもらえた。
雨で流れはしたものの、次は必ず訪れる。
一度目は裏切り、二度目は逃げ出した。それでもまだ決着をつけたいと望んでくれた、兄と慕うタツヤの言葉が、時間が経つほど嬉しさを増す。
雰囲気も、技術も、すっかり変わっていたタツヤだったが、嫌ではない。むしろ、選手として強くなったことを確信し、武者震いのような感覚すらした。
「……なんスか?」
「いや……まあ、別に大したことじゃねえんだけど……。」
「……?」
思い出せば、自然と笑みも浮かんでくる。ただ、一人でニヤニヤするのは不気味だとも分かっているので必死に堪えていたのだが、ふとそこで気がついた。
いつも陽気で、飄々とし、試合以外ではあまり真剣な顔を見たことのない先輩が、妙に思い詰めているような面持ちになっていた。最初は、紫原と因縁があるようなのでそちらのことかと考える。だが、今こうして口にしたのはタツヤの話題だ。やはりあのプレーは、この先輩から見ても凄かったのかと心のどこかで嬉しくなって聞き返したが、変に言葉を濁された。
こんな態度は、あまり見たことがない。
他のチームメイトには言っていないが、実はそれなりに深い関係を持ってしまっているのだが、そんな自分でも物憂げな表情などついぞお目にかかったことはなかった。
「……木吉、先輩?」
「あ……いや、ほんとに……まあ、大したことじゃないんだけど……。」
二人きりだったなら、あるいは、電車内でも黒子たちがいなければ、もっと呆れて問い詰めることはできる。
だが、一応は先輩なのだという線を引いて接しながら、そろそろ苛立った頃に車内にアナウンスが流れた。
「……あ、もう次の駅か」
反対側のドアが開くため、二号のカゴなどがある黒子たちはすぐに降りやすい場所へと移動する。それに続くように歩きかけたとき、恐らくは聞こえないつもりで後ろからそう尋ねられた。
「……オレって、あのタツヤって人の代わりだったのか?」
「え?」
驚いて振り返れば、相手も驚いている。
だが試合が流れてからずっと深刻そうな顔をしていたのに、へらりと笑った先輩は、慌てたように言葉を足した。
「いや、ほら、だってオレもひとつ年上だしさ? 火神って、お兄ちゃん子みたいな性質があって……?」
「……なに言ってんスか、タツヤだって実の兄貴じゃねえってさっきも言いましたよね」
「ああ、それは分かってるんだけど……だから、仲違いした兄貴分と、オレを重ねて、みたいな……?」
「それこそ、ありえないっス」
「え」
電車はゆっくりと減速し、停まっていく。ドアが開けばすぐに降りるつもりで、くるりと踵を返したのは、なんとなくこの話題が不愉快だったからだ。
どうして、そんな解釈になっているのだろう。
タツヤと、アンタの共通点など、バスケと年齢くらいしかない。
それなのに。
「……いくらアンタでも、あんまり変なこと言うと、オレ、キレますよ」
「……。」
「タツヤは、タツヤだ。アンタとは違う」
背を向けて、そう言い捨て、黒子たちに続いて電車を降りた。
その後ろに、いつも飄々としている先輩の姿は、続かなかった。
「……最近、木吉先輩とはどうしたんですか」
「あ?……うどわぁっ!?」
今日もきつい練習を終え、シャワーを浴びる。そんな必要はないと分かっていても、なんとなく最後にシャワー室から出れば、更衣室も兼ねている部室内は無人だった。
それに舌打ちをし、肩を落とす。まったく、これはどういうことなのだ。そう苛立ちながら自分のロッカーを開けたところで、無人だと思っていたのにそう話しかけられ、火神は派手に驚いた。
「お前っ、どっから入ってきたんだよ!?」
ついそう叫んでしまったが、既に返される言葉の予想はついた。
「最初からいました。火神くん、シャワー浴びるの長すぎですよ」
「う、うるせえ……!!」
「どこのアメリカ美女気取りですか」
黒子の嫌味は、時々よく分からない。いや、嫌味ではないのかもしれない。追及しても納得できる答えは得られそうにないと分かっていたので、火神は無視して制服を着込んだ。
