■ラブレター





 青根がラブレターをもらった。
「……。」
「マジで!?」
「あの子、頭と視力は大丈夫か!?」
「むしろ家族人質に取られて脅されてるんじゃね!?」
「なんて可哀想な女の子なんだ……!!」
「こ、こら、みんなっ、やめなさい、騒ぐのは逆に失礼だよ……!!」
 三年生が引退した後の二学期、自分たちはレギュラーを確保した。いや、青根は五月からほぼ不動だったが、自分は対戦相手との相性でスタメンだったり、そうでなかったりした。少し遅れた感はあるものの、小原も含めて一年生のレギュラーは三人だけだ。うっかり強豪校に入ってしまって不安にもなったが、やはり杞憂だったようだ。間違っても、コートの上ではこれ以上になく頼りになるのに、それ以外では厄介で仕方がない鉄壁の中枢に張り合った結果ではない。絶対に違う。
 ともかく、この日は夏から秋に変わりかけていた時期、学校としても部活としても休日だ。だが誰が言い始めたわけでもなく、レギュラー陣はほぼ全員が自主練習に揃っていた。他の部員もいるにはいたが、どうしても会話が多いメンバーで集まりがちになる。
 だが、そろそろ日も暮れかけてきたので切り上げようかという話が出たところで、声をかけてきたのは別の一年生だ。確か、青根と同じクラスだ。他の同級生よりは青根にも耐性があるようで、やや緊張しつつもはっきりと告げる。
『あの、青根くん? 正門のところでね、他校の女子が練習終わってそうなら呼んできてほしいって頼まれたんだけど、どうかな?』
『……?』
『……他校の女が青根のこと呼び出してるんだってよ、行ってこい』
『……!!』
 ただ、青根のクラスメートは言い方が遠回しすぎた。あるいは、通常の会話すぎた。世の中のほとんどの人は、その言い方でも主旨は伝わるだろう。だが、青根は基本的に肯定と否定、懐疑しか示さないため、イエスとノーで答えられない尋ね方は一番面食らう。このときも案の定首を傾げていたので、端的に言い直してやってから背中を叩く。やっと理解できたらしい青根は、大きく頷いた後、また首を傾げたが、とにかくジャージのままで正門へと走って行った。
 それを見送った直後、練習メニューなどを話していたはずのレギュラー陣が一斉に走り出す。ダッシュ練習でも見たことがない俊敏さだ。少し悩んだが、後からのんびりと歩いていくことにした。青根が女子に呼び出されるという珍事だ、興味がわかないわけではない。
 実は他校に通う姉妹ではないか、あるいは女装した他校のスパイでいきなり刺されたりするのではないか。
 誰もがそんな想像をしただろう。正直、自分もそう考えた。
 だが正門で待っていたのは、遠目でも私服姿のかなり可愛い女の子だ。高校生くらいだろう。真面目そうで清楚な外見は、やや俯いているので長い黒髪が顔を隠すように流れる。身長差がありすぎるため、もし警官でも通りがかれば青根は確実に恐喝の疑いで職務質問されるだろう。
 のん気なことを考えているうちに、その女子は勇気を振り絞ってという感じで、手紙らしきものを差し出した。青根は驚いて受け取る。すると女子はくるりと踵を返し、走り去った。呆然と見送る青根は、まるでUFOにでも遭遇したかのような困惑ぷりだ。
 しばらく女子が走って行った方向を眺めてから、途方に暮れたように手元の手紙を見下ろす。どうやら、開けて読むという行動には考えが至らないらしい。ひたすら混乱し続ける青根を眺めているのも退屈になったので、全員でぞろぞろと木陰から出て声をかけてみれば、その封筒はあからさまにラブレターだった。
「そうっスよ、キャプテンの言うとおり、今時手紙の一通や二通や三通や四通やそれ以上でも騒ぐことじゃないでしょ」
 ただ、盛り上がる周りに対し、自分は少し予防線を張った。スポーツをしていると、たとえそれが学生であっても、優秀なプレイヤーにはファンがつくものだ。恋文というより、ファンレターや激励に近い手紙をもらうことはさほど珍しくない。青根は実力だけならば伊達工業バレー部において最もその可能性がある。外見が一般的には恐怖の対象となるため、特に女性の応援は得られないだろうというのは、勝手な思い込みだ。この広い世の中、どんな趣味の女がいるか分からない。
「いや、騒ぐことだろ、だってこの青根が、だぞ?」
「でもラブレターって確定したわけじゃないし、まあそうだったとしても小学生じゃないんだし、いちいち騒ぐほどのことじゃないっスよ」
 実力だけでなく、外見も含めた総合的な意味では、一番ファンレターもどきをもらってもおかしくないのはこの鎌先だと思うのだが、この発言ではどうやらそんな体験はないらしい。そう想像したのが顔に出ていたのか、鎌先はやたらつっかかってくる。
「余裕ぶってんじゃねえよ、おめーだって驚いただろうがっ」
「驚きましたけど、先輩たちほどじゃないっスよ」
「嘘つくな、あっ、実は自分より先に青根が手紙もらったのが悔しいんだろ?」
「悔しくないですよ、手紙なんて飽きるほどもらってるし」
「見栄張るな!!」
「先輩こそ、なんでそんなに疑うんですか。ああ、自分がもらったことないから、信じられないみたいな?」
「二口っ、前々から思ってたがおめーのその口の悪さを……!!」
「ややややめろって!? 鎌ちも、二口も!! おい青根っ、止め……ああああっ、今はダメだった!!」
 頭を抱えるキャプテンの茂庭の言葉で気がついたが、青根はまだ手紙を持ったまま呆然としていた。よほど、衝撃的な出来事だったらしい。これだけしゃべらない青根なので、まさに家族以外の女性と話したのは数年ぶりなのかもしれない。女慣れしていないというレベルではない。若干同情的にもなったが、ふと視線を上げた青根が、いきなり手紙を突き出してきた。
「あ? ……ダメだっての、お前がもらったんだろ、お前が開けろよ」
「……!!」
「読んでみて、それでも意味が分からなかったら、解説してやるから。まずはお前が読め、それが礼儀ってもんだ」
「……。」
 ラブレターにしろ、ファンレターにしろ、まずはもらった当人が目を通さなければ失礼だろう。
 真っ当な指摘をすれば、青根は覚悟を決めたように一度大きく頷いた。鎌先は、二口がまともなこと言ってると何故か引いていた。他の面々は、さすがは名通訳と褒めてくれていたが、嬉しくなかった。
