【お試し版】
『サイレント・サイレン』収録-01.





■00






 小学校を卒業したときは、中学校に入るんだなと思っていた。
 中学校を卒業したときは、高校に入ると知っていた。
 だが、高校を卒業してからの進路を、幼い頃に描いた記憶はない。大学などへの進学は、勉強が嫌いだったのでむしろ避けたかった。なりたい職業として幼稚園のときお絵かきした内容も、とっくに忘れている。
 だから、自分が高校を卒業してから、まさかこんな肩書きになるとは思ってもいなかった。
「ああ、うん。……ん? ああ、それでいいよ。じゃあ、お願いするね」
 電話を切る前に、年齢が倍は違うはずの相手に『ボス』と呼ばれ、恭しく挨拶をされた。
 持っていた受話器を置いたとき、ふと自分が随分とこの呼び方に慣れていることに気がつく。それに面映さなど微塵もない。だが居心地の悪さや億劫さはほとんど消えていることに、ツナは今更のように驚いていた。
 そんなことは当たり前だ。イタリア本国で九代目の容態が悪化し、ツナが正式にボスになってからもう一年近くが経つ。リボーンがいれば、慣れてもらわなければ困ると呆れ顔で小言をくれただろう。今は部屋にいない家庭教師の声を不意に思い出して、ツナは笑ってしまった。
「そっか、年明けで一年か」
 執務室の机に置いてあるカレンダーを見て、ツナは心の中で思ったことをもう一度口に出していた。
 リボーンがツナの元に現れ、ボンゴレファミリーの十代目ボスになれと言ってきたのは中学一年生の頃だ。当時は冗談だと思ったし、冗談じゃないとも思った。次第に現実味が帯びてきても、戦うことへの躊躇いが気後れさせたし、逆に仲間のためになら強くもなれた。結果的にリボーンの言う通りになってしまった気がしないでもないが、そこに至るまでの葛藤は二人の人物の影響が大きい。
 リボーンと知り合ってから交流を持つことになった友人たちだ。
 一人は獄寺隼人で、ツナを勝手に十代目と崇めたて、右腕を自称していた。リボーンを除けば、積極的にマフィアの道へと導こうとしていた人物だ。
 もう一人は山本武、親友である。山本の場合はいまいちマフィアというものを理解していなかったので、つい流されそうになるツナが我に返る指針にもなっていた。要するに、自分はマフィアのボスになどならない、一般人だと思い出すきっかけだ。
「……。」
 リボーンや獄寺の言葉に押され、ついボスになるような未来を描いてしまったツナにとって、山本はあくまでも『普通の』友達だった。身体能力や性格のことではない。どれだけ刀を手に戦っていても、山本はいつも野球を忘れない。人殺しにはならない。一時的には仲間のために戦っても、終われば血や硝煙の臭いからは戻れるという希望の象徴に見えていた。
 そんな山本も、いつまでも子供ではいられない。何かに気がつき、自覚し始めたのはいつからだったのだろう。ツナにはよく分からなかった。あるいは、敢えて目を背けていたのかもしれない。
 リボーンや獄寺が、ツナをボスにと言うのは分かる。彼らは元々マフィアなのだ。だが山本に対しては、自分と関わらなければマフィアに誘われることもなかったのだという思いが、ずっとツナの中にあった。単純な後ろめたさだ。気にしなくてもいいと言う山本の言葉で楽になれない自分は、親友失格だろう。だからこそ、半ば使命感に駆られて山本に殊更野球の道を勧めた。もう三年近く前、高校を卒業する前のことだ。
『山本、オレたちのことなら大丈夫だから? 山本がほんとに野球したいなら、オレは、周りの誰が何を言っても、応援するよ』
『……ありがとな、ツナ』
 少し間を置いてから感謝してくれた山本は、もしかするととっくに心の折り合いはついていたのかもしれない。
 三年近く経って、ツナは最近よくそう思う。自らの技術不足や、野球への情熱が薄れたことが理由であれば、逆に申し訳ない。ツナが自分勝手な贖罪をしたくて、野球への道を断とうとしていた山本に無理に続けさせてしまったことになるからだ。だが高校を卒業し、渡米してマイナーリーグから頑張っていた山本は、それなりに結果を積み上げていたらしい。順調に進むかと思われた山本の野球人生だが、たった二年で終了する。