実を言えば、まだ胸はドキドキしている。黒子の出現という動揺が過ぎても収まらないのは、尋ねられたことに焦っているからだ。
何故、木吉とギクシャクしていることを知っているのだろう。
いや、特に険悪にはなっていない。練習中は普通に話すし、じゃれるようなこともある。
ただ、幾度となく行なわれた練習後の行為が、あるときからパッタリと止まった。
「……こないだ、ストバスの大会に出た日」
「……!?」
「帰りの電車で、木吉先輩が駅で降り損ねたこと。あれで、まだ拗ねられてるんですか」
まさにきっかけになった日に言及され、心臓が止まるかと思った火神は、続いた言葉に心から安堵した。
確かにあの日、帰りの電車で木吉だけが学校の最寄り駅で降り損ねた。どこか抜けているので、そんなこともあるだろうと他の面々と共に適当に納得する。監督から学校に戻れという指示が入っていたこともあり、木吉から黒子に、自分を待たずに先に学校に行ってくれというメールもすぐに携帯電話へと入った。
ただ、少し気になったとすれば、そのメールが火神宛てではなかったということだ。
だが直前の会話を思えば、火神を怒らせたと木吉は考えたのかもしれない。実際に、火神は怒っていた。だからこそ、避けるように黒子にメールをされても、当然の心境だと勝手に思い込んだ。
「知らねえよ、そんなこと。だいたい、拗ねてるんだとしても、電車から降り損ねたのはオレの所為じゃねえだろ」
確かに、黒子の言う通りかもしれない。だとしても、火神は自分が悪いとは思っていない。
そのため、呆れたように返した火神は、そもそも黒子が二人は仲がいいという前提で話していることに、まだ気がついていなかった。
「でも、避けられてるじゃないですか」
「あ?」
「木吉先輩、あの日から練習の後に火神くんを待って部室に残ったりしてませんよね」
「……あの、黒子?」
「火神くんの方は、それでも未練がましくこうしてだらだらと部室に残ってます。比べれば、どちらがどちらを避けているかなんて、明らかです」
木吉先輩にふられたんですか。
遠慮なくぶつけられた言葉に、火神は一瞬眩暈がした。
実を言えば、よく分からないが突然終わってしまった行為に、そんな単語が頭を過ぎったことはある。だが否定したのは、ふられるも何も、最初から明確な関係を築いていなかったからだ。
木吉はいつも、受け入れてくれた。
それを、止められただけだ。理由も何も、火神には分かるはずがない。だから仕方ないのだと思い込むには、まだ一週間しか経っていない。ただの偶然ではないかと希望を持っていられた時期に突きつけられた現実へは、動揺しかない。
「な……に、言ってんだよ。ふられるって何だよ、オレは、別に、アイツとは何も……!!」
「あんなにがっついておいて、何も、ですか」
「……!?」
「ボクがいることに気がつかないくらい、夢中になっておいて、何も、ですか」
それでも、黒子が自分たちの関係を正確に知っているはずがない。そんな希望で引き攣った顔を向け、誤魔化そうとしていた火神は、呆れたようなため息と共にもたらされた言葉に二度目の眩暈がした。
そう、黒子は影が薄い。日常生活でも、しばしば存在感がない。今も部室は無人だと思ったばかりだったのだ。気がつかないだけで、そこにいたということは、実によくある。
だが、よりによって木吉とそういうことをしているときに、部室内にいたというのだろうか。
事実ならば、その影の薄さを最大限に発揮して出て行くのが礼儀ではないかと焦った火神に、黒子はまた疲れたようにため息をつく。
「……火神くんが、ボクのロッカーに木吉先輩を押し付けて始めてしまったので」
「……!?」
「さすがに、着替えないまま帰るわけにはいきませんでした。なにより、先輩は気づいてましたし」
「なっ……!?」
「終わってから、火神くんがさっさと出て行った後に、逆に謝られましたよ」
そんなことが、いつあったというのだろうか。終わってから一度部室を出てひとしきり自己嫌悪をし、三十分ほど頭を冷やしてから詫びにもならない缶コーヒーを買って戻る。その間に、木吉は黒子へと謝ったのだろう。だが火神が戻ってきたとき、誰かに見られたという衝撃的なことがあった直後でもおかしくないほど動揺していた木吉に会ったことはない。
