■バレンタイン
「……さて、毎年恒例、伊達工業バレーボール部伝統の漢バレンタイン祭りが来週に迫ったわけだが」
「なんですかそのいかにも虚しさと遣る瀬無さでこじらせた開き直りの悪い見本みたいな行事は」
神妙に切り出した鎌先に、ついいつもの調子で尋ねればいきなりバレーボールが飛んできた。打ったのではなく、振りかぶって投げてきたのでさほど勢いはない。軽くレシーブをして真上に上げ、落ちてきたのを取るまで待ってから、穏やかに続きを話し始めたのは茂庭だ。
「ほらさ、ウチの高校って実質男子校みたいなものだし?」
「……死ねっ、A組は、死ね!!」
「クラス分けの運くらいでそこまで暴れないでくださいよ……。」
「まあ中にはこんな行事に参加しなくても、家族とか以外の女の子からチョコもらえるヤツもいるんだろうけど」
「……。」
「だからっ、渡されそうになっても受け取りませんし!! この至近距離でジャンプサーブは殺人未遂ですよ!!」
バレンタインが翌週に迫った二月のある日、平日の練習が終わってから集合がかけられた。連絡事項などを伝えるのはよくあることだが、この日最初に話し始めたのは鎌先だ。
漢バレンタイン祭りとは、何なのか。
普段の部室とは違い、四十人近い部員がすべて集まった中で、わざわざ伝えることなのだ。私情に走りがちな鎌先に代わり、頼りになる茂庭が説明を継ぐが、いちいち鎌先が暴れている。真っ当な思春期の真っ只中にいる鎌先にとって、バレンタインとは、それほどまでに心をかき乱す悪魔のような存在なのだろう。
ちなみに、二口にとってはひたすら面倒くさいだけだ。もらっても、もらわなくても、お返しをしても、しなくても、いちいち騒がれる。正直うんざりするという感情が顔に出ていたのか、今度はしっかりとボールを打たれそうになって慌てて最強の鉄壁に身を隠すことにした。
「……?」
「くそっ、出てこい、卑怯だぞ二口!!」
「普通に嫌です。……それで、茂庭さん、その切ない行事がどうしたんですか」
青根の背中に隠れてそっと窺えば、監督とコーチは既に体育館から去っていた。つまり、バレー部が強くなるために必要な真面目な練習の一環ではない。どちらかといえば、生徒同士の余興だろう。コーチ陣は関与しないという方針が明らかなため、集合がかかっていてもどこか緊張感に欠けている。
この時期には、部員もだいぶ減っている。とっくに三年生が引退したのもあるが、高校の練習にはついていけなかった一年生もかなり辞めた。だが数以上に目立ったのは、二年生かもしれない。強豪校であるがゆえに、もう一年苦しい練習を続けても、ベンチ入りすらできないと痛感して去った。結果的に引導を渡したのは、一年生でありながらスタメンの座を掴んだ青根を筆頭にした三人だろう。
それがいいのでも、悪いのでもない。実力の世界はそういうものだ。残った者ももちろんいるので、誰も深くは気にしていないだろう。ただ、やはり今では二年生より一年生の方が人数が多いのを見ると、いろいろ考えてしまう。きっと、来年には自分たちの学年が一つ下より減っているだろう。それに少し感慨深くなりながら話を先へと促せば、茂庭は頷いて説明を再開する。
「これは本当に男子校だったときからの行事みたいなんだけど、毎年、一年生が合同でチョコレートを買ってきて、二年生にあげるんだ」
「……うわあ」
「で、三月のホワイトデーには、二年生が合同で一年生に三倍返しをする。どちらかといえば、バレンタインにかこつけた学年間の交流だね。共同購入だから全く同じチョコレートを一年生は一人一個持つことになって、それをあげたい二年生にあげるといいよ」
それではむしろ交流どころか二年生間で確執が起きそうだ。ほぼ毎年一年生の方が多いのだろうし、お返しの際はあげた人からもらえば確実に一人に一個ずつある。だがバレンタインの際には、複数もらえる二年生がいる一方で、誰からももらえない者が出るのではないか。人気投票のようなもので、ただでさえ狭い部活という世界ではいろいろと遺恨を残しそうだ。
「まあそうは言っても、やっぱりもらえない二年生がいると、可哀想だしさ。一年生の中で話し合って、予め一人一個は確実に行き渡るようにするのが暗黙の了解なんだけど」
「聞いてんのか二口!!」
「名指しされても鎌先さんにはあげませんよ」
「なんでだよ!?」
ただ、やはり配慮はあるらしい。すべての二年生に一つずつが渡るように予め決めた上で、余る部分はキャプテンなどに集中するのだろう。完全な出来レースだ。これを部内交流だとして伝統化する滑稽さより、そこまでして一応はバレンタインにチョコをもらったんだぜ感を出したい必死さに、男子校気質の本気を見た気がした。
一年生の多くは戸惑っているが、特に意見することはない。二口も反論があるのではなく、何故かいちいち鎌先が絡んでくるので答えているだけだ。無視すれば、それはそれでまた面倒くさい。青根の陰に隠れて避難していると、茂庭が手にしていたファイルをかざしたようだ。
「まああんまり深く考えないでさ、みんな参加してよ。伝統にしすぎてマニュアルが出来上がってて、集金方法から店への依頼の仕方、渡す二年生の担当の振り分け方とか、全部書いてあるから。じゃあ今年の祭りのまとめ役は……小原、頼んでいいかな?」
「え。……あっ、はい、頑張ります!?」
クラスが違う部員たちと連絡を取り合い、集金して、品物の手配もする。どう考えても、面倒くさそうな仕事だ。立候補を求めるより、指名した方が早い。ある意味においては、いずれ代替わりをしたときのために部活運営の練習をさせるようなものだ。
実力でも、何よりその真面目で几帳面な性格からも、小原が適任だろう。一年生の誰もが納得する。当の小原も、たとえ名称が『漢バレンタイン祭り実行委員長』という肩書きでも、大役を任せるかのように緊張してファイルを受け取っていた。
何かの授与式のようだと微笑ましく眺めていれば、ファイルを渡した茂庭が笑顔で続ける。
「でもさ、たぶん一番の難関は、チョコレートを受け取りに行くことなんだよね、毎年」
「はい……?」
「ショッピングモールに入ってる洋菓子屋で、バレー部のOBの家族がやってる店なんだ。電話しておくと、毎年のことだし、快く準備して待ってくれてるんだけど、やっぱりこの時期のお菓子売り場でしょ? 女性客でごった返してるみたいなんだよね」
「そう、ですよね……?」
「その中で、頭一つ抜けて大きい男子高校生が、分かりやすさのために学校名が入ったジャージで、買いに行くことになるんだよ」
「……。」
「心が強い人に行かせた方がいいと思うよ?」