 ともかく、開けてみろと視線で促せば、青根はたどたどしい手つきで封筒の端を破り始める。青根が持つと封筒が随分小さく見えると感心している場合ではない。それでは、中の便箋まで破ってしまいそうだ。だが軽い糊付けを剥がすという閃きはないようで、青根はあっという間に封筒の一辺を千切ってしまう。
 幸いにして、取り出された便箋は破れなかったようだ。だが青根が持つ便箋は、裏面でもピンク色でハート柄が散っていた。文字が書いてある表側は、もっと凄いのかもしれない。読み進めている青根の表情は、どんなにきつい練習でも見たことがないくらい険しくなっていった。
 それほど、衝撃的な内容なのか。
 それとも、難しい漢字が多くて、読めないのだろうか。
「……。」
「……で、結局理解できないんだな?」
「おいっ、二口何が書いてあるんだ!?」
「せめてラブレターなのかどうかくらい教えろ!!」
 本当に彫刻のように固まったと思っていると、困惑しきった顔で青根は便箋を差し出してきた。やはり読めないらしい。受け取りはしたが、やや離れた場所で先輩たちは急かしてくる。覗き込んだりはしない。一応、ラブレターだったときのことを警戒して、配慮、または保身に走ったようだ。
「ちょっと待ってくださいよ、今読んでますから……。」
 結論を急がせる先輩たちにはそう返したが、実は受け取った瞬間には、もう答えは出ていた。
 間違いなく、ラブレターだ。
 便箋に視線を落としただけで、精一杯可愛く写ろうとした努力が見えるプリクラと、携帯電話の番号、メールアドレスがあった。念のため文章を読み進めれば、想像どおりの内容だ。
 大会で、伊達工業の試合を見たらしい。
 そこで、活躍していた青根に惚れた。
 学校は違い、学年は一つ上だが、それでもよければ付き合ってほしい。
 返事は携帯電話か、明日も同じ時間に来るのでそのときに欲しいというものだ。ちなみに、明日も休日で、練習はない。だが自主練習はあり、そもそもはそのメニューを決めていたところだった。青根は何故か携帯電話を持っていないので、返事は明日直接するしかないだろう。そうなれば、野次馬で先輩たちも必ず来るに違いない。そこまで想像したところで、強い視線に気がついた。
「……。」
「……お前のこと好きだから、付き合ってほしいんだとよ」
「や、やっぱりそうなのか!? くそっ、なんで青根がモテるんだ……!!」
「信じられねえ、羨ましすぎる……!!」
「こんな奇跡が起きていいのかよ……!!」
「だ、だから、お前たちっ、青根にもあの子にも失礼だからやめなさい……!!」
 端的に青根に説明すれば、やけに目を見開いて驚かれた。さほど難しい言い回しはなく、シンプルで、直接的な文章だ。青根でも分かりやすかっただろう。あるいは、この程度の漢字も読めないのかと、違う理由を想像して呆れている間に、鎌先を始めとした面々は頭を抱えていた。茂庭だけが止めている。
 それを眺めながら、便箋を青根へと返しておく。どうしてだか、長く持っていたくない。
「青根、ケータイ持ってないから、連絡しようがないだろ? 明日来た時に断ってやれよ」
「……。」
 携帯電話に関しては、どうせ話すのは苦手だからと、必要性を感じていなかったらしい。だが、周りからすれば話さないからこそ持ってほしい。携帯電話にはメール機能というものがあるのだと、現在バレー部を挙げて説得中だ。
 だから返事は明日するしかないと諭しつつ、さり気なく諾否についても決めておく。あまり深く考えていないのか、青根は大きく頷いた。それに安堵しかけたところで、お節介な周囲がいきなり割り込んできた。
「なんで断るんだっ、青根!? もったいないだろ、すげー可愛かったじゃねえか!!」
「……!?」
「そうだそうだっ、これから先、あんな可愛い子と巡り会うなんてないかもしれないんだぜ!?」
「……。」
「それどころか女性と付き合える最後のチャンスになるかもしれないのに!!」
「こ、こらっ、みんな、それはさすがに言いすぎ……!!」
「……青根に付き合う気がないんなら、断るのが妥当じゃないっスかね。無理して付き合って負担になってもあれだし、そもそも青根は女に興味なさそうだし」
 周りがやけに煽るので、不覚にも少し焦った。前半だけなら正論だ、あるいは部活に支障が出るという意見ならマシだったかもしれない。だが最後に付け足したのは、完全なる憶測だ。年頃の男ばかりが集まっているのだ、猥談にならないわけがない。ただ、青根に関してはひたすら無言なので、話をふってくることはない。こちらからふることもないため、なんとなく、そういう話題になったことはないので勝手なイメージがあった。
 それは、他の面々も多かれ少なかれ同じだったようだ。また困惑し始めた青根を囲むようにして首を傾げる。
「……?」
「そうだよな、青根から女子の話題とか、出たことないよな……。」
「教室でもそんな話してるの、というか、話してるの、見たことないですし……。」
「部室でエロ本見てたときも素通りだったし……。」
「待て待ってくれその話はなんだオレは知らないぞもっとエロ本とやらについて詳しく」
「でもオレのクラスの女子も、青根のこと可愛いって言ってたなあ」
 鎌先が別の話題に食いついたところで、キャプテンの茂庭から意外な発言がなされる。
 茂庭も二年生のA組で、唯一女子がいるクラスだ。どうやら、そのクラスメートからそんな話題が出たらしい。驚愕で固まる他の面々と違い、ついまた余計なことを言ってしまう。
「……青根って、年上にモテるんスかね」
「あれ、さっきの子も年上だった?」
 茂庭に聞き返され、失言だと気が付いたが、もう遅い。新しい情報で俄然として意気を取り戻した鎌先が、何故かこちらの肩に手を置いた。
「よし、二口が女性の魅力を教えてやれ」
「オレが女に見えてるんですか、視力の心配をすべきは先輩の方じゃないんですか」
「そうじゃねえよっ、おめーは経験豊富なんだろ!? 手紙とかもらい放題、女も選び放題だったんだろっ、このイケメンが!!」
「罵るのか褒め殺すのがどっちかにしてもらいたいんですけど、確かにオレは手紙とか告白とか結構されましたけど、でも」
「うおおおおおおお!! 聞いたかみんなっ、格好いい二口サマが純情な青根に女のすべてを教えてやるってよコンチクショウ!!」
 もう少し落ち着いたら鎌先さんも彼女くらいすぐできますよ。 