それだけ木吉が天然なのか、それとも見られたところで気にしないような行為なのか。
すっかり過去の衝撃に意識がいっていると、パタンとロッカーを閉じた黒子がカバンを背負いながら、またため息をついた。
「……ボクは、電車内の会話も聞こえてましたけど」
「え……あ、ええっと、そうなのか……?」
「たぶん、木吉先輩、傷ついてますよ」
内緒話をしていたつもりはないので、あれだけ近くにいた黒子たちに、電車内での会話を聞かれていたとしても不思議ではない。責めるようなことでもない。
だが、敢えて指摘されたことには首を傾げた。
変なことを言い出され、自分が傷ついたのならば分かる。あるいは、怒られて傷ついたのであれば、木吉の自業自得だろう。まるで、火神が悪いとばかりに窘められるのは納得がいかないと睨めば、黒子は振り返ることなく部室から出て行った。
「火神くんは、木吉先輩を買いかぶりすぎですよ」
「……どういう意味だよ、それ」
「先輩だって、何も考えてないわけじゃないんですよ。……ただ、考える方向がしばしばおかしいだけであって、悩みがない人間なんて、いないんです、きっと」
そんなことは、黒子に指摘されるまでもない。
反論を試みたが部室のドアはあっさりと閉められて、今度こそ本当に無人になっていた。途中だった着替えを進め、火神もまたロッカーを閉める。そしてカバンを肩へと担ぐときに、自然と不満が口を突いた。
「……なんなんだよ、あいつは」
誰だって、悩むことはあるだろう。そんなことは当然だと思いつつ、言われてみれば、木吉はそういうことは少ないだろうと思っていたことに気がつかされる。
もちろん、火神との関係に一度も言及してこなかったからだ。何を確かめもしないのに、いつでも受け入れた。時折、まるで木吉からも求めるかのように手を伸ばされることもある。大抵はセックスが終わった後、部室で他愛もない話をしているときにキスをねだられる、気がする。断言できないのは、そうだろうと思ったときには、火神から唇を合わせてしまうからで、結果的に本当に木吉が求めていたのかはよく分からない。
だが、求めていたとしても、いなかったとしても、そこに木吉の深い考えがあるようには思えない。
少なくとも、火神はずっとそう感じていた。
「……だって、おかしいじゃねえか」
何かを考えているのであれば、もっと尋ねてくると思うのだ。練習中、バスケに関することであれば、比較的そういうこともある。だから、常に全く何も考えていないとはさすがに思っていない。
ただ、自分との関係においては、考え込むようなことはない。
もし悩んだとすれば、こうして終えることが結論だったにすぎない。そうと気づけば、やはりふられたというのが正解かと火神は足が竦んだ。
「……。」
どうして、木吉に考えさせてしまったのだろう。
思いつけるのは、電車内でのあの会話しかない。よくよく考えれば、あれはバスケに関する話題ではなかった。タツヤがバスケット選手でもあるので勝手に分類されていたが、もしかすると、あれは珍しく火神の個人的なことに関する内容だったのか。今更勘繰っても、だからといってどうすることもできない。
「……だって、タツヤとアイツは違うじゃねえか」
今尋ねられたとしても、同じ返事しかできないのであれば、後悔するほどのことではない。
そう自分を叱咤し、火神は止まっていた足を無理に動かして最後に部室を出た。
誰が最初に来ても使えるようにと、全員が合鍵を持たされている。それでいいのかと当初は困惑したが、自主練習が本当に多い部のため、結果的にこの方針は助かっている。今日は火神が最後のため、鍵も掛けて帰路につく。だが体育館の角を左に曲がり、そのまま校門へと向かおうとしたところで、話し声に気がついた。
「……?」
そのまま体育館沿いに進めば、やや内側に入ったところに自動販売機がある。いつも火神が利用している場所だ。そこに人影があり、なんとなく黒子かと思って足を向けたのは、言い逃げされたようで腹立たしかったからだ。