この日ばかりはジャージでの下校が推奨されるらしい。むしろ、伝統が開始された当初は、チョコレートを代表して購入してくることが罰ゲームだったのではないかと二口はようやく気がつけた。
人によっては、可愛らしいチョコレートを求めて女性たちが溢れている場所というだけで、相当な試練だろう。去年は買い出し部隊の心が折られたらしい。鎌先と笹谷が頭を抱えてしゃがみこんでいる。
「……ん?」
「なあ二口、今年の買い出しだけどさ……。」
そんなに人が多いのかと、単純な混雑ぶりだけに感心していた二口は、そこで小原に声をかけられる。ふと気がつけば、小原以外の一年生からも、視線が集まっていた。さすがに察することができた二口だが、首を傾げてしまう。
「いや、青根はそういうの平気だと思うけどよ、まず一人でおつかいってのが大丈夫なのか?」
どんな人混みでも、青根は存在感がありすぎて自然と人が避けていくのだ。買い出しには適任だろう。だがそもそもちゃんと買い物の方ができるのか、事前に小原が電話をしておいて、商品とぴったりの代金を交換するくらいならばさすがの青根でも可能だろうか。そう悩めば、何故か鎌先に叫ばれた。
「なに寝惚けてんだっ、青根一人で行かせるとか可哀想過ぎるだろ!? というかおめーが行けって言われてんだよ!!」
「へ? ……ああ、小原、そうなのか?」
「う、うん、そうだったんだけど……。」
「オッケー、分かった。取りに行く日が決まったら、店とかまた教えてくれ」
「簡単に請け負うんじゃねええええええ!!」
また鎌先は頭を抱えていたが、無視しておく。どうせ誰かが取りに行かなければならないのだ。集金や手配といった面倒くさいことは小原に任せてしまうので、別のところで手伝うくらい大したことではない。二口があっさり請け負えば、小原を始めとした一年生は皆安堵していた。唯一不満そうな視線を肩越しに向けてきたのは青根くらいだ。
「……チョコって、結構かさばるんだよね。だから二人で行った方がいいよ?」
「……!!」
「そうなんですか。まあ、そうじゃなくても青根は連れてく気でしたけど」
「……!!」
仮に青根が買い出し係に指名されていれば、なんだかんだと理由をつけてついていった。どのみち二人で行くのだと示せば、青根は呆れるくらい気配を弾ませる。
「じゃあ、今日はこれでおしまい。解散していいよ」
茂庭の言葉で全員がビシッと姿勢を正し、挨拶をして練習は終わりとなる。
毎年憂鬱でしかなかったバレンタインを久しぶりに少し楽しみだと思えながら、二口はこの日も青根と共に帰路へとついた。
数日後の土曜日、二口は小原から教えられた店に青根と共に向かった。
平日の練習帰りに寄ると、ショッピングモールまで迂回することになり帰宅がかなり遅くなる。そのため、練習終わりが少し早い休日に足を運んだ二口は、自分の認識が甘かったことを嫌でも思い知らされた。
「……青根」
「……。」
元々週末なので、ショッピングモールは人が多い。更に特設開場でバレンタイン用のチョコレートフェアが行われており、多くの女性客でひしめき合っていた。洋菓子店は常設の店舗だが、そのすぐ前なので人の波はやはり凄い。商品を選ぶ必要はなく、会計の列に並んでレジで購入するだけであっても、だいぶ時間がかかりそうだ。
甘ったるい匂いが満ちた空間で、自分たちは非常に場違いだ。だが二口が居たたまれなくなったのは、自分のことではない。大きく肩で息をすると、掛けていたスポーツバッグを青根に差し出しながら命令した。
「お前はオレの荷物持って、あの柱のところで待ってろ」
「……?」
「……なんか、可哀想だ」
青根は特に気にしていない。この場でなくても、常に浮いているようなものだからだろう。
そのため、青根が配慮したのは女性客に対してである。チョコレートを選びに来ている女性は、本命ならばいかに喜んでもらえるか、義理だとしてもいかに低価格で見栄えがいいものを買えるか、誰もが真剣に悩んでいる。引き摺られた様子の男性の姿も稀にあるが、やはり青根は異質だ。必死で選んでいる女性が顔を引き攣らせるようにして何人も驚いていた。こういう空気を邪魔すると根に持たれると妹から学んでいた二口は、小原が集金してくれた代金だけを封筒ごとポケットにジャージのポケットに突っ込み、さっさと会計列に並んだ。
しばらく名残惜しそうにしていた青根も、やがて二人分の荷物を担いで柱の方に向かう。周囲の客より頭一つ分以上は大きいので、見失うことはない。
「……。」
大人しく柱のところに立っていた青根だが、すぐに暇になってきたようだ。周囲をキョロキョロと珍しそうに眺めている。人が多くとも、背が高い分商品を眺めるのに苦労はしていない。
実を言えば、ここ数日二口は別のことで悩んでいる。高校に入って、やっとバレンタインという煩わしい行事から解放されると喜んでいた。わずかにいる女子のクラスメートは義理でも渡してこないだろうし、さすがに卒業して一年近いのでまだ中学の後輩に追いかけられるとは思えない。やっと母親と妹からのみもらう静かで穏やかな二月十四日だと考えていたのが、この伝統行事のおかげで一気に混沌とした。
「……。」
あまり深く考えず、ノリがいい性格の二口なので、一年生が二年生にチョコレートをあげるという余興自体は抵抗がない。
ただ、この行事によって、自分からチョコレートを渡すという可能性に気がつかされてしまったのだ。
青根は、欲しいだろうか。
曲がりなりにも、交際中なのだ。誰に公言できずとも、自分たちは恋人同士である。バレンタインの起源や日本での発端などに目くじらを立てて、鎌先のように虚勢で全否定する気はない。そうであれば、やはり好きな相手にはチョコレートを渡すべきなのではないだろうか。
「……。」
だが男が男に本気のチョコレートを渡すのだ、滑稽すぎる。しかも、ベッドでの役割を思えば自分が本当に女性の代用のようで虚しくなる。そんなことを気にして絶対にあげないと突っぱねるのも狭量だし、かといって胸を弾ませて可愛らしいラッピングでハートのチョコレートを買ってドン引きされては最悪だ。手作りなど論外すぎる。それでも、変に知識が幼い青根はバレンタインというものを一応は理解しているので、渡さないことで落ち込ませるのも本意ではなく、どうしたものかとため息をついたときにふと気がついた。
「……?」
青根が、ある一点をじっと見つめていた。特設売り場の一画を睨んでいる。本人は興味深そうにしているだけだろうが、周囲の女性客は殺気立った気配にかなり怯えていた。
何か欲しいチョコレートでも見つけたのだろうか。