 そのきっかけが、九代目の容体悪化と、ツナの十代目ボス正式就任だ。カレンダーは十一月の終わりを示しており、今年もそろそろ終わりだという実感がツナを感慨深くさせた。
「……。」
 去年の今頃は、九代目の容態が急変して大騒ぎだった。慌ててイタリアに飛んだツナだったが、次に日本の地を踏むときはもうボスになっているのだろうという覚悟はあった。超直感とも呼べないような予想は見事に当たり、三ヵ月後にようやく並盛へと戻ったツナには、今の肩書きがしっかりと圧し掛かっていた。
 だが動揺している間もなく、様々なことに忙殺される日々が続く。並盛は既に次期ボス内定者の本拠地として整備されつつあったので、移行そのものは問題ない。それでもやはり、ボス内定者とボスは違う。思ったより書類仕事が多く、重要な決定を言葉一つで左右できる責任にツナは押し潰されそうにもなった。
 そんなツナを、文字通り右腕として支えてくれたのが獄寺だ。元よりイタリア語が母国語であるし、本国でのマフィア事情に詳しい。明晰な頭脳は知識も豊富で、且つ分析力に優れていた。ツナが決断し易いように、事態を整理し、どの決定をしても予想される利害をすべて簡潔に示してくれる。なにより、獄寺は優しいのだ。たとえツナが迷い、悩み、その末に出した結論で出た損害に心を痛めても、それを責めることはない。悔やむことだけは許してくれる。ただ、ボスとして正しい決断だったと、いつも信じてくれる。それが右腕の務めだと恥ずかしげもなく言ってのける姿は、中学生の頃は異星人でも見るような奇異な感覚しかなかった。だが、今ならば分かる。獄寺は、最初から、ずっとツナの右腕だった。
「……とか言ったら、変に恐縮させて面倒くさいってのは厄介なんだけど」
 一度ちゃんと礼を言うべきだと思い立ち、ボスとなって数ヶ月経った頃に感謝していると告げてみたことがある。そのとき獄寺は変な顔をするだけで、すぐに仕事の話に戻っていた。きっと喜んでくれて、少しくらいは報いることができると考えていたツナは、肩透かしを食らった気になった。直後に、まるで感謝の感謝を期待しているようで、自分に嫌気が差した。
 殊更仕事の話をまくしたて、さっさとこの執務室から出て行った獄寺は、きっと今更だと思ったのだろう。むしろ感謝が遅いくらいだと呆れたのかもしれない。一人になってからそうため息をついたツナだったが、数分後に訪れた友人に怪訝そうに言われてやっと気がついた。
『なあツナ、獄寺をクビにでもしたのか?』
『え?』
『さっき、そこで肩震わせて泣いてたんだけど。声かけたら怒られそうだったから無視したけど、クビじゃなかったら、なに? ボス直々に頑張ったで賞とかあげたのな?』
 からかい半分に言う友人の言葉で、少し前にやたら無表情に出て行った獄寺が、単純に喜びすぎてどう表現すればいいのか分からなかったのだと分かった。昔ならば、素直に感激してくれただろう。よく泣いていたし、土下座もしていた。だがさすがに二十歳も越えた男が泣くのは格好悪いと獄寺は思っているようで、特に高校を卒業してからは殊更感情を押し込め、沈着冷静な頭脳派の右腕像を目指しているようだった。
 それでも獄寺は獄寺であるし、感情の振れ幅はおそらく他の人よりかなり大きい。すぐ怒るし、すぐ凹む。感情が非常に顔に出るタイプだ。そう言っても、賛同はあまり得られないだろう。特にこのとき獄寺の後に入ってきた友人、山本などに言わせれば、獄寺が強情を張らずに感情を表に出せるのはツナだからだと指摘されるに違いない。それもまた事実ではあるのだが、ツナ以外の者に対しての抑制が格段に上がっている。高校を卒業してから知り合ったファミリーの多くは、獄寺をクールでキレ者の色男だと感嘆する者が多かったので、ツナはいつも笑ってしまいそうになるのを堪えるのが大変だった。
 そんな評価を受ける獄寺に対し、山本は逆に感情豊かだと思われている。誰にでも朗らかで明るく話すし、人当たりはいい。だがツナはそう評価していない。獄寺の装ったクールさの対極は、了平のような人格をさすのだろう。山本は、獄寺の本質と真逆なのだ。要するに、元々の感情の振れ幅は極端に狭い。あまり動揺もしない。鈍いとも言える。ただ、その狭い喜怒哀楽を隠すことなくあけすけに出すので、豊かに見えるだけだ。滅多に声を荒げることもない山本は、感情ではなく、表情が豊かなだけだ。それは穏やかさでもあり、美徳なのだろうが、反面何を考えているのか分かりにくいというのも事実で、ツナはいつも不安が拭いきれないでいた。