誰にでも悩みくらいある、そんなことは分かっている。
一言そう言いたくて、校門へと向かう踵を返した火神は、自動販売機の手前で足を止めてしまった。
「おっ、火神、まだ残ってたのか。さっき黒子も帰ったとき、一緒だったのかと思ってたぞ」
「……ああ、いえ」
簀板に腰を下ろし、そう声をかけてきたのはキャプテンである日向だ。その隣に、先ほどまで黒子と部室で話題にしていた先輩が、並んで座っている。
「鍵は掛けたか?」
「……はい」
「ま、それは大丈夫かっ。火神がだいたい最後だしな」
日向は軽い調子でそんな会話をしてくるが、木吉はぼんやりと足元に視線を向けてこちらを見ることはない。単に練習で疲れているとも受け取れるが、そうであればさっさと帰ればいい。わざわざこうして残り、日向と話すほどの体力があるのであれば、不審がられない程度には話しかけてくるべきだ。
無性に苛立った火神は、そこから立ち去るという選択肢は取れなくなる。そんな様子に、比較的穏やかなままの日向は、違う気遣いをしてくれる。
「火神もジュース買いに来たんだろ? 後ろ……まあ、通れるか」
「……はい」
自分たちが座っているので邪魔なのかと思ったようだが、自動販売機まではかなり距離もある。腰を浮かしかけ、そうでもないと分かったらしい日向は、また座り直す。その間も、木吉はぼんやりしたままだ。
そっちがそういう態度なら、こっちも構ってなどやらない。
どこか意地になってきた火神は、取り敢えず日向の言葉に乗っておくことにした。
「先輩たちは、何してたんスか」
カバンから財布を漁り、小銭を出す。いかにも喉が渇いてジュースを買いに来たという体で尋ねれば、ほとんど空になっている缶を持ち替えながら日向は答える。
「まあ、一年ぶりに復帰したクラスメートとの親睦を深めようかな、とか」
「……もうだいぶ経つじゃないですか」
「チームメイトとしては、な。でも二学期始まってまだそんなに経たねえから、いろいろあんだよ、先輩には」
軽口だと分かっていても、日向の言葉はいちいち火神を動揺させた。まるで、火神の知らない木吉をたくさん知っているのだと、自慢された気分だ。
そして、それが事実であることも、分かっている。日向には自慢する気などなく、またそもそも木吉に対して邪な想いなど抱いていない。
それなのに、こうして横に在れる。
そうだから、こうして居られる。
どちらだとしても虚しい嫉妬をしてしまいそうで、さっさと適当なジュースを買って帰ってしまおうと思ったとき、それに気がついた。
「……コーヒー」
「あ? いや、オレのは炭酸……て、木吉のかっ」
日向は不思議そうに自分の手元を見たが、すぐに横に座る木吉の缶だと分かったらしい。だが肩越しに不思議そうに見上げられると、火神も焦ってしまう。
「ああ、いや……木吉先輩が、コーヒー飲んでるの、珍しいよなって……。」
木吉が持つ缶は、いつも火神が飲むものだ。つまりはブラック・コーヒーであり、好んで飲むとは思えなかったのでそう言ってみれば、何故か日向に誇らしげに笑みを返された。
「いや、こいつ、最近練習に身が入ってねえだろ?」
「……そうなんスか?」
「ずっとじゃなくて、時々、ふっとぼんやりするっていうか。まあ、大抵は休憩中だからいいっちゃいいけどよ、キャプテンとして、悩みがあるなら聞いてやろうかと思って? 気合いも入れてやるついでに、わざと苦手なの買ってやったんだよ」
日向にしてみれば、意地悪にもなっていないのだろう。だが憂鬱そうにしている木吉にとっては、ただの苦味以上につらいものだったのかもしれない。
そんなことも知らずに、追い込んだ日向に苛立った。
だが本当に腹立たしかったのは、何も説明できない自分自身に対してだ。
「まあ、結局木吉も何も言わねえし、オレの親切なんて……えっ、火神?」
後ろから手を伸ばし、座っている木吉の手から缶コーヒーを奪う。日向の缶はほとんど空のようだったのに、こちらは半分以上入っていた。それを勝手にぐいっと一気に煽ってから、手に出していた小銭を自動販売機へと入れ、いつものボタンを押した。