青根は特に甘党ではないが、甘い物も食べなくはない。もしかすると、特定の銘柄で好きなものがあったのかもしれない。本命に送ることを前提にした、海外の高級チョコレートのコーナーもあるのだ。もしそうであれば、どうやってそれをさり気なく後で聞きだそうかと思ったとき、急に青根が歩き出した。
「……あの、バカ」
待っておけと言ったのに、立っていた柱から二人分のカバンを提げたままで移動する。あの身長なので見失うことはまずないが、言いつけを守られなかったことより、それほど青根を惹きつけた何かに苛立って仕方がない。
青根は特設売り場の一画に足を進めた。あまり客はごった返していない。単価の高いチョコレートなのかと思ったが、それらとは少し離れているようだ。手に取っているのまでは分かるが、さすがにこの距離でははっきりと見えない。一緒に居れば何に興味を示したのかさり気なく分かったのにと舌打ちしたところで、二口の方も順番が来てしまった。
「いらっしゃいませ」
「あの、電話した伊達工のバレー部なんですけど」
商品を持つことはなく、封筒だけを差し出す二口に店員も訝る様子はない。本当に毎年恒例のようだ。並んだときからジャージで目立っていたのだろうし、そもそも時間も伝えておいた。レジに立っていた女性は後ろの厨房を呼んでから、二口が差し出した封筒の中身を確認する。
小原がきっちり集計していたし、手渡されたときももう一度二人で確認をした。消費税分はまけてもらっているらしく、一人につき五百円分の代金と引き換えでチョコレートを渡してくれたのは、おそらくバレー部OBの家族とやらだ。
「あれ、今年は一人で来たのかい? 結構かさばるけど」
「あっちで一人待たせてます。二人で並ぶのも邪魔になりますし」
年齢的には、父親世代だ。白い料理人服に身を包み、いかにも人が良さそうである。きっと、消費税以外のところでも配慮してくれているのだろう。明らかに税抜き五百円とは思えないチョコレートがぎっしりと紙袋に詰まっていた。
それが、二つに分けられているのだ。両手に提げられなくはないが、やはり二人で来ることを前提にしているだろう。不思議そうな男性にそう答えれば、やけに驚いたような目で見られた。
「……なんですか?」
「いや、今年は随分と精神的に逞しい子が入ったんだなあって思ってね」
「……。」
この程度の対応でそう言われてしまうのは、去年の鎌先と笹谷は一体どんな顔をして買いに来たのだろう。若干心配になったところで、笑顔で二つの紙袋を渡された。
「じゃあこれ、県大会も近いんだよね? 激励も兼ねて、私たちからの差し入れ半分で」
「あざーすっ」
「来年こそ、女子マネージャーが入るといいね」
「……。」
ずっしりと重い紙袋を提げたところで、この行事の本当の意味が分かった気がした。
伊達工業に女子生徒も入学できるようになったのは、数年前だ。文化部には女子も同様に入部しているが、体育系の場合は個人競技のものしか人数的に無理だ。そのため、運動部ではマネージャーになる者が多い。
だが、バレー部には女子マネージャーがいない。今いる男子マネージャーは、一年生のときに選手から転向した二年生部員たちだ。特に気にしていなかったが、女子も入学できるようになってからもずっと男子マネージャーしかいなかったらしい。確か、サッカー部、野球部、それにバスケ部には女子マネージャーがいる。他にもいるのかもしれない。だが校内では最も戦績としては優秀とされるバレー部には、いない。
きっと、鎌先たちはいろいろなものと戦っていたのだろう。呆れるような、一周回って可哀想にもなってくるような、そんな心情に襲われつつ二口は店員に頭を下げて店を離れた。
「……。」
実を言えば、一学期の始めの頃、同じクラスの女子生徒数人から、バレー部ではマネージャーを募集していないのかと尋ねられたことがある。そのときは、二年生の男子しかいないので、女子ではなれないのだと勝手に思い込んでいた。強豪校なので部員も多く、洗濯などが力仕事になる。練習メニューの進行などもしており、バレー経験者の方がいいのだろう。
そんな想像で、たぶん募集はしていないと答えたことは、鎌先には絶対に秘密にしておこう。ちなみに、尋ねてきた女子が、後に告白してきた面々と一致する。今になって思えば、目的は明らかだ。真意はどうあれマネージャーとしてきちんと仕事をしてくれるなら構わないが、あからさまに秋波を寄せられると今よりずっと鎌先が暴れていたに違いない。なにより青根も気が気ではなかっただろうし、深く考えずに断った一年近く前の自分を二口を褒めた。
そうして柱に向かってみるが、青根はまだ戻っていない。離れたレジで、ちょうど会計を終えたところのようだ。特設売り場はレジが多いので回転も速いらしい。品物を受け取り、売り場から青根が抜けたところで二口は声をかけた。
「……なにふらふらしてんだよ」
「……!?」
待っておけと言っただろうと暗に滲ませれば、ビクッと肩を震わせた青根は、持っていた可愛らしい袋をカバンへと突っ込む。だが生憎、そちらは二口のものだ。
「なに人の荷物に入れてんだ」
「……!!」
「いいから、オレのカバン返せ。そんで、こっち、一つ持て」
呆れて指摘をすれば、青根は慌てて自分のカバンへとその包みを入れ直した。どうやら今渡すつもりではないらしい。あるいは、やはりたまたま好きな銘柄でもあって、自分用に購入したのだろうか。
尋ねたい気持ちはあったが、青根の様子では口を割りそうにない。何より、本当に自分用に買ったのであれば尋ねること自体が期待しているようでみっともない。悩んだ結果、まるで気がつかなかったように紙袋を片方差し出せば、青根は二口のスポーツバッグを肩に掛けてくる。きちんと交換して歩き始めて、二口はさり気なく切り出した。
「……そういや、今日もオレの家、誰もいねえんだけど」
「……!!」
人が多いショッピングモールから出ると、もう真っ暗だ。二月なので、相当寒い。数日前の雪がまだ歩道の隅に残っており、今夜もまた降るかもしれないという予報があった。吐く息も白く、寒くてたまらないのに、隣であからさまにはしゃがれるといまだに顔が火照ってきそうだ。
「一回、学校に戻らないとな。十四日の朝にまた持ってくるの面倒だし、小原も部室に置いてていいって」
「……。」
「つか、毎年そうなんだってよ。だったら送ってもらえばいいのに、て距離でもないんだろうけど」
「……。」
「汗臭い部室に一週間近くも保管しとくのって、どうなんだろうな、まあ仕方ないけど。ところで……青根、どうする?」