 健気な後輩としての助言は、鬱陶しいほどの叫び声でかき消されてしまった。やや呆然としている間に、鎌先の手が外れた肩を、またポンと叩かれる。
「……二口、すまん。鎌ちがああなったら、止められないんだ。ここはイケメン税として、青根に女性の素晴らしさを伝えてやってくれよな、頼む」
 神妙な顔の茂庭には、そもそも鎌先を暴走させた最後の原因が分かっていないのかもしれない。分かっていての発言なら、逆に戦慄する。
 ともかく、鎌先以外も大きく頷いており、逃げられそうにない。仕方なくため息をついてみたが、あの女子への返答は明日なのだ。それまでに、女性の魅力とやらを教えなければならないらしい。知った上で断るならばいいが、知らないのに適当に断るのはいずれ後悔するという親切心ではあるのだろう。自分にとっては、迷惑なことこの上ないが。
「ああ、まあ、果てしなく面倒くさいですけど、分かりました。なんとかしてみます」
「二口……!!」
「青根のこと、頼むな……!!」
「……あっさり請け負われると、それはそれでムカツクな」
「もう、鎌ちはいい加減にしろよっ。……じゃあ二口、よろしくな?」
 さあ解散だとばかりに、まだ着替えもしていない面々は正門から部室へと向かっていく。結局のところ、やはりただの野次馬だ。自分だけが被害者だとため息をついたが、よく考えればもっと被害者で、且つ当事者がいる。
「……青根」
「……!?」
「お前、これから用とかあるか? ないならウチに来いよ、何かやっとかねえと明日鎌先さんがうるさそうだし」
「……!!」
 口裏を合わせろと言えば、青根は頷くだろう。通訳として期待しているからか、割と自分の言うことはきいてくれる。ただ、嘘が苦手なので、どうせばれる気がした。そこでまた面倒な話になるくらいなら、最初から実行しておいた方がいい。
 いつものように深く考えずにそう言えば、青根は何故か大きく息を飲んでから、ブンブンと何度も頷いた。どうやら時間はあるらしい。そこは素直に助かるが、一緒に部室に向かいつつ不信感も募る。
「……なあ、お前なんか嬉しそうじゃねえか」
「……!?」
 こう見えて、やはり意外と女性に興味があったのか。
 裏切られたような、物珍しいような、何より妙な不安が沸いてきて、驚いた青根が縦と横どちらに首を振るのか、確認せずに先へと足を進めた。
 なんとなく、苛々する。
 青根が握り締めたままの手紙を、早く手放してほしいと、何故か願っていた。
 

 

 高校に入ってから、友人を家に呼んだことはない。まだ入学して半年ということもあるが、中学の頃よりも更に部活中心の生活となり、普通に遊ぶということがまずなくなったためだ。
「気楽に上がれよ、どうせ今日は親もいないし」
「……!?」
「連休中で、ちょうどよかったよな。オレ置いて、みんなで旅行に行ってんだよ」
 家族仲は別に悪くないので、少しくらいは寂しくもある。だが大半は、これで思いきり練習ができると喜んだ。連休中の食費などももらっているし、一年生でレギュラーになれたことを両親も素直に喜んで、応援してくれている。そんな部活のチームメイトをつれてくることくらい、今は不在の両親も怒ったりはしないだろう。
 玄関で、おそらくは『お邪魔します』と言えなくてパニックになりかけていた青根に、二口は不要だと伝えておく。さっさと自分は廊下へと上がり、来客用のスリッパは出してやったが、青根は入るだろうか。身長だけでなく、足もでかい。無理をすれば入りそうだったが、だいぶ形が変形しそうなスリッパを見下ろして青根がまた困惑していたので、気にしないなら履かなくていいとしまっておいた。
「誰もいないし、普通はリビングで寛いで、て、なるんだろうけど。今日はオレの部屋でいいよな」
「……!!」
 少しだけ廊下で待たせておいて、ジャージなどを洗濯機に放り込んでおいた。休日なので私服も同然で登校し、部室でジャージに着替えた。他の者もそうしていたが、唯一ジャージでそのまま来たのは青根だ。おかげで若干汗臭いが、あまり気にならないのは慣れてしまったからかもしれない。
 洗濯物を片付けてから、軽くなったカバンを背負い、冷蔵庫からペットボトルを出す。
「これ、持て」
「……。」
「オレはコップ持ってくから、そこの階段、先に上がってろ」
 言う前に気を回して手を出すようなことはない。だが、頼めば青根はまず断らない。麦茶のペットボトルを持たせ、先に階段を昇らせた。突き当たりで迷っているので、後ろから声をかけておく。
「左の部屋だ。で、ドア開けてすぐ左側にスイッチがあるから、それ押して明かりつけろ」
「……。」
 青根はすぐに左にある二口の私室に向かい、ドアを開けて、明かりをつけた。だが一歩入ったところで、止まっている。きっと友達の部屋などに招かれたことがなくて、戸惑っているのだろうと思った。部屋はそれなりに片付けてあるし、見られて恥ずかしいようなものもない。物置代わりになっている小さなテーブルの前には申し訳程度の座布団があり、そこに座れと遅れて言いかけて、二口は言葉が途切れた。
「青根、もっと奥に入って適当に座っ……!?」
「……。」
 どうすればいいのか分からなくて、静かにおろおろしていると思っていた青根は、じっとある一点を見つめていた。
 すっかり忘れていたが、二口の部屋は入って正面になる場所に、ガラス戸付きのややしっかりした本棚がある。蔵書というより、古いアルバムや懐かしい雑誌など、頻繁に読むことがないものが仕舞われている。この部屋は以前、父親が書斎として使っていたので、半分は父親のよく分からない書類などだ。滅多に開けることがないため、二口にとってこの本棚は倉庫のようなイメージで、認識が薄かった。アルバムを入れているためか、かつて引退の記念に撮った集合写真を飾るようにして本の手前に置いていたことなど、すっかり忘れていた。
「……な、なんだよ、別に珍しくないだろ? オレだって中学のときもバレーやってたんだし」
「……。」
 一年ほど前の写真を、何故か青根が睨みつけるようにして見ていた。
 中学時代のものなので、ユニフォームは当然違う。写っている他のメンバーは、誰一人伊達工業には進学していない。物珍しさなど、あってないようなものだ。そう思うのに、真剣すぎる瞳にぞわりと嫌な予感がした。
 気づいたわけではない。きっと、覚えてなどいない。