「……。」
 獄寺をうっかり感涙させたのは、二・三ヶ月前のことだ。それよりもっと前、年明けにボスへと就任したツナは、アメリカにいた山本にすぐに連絡をした。電話を受けた山本は、驚いたようだったが、すぐに分かったと言ってくれた。それ以外は何も言わなかった。電話を切ったツナも、何も言えなかった。山本は野球での道において、特に挫折を覚えるような状況にない。そもそも、高校を卒業したときからツナは半ばボスとして立ち振る舞わなければならないことも多かったので、大差がないとも言えたのだ。
 正式に就任したのは一月でも、それなりの式典が催されたのは三月も終わりになった頃だ。劇的な代替わりでもなく、また後継者の座を巡って今更争いも起きなかったので、よく言えば粛々と準備が進められた。悪く言えば、新鮮味がなかったので特に顔見世で急ぐ必要もなかった。そうして行なわれたおざなりな就任式で、ツナは久しく会っていなかった親友と再会する。
『……山本?』
『ツナ、おめでと!! あ、おめでとう、でいいのか? まあよく分かんねえけど、ツナがボスになるってときに、守護者が揃ってねえと示しってのがつかねえんだろ?』
 だから間に合ってよかったとおろしたてのスーツで笑う山本を、ツナはしばらく呆然と見上げてしまった。
 誰かが説得したのかとも勘繰ったが、すぐに違うとツナは察する。山本は、きっと、最初から決めていたのだ。早すぎる招聘に、山本は愚痴を言うことはない。それでも、もっとしたかったはずの野球を途中で取り上げてしまった気がして、申し訳なくて頭を下げるしかないツナに、山本はそれこそ中学生の頃からと同じ言葉を繰り返してくれていた。
 ツナは気にしなくていいのな? これは、オレが決めたことだから。
 あのときも、それを信じきれずに悔いた。だがボスとなってからは十一ヶ月、山本が合流してからは九ヶ月。ようやく信じられるようになってきているツナには、別の疑念が持ち上がっている。
「まあ、山本の性格だって言えば、そうなんだろうけど」
 ボンゴレに合流してからの山本は、野球への未練がない。むしろ、二年間の遅れを取り戻そうと、必死になっている。元より人好きのする性格なので、部下や他のファミリーともすぐ馴染んだようだ。トレーニングは継続していたため、刀を振るうことにも違和感はない。今ではすっかりファミリーの一人として溶け込んでいる様を見れば、もしかすると山本はとっくにマフィアになったつもりで、辞める予定だった野球を無理に二年も続けさせてしまったのかもしれない。最近はそんな勘繰りすら出るようになった始末だ。
 山本がここに馴染めなくても、馴染めても、不安になって心配してしまう。いい加減自分の損な性質だと自覚していても、ツナはため息を深める。だが、今のところ山本はボンゴレに合流したことを後悔している様子はない。ツナの前では見せないように心がけているのかもしれないが、山本がそう見せているということは、そう思ってもらいたいという意志である。要するに気に病む必要はないと言われているのだと察し、ツナは軽く首を振って不毛な思考を振り払った。
 春先にはいろいろ心配してしまった山本も、今では全く問題がない。
 そう繰り返し心の中で呟き、さて次の仕事だと手を伸ばした書類を見て、ツナはまたぼやいてしまった。
「……ほんと、仲がいいんだか悪いんだか」
 内容は大したものではないが、作成者のことが頭に浮かぶと、ついそんな言葉が出た。
 山本も、合流した当初はさすがに少し戸惑う様子も見受けられたが、それは単に環境が変わって慣れるまでのわずかな時間だ。すぐにそれがなくなり、この並盛基地でも溶け込んでいった山本に対し、それまでは実に自然に振る舞っていた別の友人の様子がおかしくなっていった。
 最初はあまり気にも留めていなかった。その友人、今手にした書類を作ってくれた獄寺は、元々山本とそりが合わなかった。殴り合いまでいかずとも、些細な喧嘩は日常茶飯事だ。それでも懲りずに構う山本には呆れたし、いつまでも邪険にして声を荒げる獄寺にはツナも疲れたものだ。