学校に戻る道を進むと、ショッピングモールに併設された駐輪場がある。この時期ではさすがに車で来る方が多いのか、あまり自転車は停められておらず、人もいなかった。徒歩なのにその駐輪場に入り、周囲からは見えない暗がりに足を運ぶ。そして誰も見ていないことを確認してから振り返り、尋ねれば、青根はいつものように何も言わないが期待通り唇を重ねてきた。
「んっ……。」
「……。」
この場で、これ以上するつもりはない。そもそも互いに腕も回していない。
手にした紙袋を部室に置き、自宅に戻ればまた抱き合えるのだ。
だから我慢できるし、それなのに我慢できない。
「青根……。」
「……。」
もう一度とせがめば、すぐにまたキスをしてもらえた。今度は押し当てるだけでなく、軽く唇を舐めるようにして促されるが、二口の方から体を引く。抱き合ってはいないので、あっさり体温が離れるのが寂しい。
それを青根も感じているようで、一歩進もうとするのを、二口は紙袋を持つ手で押し留めた。
「……次は、部室で、な?」
「……。」
「その次は、オレの部屋でしような?」
「……。」
こんな寒いところでして風邪でも引くと馬鹿らしいし、なにより今は人気がなくとも誰に見つからないとも限らない。もっと深いキスは部室で、それ以上は部屋で、ちゃんとしようと言えば青根も頷く。
名残惜しくても、たっぷり抱き合えて声も出せる方がいい。青根も納得したようなので二口は息を吐き、今は我慢だと気合いを入れて歩き出す。駐輪場の陰で、奥側にいたのは二口なので、青根の横を通り過ぎて先に歩道に戻ろうすれば、すれ違い様に頬にキスされた。驚いている間にさっさと歩道に行かれてしまい、最近とみに翻弄するのが上手くなったような、単純に我慢さえ利かないほど求められているような、複雑な気持ちがする。
最も腹立たしいのは、青根の心境はどうあれ、不意打ちで頬にキスされたくらいで顔が真っ赤になってしまうことだ。もっと凄いこともしているのに、二口が求めるように許可した以外のことをされると、どうしても動揺する。大好きだと言葉でないものでたくさん示されて、この夜もひどく寒いのに顔はずっと熱かった。
ショッピングモールに買い出しに行った数日後、一部の者には待ちに待った二月十四日となった。平日なので全体練習を終え、着替えからわざわざもう一度体育館に戻る。やはり監督たちはいない。毎年恒例の切ない男子校行事を眺めるのは居たたまれないのだろう。
「先輩たち、いつもご指導ありがとうございます。このたびは、一年生合同で日頃の感謝を伝えたいと思い、集まって頂きありがとうございました」
小原の挨拶で始まったが、今朝見せてもらった例のファイルに書いてあった開始の文言とほぼ同じだ。こんな宣誓でも、真面目な小原は一生懸命覚えたのだと思うと泣けてくる。一年と二年で別れ、ずらっと一列に対面で並ぶ。この日は選手もマネージャーも関係ないようだ。一年生の中にも、来月からはマネージャーに転向する者もいる。試合前の挨拶のような、一昔前の集団見合いのような、微妙な空気の中でも頼もしいキャプテンは穏やかだった。
「ありがとう、こんな行事に付き合わせてごめんね。でも、結構嬉しいものだよ、よかったら来年も続けてね」
「はい!!」
小原は勝手に返事をしているが、来年は二口たちの学年が三倍返しを後輩にしなければならないのだ。それでも続けるのかと呆れるが、今の二年生たちはどこかそわそわして、嬉しそうである。そんなものだろうかと適当に流す二口の手には、もうチョコレートがあった。
先に並んで二年生を待つ間に、一年生はそれぞれ一つずつチョコレートを持たされる。誰に渡すのかは、漠然としか決めなくていい。変な指示だと思いながらも待っていた二口は、小原の言葉の意味がやっと分かった。
「それで、誰が誰に渡すのか、ですが。公平を期するために、これから、公開で、堂々と決めようと思います」
「あれ、そうなんだ? どうやるの?」
「ここに、一年生の人数分のカードを用意しました」
茂庭は不思議そうにしているので、これはマニュアルにないことらしい。小原が出したのは、名刺サイズの小さなメッセージカードだ。そこに一言書くつもりであれば、事前に渡して準備させただろう。だがあくまでくじ引きの札のように扱っており、公平さと公開性を重視した結果のようだ。
ただ、不思議にもなる。そこまで大袈裟に決めずとも、一年生が集まって適当に決めればいい。マニュアルにも、そうあった。二年生の名前が載った名簿を用意し、取り敢えずは一人ずつ読み上げてあげたい人に手を挙げる。重なった場合には、じゃんけんで一応一人に絞る。すると、最終的には各二年生に一人ずつが決まり、残った一年生は自由に選んでいく。そんな決め方だ。実に単純で分かりやすいのに、どうしてわざわざカードまで用意することにしたのか。
なんとなく、二口は嫌な予感がした。
「これには、先輩たちのお名前が一枚ずつと、記名なしのフリーカードが入っています。一年生は一人ずつ引いていき、名前があった場合はその先輩に、フリーカードの場合はどなたかに自由に渡します」
「まあそれだと確かにあぶれる二年生は出ないだろうけど、でもカードを準備するのも面倒だったでしょ? どうして、わざわざ」
「言っておくが引いたカードの指名は絶対だからな!?」
「……ああ、鎌ちが暴れたのか」
「……まあ、そうなんですけど」
「オレが引くとは限らないじゃないですか、それとも何か小細工してるんですか」
「してない!! それはポリシーに反する!!」
「なんのポリシーですか、鎌先さんこそオレへの嫌がらせがひどすぎません?」
そんなに嫌なのかと項垂れる鎌先を眺めて、二口はため息をついた。
どうやら、ある程度一年生の希望が通る決め方では、絶対に自分には来ないだろうと分かっていたらしい。基本的には頼り甲斐のある先輩なので、同じポジションの一年生には鎌先に信頼を寄せている者もいる。きっと、こんな決め方でなければむしろ複数の希望者が出てじゃんけんに至っていただろう。
変なところで自信がない先輩も面倒くさいと思いながら、二口は小原を促した。
「まあいいや、それなら早くカード引こうぜ」
「ああ。……ほんとにっ、オレは細工とかしてないからな!? 一応確認しろ、鎌先さんのカードが複数あるとかないから!?」
「それは信用してるって、つかそんな細工だとすぐバレるだろうし」
手品前のマジシャンのようにずらっとカードを示した小原に、二口は笑って流す。確かにカードにはそれぞれの名前は一枚ずつしかないようだ。何も書かれていないのが、フリーカードなのだろう。どうやら変な使命感に火がついたのか、小原はカードに不正がないことを一年生の全員に見せてから、厚手の布袋に入れた。