 本当は、あのユニフォームを着ていた頃に、やはり今とは別のユニフォームだった青根と会ったことがある。
 もちろん、コートの上で、ネット越しだ。名前や顔、噂話ならば、知識として知ることはできる。だが絶望すら感じるあのブロックを鮮明に脳裏に描けたのは、実体験があったからだ。
「ほら、今日はオレの写真を見にきたわけじゃないだろ? いいから、そっち座れって?」
「……。」
 立ち尽くしている青根に持たせたペットボトルを強引に奪い取れば、ハッとしたようにやっと顔を向けてくる。
 気の所為でなければ、何かを言いたそうだ。だが察する気にもなれなくて、視線を逸らしてとにかく座るように促せば、青根はやっと部屋の奥に進んで薄っぺらい座布団に腰を下ろしてくれた。
 それにほっとしつつ、部屋の隅にカバンを下ろし、ドアを閉める。誰が来るはずもないと分かっていても、これからのことを思えばやはり落ち着かない。物が大量に乗っている小さなテーブルになんとか隙間を作り、二つのコップを置き、ペットボトルから麦茶を注いだ。
「ペットボトルはここに置いとくから、飲みたくなったら適当に注げよ」
「……。」
 大きく頷いた青根はいつもの様子で、少しほっとした。先ほどまで写真を睨んでいた気迫はない。
 やはり気づかなかったのだろう。そう思えば安堵するのに、悔しくもなってくる。だが気づかれれば、気づかれたで、どうして初対面のとき知らないふりをしたのか追及されそうだ。いや、中学時代の対戦は忘れていたと言い張ればいいのだが、そもそも青根も覚えているのか怪しい。
 きっと、さっきのは単に物珍しくて見入ってしまっただけだ。
 そう自分に言い聞かせた二口は、取り敢えず今日の目的を果たすため、学習机の裏へと手を伸ばした。
「……?」
「……あった、あった。ちょうど借りっぱなしになっといて、よかったよな」
 自ら購入するには年齢も懐も足りないが、持っている者は持っているものだ。二口も別に女性に興味がないわけではない。人並みに性欲はある、と、思っている。バレー部員ではなく、クラスメートから借りたDVDを、返し損ねていた。それを手にして青根へと向き直れば、不思議そうにしていた顔が、徐々に引き攣っていくのが少し楽しい。
「今日は、何しにここに来たんだ? 鎌先さんが言ってたよな? お前に、女の魅力を教えろって?」
「……!!」
「けど、オレは女じゃねえし、ここに女を呼べるわけでもない。それなら……これしか、ないよな?」
「……!!」
「大丈夫、これ結構いいやつだから? 絶対抜けるって、オレが保証する」
 にこやかに諭してポンと肩に手を置けば、やけにビクッと反応された。いつも泰然自若、あるいは傍若無人としている青根が、やや逃げ腰になっている。だが、逃がすつもりはない。先輩たちに約束したからという理由は一割にも満たない。ここまで動揺を見せる青根に、もっと意地悪がしたくなった。
「抜くのが恥ずかしいなら、一人で見るか?」
「……!?」
「ああ、でもそれだと、ちゃんと見たのか確認できないよな。……やっぱり、オレの前で抜けよ」
「……。」
 動揺しすぎた青根は、残酷な命令を告げればどこか遠い目をした。諦めがついたらしい。素直なのはいいことだと気を良くて、二口は本来高校生が見てはいけないDVDをセットし始めた。
 この部屋にもテレビはあるが、モニター代わりだ。元々はゲームをするために置いていたが、今では部活が忙しくてそのゲームをする暇はない。ただゲーム機は繋いであるし、DVDなどのプレイヤーとしても使える。電源を入れて準備をしつつ二口は一応尋ねておいた。
「なあ、青根って経験あんのか?」
「……?」
「……ないよな、その調子だと。じゃあ付き合ったことは?」
「……。」
「付き合ってなくても、キスとか、そういうのは?」
 勢いよく首を横に振っている青根には、また気分が浮上した。ちょうどDVDの再生が始まり、制作会社のロゴなどが映し出される。冒頭のインタビューなどは飛ばそうと思い、パッケージを確認したところで、気が付いた。
 何故かすっかり忘れていたが、この女優は長い黒髪だ。顔もスタイルも似つかないが、ただそれだけで手紙を渡してきた他校の女子を思い出してしまい、せっかく良くなっていた気分が下降する。それがまた不可解で苛々し始めた二口は、敢えて別のDVDに替えることなく、再生を続けた。
「こういうこと、興味がないわけじゃないんだろ?」
「……。」
 早送りをしたので、ちょうどいやらしいことが始まった辺りだ。ベッドに腰掛けた女優の胸を男優が揉んだり、キスしたりしている。少しわざとらしい喘ぎ声がテレビから響く中で、二口は場所を移動し、青根に画面が見やすくしてやった。
「してみたいとか、思わねえの?」
「……。」
「手紙くれた子、可愛かったよな。……付き合ったら、こういうこと、できるかもしれねえぞ?」
 簡単にヤらせてくれるかは人によるとしか言えないが、可能性は低くないだろう。男子高校生として、付き合っている可愛い彼女がいれば、こういうことを期待するのは自然な現象だ。
 煽るように言ってみるが、青根は反応しない。積極的な肯定ではないが、否定しない以上は頷いたも同然だ。つまり、相手があの女子かは別として、こういうことはしたいのだ。そう思うと、また面白くない気持ちが湧いた。青根に特等席で鑑賞させるという名目で、少し後ろに座っていたのを幸いとして、二口はこっそりとため息をつく。初めて見たときは随分と興奮したのに、今はむしろ画面の中で喘いでいる女優に腹が立って仕方がない。
「なあ青根、お前、どんな子がタイプ? 胸が大きい方がいい? 小さい方がいい?」
「……。」
 テレビに映し出される女優は、もう胸をはだけさせていた。かなり大きい方だろう。変に冷静な分析をしてしまうのは、青根の反応がなさすぎてつまらないからだと二口は思った。不愉快な気分を紛らわそうと質問を重ねてみるが、相変わらず返事はない。
「身長とかは? お前、でっかいもんな。差がありすぎてもあれだし、やっぱ高身長の子がいいのか?」
「……。」
「清楚な感じと、ギャルっぽいのだったら、どっちがいい? 話しやすいのは、断然ギャル系だけどなー」
「……。」
「あと、年上と年下だったら、どっちが好み?」
「……。」