 高校を卒業してからの二年間は、獄寺も山本には会っていない。だが再会し、毎日で顔を見る距離に戻ればきっとまたじゃれ合うような喧嘩をするのだろう。そんなふうに思っていたツナは、しばらく違和感に気がつけなかった。だが山本も合流して数ヶ月経ち、例のうっかり獄寺に感謝を伝えたときに、ようやく何かがおかしいと察することができた。
「……。」
 これでは、以前と逆だ。いや、山本は高校が違ったので、もしかすると中学の頃とは逆なのかもしれない。
 かつては山本が獄寺に構い、邪険にされていた。
 だが今は獄寺の方が山本に絡み、山本はそんな獄寺を億劫に思っている雰囲気がある。もしツナの中にあるかつてのイメージのままであれば、肩を震わせて泣いている獄寺に山本が声をかけないはずがない。面倒くさいなどと遠巻きにせず、何があったのかと本気で心配して構い倒し、獄寺に怒られるというのが最も想像しやすい展開だ。
 いつの間にか、執着の方向が逆向きになっていたのだろうか。そう考えつつも、かつても獄寺は態度が悪いだけで、いつも山本を気にしていたようにも思う。つまり、獄寺は大人になって多少態度が丸くなっただけで、山本の相手をしたがるところは変わっていない。だが山本の方が獄寺に興味をなくしているため、それが鬱陶しく、つれない反応に見えてしまっている。
 つくづく間が悪い二人だな、とツナは思った。山本が仲良くしたいと思っていた中学生の頃は、獄寺が手酷く拒絶した。大人になり、共に守護者としていがみ合う必要はないと理解し、少しくらいは協調した方がいいだろうと手を差し出した獄寺を山本は煙たがる。きっと、互いに必要とする時期が合っていれば、とてもいい友人同士になっていたのだろう。だがどうにもあの二人は噛み合わないようだとツナはため息をついて、書類を置いた。
「だいぶ、疲れてきてるみたいだしなあ……。」
 山本が合流したばかりの頃は、二人ともそれぞれの場所で上手くいっていた。
 それが、互いに落ち着いてきた頃に獄寺が山本を頻繁に訪ねるようになって、目に見えて二人は疲弊しだしたのだ。そんなところばかり示し合わさなくてもと思うが、今のところツナには何もできない。傍目には、獄寺は単に守護者同士の連絡などを密にしようという職業意識に見える。山本も、ツナに対して獄寺が鬱陶しいので出入り禁止にしてほしいなどと訴えてこないからだ。
 性格を考えれば、山本はそこまではっきりと拒絶は示せないかもしれない。だが、さり気なく出張を入れたり、基地内での常駐場所を離したりと、できることはあるはずだ。それをしないのは、そこまで邪魔に思っていないのか、あるいは逃げるようで嫌だと意地になっているのか。後者であれば、まるっきり中学時代の獄寺である。構ってくる山本から逃げるのはプライドが許さないと、すべて受け止めてから邪険にしていた。本当にどうでもいい者は相手にもしない獄寺なので、なんだかんだで仲がいいと、当時のツナは気楽に考えていたものだ。
 やっぱり仲がいいのか悪いのか分からない、と結論を繰り返したところで、ふと内線が訪問者を知らせるランプを灯す。
「はい?」
『あ、十代目、オレです。獄寺です。ちょっと、お時間があれば、いや他に仕事があれば大した事ではないのでいいんですけどっ、その、ご相談が……!!』
「うん、いいよ」
 すぐに聞こえてきた声は、今も考えていた友人の片方、獄寺のものだった。だが珍しく落ち着かない様子だ。緊急事態が起きたような切迫感ではなく、どこか後ろめたさのようなもので躊躇っている。ツナに対してはやたら恐縮する性格なので不自然ではないのだが、それでも珍しいと感じた。高校を卒業してからは、あまり見せなくなった態度だからだ。廊下でそんな様子を見せるのは、冷静沈着なキャラクターを演出している獄寺に不利益だろう。変な気遣いをしたツナは、すぐにドアを開けてやっていた。
 並盛地下基地は、ほとんどのものが機械化されている。今も内線を切り、横のボタンを押せばシュッと軽い音をさせてドアが自動で開く。するとそこに立っていた獄寺は、やはりいつになくおどおどしている。
「す、すいません、十代目、貴重なお時間を……!!」