袋の口を手で締め、何度もよく振る。しっかりとカードが混ざったところで、小原がずいっと差し出してきた。
「じゃあ、二口からな」
「なんでオレから?」
思わず首を傾げたが、なんとなく理由は分かる。他の者が先に鎌先のカードを引いてしまうと、その所為でと八つ当たりされかねないからだろう。つくづく小原は気遣いが出来て頭も回ると感心しながら、二口は手を伸ばす前に軽く拝む仕草をした。
「神様仏様っ、どうか茂庭さんが当たりますように!!」
「えっ、オレ?」
「ふざけんなこの野郎!!」
「茂庭さんが無理ならっ、笹谷さんでもいいです!!」
「……物凄く嬉しくない、さっさと引けよ」
「せめて笹谷の次くらいにはオレだろ!?」
「フリーカードはやめてくださいっ、また絡まれそうだし!!」
「……そうだよねえ、絡まれるよねえ」
「……二口は、本当に大変だな」
「つか、鎌先さん以外ならぶっちゃけ誰でもフリーでもいいですっ、神様ヨロシク!!」
「聞き入れるんじゃねえ神様ぁぁあああ!!」
これで当たった方が凄いと思いつつ、二口はデスティニー・ドローへと挑んだ。
小原が持つ布袋に右手を突っ込み、これだと思った一枚を引き抜く。
出してみると裏側だったので、名前が書いてあるかもしれない面をドキドキしながらひっくり返した。
「……よっしゃあ!!」
「二口、凄いね……。」
「なんつか、茂庭、おめでとう……。」
「……この世に、オレの神はいない」
「二口お前やめろよ、そうやってまた鎌先さんを弄ぶの……。」
小原は哀れみながら言うが、二口に弄んだつもりはない。もし誰かが鎌先を翻弄しているのだとすれば、それはまさに神か何かだろう。全員がカードを引いてからチョコレートを渡すのだと言われ、二口はさっさと避けておく。引いたカードには茂庭の名前がある。この決め方でなくとも、あげようと思っていた先輩だ。ちなみに青根ともそう示し合わせていた。
「ほら、鎌ち、立ち上がって? 二口は残念だったけど、誰かからはもらえるんだし?」
「うるせえ、茂庭にだけは慰められたくねえよ……。」
「つか、二口が改心したわけでもない悪運で引き当てたクジで嫌々渡す羽目になるだけのチョコレートが、そんなに欲しかったのか?」
「いちいち現実的に尋ねてくんじゃねえっ、これはもうオレのプライドの問題だ笹谷!!」
そんなことをしている間に、別の一年生が笹谷のカードを引いたようだ。ポジションも同じで、控えとしてベンチにも入っている。笹谷からは熱心に指導を受けており、元々渡したいと希望していたようで、引き当てたことを素直に喜んでいる。
そういう反応も、鎌先は羨ましいのだろう。鎌先のカードを引いた一年生が、反射的に『うわあ……。』とでもこぼせば傷つく。そもそもこれまでの鎌先を見ていれば、絶対に喜びが半減と分かっていて一年生もわざわざ渡したくない。なにもかもが自業自得だと眺めていた二口は、カードを引こうとしている青根へと近づいていった。
「青根、お前は誰だった?」
「……。」
こういう順番がきちっと決まっていない場では、青根は戸惑って取り残されることが多い。結果的に、小原を除いて最後になっている。袋には二枚が残り、青根が引かなかった方が小原のものになるようだ。
「つか小原、あと誰が残ってるんだっけ?」
「えっと……たぶん、一枚はフリーカードかな。もう一枚は……。」
「……。」
「じゃあ青根はフリーのを引けば、茂庭さんに……?」
「……!?」
「……青根?」
「……うわあ、ここでお前が二分の一を引いちゃうんだ」
随分長く悩んでいた青根が、これだとばかりに引いたカードには、『鎌先先輩』の文字があった。
そういえば、確かに鎌先は一人目以降騒いでいない。あれは、鎌先のカードを誰も引いていなかったからだ。思わずぼやいた小原が袋を確認すれば、残っていた一枚はフリーカードである。そちらを引けば何の問題もなかったのにと二口が舌打ちしたとき、鎌先がポンと青根の肩を叩いた。
「そうかあ、青根かあ」
「……?」
「鎌先さん、気安く青根に触らないでもらえますか。地味に腹が立つんで」
「なんで二口はそうなんだよっ、可愛い後輩を労わっただけだろ!? おめーとは違って、オレに感謝のチョコをくれる優しくて健気な後輩に親切にしただけじゃねえか!!」
「たかがカードを引いたくらいでそこまで言われるんなら……小原、お前のと青根の、交換しろ」
「え」
「……?」
「ダメだ!!」
そもそもは、不思議そうにしている青根がフリーカードの方を引けば良かったのだ。
実を言えば、この決め方だと知らない段階で、二人とも茂庭に渡そうと提案したのは二口である。青根が他の誰にあげるのも嫌ではあるが、茂庭だと、かろうじてチームのキャプテンとして面倒くさい自分たちをまとめてくれている感謝として、納得できる。
笹谷であれば、まだ、なんとか我慢できたかもしれない。
だが常に面倒くさいことで絡んでくる鎌先に渡すことは、何重にも悔しかった。青根を独占したい気持ちに歯止めをかけられそうにない。
「そんな力強く否定されても……まあ、オレからのチョコが嫌なのは分かりますけど……。」
「小原、お前はそのフリーカードで、オレにくれてもいいんだぞ?」
「いえ、オレは茂庭さんに……?」
「だが青根っ、おめーはダメだ!! 最初に言っただろ、引いたカードは絶対だって!?」
「……!!」
「だから、そんなルール……!!」
鎌先が勝手に叫んでいただけだ。そう反論しようとするが、どちらの援軍か分からない茂庭が仲裁するように入ってきた。
「まあまあ、鎌ちの言う通りだよ、他のみんなはもうカード通りに渡してるんだしさ?」
「でもっ、茂庭さん……!!」
「茂庭、やっとオレの味方に……!!」
「だからさ、二口はオレに渡して、青根は鎌ちに渡す。で、それをオレと鎌ちが交換する。これでどう?」
なるほどと感心したのは、青根だけだった。
それでは青根は結局最初に鎌先に渡すことになるし、自分のものが最終的に鎌先に渡ることになるのも嫌だ。茂庭の提案には、鎌先も若干不満そうだ。だがそれでも、妥協しそうな雰囲気がある。キャプテンを含めた二年生で納得されると覆すのが難しくなりそうだと察した二口は、苦渋の決断をした。
「……分かりました。青根と小原のカードを交換させてくれるなら、鎌先さんにはオレが個人的なおやつとして買ってたチョコの残りを仕方なく嫌々ですけど背に腹は替えられないのであげます」
「……!?」
「二口、お前、それはいくらなんでも……。」
「むしろどうしてそんなに鎌ちを嫌って……。」
「さすがの鎌先だって、そこまで言われたら……。」
「よし、その条件で乗った」