「あのなあっ、せっかくオレが女性に免疫がなさすぎるお前にいろいろ教えてやってんだろ、ちょっとは答えろ。……おい、青根?」
 やはり、返事はない。
 だが確実に変化があった。やけに息が荒いし、姿勢も俯きがちになっている。画面ではやっと女優が下着を脱がされたところで、本番までは長そうだ。それでも、モザイクがかかっていても普通は興味津々になるものではないのだろうか。完全に下を向いて画面を見ていない青根に、脱落するにしても早すぎだろうと呆れながら後ろに回った二口は、親切半分と、からかい半分で、そっと両手を伸ばしてみた。
「……!?」
「ほらっ、ちゃんと顔上げて見てろ!! ……ん?」
 胡坐をかくようにして座っている青根に、後ろから伸ばした手で両頬の辺りをガシッとつかみ、無理に上げさせる。もちろん、視線をテレビに向けさせるのが目的だ。
 だが触れた熱さに、二口は首を傾げる。青根は体温も高そうだが、そうにしても普通ではない。
「なんだこの熱さ、一瞬で風邪でも引いたのか?」
「……。」
「……それとも、興奮してるだけか?」
「……!?」
「あ、マジでそうなのか」
 風邪かと言いつつ、片手を外してみれば、やけに顔が赤くなっているので予想はついていた。だがより直接的に確かめるべく、顔から離した方の手をそっと腰へと伸ばす。触れる事に躊躇がなかったわけではないが、ジャージの上からだし、何より好奇心が勝る。抵抗されてすぐに腕を外されることも想定し、いきなり強めに掴んでみれば、硬くなっている感触に複雑な動揺がした。
 予想外のことすぎたのか、焦っている青根は腕を外してこようとはしない。ひたすら、うろたえている。それをいいことによりしっかりと手で形が分かるように撫でてやれば、青根がまた息を飲むのが分かる。
「なんだよ、硬派な顔してても、ちゃっかり勃ってんじゃねえか」
「……!!」
「ああいうの見て、してみたいとか思ったんだろ?」
 後ろから圧し掛かるようにして体重をかけ、肩に顎を乗せるようにして耳元でそう囁く。顔に添えた手は頬から顎へとずらし、再びしっかりとテレビへと向けさせた。指摘すれば、布越しでも足の間のモノがびくびくと震えたのが分かる。画面ではすっかり裸になった男女が、挿入前の戯れのようにキスに興じていた。
 興奮させるために見せたのに、実際に興奮されると腹が立つ。
 腹が立つから意地悪をしているのに、それがより興奮を煽る方向だというのは、自分でもよく分からない。
 とにかく、二口もまた感情が昂ぶっていたことだけは確かだ。そうでなければ、平然と、むしろ積極的に、服の上からとはいえ男のモノを扱くような真似はできるはずがない。
「手紙くれた子、可愛かったよなあ? ……お前、あの子と、ああいうことすんのか」
「……!?」
 肩に乗せていた顔は引き、代わりに青根の顎に添えていた手でぐいっと後ろを向かせた。肩越しに、久しぶりに視線が絡む。顔の紅潮で予想もしていたが、青根は少し涙目になっていた。息もだいぶ荒い。試合や練習で上がる息とは、明らかに違う。
「だから、したいのかって訊いてんだよ」
「……。」
「この口は、やっぱ飾りなのか? んー?」
「……!?」
 真一文字には結んでいないが、薄く開かれた唇も、呼吸に使うだけで言葉を発することはない。今はそれが無性にむかついて、顎に添えていた指で唇を引っかくようにした後、口内へと捻じ込んだ。
 固い歯と、生温かい舌が指先へと触れる。当たり前だが、言葉を発するのに何の不足もない。無理に口を開かせたためか、浅い呼吸を繰り返す喉が鳴ったのが、やけに大きく響いて嗜虐心を煽られた。
「どうなんだよ、青根……。」
「……ん……あ……!!」
「……したいんだろ?」
 そしてもう一度耳元で囁いたとき、青根がギュッと目を閉じたのは分かった。
「え? ……おわっ!?」
 口も閉じられそうになったが、指に歯が当たったところで、ハッと開かれ、手首を捕まれて強引に外された。ついでに、股間を撫でていた手も離させられる。少し遅かったくらいで、この抵抗は予想ができていた。それでも二口が驚いたのは、両手を掴むようにしたままで器用に体を反転させた青根が、ぐっと近づいてきたためだ。
 反射的に身を引こうとして、バランスを崩し、後ろ向きに倒れた。部屋は比較的広いので、この身長でも壁に頭をぶつけることはない。ただ、床にはぶつけた。痛みと衝撃への驚きが過ぎた二口の目に飛び込んできたのは、今まで見たことがないほど複雑な表情をした青根だ。
「……。」
「あお、ね……?」
 画面の中では本番に入ったのか、女優の甲高い声が響いている。だが二口の耳に届くのは、覆いかぶさるような格好で見下ろしてくる青根の荒い息遣いだけだ。
 顔は赤く、目も潤んでいる。息の荒さからも、興奮状態を抜けてはいない。触って確かめられはしないが、ジャージの下で猛った剛直は、もうはちきれそうになっているのだろう。
「青根、どうしたんだ……?」
「……。」
「なんだよ、何が言いたいんだ……?」
「……。」
 それなのに、表情はひどく苦しそうで、到底快楽に浸っている様子はない。
 青根は、何がそんなにつらいのだろう。いつものことだが、言葉にしてくれないので二口には分からない。きっと、また自分が勝手に想像して、確かめられないまま不満を鬱積させるだけだ。そうどこかで諦めていたのに、もどかしげに動いた唇は、珍しくかすれた言葉を紡いだ。
「……した、い」
「へ? ……んんんっ!?」
 何がしたいのかと、尋ねる余裕はなかった。久しぶりの声の余韻に揺さぶれられたところで、もっと大きな混乱が押し寄せる。
 青根に、唇を塞がれた。
 手などではない、ちゃんと唇で唇を合わせている。一般的に、これはキスというものではないのだろうか。衝撃の大きさと、純粋な酸欠で、やけにゆっくりと思考が至った二口は、そこで何かを言おうとして開いた口から舌を差し込まれて再び混乱に落ちる。
「んんっ、んぁ……あ、あお、ね……こらっ、だから、おまえ……んんっ……!!」
「……。」
 なんとか理性を取り戻したくて、貪れるようなキスの合間に、必死で抗った。
 嫌だったのかと言われれば、嫌だった。なにしろ、あの女子とアダルトDVDのようなことがしたいのかと尋ねて、したいと答えられたのだ。それならば明日交際承諾の返事をしてあの女子にすればいいのに、まるで練習台にでもされているようで腹が立つ。かといって、明日あの女子と青根がこういうキスをするのかと思えば、それも腹が立って仕方がない。