「……ほら、こっち飲めよ」
「……?」
「おいおい、火神、お前そんなに親切なヤツだったか? 木吉のこと、一番つっかかってたのお前じゃないか」
ガコンッと音を響かせて自動販売機から落ちてきたのは、いつも木吉用にと買っていたカフェ・オレだ。それを背中側から強引に渡すと、横に座ったままの日向が妙に茶化してくる。
それに、火神はまたイライラしながら、横をすり抜ける際に木吉の腕を取った。
「……?」
「少なくとも、キャプテンよりは親切だと思うっス。悩み相談とか言って、何も聞けないなら時間の無駄ですよね。……さっさと帰るぞ」
「え、あ……ああ……?」
「痛いところ突かれちまったなあ。まあいいか、木吉、火神、また明日なっ」
簀板に座ったまま、あっさりと手を振る日向へと答えることなく、火神はどんどんと木吉の腕を引っ張っていく。
それがだいぶ遠ざかった頃、自動販売機の横から別の人影がすっと現れる。
「……キャプテンて、結構ひどいですよね」
「そうか?」
先ほどさらりと嘘をついたが、実は黒子は帰っていない。ただ影でじっとしていれば、火神はまた気がつくことがなかっただけだ。それは黒子の影の薄さだけでなく、木吉がいるとそちらに意識が集中してしまうことも大きいからだろう。わざとらしくため息をついた黒子は、木吉を引き止めるように頼んでおいた日向にやや呆れてしまった。
「あのコーヒー、いつも火神くんが飲んでるものだって知ってて、木吉先輩に渡したんですか」
「もちろんっ」
「……泣かれませんでしたか」
「泣きそうにはなってた。まあ、どうも木吉は木吉で、自分の方がふられたと思ってるみたいだしな。ああいうの、イライラするよなあ、イライラしちゃうよなあ!!」
「そんなところで、クラッチ・タイムに入らないでください。……まあ、結果的に話し合う気になったのならいいんですけど」
でかい二人にうじうじされてると二倍鬱陶しいですしね、とぼやいた黒子に、日向は実にいい笑顔で頷いて空になったジュース缶を握り潰していた。
そんなことを話されているなどと知る由もない火神は、かなり焦っていた。
「……。」
「……?」
勢いで木吉の手を引いてしまったが、これからどうすればいいのか。
何か明確な目的があって火神は木吉を連れ出したわけではないのだ。ただ、黒子に言われた言葉が頭をぐるぐると回っている。
自分は、ふられたのだろうか。
「……!!」
「……?」
日向からの、大したこともない用件でもこうして残っていたのであれば、例えば家の事情でこの一週間は早く帰らなければならなかったわけではない。いろいろと勝手に理由を考えて、関係は終息ではなく中断だと信じていたかった火神にとっては、木吉の姿は喜びより怒りや不安を煽るものだった。
だがこうして手を握り、連れ出してしまうと、そこに何度も味わった熱も混じってくる。絶望的な状況なのに、随分と楽観的だと自分でも呆れる。それでもこうして手が触れているだけで、と顔が赤くなりそうだった火神は、そこで初めて木吉から話しかけられた。
「……なあ、オレこっちじゃねえんだけど?」
「……!?」
ついでに、足を止められた。自然と手が外れかけ、驚いて振り返った木吉はなんとも複雑そうな顔をしていた。
表情をこそ笑みを作っているが、泣いているようにも見える。それに動揺しつつも、必死に言葉の意味を考えれば、どうやら木吉の家に向かうのとは違う道へと入っていたようだ。無意識にでも足を向けてしまう方向、要するに自宅への帰路を進んでいたことに今更のように気がつかされ、慌てた火神はなんとか平静を装って適当に吐き捨てた。
「おっ、オレの家は、こっちなんだよ!!」
「ああ、そうなのか。……え?」
「え、て何だよ?」
「あ、いや……オレ、火神の家に連れてかれてたのか?」
「なっ……!?」
不思議そうに指摘されて頭を抱えたくなったが、確かにそう解釈されてもおかしくない反論だった。