「鎌ちいいの!?」
カードを引いた一年生以外からもチョコレートを渡されたらしい笹谷も加わって呆れていたが、鎌先は実にいい笑顔で頷く。むしろ、驚く茂庭たちに不思議そうだ。
「だって、小原からはちゃんとしたのがもらえるし、ついでに二口からも別にもらえるなら、青根のは残念だけど差し引きすればオレには得だろ?」
「うん、まあ……そう、なのかなあ……というか、二口が個人的に買ってたチョコって、嫌がらせの類じゃないのかなあ……。」
茂庭は失礼な心配をしているが、本当にただの市販のチョコレートだ。バレンタイン用のものではなく、一口サイズの物が個別包装されている。ちなみに、買うことを昨日こっそりと提案してきたのは茂庭自身だ。どういう形であれ、鎌先が暴れるかもしれないので、全体の行事が終わってから部室ででも全員に気軽に渡せるものを用意してくれないか。金は出すとまで言われたので、さすがに二口は断った。実はもうこのチョコレートを購入しており、万一のときは流用しようと準備していただけだ。
二口が制服のポケットに手を突っ込んでいる間に、鎌先は青根と小原からカードを取り、入れ替えて渡している。これで、小原が鎌先に、青根はフリーカードなので茂庭に渡せる。
「茂庭さん、じゃあまずは、オレたちからですっ」
「……。」
「あ……ああ、うん、ありがとう……。」
ちなみに、茂庭は既に二つ持っていた。フリーカードを引いた別の一年生からも渡されたようだ。これで四つになった茂庭に対し、鎌先は小原からやっと一つ目を渡される。
「鎌先さん、オレからだと喜びはいまいちでしょうけど……?」
「そんなことないぞ、自信を持て小原!!」
「……鎌ちが散々二人を特別扱いしてるからなのにねえ」
「……自覚がなさ過ぎて、ほんとタチが悪い先輩だよな」
「そして、二口!!」
「分かってますって。つか、マジでただのコンビニ菓子ですよ、今更期待はずれとか言われても無視しますからね」
それでも構わないと手を差し出す鎌先に、二口はポケットから出したチョコレートを一つ置いた。
「二口……!!」
「……で、次は茂庭さん」
「え? オレにもくれるの?」
「それと、笹谷さん」
「いや、オレは……なんか、鎌先から余計な恨みを買いそうで遠慮したいんだが……。」
「ついでに、小原」
「いらない!! そろそろ本当に鎌先さんがこわいし!!」
「おしまい」
「……!!」
「ちょっと待て二口、おめー話が違……!?」
「鎌先さんには、ちゃんとあげたでしょ? ……他の人にあげないとは言ってないじゃないスか」
一粒ずつの安いチョコレートをもらったところで、誰も大して嬉しくはないだろう。だが、もらえないと動揺する。騙したなと暴れる鎌先に平然としている横で、空手のまま呆然と立ち尽くしている青根を心配そうに見上げてから尋ねたのは茂庭だ。
「……ああ、別にちゃんと用意してるとか?」
「……!?」
「へ? してませんよ、これだってただのおやつだって言ったじゃないですか。そもそも、なんで男がバレンタインにチョコ用意しないといけないんですか、意味分かんないし」
「……!!」
「いや、今更この伝統行事を全否定されても……というか、二口、お前本当に……?」
買っていないのかと繰り返されれば、本当に購入していない。バレンタインを意識してから買ったチョコレートは、今渡した市販のものだけだ。もちろん手作りなどもしていない。むしろ行事としては苦手な方なのだ。あまり乗り気ではないと示せば、横の動揺した雰囲気は一気に落ち込む。本当に分かりやすい。
「まあ、それぞれだしね、二口はそうなのかもしれないけど……とにかく、今日は解散にしようか。部室に荷物を置いてるヤツは、すぐに閉めちゃうから急いでね」
茂庭の言葉で、部活動としては解散になる。いまだに全員が部室を使えるわけではないので、一年生の多くは体育館に荷物を持って来ていた。二年生の半分くらいも同様だ。どうやら部室に荷物があるのは数人だけのようで、その一人である二口は体育館を消灯している茂庭へと声をかけた。
「茂庭さん、部室はオレが閉めときますよ」
「あ、そうなの? ……じゃあ、お願いするね」
「はいっ」
ちなみに青根も部室に荷物は置いたままだ。消灯を手伝って茂庭たちと共に部室へと戻り、先に帰るのを見送る。一年生で唯一鍵を渡されている二口が残りたがるのはいつものことなので、茂庭たちも不思議がってはいない。
荷物がやたら増えた茂庭と、カバンに無造作に突っ込んでいる笹谷、何故か大事そうに手に持ったまま帰る鎌先はそれぞれ対照的だ。そこに小原も加わって部室を出て行くが、大きな図体をしょんぼりさせて後に続こうとした青根に、二口は呆れた。
「……なんでお前まで帰ろうとしてんだよ」
「……!?」
思わず袖を引けば、青根のカバンがずるっと下がる。斜め掛けにしたスポーツバッグを、何故か両手で抱えていたのだ。その理由が痛いくらいに分かりつつも、青根を引き止めたことに安心したのはむしろ本人より先に帰る面々だ。
「二口、青根のことよろしくね」
「ちゃんと構ってやれよ、さっきから可哀想だから」
「というか、オレに一個くれるくらいなら、青根にあげてくれたらよかったのに……。」
「二口っ、どうしてもって言うなら笹谷から奪って返してやるからそれ青根に渡せ!?」
「自分のを返せよ、鎌先は……。」
だが本当に数が足りなかったのであれば返そうかと示す笹谷と小原に、大丈夫だと手を振って二口は見送った。
バタンと部室のドアが閉まり、静かになる。だが気配ばかりが騒々しい青根に、袖から手を離してロッカーの方へと戻る二口は端的に言っておいた。
「鍵、閉めとけ」
「……!!」
内側からはツマミを回すだけで簡単にかかる鍵だ。万が一にも誰かが忘れ物などで帰ってきたりするとまずい。あまり長居をする気はないが、いつもの習慣を指示しただけなのに、青根はやけに驚いていた。
だがそそくさを鍵をかける様を見ていれば、二口は笑ってしまう。期待しているのがあからさまだ。こちらはこんなに緊張しているのにと悔しくなっても、選んだのは二口なのだから仕方がない。
「なあ青根、オレ、さっき言ってたことは嘘じゃないんだ」
「……?」
ロッカーから自分のカバンを出し、ベンチに置く。その横に腰を下ろして手招きをすれば、青根は不思議そうにしつつも横に座った。
「すごくちっちゃいときは、母親とかからチョコもらって、嬉しかった気がする。でも、小学生も高学年くらいからは、ほんと、女子から渡されるのが大変で、お返しも面倒で、正直うんざりしてた……。」
「……。」