「ううん、ほんと大丈夫だから気にしないでいいよ。あ、今コーヒーいれるから座ってて」
 気が弱いわけではない獄寺がここまで動揺をするのは、要するに尊敬するボスであるツナに右腕として不甲斐ないことをしているという自覚があるときだ。仕事以外で時間を取らせるのを極端に嫌う。つまり、相談とは獄寺の個人的なことらしい。だが仕事のついでではなく、わざわざ訪ねてきたのであれば、よほど深刻なのだろう。なんとなく相談内容の対象者は分かる気がしながら、ツナはまず席を立ってコーヒーを入れることにしていた。
 ボスであるツナに用意させるなど失礼だと、獄寺も思っている。だが任せるとかなりの確率で惨事が起こるため、天秤にかけて獄寺も大人しくしてくれる。このときも、勧めたままに獄寺は執務机の前にある応接セットのソファーに腰を下ろしていた。
 その際に深くため息をついていたので、どうやら相当参っているらしい。いつか自分に助けを求めてくるだろうと思っていたが、それが獄寺だったのは意外のような、そうでもないような気がした。普通は纏わりつかれて迷惑している方が泣きつくと考えていたからなのかもしれない。だが二人の性格を比べれば、先に音をあげるのが獄寺であることはむしろ自然かとも思っている間にコーヒーができたので、二人分を持ってツナはソファーへと向かった。
「あ、いつもすいません、十代目。オレが不甲斐ないばっかりに……!!」
「今更だから気にしなくていいよ。それより、どうしたの?」
「……。」
「オレに、何か相談?」
 いつも以上に恐縮して多弁になっているのに、いざ促すと獄寺は口を閉じた。矛盾しているようにも感じるが、これは獄寺にとっても儀式のようなものなのだろう。重ねて追及することはせず、優雅にコーヒーをすすって待っていると、やがて獄寺は口を開いていた。
「……山本のことなんですが」
「うん?」
 そして聞かれた名前に、予想はしていてもツナは少し驚く顔をしてしまった。
 一つは、本当に獄寺がその話題を持ち出したからだ。だがそれより驚きを増させたのは、切り出したときの獄寺が思っていたよりずっとずっと苦しそうな顔をしていたからだ。
 そんなにも、つらいのだろうか。
 山本に軽くあしらわれるということが、獄寺にとってそこまで心を痛めるほど事態だとツナは考えていなかった。だが、獄寺は少なくとも数ヶ月は山本のところに通っている。最初は傲慢に手を差し伸べ、拒絶されてキレることはあるだろう。だが、そこでこちらこそ願い下げだと跳ね除ければすんだはずだ。それなのに、獄寺はいまだに足しげく山本へと会いに行く。もしかすると、中学の頃とは何かがだいぶ変わっているのかもしれない。
 初めて危機感に似た焦燥を感じ、ツナもコーヒーをテーブルへと置いて身を乗り出す。
 だが真剣に話を聞こうとすれば、獄寺はまた黙ってしまった。そして目を逸らしている。今度はじっと待つことはできず、二人とも大切な友人だからこそ心配になってきたツナは先を言葉で促した。
「山本が、どうかした? 最近、よく山本の部屋に行ってるみたいだね」
「……!!」
「獄寺君……?」
 実は最近からではないことも知っていたが、そんなふうに言ってみれば獄寺はガタッと膝がテーブルにぶつかるほど動揺する。ちなみに部屋とは、山本の居住区ではない。基地内に一応用意されているのだが、山本はほとんど並盛町内にある実家に戻って寝泊りしているのだ。そのため、備え付けのベッドは畳まれたまま、実質的には専用の執務室のような状態で使っている。
「……山本から、何か、言われました?」
「え?」
 そこに獄寺がよく行ってることは、ツナは誰に聞くまでもなく自分の目で見ていたので知っていた。山本から言われたことはない。だが頻繁に訪問することを否定しなかった獄寺は、何かに怯えるような雰囲気を漂わせながらそう尋ねてきていた。
 だがそれには、ツナも面食らう。それだけで、獄寺にも答えは分かったのだろう。一度深呼吸をした獄寺は、頭の中でいろいろと整理したようだ。その結果吐き出された言葉がどれだけ唐突でも、きっと論理的には正しいのだとツナは思うことにした。
「実は、ですね、十代目。……あのバカ、失恋したんですよ」