 とにかく、不愉快で、不可解で、不平等で許せない。
 どうして自分がこんな思いをしなければならないのかと、理不尽で哀しくなったとき、無意識のうちに暴れていたようだ。
「このっ、バカ……んんっ、ん、んぁっ……ア……!!」
「……。」
「……い、いい加減にしろよっ、バカ!!」
「……!?」
「……青根?」
 それでも、蹴り上げるような真似はしなかった。たとえ混乱はしていても、怪我をさせる気はなかったからだ。圧し掛かってくる自分より大きな体を押し返そうとして、腕だけでは無理だったので、足も使った。膝で押し上げるつもりが、うっかり股間に入ったのは、決してわざとではない。
 膝蹴りを食らって痛みで、萎縮したわけではない。そもそも膝で蹴ったと表現するほどの勢いはなかった。それでも青根には結構な刺激になったのだろう。驚いて体を硬直させた後、深く息を吐き、弛緩させる。だが顔は苦痛から絶望に移っていくようで、ようやくどいてくれた動きのぎこちなさで、二口もなんとなく分かってしまった。
「……もしかして、出しちまった?」
「……!!」
 何故か座布団に正座しようとしていた青根に確認してみれば、肩を震わせ、唇も血が出そうなほど噛み締めた。それだけで、肯定だと分かる。男ならば情けないし、何より気まずくてしょうがない。相変わらず喘いでいるDVDを止めて、二口は居心地の悪い沈黙をなんとかしようと試みた。
「いや、仕方ないって、男ならそういうときもある、気にするなよ、な?」
「……。」
「あー……えっと、そうだ、着替えたいよな? シャワー浴びて来いよ、その間に洗濯機にかけといてやるし、今日はオレの服貸してやる。たぶん着れるだろ?」
「……。」
「で、今日はオレの服で帰って、明日はオレが朝洗っといたのを渡してやる。それでいいよな?」
「……。」
 非常に現実的な提案だと思うのだが、青根は俯いたまま答えない。もちろん、少し前に俯いていたときとは理由は違う。
 紅潮していた顔は驚くほど鮮やかに青褪め、寒くもないのに少し体が震えている。試合に限らず、青根は普段からかなり視野が狭い。良く言えば集中力があり、悪く言えばすぐ周りが見えなくなる。今も、おそらく初めて見たアダルトDVDで、興奮がおかしな行動に転化しただけだろう。いわば被害者は自分の方なのに、より青根の方が傷ついているように見えて、なんだか虚しくなった。あれほど感じていた腹立たしさすら、通り越した気がする。だがその不満をぶつけたくとも、この青根には憚られた。
 端的に言えば、これ以上責めると泣かれそうだった。
「青根、風呂場に案内すっから? 一階だから、立って、歩けるよな?」
「……。」
 少しだけ、後ろめたさもあった。先輩に唆されたのは口実で、大半は単純に二口が知りたかっただけだ。
 ああいう映像を見せると、青根はどう反応するのだろうか。
 だが結果的には、性的な知識もほとんどない小学生くらいの男の子に早熟すぎる悪戯を仕掛けてしまったような居心地の悪さがある。えてして、そんなことをした大人は、その子供から生理的な嫌悪感を抱かれるだろう。やや心配にもなったが、素直に立ち上がろうとしている青根にはほっとした。
 冷静になれば、青根も気づくはずだ。通訳として、二口は部活にいてもらわなければ困る。原因は二口が作ったようなものであり、お互い様で、謝る必要もない。そんなふうに考えているのだと想像すると、また腹立たしさがぶり返してきた。
「……まあでも、これで、お前も女性の魅力ってやつが分かっただろ」
「……!?」
「明日、どうすんだ? 手紙の子と付き合うのか?」
 皮肉というほどの嫌味はなく、多くは素直な感想と、純粋な疑問だ。
 おそらく、青根は今まで単に機会も免疫もなかっただけで、性欲がないわけではない。むしろ、一度火がつくと手がつけられないようなタイプのような気がする。それは日常生活では厄介なのに、試合中だけは頼もしくなるのと似ている気がする。
 付き合うのは厄介だろうが、愛があれば乗りきれるだろう。そこまでの度量があの女子にあるのかは分からないが、そこは期待するしかない。もう諦めようと無意識に深いため息をついた二口は、青根が必死になって首を横に振っているのに気が付くのが遅れた。
「……あれ、付き合わないのか?」
「……。」
「そうなのか、可愛いのに勿体無いよな。まあ、好みってのはあるし、そこは仕方ないのかもしれないけどよ」
「……。」
 残念そうに言ってみたが、声が弾むのを隠すのに苦労した。
 こういう嘘をつく青根ではないと知っているので、明日は確実に断るのだろう。そう思えば、気持ちにゆとりが出る。あの女子への客観的な評価や、同情的な言葉もすらすら溢れるのは現金すぎるが、嬉しいのだから仕方がない。
「けど、あの子も可哀想だよな。あんな可愛くて、たぶん男とか選び放題なのに、よりによって青根なんかに惚れてふられるとかさ」
「……。」
「つか、お前贅沢すぎだろ? あの子でダメなら、どういう子がタイプなんだよ」
 胸の大きさや身長、系統や年齢も何一つ答えてもらえなかった。二階の部屋を出て、一階へと階段を降りながら尋ねてみても、やはり青根は答えることはない。そう思っていたので二口も特に気にはせず、風呂場に案内して使い方を教えたり、着替えを用意してやったりした。
 黙って従う青根は大人しくて、普段の印象とあまり変わらない。
 いくら血迷ったとはいえ、あんなふうに押し倒してきたのとは別人のようだ。
 だが蒸し返せば泣かれそうだったので、二口もぐっと堪えておく。それでも、青根がシャワーを浴び始め、リビングに一人になったとき、まるであれが夢でなかったことを確かめるように何度も指で唇を擦ってしまった。
 



 翌日、前の日よりは少しだけ早く自主練習を切り上げて、同じ木の陰に同じメンバーで潜み、正門をうかがった。
「……。」
「……あ、なんか頭下げてやがる。やっぱ断るのか?」
「そうだろうと思ってたけど、もったいない……。」
「あんなに可愛い子なのに……。」
「断るくらいならオレに譲ってくれー!!」
「か、鎌ち、それはさすがにどうかと思うからっ、叫ばないで……!!」