「相手が真摯なのは分かるんだけど、だから余計に重荷になるっていうか。将来ちゃんとした恋人とかできても、バレンタインとかもう刷り込みで嫌なイメージしかないだろうし、ましてや男のオレからあげるとか考えられねえ」
そもそも自分に『ちゃんとした』恋人ができるかは別にして、そうなるだろうという想像をしたことは本当だ。今でも、少し思っている。だがバレンタインに怯む気持ちは、去年までとは全く別だ。
「だから……これは、バレンタインじゃねえからな?」
「……?」
「さっきも言っただろ、たまたま、食べたくて、自分用のおやつとして、買っただけだからな」
「……。」
「ほんとだっての!? そうでなきゃ先輩たちにも気軽にふるまったりしないだろ!?」
「……!?」
「……だ、だから、これは、ただのお裾分けだからな? 絶対にバレンタインのとかじゃねえからな!?」
制服のポケットに入れたまま握り締めてしまっていたので、少し溶けかけている。持っただけでも柔らかくなっていると分かるチョコレートの包装は、体育館で茂庭たちにあげたものと同じだ。
なんだ、まだあったのか。
バレンタイン用でなくとも、勝手にそう思って喜ぶので欲しい。
嬉しそうに横から手を差し出す青根に対し、二口はビニルの包装を破る。
「だから、これは、バレンタインとか、関係ないんだよ。だから、先輩たちにも、あげたけど、でも……。」
「……?」
「……お前は、恋人だろ」
「……!?」
「バレンタインのじゃないし、あげるチョコはみんなと同じだ。……でも、渡し方だけ、恋人らしくしてやる」
面倒くさい思考の結論だと自分で分かっているが、それでも二口にできたのはここまでだった。
溶けかけているチョコレートを慎重に咥え、隣に座る青根へと向き直った。てっきり普通に渡されると期待して伸ばされていた手をギュッを握り、ゆっくりと顔を近づけていく。
それに、青根はかなり驚いていた。チョコレートを咥えているので言葉で説明は出来ず、とにかく受け取れと目だけ訴えるにはじっと見つめたままでなければならない。普段は途中で自然と目蓋を下ろしていたのだなと今更のように気がつきつつ、ようやく触れる頃には青根も口を開けてくれた。
「んっ……。」
「……。」
しっかりと唇を合わせた上で、舌でチョコレートを青根の口内へと押し込む。渡すという目的は果たしたので離れてもよかったのだが、離れ難い。青根もいつの間にか腰の後ろに腕を回して、ぐっと抱き寄せてくる。普段とは逆に青根の口内で舌が触れ合い、甘ったるいチョコレートを溶かしていった。
「んんっ……んぁ、ふぁ……!!」
「……。」
いつもより声が出てしまう気がすることより、時折青根がチョコレート混じりの唾液を嚥下する音がやけに耳について、恥ずかしくてたまらない。やがて固形としての感覚はなくなり、ほとんどチョコレートの味がしなくなる。それでも青根は口内でたっぷりと二口の舌を舐め、絡め取り、時々強く吸ってキスを外してくれない。痺れるような感覚は徐々に腰を疼かせ、頭がぼんやりしてきた二口だったが、思い切って青根の肩を押した。
「……?」
「……バカ、だから、ダメ……だっ、ての」
「……。」
本当に舌は痺れており、上手く言葉が紡げない。上がっていた呼吸を整えている間にも、不満そうな青根が顔を覗きこんできて、またキスしようとしてくる。
それに抵抗するために、二口はしっかりと青根に抱きついた。首筋に顔を埋めるようにすれば、キスはできない。ただ、ギュッと抱き返されると、ドキドキとうるさい鼓動がまた跳ね上がりそうになる。
「部室、だと……最後までは、ダメだって、決めただろ……。」
「……。」
また鎌先さんに幽霊扱いされてもいいのか。
いくら鎌先でもそう何度も遭遇するほど運が悪くはないだろうが、そもそも背徳感もあって二人でそう決めた。正確には、二口が提案して、青根は消極的な肯定をした。一応は聞き入れたが、あわよくば撤回させたいという、いつものパターンだ。実際にそう決めてからも、何度か部室ではしてしまっている。意志が弱い自分に呆れるのもあるが、今は別の理由もあった。
「それに……青根、どう、だった?」
「……?」
「……バレンタインの、チョコじゃ、ねえけど。でも、バレンタインデーに、オレから、もらったチョコ」
「……。」
「どう、だった……?」
あくまでバレンタインとして渡したのではない、たまたまチョコレートをあげた日がバレンタインだった。
そんな屁理屈を繰り返しつつ、慎重に尋ねれば青根はしばらく目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。
「……嬉しい」
「そっか。……じゃあ、来年は、ちゃんとしたの、あげるな?」
「……!!」
バレンタインにいい印象がないのは本当で、男があげることにも抵抗はある。だが、そんなものは青根が喜んでくれるという期待の前では、簡単に吹き飛んでしまう程度のものだ。今年躊躇ったのは、青根が欲しがってくれるのか最後まで自信がなかっただけで、情けないほどの予防線でなんとか喜ばせることができた。来年は、変なところで悩まずに渡すことができる。ほっとしてまた顔を肩に伏せようとしたところで、いきなり青根が身を捩じらせた。
「青根……?」
「……。」
もう少しうっとりしていたいと不満が漏れそうな二口も、青根がやけに必死でカバンを漁っていると言えなくなる。二口は自分の荷物を座っているベンチに置いていたが、青根は床に置いていた。大きな体を曲げて足元のカバンの中身を必死で探っている。
ジャージの奥に隠れていたのは、数日前に見かけたあの袋だ。ショッピングモールの特設売り場で、青根がレジで購入していた。声をかけると慌ててしまおうとして、間違えて二口のカバンに一度は突っ込んだものだ。
それを出そうとして、青根の手が止まる。中途半端に屈むような姿勢で固まっている。どうしたのかと横から不思議そうに覗き込めば、随分複雑そうな顔をした青根が、ぽつりと尋ねた。
「……もらう、のは」
「へ?」
あげることに、抵抗はなくなった。だから来年は二口からあげる。
そんな約束はしたが、二口がもらうのはどうなのか。女子から散々もらってうんざりしたという話が、頭の隅に残っているのだろう。母親や妹といった家族ならばまだしも、それこそ真摯な思いで渡す自分は重荷にしかならないのではないか。
カバンから半分出しておいて、青根は今更困惑している。それに、二口はもう笑ってしまいながらギュッと再び青根に抱きついた。
「……!?」
「ばーかっ……お前なら、嬉しい」
「……!!」
「……すげー嬉しいっ」