「……ええっ!?」
「それで、こう、慰めてやれないものかと。元気付けてやれないかと、訪ねてるんですけど、どうも、上手くいかなくて」
 困っているのだと打ち明けた獄寺は、明らかにおかしい。そんなに親切なはずがない。同じ守護者だとか、昔馴染みだからとか、他の者ならば納得できそうな理由も獄寺にはあてはまらない。むしろ失恋ぐらいで仕事に支障を来たすなと、叱責しそうなタイプだ。
 だがこのときのツナは、あまりに予想だにしない情報に呆気に取られた後、盛大に驚いてしまったため、そんな冷静な判断はつかなかった。むしろ、獄寺が通うことで山本の機嫌が悪くなったと思っていたが、逆だったのかもしれないと察して申し訳なくなる。つまり、失恋して気落ちしたのが先で、慰めようとする獄寺の訪問が逆効果になっていただけなのかもしれない。獄寺の訪問と、山本の憂鬱さは、ほぼ同じ時期から始まっている。原因と結果だと簡単に決め付けてしまっていたが、実際には、原因は別で、その結果と更に結果なのかもしれないと思ったところで、やっとツナは違和感に気がついた。
「でも、どうして獄寺君が?」
「……。」
 山本と失恋という単語がどうにも結びつかず、思考がしばらく緩慢になっていたが、山本ももう二十一歳なのだ。性格が性格なのでいつまでも身も心も子供のようなイメージがあったが、恋の一つや二つしていてもおかしくない。山本の方がふられたというのも不思議だったが、あくまで中学の頃に女子から告白されまくっていた印象が強いからだろう。あの山本でも、ふられることはあるのだ。理屈では分かっていても、実感がなかなか伴わなかったツナだったが、やっと理解すればその疑問が口を突いて出た。
 それに、獄寺は最初はツナの目を見てしっかりと答える。
「いえ、随分追い詰められてるようだったので」
「そう」
「……それに、オレが原因とも言えるので」
 それから目を逸らして独り言のようにぼやいたことが、真実だとツナはすぐに見抜けた。どうやら失恋の原因は、獄寺が関わっているらしい。ふと思い出したのは、ツナがボスに就任した時期のことだ。最初に電話をしたとき、山本は何も言わなかった。だが約二ヶ月経って式典に現れたときは、山本はすっきりとした顔をしていた。
 てっきり以前からそのつもりだったのかと勘繰っていたが、もしかすると即答できなかったのは当時山本にはアメリカに恋人でもいたのかもしれない。そして、ツナがイタリアでばたばたしている間に、獄寺が何かしらの手回しをしたのだろうか。獄寺も山本の守護者としての能力は認めている。式典への出席も、強く主張していた。ボスの右腕として、立派な門出にしたいと思うあまり、かなり強引な手段でボンゴレ合流への足枷になりそうな人物を処理したのかもしれない。
 獄寺なら、やりかねない。
 正直、ツナはそう思った。それだけ獄寺の忠誠が本物で、時に行き過ぎると知っていたからだ。さすがに殺したりはしないだろうが、脅したり、金銭などで引かせたり、あるいは恋人が山本から気持ちを離すように画策するくらいであれば不思議ではない。
「そっか。それで、責任感じてるんだね」
「ええ、まあ、そんなところで……。」
 もしこれが事実であれば、山本があっさりとボンゴレに来たのも分かる。恋人がどんな反応をしようが、マフィアと相容れない一般人の場合、今後もこうして引き離し工作が行われると察したのだろう。恋人に愛想をつかしたのではなく、守るために身を引く。そして一度決めた後は、未練などきっぱり捨ててボンゴレのために戦う。山本はそういう割りきりができる男だ。
 一方の獄寺は、そうして画策し、上手くいったにもかかわらず、やはり後ろめたさがあったらしい。どちらかと言えば、山本本人に対してではなく、こういう手法を嫌がるツナを慮っての罪悪感だろう。もしかすると、別れさせる際に山本にも一方的な交換条件でも示したのかもしれない。それが達成されず、あるいはツナに裏工作を密告されることをおそれ、足しげく山本のところに通っていたのだろうか。そして、そんな獄寺に中学の頃の興味など消えうせ、幻滅して山本はあの態度になったのだろうか。
「それで、一般論で構わないんですけど。失恋したヤツを励ますのって、どうしたらいいですね?」