 昨日は、シャワーを浴びて着替えたことで、青根も少し気持ちが切り替わったらしい。実際に断るにはどうしたらいいのかと、視線だけで訴えられた。
『そんなの、定番の断り文句でいいじゃねえか』
『……?』
『……ああ、ええと、ちょっと待ってろ』
 なんとなく自室には戻りづらくて、リビングでそんな会話をする。軽く返せばまた不思議そうにされたので、二口はソファーから立ち上がり、電話機の横にあったメモ帳とペンを持ってきた。
 どうせ、断る口上を練習しようとしても、青根はまず声を出さないのだ。それならば、一度でちゃんと言えるように、徹底的に覚えこませた方が早い。
『だから……気持ちは嬉しいですが、今は部活に専念したいので、すいません。……みたいなの』
『……。』
 読み上げながらメモ帳に書き、破って青根に渡しておいた。
 嘘ではないし、面識がないも同然の年上の相手ならば、こんな口調の方が言いやすいだろう。青根もしげしげと眺めて、感心している。どうやら気に入ってくれたらしい。大事そうにポケットにしまっていた。
 そこからは、自室でのことが嘘のように、普通に過ごせた。腹が減ってきたので二人でカップ麺を作り、録画していたバレーの国際試合を見たりする。何冊かの雑誌を広げて読んでみたりしていれば、あっという間に時間が過ぎた。洗濯からそのまま乾燥モードに設定していたおかげで、昨日のうちに青根の服も間に合う。貸していた着替えではなく、自らのジャージにまた着直して、かなり遅い時間に青根は二口の家を後にした。
 妙に帰りたがらない雰囲気は察していたので、まさか泊まりたいのかと内心で焦っていた。
 家族は不在だし、チームメイトを一人泊めるスペースくらいいくらでもある。
 ただ、気が乗らなかった。変に意識しそうで、勘弁してほしかった。しかも、そんな邪推は二口の勘違いで、余計に居たたまれなくなったのが本当につらい。
「……。」
「えっ、今手紙っぽいの渡したよな!?」
「もしかして、OKだから自分の連絡先渡したとか……!?」
「さすがっ、やるときはやる男だな、青根……!!」
「眉毛ないくせに、眉毛ないくせに……!!」
「か、鎌ちっ、落ち着いて、オレの眉毛を毟らないで……!!」
 勝手な想像で先輩たちは戦々恐々としているが、青根が携帯電話を持っていないことを忘れているのだろうか。
 呆れる反面、違う理由で二口は舌打ちする。青根が他校の女子に渡したのは、連絡先を書いたメモなどではない。明らかに、昨日二口が断り口上をメモしてやったものだ。やけに喜んでいるとあのとき思ったが、練習して伝える必要もなくなったと考えていたからだと、やっと分かる。
 メモを開き、女子ががっかりしたのが遠目でも分かる。何故か女子の方も頭を下げて、そのままとぼとぼと去って行った。それに対し、正門から戻ってくる青根は、意気揚々としている。まるで一仕事を終えて、満足と自尊に溢れているようで、余計に腹が立ったのは二口だけではないようだ。
「……おいっ、青根!! 結局どっちなんだ!!」
「……!?」
 木陰から真っ先に飛び出し、そう糾したのは鎌先だ。青根は驚いて足を止めている。ゆっくりと木陰から立ち上がった二口は、呆れたように鎌先へと返した。
「鎌先さん、そういうAかBかみたいな質問は、青根にはダメですって」
「あっ、そういやそうだったな……青根っ、断ったのか?」
「……。」
「断ったのか!!」
「……!?」
 指で差して答えを選べるような質問ならばまだいいが、言葉だけで進めたいときはどちらかに限定して尋ねなければ、青根は反応しにくい。今ならば、断ったという仮定の是非に切り替えれば、青根も頷いた。だが肯定すると鎌先がいきなり頭を抱えて叫んだので、かなり驚いたようだ。
 面食らっている間に、茂庭が穏やかにいつも爆弾を落とす。
「ああ、鎌ちはきっと、『なんであんなに可愛い子と付き合わないんだ』って、不思議がってるんだよ。オレもちょっとそう思うしね、青根的にはどうだったの?」
「……。」
「……だからキャプテン、そういう質問も」
 断った理由を尋ねているのだろうが、言い回しが若干青根には難しいし、何より是非で答えられない質問は向いていないと助言したばかりだ。窘めつつも、だからといって鎌先のように質問を厳密にされ、青根がおかしな反応をしても困る。曖昧に流させようとしたところで、昨日も聞いたばかりの声が、久しぶりに響いた。
「……かわい、かった、から」
「へ? え、可愛かったから、断ったの?」
「青根、お前、意外と女の趣味が悪いってことか……?」
 何故か今度は先輩たちから心配そうにされる青根は、不思議そうに首を傾げた。周囲には、彼女ができなかったことを労わるような、安心するような、青根の趣味を心配するような、温かい空気が漂っている。基本的には、みんな優しくて、気のいいチームメイトなのだ。
 中学時代よりもずっといい環境でバレーができることに、青根も嬉しそうだ。随分と馴染んでいる。
 だが、二口は腹が立って仕方がない。昨日の夜、自室であんなことになってからではない。青根が帰る直前に渡してきたメモのおかげで、ずっと頭の中はぐちゃぐちゃだった。




 その日は青根を慰める会だとかで、告白劇を見ていた面々と当事者で近くのファミレスに行くことになった。慰めるも何も、青根はふった側だ。だがもう口実などどうでもいいのだろう。ただ駄弁りたいのは明らかだったので、趣旨に関しては異論はない。
 既に着替えていたのでそのまま全員で向かいかけたところで、二口は足を止めた。部室に忘れ物をしたので先に行ってくれと、取って付けたような理由で集団から離れる。いつもならば、ついてきたがる青根が、行っていいものかと迷うところだ。だが今日は二口の方から腕を掴み、引き摺るようにして部室まで連れて行った。
「……お前、どういうつもりだよ」
「……?」
 不思議そうな先輩たちの目に取り繕う余裕もなく、とにかく早く青根と二人になりたかった。
 一時的に貸してもらった部室の鍵で中へと入り、青根を引きずり込んだところで内側から鍵を掛ける。そして、怪訝そうにしている青根の胸倉をぐっと掴み、睨み上げながらそう糾すが、青根はまだ不思議そうだ。分かっていない様子が、また腹立たしくて仕方がない。