ぐりぐりと今度は胸に顔を埋めてみれば、驚いた青根は袋からパッと手を離し、両手で二口を抱き返した。だがすぐにまた慌てて片手は外し、長い手を伸ばして今度こそ袋を引っ張り出す。
レジの店員も気を遣ったのか、ピンク色でハートが全開になったようなデザインではなく、黒を貴重として赤いハートがワンポイントで入っているような袋だ。その中には、教科書くらいはありそうなサイズの箱が入っている。一度抱き返す腕を離し、肩を押して名残惜しそうに離させる青根と二口はしっかりと向かい合う。そしておずおずと両手で差し出してきたものを、二口は恭しく受け取った。
「……ありがとなっ」
「……!!」
「開けてみていいのか?」
笑顔で礼を言えば、青根もほっとしたようだ。開けることを確認すれば、何度も大きく頷いている。
他のプレゼントであればまだしも、中身がチョコレートだと分かっているのに普段であればいちいち開ける事はしない。ただ、ショッピングモールで柱のところに立ち、ぼんやりと売り場を眺めていた青根が、急に興味を持ったように買いに行ったのだ。
自分で食べるためならば好きな銘柄があったのだろうが、二口に渡すためであったのならば何がそんなに煽ったのか。単純に疑問で袋から出した二口は、まずは蓋を留めるシールを慎重に剥がした。
「……。」
「……。」
紙の包装がされていることはない。ノートパソコンのように開くタイプの箱で、一箇所だけがシールで留まっていた。その段階で、少し不思議にはなったのだ。だが中身を確認したくて一度青根が開封したのかもしれない。そんなふうに思いながら蓋を開けた二口は、そこで完全に思考が止まった。
「……。」
「……?」
箱には、ハンドタオルが丸まったものと、大きめのチョコレートが一つ収められ、上に透明のカバーが被せられていた。プレゼントがついているものも珍しくないが、問題はチョコレートの方だ。
分かりやすいほどにピンク色でハート型のチョコレートには、文字が書かれている。一瞬そういう商品なのかという想像も脳裏を掠めたが、名前まで入っているので違うのだろう。
「……青根、これって」
「……?」
今更のように、ビニルの袋が少し大きかったことを思い出す。あれは、売っている段階ではもう少し全体が大きかったためだ。今はないものが付属としてついていたとすれば、説明書や文字を書くためのチョコレートのチューブだろう。要するに、これは自作のメッセージを添えられるチョコレートのキットなのだ。全体の雰囲気からして、恋人や夫婦を対象にしたものではなく、小さな子供が母親などに宛てるものなのではないだろうか。添えられてるハンドタオルも、白いクマのイラストがやけに目立っている。それがまた青根を連想させるようで、気恥ずかしさが増したところで、いきなり青根が読み上げた。
「……すき」
「なっ……バカッ!!」
「……!?」
チョコレートに文字を書くのだ、しかも一発勝負なのであまり長い文章で冒険もできない。だからこそ、青根は簡潔に書いたのだろう。他には互いの名前しかなく、しかも何故か下の方だ。
売り場で見つけ、話すのが苦手な自分には最適だと思い、あっさりと購入する。自宅ではせっせと文字を入れて、バレンタインの当日に渡そうと嬉々として持参する。
青根の赤裸々な気持ちが本当に恥ずかしくて、二口はつい怒鳴ってしまった。それに青根は驚いており、決して嫌だという反応ではないと慌てて説明しようと顔を上げた二口は、すっと伸びてきた大きな手に頬を触られた。
「わっ……!?」
「……。」
普段は熱いくらいに感じる青根の手が、むしろ低い気がした。それは青根の手が冷えているのではなく、二口の顔が火照りすぎているのだろう。視界がやや歪みそうなのは、動揺のあまり目が潤んでしまったためだ。それがまた嫌で泣いているという誤解をされたくなくて焦るのに、青根は落ち着いたままでじっとこちらを見つめてくる。
「あ、あんまりじろじろ見んな!!」
「……?」
「……嬉しいのが、恥ずかしいんだよ、バカ」
以前ノートに書かせたものは、今でも大切にとっている。このチョコレートは、腐らせるわけにはいかないのでいずれ食べるしかないだろう。そのときに形としてのチョコレートは消えるが、そこに書かれた想いはそのまま二口の身の内に入り、吸収されていく気がする。
他の誰かが言えば随分とロマンチストだなと呆れるに違いないと自分で分かっているからこそ、二口は恥ずかしい。それなのに、嬉しい。箱ごとぎゅっと握り締めて拗ねたように言うしかない二口を、青根は両腕を回してしっかりと抱き締めた。
「ん……青根……。」
「……。」
顔を寄せられ、頬をくっつけられると自分の熱さをまた教えられるようで、恥ずかしさが増す。このままでは二口からは腕が回せないので、仕方なくチョコレートの箱は蓋をして袋に仕舞い、更に自分のカバンへと納めた。
緩く腕を回した青根はそれをじっと待ってくれる。期待されていると分かりながら今度はちゃんと腕を回すと、しっかりと抱き締めながら耳をべろりと舐められた。
「んんっ……ん、あ……。」
「……。」
感触としても、音にならない言葉としても、ぞくぞくと煽られてたまらない。キスで高められた快楽は、完全に鎮まることはなく、むしろあっさりと再び沸きあがってきた。
深く繋がりたい。青根と、もっと生々しく繋がりたい。
部室ではダメだと念を押したばかりなのに、ねだるように頬や首筋にキスをされて、二口も落とされた。
「……次、からは。ダメだから、な?」
「……。」
「んんんっ、んぁ……んん……!!」
今日はバレンタインだから、特別だ。
そう言って許可するつもりだったのに、はしゃいだ青根にすぐに唇を塞がれた。
どのみち、口にしたところで説得力はない。
バレンタインでも、そうでなくとも、どんな記念日でもそれ以外でも関係ない。青根とこうして抱き合えるのならば、いつだって特別だ。記念日を設けてメリハリをつけることを否定はしない。そういうのも嬉しい。それ以外の日も嬉しい。青根といるだけで、本当に毎日が楽しくて幸せだ。
「青根、青根……んんっ、んぁ、あ……!!」
「……。」
たった一年前は受験シーズンの真っ只中で相変わらずチョコレート責めに遭い、うんざりしていたのに、驚くほどの違いだ。
チョコレートより甘く全身が痺れるようなキスをしながら、まさぐる手がより熱を煽る。
外からも、中からも、青根に犯されるのが大好きだ。
しっかりと抱き返した二口は、今日はバレンタインだからとまた自分に言い訳をして、甘い愛撫を施す青根にもっと甘ったるい声で応えてやった。
| 鎌先さんはただ後輩に慕われたいだけの人です。 最近あとがきが鎌先さんの言い訳ばっかりだ! ロボっぽい何か |