なにしろ、火神はずっと無言で木吉の手を引き、自宅へと向かっていたことになる。一週間前までの行為を思えば、木吉が連れ込まれると怯えても仕方ないだろう。
そんなことはしない、嫌なら無理矢理したりしない。
許されないのならば強引にするつもりはないのだという気持ちは、気遣いでもあり、プライドでもあった。
「そ、そんなワケねえだろ!? なんでオレがアンタを部屋に上げなきゃなんねえんだよっ!?」
だからこそ、否定した。実は黒子たちが狙ったように、話し合いをするのだとしても、部屋に連れ込む気は本当になかった。それは木吉の安心にも繋がるだろうと期待していたのに、少しだけ驚いた目をした木吉は、ふいっと視線を逸らす。
「……!?」
「まあ、それはそうだよな。じゃあな、火神。また明日、部活で」
そして踵を返して自分の家の方へと向かいかける横顔は、見間違いでなければ寂しそうだった。
そんな顔を、見たことがない。
……いや、本当は似たような顔を見たことがあったはずだ。
一週間前、電車の中で、あのときは火神から背を向けてあまり見ていなかった視界の端で、木吉は確かに傷ついていた。
「……ま、待てよ!?」
悔しいが、黒子の言っていたことはこれも正しかったらしい。そう口惜しくなったときには、プライドより先に手が動いた。
まだ缶を持ったままの手を掴み、強引に振り返らせる。
「まだこんな時間だろっ、帰らなくていいじゃねえか!!」
「でも、帰らない理由も……?」
「オレが待てって言ってんだよっ、他に理由が要んのか!?」
部活の後に散々ヤっていた頃と比べれば、時間はだいぶ早い。門限を気にするような時間ではないだろうと言ってみても帰ろうとした木吉に、火神はついそんなことを口走る。
言ってしまうと、恥ずかしくて堪らない。どこのガキだと、情けなくなってくる。その証拠に木吉もさすがに軽蔑した目で見下ろしてくる、と思い込み、つい視線を逸らしていた火神に、ふっと肩の力を抜いたような息が聞こえた。
「……?」
「火神ぃ、お前、何がしたいんだよ? オレに用があるなら、そう言えばいいだろ? メシでも食いに行きたいのか?」
「……人がいるところは嫌だ」
「じゃあ公園でも行くか?」
これでは、まるっきり駄々をこねる子供と寛容な親のようだ。呆れて聞き返されると、また拗ねたような言葉が口を突いて自己嫌悪が増す。だが更に優しく促されると、頷いただけで近くの公園へと向かって歩き出してくれたのが、甘やかされているようで悔しくなった。
結局のところ、どれだけ変なヤツだと思っていても、木吉は年上ということなのだろう。余裕もあるし、大人だ。やや俯いて歩く火神は、横を歩く木吉の片手が強く握り締められ、緊張のあまり血の気が引いて冷たくなっていることには気がついていない。
「さすがに、この時間だと誰もいないよなあ……。」
「……。」
そうして木吉と共に足を踏み入れた夜の公園は、静まり返っていた。昼間であれば子供たちのはしゃぐ声が溢れているのかもしれないが、街灯も少ないこの場所は少し不気味なくらいだ。適当なベンチに腰掛けた木吉に倣い、火神も腰を下ろす。だが何を切り出そうかと悩む間もなく、木吉からいきなり尋ねられる。
「……で? 今更、オレにまだ何か用?」
「……!?」
基本的には物腰が柔らかい木吉なので、そんな皮肉めいた言い方には余計に怖くなった。思わずビクッと肩を揺らし、横に座る木吉へと向き直ってしまうが、そこでまた火神は困惑することになる。
「……。」
「火神?」
てっきり嫌味を言ったのだと思ったのだが、木吉には特に悪意や人の悪さのようなものは見えない。
つまり、本心から不思議に思って尋ねた。
部活に関することならば、用事はあるだろう。だがそれは部活中に尋ねればいい。それ以外で、こうして個人的に用があるとは微塵も考えていなさそうな顔に、火神の胸はズキズキと痛む。
「……オレがアンタにある用なんか、一つしかねえだろ」
それでも、こんな中途半端なところで終わらせるつもりはない。勝負を流されるのはもう嫌だと無意識に虚勢を張って返した火神に、木吉はまだ首を傾げる。