 昨日、やけに帰りたがらない気がした態度は、正確には帰る前に渡したい物があったのでそわそわしていただけだったらしい。玄関まで見送り、また明日と定番の挨拶をする。そのまま出て行くと思った青根は、何故か振り返り、いきなり手を握ってきた。
『は!? ……あっ、おい、青根!?』
『……。』
 かなり驚くが、手を握るという行為そのものが目的だったわけではない。動揺したのが恥ずかしくて、わざと凄むように聞き返したときには、もう青根は手を離し、ドアを開けて今度こそ帰って行った。
 何だったのかと呆然とするが、すぐに自分の手にあるメモ用紙に気がつく。
 電話機の横にあった、断り口上を書いてやったのと同じものだ。まさかやはり断る気がなくなったので、不要だと返してきたのだろうか。玄関で焦る二口が開いて見たのは、お世辞にも綺麗とは言えない自分の字より、もっと汚い字で綴られた不可解な文字の羅列だった。
『……なんだよ、これ』
 むねはなくていい。
 せは高い。
 カッコイイかんじ。
 同い年。
「だからっ、さっきのことだよ」
「……。」
 昨日のメモを見たとき、意味がよく分からなかった。リビングに移動してからメモ帳とペンはテーブルに置きっぱなしだったし、二口はよく離れていたので青根がその隙に書くことは可能だろう。
 だが、意味が分からない。暗号というほど、高度にも思えない。いやもしかして簡単な漢字も平仮名であることに何らかの意図がと深読みしそうになったとき、急にこのメモが何なのか分かり、二口はその場にしゃがみこんでしまった。
「……言っとくけど、断るメモをあの子に渡したことじゃないからな」
「……!?」
「それは怒ってねえよ、いや怒ってないわけじゃないけど、いや怒ってるというよりかなり呆れただけだけど、あれはオレも悪かったしな。話すの苦手なお前にあんなメモ渡したら、そりゃあそのまま渡した方が早いってなるの、想像してなかったオレがバカだった」
「……。」
 断り口上のメモに関しては、言葉にした通りだ。意表を突かれはしたものの、怒るというよりまさに呆れた。しかも、その対象は青根より自分自身に対してだ。
 だから、この件に関しては不問にする。青根を責めるつもりはない。二口が糾したかったのは、告白劇が終わってから、自分たちのところに合流してからのことだ。
「お前、『可愛いから断った』て、なんだよ」
「……。」
 驚きはしたが、首を横に振ることはしない。つまり、茂庭に答えた言葉は、それで合っているのだ。
 ただ、極端に単語が足りていない。
 鎌先が面食らっていたのは、『あの子が可愛いから好みではないので断った』というふうに補完したからだろう。だが二口はそれが正しいとは思っていない。そもそも青根は、相手が可愛いと付き合いたくなるという心情を、一度も否定はしていないのだ。
 それをふまえた上で、茂庭に言った言葉を補完すれば、鎌先の想像とは全く違う文章が出来あがる。
 あの子が一般的に可愛い容姿だったことも、可愛い相手と付き合いたいのも同時に成立する。
 『他にもっと可愛いと思う対象がいるから、たとえあの子がどんなに可愛くても断る』が正解であれば、これほど腹立たしいことはない。
「……言っとくけど、オレのこと可愛いとか思ってやがんだったら、マジでキレるからな」
「……!?」
「やっぱそうなのかよっ、つかそんなに驚くな!! お前の方がよっぽど可愛いだろうがっ、そんな顔してるくせによ、詐欺だ!!」
「……?」
 混乱したまま叫ぶだけ叫ぶと、二口は胸倉を掴んでいた手を突き飛ばすようにして離した。
 やはり、帰り際に渡されたメモはそういうことなのだ。
 DVDを見せながら、二口は青根に好みのタイプをきいた。胸の大きさや、身長、系統と年齢だ。何一つ答えてくれなかったのに、メモにはすべて回答があった。
 胸はなくてよく、背は高くて格好いい系、同い年が好みらしい。
 どういう女性だろうと悩んでみたが、上手く像が描けない。だが、ある一点を外してしまえば、驚くほど合致する人物に気がついてしまい、頭の中が一気に壊滅した。
「いいか、青根。昨日のことは、誰にも言うんじゃねえぞ」
「……。」
 突き飛ばした際に、青根はロッカーに背をつける位置まで移動した。わずかに離れた距離を縮めるように足を進めながら、二口はそう念を押す。だが、青根は驚いたように見つめ返してくるだけだ。
「頷け」
「……!?」
「頷かねえなら、もう口きいてやらない」
「……!!」
 肯定したくなかったのか、単に驚いて頷き忘れていただけかは、よく分からない。ただすぐ目の前に立ってそう凄めば、ハッと息を飲んだ後に、青根は何度も頷いた。
 青根としても、昨日のことをいちいち言いふらす利点はない。なにより、言葉で広めるには困難が付き纏う。それでもうっかり変な反応をして、誰かに勘付かれないとも限らない。万が一にも釘を刺しておけば、頷かれて二口も安堵した。
 きっと、青根は分かっていないのだ。昨日の行為も、帰り際のメモも、どれだけ二口を揺さぶったのか、さっぱり気がついていない。それが悔しくて、とにかく責め立てたいのに、実際に青根を前にすると二口は欲求が抑えられなくなる。
「……それと」
「……?」
 少し高い視線に合わせるように踵を上げ、青根の顔の横のロッカーへと両手をつく。そしてぐっと顔を近づけてから、唇が触れる前に囁いた。
「これからの、ことも、全部……。」
「……んんっ!?」
「……内緒、だからな?」
 訳が分からなそうな顔のまま、頷きかけた青根に我慢ができずに唇を塞いだ。
 昨日、部屋で押し倒してきたとき、青根はあの子の代わりにしていたのではない。ちゃんと、二口だから手を伸ばした。
 たったそれだけのことに確信が持てただけで、こんなにも動揺して、みっともなく暴走するとは思っていなかった。
 唇を離してから念を押せば、青根はしっかりと頷いた後、二口の背に両腕を回して強く抱き締めてきた。痛いくらいの抱擁と、呼吸が上手くできないほどの強引で貪欲なキス。ちゃんと躾をしなければと頭の隅では呆れているはずなのに、青根が自分としたがっているのだと感じるだけで、こんなにも幸せになれることを、二口は知ってしまった。


 









あ、あおふただよ! あおふた だよ・・・!
あと、鎌先さん、なんかすいません。

ロボっぽい何か


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