 だが、いろいろと想像しているツナの推論も、いまいち自分の中で説得力が出てこない。
 獄寺がそこまでする人物だと信じきれない部分もある。それ以上に、本当にツナのために必要だと腹をくくり、信念を持って山本の恋人を切って守護者をこちらに引きずり込んだのであれば、もっと胸を張っていそうだ。ツナにはいつも信じた道を進んでいいと後押しする獄寺だが、その手法に清濁が混在している場合は右腕である自分が手を汚すことを厭わない。そう公言もしている。だが今の獄寺に、そういった思いつめた潔さは見受けられなかった。端的に言えば、どこかのん気だ。
「……でも、それって、獄寺君があれこれするのって逆効果なんじゃないかなあ?」
 もし本当に失恋の原因が獄寺であれば、余計なお世話である。マフィアの組織的な背景がなく、たとえば単純に山本が想いを寄せる女性が獄寺を好きだったのでふられた程度の話であれば、獄寺の気遣いを煩わしく感じてもおかしくない。傲慢にも見えるだろう。第一それまでの獄寺の性格を考えれば胡散臭く、何か裏にあるのではと警戒してしまいそうだ。突き詰めれば、獄寺が山本に対してそういう親切さを発揮するのが不自然という話に帰結するのだが、獄寺本人はそうは思っていないらしい。
「いやっ、でも、そこはオレが何とかしてやりたいんですけど……!!」
「そうなの? 失恋とかって、そっとしておいてあげるのが一番だと思うけど」
「そ、それは分かっているんですが、やはりここはオレが……!!」
 獄寺はどうしても自分で解決してやりたいらしい。変な義務感は怪しいことこの上ないが、そこまで思うほど獄寺は責任を感じているということなのかもしれない。
 よほどひどい失恋で、それこそ獄寺が知らずにうっかり寝取ったりしてしまったのだろうか。
 よくモテるという話は聞くが、ドロドロとした恋愛事情など二人とも無縁だったので想像もつかないが、知らないところで複雑な事態になっていたのかもしれない。いつの間にか二人とも大人になっていたんだなと妙な寂しさを感じつつも、ツナは自分に言える精一杯の助言をしてみていた。
「だからさ、どうにもならないよ、きっと。それこそ、新しい恋人でもできないかぎり、本当の意味で失恋から立ち直るのって無理じゃないかな?」
「……!?」
 他に打ち込むことができたり、あるいは時間が経てば薄れることはあるだろう。だが、失恋そのものがどうでもよくなるのは、まさにこれしかないとツナは思っている。新しい恋をすることが、最も効果的なはずだ。
 そう口にしつつ、いまだに京子への想いを断ち切れず、かといって成就も叶わない自分では説得力がないなとツナは思った。だからこそ、獄寺もツナへの相談をずっと躊躇っていたのかもしれない。
「……そう、ですよね。やっぱりそれしかないですよね」
「獄寺君……?」
 シャマルか誰かに先に相談していたのか、まるで自分に言い聞かせるようにそう繰り返した獄寺は、疲れたように大きく頷く。なんだか、ショックを受けているようだ。だが不思議そうに名を呼ぶツナに、顔を上げた獄寺は無理した笑みを浮かべていた。
「つまらないことでお時間を取らせて、すいませんでした。オレ、頑張ってみますね」
「あ、いや、だから獄寺君は余計なことしないで見守ってあげてるだけの方が……?」
「では十代目、失礼します。山本が新しい恋ができるように、オレ、なんとかしてみせますので」
 ソファーから立ち上がり、丁寧だが一方的に告げた獄寺は、さっさと執務室から出て行った。
 やや早口になっていたことと、表情が貼り付いたように硬くなっていたことで、ツナにも獄寺が無理をしていたのだと分かる。だが数ヶ月前に謝辞を述べたときと違い、獄寺がどんな感情を押し殺していたのかはさっぱり分からない。
 ただ、結局一口も飲まれなかったコーヒーが、すっかり冷めてテーブルに置かれたままだった。
 それはまるで獄寺の余裕のなさを示しているようで、面倒なことにならないといいけどなあ、と古い友人たちの関係をぼんやりと憂っていた。














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 ちと短いですが、ここまで。
 こんな感じです。