「でも、もう用済みなんだろ?」
「だからっ、なんでそんなこと、勝手に……!?」
「……火神が、言ったよな? オレじゃ、あのタツヤって人の代わりになれねえって」
だが怪訝そうに続けられた言葉には、火神は思わず頭に血がのぼってしまった。
まだ、そんなことを言ってるのか。
一週間前に、ちゃんと否定したではないか。
「てめえっ、だからタツヤはタツヤだ、アンタとは違うって何度言ったら分かるんだよ!?」
思わず胸倉を掴んでしまうと、木吉の手からカフェ・オレの缶が落ち、地面へと転がった。
「それは聞いたって、だから用済みなんだろ?」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「本物の『アニキ』にも再会できたし、そもそも代役にもなれてないようなオレには、もう構う理由はねえよな?」
「そもそもオレはタツヤとアンタを重ねたりしてねえよっ、オレがタツヤにあんなことしてたとか思ってんのかよ!?」
互いの言葉を否定していないのに、どうにも話が通じない。いつの間にかベンチから立ち上がり、木吉の胸倉を掴んで正面へと回った火神は、ついそんなことを口走って自分で嫌悪した。
タツヤには本当に感謝している、今でも兄のようだと慕っている。
だがそれは純粋な敬愛であり、邪推されるようなものは微塵もない。劣情も性欲も抱いたことはなく、まるで思い出まで汚されたようで声を荒げた火神を、木吉は驚いたように見上げていた。
「……ああ、なるほど」
「……。」
「タツヤって人には手を出せなかったから、オレで間に合わせてたってことか」
木吉が納得したときは、決してぬか喜びしてはいけない。
そんな鉄則を知らなければ、チームに必要な選手と分かっていても火神は沸騰した怒りに身構えられず、力の限り殴っていたかもしれなかった。
ぐっと拳を握り締めはしたが、ギリギリのところで堪える。自制が効いたもう一つの理由としては、妙に頷いている木吉がますます泣きそうな顔をしていたからかもしれない。
「まあ、別に火神がオレに構ってた理由は、何でもいいんだけど」
「……アンタにとっては、その程度だったのかよ」
「ごめんな?……オレ、火神の『アニキ』になれなくて」
そう言って笑った木吉は、胸倉をつかんでいる火神の手を外させると、地面に転がっていた缶を拾い上げて横へと置く。そして正面に立つ火神を押しのけるようにして立ち上がり、話は終わったとばかりに離れていく背中に、唸ることしかできない。
「……言っただろ、オレがアニキだと思ってるのはタツヤだけだ。アンタには、最初からそんなこと求めてない」
ゆっくりと去っていく足音は、独り言のような返事を消してしまいそうだ。
「じゃあ……オレって、火神にとって何だったんだろうな……。」
「……。」
それでも、かろうじて鼓膜へと届いた呟きに、火神は全身がビクッと震えてしまった。
年上で、凄いバスケ選手で。
タツヤとの共通点はそんなもので、外見も、性格も、全く違う。なにより向けた執着が、穏やかで、憧れで、人に誇れるような感情ばかりだったタツヤに対し、木吉に抱いたものはいずれも軽々しく口にはできないようなものばかりだ。
「オレに、とって……アンタは……。」
先輩。
チームメイト。
年上の友人。
どの表現でも、物足りない。あるいは、誤魔化そうとしている。木吉も尋ねたつもりはなかっただろうし、火神も答えるつもりはなかった。だがこれであの関係も本当に終わってしまうのだと思うと、答えを出せばすがりつく余地がある気がして、思考だけはぐるぐると回ってしまう。
だが、結局答えは見つからない。
もう足音すら聞こえない。
タツヤの代わりがいないように、木吉の代わりもいない。そう実感したとき、呼吸ができないほど胸が苦しくなって、思わず俯いてしまったとき、ポンと頭に手が置かれた。
「……!?」
「泣くなよ、火神……。」
「なっ……な、泣いてねえよ!?」
泣いてなどいない、ただ、声がやや震えてひび割れそうになっていただけだ。
どうやら足音が聞こえなくなったのは、完全に離れたからではなく、途中で引き返して戻り、止まっていたかららしい。まるで部活中かのようにグシャグシャと髪を撫でられ、反射的に怒鳴り返しつつ火神は安堵した。
これで、また呼吸ができる。
木吉はまだこうしてくれるのだと振り返ったとき、頭へと手を乗せたままの木吉が、困ったように笑って告げた。
「火神に泣かれると、困るんだよ。……オレ、火神のこと好きだからさ」
「……!?」
ヨシヨシと犬でも撫でるかのような手つきのまま、そうあっさり口にした木吉を火神は呆然と見上げた。
ほんの少し高い目線が絡む。穏やかだが、寂しそうな瞳はしっかりと火神を映している。
もしかすると、好きだから、抵抗しなかったのだろうか。
好きだから、兄貴分だと思われていたのかと勘繰って落ち込み、それにすらなれていなかったと誤解して傷ついたのだろうか。
「……なあ、鉄平」
「へ? あ、ああ、なんだよ……?」
名を呼ぼうとして、名字だと自然と『先輩』とつけそうになったので、なんとなく下の名前にした。するとかなり木吉が驚いたことで、火神もまた気恥ずかしくなってくる。
だが、これは本当に最後のチャンスなのだ。
ブザービーターのように、もう逆転されることのないしっかりとした勝利を掴みたい。
「オレは、何回きかれたって、同じようにしか返せねえ。タツヤはタツヤだ、アンタとは違う」
「……ああ」
「つまり、アンタは、アンタだ。……タツヤとは、違うんだ」
こんなことしたいのはアンタだけだ、と宣言して、火神は唇を押し付けた。
すぐに離したキスは、本当に触れるだけだ。もっと深いキスは何度もしているし、体ごと繋がったことも数え切れない。
それでも、火神はこのときのキスが一番恥ずかしかった。
「かが、み……?」
「……いい加減、分かってくれよ。タツヤの代わりはいねえけど、アンタの代わりもいねえんだ。ガキだって、ずるいって思うかもしれねえけどよ、オレはアニキとしてのタツヤが欲しいように、こういうこと唯一したい相手としてアンタのことも欲しいんだ」
自然と両腕を背中へと回し、逃すつもりはないと強く抱きしめる。火神としては閉じ込めたつもりだが、傍からはすがりついているように見えたかもしれない。
それでも、木吉が受け入れてくれるなら構わなかった。キスに驚いたままの木吉が、やがて嬉しそうに笑ってくれるのを間近から拝むことができれば、充分だ。
「……そっか。じゃあ、これからも、よろしくな?」
「浮気すんなよ、アンタやたら隙があっからオレ心配なんだよ。他のヤツに押し切られてヤらせでもしたら、オレ、マジでキレるからな?」
だがあっさり頷かれると、その気軽さに火神は別の不安が増す。実を言えば、これまでもずっと抱えてはいたのだが、そもそも他とはするなと言っていいものか分からず釘を刺せなかったのだ。いい機会だと思いそう言ってみれば、嬉しそうだった木吉の顔がにわかに曇る。
「あのなあ、オレは男なんだぞ? で、この体格だぞ? そういう意味で手を出してくるヤツなんか、そうそういるはずが……?」
「そんなの分かんねえだろっ、万が一でも心配なのは分かるだろ!? いいから約束しろよっ、アンタもオレだけだって誓えよ、鉄平!!」
「……火神って、ほんと、卑怯だよな」
呆れ返ったようにそう言われると、まさか無理なのかと火神は内心で慌ててしまう。だがすぐにまた笑った木吉は、ほんの少し高い視線を合わせてきて、しっかりと頷いてくれた。
「約束なら、いくらでもしてやるよ。火神以外とこういうことしたりしねえ」
「そ、そうか、よし、それなら……!?」
「……だって、オレ、火神のこと大好きだから」
木吉の方こそ、よっぽど卑怯だ。
目を合わせてまともにそう繰り返され、嬉しすぎて悔しいというよく分からない混乱に突き落とされかけた。だがそのまま初めて木吉から本当に唇を合わされ、火神は何もかもが思考から吹っ飛び、たぶん、実は、本当は、きっと、とっくに恋していた相手をしっかりと抱き返した。
| なんだこれ はずかしい!!! こんな よていでは あわわわ・・・ (*ノ四ノ) ロボっぽい何か |